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2007/12/17■月曜交流会

悟りとは自分を知ること

@自分で答えを出す

私は阿弥陀如来としてお話をいたします。阿弥陀という名前で理解されておりますが、元々阿弥陀という名前は別の世界からの言葉であり、皆さんの理解している概念とは異なります。アミターバとかアミーダ、この波動は一人ひとりの意識に光を投入し、一人ひとりが今どこに向っているのか、今何故そういう姿をしているのか、自分に意識を向けさせるための光を持っております。

アミターバの光を皆さん方が受け取ると、自分を見つけようとし、自分を知ろうとし、自分がどこに向うのかを見つけようとしていきます。しかしこの光は皆さん方が自分で自分を見つけようとする働きを行うだけであり、答えを与えるものではありません。皆さん方がどこへ向ったら良いのか、そういう思いに対しあちらへ行きなさいとか、こちらへ行きなさいとか答えを与えることはまずありません。

自分で見つけることができるように自分で分かるように光を当てる、したがって、自分がどこへ向うのか分からない時、アミターバの光を受け取っても考えようとしないもの、見つけようとしないものにはほとんど何も変化は起こりません。自分で常に問題意識を持ちどこへ向っているのか、どこへ進もうとしているのか、それをその波動を持っているものに対しこの光が功を奏し、自分で見つけられるようになっていきます。

今皆さん方の意識にこのアミターバの光を当ててみます。自分がどこへ向っているのか、自分が今何を行なっているのか、自分で答えを出せるようにしてみてください。アミターバ。


A自分の何を知るのか

私は仏陀のエネルギーで降りてきました。悟り、今日皆さん方は賢くなる、考えるということをずっと教わってきました。何故考えるのか、今行なっていることが正しいかどうか分からない、どこへ歩いていったら良いのか分からない、しかし考えるというのは他を幸せにするために考えたり、素晴らしいもの、美しいものをつくるために考えていき、自分が何をしたら良いかを考えることはまず意味がありません。常に皆さん方は今必要なものが目の前に与えられている、今成すべき必要なものが目の前にある、皆さんは与えられたものをいかに使うか、目の前にあるものをいかに使いこなしていくか、それだけを考えれば良いのです。

どこへ向うか、目的は何なのか、それは考えてもほとんど意味はありません。常に今必要なものが目の前に現れてくる、今自分の成すべきことが現象化される、何故自分の方向を知ろうとするのでしょう。分かっていた方がやりやすい、分からないと不安である、しかしこれは神を信じていないマインドなのです。神を信ずることができずに自分で解決しよう、自分で解決していきたいという、しかし神から離れている以上は現実化することはありません。

本当に自分の思いを現実化したければ神の意志と合せる必要があり、神の意志と合わせるということは、目の前に現れている現実をすべて受け入れることです。目の前の現実、人間一人ひとりすべて神が皆さん方に今体験すべきものとして与えたものなのです。そこには無駄なものは何一つありません。今目の前の材料を使いこなして、そこからいかに多くの光を生み出していくか、いかに多くの人に奉仕を行なっていくか、いかに多くの人との間で愛を交換していくのか、それだけが皆さんのやるべきことなのです。

流れそのものは神や宇宙が決めることであり、人間が決めることではないのです。人間の意志が行えるのは今目の前の人を愛すること、目の前の人に奉仕をすること、これが人間の意志で行なえる範囲なのです。流れを変えたりつくったりするのは人間の意志ではありません。

それは宇宙や神が行なうことであり、皆さん方の意志で変えられるものではないのです。神や宇宙が一人ひとりに必要なものを与えている、それを心から信じない限り神は皆さんの心には降りてきません。そして皆さん方は肉体を持ったままでいつかは神とならねばならないのです。肉体を持った神とならねばならない、肉体を持った神とはどういうことか。

肉体を持ちながら神の意志をすべて感ずることができることです。神の意志を感ずることができた時、神と波動が合っていることになります。すべての現実、すべて現実として与えられていることにすべてに神の意志を感ずる、すべてに意味が分かり、理由が分かる、すべてを受け入れていく、すべての現実に神の意志を感ずる、それはすなわち自分が神となった証なのです。それがあなた方の「私は神」という状態になるのです。

本当に「私は神」、そういう意識を養っていくのであれば、まず与えられている現実一つひとつすべてが神の意志の現れであること、それをしっかりと受け入れるようにしていってください。ではアドバイスをしてみます。

Akikoさん、あなたの肉体の流れにおいて、あなたにとって悟りとは何であるのか、神の意志が分かるということがどういうことなのか、おそらく自分の頭では想像できない状態かもしれません。悟りを得る、ある意味ではすべての道理が分かり、すべての意味が分かり、また行なわれている現象の意味が分かる、それを悟りというかどうか、確かに悟りの一つかもしれません。しかし真実の悟りは自分を知ることなのです。自分を知ることが悟ることなのです。自分をもっともっと理解する、そのためには多くの人と接することです。人一人ひとりが自分の鏡を意味している、多くの人と接することにより自分が分かってくる、悟りを得るためには多くの人と接しなければならないのです。真の悟りは自分を知ること、常に忘れないようにしておいてください。

Tomoakiさん、あなたにとっての悟り、あなたにとっての悟りは物事を考えたり、展開させる時に自分の理解した概念の中で真理を構築し、その中で真理を組み立てようとしていきます。自分の理解している概念を組み立てていってもそれは真理にはなりません。理想の概念を形作っているだけであり、真理には届かないのです。真理は感ずるものであり、考えて分かるものではありません。真理を得るためには真理を感ずる、真理に触れる、真理を味わってみる、考えて見つける真理ではなく、触れたり味わったり感触的に真理を得るという体験を目指していってください。

Yukikoさんの悟り、あなたにとっての悟りは、自分が求めているもの、自分の中に完成させる、自分が納得のいくものを手に入れる、論理的に理解できるようにする、これはあなたにとって悟りでした。しかし人間の頭で理解できるものは人間のつくったものだけなのです。人間が理解できるのは人間がつくったもの、人間の波動が入っているものしか人間には理解できないのです。どのような概念であろうとも、どのようなヒントであろうとも、すべては人間のつくったものを感じているだけのことです。真の悟りは人間以外のものの波動をいかに感ずることができるか、人間がつくったものではないものをいかに理解していくか、それが分かった時に初めて悟りの世界に入っていくでしょう。

Kimioさんの悟り、あなたにとっての悟りは、自分がすべてを理解しすべてを自分の手の中でコントロールできるようにする、これがあなたにとっての悟りでした。自分のマインドがしっかりと体系付けられ理解できる、しかしマインドは理解をするためにつくられたものではなく、マインドは神の波動を感じてそれを自分の光としてつくり直し、自分の役割を演ずるために与えられたものです。神の光、いろんな光をマインドで感じ、それを肉体のレベルで実行できるようにする、スピリットの波動を肉体で具現化できるようにする、その変換を行なっているのがマインドとなります。したがって、何かを成そうとする、つくろうとする意識そのものはとても良いマインドと言えます。ただ神の思いを具現化させるということ、神が成したいことを肉体を通して実行に移していく、常に神の思いを具現化させるために肉体を使う、それができた時に初めて悟りという状態になります。肉体で何かを成そうと意識が強いとやはり悟りから離れていきます。自分にとっての悟り、自分で理解できるようにしてみてください。

Madokaさんの悟り、あなたにとっての悟り、自分のやりたいことが現実化できる、目指しているものがその通りになる、これがあなたにとっての悟りでした。しかしあなたを取り巻くいろんな波動はあなたのマインドで影響を受けながらもそのまま姿を現すことは中々できません。マインドの波動の中で現象化のためにどうしても必要な波動があり、最終的に現実化をさせる波動の中に、まだ活性化されていない波動があります。現実化のエネルギー一つひとつと完全に意識を合わせるということ、すべての現象に完全に意識を合わせ、そして現実をつくり出していくということ、現象の一つひとつ自分の意志で実際につくるということ、これが行えて初めて現実に現れてきます。ただ願う、考える、それだけでは現実にはなりません。現実のすべてに意識を向け引っ張ってくる、現象化させる、その思いをもっと強く持っていってください。

Keiko.Oさんの悟り、あなたにとっての悟りは自分のやりたいことをスムーズに行えるようにする、自分の願望や思いを達成できるようにする、これがあなたの悟りでした。いろんなエネルギーで現実を引き寄せようとしており、そのエネルギーは現実を現す以前にいろんな人間や現象のエネルギーを引き寄せてしまいます。自分の出した波動が現実をつくるのではなく、いろんな現象や人間を引き寄せていきます。現実が起こるのではなく感情的なエネルギーや思いのエネルギーが人々を集めてくるのです。したがって、そういう人間を呼び寄せたり、現象を呼び寄せるエネルギーを一切出すことなく、ただ現象化する思いを出していく、ただ現実だけをつくり出していく、そういうトレーニングを進めていってください。

Kenさんの悟り、あなたにとっての悟りは自分がすべて自分一人でできること、自分だけですべてを成し遂げることができる、これがあなたにとっての悟りでした。確かにそういう人もたくさんいるでしょう。でもやはり高度なレベルに進むにつれ自分一人ではどうしても完成することができません。いろんな人々との協力関係、いろんな人々の間のやり取りがなければ前には進まないのです。他の人のエネルギーが必要である、他の人の力が必要である、これに気付くことがあなたにとっての悟りとなります。いろんな波動、いろんな人々と触れ合っていく、ぜひそこから真理を学んでいってください。

Kokoさんの悟り、あなたにとっての悟りは、あなたの心の中の喜びをいかに現実レベルにもってくるか、心の中の至福をいかに現象化させるか、これがあなたにとっての悟りでした。悟りを現すものとして常に心を喜びに満たし、それを現象化させようとする、今までそうやって練習をしてきました。確かに心が喜びで満たされていれば現実は喜びになるかもしれません。しかし一番必要なのは他の人を喜ばせるという意識を持つこと、他の人の喜びをつくり出すということ、これがなければ現実には現れてこないのです。喜びが何のための喜びなのか、他を喜ばせる、これが鍵であることを理解しておいてください。

Hiromi.Tさんの悟り、あなたにとっての悟りは、自分のマインドでつくり出したいろんな思い、頭の中にあるいろんな思い、これをすべてクリアにし、もっとシンプルにすること、単純化すること、これがあなたの悟りになります。もう頭の中がいろんな論理の羅列になっており、とても整理しきれない状態になっています。いろんな思考が頭の中で渦巻いている、いろんな情報が頭の中に怒涛のように流れてくる、それを整理して悟りを得ようとしています。しかし多くの知識を整理して悟りになるのではありません。体験がなければ悟りにはならないのです。頭だけ知識だけの世界で悟りには結びついていきません。たった一つの体験が一気に多くの無駄な知識を削ぎ落とし、純粋な必要なものだけを選び出すことができたりします。頭の中のいろんな論理だけで進もうとせず、現実の行動によって不要なものをどんどん削ぎ落としていってください。

Akiraさんの悟り、あなたにとっての悟りは、長い年月において身に付けた自分の行動パタン、自分の流れ、これがいかに本来の自然の流れに合うものになっていくか、自分自身はなるべく自然に合わせ、自然の流れの中で一番スムーズな生き方をしようとしています。そしてそれがまさしく悟りという状態になるのかもしれません。しかし現実にはあまりにも自然に合わせよう、自然の通りに生きようとする思いが強すぎ、逆に自分がつくり出した自然の法則の範囲内で留まっているのです。本来の自然の法則、本来の自然の流れは人間の頭で理解できる世界ではありません。もっといろんな仕組みやいろんなものが働き掛けています。したがって、自分は頭の中で理解できている自然の法則に合わせるのではなく、到底理解することのできない自然の法則に合わせていく、そういう意識を持って学びを続けていってください。

皆さん方の悟りについて話をしてみました。悟るということはどういうことか。自分を知る、自分の何を知るのか、どこに向っているのか、自分は何を身に付けてきたのか、それはすべて他人を鏡として見ることができます。常に自分を知るという旅が付きまとってきます。ぜひ自分を理解し悟りへと導いていってください。それではここで休憩をとります、ありがとうございました。


(c)2007 CentralSun
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