前へ戻る
2005/3/14■月曜交流会から

新しい意識をどう取り入れるか

@形にこだわらないこと

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今日は皆さん方にいつもと違う観点からお話をしていきます。先ほど物事を始める時、まず形をつくらないと進まないという話がありました。日本人の意識の形という表現、語源にとても神秘的な波動が入っており、皆さん方の通常の行動パタンにとても面白い影響を与えております。

この形という概念は恐らく日本人の意識の中につくられたものであり、他の宗教や文明の人々には通じにくい概念かもしれません。今では既に多くの日本の人々が形から入る、まず形を真似する、型を覚える、そういうやり方を身に付けており、新しいものを取り組む時まず形をつくる、まず型を当てはめてみる、こういうケースで新しい物事に取り組んでいきます。

これはまず見よう見まねでもっともらしいものを体験し、それを自分のやり方で具現化させていく、そういうやり方にとてもふさわしい概念と言えるでしょう。新しいものを取り組む時、それぞれの文明の人々、それぞれの宗教の人々でまったく違う傾向があります。キリスト教徒の人々の場合にはまずは神の意志に合っているのかどうか、神はどういう考えでこういったことを考えていくのか、常に神の思いに合っているかどうかを考えていきます。

そして自分のやり方を正当化させようとする場合には自分のやり方が神の意志に合っているかのように巧妙に論理をつくったり、理屈的なこを並べていって正当化させたりしていく場合もあります。しかし純粋に神の意志をそこに感じた時、自分のやるべきことが本当に神の必要としているものであり、やらなければならない、そういう思いがあった時まずそういう思いをでは次にどのようにして具現化させていくのか、この思いをどのように表現していくのか、そういう風に考えていきます。

したがって、まず始めに意志があり、そしてそれを表現する、具現化するというプロセスで行なわれていきます。それに対し日本の人々は一般にまずは型、あるいは見かけ、形から入り、それを体験することによってその本来の意志を悟ろうとする、何故そういう型になったのかを知ろうとする、そういうプロセスで理解していこうとします。

したがって、初めから神の意志を理解するよりはまずは見かけの型、形から手にしていってどんどん奥の方に辿り着いていって神の意志を探ろうとする、こういうやり方で近づいていきます。私たちの観点から見た時、どれが良いとか合っているとかいう評価ではできません。それぞれ自分たちのためにつくり出した手法であり、自分たちが文明の中で一番最良の方法として編み出したものと言えるでしょう。

ただ日本人の型から入る、形から入るという手法が今の時代において少しずつ通用しなくなってきております。以前の日本の文化においては師匠や先輩、或いは既によく知っている人の技術を知恵を身に付けようとする時、まず型から入る、形から入るというやり方で学んでいき、少しずつ本来のやり方を自分なりに吸収していって理解しようとするやり方が取られておりました。

その時には師範なりすでによく知っている人の知恵を尊重し、そこに辿り着くためにゆっくりと自分が時間を掛けて身に付けていくという信頼感がありました。しかし今の時代において弟子が師を重んずるとか、師を尊重するというエネルギーそのものが弱くなってきており、どちらかというと若い人でもほとんど経験のない人でも実力さえあればいくらでも師を凌駕することができる、時間をかけなくても自分のやり方でどんどん先へ進んでいく、そういうエネルギーが普通になってきており、古来のように時間を掛けてゆっくりと本来の意志に辿り着くという流れが使われなくなってきております。

今の日本の文化の至る所にこのような変化が起こってきており、したがって、形さえもあまり尊重することなく自分のやり方で自己流で自分だけが分かる方法でどんどん新しいものをつくり出していく、古い概念に捉われず、古い慣わしに束縛されず、あるいは既によく理解している知恵や技術を理解することなくまず自分でどんどんやっていく、これがごく普通になってきております。

時代がそういう時代といえば仕方がないのかもしれません。まただからといってそういう現象すべてが悪いわけでもありません。何故ならば常に文明は古い概念を崩壊させながら新しいものをつくり出していく、これまでの古い概念に束縛されることなく、執着することなく新しいものへとつくり変えていく、この変化が常に起こっており、それ故に新しいものがどんどん台頭していくること自体は自然のことであり、問題はありません。

しかし、だからといって今までに築き上げられた偉大なる知恵を無視してしまったり、否定してしまったり、崩壊してしまう必要はありません。これまでも長い歴史において日本で生み出された偉大なる知恵はたくさんあります。一見もう古くて役に立たないような知恵であっても実際には少し磨きをかければいくらでも現代にも通用できる知恵があります。

しかし一般に磨きをかけることなくみかけだけで否定してしまったり、初めから古いという思い込みだけでまったく採用しない知恵が至るところにあります。これは見方によってはとても悲しい事実とも言えるでしょう。これらの古い偉大なる知恵でさえもそれを有効につくり出し人類に貢献するために多くの人々の手が入っており、また年月も掛かっており、偉大なるものに磨きがかかって出来上がっております。

そしていくらでも今でも通用できるくらいの奥深い知恵が残っております。それらを単なる見かけだけで否定してしまったり、思い込みだけで否定してしまったり、偉大なる素晴らしい玉が磨かれることなくただ埃をかぶって眠ってしまっている、そういう日本の知恵がたくさんあるのです。

今の若い人たちが是非そういうところにも目を向け、一見古いような役に立たないような知恵であってもそれをもう一度新たなる観点で掘り起こして、現代でも通用するように磨きをかけてみる、新たなる観点で見直してみる、是非そういう見方で古い知恵を復活させていただければと願っております。

古い知恵と同時に実際の三次元的な活動そのものにおいても以前の日本人が身に付けていたやり方が忘れ去られてしまって、無視されてしまい、まったく目を向けることのないものもたくさんあります。確かに最近脚光を浴びつつある古武道の体の動きもそうですが、それに限らず芸術的表現にしていも文学的表現にしてもむしろ古代の日本の方が今よりも更に表現力に富み、真実がより分かるような手法がとられたり、また体を通しての表現手法が今よりももっと巧みだった時代もあります。

能にしても歌舞伎にしてもこれらは日本人の知恵が集まったとても素晴らしい表現形態になっております。それに対し現代では単に大きな声を上げるとか、大げさな動きをする、そういったことだけで表現をしようとしたり、相手の注意を引こうとする傾向が強く、細かで繊細な表現に関してはほとんど無視されつつある状態になっております。

それに対し古代の日本の人々は指一本、一本の細かな動き、繊細な色使い、一見目のつかないような所、背中側、後ろ側、あるいは影になるところ、そういったものでさえも神経を注ぎ、決して手を抜くことのない表現手法を取っております。現代のほとんどの芸術的なものは見えるところだけを美しくする、分かる人にだけ分かるようにする、見せてよいところだけを見せておく、そういうつくりになっており、全体から見ると、どう見ても不完全さが見られる芸術的表現になっております。

一見誰も気付かないようなところ、絶対に人間が見ることのできないようなところ、実はそういったところにでさえも古代の人々は神経を降り注ぎ、一生懸命何らかの表現を成しておりました。

今ではテレビやビデオ、カメラなどといった道具が発達しており、それらの見栄えが良いようにする、色使いや動きでさえもカメラやビデオで良く映るようにつくっておく、人間の目で心を持って見た場合の表現の豊かさを入れることができなくなっております。

こういった表現手法はやはり古代の日本の知恵を学ぶべきところがたくさん残っております。だからといって昔の日本の表現がすべて良いといっているわけではありません。今は今の時代でよいものもたくさんあります。いろんな人々が一つの作品を楽しんでいく、或いは古代ではつくることのできなかった新たなる芸術的なもの、巨大なもの、いろんな人々が知恵を出し合ってつくり上げた合作的なもの、しかも国を越え、いろんな国の人々が協力し合ってつくり上げた傑作、こういったものに関しては古代の芸術作品にはなかったものであり、やはり現代において成された素晴らしい成果といえるでしょう。

こういった現代で発達してきた新たなる表現手法と太古から身につけてきた素晴らしい表現手法、こういったものを組み合わせるとどれだけ素晴らしい芸術ができるでしょうか。どれだけ感動を呼ぶものができるでしょうか。

古いものをすべて否定したり、また古いものがすべて良いと思ってただ復活させるのではなく、それぞれ良い所、役に立つところ、利用できるべきところをよく見抜いて組み合わせていく、それを更に発展させてこれまでできなかったことを具現化してみる、是非そういう観点でいろんなものをクリエーションしていっていただければと願っております。

今日は日本のいろんな波動の仲間たちが協力しております。それ故にどうしても古き日本の波動が影響を与えております。日本の古い波動のすべてを良いものとしたり、或いはすべてを否定したりするものではなく、あくまでもそういった波動をいかに今の時代に生かしていくのか、今の自分の行動をやるべきことにいかに生かしていくのか、常にそういう観点を持っていただきたいと願っております。

皆さん方から見たら明治や江戸、或いはそれ以前の時代は太古の昔のように認識されるでしょう。私たちの観点からすればほとんどつい昨日のような時間であり、この地球の長い長い歴史から見ればさしたる過去ではありません。人間はいろんな技術、芸術を発達させ、そして知恵を身に付け、表現を身に付け、常に新たなるものを工夫してきました。

それぞれの時代において一番素晴らしい表現手法を常に開拓してきました。恐らく表現手法という観点で見た時、一番文明の流れが理解しやすい状況だと思われます。基本的に人間は五感を身に付け、五感をベースにして情報を受け取り、感情を動かし、表現をしようとします。

この五感のセンスが時代と共に変化してくるところがとても面白く感じられます。ある時代においてはささやかな音にとても関心が向けられたり、ある時代においては遠くかすんだところに皆で意識を向けたり、ある時代においてはささやかな甘い香りに意識が向けられたり、それぞれの時代において五感のどこかに意識が向けられる状態が変化してきております。

今では見るというところにとても関心が向けられており、見るという情報がかなりの支配力を持っております。匂いに関してほとんど古代の日本人が身に付けていた感触が薄らいできております。また音に関しても古代よりはだいぶ鈍感になってきており、ささやかな虫の音の違い、遠くの響きが感じられなくなってきております。

しかしこれもまた時代の変化によりまたそういったところにスポットが当たる時代もやってくるでしょう。人間はこうやって五感の一部を時を変え、場所を変えて発達させ、そしてゆっくりゆっくりと進化を成してきております。自分の番には五感のどういったところが繊細でどういったところがもっと開発させた方が良いのか、そういった観点で自分の感覚を見てみるとまた面白い自分のことが分かるようになってくるものと思われます。

それでは私たちの方からアドバイスをしてみます。

Misaさんの波動を私たちから見た時、この波動は日本という場の中でとても面白い響きを持って存在しております。ある意味では日本の文化に溶け込みやすい波動を持ちながらも、完全には何故か馴染みにくい意識が付いて回っております。日本の中にそのままスムーズに入りそうでありながらも中々完全にはマッチしにくい、こういう状態と言えるでしょう。これはあなた自身の本質的な波動の中に日本という場の中で育てられ、鍛え上げられた波動がありながらも常に完全には染まらないという強い意志があり、自分自身を自分のペースで導いていくという波動から起こされております。そのために今は日本の場において学んでおり、日本の場を自分なりにうまく使いこなそうとしながらも完全には染まることなく、自分のペースでやっていきたい、自分のペースでもっていこうとする働きによって完全には自分と同一化できない状況がつくられております。これはあなたにとってとても良い進化をもたらしております。進化をするためには必ず次を見る必要があり、一箇所に留まるのではなく次へ向うところに常に意識を向けておく、そういう意識を常に心の中に維持することができ、それによって休むことなく常に次へ向っていく、安定することなくさらに次へ、こういう波動が刺激され自分の次なる段階へと常に引き上げられていきます。いろんなものへ進化しながら成長していく、常に自分を振起させながらも成長していく、そういう波動となってあなたに影響を与えていると思っておいてください。

Hideyukiさんの波動を見た時、あなたの波動の繊細な部分にとても面白い波動があり、この波動は多くの人に影響を与えていきます。自分自身で恐らく感じていないかもしれませんが、この繊細な波動は周りの多くの人に繊細なレベルで共鳴させ、同調させる特性を持っております。自分が何かに関心を示したり、感覚的なものを得たり、理解を得た時その波動がこの繊細さを通して周りに広がっていきます。それによって周りの人はその理解、感覚的なものをそれぞれの繊細な部分で受け取っていきます。ただそれを周りの人がどこまで自覚しているかはまったく保証はできません。周りの人の中でそれぞれが繊細さの部分の通じている人はそれを何らかの形で感ずることができるでしょう。繊細さの部分のどれだけ繋がっているかによって相手への伝わり度が変化していきます。この特性を生かすためには自分が何かに取り組んで何かを見つけた時、感動した時、喜びを感じた時常にそれが周りの人皆にも幸せな波動が伝わっていくように、この喜びが周りの人の全員にも広がるように常にそういうイメージを持っておくと本当に周りの人にそれだけの喜びの波動が広がっていきます。分かった、こういったことで良いのだ、そう喜びを感じた時、是非周りの人にその喜びを広げていってください。

Satomiさんの波動を見た時、あなたの波動に古来の日本人がつくり上げた本質的な波動が一部入っております。古来の日本人は一つの物事を達成するのに根気良く、一つずつ成し遂げ、そして確実に自分のものにするまでそこに向うという練習を続けておりました。味噌を作るにしても醤油を作るにしても時間を掛け、手間暇掛け、長い年月を掛けて熟成させ、仕上げてきました。そういったものに関与していた波動があなたの中に入っております。したがって、あなたはそれを活性化させればある一つの物事に対し、時間を掛け手間暇かけながらも確実に自分のものにしていく、焦ることなく本来の目的に従ってゆっくりと仕上げていく、そういう波動が活性化されていきます。そして自分が何かをする時決して諦めることなく、コツコツとやっていけば確実に成功に至っていきます。是非その部分の波動を活性化させ自分のものにしてみてください。

Yukariさんの波動を見た時、あなたの波動が今変化しつつあります。これまであなたに関与していた波動はあなたに対してかなり積極的に働き掛け、何かの目的を得るためにどんどんエネルギーを次から次と使うという波動が流れておりました。今は少しそれらのエネルギーの使い方がもっと効率良く、もっと効果的に使えるような波動の仕組みに変わってきており、力づくで波動を変えるとか、思いっきりやるというやり方ではなく、その時々の必要に応じて巧妙にうまくエネルギーを使っていく、必要な時に必要なものを必要な分だけ波動を使っていく、そういう効率の良い波動の使い方に変化してきております。したがって、あなた自身がそれを使いこなすために意志のレベルで無理矢理強く発しなくても、意志の方向性さえ正しければあとは多くのパワーを使うことなくその場その場の必要性に応じて巧妙にエネルギーが使われ、流れていきます。したがって、何かうまくいかないとかだめだとか思った時、無理矢理力づくで解決しようとか思いっきり何かしようと思うことなく、もっと楽に自然な流れでうまくいくように順当な波動がうまくいくことだけを考えてみてください。そうすることによって自分のエネルギーは自分にとって一番効率的な流れで展開していくものと思われます。

Mikaさんの波動を見た時、あなたの波動に大きなシンボルが見えております。これはあなた自身が自分が何者であり自分が今何故この流れを歩んでいるのかが明確に分かるシンボルになっております。あなたがこれを自分の手でいつ見つけることができるのか、いつ自分自身でこれに気付くのか、多くの仲間たちはただひたすらそれを願って待っております。これはあなたが自分で見つけない限り誰も言うことはできません。あなたがいかにそのシンボルに気が付くのか、自分でどうして良いのか分からない、そういう思いもあるでしょう。あなたにとって一番のヒントは周りのいろんな人々があなたに何らかのヒントを話しております。何気ない言葉、何気ない一言、そういった言葉の一つひとつがあなたのシンボルを見せようとするヒントになっております。他の人々からの言葉の一つひとつを注意深く聞いてみる、否定することなくまず受け入れてみる、こういう姿勢がとても重要になります。他人の言葉を通して自分の真実を見つけていく、是非その学びを進めていってください。

Akikoさんの波動を見た時、あなたの波動の大きな成長が見られます。ここ数年においてあなたの波動が大幅に変化してきており、これまでの流れと今歩んでいる流れでは大幅な変化が見られております。この波動が今年また変化していく可能性がたくさん残されております。あなたが決断すべき時やるべき時にそれをしっかりと決断し、行動に移した場合それは新たなる波動への切り替え、新たなる波動へ足を踏み入れたという機会かもしれません。そういう機会をうまく逃がすことなく自分のものにできるかどうか、それによって波動の変化がかなり変わることになります。今年予想される波動の変化によってもしあなたがそのタイミングをうまく掴んだ時、あなたの人生において大きな変化が訪れてきます。今まで自分が関心を持っていなかったところに急に関心を持ちはじめたり、これまで自分にとって当たり前と思っていたやり方が通用しなくなってきた時、それは明らかにあなたに別の流れに入ったという意味があります。その流に入った時、今度は自分のマインドのレベルで現実が本当に進んでいくのか、自分の世界のクリエーションが今よりも一層早く強く現実化できるようになっていること、それを実感するようになるものと思われます。新たなる波動の変化によってより一層自分の人生を楽しむようにしてみてください。

Sayokoさんの波動を見た時、あなたの波動に今年とても大きな変化が見えております。この変化はあなたにとってどのように感ずるのか、それはあなたの意識の持ち方に依存するものと思われます。自分の人生をどのようにつくろうとしていくのか、誰のための人生なのか、喜びをどこに持ってくるのか、それによって価値観はかなり変わることになるでしょう。でもこの変化はあなた自身が自分のためにうまく使う可能性がたくさん残されております。それをどのように位置付け、どのように自分のものにしていくのか、それは思い、考え方、理解の仕方、たったそれだけでかなり違ってきます。どの観点からどう考えるのか、どういう風にして自分というものをつくり上げていくのか、たったそれだけで流れの評価がかなり変化していきます。自分の今後の人生のために今自分はどういう風に自分を認識するのか、改めてそこに意識を向けてみてください。

Jun-ichiさんの波動を見た時、あなたの波動に今あなたの心から生み出されてくる新たなる波動があり、これはあなた自身に日々新たなる世界をつくり上げております。一瞬、一瞬新たなる波動があなたに流れてきて、それがあなたの新たなる自分をつくり上げておりますが、この波動がこれまでとはより一層違う波動となって現実に影響を与え、あなたの意識によってそのまま現れやすくなってきております。これまではあまり信じていなかった自分の現実が自分の思いでできるということをほとんど信じていなかったというエネルギーで現実がつくられており、それによって現実化の関連性がほとんど認識されていない状態になっておりました。しかし今流れてきている波動は確実に自分の現実は自分でつくり出したもの、自分でつくり上げたものというのが分かるように流れに入っております。もうそれは否定することはできないくらい明確な流れになってきております。それが分かる以上はあとは完全にそれを自分のものにする必要があります。一瞬、一瞬の思いがすべて現実をつくっていること、一瞬、一瞬発する思いによって現実が変わってくること、それを本当に受け入れ、自分にとって一番ふさわしい現実をつくっていく、是非そういう意識を確立させるようにしてみてください。

Naokoさんの波動を見た時、あなたの波動の中にあなた自身が自分で自分に対して思っているエネルギーがたくさんあり、自分自身が自分の思いでつくられております。あなたの思っている自分はほとんど自分自身でつくり上げたものであり、自分が自分をどのように思うかによってその思いがまったく姿を変えております。自分にとって評価しているところ、自分にとって判断しているところ、それは単に自分でつくり上げた一つのエネルギーであり、真実でなければ或いは周りが思っているものでもありません。これは自分でつくり上げた自分のエネルギーにまず気付き、不要なものはどんどん手放していく、もう自分にとって意味のないと思われる波動は自分の意識から追い出していく、まずそれによって自分自身の姿を本来のものに復活させる必要があるでしょう。そして自分自身の捉われから開放され、本来の自分にまず戻り、そして改めて自分の波動を素直に見た時、いかに自分が美しく素晴らしい偉大なる存在であるのか、今自分が生きていることだけでも本来はどれだけ貴重なものなのか、自分の生きていることに対しての価値観を一新させる状況になるでしょう。今の自分の生きていること、今存在していることの重要性、素晴らしさが分かった時改めて自分に対しての生き方、今後の自分の見方が新しくつくりかえられていきます。自分自身が本来の流に入るためにも、まず今自分に対して本来の光を復活させることをやってみてください。

Yoshieさんの波動を見た時、あなたの波動に今大いなる光が近づいてきてあなたに新たなる可能性を見せております。あなたのこの新たなる可能性を自分のものにして前に進んでいくのか、それともただ光を見るだけでそのままにしておくのか、あなたがその決断をする時期にきております。この新たなる光はあなたに大きな希望を与えていくでしょう。あなたがそれをしっかりと自分で手にするパワー、勇気、力があるかどうか、でもそれをしっかりと自分の手で自分のものにした時、これまでにはないまったく新しい素晴らしい流れが訪れることになります。自分の人生のために今自分は何を採用するのか、どこへ向うのかはっきりとそれを見抜けるように意識をもっていってください。

Megumiさんの波動を見た時、あなたの波動に今あなたが本当の自分を理解し、本当の自分と繋がり、そして本当の自分を表現しようとするとても良い波動が見えております。この波動はあなたの魂が表現しようとしているものであり、あなた自身の本来の姿が自分で三次元化させている最中と言えます。あなたの具現化している状況の多くは魂がまさになそうとしていることであり、あなたはそれをうまくキャッチして三次元的に具現化している状態と言えるでしょう。あなたの三次元的な表現に対し魂やスピリットはとても良い感覚を得ております。いろんな現象が三次元の世界で起こるかもしれません。しかしそれらは魂やスピリットの世界では初めからつくられ、計画されているものであり、ある意味では流れに任せていてスムーズに展開していく状況と言えます。三次元的な判断で抵抗すると余計にいろんな干渉が起こって難しくなるかもしれません。とりあえずは魂やスピリットの計画に合わせてどんどん自分の肉体を合わせていく、進めてみる、まずはそれで自分が本当にどこに向うのかを見つけていってください。

Hiroakiさんの波動を見た時、あなたの波動に今年はとても大きな変化を身に付けております。あなた自身の意識の変化に関らず根本的な変化が何度か訪れてくるでしょう。でもそれらはさらに高い波動へ高い波動へとステップアップするプロセスであり、あなたはそれを一つひとつこなすことになるでしょう。いろんな流れの中でプロセスを通してステップアップする時、これは本当に自分だけで良いのかどうか、自分だけがこの学びをし、成長していって良いのか、そういうジレンマに陥ることがあるかもしれません。しかし、基本的に学びは自分だけのものであり、また自分しかステップアップさせることはできません。基本的に成長は自分で行なうもの、進化は自分で選択するもの、それを理解したうえでまず自分をしっかり導いていく、他のものに対しては選択肢を与え、ツールを与えることはできても成長そのものを与えることはできません。まずは自分は自分のために成長し、他の人には選択肢とツールを与えておく、ある意味ではそういう割り切った意識で自分の成長をするようにしてみてください。

皆さん方の今の状況における波動を見てみました。これらの波動はそれぞれに意識の持ち方によって急速に変化したり、また意味がなくなったりする場合もあります。考え方一つでまったく違う解釈になる場合もあります。今の言葉の一言一言にこだわることなく、基本的には自分の判断で自分の気持ちで自由に解釈して構いません。

基本的には皆さん方が本当の自分に気がつき、本当の自分を表現し、そしてさらなる高いレベルへと意識を上げていく、ただそこに向う手助けをしているに過ぎません。皆さん方がさらに進化しいろんな波動へとパワーを使うことができる、そこへ向ってさらなる学びを進めていってください。それではここで休憩を取ります。ありがとうございました。


A師を求めないこと

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今日は日本の伝統的なもの、知恵、古代の大いなる知恵をいかに現代に通用させるように磨き上げるか、こういった観点からお話をしてきました。今の日本のいろんな人々の意識を見た時、世代間を越えてお互いに理解し合う、分かち合うという波動がだんだん減ってきており、同世代間だけで分かち合う、同じ意識を持った人々同士で共有し合うという限定された意識が広がってきております。

そのために、多くの人々が繋がろうとする時どうしても核のようなものに分裂したものを繋ぎ合わせる状態になり、一人ひとりが自由に繋がって全体が一つになるという場が難しくなってきております。しかしこれからの日本の流れ、進化の状態を見た時、できるだけ一人ひとりがいろんな人に繋がっていく、一人ひとりが自由にいろんな人々と共有できるような心を身に付けていく、こういう意識の持ち方がとても重要になります。どうしても自分にとって安心できる存在、信頼できる人、そういう何か自分にとっての核になるようなよりどころになるような人々を見つけて、まずその人との間で分かち合う、場合によっては自分の師となるものを探し求めて、師からすべてを教わる、こういう意識がとても根強く残っております。これは全体がうまくまとまるという波動よりはどうしてもそれぞれの分裂した核のような状態を存続させることになり、協調的な共有的な波動が育たない状況になってしまいます。

一人ひとりが師を求めるのではなく、自分がいろんな人と分かち合っていく、自分は自分と繋がるスピリット、神の意志とだけ繋がり、自分にとっての師は自分自身であること、それをしっかりと理解してお互いに同じ人間として分かち合っていく、共有し合っていく、是非そういう心で一人ひとりが自分の心を磨いていっていただければと願っております。

今日本においてはこういう世代間のギャップ、違う趣味を持った人、違う好みを持った人とのギャップがどんどん大きくなっており、全体が一つに結びつくことがかなり困難な波動になってきています。いかにこれを自分たちの意識で変えていき、世代の違う人、趣味の違う人、好みが違う人同士がいかにまとまって分かち合っていくのか、趣味や好みを越えてまず普通に話し合える、まずお互いに理解し合える、是非まずそういう社会をつくっていって今後素晴らしい日本の時代にもっていっていただきたいと願っております。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2005 CentralSun
前へ戻る