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2007/6/4■月曜交流会から

本当の自分がどこにいるのか

@分からない、と叫ぶと解が得られる

私たちは観音のエネルギーとしてお話をいたします。皆さん方のお話の中で自分たちの体に持っているエネルギーについて、いろいろな議論がなされておりました。自分だと思っている自分のエネルギーが実際には自分とはまったく関係ない波動からもたらされていたり、自分でも気が付かないうちに、自分であるかのように成りすましていたり、あるいは影で自分をコントロールしている、指示を出しているエネルギーであったりしている、しかもほとんどの人はそれに気づかず、それすらも自分だと思い込んでいろんなことを考えている、こういうお話がなされておりました。

そして皆さん方はまたさらに、では本当の自分はどれなのか、本当の自分と思っている自分が本当に何の影響も受けておらず、何の指示も干渉も受けていない純粋な自分なのか、またいろんなことを考えるものと思われます。本当の自分が何であるのか。仮に皆さん方にいろんな影響を与えている存在たち、すべてのエネルギーを取り去った時、それが皆さん方の本当の自分といえるでしょうか。

皆さん方が自分の性格や個性と思っているもの、これはある意味では肉体のDNA的なところから、両親と同じDNAでもたらされていることが多いために、自分がこういう性格だ、こういう性質だと思っていても、それは単純に両親からDNAでもたらされたものに過ぎないかもしれません。

あるいは自分の考え方、行動の仕方、それらもここに来るまでのエマネーションの過程で身に付けたエネルギーかもしれません。本当の自分と考えた時、両親から頂いた性格的なことや、エマネーションで身に付けてきた波動を取り除いた時、それが皆さん方の本当の自分と言えるでしょうか。

また逆にそういう性格的なもの、エマネーションで身に付けたものを取り除いた時、皆さん方には何が残るでしょうか。本当の自分というのが何であるのか、やはりいろいろと考えることがたくさんあるものと思われます。では、DNAで受け継いだものやエマネーションで魂に持ってきたもの、これは関係ないのか、本当の自分とは違うものなのか、いろんなことが頭に浮かぶものと思われます。

本当の自分という言い方自身がもはや適切ではないとも言えるでしょう。今皆さん方が顕現しているすべてがある意味では本当の自分です。よく偽りの自分とか、偽者の自分という言い方をする場合もありますが、でも紛れもなく今存在している一人ひとりは明らかに本当の自分となります。

ただ宇宙の観点から見た時、皆さん方は神になるべく本来の創造主と同じ能力を得るために人間としての流れを今学んでおります。まだ学びの途中であり、何かが完成したというわけではありません。学びの途中段階であるものに本当のものを求めた時、どれを本当と言うでしょう。すべて学びを完了し、神となった状態を本当の自分というのであれば、今そこに向ってひたすら進んでいる途中段階と言えるでしょう。

ではその本当のところに向けて進んでいる途中段階、これは本当の自分ではないのか、嘘の自分なのか、もちろん嘘の自分というわけではありません。そして肉体を明確に持って学んでいる、ある意味では本当の自分とも言えます。皆さん方が、でも学びを続けているということは、常に進むべき方向性があり、進化を進めていく目的、目標、方向性が常にやってきます。

本当の自分という表現を取った時、皆さん方が確実に最終的なゴールに向って進んでいる、最終的な姿を本当の自分という風に言う人がいるかもしれません。そして確かにそういう使い方をしていたとしても、それを否定するつもりはありません。皆さん方の本来の自分に向って今学びを進めている、本来の姿が本当の自分であり、今はまだそこに向うための途中段階、そういう風に分析しても問題はないでしょう。

でも、今の皆さん方一人ひとりの姿もある意味では本当の自分の姿を現しているのです。まだ自分のことがよく分かっていない、何をして良いのか、自分の存在の目的すらも分かっていない。本当の自分と言われても、すべての存在が本当の自分を求めて進化を続けているのです。すべての目的を終え、進化を終えたもの、そういう本当の完了したものという存在たちは、皆さん方の言葉で言えばエンソフという領域の中に戻ってきます。

そしてそこで皆さん方の世界に旅立つ前とすべてを完了して終わってきた状態とをいろいろと比較検討し、そしてこの宇宙のシステムがいかに素晴らしかったか、宇宙のシステムで進化学びをすることにより、どれだけ素晴らしい宇宙的進化をなすことができたのか、そういったことを波動として体に刻印することができます。

体に刻印された宇宙での進化での証は、それはそれはとても素晴らしいものであり、エンソフの中においてまだその刻印されていないものからすれば、まったく真似することのできない、手にすることのできない価値のある素晴らしい波動となっております。そういう刻印されていないものは是非ともその素晴らしい波動を自分も身に付けたい、むしろもっともっと素晴らしいものを自分の印として手に入れたい、そういう思いが必然的に沸き起こってくるのです。何故ならばエンソフから出て皆さん方の宇宙と呼ばれるシステムで体験をし、成長という学びをし刻印して戻ってきたものたちは、それだけでとても素晴らしいという波動が入っており、この波動を持っていないものは是非ともそれを体験として手に入れたくなるという思いが沸き起こってきます。エンソフの中において、その刻印されたものを是非ともより素晴らしいものにしてさらに自分の中にも取り入れたい、そう思ってエンソフから皆さん方の世界に旅立っていきます。

皆さん方の今の姿、本当の自分て何なのか、自分は何をしたら良いのか、自分はどこに向っているのか、何を考えても分からないでしょう。でもそれがとても素晴らしい仕組みなのです。皆さん方は何も分からない、どうして良いのか分からない、どこに向っているのか自分の役割が何なのか、自分がどういう存在なのか何も分からない、これがとても良いシステムなのです。何も分からない、皆さん方の世界で何も分からないという状態が私たちの世界ではすべてが分かって感じられてくるのです。

常に皆さん方の世界と私たちの世界の関係がとても面白くつくられており、皆さん方が分からなくて分からなくて困っている、そういう波動を出した時、私たちの世界では私たちの世界のすべて分かっているというところにその波動がやってきて、すべて分かっているところから皆さん方の分からないというところに何かが刺激を与える、何か波動が通ずるという風な働きがなされていくのです。

皆さん方が私は分からない、そう叫ぶと私たちの世界にあるすべてが分かっているというところに働きかけ、そして皆さん方に何らかの反応が起こるように仕組まれていきます。その意味で私はどこに向っているのか、私は誰なのか、私は何なのか、そういった問いを一生懸命発することはとても良いことなのです。それによって私はすべて分かっているというところに刺激が渡り、そこで反応して皆さん方に戻っていくからです。

もう私は何も疑問も何も考えることもなく、このままですべて大丈夫、このままで満足と理解してしまっているものは、それ以上のものが与えられてこなくなります。私は分からない、この波動が私は分かっているという波動に刺激を与えていく、しかしもう私はすべて分かっているので何も教わるものはない、何も知る必要がない、そういう波動を出していると実際には新しい波動が中々得られなくなっていくのです。

常に皆さん方が出す疑問、皆さん方が出す問い、それに私たちは答えていきます。皆さん方が何かを与えて欲しいと叫ぶと私たちの中でそれを持っているものが皆さん方に与えようとします。皆さん方が何か教えて欲しいと叫ぶとそれを知っているものが皆さん方に答えようとします。皆さん方が何かを願う、何かを問う、そうすると私たちの世界でそれを持っているものが必ず何らかの解を出していきます。

しかし皆さん方の世界で、神々を冒涜するような表現、神々を否定するような表現、神々を無視するような表現が発せられた時、私たちの世界で何が起こるでしょう。神々なんていない、いるものか、仮にそういう波動が出されたとします、私たちこの神々の世界においては、確実に神は存在し、神の力ですべてが動いているということが当たり前であり、またそういう波動で出来た世界です。

そこには神々なんかいるものかとか、神は信じられないとかいう波動がきたとしてもまったく相通ずるものがなく、入ってくることもありません。私たちにはまったく通じないのです。したがって、神々に対し疑問を持ったり、不信感を持ったり、否定するような言葉を出したとしても、まず私たちの世界にはやってこないのです。したがってそれを満たすこともなければ、その通りにすることもないでしょう。

では皆さん方が発した神は信じられないとか、神は何やってるんだとかいう波動が出された場合、これはどこに向うでしょう。いうまでもなく神なんかいるものか、神なんか信じられないという世界に進んでいきます。神なんかいるものか、神なんか信じない、こういう波動の世界ってどこにあるでしょうか。光のハイアラーキーはすべて神の波動の中で機能しております。

したがって神を信じないものは光のハイアラーキーとはまったく別の世界になります。ハイアラーキー、つまり神も天使もマスターも一切存在しない世界となります。ということで単純に神を否定したり、神を信じないという波動は神も天使もマスターも一切存在しない世界で働き掛けることになり、そこに住んでいるものたちに伝わっていきます。

そしてそういう世界が明確にあり、その世界の住民は誰一人として神を信ずることなく、神を願うこともなく、神の力が関与しない世界で生活をしております。そこでは神の法則はほとんど関与しておりません。いろんな世界があり、力づくですべてを成し遂げるという世界もあるでしょう。徹底的に他人を利用しようとする世界もあるでしょう。奪い合いだけで進んでいく世界もあるでしょう。いろんな世界があります。

どの世界にしても神々の波動とは違う世界の話となります。神々の世界と違うという表現をとりましたが、じゃ、その世界を創ったものが誰なのか、皆さん方の言葉からすればその世界も神が創ったのではないか、そう言うかもしれません。皆さん方の言葉で地獄とか悪霊とか、サタンとか、いろんな言葉で使われている世界や存在たちがいます。

彼らは、またその世界は神が明確に創ったものでしょうか。実は必ずしも神がそのように創ったわけではありません。神は光の世界の中において、神の意志に従うもの、神の光を使えるものに関してはすべて関与することができ、神の意志において行動をすることができます。しかし神を信ずぬもの、神の光や神の愛の届かない世界においては、神は直接関与することはできません。

そこにおいては、神はただそういう場を与えているだけであり、そこに住んでいるものたち一人ひとりをコントロールしたり、一人ひとり操ることは一切できないのです。その世界においてはその世界の中で一つの法則が出来上がっており、その世界の法則をつくり出したものが、その世界の神のような役割を演じていきます。真の宇宙の創造主はそういう世界において、そういう神のような働きをする存在ができる可能性をつくってはおります。

しかし神自身が直接それを演ずることはほとんどありません。皆さん方の言葉でいわゆる神という場合には光、進化、愛ということを前提としてその世界をしっかりと見守っているものたちが、神の存在となります。それとまったく反対の世界でまったく別のことが行われている。光と愛のないところでまったく別の世界が存在している。その世界での支配者、それをどのように表現するか。

魔王とか、サタンとかいろんな言い方をしているでしょう。問題はそういう存在も神として認識した方が良いのではないか、あるいは神と呼んでも良いのではないか、皆さん方の中にもそういう意見を持っている人がたくさんいるものと思われます。しかし私たちの認識からすればそういう存在を神と呼ぶことはありません。神と呼ぶからには最終的にはこの宇宙において何らかの働きを常に行いながら完全に最後まで働きをまっとうし、そして最終的に進化をしっかりと見届けていくもの、そして自分の一部が大きく進化してまた自分に戻って来る、そういうのをはっきりと理解している存在が神となります。

いわゆる魔王とかサタンとか呼ばれている存在は、必ずしも神のように自分の意識の一部を進化のために降ろして、また自分に戻って来るように世界を創ったわけではないからです。そういう流れで彼らが進化したわけではなく、まったく別の流れでむしろ神の進化の流れから遠ざかってきたもの、神の進化の法則に抵抗してきたもの、神の意志から離れていったもの、そういうものたちの集まりが魔の世界をつくり上げていっています。

ではその世界で住民となって生活しているものたちは神にはなれないのか。多くの人々がそういったものたちも進化に進化を重ね、最終的には神となって、そして宇宙の進化が成される、そういう風に信じている人がいるかもしれません。そういう考え方は皆さん方自身が本質的に持っている考えであり、すべて正しいことであり、神が創った世界においては最終的にはすべて神が勝ち、すべてが善であり、すべて調和が取れている、そういう風に考えていることが普通となっているからです。

しかし正直な話、この宇宙は必ずしもそうではないのです。神ですら一番最後、本当に自分のこの宇宙が完全なる宇宙に進化できるのかどうか分からないのです。どれだけのものが神の意志から離れていき、神に刃向かってくるのか、どれだけの存在たちが神の法則を犯して宇宙を破壊する方向に向うのか、これは一切決まっておりません。

場合によっては、宇宙全体が早々と崩壊し、まったく神の力が発言されないまま、宇宙のすべてがなくなってしまうことすらもあるのです。宇宙が最終的な進化をなすことなく崩壊してしまった場合、その宇宙の創造主はどうなるでしょう。その宇宙を創った創造主は本来の自分の進化がまっとうできなかったために、又それを確実に取り返そうとしてまた別の仕組みを創っていきます。

神となっている世界、創造主となっている世界では、また別の宇宙を創り始めていきます。失敗した場合に次はもっとうまく進化できる法則をつくり、そしてまた宇宙を誕生させ、宇宙の進化を見届けていきます。前と同じ失敗を繰り返さないように、さらにいろんな工夫をこらし、宇宙を創り出していきます。しかし以前うまくいかなかった場合にはそのエネルギーが内在されているために、中々スムーズに進化することはありません。

一度破壊したという経験がある宇宙では、宇宙の進化の段階において常にまた途中で破壊するかもしれないという思いが常に宇宙の中に残されております。そのエネルギーに繋がらないように神々は必死になって進化の流れを創り出していきます。しかしそこで進化する生命一つひとつがどの波動に繋がるのか、どの波動を使って進化するのかはまったく分からないために、最終的には未熟な生命の段階においては、神々の意志とは違う選択をすることが多く、神々でさえもどうしようもできない流れに進む場合があるのです。

皆さん方の多くはすべては神が創り、神の予定通りに進化し、最終的には神の予定通りに終わっていく、そういう理想的な思いを持っているかもしれません。でもそうであるならば、神の喜びはどこにあるでしょう。最終的にすべて自分の思う通りになる、それでは神自身の喜びはほとんどないのです。

神ですらもどうなるか分からない。それが神にとっての一番の挑戦でもあり、またやりがいのある仕事になります。神ですらもちょっと油断をしたり、ちょっと意識を他のところに向けるとあっという間に流れが変わってしまい、取り返すのにとても大きなエネルギーを必要とする、そういうことが何度もあり、神々といえども決して安易に行動したり、手を抜いたりせずに、すべてにおいて意識を投入し進化を進めていく学びを続けているのです。

今皆さん方の世界においていろんなことが起こってきています。およそ人間の考えでは理解できないとても残虐な事件が起こったりしております。何故神がそういったことを行うのか、神々を信じている人々はそういう思いを持つかもしれません。しかしそういう残虐な事件は神々がつくったわけではなく、やはり皆さん方人間がつくり出したものであり、そして人間がそれを演じているのです。

神々がわざとそんな事件をつくり出しているわけではありません。ただ普通の進化の流れとしていろんな体験を進めていく流れにおいて、皆さん方が考えているような残虐な事件、これはごく普通の流れであり、むしろさらにこれから時間が経つにつれ、もっともっと信じられない出来事、もっともっと今の意識では想像もできない事件が出てくるでしょう。

人間は次から次と新しい考えを身に付け、良い方向にも悪い方向にも使おうとします。良いアイデアをもらっても人のために使うのか、自分のために使うのか、いろんな使い方があります。そしてそういう使い方をすると同時にそれが社会にも流れていき、普通の人々が現実化していく、残虐な出来事がもっともっと普通になったり、当たり前になる時代もやってくるでしょう。

しかし皆さん方一人ひとりがそれを体験するか、直面するかどうかはまったく決まってはおりません。社会がどのような社会になろうとも、皆さん方がそれに出くわし体験するかどうかはまったく別問題なのです。社会で猟奇的な事件が起こるということはそういう波動を持っている人が活動をし始めたということであり、そういう波動と相反するものも同時に現れてきます。猟奇的な事件にどんどん入っていく人もいれば、そういった意識はまったく持たない人も現れてきます。

皆さん方の世界が今後どのように進化し流れが変わろうとも、皆さん方自身の一人ひとりの流れは自分のものであり、自分が何を体験するのか、自分がどこに向うのかは自分だけの問題となります。世の中でいろんな悲惨な事件が起こったとしても自分はまったくそれに介入することなく、自分だけの学びの流れを進むことができます。自分の身の回りの人が皆おかしな言動を取ったとしても自分は関係なしに自分の流れを進むことができます。

これまでの日本の人々は他人のエネルギーを自分のものとして捕らえたり、自分のエネルギーを他人に入れようとする人がたくさんおりました。皆で同じことをする、皆一緒、仲間、そういう意識により自分だけのエネルギーというのではなく、皆が同じエネルギーを体験するという意識を持っていました。そのために一見否定的なエネルギーであっても、それを皆で体験するといったことがごく普通に行われておりました。

今一人ひとりの意識が成長し、善悪の判断がだんだん身に付いてきて、他人がとった行動が自分には必要ではない、自分にとって良くないと思った時行動しない、そういうことができるようになってきています。いつもいつも他人の行動と同じ事をする、他人の真似をするという意識がもう必要なくなってきています。今まさにそのテストとも言うべき段階であり、他人と自分が違う意見の時、自分の意見を押し通すことができるかどうか、自分だけの行動をとることができるかどうか、今これがとても大きなテーマになっています。

日本の人々は特に他人に合わせよう、他人と一緒にしようという思いが強いために、他人が間違った場合でも安心して間違いを自分も犯す、他人が違う方向にいったとしてもたくさん人がいれば自分も同じように間違った方向にいく、それで満足する意識構造を持っています。まさしく日本人の考える平和や幸福感、正しさは、自分一人では達なすることができず、同じ仲間友達と一緒になって達なするという意識を持っています。

そのために自分一人だけが違う道を歩いた時、一人でいるということだけで自分の平和や心、正しいという基準が一切つくられなくなっています。今はまずそのレベルの学びを徹底的に行い、自分一人であったとしても心の中の平和や幸福、正しい価値観を身に付けていること、自分と同じ事をする仲間がたくさんいたとしてもそれは平和でも幸福でもなく、正しいことでもないという意識を持てること、友達がいるかいないか皆が自分と同じ事をしているかどうかとは関係なしに正しさがあり、幸福があり、平和があるということ、それを一人ひとりがはっきりと自覚する時期なのです。

今はその行動がちゃんとできる人とできない人でどんどん流れが変わっていくでしょう。たとえ自分一人であったとしても自分の心の正しさ、平和や幸福を身に付けている人は他人の行動に惑わされず自分の道をしっかりと歩み、自分の幸福を維持することができるでしょう。しかし常に他人との関係の中で自分を捉えている人は、常に自分の幸福をつくるために誰かを巻き添えにしたり、自分の心の平和をつくるために無理矢理誰かをつれてきたり、誰かをわざと考え方を変えさせることによって自分の正しさを証明しようとしたりします。

そしてそういう心の隙にいろんな魔が入ってきて神の意志の届かぬ世界へと進んでいくのです。神の世界と通ずるためには自分一人であったとしても心の中に平和があり、幸福があり、正しいという基準があること、これがしっかりとつくられている人はたとえ一人になろうが、どういう世界になろうが、常に神と一緒であり、また本当の自分に向っての流れの中にいます。

その道を確実に進むだけで本来の自分がどんどん見えてくるでしょう。しかし他人と一緒であることに喜びを感じ、他人と一緒であることに平和を感じ、他人と一緒であることに正しさを感じている人は真の神と出会うことはなく、結局は偽りの波動の中で神々から離れていく流れを進むことになるでしょう。自分自身を満足させるものは誰なのか、友達でもなければ他の人間ではありません。

一人でも自分の幸福感、心の平和が保たれること、自分一人でも正しさを認識できる人、そこにこそ神が存在しております。自分自身の流れに向けて今自分が求めているものが何であるのか、どこに向っているのか、確実に理解できるようにしてみてください。皆さん方のアドバイスをしてみます。

Juri.Sさんの流れを見た時、今あなたが本当の自分に向ってどの程度進んでいるか。他の多くの人と同じようにあなたもこの道を進みながら、これで本当に良いのかどうか、本当の自分の道に進んでいるのかどうか、頻繁に考えております。しかしそれは悪いことではなく間違っているわけでもありません。常に自分を見つめ自分の流れを問うことはとても良いことです。自分の本当の姿を見つける時、ただ単に私はどこにいくのかとか、何をすれば良いのかを聞くのではなく、そもそも私の本当の姿がどうなっているのか、自分はどういう存在なのか、ひたすらそこに意識を向けることです。つまりもうすでに自分の本当のものが存在しており、本当の自分、自分が求めているもののすべてがすでに存在している、存在している自分のすべてのところに直接アクセスし、それを解明していく、そういう意識を持ってみるのです。分からないものから聞くのではなく、すべて存在している自分、自分のすべてのもの、そこにアクセスし、そこからいろんな情報を引き出していく、そういう考え方をした時、分からないから聞くとか、教えてもらうという意識ではなく、すでにそこに存在しているすべての自分の中から答えを引き出してくる、すべてが存在している自分のところから次にやることを引き出してくる、そういうやり方をしてみるのです。そうするともっと明確な答えが手に入ることになるでしょう。自分の本当のもの、本当のすべてがすでに存在している、そこに向っている、その情報を引き出してみる、そういう意識で自分を解いてみてください。

Yukiko.Sさんの流れを見た時、あなたの日常の流れにおいて、自分のやっていること、学んでいること、体験していること、一つひとつもう自分はこれで大丈夫、自分はこれで良い、というエネルギーで覆われている自分と、いやもうちょっと待てよ、というエネルギーで覆われている自分が確実に存在し、そしてそのエネルギーの中で常に自分はどこに進んでいくのかを考えております。自分はもうこれで大丈夫という波動の中でこれからのことを考える時、ある程度もう自分はこれで大丈夫という意識の中で考えていくために、ある意味では初めから信頼できる、安心できる流れが感じられてきます。そしてそこに向って少し修正すれば良いという波動を身に付けているために、自分の意識の中では大きな変化とか極端に違うという現象があまりおきない構造になっていました。今その波動が少しずつ変化してきており、単純に今まで通りのやり方をしても、大きな自分にとっての成長が見られなくなってきており、大きな成長をするためには、何か大きな意識的な変化が必要であるという状態になってきています。自分の意識を大きく変えることにより大きな成長ができる、しかし今まではあまり大きな変化の起こらない道を歩もうとしてきたために、大きな変化ということが自分の目の前で立ちふさがっていたのです。自分をどのようにもっていくか、今までのこれで大丈夫という波動の中で体験し続けていくのか、それとももうそういう思いを投げ捨て、現実を優先的に見ていく、これまで身に付けてきたことやこれまでつくり上げてきたものではなく、一つひとつ与えられた現実をただそのまま体験していく、そこに切り替わる時期がやってきています。したがって、あなた自身の進化の流れから見た時、もうこれで大丈夫とか、これは分かっているとか、この方向で良いとかいう意識はもう使わず、どのような流れであろうとも今はこれを体験している、次はこれを体験していく、ただ現実をそのまま受け入れていく、そういう意識が必要になってきているのです。自分の意識の持ち方、どの程度そこに合わせることができるかどうか、自分なりの考え方でいろいろ工夫し、現実を受け入れるということをまず工夫してみてください。

Hitoe.Oさんの流れを見た時、あなたの流れでは今までの自分の流れと他の人の流れというものを常に考える傾向があり、自分一人だけこの道を進めば良いという意識ではなく、多くの人がその道を進めるように、自分だけではなく他の多くの人もその道を進めるように、常にこういう意識で学びを進めてきました。そのために自分が役に立ったものは他の人にも役に立てるように、自分が良いと思ったものは他の人にも良くなるように常に意識を持ってきました。今まではこれがとても良く反応し、自分が成長すれば周りの人も成長するということがよく感じられておりました。そしてあなたがそれを充分に理解し、それだけのパワーを身に付けた時、また流れが変化してきています。これまでと同じように自分が成長すると周りの人も成長する、これは同じように引き続き行われていくでしょう。ただ他の人への見せ方がこれまでとは違ってきて、自分が見つけて良かったもの、自分が理解できて良かったものを単純に他の人に言ったとしてもそれだけでは通じなくなってきています。今までと同じように自分が良かったからといってそのまま持っていっても他の人には通じなくなってきているのです。したがって、自分が成長できたものを他の人に示すためには工夫が必要とされているのです。同じやり方で他の人にも合うとか、他の人にもできるということが言えなくなり、自分はこういう方法で体験できて良かったけれども、他のこの人はこの方法で体験できるはず、この人はこのやり方で理解できるはず、あの人はこうするとこれが分かるはず、一人ひとり納得の仕方が変わってきています。自分の納得したやり方が他の人にはまったく通用せず、他の人には他の人の納得の仕方で通用していく、こういうやり方が見えてくるでしょう。そうすると自分は何らかの方法で大きく進化できた、でも他の人はまったく同じ進化をさせるのに別のやり方を工夫する、別の言い方を使う、別のやり方を教えていく、そうすることによって他の人はその点に関しては大きく進化できる、そういうやり方になるのです。したがってある程度人に応じてどれが適するのか、どれがその人に合うのか、それを見つけていく必要があります。人の見方がそういう観点から見えるようになってくると、また新しい別の現実が見えてくるでしょう。現実をつくる秘密がそこに隠されているからです。一人ひとりの流れをよく見て、一人ひとりに対する言葉をどう発するか、そういったことを意識して学ぶようにしてみてください。

Akiko.Nさんの流れを見た時、あなたの流れにおいて、自分自身の本当の自分に向けての流れが今の自分で本当に合うのかどうか、本当の自分の姿が何であるのか、いつも考えております。まずあなたに限らずすべての人に共通なことであり、どこまでいっても本当の自分を明確に表現することはできません。皆さん方の多くがまだまだ人間としても極めて未熟なレベルであり、今の進化段階においてすべてを理解することは困難だからです。今の意識レベルにおいては自分ということに対して初めて理解でき自立し始める最初の時期であり、まだまだ本来の人間には程遠いからです。今の段階で結論を出したり、答えを見出すということ自体、不可能な意識レベルです。したがって、今の段階においては本当の自分とか、本来の自分ということを考えることなしに、まずは自分は何ができるのか、自分ができる能力を次々と見つけていき使いこなしてみる、自分の持っている能力や特性を分析していき、それらを訓練することによってどこまでいろんな使い方ができるのか、どこまで高度な使い方ができるのかを調べていきます。自分の持っている能力一つひとつ、進化させるととても素晴らしいことができるようになります。どんな小さな能力でも使いこなし、幅広い応用ができると誰にも真似のできない素晴らしい使い手となります。どんなことでも良いですから何か一つに絞って、それを徹底的に使いこなしてみる、自分のものに完全にしてしまい、いろんな使い方ができるようにする、そこまで練習してみる必要があります。分かったつもりで終わるのではなく、本当に自分のものになるまで完全に使いこなしてみる、是非そういう意識を持って自分の能力を活性化させるようにしてみてください。

Kimio.Iさんの流れを見た時、あなたの流れにおいて今学んでいる自分の流れ、進んでいる方向性、これで自分に合うのかどうか、もちろんこの流れはあなたの流れであり、自分を進化させる方向へと進んでおります。そしてあなたにもたらされるいろんな現実において、自分はどういう奉仕をしていくのか、どういう流れを体験していくのか、そう考えた時、何かが足りない思いがあるものと思われます。どれをとっても八割九割、大方はできてそれなりの評価を手にすることができたでしょう。しかしどうもどこかで完全に満足できていない自分、何かが欠けている、そういう思いがあるものと思われます。実際あなたの波動の中で目覚めなければならない波動が残っており、それをほんのわずかでも使いこなし自分のエネルギーとして奉仕に使っていくと、奉仕に使われるエネルギーの波動がまったく変わってきて、いかにも自分が行うもの、自分だけが行えるもの、自分のセッションという意識が強くなっていきます。今はその部分の波動がまだ出ていないために、どうしてもどこかで何かが足りない、何か完全ではないという思いが出てくるのです。この自分の波動、これを活性化させるためには自分が本当は何をしたかったのか、本来自分は何を目指してこの世界に入ってきたのか、その原点に目を向けてみてください。そして本当の自分のやりたいこと、したいことをしっかりと見つめ、それができるように自分も努力していく、本当にやりたいことを行えるようにしてみる、そうやって自分の本当の能力を目覚めさせていってください。それを目覚めさせることによりまったく新しい波動が使えるようになっていきます。

Atsuko.Iさんの流れを見た時、あなたの流れの方向性において今の流れはあなたにとってあまり意識していない流れになっているかもしれません。自分で明確にその道を求めたり、選んだという意識がなく、与えられた現実をただ進んでいる、そういう意識が多いものと思われます。今あなたの体験している波動の世界はあなたのエネルギーの中で一番核に近いところを活性化させようとしているものです。あなたの持っている波動の中で一番核となるもの、それは存在するということであり、あなたは存在する喜びを確実に身に付ける必要があるのです。存在する、その大きなエネルギー、またそれを使いこなすことを学んでいくのです。存在するということがどれだけ素晴らしい波動であり、またどれだけ素晴らしいエネルギーなのか、存在するということが完全に理解でき、そのエネルギーを使えるようになった時、あなたはどこにでも存在できるようになります。また存在するというエネルギーを使いこなすことにより、存在する波動を操ることができ、自分の存在のエネルギーをどこにでも発揮することができます。存在するという波動の素晴らしさ、喜びをはっきりと感ずることができるでしょう。あなたの体の中に眠っている存在するという波動、是非それを使いこなし多くの人にも使えるように活性化させていってください。

Madoka.Hさんの流れを見た時、あなたの流れにおいて今はとても大切な学びをしている時期と言えます。一連の学びの中で今自分の才能を広げ、活性化させるためのヒントをたくさん身に付けている最中と言えます。あなたには隠された波動や秘密がたくさん存在しており、それを何らかの方法で活性化されるようにつくられております。あなたに与えられた特別な波動は必ず自分の何らかの意識によって目覚める、何らかの行動によって目覚めるようにつくられているからです。自動的に目覚めるわけではなく自分から何かをしてみる、自分から行動し動くことによってその波動が目覚めていく、そういう仕組みがつくられているのです。そのために今いろんなことを挑戦してみたり、いろんなことに意識を向けて自分と繋げようとしています。そして本当にそれによって隠れた波動がどんどん活性化されていくでしょう。今はそのためにいろんなところに行っていろんなことを体験してみる、いろんなことを自分と繋げてみる、そういう時期です。是非自分の中の波動を次々と目覚めさせ、そして現実に使うことができるように、使えるようにもっていってください。

皆さん方の流れの方向性を述べてみました。自分を知るということはとても大切なことであり、しかしそれについて考えても中々答えの出ない問いでもあります。分からないから聞くという意識をもうやめてしまい、分かっている自分にアクセスする、完全なる自分と繋げてそこからダウンロードしてくる、是非そういう意識で自分を問う、自分を見つけていく、そういう意識を持つようにしてみてください。それでは少し休憩をとります、ありがとうございました。


Aいろんな次元世界とのつながり

私たちはアルテミスの波動としてお話をいたします。皆さん方が理解しているいわゆるチャネリングというシステムは、必ずしも今皆さん方が理解しているやり方ではありません。つまり多くの人は何か高次元のスピリットの世界から何らかの波動がやってきて、そして媒介者を通じて言語化する、そういったことをチャネリングと理解していることと思われます。

しかし実際のところチャネリングという形態は人によってやり方がまったく違っています。一人ひとりやり方が違うのです。しかし教える場合には一人ひとり違うことを教えることは不可能なので基本的にチャネリングはこうしましょうとか、いわゆるハイヤーセルフと繋がって波動を降ろしてくるとか、そういうやり方を教えていきます。

しかし現実にハイヤーセルフと繋がるという表現でも、一人ひとりやっている意識やエネルギーの使い方はまったく異なっており、どういうやり方でハイヤーセルフと繋がるのか、どういうやり方でスピリットと繋がるのかはまったく異なる波動となっているのです。その異なる波動の中においても、やはり効率の良いやり方を取っている人がいれば、かなり効率的に見て苦労するやり方を取っている人もいます。

本当にハイヤーセルフの言いたいことをダイレクトに人間の言葉で表現している人がいれば、ハイヤーセルフの言おうとしていることはまったく不可能なので、ハイヤーセルフが何か別の手段で伝えたことを、また別の波動を通して変換し、またそれを別の波動で変換させてそして人間の色として伝える、こういうやり方で伝えたりする場合もあります。

一人ひとりのメカニズムがまったく異なっております。どういう方法を取ったとしても基本的に神々の許可で神々の波動で行われてきます。ハイヤーセルフという存在を使ったとしても最終的には神々の表現を通しているのです。したがって、ここで皆さん方に話をする時に、ハイヤーセルフという表現をとったり、マスターの名前をとったり、神の名前をとっても本当は意味のあることではありません。

ある意味ではただ単に人間に満足感を与えたり、楽しさを与えたりするためだけに名前を使っているだけであり、実際にはどういう名前を使おうとも本質的な差はあまりありません。ただ皆さん方の理解しやすいように、表現しやすいように何らかの名前を使う時には、名前と同じ波動を一緒に降ろし、いかにもこの存在はこの波動であるように、いかにもその存在が来ているようにメッセージと波動をマッチングさせて、いわゆる言語化を行っていきます。

皆さん方の人間の世界とスピリットの世界の間には、いろんな次元世界が広がっており、その次元世界をすべて経由して人間の世界に言語や波動を降ろすというのは、すぐにできるわけではありません。やはり何度も何度も練習したり、トレーニングを積み重ねることによって達成できる現象と言えます。

しかし皆さん方が仮にいろんな波動の世界に意識を向け、いろんな波動と通ずることがごく当たり前になっていると私たちの方からでも、いろんな波動の存在を皆さん方に現わすことはできます。かつてここで行われていたようないろんな存在たち、実際には私たちもその頃はいろんな存在たちをここに連れてくるために、私たち自身が毎日のようにいろんな次元世界に問い掛けた時期がありました。

それこそいろんな動物の世界に門をたたいたり、いろんな宇宙船に門をたたいたりしたことがありました。それは私たちにとっても楽しい時期でありました。今皆さん方の方で何か安心をしよう、何か一つのところに満足しようという意識ができてくると、安定を求める流れにいき、決まったエネルギー、同じエネルギーで満足しようとする波動になっていきます。

そうすると自動的に私たち自身がいろんな門をたたくことができなくなっていきます。ですから皆さん方の方でむしろいろんな意識、いろんな波動を出していただくと、私たちもいろんな波動の世界に動けるようになっていきます。もし皆さん方がいろんな存在と繋がりたければ自分たちの方でいろんな次元世界の話をしてみる、いろんな宇宙の話をしてみたり、いろんな動物の話をしてみる、初めの雑談においてそういった意識をしていただけると、私たちもそれに合わせて準備することができます。

私たちも皆さん方と同じようにいろんな世界の繋がりを望んでおります。是非皆さん方の意識と私たちの意識を合わせ、かつてのようないろんな次元世界に繋がることを私たちも望んでおります。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2007 CentralSun
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