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2003/7/21■月曜交流会から

自分を表現することは重要

@自己主張しなくなった日本人

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。私たちは今皆さん方の波動を感じてこの日本についていろいろと話をしてみたいと思います。皆さん方の心の中に日本人として持っている波動があり、この日本人として持っている波動は日本人にしか持つことのできない波動も含まれております。日本人にしか持つことのできない波動、そう言うと何か特別な不快な思いを持つ人がおります。人間はすべて同じであり、優越感や選民意識が良くないという意見があるからです。

確かに人類の差による優劣は存在しております。ただ波動として日本人が持っている波動があれば、他のそれぞれセム族やゲルマン民族、それぞれの民族ごとに持っている波動があり、日本人には持つことのできない波動を持っている民族もたくさんあります。そういう意味においてそれぞれの民族ごとに波動の特徴があり、日本民族はその一つとして日本民族しか持つことのできない波動を身に付けるという意味を言っております。もしすべての民族が同じ波動であるならば民族の違いが出てくることはありません。

まったく同じ波動のものを神は創造しないからです。神が創造するものはすべて違う波動のもの同士であり、同じものをまったく同じように創ることはまずありません。したがって、民族の種類がたくさんあればあるほど、それぞれその民族にしか持っていない波動の種類があるという意味があります。

日本人が持っている波動、それが何であるのか、多くの人は日本人という言葉を耳にした時、協調性とか仲が良いとか、団結、協力し合うという波動を述べてきます。確かに日本人は一人で行なう場合はほとんど能力が発揮されず、他のどの民族と比べてもあまり目立つ行動を取る人はおりません。

それに比べ団体で集まり、多くの人で一つになるような活動をする時、とてつもない団結力やチーム力を見せる場合があります。日本人の持っている特徴はお互いをうまく理解し合い、一つになって物事に立ち向かうという波動があります。いろんな人がいても心を一つにして成し遂げていく、意見の食い違いがあっても心が一つになって調和を保ち、一つのことを成し遂げていく、こういうことによって全体的にとてもうまく進む場合があります。

元々日本人が持っている波動がそういう行動力をつくり上げております。日本人自身は自分一人で何かをするというよりは全体の和を保ち、全体で成し遂げることを喜びとする、こういう光があります。むしろ自分一人がうまくやっても全体がうまくいかない時には満足することはなく、やはり自分は少し抑えてでも全体がまとまる方向へと意識を向けていく、こういう思いも日本人にありました。

しかしその向きは少しずつ強調されてきて、自分の個性を発揮することなく、全体に合わせていく、全体を合わせるために自分の意見を言わなくなっていく、個性よりは全体性を大切にする、こういう方向へと変化していく、いつのまにか自分を表現しない、個性を現さないという民族になってしまいました。

今の多くの日本人が控えめであまり表立った行動はせず、全体の流れに任せていく、こういう波動を身に付けております。したがって、こういう波動の中で全体がまとまるような状況が出てきた時、確かに全体はまとまり個性が発揮できないままある程度のレベルをこなすことができます。

これをもって日本人の本来のエネルギーとか、日本人の本来の働きという言葉を使っているのであればそれは大きな勘違いと言えるでしょう。個性を発揮することなく自分の意見や主張をすることもせず、ただ全体に合わせて自分を殺して全体を生かしていく、こういう生き方を今の日本人は徹底的に植え付けられており、当たり前と思っており、少しでも目立つ人が出てきた時にその人を変に思ったり、その人がまるで調和を乱すような行動を取っているかのように決め付けてしまう場合があります。

全体をまとめるために自分の意見を言わず、主張せず、表現しない、これは日本人のエネルギーではありません。まさしく日本人をだめにするエネルギーと言えるでしょう。日本人を封印させこの地球から日本人をないもののようにしてしまう、こういう働きのエネルギーになります。何故ならば本来の日本人は一人でも太陽のごとく輝く必要があります。

たった自分一人であっても太陽のごとく自分が燦々と輝き、活力が自分から出ていき、他の多くの人に勇気付け、活気付け、その人が喜びを持てるように光やエネルギーを与えていく、これが本来の日本人の働きになります。したがって、多くの人と集まってきた時、全体を優先する度に自分が輝きを抑えるとか、自分の光を抑制〜〜(電池切れによる電池交換)〜〜自分がしっかり自己主張しながら、また一人ひとりがしっかりと自己主張しながらも全体がそれ以上にうまくパワーを発揮し、調和を保ちながら素晴らしい働きをしていく、そういう状況をどうやってつくり上げていくのか。

昔の日本においてはこれがうまく行なわれておりました。昔の日本の意識と今の日本の意識では何が違うのか、それをよく考えてみましょう。今の皆さん方の心の支えが何であるのか、全体をまとめようとした時、他の人と協力し合おうとしたとき、基準や価値がどこにあるのか。

一人ひとりが得になるのか、得にならないのか、自分にとって良いことか悪いことか、それによって誰がどういう利得を得るのか、そういったところから判断を行ない、自分がその中でやるべきことを考えていきます。

それによって自分があまりメリットがない時、不平を述べ、メリットがある方向へと自己主張しようとします。そのためにお互いにそれを主張し合うと、いつまでたっても全体が一つにならないという現象が起こります。

では昔の日本人はどのように考えていたでしょう。心の支えが何だったでしょう。今のような学校教育はありません。テレビや新聞もないために情報による価値観の操作もありません。どのようにして一人ひとりの価値がつくられていったでしょう。

天皇やお上から下された言葉、武士の生き様、それぞれの地域で人格のある人々たちがいろんな教えを説いていく、こういう時代がありました。それぞれの時代において心の大切さを説いたり、人間としての生きるべきあり方を説いている人がおります。

そしてそういう人たちの言葉を大切にし、自分もそれを目指そうとして頑張っておりました。そしてそういう話を聞いたり、教えを聞くと多くの人がそれに賛同し、それに向けて信頼感を持って協力し合うという波動がつくられていきました。

したがって、多くの人が集まって何かを成す時、一人ひとりは自己主張し、表現しながらもある一つの価値観の中でまとまって、お互いが尊重し合いながら全体が一つになるという状況がつくられておりました。

天皇を大切にしながら、武士の態度を参考にしてそれぞれが相手を尊重した行動を取っていく、こういった基本精神を元にして人間関係がつくられていきました。今の時代において、天皇はおろか皆さん方の心の糧となる人格者、自分が目標とする有徳者がどれだけいるでしょうか。

学校で習った素晴らしい人々は物語の世界で終わってしまい、自分の身近な人の中で人格的に尊敬できる人、自分の目標とする人がどれだけいるでしょうか。仮にいたとしても自分が素晴らしいと思っても、他の人はそう思わなければ共通点は出てきません。

その中で意見を交換し合ったり、主張し合ったとして一人ひとりの心の価値の基準が違うためにお互いがまとまることがありません。結果的にいろんな人が集まって話しをしても自己主張するだけで全体が一つにまとまることがなくなってきております。

では今の時代において、一人ひとりが自己主張しながら全体が一つにまとまるにはどのようにしていくのか。昔の天皇に代わる素晴らしい人格者、有徳者、そういった人々がもし現れてきた時、それを参考にして自分が心の目標にしておく、進むべき見本となる、ましてやその人がまるで神の姿を人間的に具現化したと思われるような素晴らしい人である時、自分の目標となって、その人の考え方や行動の仕方に参考となっていくでしょう。

今の時代において、言動を見た時、皆さん方が神のように尊敬できる人として誰がいるでしょう。以前マザーテレサがその代表的な人間として世界的に有名でした。彼女のように愛を多くの人に与えて、自分の体よりも多くの人の健康や幸せを願っていく。

ただこういう素晴らしい人は物語や話のネタにはなっても直接自分が目標とする具体的な人間にはなりませんでした。彼女だからできることであって私にはできない、私はそんなに愛がない、私とは別の生き方、こう割り切ってしまって自分の目標に持ってくる人はほとんどいませんでした。

では自分は何を目標にしているのでしょう。そういう愛を備えた人を目標にするわけではなく、素晴らしい人格者を目標にするわけではなく、かといって、素晴らしい金持ちや有名な人が来れば嫉妬を感じてしまう。身近な人にそういう人がいれば悪口を言ってしまう。これが日常行なわれている言動になっています。何を目標として日常を活動しているのでしょう。

今までの日本の歴史の中で今とてもエネルギー的に難しい状態にあります。日本人の一人ひとりが自分が何者であり、どこに向うのか、自分が分らない状態になっています。自分が何のために今生まれているのか、何のために今ここにいるのか、それが分らなくなっているために、これから何をすれば良いのか、どこへ向えば良いのかも分らなくなっております。

今自分がなすべきこと、その方向性が分らなくなっているために、そういう意見が出回ってしまいます。単純に今目の前にいる人に奉仕をする、今目の前にいる人に光を与え、愛を流していく、こういう単純な原理が分らなくなっており、目の前の人ではなく、誰かもっとすごいことをやるために生まれてきた、目の前の人には興味なく、もっと素晴らしいことに興味がある、こういう意識から、つい本来やるべき目の前の人への奉仕を後にして、別のところに意識を向けてしまいます。

自分が今なすべきこと、今自分が改めてしっかり生きるために何が必要なのか、一人ひとりがよく考えてみる必要があります。自分が物事を考え、その時の価値基準となっているものが何であるのか、何故自己主張しないのか、何故表現しないのか。全体の和を崩す、もしそういうのであれば、それはとても大きな勘違いと言えるでしょう。本来一人ひとりの表現を合わせたものが、全体の表現になるために、表現しないということは、それ自体全体に対して何もエネルギーを出しておりません。表現をしたことによって全体が崩れるということは本来存在しません。

むしろ何も表現しないことが全体のエネルギーを何も発動していないことになります。自分が本当になすべきこと、この日本や地球のためになすべきことが何であるのか、一人ひとりがそれをしっかりと考え、理解していっていただきたいと思います。

日本人が自己主張をしないで場に流れてしまうという、こういう波動はかなり以前から日本に蔓延っておりました。ただし、以前はお上や権力者、パワーを持つものに対して徹底的にねじ伏せられた時期があり、その時に押さえ込んでしまう状態としてつくられてしまいました。

権力者に立ち向かうと痛い目に合う、力あるものに逆らうと余計に痛い目に合う、こういう経験からいつのまにか口を閉ざしてしまうエネルギーがつくられてしまいました。それがいつのまにか今権力者や皆さんを封じる存在がいなくなっても、自分で口を閉ざしてしまい、表現しない状況につくりかえられております。

これはとても残念な波動であり、もう今の時代においては一人ひとりがしっかりと自己主張し、表現する状況に戻って構わない時期にあります。しかしやはり相当強いエネルギーで皆さん方が抑制されたのでしょう。日本人の多くの人が表現せず、何も言わず、ただ従う、強いものに従うという波動になっております。

これはシャンバラではなく、また一人ひとりが太陽になっているわけでもありません。日本人がしっかりと目覚めるためにまずしっかりと表現する、自分を表現していく、これが出発点になります。どのような学びにおいても自分を表現しない限り自分は何も光を出してはおりません。

自分の行動によって光が出ていき、光と愛が出ていき、そして周りの人に自分の奉仕のエネルギーが流れていくのです。今自分ができることが何であるのか、すべきことが何であるのか、一人ひとりゆっくり考えて今後のことを見つめてもらいたいと願っております。それではここで少し休憩を取ります。ありがとうございました。


A表現することからすべてが始まる

私たちは光のハイアラーキーとして話をいたします。今日は一人ひとりの表現、自己主張ということと全体の進化、方向性についての話がなされております。一人ひとりが自分の主張を行なうことにより全体的に素晴らしい和となって喜びや愛に満ちた流れへと向っていく、これが理想的な流れの状況を表しております。

しかし現実的に見た時、自己主張する時に自分の利益を考えてしまい、自分が得すること、自分が楽することをまず意識してそれに向けて他をコントロールしていく、他を利用していくというエネルギーが出され、そこにパワーが入っていき、他のものをコントロールしていつのまにか全体の方向性が自分の思う方向へと向っていく、結果的に自分が得をし、楽をする、これで味をしめたものがさらにもっと、もっと自分の得になること、楽することを願って、皆で和を創る時に自分の方向へとうまくコントロールしていく、これの連続によって今の社会が出来上がっております。

したがって、皆で話し合ったり、相談をする時にそこで一番コントロールのエネルギーを持っている人、パワーの強い人にその場全員が流れていくことになります。今まで皆さん方は正しい方向、光の方向ということを常に意識し、全体で何かを決める時、決断を出す時、常に論理的に正しいこと、真理の面から見て善なる方向を願って意見を言い、表現し、そしてそう決断が出されることを願っております。

でも私たちの観点から見た時、結果的にそこで下された結論は必ずパワーの一番強いもののエネルギーで判断が下されております。そこで出された結論に従うことによってそこに参加した人の一番パワーのある人の流れに動くようになっていくのです。

一見言葉尻としては差し触りがなく、天の方向に向かい、善の方向に向っているように議事録にまとめられ、会議録に書かれたとしても結果的にはパワーの一番強い人間の流れに進むようになっているのです。これが今の皆さん方の社会における実態と言えます。

したがって、いくら話し合おうとも、いくら何度も、何度も会議を重ねても、何も事態が変わらない、何が現象は変わらないという場合は常にその場で一番パワーの強い人間が参加し、思うとおりに持っていかせようという思いを入れている場合におこる現象になります。

今の日本の政治の社会や教育、病院の世界においていくら意見が交わされても制度が変わることなく、人間が変わることがないのも、こういう理由から行なわれており、そこに参加するものが何とかして自分の思うようにもっていかせたい、自分の願っている方向へもっていかせたいという思いがある限りは、その強いパワーに他のものすべてが巻き込まれてしまいます。

ではこういった状況になる時に、善なる方向、宇宙の光の方向へ向わせるためには、どういうことをすれば良いのか。自分自身がそのエゴのパワー以上の光のパワーを出すしか方法はありません。本当に自分の信じているパワーが一番最高のパワーで、宇宙の法則、神の法則へ願った方向へと流れていくように、多くの人が愛と幸せに満たされる方向へと確実に願っていく、誰か一人のパワーの強いところに流れるのではなく、多くの人が恩恵を受けるような流れへと強い思いを抱いていく、一人ひとりがそれを確実に願うしか方法はありません。

しかもそのエネルギーは黙っていて発揮される場合があれば、表現することによって発揮される場合があるのです。つまり黙っている時には自分の心だけの世界になるために、自分がいくら強く言っても場合によっては自分一人のエゴになってしまう場合すらあるのです。宇宙のため、皆のためという自分の思い上がりだけでエネルギーがつくられてしまう場合があり、自分が心で強く願えば願うほど自分だけの思い上がりの世界になってしまい、他の人は何も分かっていない、自分は愛と光を信じている、そういう場をつくってしまう場合があるのです。

そのためにもそれを表現することなのです。自分が光の言葉を表現することにより他の人の光の心を刺激させ、他の人もやはり皆の愛と幸せを願っていこう、誰か一人のためではなく、皆が幸せになることをやっていこう、他の人がそういう風に心が刺激され、それによって光が流れてくるのです。

そのために表現をしていただきたいということを何度も言っているのです。いくら自分は正しいことを考えている、自分はまともなんだ、そう思っていても自分の心の中だけで閉じてしまえばそれは思い上がりにしか過ぎません。エゴなのです。

表現し、他の人の光の心に訴えていく、問い掛けていく、他の人の心の中から光の部分を導き出してあげる、これによって多くの人が愛と幸せの方向へと光を流していく、そして多くの人の愛と光のエネルギーがごく一部の人のコントロールのエネルギーの上にいった時、そこで下された決断や方向性は光の方向へと出ていきます。

しかしまだまだ光の量が少ない時は個人のとてもつない巨大なエゴのエネルギーが優先してしまい、その人の個人的な流れに進む場合もあるでしょう。今の日本の場合にはそういうたった一人の巨大なエネルギーによって多くの人は動かされております。

そしてそれに甘んじているのです。しょうがない、あの人はこうなんだ、こういう社会なんだ、こういうものなんだ、こうやってはじめから諦めてしまい、多くの人がまったく光を出していない状態なのです。今の皆さん方の話を聞いていてもそういう感じを見受けました。

今そういう社会なのでしょうがない、自分一人が言っても意味がない、やはり強い人に流されてしまう、はじめから諦めてしまう感覚を受けてしまいました。たとえだめでも自分は少数意見でも光の言葉を出していく、多くの人が愛と幸せに満たされるような選択肢を自分は表現していく、皆さん方がそれをしない限り他に誰もする人はいないでしょう。

皆さん方がそれを率先してやっていく立場にあるのです。ライトワーカーだからです。皆さん方はイニシエーションを受け、ブラザーフッドと共に歩んでいるのです。イニシエーションを受け、ブラザーフッドをガイドにしている人が口をつぐんでいる、じゃ、誰が今の社会を変えていけるでしょう。誰が今の状態をシャンバラに変えるのでしょうか。

皆さん方がしない限り先には進まないのです。仕方ないとか無理、こういう日本なんだから、こういう言葉は皆さん方を惑わす悪魔のささやきであり、皆さん方の働きを封じ込もうとする作戦なのです。無理、仕方ない、だめ、こういう言葉に惑わされることなく、自分一人でも良いから表現してみる、自分は正しいことを常に行なって、多くの人が愛と光の方向へと行けるように行動していく、常にこういう意識を持って強く生きていっていただきたいと願っております。


それではアドバイスをしてみます。

Yasuhiroさんの今の状況におけるエネルギーを見た時、やはり多くの人の場の中で自分が存在している時、多くの人の場の協調性や全体の意識を大切にする波動が感じられます。これはこれで全体がまとまったり、うまくいっている時にはとても良い波動を出すでしょう。しかし全体が間違った方向に進んでいる時、全体が自分の思いとは違う方向へ進んでいる時、自分はどういう言動を取るか、自分が何かおかしいと思った時、おそらくそこから自然といつのまにか出てくるやり方を取るでしょう。そこにおける方向性が間違っているとか、宇宙の法則から見て違うということを表現するのはとても難しいと思います。確かに面と向って争ったり、いちいち対立する必要はありません。その時、その時、一番良いやり方を見つける必要があります。ただいつもそこからいつのまにかいなくなるやり方を取っていると場は何一つ変わることはありません。結局場を変えないで自分だけが正しい方向へと向うという選択をするために結果的にエゴのエネルギーをつくり上げる傾向もあります。自分はどうなってもまず全体がとにかく正しい方向にいく、場合によってはこういうエネルギーも必要なことがあります。ただこれも場合によってはであり、これを前提にするといつのまにか集団主義的な流れに入ってしまうために、またデーモンに利用される状況になってしまいます。うまくそういったところを考えながら自分を大切にしながらも全体の方向性を常に見据えておく、多くの人が愛と幸せに満ちた方向へと常に進むように意識を持っていく、そういう考えで行動を続けるようにしてみてください。

Yasukoさんの今の和のエネルギーを見た時、先ほど表現されていたようにあなた自身は全体の流れと自分の主張をある程度うまく使い分けております。自分が納得できないことは自分を無視して、相手に合わせたりすることはなく、とりあえず自分の表現をしておく、その場の中で自分の納得できるように表現をしておく、でも常にあなたは全体のことを考えながら行動するために、あなたの意見は他の人にしっかりと届いております。ただ他の人にとってあなたのその言葉はとても鋭く突き刺さってきます。自分たちはとりあえず全体性よりも仲良くやること、全体の和を保つことを考えているために、全体の方向性や一人ひとりの主張を尊重するということができなくなっております。これは多くの日本人の持っている意識であり、どうしても方向性よりは今の現状維持を好むという流れに入ってしまい、進歩を留めてしまいます。この現状を打破するために、あなたが取ってる行動そのものは正しいと言えるでしょう。でも結果的にそこに争いが起こり、不穏な空気が流れ、ネガティブな波動が広がってくると結果として愛ではない行動を取ったことになります。つまりそこでは愛とは何であるのか、確かに方向性も大事ですが、お互いに不快なエネルギーが充満する時にそこにデーモンが入りやすい状態になるために、愛とは中々表現しにくい場をつくり上げてしまいます、したがって、うまく相手が愛に満たされながらも、一人ひとりの自己主張を行い、全体も良い方向へと持っていく、そういうやり方をこれから学んで勉強して身に付けていく必要があるでしょう。これはあなたに限らず多くの人のテーマであり、また日本自身が持っているテーマとも言えます。そういった方向性で流れを考えるようにしてみてください。

Seikoさんの今の波動を見た時、あなた自身の和とか協調性に関しての波動は、今自分が精一杯取ろうとしている限界の中での行動という風に自分で理解しております。自分のできることを一生懸命行い、自分の最大限の能力の中で相手に合わせ、自分を保っている、そういう感覚のように感じられます。これからの流れにおいて、ある程度自分の限界をぶち破り、自分をもっともっと今とは違う大きな自分につくり変える必要があるでしょう。今自分が感じている限界、自分の持っている制限というものを自分自身が打破し、自分で自分を超える必要があります。それによって自分の限界が何であるのか、自分の能力はどこまであるのか、それをどこまで自分自身で理解する必要があります。あなた自身の持っている力やパワーは今のあなたの思っているほど小さくはありません。もっと多くの人に影響を与え、多くの人とエネルギーをやり取りする大きな器を持っています。それをわざわざ自分で小さくつくっているために、ある一定以上の波動が表現できない状態になっております。自分の限界を自分で設定せず、もっともっと大きな観点での成長を身に付けていってください。

Izumiさんの心の和を見た時、あなた自身はもういろんな人やいろんな民族との出会いの中で和というものをあなた自身の心の基準で立派に理解しております。日本人に限らず、いろんな年代の人、いろんな地域の人々における和や協調性、仲間とか意識を身に付けております。したがって、あなた自身のテーマとしては、そういう小さなレベルではなく、本当に地球単位で見た場合の宗教を超えた民族の和、国境や人種を超えたレベルの人間の和をテーマにすることになるでしょう。言語を超えた場合、どこまでお互いに理解し合い、表現し合うのか、言語では表現しにくいレベルをどうやって理解し合うのか、こういったことがテーマになってきます。多くの人々が言語に依存し、言語で表現し、言語で理解しようとしております。そのために言語に左右されるところがとても大きく、いい間違いや解釈の違いによって誤解されたり、コミュニケーションが取れなかったりしております。あまりにも言語に依存しずきているための弊害ともいえるでしょう。この言語に依存し過ぎている今の現状から少しずつ本当の理解の仕方、本当のお互いの心の在り方を求めるために、どのようにしてもっていくのか、そういったところが新しいテーマになってきます。今後の時代に向けて是非ともそういう観点でいろんな人々との素晴らしいユートピアの状態を見つけていってください。

Mitsukoさんの心の和を見た時、あなた自身の心の波動の中に自分と他人との間に何か大きなエネルギー的な障壁が感じられております。自分自身を見てもらう場合、自分と他人が接する時に一つのエネルギー変換が自動的に行なわれており、それによって他人と接する時、他人に対しての何らかのエネルギー的な流れがつくられていきます。そしてそれは自分にとっての価値観をつくりだし、一人ひとりに対していろんな思いが自分の中に流れてきます。これからの時代に向けて自分がいろんな人との繋がりをつくり、ユートピアを創るためにはそこのエネルギー変換の回路をもう少し効率良く、自分からの愛が相手に流れやすくなり、相手の愛を受け入れる自然な流れに作り替えていく必要があります。自然な愛の流れをやり取りするためには人間同士接する時の価値観、思い、それに出てくる感情のレベルをもう少しクリアにしておく必要があるでしょう。人間と接する時の期待値やそこから得られるもの、そこに抱く感情、いろんなものを整理し、不要なものはあまりその要素に入れないようにしておき、純粋にお互いの愛のレベルでの繋がりをつくっておく、そういう風に原点に立ち戻って人間関係のエネルギーの流れを作り替えた時、あなたは純粋に多くの人とエネルギーのやり取りを行なえるようになっていくでしょう。そうするといろんな人間に対してのエネルギー的な流れがスムーズになり、あなた自身も多くの人の中で一際愛のある人間として目立つようになっていくでしょう。

Naohiroさんの心の和を見た時、あなたの心には掛け替えない素晴らしい光が宿されております。この光はあなたが小さい頃からずっと身に付けていた光であり、何かを信じ、それに向って立

ち向かうという強さが養われております、そしてこの光をあなたはずっと信じてこの光を具現化しようとしてこれの学びを進め、自分が身に付けるためにいろんなワークを進めてきました。あなたはそれを今確実なものにしようとしてるさらなる学びを続けようとしております。あなたはその信じているもの、心の中にある素晴らしい輝きを具現化すること、これを行動に移すことを目標にしております。これはあなたの流れにとても良い影響を与えるでしょう。自分の目標とするもの、理想とするものがあり、具現化しやすい状態になります。したがって、いろんな人とコミュニケーションを取る場合でも、この目標にしたがって、自分が正しく行動をしていけば、そんなに大きな間違いは冒さないでしょう。ただ多くの人と交わり、何かを決める時、それぞれが自分の思いで方向性を言うために全体の方向性が噛み合わない場合が出てきます。したがって、今あなたの信じているこの大きな輝きがどの方向に向っているのか、宇宙の法則、神の法則から見た時、その内なる大きな輝きがどういう状況にあるのか、それをしっかりと捉えておく必要があります。そのためにはあなたの大いなる輝き自身が時と場合によって成長し、進化し、方向も時々変わる場合があるということ、常に一つの方向に固定的に決まっているわけではなく、その時、その時の状況によって一番最適な光を発していく、そういう柔軟な姿勢で光を見ていくと、その奥に潜むもっと大きな光が感じられてきます。そういう観点でその輝きを見、それを具現化するように意識を持っていってください。

Michikoさんの内なる和を見た時、あなたの心の中にとても素晴らしい輝きと自分自身に対して持っている、自分を何か光を崩してしまう波動が同時に存在し、この葛藤の中でいつも生活を続けております。あなた自身の素晴らしい輝きをわざわざ自分で別の角度から光を消してしまう働きがあります。これはあなたが小さい頃から身に付けていた自然な反応になっているために自分では意識しておらず、何も分からないかもしれません。しかし、今あなたはそれにしっかりと気付き、それを手放す時期に入ってきております。あなたを否定するものは何一つ存在せず、あなたは光だけであり、愛だけであり、十分にそれで自分を自己主張し、生きることができること、あなた自身が自分でつくり上げた幻想で自分の輝きを消してしまい、見えなくしていたこと、もうそれをしっかりと理解して、自分をコントロールするもの、自分を否定するものは本当はどこにもいなかったということ、はっきりとそれに目覚める必要があります。あなたがそれに気付き、完全に手放し、本当は愛と光を手に入れたとき、あなたの人生は一変していくでしょう。これまでとはまったく違い、すべてが自分の願う方向へと進むようになります。そのためにも自分の心の中の自分を否定する思いをすべて取り去り、100パーセント完全なる愛と光として行動するようにしていってください。

今日は日本人の心についていろんな話をしてみました。日本人にとって表現するということはとても苦手な働きのように感じられます。そういう風に教育され、家庭においても育てられてきたために、表現の仕方が分らないという場合もあるでしょう。でもそれは今までがたまたまそういう社会で皆さんがトレーニングしてきただけのことであり、これからの社会ではそういうやり方はまったく通用しません。

通用しないばかりが自分をどんどんだめにしてしまいます。今からでも決して遅くはありません。自分を表現すること、思っていることを正しく行動に移していく、しっかりとそれを具現化し、そして日本に新しい光とエネルギーを入れていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2003 CentralSun
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