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2006/5/8■月曜交流会から

リチュアルマスターとしての生き方

@直接、神と対峙する

私たちは皆さん方がこの地球に来た時に契約した奉仕というエネルギーの、皆さん方と契約した波動と思っておいてください。皆さん方が地球に来る時にいろんなレベルにおいて計画がつくられ、そして地球の管理する波動と共に契約が交わされていきます。皆さん方はこの地球において体験をすると同時に奉仕という役割を担い、地球からエネルギーをもらうと同時に地球にエネルギーを残していく、こういう流れがつくられていきます。

その波動は一人ひとり異なっており、必ずしも同じレベルで話せるわけではありません。ただいくつかの分類をすると、いかにも人間の意識波動を高めるために役割をなすもの、あるいは社会の流れを進ませるために役割をなすもの、地球に残っている波動を消化するために役割をなすもの、地球の本来の流れを元に戻すために役割をなすもの、ただひたすら愛することを教えることのみに役割をなすもの、その他芸術や哲学、文学などいろんなに面においての役割が与えられております。

今皆さん方が学んでいるスピリチュアルな学び、これは一般の人々のスピリチュアリティ、霊的精神性を高める役割を担っていると言えるでしょう。日本全体の霊的あり方を今一新させる働きを担っており、かつて日本人が身に付けていた霊的な意識構造とは別の意識構造へと意識変革を成しております。かつて日本人の持っていた霊的な意識構造は、自然、万物にすべて霊的意識が存在し、人間はその霊的意識を理解し、霊的なものを身近なものとして捉えている、そういう構造がありました。それは本質的に身に付けている意識構造でもあり、日本民族の多くの人がそれを自然のものとして受け入れております。

ただ学問の世界において、教える、教育するという波動がかなりある意味では宗教的なエネルギーになっており、教えられたことしか理解しない、教わったことしかやってはいけない、必要なものだけしか与えられない、そういう意識が蔓延しており、スピリチュアルな勉強の仕方がおかしくなってきており、純粋なスピリチュアルが理解できなくなってきております。

そのために、今皆さん方が行なっているスピリチュアルな学びはこれまでの日本のあり方で行なわれていた学び方ではなく、むしろ条件や制限、限定などに左右されずに先生や生徒の区別もなく同じレベルで意識を高めていく、大いなる自然の霊的なものに多くの人が同じレベルで学びを進めていく、そういうやり方が行なわれております。

したがって、今皆さん方が学んでいるのはこれまでの日本の学問の世界でつくられた一方的な流れの学び方ではなく、先生も生徒も同じレベルで議論し合い、学び合いを行っていく、そういう風なやり方をとっております。そういうやり方の中で皆さん方が今身につけているもの、これまでは先生がすべてを理解し、先生から与えられたものだけを学んでいく、分からない事は先生に聞くと教えてくれる、そういう限定された世界での学びであったのが、今はそもそもすべての人が同じように神の御前に立ち、一人ひとりが直接神を学び、直接神からメッセージをもらい神と対峙していく、その学びに変わっているのです。

したがって、理解しているといってもやはり分からないことが数多くあり、どのレベルにおいても分からない事だらけの意識構造になっています。今そういう学びを通し先生と生徒の在り方そのものを変えさせようとしています。今よく言われているインディゴと呼ばれる子供達、これまで先生を名乗って何でも知っているという態度を見せていた人々がまったく手のつけられない状態になっています。

すべて分かっていると思われていた先生が実際には無力であり、先生たちの持っている知識には力がないこと、今はこれが明らかになっています。皆さん方は力のある学びを身に付ける必要があるのです。本当に人に愛や勇気を与える知識を身に付けなければなりません。いくら大事な話とか重要な話とか言われても心に響くものがなく、愛も勇気もわいてこないのであれば、それは力の入っていない知識となります。

どうしたら知識に力が入るのか、それは神と対自して本当の神から知識を授かったのかどうか、神から授かった知識には必ず愛があり、勇気が入っています。それに比べ人間がつくり上げた知識には愛もなく、勇気もなく、入っているのは自慢話やエゴばかりとなっています。今一人ひとりが必要なのは愛や勇気を伴った言葉をいかに他の人に与えることができるか、他の人に勇気を出させ、愛を発揮させるための言葉をいかに与えていくか、それは神と直接出会ったものしか身に付けることはできません。

リチュアルマスターというのは常に神を目の前に見ている人を言います。一時も神を見失ってはいけません。常に神と対峙しているのです。それ故リチュアルマスターの言葉一つひとつには愛や勇気が入っているべきであり、リチュアルマスターの口から出てくる言葉に人々は勇気が湧き、愛を感じていくのです。

今の世の中、多くの人が愛を見失い生きる勇気が欠落しています。こんな世の中生きていても価値がない、生きる意味が分からない、迷っているのです。一度も神と出会ったことがないために彼らは迷っているのです。リチュアルマスターは常に神を目の前にしているため、迷っているものに愛と勇気を与える義務が出てきます。

今皆さん方の他耳に聞く不幸な事件、いろんなトラブル、一つひとつ愛も勇気もないことから行なわれております。愛も勇気もない、そういう人々に愛を与え、勇気が出るような言葉を与える必要があるのです。いつの時代でも迷っているものは出てきます。どれだけ文明が進み、意識が高まっても迷っているものは必ず現れてきます。そういう人々に対し愛や勇気を与え、生きる目的人生の目的を見出せるように導かねばなりません。

リチュアルマスターとしての癒しとそうでない人の癒し、何が違うか。波動の高さとかヒーリングの能力とかいうレベルではありません。たとえヒーリングがまったくできなくてもリチュアルマスターとして立派な働きを行なうことができます。すでにヒーラーとして何十年も活躍しヒーリングテクニックが極めて高度なヒーラーとリチュアルマスターとして歩みを始めたばかりの人であっても、宇宙から見た場合には見る観点がまったく違っており、彼らを比較することはまったくできません。

リチュアルマスターになりたての人であっても、その人の持っている波動が多くのヒーラーに影響を与え、それによって他のヒーラーの力が急に高くなったり、高いレベルの波動がやってきてヒーラーの知らぬ間に新しい癒しを行なったりしている場合があるからです。それはヒーラー側にもリチュアルマスターにしても何も理解されていないことが普通となっています。

したがって、皆さん方が人間的な意識レベルでいろいろ考え、評価し合ったとしてもそれだけではおそらく何の結論も出てこないでしょう。確かに目に見える範囲からすれば多くの人に癒しを施し、セッションをほとんどやっていないリチュアルマスターがいたとすれば、セッションを多くやっていた普通のヒーラーの方がいかにも偉大なる働きをしていると思われるかもしれません。

しかし、スピリチュアルな観点を合わせて見た時、実際には一見目立っていないそのリチュアルマスターが実際には数多くのヒーラーに偉大なるエネルギーを与え、それによって多くの人が救われたりしている場合があるのです。ではリチュアルマスターになるのと、ならないのとで実際にはどちらでも良いことなのか。

リチュアルマスターとしての道を歩んだものは新たなる進化の流れに入っていき、リチュアルマスターでない普通の人々の流れとは少し違うサイクルに入っていきます。普通のヒーラーの人々は一般に人々と同じサイクルで学びを重ね、単にヒーリングという活動を通して一般の人々とエネルギーを交換していきます。しかしリチュアルマスターという人々はそういう普通の人々と同じサイクルではなく別のサイクルから人々を理解し、この地球をそもそもどのように変化させていくのか、日本のエネルギーをどう修正していくか、そういう大きなサイクルの流れで見ることになるのです。

そのために人間に対する見方もかなり変化し、自分と同じレベルでの人間という意味ではなく自分自身は人間というサイクルを越えた大きな観点で人間を見ていくことになるのです。したがって、リチュアルマスターとしての活動を歩み始めたものは普通の人間的なサイクルの人々との連携が場合ある意味では難しくなっていきます。しかしそれは不可能という意味ではありません。

ただ人間といろいろ会話をしたり、生活をする時人間的なサイクルで自分を動かすことができず、自分はもう一つ別のサイクルから常に普通の人々を見ることになります。そのため自分のサイクルと合わないところでいろんな不都合が現れてきて、結果的に自分が違和感を感ずることになるのです。しかしそれが悪いという意味ではありません。違和感を感じながらも普通の人のサイクルで生きることも可能だからです。

ただ普通の人のサイクルで生活していくと自分自身のサイクルが急激に影響を受け、本来のサイクルの切り替わりの時に切り替われなくなってしまう場合が出てきます。そういういろんな不都合が生じることにより普通の人間のサイクルで生活することが余計に重くなってきてしまうのです。ではどのようにしてこういう状況を乗り越えていくのか。

自分自身はリチュアルマスターとしての新たなるサイクルで生活していることをはっきりと理解し、その上で普通の人のサイクルも理解しておく、今目の前の人がごく普通のサイクルを歩んでいる場合でも、それが当たり前であり普通であることを理解し、無理に高めようとしたり変えさせようとするのではなく、相手のサイクルに合わせて自分は進めていく、しかし本質的に自分のサイクルは相手のサイクルではなく自分自身のサイクルがあり、自分はそれで自分を進めていくこと、二つのサイクルを同時にこなしていくことが必要になります。

そういう生き方を身に付けることができればリチュアルマスターとしての役割をなしながら普通の人とも過ごせるという、そういう状況を乗り切ることができるにようになります。それを身に付けるにはリチュアルマスターとしての生き方をまず自分で探り出し、自分のサイクルを理解することが必要です。

普通の人とは違う生き方、普通の人とは違うサイクルを理解し、それにいつでも合わせられるようにする、それだけにしてしまうと普通の一般の人のサイクルが出来なくなるために常に余裕を持ち、普通の人のサイクルも体験できるようにしながら自分は自分のリチュアルマスターとしての道を歩んで行く、この切り替えが必要になるでしょう。

そういったことをうまくこなしていけば、リチュアルマスター以外の人とうまく関係をつくりながら自分は自分で自分のペースで生きることも可能になるでしょう。今皆さん方ののレベルにおいて多くの人がまだまだリチュアルマスターとしての生き方を身に付けているわけではありません。まだこれまでの生き方が中心であり、流れているサイクルもどうしても普通の人の人間のサイクルにかなり影響を受けており、独自の流れに入りきれない状態になっています。

このままでは日本自身の波動の変化がうまく行なわれずせっかく多くのリチュアルマスターを用意しても役割がなされないまま時間だけが過ぎてしまう状況が考えられます。したがって、今皆さん方は普通の人に何でもかんでも合わせるのではなく、リチュアルマスターとしての本来の流れを各自で身に付け、そのサイクルで生活していく、それを確立せねばなりません。リチュアルマスターとしての生き方をまだ理解している人がとても少なく、その場その場で生活のサイクルがいちいち変化しているのです。しかしそれは不安定な状態を作り出し日本のエネルギーそのものが不安定なままその状態を続けているのです。

皆さん方はそれらに目を向け安定させる必要があります。今の日本の状態においていろんなところでほころびが生じ、矛盾が起こり、悩んでいる人がとても多くいる。そういう人々の意識を少しずつ修正し、自分自身が新たなる世界に向けての先駆者となっていきます。これからの流れに向けて皆さん方はそういうことをはっきりと自覚し自分が多くの人をしっかりと新たなる世界に導いていくこと、それを自覚する必要があるでしょう。

皆さん方が少しでも本来の自分の流れが見えるように常に自分自身の心を宇宙に繋げ、そして多くの人々と素直な気持ちで接していく、常にそれを忘れることなく実践していってください。


Kumikoさんの波動を見て、あなたのリチュアルマスターとしての波動にこの地球との契約においてとても重要なものが含まれております。あなた自身が本来身に付けてきた波動の中に、この地球においてあなた自身がなすべき役割、特にあなたにしかできないものがいくつかあり、あなたは自分でそれを行わねばなりません。しかしそれは何か特殊なことをするとか、特別な所で何かをするという意味ではなく、ある意味では意識の変化と言えます。多くの人々は自分たちの存在についてまだまだ分離した意識構造を持っており、一人ひとり自然界との繋がりが完全に切れております。あなたは大自然との繋がりにおいて重要な鍵をいくつか持っており、人々の意識と大自然との繋がりを戻し、本来人間の持っていた自然に対する一体感を復活させることができます。人々の中に眠っている自然霊との繋がりがあり、あなたはそれを目覚めさせることができるのです。自然界に起こる不思議さ、面白さ、自然界の神秘さ、そういったことを人々に話をしたり、見せたり、言うことによってその人の眠っていた自然に対する繋がりの部分が目覚めたり、活性化されたりしていくのです。したがって、あなたは多くの人々に自然界との繋がりの不思議な部分、面白いところ、得意なところをどんどん話し、そして人々の意識を目覚めさせていく、そういう行動を通して自然界との繋がりを復活させるようにしていってください。

Keikoさんの波動を見た時、あなたの波動の中のリチュアルマスターとしての輝き、この輝きにハイカンセルゴアとのかかわりにおいて、あなただけのいくつかの契約が交わされております。中でも自分自身の波動において、人間の存在がそもそもどういう意味を持ちどこに向うのか、人間は何を求めて向っているのか、そういったことに対して深いレベルの気付きを思い出させていく、深いレベルで何かをヒントとして暗示していく、その人の奥深いところで何かを目覚めさせていく、そういう役割があります。したがって、あなたは人々の意識に何らかの働き掛けを行なわせる役割がありますが、直接的に言うのではなく、何となく本人が感ずること、本人がおおまかに感覚的に分かるところ、そういったところを刺激させていくのです。そして何となく自分はこういった方向に進むのかとか、こういったやり方を取ろうとか、自分がしたいこと、やりたいことが漠然とながらも感じ取られていく、そういう方向へと導いていくのです。これはあなた自身が持っている一番の特徴的な波動であり、そういう導きを通して一人ひとり自分で考え、自分で自分の道を歩いていく、そういう力を思い出させていくのです。そのためにはあなたがいろんな人と接している時、自分が感ずること、自分の思うことをまず表現してみる、自分の感じたことを素直に表現するというやり方がとても必要です。具体的に言おうとしたり明確に説明しようとすると返って分からなくなってしまったり、本来の観点とは違う流れと進んだりする場合があります。あくまでも何となく感ずる、何となく分かる、常にそういった方向へとヒントを与えていく、そういうやり方に徹するようにしてみてください。

Akikoさんの波動を見た時、あなたのリチュアルマスターとしての契約において、あなたは人々との繋がりにおいて一人ひとりが身に付けていながらも何か自分にとって不安定なもの、良く分からないもの、理解できないものという波動があり、その波動の処理に多くの人が混乱をつくり出しています。自分で自分のエネルギーについて分からないところ、理解できないところ、解釈できないものがあり、それを放っておくのか、理解する方向へいくのか、悩んでいる人がたくさんおります。あなたはそういう人々に対し、あなたの何気なく話した言葉がヒントになって解決できたり、およそ意味の無い言葉が相手には意味のある言葉として感じたり、漠然として波動を持っている人がクリアになったりすることができるのです。あなたの持っている波動がそれを行なっており、不安定を安定に変えるマジック、理解できないものを理解できるようにさせる波動を身に付けており、それによって多くの人は自分の不明確なところ、理解できないところが分かったりできるのです。しかしあなた自身はそれを理解することはできません。あなた自身が理解させようとして話しても一般にそれは理解できないまま相手に伝わっていきます。したがって、自分自身は理解させようとは思わず、安定させようとも思わず、ただ感ずることを話す、それで役割が成されていきます。ただ自分自身の成長のために、あなた自身はせめて自分の進んでいる方向くらいは自分で明確にする必要があります。自分は自分の力で安定する必要があり、誰かから教えてもらったり、誰かの言葉で理解できるものではありません。自分は自分の流れをまず自分で明確にしていく、それは自分の責任であることを理解しておいてください。


皆さんの流れや波動について説明をしてみました。いろんなヒーリングやエネルギーのワークによってどんどんスピリチュアリティが高くなると現実を重視してい生きている人との意識が段々ずれてきてどうしても合わなくなってしまう、話題が合わなくなってくる、そういったことが普通に行われております。それをどのようにして切り抜けていくか、我慢して相手に合わせるか、それとも自分のために犠牲になったり、苦労することをやめて自分に素直に生きるのか、いろんな葛藤が起こることでしょう。

そういう混乱自体はごく普通のことであり、それ自体が問題となることはありません。ただ自分がどういう観点でどういう気持ちでそれを解決しようとしているのか、本当に相手のことを思い、相手の成長のために自分が犠牲になってしまう、これは宇宙から見た時必ずしも悪いという風な評価は与えられません。

確かに自分が辛かったとしても相手のためを思い、相手が少しでも成長できるように自分が選んだのであればそれは十分に愛として認識されるでしょう。今自分が犠牲になったり自分が辛くなることをすべて否定的なものとし、とにかく自分が楽しいこと、良いことばかりを追い求めている人がいます。しかし現実に自分が何一つ苦労や辛さを経験することなく、成長しまた愛が身に付くということはまずありえません。愛を身に付けるためにはやはり辛さ、尽くすことや犠牲になること、相手のために身を投げ出すことも必要であり、自分か何らかの苦労を体験することも必要と言えます。

そういった一切体験することなく愛が身に付くということはまずありえないでしょう。一切苦労を伴っていない愛は力の入っていない知識と同じであり、神から出たものではないからです。本当に相手のためを思って行動しているのかどうか、本当に愛が入っているのかどうか、原点に戻って自分の行動の一つひとつを考えてみていただきたいと思っております。それでは少し休憩を取ります、ありがとうございました。


A地球のおいしいものは食べましょう

私たちは皆さん方の今の話を聞いていて人間の食事について少し説明をしてみます。多くのスピリチュアルな勉強をしている人が食べ物についていずれ人間は食べなくてもエネルギーを取り入れるだけで生活できるようになると信じている人がたくさんおります。

しかしそういう見方はあくまでも願望や希望的観測から話されており、実際の未来の状況において人間がまったく食べ物を食べないという時代が来ることはまずありえないでしょう。なぜならば地球には極めて豊富な数多くの果物や野菜、他生き物達が生存しており、それらのエネルギーを取り入れることが多くの人々の役割でもあるからです。

地球で生きていた証を得るためには地球のエネルギーを取り入れる必要があるのです。大自然のエネルギー、多くの魚や生命のエネルギー、そのエネルギーを取り入れることが地球で生活していたという保証であり、証なのです。そしてそれを取り入れることによって地球のエネルギーを自分のものにして、いろんな星へと持っていく、地球のエネルギーをたくさん取り入れることが必要なのです。

したがって、人間として生活しながら地球から一切の食べ物を取り入れることなく、例えば他の星からの何らかの栄養素をただ注射だけで体内に取り入れて摂取したとか、必要な栄養素をすべて別な方法で獲得したとかいう場合、その人は地球からの栄養素やエネルギーを取り入れたことになっていないために、肝心な地球上でのエネルギーを取り入れたことにはなっていません。

それは地球上で体験を重ねたとしても肝心な地球のエネルギーを何一つ取り入れていないことになり、地球から離れた時一体地球から何を獲得してきたのか、何を地球でエネルギー交換してきたのか、そこで大きな疑問を持つことになります。地球にある果物や食べ物、他の生命を食べるという行為を否定的に思っていること自体が問題であり、食べること自体は問題ではありません。宇宙の生命のいろんな仕組みをもっともっと理解していく必要があるでしょう。ただそれとは別に今人間の都合だけによって家畜や人間の都合の良い品種改良を行っていること、こういう行為そのものには確かにいろんな問題があるでしょう。

数多くの家畜が人間の都合の良いように処理されていく、そこには愛も勇気も入ってはいません。やはりいろんな動物たちにも人間と同じように愛と勇気を与える必要があるからです。家畜に愛も勇気も入れていないということは皆さん方が食べている肉とか野菜、果物には肝心の愛も勇気も入っていないということになるのです。それは単純に単なる生きるためのエネルギーしか獲得しておらず、自分自身の愛と勇気を育てるための栄養にはなっていないのです。皆さん方が口にする食べ物に愛も勇気も入っていないから結局自分自身の愛も勇気も中々沸いてこないのです。

せっかく神と対峙して神から愛や勇気のエネルギーをもらっても、それを現実化できない、発揮できない、やはりそこに自分たちが接する動物や植物、草や木、花、虫たち、彼らにも愛や勇気をどんどん皆さん方が入れていく、そうすることによって皆さん方が口にする生命にも愛や勇気が入っており、神から授かった愛や勇気を具現化できるようになっていく、これは未来にとってとても良い流れをつくるでしょう。したがって、今の食事と未来の食事を見た時、単純に肉を食わなくて済むとか、食べなくても良いとかいう問題ではなく、皆さん方が愛や勇気を発揮できるものを口にすることができるかどうか、自分たちが愛や勇気を入れたものが自分たちの愛や勇気を発揮できるように還元されてくるのかどうか、そういった関係を考えながら食事の仕方、未来の食事を考えるようにしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2006 CentralSun
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