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2001/6/25■月曜交流会から

現実を創るのは意志と愛

@現実を創るエネルギーを獲得するまで

私たちは光の仲間として話しをいたします。私たちは皆さん方の成長のためにいろんな仕組みを作り、皆さん方と共に成長を重ねております。皆さん方が人間として肉体を作り、人間という制限の中で体験を重ね、人間でなければできないことを、人間という素晴らしい場の中で、自分の世界を創ろうとして体験を重ねております。皆さん方が体験している一人ひとりの現実は、今、皆さん方にとって、最高の現実であり、この現実を体験するためにいろんなエネルギーを身につけてきました。今、皆さん方が何気なく、ごく普通のこととして体験している一つひとつの現実でも、この現実を作り出すために大変な経験を重ね、エネルギーを身につけてきました。

例えば、Kenjiさんの場合、今、何気なく体験しているこれらの現実においても、あなたはこの現実を勝ち取るためにさまざまな領域で人間としての経験を重ね、自分の意識レベルが現実として現れるのに必要な分だけのエマネーションを重ね、そして自分の思考がうまくエーテルに影響を与え、エーテルが物質を引き寄せるのに十分なだけのパワーを勝ち取るまで体験を重ねてきました。

Keikoさんの場合は、いろんな意識レベルの人間と出会うために毎回さまざまな人間の意識レベルに挑戦し、できるだけいろんな意識レベルの人間と出会うために、さまざまな人間に出会うための場を経験してきました。最終的な目標がいろんな意識レベルの人間という条件であっても、それをどのようにして自分のものにするか、どうやってその場を作り出すか、そこに大変な努力が行なわれ、地球という場を調べ、この地球の場において考えるさまざまな人間の意識レベルを想定して、それに似合う場を体験してきました。

Tsuyoshiさんにおいては、自分自身の光の限界をどこまで高め、自分の持っている光では現象化に結びつかないという最大限のところまで光を探し、そのレベルまで現実を追い求め、その範囲内でさまざまな波動を体験するという練習を重ねてきました。そして自分の光では感知できない人間たち、自分の持っている能力では理解できない人間たちとどのように出会い、どういうふうに惹かれ、どういうふうに環境を作り上げていくか、そういったことを何度も繰り返して自分のできないところで、お互いに関係し合うように自分の限界以上のものが手に入るようにいろんな場を体験してきました。

Minoruさんにおいては、自分という意識レベルから多くの人間を理解するのではなく、もっと本質的なところから、多くの人間に直接繋がっている本質的なところからすべての人間を同時に一気に、すべてを理解できるような方法を常に探し、その秘密を見つけようとしていろんな場を体験してきました。


一人ひとり自分なりに人間との接し方を考え、どういうふうにして人間と接するか、どういうふうにして自分と違う波動の人間と環境を作っていくか、それを考えてそれにふさわしい接し方を作り出してきました。人間が出会うというのは、簡単なことではありません。出会うためにはお互いの魂で約束し、共通のエネルギーを作り出し、お互いに出会う状況を作り出し、そして三次元生活において、それを元にしてどう意識的な成長が得られるのか。それらをすべて考え、それから肉体を作り出して、現実におりてきます。こういう契約が作られていないものは、お互いに出会って成長し合うということはできないようになっております。

誰でもただ自由に出会うとか、偶然出会うということは決してなく、すべてがお互いの計画の中で進められております。したがってお互いが出会うということは、そこに必ず何らかの意味があり、またそこから学ぶべきテーマが存在しております。会うたびに必ず不快感を抱き、いつも否定的な言葉ばかりが行き来するもの。こういう人々でさえも、お互いが契約をしてやってきております。

人間は最終的に愛を身につけ、愛とは何であるかを自分で追い求め、自分のものとして愛を具現化していくように作られております。ただそれを身につける過程においてお互いに非難し合ったり、罵り合ったりする状況はあるでしょう。それはあくまでも成長のための一つの段階に過ぎず、そこだけを見て、批判したり判断するものではありません。

そこからいかに自分の本来の愛を輝かせるように持っていくか、自分自身の本来の光をそこからどうやって引き出していくか、そこに意識を向ける必要があります。人間がお互いに出会って何かをする。楽しいことばかりではありません。嫌なこと、邪魔なこともあったりもするでしょう。しかしそこだけに意識を向けて、相手を否定したり、相手をコントロールしたところで、自分の気持ちは楽しくはなく、満足することもなく、愛が育つわけでもありません。しかしまだ相手を許すだけの力が身についていない。頭では分かっても心で相手を許すことができない。それはあくまでも成長の一つの段階であり、それ自体を否定したり自分を判断する必要もありません。あくまでも自分が向かうべき方向においての一つの段階であり、決してそこで止まったり、後ろに戻ったりしなければ、何一つ否定的に考える必要はありません。

皆さん方の日常生活において人間関係がとても難しく、大きな要素を秘めていることは容易に分かります。自分は一生懸命やっても誰も分かってくれない、評価してくれない、本当の意味を分かってくれない、いろんな思いがあるでしょう。こういう思いは皆がお互いに持っており、それぞれが自分のことを考えております。自分が自分のことしか考えていないために他の人の気持ちが分かるはずがなく、結果的にお互いに分かってくれないという思いを出していきます。

自分は相手の気持ちを分かろうとしないのに、自分を分かって欲しいと要求してしまう。分かってくれないと相手を責めてしまう。自分が相手の気持ちを分からなければ、相手を責めることはできません。もし自分の気持ちを分かって欲しければ、自分がまず相手の気持ちを理解する必要があります。何故そういうことをするのか、何故それが大切なのか。相手に合わせ、相手の基準で、相手の考え方で見ていく必要があります。

明らかに自分が正しく、相手が間違っている。相手が明らかにルールを破り、自分勝手に行動している。それが分かったとしても自分が相手を責めることはできません。人それぞれ生き方が異なり、学ぶべきテーマやエネルギーが違っております。自分はそう理解し、解釈し、そう判断したとしても相手はまったく別の基準で考え、判断しているでしょう。どちらかが正しいかとか、どっちが良いかという発想ではなく、お互いを認めるという発想が必要になります。

自分は自分の考えで自分の世界では通用する、相手は相手の考えで相手の世界で通用する言動をとっている。本来はそれだけであり、どちらかに合わせるとか、どちらかが正しいかという基準は何一つありません。お互いの価値観が違っている場合、どっちかに合わせるのではなく、両方とも正しく、両方に合わせていくという発想が必要です。まったく違う状況が繰り広げられている時、両方が正しいということは有り得ない、そう思うかもしれません。でも皆さん方の現実はそれが可能なように作られているのです。

皆さん方はまだ自分の現実をコントロールする能力を完全には身につけておりません。むしろ、現実は一つであり、皆が同じ基準で、皆が同じ価値観で生きる必要がある、そう信じ込んでいるために、考えたことが現実化する場合、地球人類の集合意識の一つのルールを通って現実化されていきます。そのために一つの現実しか感じられなくなっております。一人ひとりが自分の現実を自分の力で作り出し、それぞれが自分の現実を楽しむことができます。それに本当に気付き、理解し、分かった時には本当にそれが現実化していきます。一人ひとりが自分の現実を楽しむ、自分のペースで自分の現実を進めたところで、何一つ問題は起こらなくなります。

まだまだ皆さん方が現実をつくる能力は初歩的なところで、現実を使いこなしているという状況にはなっておりません。皆さん方はこれまでのいろんなエマネーションの過程において、やっと現実化する能力を身につけたばかりであり、現実を使いこなすところまでは成長はしていないのです。やっと思考が現実に現れるようになった、それを体験として感ずることができるようになった、まだこの段階なのです。今度は自分の現実だけではなく、それぞれが自分の現実を楽しみ、それぞれがいろんな現実を生み出していく。一人ひとりが作り出すいろんな現実を自分は認め、許し、また自分もその喜びを受けたいと思う。そういう感覚を身につけると他の人一人ひとりがいろんな現実を楽しみ、その喜びをまた自分のものとすることができます。

自分は他の人々がいろんな現実で喜んでいるのを自分も喜びと感じていく、いろんな人々の現実と繋がることができる、これが次の段階の現実のレベルになっていきます。現実をつくる能力がさらに高度になっていくでしょう。まず自分の現実を自分の力でしっかりと作り上げていく、社会の習慣とか概念、決まっているもの、そういった制約から解き放たれ、自分の現実は自分の意志でしっかりと作っていく、まずはしっかりとそこに戻っていく必要があります。

自分の意志でしっかり自分の現実が作れるようになると自分は他の多くの人々からの影響を受けなくなり、自分の現実を独立して自分の力だけで作ることができるようになります。そうすることによって自分は十分に自分の現実を楽しむことができます。でもやはりいろんな人々との繋がりが必要であり、また契約したエネルギーがしっかり残っております。自分一人が自分のペースで自分の現実を楽しんだとしても他の人が現実をつくる一つの流れに固執し執着し、しがみついている時には中々自分の流れと噛み合うことがありません。したがって他の人も他の人がうまくいくように、それぞれが自分の現実を楽しめるように手助けする必要が出てきます。一人ひとりが今までの流れから解放され、自分の力で自分の意志で現実を作っていく、それを導いていく必要が出てきます。

そして、それを行ない、自分の現実を作り出す人が増えてくると、皆さん方自身の現実もそれに応じて高度なものに変わっていきます。改めて現実というものが今とはまったく違う状況が分かってきて、今、体験している現実は非常にシンプルで表面だけのものであり、喜びが通り一遍であるということが感じられてきます。皆さん方は次の現実レベルに向け、意志を養い、パワーを養い、自分という世界を明確に理解して新たなる段階へ入っていってください。


A喜びを見つけて表現することの大切さ

私たちは別の話をいたします。多くの人々が自分の人生を考える時、否定的な面から考える傾向があります。私は幸せではない、つらい、楽しくない、そういう言葉を何度も口に出し、いかに自分の人生が他の人よりも低く、楽しくなく、惨めなのか。それを口に出している人がおります。しかし実際には一人ひとりとても素晴らしい種がたくさん用意されており、またいくらでもそれを喜びに満ち溢れたものに変えることができるように作られております。喜びに変化させていくか、何も喜びを作り出すことなく無味乾燥で終らせるのか、あるいは不満ばかりを作り出していくのか、それは一人ひとりの責任に任されております。

したがって多くの人は喜びの種がたくさん隠されているにも関わらず、自分でそれを喜びとして見つけることができず、花を咲かせることもできず、ただ受け身の態勢で誰かが喜びを持ってきてくれるのをひたすら待っているに過ぎません。しかし喜びは自分で見つけるものであり、自分で作り出すものです。自分で自分の蒔いた種に気付かない限り真の喜びは得られません。

皆さん方一人ひとり、喜びというものは既にたくさん用意されており、あとは自分で見つけて、自分で花を咲かせること、自分で喜びとしてしっかりと認識すること、この訓練が必要になります。喜びを感じようとして他の人に依存したり、任せたり、あるいは自分の力で作り出そうとしない人は、真の喜びが中々得られない状況になるでしょう。真の喜びは自分の力で自分で成長させ、自分で気がつき、そして喜びのエネルギーを自分で感じていく、これで初めて喜びになります。

決して自分の人生をのろったり、否定したり、文句を言ったところで、何一つ喜びは得られることはできません。不平不満を口に出すのではなく、喜びは喜びとして表現していく、自分が見つけた喜びをどんどん表現し、そこから喜びのエネルギーを得ていく、そういう意識で人生を喜びあふれたものに変えていってください。

多くの人々がまだまだ自分の現実に対して自分の力で自分の意志で作るという考えが育っておりません。喜びに限らず、富や成長においても自分の責任であり、自分の力で自分の意志で作り上げるものです。他の人のせいにしたり、自然や神のせいにしても何一つ解決されません。自分の力で自分の足で歩き、そして自分のものにしていく。そういう意識をしっかりと持つようにしておいてください。それでは少し休憩をとります。ありがとうございました。


B何をして良いか分からない人がいる

私たちは光のハイアラーキとして話をいたします。皆さん方が自分の成長のために自分の現実を体験し、いろんな人々と交流し、接点を作り、愛のエネルギーを流し、愛を共有して分かち合い、そして神の持っている愛の本質を理解していく、今それに向けて一人ひとりが学び、成長を重ねております。したがって、最終的には皆さん方はその愛を分かち合い、神と共有し、愛によって多くの人々と同時に分かち合っています。それを目標にしております。

したがって一人ひとりと繋がった現実をどのように愛の流れに変え、分かち合い、お互いが愛を感ずるか。そしてお互いの愛を高め、神の持つ真実の愛のレベルにまで引き上げていくか、これが次の段階になっていきます。お互いが愛を感ずる。お互いが作り出したエネルギーの流れにはさまざまな感情や思いのエネルギーが入っております。確かにに始めの段階では、分かって欲しい、見て欲しい、理解して欲しい、いろんな思いがあるでしょう。でも相手と本当に強い繋がりを作り、分かち合いたければ、一方的な思いではなく、お互いの持っている思いを見つけ、そこから共通の波動を引き出していく、お互いが共通に持っている波動を見つける必要があります。

お互いに共通の波動がないまま、ただ自分の一方的な思いだけで相手と繋がろうとする。こういうゲームを繰り広げている人が多く、それは相手の心には繋がることはできません。自分と相手との間で共通の波動となっているものが何であるのか、お互いに共通の波動が出てくるのはどういう思いからか。それを見つけ、お互いに共通の波動が見つかると、それを愛へと変えることができます。したがってまず、お互いの間に入っている共通の波動、共通の思いを見つけようとする、お互いの同じ波動を見つけようとする、それを調べていく必要があります。

相手を知ろうとする、それはとても良い反応でしょう。自分を知ろうとすると同時に相手も知り、それによってまた自分が分かってきます。自分と相手が何故今ここに存在し、自分は相手のために何を奉仕として行えるのか。今自分の持っている能力やエネルギーの中で相手は何を必要としているのか。自分の持っている材料の中から相手が本当に喜びと感ずるものを見つけ出し、そしてお互いの共通の波動を使ってその間でエネルギーを交流し合っていく、そういうやり方を現実とうまく結び付けるようにしてみてください。

皆さん方の現実にはまだまだいろんな可能性が残されており、現実そのものが大きな発展、展開を見せる段階になってきています。皆さん方の現実がつまらない、現実がなかなかうまく進まない、そう思っている人は本来はもう現実が次の段階になる必要があるのに、まだこれまでの現実の作り方に依存している。新しい現実の作り方が分かっていない、これまでの流れで現実を作ろうとしている、こういうシンボルが入っております。現実がつまらない、現実が面白くない、こう思っている人は、先ず現実の作り方を根本から見直し、新しい観点で現実を作っていくやり方を身につけていってください。

一人ひとりの現実の中に喜びがたくさん隠されており、また新しい現実を作る能力もあちこちに見えております。ただ、そこに意識を向けている人がほとんどおりません。ただ黙って現実がやってくるのを待っている。現実がやってくるのを待っている。そういう思いがたくさん感じられます。自分の力で現実を作っていく、自分そのものが現実を生み出している、それに本当に気付いてこれからの現実をうまく作り上げていって下さい。私たちはここまでにいたします。ありがとうございました。





セントラルサンからの注釈:今日のメッセージにおいて、今のニューエイジ的な風潮に対するアドバイスが与えられている。現実の中でいろんな不快なことやイヤなことがある場合、やれ「カルマの仕業」とか「ブロックの所為」とか解釈し、いわゆるヒーリングと称して各種のエネルギーワークが行なわれています。そして実際にそれらが功を奏し、エネルギーが楽になり、それまでのしがらみから抜け出せた人もいます。


ところが、それによって環境が大きく変化し、友人関係・家族関係が大きく変わった後、途端に、「次に何をして良いのか分からない」という人が相次いでいます。「自分のやるべきことが分からない、何をするのがよいのか分からない」ということばかり口にし、何もしないままただ時間が過ぎていくのです。


カルマといわれているエネルギーがあるときは、それらのエネルギーに引きつけられ、どうしてもお互いの関係のエネルギーで現実が運ばれていきます。何も考えなくてもそれらの現実は引き起こされるのです。ところがこれらのエネルギーがなくなると、現実はどうなるのでしょうか。中には「良い現実が自動的にやってくる」と勘違いしている人がいます。カルマのようなエネルギーがなくなった人は、「現実が自動的にやってくる」ということはなくなります。何もしないと、何もやってきません。


つまりそういうエネルギーを解消した人は、「自分で現実を創る」という流れに入らないと、現実はまったく進まないことになります。現実を創るにはまず「意志」が大切であり、このエネルギーがないと現実は進みません。この「意志」は「単なる思い」や「願望」ではありません。もっと強固な意志のエネルギーです。「どうでもよい」「何とかなる」という口癖の人はこの意志のエネルギーがきわめて弱いことを自覚する必要があります。


ところが「意志」だけでも現実がうまく展開しないことを、今回のメッセージで強調しています。結局、現実というのは人間関係であり、お互いの間で良き人間関係をいかに作り上げるか、ということがポイントになります。お互いの間で「カルマのようなもの」がなくなった以上、そのままでは人間関係ができません。ではどうやって人間関係を創っていくのでしょう。そこで「愛」が必要になるのです。お互いの間に何もない状態から、お互いを理解し合い、喜びを見つけ、お互いが満足するような人間関係を作り出し、神の愛のようなレベルまで引き上げていく。それをゼロから始めていくのです。一人ひとりに対して行なっていくのです。


こうやって、ヒーリングなどによってエネルギーを解消した人は、自分の意志と愛で現実を創る、という作業に入り、本当に現実のすべてを自分のエネルギーだけで創っていく必要があるのです。「何をしてよいのか分からない」ではなく、「○○をする」という姿勢で、確実に現実を創るという意識で、進んでいく必要があるのです。今までのように、何もしなくても自動的に必要な現実が必要なときにやってきたので、これからも神任せにして、やってきた現実だけをこなしていこう、というやり方はもう通用しないのです。行動すれば、現実が後からついてくる、という感覚を味わってください。自分が神であり、自分で自分の現実を創る、という本当の意味を理解して、現実を楽しんでいってください。


(c)2001 CentralSun
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