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2007/11/26■月曜交流会

肉体を健康に保つとは

@肉体と心との関係

...私たちは光の仲間としてお話をいたします。皆さん方の波動を感じながら言葉として降ろそうと頑張っております。今の皆さん方の波動そのものがある意味では極めて人間的な波動で、スピリットや神の神聖さの波動に繋がるところがあまりありません。人間的な概念で、普通の世俗的なエネルギーの考えで、繋がっている状態です。

メッセージをもらうというよりは、皆さん方の中にある自分の答えを思い出させるためにやってきているのであり、メッセージをもらうという意識そのものを変えなければなりません。自分が神であり、自分がスピリットである、そこの意識に到達しない限り、皆さん方との接点がうまくつくれないのです。

アドバイスをもらいにきた、何でも良いから何か参考になれば良い、何か言ってくれるのをもらう、これは極めて俗的なエネルギーであり、私たちと繋がるところがないのです。こういう場は聞くのではなく、自分から話していく、自分から他の人に光を流していく、自分からエネルギーを他の人に流していく、一人ひとりがそれを行なわなければならないのです。ここに来て受身である人は私たちと繋がるところがないのです。

肉体についての話がありました。肉体を健康に維持する。こういう考え方はいわゆる病を良くないものと考え、病そのものを悪いものとして、良い健康状態に変えていく、こういう考え方から成り立っております。確かに肉体の病は一人ひとりの心の反映であり、心が歪んでいたり、心が曲がっていると肉体に病となって現れてきます。

しかしだからといって病のすべてが肉体から起こされるものでもありません。初めから病を体験するように生まれてきた人もおります。そしてその人にとってはそれを病とはいちいち感じていない人もいます。何故か当たり前のように、何も不便を感じないように、そういうものとして生きている人がいます。

健康であることを望むのは確かに悪いことではありません。ただ病を恐れていたり、不健康が悪いという意識を持って健康を求めたり、健康を良いものとすると、その考え方自体が病をつくり出していきます。健康を求めようとする気持ちそのものが病をつくり出す場合が多いのです。

病の人を見ても単にその人の心が肉体に現れている。心の状態をそのまま肉体で現しているということは、ある意味ではとても健康な肉体を持っているとも言えます。心の状態を完璧に肉体に現している、これ程健全な肉体はありません。肉体そのものは皆さん方の現れであり、一つひとつすべて皆さん方を完璧に現しています。

それを他の人があなたは病気だとか、あなたは欠陥があるとかいっていろいろ評価していること自体、正しいことではありません。一人ひとりは自分の肉体をよく調べ、自分のことを自分で変えていく、自分で自分の心を向上させていく、自分の肉体を見て自分の心を見ていくようにしていく必要があります。

心を見るのは難しいでしょう。しかし肉体は自分でも見ることができます。肉体においても自分で見ることのできる部分と、見ることのできない部分があります。自分で見ることのできる肉体は自分の心を自分で治せる範囲の領域です。自分の肉体で自分の見えるところではないもの、自分では見えないもの、それは心の中でも自分の気付いていない、あるいは気付きようがない心の場所を言います。

それは他の人に言われて気が付くしかありません。自分の目で見ることのできない自分の体は他の人の目を見て分かるしかないのです。心も同じようにすべての心を自分で気付くことはできません。他の人の言葉によって、他の人の言動によって気付く心の部分があります。

いわゆる皆さん方の概念で言えば、潜在意識と呼ばれている領域がそうでしょう。自分では中々気付くことはできません。しかし他の人の言動によって気付くことができます。肉体の一つひとつが心からつくられてくる。しかも自分が見える肉体と見えない肉体がある。自分の見える肉体は自分の心をそのまま自分で見えるように現している。

心を変えようとする時どうやって変えていけば良いか。肉体でよく見えるところはまず手でしょう。手はいろんなことに使うことができます。自分の体を維持するために、自分の体を守るために使うこともできれば、他の人に対する奉仕として使うこともできます。基本的に手は自分の前を向いている。これは自分の目の前にいる人に奉仕するように、常に自分の目の前の人に奉仕するようにつくられた手という意味があります。

わざわざ自分の見えない後ろや自分の見えにくい横の人に目を向ける必要はなく、今自分の目の前にいる人に奉仕をする。そのために手は前についております。その時自分の手の動きを自分で見ることができます。自分はどういう風に奉仕をしているのだろう、自分の奉仕の仕方がどうなのだろう、それが見えるようになっています。

乱暴に手を出したか、優しく丁寧に手を出しているか、相手の気の付かないところまで自分はこっそりと手を差し伸べているかどうか。あるいはこれ見よがしにわざと相手の目の前にいきなり自分の手を出していないかどうか。自分の手の動き、自分の奉仕の仕方がすべて自分で見えるようになっています。

この手の動き一つひとつも皆さん方の心の反映となっております。自分で自分に何かをする場合も手をよく使うでしょう。何気なく普通に動かす手の動き一つひとつ、やはり心が反映されております。手の動きをまったく認識せずに無意識に動かしている人、本気で自分のために自分の手を使おうという意識がないために、ある意味では自分を愛しているというエネルギーがどうしても弱くなっていきます。

手で自分を何かする場合でも一つひとつ自分の手の動きをチェックしながらやっていく、顔を洗うにしても、髪を洗うにしても、体を洗うにしても、食べるにしても、文字を書くにしても、自分の手の動き一つひとつに意識を向けているかどうか。あ、今日の手は何か疲れているようだ、後で少しマッサージでもしておこうと思う。何か爪が色が薄くなってきている、体に何か異常が出ていないかどうか。何か皮膚がかさかさしてきている、水分が足りない、心の潤いが足りているかどうか。いろんなメッセージを手から受けることができます。

自分の利き腕をよく使う人、利き腕は得意な手であり、自分の主力となっている奉仕の仕方、奉仕をする道具になるでしょう。利き腕でない腕は自分にとって、それとは反対の波動を持ったものであり、あまり表に出ず裏で支えたり、土台となったり、あるいは一つだけではできない別の面をカバーしたり、あくまでも両手で一つの役割を成すようにつくられています。

片手しか使っていない人は必ずバランスが崩れてきます。両手をうまく使い分けているかどうか、両手の中の波動が異なるのを自分で理解しているかどうか、相手に何か奉仕をする場合でも利き腕で行うのと、利き腕でないのとでどういう違いを感ずることができるかどうか、相手が求めている波動はどちらの波動を求めているか、相手に応じて自分の得意なエネルギーを使い分けていく。

自分の肉体は心の現れであり、自分の見えていない内臓もすべて心の現われてとなっております。内蔵は見ることができない。しかし確実に毎日肉体を維持するために動いています。皆さん方の生命を絶えず支えているのです。生命を支えているところがたくさんあります。

目に見える手や足に比べ、それらを支えている内臓、心にもそういう所があり、奉仕したい、前に進みたいという心の思いの奥底にそういう思いを支えている心の土台があります。心の生命となっているところがあるのです。心を維持するための生命、それは魂からのメッセージであり、皆さん方の心をつくり出した大元でもあります。

内臓はその部分にも働き掛けており、ある意味では高い波動からのメッセージを持って来ております。しかしこの内臓の働き一つひとつも非常に細かい役割があり、皆さん方が必ずしも一つひとつを理解する必要はありません。ただ肉体を支えている土台となっているものがあること、その基盤があるということ、それを理解する必要はあるでしょう。

肉体の病にしてもいろんな理由があり、病のすべてが良い悪いと判断されるものではなく、またすべてが心からつくられるものでもありません。多くの人が自分自身の肉体の波動を持っており、肉体の波動にはサイクルがあり、サイクルは必ず次のサイクルへと向っていきます。

次のサイクルへ向うために今のサイクルの学びがあり、この学びを終えて次のサイクルにいく、しかしこの肉体を支える命のサイクルに多くの人が抵抗していきます。前に進むのを拒絶したり、現状を維持しようとして執着を持ったり、特定のものにしがみつく、前に進む恐怖を持つ、恐れを持つ、こういったことがサイクルとして前に進むエネルギーを弱くさせていきます。

しかし地球自身は生命サイクルの連鎖の中で、確実に着実に前に進んでいきます。地球は確実に前に進むのに対し、皆さん方一人ひとりは現状にしがみつき、先に不安や恐れを抱き、地球と共に前に進む波動が弱くなっていきます。そのために地球自身は皆さん方一人ひとりにしっかりと前に進むように、現状に留まることなく先に進むようにという加速化させる波動が送られてきます。

この加速化させる波動を皆さん方は風邪と称しております。毎年一回大きな波動がやってきて、新しい波動に皆さん方を切り替えていく、今まで遅れていた波動を先へ進むようにと新たなる波動を送り込んでくる。したがって、確実に一歩一歩すでに進んでいる人は、いわゆる風邪に悩まされることはありません。

しかし進むのを恐れ現状にしがみついていたり、恐れを持っている人は風邪のウィルスが入ってきて皆さん方の肉体の波動を変えようとします。しかしだからといって風邪を引いている人のすべてが、また現状にしがみつき流れを否定しているというわけでもありません。そういう単純な理由がすべてではなく、単純にその人の体質そのものがすべてのウィルスに影響されやすかったり、遺伝的なものによって自分の体が特別の波動にだけ影響しやすかったりしており、皆さん方の見た目からだけではすべてを判断できない場合があります。

したがってこういう情報はあくまでも自分の分析に使ってください。他の人に対して使うことではなく、一人ひとりが自分のために自分の心を理解するために使うということ、そしてこれは病気に限らずすべてにおいて当てはまることができます。すべてのことにおいて自分が感じたこと、自分が思ったことはすべて自分の心の現れであり、それによって自分の心を見つけていく、自分の心に目を向け心を調べていく、そのために現象化されております。

他の人を分析したり、他の人の行動を理解しようとして使うためには用意されていないのです。したがって、カウンセリングやヒーリングの仕事をする場合でも、自分はあくまでもその援助をしているだけであり、他の人についてその人の状態を言うことは本来できないのです。

その人が自分で気付くようにアドバイスしていく、その人が自分で自分の心を理解できるようにアドバイスをしていく、これがヒーラーやカウンセラーの役割であり、それ以上することは今の皆さん方の意識レベルでは難しいと言えるでしよう。あくまくでもその人が自分で気付こうとする意志がない限り、自分で分かることはないのです。

自分で自分の心を見ようとし、自分で自分の心を癒そうとする気持ちがない限り、その人の心は癒されることはありません。肉体を見た場合でも肉体が何を感じているのか、肉体はどういう思いをしているのか。肉体といっても皆さん方が理解しているような肉体という働きは本来はしておりません。

今皆さん方は肉体を使って考え、肉体を使って行動している。肉体を道具としてツールとして使い判断することができるのです。肉体そのものは自分で考えたり判断することはできないのです。皆さん方の魂やスピリットが入ってきて、それで皆さん方は肉体を活性化させ、肉体の力を使って考えたり表現することができる。確かに肉体の細胞一つひとつは生命があり、意識もあります。

しかし一つひとつが皆さん方のような脳を持っているわけではなく、必ずしも皆さん方と同じような感情を持っているわけではありません。ただ肉体そのものは肉体を動かしているエネルギーの法則に従っており、単純にウィルスが入ってきたりすれば肉体は戦おうとし、いろんな細胞や白血球がでてきて彼らを退治しようとします。これは肉体だけの意志として動く作用であり、感情的なことや思考的なことで行なわれるものではありません。単純に肉体の世界の反応として起こってくる現象と言えます。

しかしそうはいっても一つひとつその世界で見れば、意志があり、個性があり、いろんな世界が繰り広げられていきます。それは皆さん方にはまったく関係しない別の世界のドラマになっていきます。


私はAkikoさんの心臓の中の一つの細胞と思ってください。今波動が向けられこのような表現ができるという機会に恵まれ、とても驚きと共に嬉しさを感じております。人間という存在の感覚が分かり、とても面白く感じました。私たちは絶え間なく流れてくる波動を常に維持するために集中をしており、様々なエネルギーが必ずしもすべて同じエネルギーが一定の割合で流れてくるわけではないのです。様々なエネルギーの流れの中で種種雑多ないろんなエネルギー、いろんな波動、いろんな不純物が入ってきており、それも一瞬、一瞬いろんな種類がいろいろ変化しながら、複雑に絡み合いながら入ってくるのです。そういうエネルギーを私たちはごく普通のものとして、それを少しでも洗練された波動に切り替えようとする作業をずっとやってきておりました。今この光の中でいわゆる人間的な表現をしようと思っている時、いろんなことに気付き、私たちも今驚いているところです。この種種雑多なエネルギーが絡み合っていろいろやってくるというのはどうやらこの人間だけのようです。人によってエネルギーがすべて違っており、洗練された波動で入ってくる人や、いろいろな波動が巧妙に絡み合って入ってきたり、あるいは初めからごちゃごちゃな波動が入ってきたりと、人によって入り方がすべて違っているようです。したがって、いろんな人間で私たちも学びをするような流れに入っていくのかもしれません。とりあえず今ここの人間の中の役割としてずって作業しておりました。集中することが重要であるにも関らず、何故か時々集中力をなくす波動が私たちを襲ってきて、その瞬間にどうでも良い状態になってしまい、いろんなエネルギーをそのままただ通過させてしまいます。あ、間違ったと思いながらももう手遅れであり、またすぐ集中して次の波動に専念しようと思いますが、中々集中力が持続せずに毎日毎日いろんな学びの中で練習をしております。私たちの方からこの大きな人間という存在にとやかく言うことはできませんが、呼吸の一つひとつも意識して良い光が入るように、良いエネルギーだけが入るようにもう少し考えていただけると、私たちが少しは楽になるかなと思われます。ありがとうございました。

私はMadokaさんの丹田という概念のエネルギーから話し掛けております。丹田という波動が日本人の肝に存在し、これまでは日本人の肉体と一緒になって活動することができました。しかし時代の流れと共に私たちの仲間が段々見えなくなってきて、そのうちに私たちの存在そのものもなくなるのかなと思う日々になっております。これまで私たちは肉体に密接な繋がりをつくり、肉体とのエネルギー交換により私たち自身も存在することができました。宇宙からのエネルギーを私たちがしっかりとまとめ上げ、それを肉体に送り届ける、肉体はそれと同時に喜びや経験、楽しさを私たちに戻してくれる。私たちはその喜びや楽しさを心と一緒に共有し、毎日心とのやり取りの中で人間を土台から支えておりました。しかし時代の流れと共に肉体の喜びは私たちに戻されなくなり、一人ひとりの人間自身がすべての喜びを奪い取る意識の持ち方になっていきました。人に奉仕をした時、体全体で喜びを感ずるというよりは、頭で自分だけが喜びを感ずる、おいしいものを食べた時肉体自体が全部の喜びを感ずるというよりは、自分が喜びに浸る、そのような意識に変化していき、喜びを肉体全体で味わうことがなくなってきて、丹田に戻されることもなくなってきました。それ故に丹田としての働きが徐々に徐々に弱くなり、宇宙からのエネルギーを丹田で溜め、肉体に送ろうとしても肉体から戻されるものがないために、肉体に送れなくなっているのです。交換しないとエネルギーは流れないために、いくら丹田に宇宙のエネルギーを溜めたとしても肉体に流すことが出来ないのです。肉体で感じた喜びを丹田や心、体全体に戻していく、こういう意識が必要であり、体全体を常に意識するという意識の持ち方が必要になってきます。多くの人は自分の頭の部分だけが自分と思っていて、そこ以外にエネルギーが流れなくなっていきました。そのため知性は発達し頭は良くなったかもしれませんが、丹田を含め肉体全体の喜びが弱くなってきているのです。肉体全体で喜びを得ることができないために、それが病という現象をつくり上げていきます。病は必ずしも食べ物やウィルス、あるいは環境の変化で起こるものではありません。肉体を生かそうという思い、あるいは喜びを共有しようという思いが肉体の細胞一つひとつに流れない限り、肉体の生命力そのものが弱ってくるのです。肉体の生命力が弱くなってくる、弱くなってくるために弱くなっているという状態を伝えようとしてウィルスを取り入れたり、病原菌といったものを引き寄せていきます。それは肉体が弱っているということを理解してもらいたいために、引き起こした現象であり、勝手に病原菌が入ってきて病気になるのではありません。すべての始まりは皆さん方の考え方や意識の持ち方、そこからつくられてくるということ、それを理解しておいてください。

私たはAkaneさんの目の細胞からやってきました。目、これは周りを見て、見たことを自分で感じ、理解し、現実を認識するために使っていきます。現状を正しく理解する、今自分の置かれている状況を正しく理解する、これが目の働きです。しかし目には他にもいろんな働きが行なわれております。何故物を見ることができるか、何故いろんな物を見えるのか。それは物にぶつかった太陽光線が反射して目に入ってくる。目は太陽光線を最終的に集める場所となっています。いろんなところに反射した太陽光線はすべて自分の目に取り入れていく。目はこの太陽光線を反射させたものを取り入れる、反射させたものを取り入れる、ここに大きな秘密が入っており、反射させないで直接取ることは極めて難しいのです。太陽を直視することは難しいでしょう。太陽光線を直接目で取り入れることは難しいのです。物に反射させないと取り入れることができない。物に反射させた時に一人ひとりの現実というものが浮かび上がってくる。一人ひとり現実を見ている角度がすべて異なっております。同じ角度から現実を見ている人は誰一人いません。すべて異なっている角度から現実を見ている。その見えている現実一つひとつが自分だけの現実です。自分だけの現実を自分の目で確認している。したがって、自分が見ている現実はすべて自分に用意されたものであり、すべてに意味があるのです。意味のない現実は何一つありません。皆さん方が目を開けて見た時すべてを必要なものとして理解しているでしょうか。すべての中から何か必要なものだけを探そうとする、あるいは面白いものだけ、美しいものだけを見ようとする、しかし本当はすべてが必要なのです。しかし皆さん方はすべてを見ることはできず、一部だけ、しかも自分に良いところだけを見ようとします。美しいもの、良いもの、役に立つもの、しかし人間の働きとしてすべてを全部見て理解することもできません。やはり何らかのところに焦点を合わせ一部だけを見ることができるようにまた仕組まれています。これが人間としての面白い働きです。目に見えるものはすべて心が投射している、心から出ている光が反射している世界です。自分はその心から反射された世界のどこに焦点を当てているのか。自分が意識しているところは自分の心が特に関心を向けているところ、興味を向けているところなのです。自分はどこに心の焦点を合わせているのか、心の焦点を合わせているところに目がいく、美しいものをたくさん見ようとしている人、確かに心は美しいものを見ようとしています。しかしその反面美しいものと美しくないものを分けており、美しくないものを見えないところにすべて移動させようとします。その中で美しいものを見ようとする、逆に美しくないものがいっぱい見えないところに溜まってくる。自分の心の動き一つひとつが現実を見せてきます。いろんな価値判断は構いませんが、そこに良いもの、良くないもの、いろんな判断が出来上がると、自分の良いところだけを見ようとしたり、楽しいところだけを見ようとする。そして見ようとしないもの、楽しくないものとしてつくられた波動が実際には皆さん方にそういった波動があるよと見せようとして、そういうものにも目を向けさせようとします。したがって、そういう波動を持った人々が近づいてきて皆さん方が見たくないもの、ふせておいたものの波動を持った人が目の前にやってきます。皆さん方はその波動を見て、嫌な人、嫌いな人、波動の合わない人というレッテルをはっていきます。しかし実際には自分がそういう心を先につくり、自分の見えないところにしまい込んでいるだけであり、それを見させようとしてその人がやってきているに過ぎません。目という働き、本当は何をやっているのか。現実を見ているのではなく、心の現れを表に出していること、心の現れが目から放射して見えている、実際には太陽光線を目で入れているのではなく、心からの光を目から投射して見ている、そういう風に理解をしてみてください。

Atsukoさんの喉の働きとしてお話をします。喉、声、言語化する、表現する、波動として伝える、振動させる、こういう働きをしている場所となっております。何を波動として表現するか、やはり心のメッセージなのです。心に存在しているいろんな波動、いろんな表現手段があり、いろんな現れがあります。言語化できるもの、言葉として表現できるもの、振動させることができるもの、言葉として振動させる、これは確実に特定の人の体に直接影響を与えることができます。言葉、直接相手の耳に響かせ、またいろんな波動、歌にしても、他の音楽にしても肉体の細胞そのものにも直接波動を伝えることができます。相手の耳だけではなく体全体で波動を感ずることができるのです。その振動させる力を持っているのが喉の場所であり、この喉の場所によって相手にいろんな波動を送り届けることができる。喉からの波動により相手の肉体そのものを楽にさせることができます。相手の肉体の滞っている所、流れの悪い所も自分の声から出てくる波動によって流れをスムーズにさせたり、滞りを治したりすることもできるのです。したがって自分の口から出てくる言葉、これを相手を癒す道具として使っているかどうか、言葉の一つひとつ、その人の体に振動させ、体のエネルギーの流れをスムーズにさせようとする意志で言葉を発しているかどうか。あるいは周りの現実すべてに影響を与えることができます。現実は心の現れであり、自分の心の見えているところに自分の声のエネルギーを入れていく、見えている世界に自分の波動を入れていき、自分で自分の現実を癒していく、喜びを与えていく、声からのメッセージは自分の現実に直接パワーを入れることができるのです。現実が思った通りにいかない、思っている方向とは違う流れになる、それは現実に自分のパワーを入れていないのです。言葉を発する時自分の現実に自分のパワーを入れていく、目の前の人の体にパワーを入れていく、自分の見えるものすべてに喉からのパワーを入れていってください。

私はKimioさんの手の波動と思ってください。手、指先と手首、手は直接何かを作ることができる、修正することができる、治すことができる。それと同時に破壊も行うことができる。創造と破壊の両方の働きを持っております。いろんなものを作れば壊すこともできる。自分の意志で行うことができます。自分の意志で作ることができる。自分の意志で壊すことができる。どのようにこの手を使っていくか。当然作るには、人間の進化のために多くの人の進化のために流れをつくる必要があるでしょう。しかし手は自分の周りにしか役割を果たすことができません。まず自分の流れを自分でつくっていく、自分の現実を自分でつくり変えていく、自分の流れを手でつくっていく、目に見えるのものの流れを変えていく、目に見えているもので新しいものをつくっていく、自分の手でいろんな工夫をしていく、この現実をうまく利用して他の人の流れに変えることができる。手の動きを工夫することにより自分の世界から他の人の世界へと入っていく、奉仕をすることにより他の人の世界に入っていきます。自分の両手を相手の世界の中に入れた時、相手の世界の創造と破壊を行う状態が生まれてきます。しかしそれを行うにはある一定のレベルに達する必要があります。相手の世界を変えるという許可が降りなければなりません。そのためにはただのヒーラーとか、カウンセラーではなく相手の世界そのものに影響を与える高い波動の持ち主が必要になります。本当に相手の流れを変えるくらいのパワー、それこそ病気のレベルでも自分で直接何か影響を与える位のパワーを身に付けたければ、そのレベルの高い波動の意識に変わる必要があります。そのためには相手の世界の中のクリエーションの波動に完全に入る必要があります。自分自身の神と完全に繋がり、そしてまた相手の神とも繋がる、これによって相手の世界の創造ができるようになっていきます。自分の向っている方向として今それを行なおうとしている、そこに向っていっている、まずそれを理解しておいてください。

私はKen-ichiさんの舌としてお話をします。舌、言葉を作り出す時にいろいろ波動を作り出したり、的確に言語化するための器官として舌が使われていきます。心から出てくる流れをスムーズにしたり止めたり、細くしたり太くしたり、いろんな働きを舌を使って行なっていきます。また舌は味を感知する働きをも行なっていきます。自らの心からの波動を出す時には波動のコントロールをし、外部から何か入ってくる時には味として感知する。したがって心からの波動を外部に出す時に、実際にはその波動に一種の味のようなものを作り出し送り出していきます。言葉が人によっては辛く感じたり、甘く感じたり、塩辛く感ずる、言葉に味をつけているのです。単純に言葉を出す時、どういう思いで言葉を出しているか。相手を見下ろすような言い方をしている時、苦い言葉となって相手に伝わっていくでしょう。批判めいたような意識を持って言葉を発している時、塩辛い味として伝えられていくでしょう。相手を包み込むような言葉を使った時、甘い言葉として感じられていくでしょう。何かその人に刺激を与えるようなこと、これまでとは違う意識を向けさせようと思って言葉を発した時、すっぱい味として感じられていくでしょう。言葉にも味があり、それを自分が作り出している。そして他の人から入ってくるエネルギーも味として感ずることができる。言葉を発する時単なる言葉という波動以上に、そこに味もあることを理解しておいてください。

Ryukouさんの足の部位としてお話しをします。足という部位は体と地球をしっかりと繋げ、エネルギーをやり取りする、体のエネルギーを地球に流し、地球のエネルギーを体に取り入れる。足はとても重要な役割であり、足の流れをうまく使うことにより地球の波動をうまく使うことができます。足をぞんざいに使っている人は地球の波動を正しく使うことができなくなっていきます。あまり足に意識を向けていなかったり。歩くのが苦手だったり、自分の足についてあまり良い思いを持っていない場合は、地球からのエネルギーが入りにくくなり、地球自身の波動と接点が弱くなっていきます。逆に足にしっかりと意識を向けている人は、常に地球の波動を感じ取ることができ、また自分の体のために使うことができます。肉体は所詮地球の物質化でできています。すべて地球上の物質が肉体をつくり上げています。したがって、肉体を健康に保つためには地球のエネルギーとの交換が必要であり、それによって肉体のエネルギーを維持することができるのです。多くの人は天からのエネルギー、宇宙からのエネルギーで肉体を支えようとしています。これは勘違いです。肉体は地球の成分からできており、地球との繋がりが重要なのです。肉体を本当に健康に保ちたければ、地球との繋がり、足を大事に大事に意識するということ、流れをよくするということ、それを理解しておいてください。


皆さん方の肉体との意識の交換をしてみました。必ずしも24時間いつもこういう意識でいるわけではありません。今は特定の場所に特別な光で意識化させ、人間的な波動で交流をはかったものです。皆さん方と理解するのにしやすい状態をつくり上げていました。すべて自分のために自分で使うようにしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


A自分の現実に意識を向けること

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。いよいよ今年もあと一ヶ月少しになり、皆さん方が今年のテーマを終わりにこさせ、新たなるサイクルに向おうとしています。日本においてはいろんな変化がやってきて、すべてこれまでの古い波動から新たなる波動へとシフトしている現実を見せてくれています。

これまでの古い概念で染まっていた流れ、日本人同士が身に付けていた概念、観念でつくり上げていた世界から、そういった概念の通用しない社会への移行が現実化してきております。今まで当たり前だったこと、常識だったこと、誰もがやっていたことがこれからは通用しなくなり、誤魔化していた不正が次々と暴かれ、やはり正しくあること、ご都合主義ではなく、ちゃんとした基準で行動すること、常に本心から人のことを考え、自分の利益ではなく他の人のために行動すること、こういったことが本当に必要な時代へと向っております。

現実として現れてくるいろんな事件にしても、基本的にはそれを気付かせるための出来事が多く、しかし事件そのものは当事者にしかその意味は分かりません。いくら皆さん方がニュースや新聞で事件やいろんな出来事を目にしたとしても、その本当の意味は当事者にしか分かりません。

したがって、マスコミがいい加減にいろんな理由を書いたり説明をしたところで、実際には皆さん方には直接その意味は分からないでしょう。ただ皆さん方がそういった事件や出来事から感ずること、理解できること、それは皆さん方の心で反応したものであり、皆さん方の心で反応するから皆さん方に現象化されてくるのです。

したがって、一人ひとりいろんな出来事から得られる学びや教訓、その意味は全部異なっており、自分は自分の心でしか理解できないこと、本当の事件や出来事は当事者にしか理解できないこと、それを理解しながら流れを調べていき、来年はどういう時代になっていくのか、その次はどういう方向に向うのか、自分の現実からいろいろ見ることができるように意識を向けてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2007 CentralSun
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