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2001/4/16■月曜交流会から

愛で満たされるとはどういうことか

@愛のない社会と愛のある社会

私たちはハイアラーキの仲間として話をします。私たちは皆さん方とここでいろんな学びを行ない、皆さん方の意識的な成長のために多くの練習をしてきました。皆さん方が私たちを通して学んだもの、身につけたもの、成長したものが何であったのか。スピリットとの接し方、自分の人生の生き方、解釈の仕方、これらに関していろんな理解が深まり、三次元的な生活をする上で考え方が楽になり、スムーズに行動することができるようになった。これが多くの人の考える答えだと思われます。

そして私たちもその点に関し、皆さん方が大きな成長を遂げ、肉体の生活が実際にはもっと楽に、スムーズに行なえるということ。自分のペースで、自分のやり方で生きることが可能だということ。苦しみや困難と思っていることは自分が作り出したものであり、本来は何もないということ。いろんなところに意識が向き、改善させることができました。そしてそれと同時に皆さん方は愛という学びをするように言われております。人を愛する。生命を愛する。自分の人生を楽に、自分のペースで進めていく。これだけならば、多くの人が問題なく、スムーズに、楽にやっていくことができます。

自分は自分の世界で、自分のやりたいことをただやって、自分が満足するように生きることができる。これに徹していけば、ほとんど誰にも迷惑をかけずに、自分の世界を自分で創ることができました。しかし愛を身につける、人を愛する、こういう条件が加わると、とたんに自分の人生が自分のものでなくなってしまいます。自分のペースで自分だけの生き方をしようと思っていたのが、なぜか人を愛する、生命を愛するという学びが入ったとき、もう自分の人生が自分のものでなくなってしまうのです。なぜ、人を愛するという学びが入ると、自分の人生が落ち着かなくなり、不自然になり、自分のペースで生きることができなくなってしまうのでしょう。

皆さん方は皆、愛されることを望んでおります。愛してもらうと気持ちが良く、暖かく、人が信用でき、社会に対しても肯定的に生きることができる。だから愛されることはとても良く、愛されることが人類を平和にし、社会に役立つ。ところが愛するという観点で見た場合に、どうみても愛されるという意識と一致するところがありません。自分と意見の合わない人、感情的に合わない人、仕事の立場で正反対の人、そういう人にその人が楽になるような行動の仕方、その人が夢と希望に溢れた態度をとることができるのかどうか。考えるだけでイヤになってしまいます。

愛を学びにしようとした段階で、愛することのできない人がたくさん現れてきて、意識がいろいろなところに向かい、愛することのできない自分を責めたり、自分を価値のないものと思ってしまい、自分の人生そのものが急におかしくなっているのです。人を愛しなさい。もう何度も皆さん方は聞いた言葉でしょう。なぜ、人を愛するのか。人を愛することが社会を平和にし、楽にするから。人を愛することが宇宙の目的だから。そう教わってきました。では愛のない社会は本当に悲惨だったのか。

皆さん方がここでいろいろと学んで、自分の人生は自分で、自分の世界を自分の力で創るということに意識が向き、人に介入せず、自分の世界だけを責任を持って創るという意識を作り上げたとき、ほかの人が何をしようとも、ほかの人が自分にどういうことを言おうとも、自分は自分で自分の世界を創るという意識が徹底し、自分のペースで人生を創ることができました。いちいちほかの人に介入したり、ほかの人から何かをしてもらうという意識も存在せず、自分は自分、ほかの人はほかの人で、お互いに無理な干渉もしない、楽な生き方をしておりました。

もしそれだけでずっと生活が維持できた場合、皆さん方はどういう社会を創ったでしょう。一人ひとりが自分の世界を自分でしっかりと創る。自分だけの能力を、自分にしかない能力を使いこなし、一人ひとりまったく違う宇宙を創り上げていく。自分にしかない能力をフルに活用し、自分のやり方で地球に必要なエネルギーを与える。社会に、周りの人に出していく。一人ひとりがそうやって、一生懸命、自分の世界を創る。自分の役割を演じていく。あえて人を愛そうとか、愛が大切だということは口に出さずに、自分は自分の世界に徹していく。

全員がこれを行なった場合、どういう社会ができるでしょうか。誰も愛を口に出さなければ、それは愛のない社会になってしまいます。愛という概念がないために、わざわざあいという言葉で他人に働きかけたり、自分を判断する必要もなくなります。でもそこで作られる社会はどうでしょう。自分は自分の世界の素晴らしさを保ち、発揮しているために、ほかの人の素晴らしさを見ることができます。自分にはないエネルギーを駆使し、自分にはできないことを平然とやってのけ、素晴らしいエネルギーを流している。その人の素晴らしさ、その人の価値を認め、喜びやその人の波動の高さを尊敬したりすることができます。これがある意味では愛という概念のない世界、愛のない世界であるならば、本当に不幸で、野蛮で、おろかな世界になるのでしょうか。

反対に、皆さん方の頭の中にある愛という概念、人に親切にし、他人にいろいろとやってあげ、他人が困ったらすぐに助けてあげる。不幸にならないようにいろんな援助をしてあげる。そしてそういう行為を愛と皆が理解し、愛を行なうことによって社会が楽しく、うまくいく。それを信じている人々が社会を作ったとき、確かにその社会は愛で満たされているでしょう。愛という概念がいっぱいあるからです。いろんなところに愛が入っています。言葉の一つひとつ、行動の一つひとつに愛が入っているでしょう。愛で満たされ、見るもの、感ずるものはすべて愛です。皆さん方が、そういう社会を本当にイメージしたとき、それが自分にとっての理想的な社会でしょうか。

愛で満たされた社会、愛のない社会、そこで現象化されている社会は今のこの地球の現状から見たとき、どちらがどれだけ発達、あるいは未熟でしょうか。

人を思いやったり、人のために、人の成長のために自分が行動し、成長を助けるという行為自体はとても素晴らしいものです。相手がいくら頑張っても、いくら努力しても絶対にできないということが分かっている時に、自分がその成長のために何らかの援助をしてあげる。そうすることによってこの肉体をうまく使いこなし、素晴らしいことを見つけたり、能力を開発して、本来、できないことがその人の力でできるようになった、その人がとうてい身につけることができなかったものをほかの人のアドバイスで手にできるようになった。こういう行ないはとても素晴らしいものです。それはその人の成長に本当に手助けとなり、大きな働きをしております。

一人ひとりの成長の仕方にはいろんな特徴があり、自分だけのリズムがあり、自分だけの成長のパターンがあります。言われて分かる人がいれば、自分でやってみないと分からない人、頭で理解しないと分からない人、何度も何度も失敗して分かる人、いろんなやり方があります。成長の仕方も人それぞれであり、自分の持っている特徴に応じていろんな成長の仕方が存在しております。本来の愛はそれらを明確に理解し、その人の本当の成長に必要なことを自分が援助し、手伝ってあげる。それによってその人の、その人ひとりでは到底できない成長をほかの人の力によってかなり早めることができた。こういう行ないをしたのであれば、これらを総称して愛として理解していきます。

愛を持った行動、その人に対して愛に基づいた行動をとっているとき、その人は的確に成長し、自分に必要な体験を経て、自分だけの成長の仕方をしていくでしょう。何度も何度も失敗して、そしてそこから理解するという人の傾向の場合には、何度も何度も失敗するというところで手助けをしなければならない場合があります。理屈でいろいろ考えても、ダメだという人の場合、わざと理屈を一生懸命、説明してあげ、それではダメだということを気づかせる手助けをわざとする場合があります。

結果的に、その人が自分の成長の仕方をうまく使って、自分の力で成長していく。そこにうまく持っていくために、自分はいろんな手助けをしていく。そういったことを自分が理解し、それに沿っていろんな行動をとっていく。これは愛に基づいた行動であり、あくまでもその人の成長のために自分が行動するという流れがあります。

皆さん方の言葉でいう愛がある、愛がないという論理、考え方、それ自体に大きな勘違い、認識の違いがあることが分かるでしょう。愛を上げるとか、愛を感ずるというよりも、愛に基づいて行動しているかどうか、愛に従って発言しているかどうか。先ほど話した二つの例、愛がないという社会、愛の概念がない社会と、愛という概念でびっしりになった社会、皆さん方の認識の違いで、愛のある社会と愛のないしゃかいになります。しかし私たちの観点からすれば、両方とも愛に基づいた社会になっているのです。

愛に基づいた行動、愛に従った行動、では愛に従っていない行動とは何でしょう。相手の成長につながらない行動を自分がとった。どういう場合でしょう。相手が、自分が傲慢であり、プライドが高いということに気づかせるように、自分が行動をとった。自分は愛のある行動として理解し、その人が早く自分の傲慢さやプライドの高さに気づくように、わざといろんなことをしてあげた。愛のある行動、そうしてあげた人はおそらくそう理解するでしょう。その人に早く気づかせるために、成長するために私は愛のある行動をした。私は愛を上げた。そしてその人の欠点をいろいろと並び立て、プライドをどんどん傷つけていきます。相手はそれによってどういう感覚を持つでしょう。

何と愛のない人だ。愛が微塵も感じられない。冷たい人だ。きつい人だ。あなたこそ傲慢だ。おそらくそう感ずるでしょう。結果的にプライドや傲慢さがあるという意識を身につけたり、そこに改善しようという思いはまったく出てこないことになります。その人に気づかせようと思っても、その人がまったく気づかないどころか、逆に閉じてしまった、逆に反抗してきた。これは結果から見て愛に基づいた行為にはなりません。その人のためを思って、その人に気づかせるためと思ってやった。これは愛に基づいた行為ではなく、やはり自分のエゴによってとられた行動といえるでしょう。

自分はその人のためと思ってやった。その人の成長、その人の目覚めや気づきのためにやってあげた。いくら本人がそう思っても、相手がそうならなければ、結果的に愛にはなりません。愛のある行動にはなっていないということ。愛に基づいた行動、これは多くの場合、意識しておりません。人間の意識に思いが入ると、多くの場合、愛がなくなってしまいます。いろんな考え、いろんな思いの中にエゴが入りこみ、ほとんど愛から遠ざかってしまうのです。むしろ何気ない一言、自然に出てしまう言葉、とっさに出た判断、これが愛である場合があります。

ホッとしたとき、ホンの一瞬の出来事、とっさの行動、これこそがその人自身が持っている愛を垣間見せることがあるのです。どうしても頭で考えると、普段、敵対する会社の上司である人間にでも、やはり何か怪我しそうになると、とっさに手を出して防いであげる。助けてあげる。言うことを聞かない我が子でも、やはり危険な目に会うと、つい自分の体でかばってしまう。これは愛です。そのときにいちいち頭で考え、これは自分にとって得かどうか、その人の成長のためにこうしてあげよう、そう考えてとったのであれば、ほとんど愛に基づいた行動ではなくなってしまいます。結果的にとっさの判断と同じ状況になったとしても、真実の愛に基づいた判断ではなくなっています。必ずしも結果だけで言えるわけではありません。

愛についていろいろと論ずるとき、多くの人の話し方が、あくまでも自分は愛を与えたかどうか、あるいはほかの人から愛を感じたかどうかで論じていきます。でもほとんどの場合、それは真実の愛ではありません。むしろ自分の頭に入ってこないもの、とっさのとき、瞬時のときにとる行動、考え、それこそが愛であり、そのときの自分の意識に意識を向ける必要があるのです。いろいろと考えたり、準備をしてとった行動や言葉に真実の愛はほとんど入っておりません。計算された愛というものは存在しないのです。

皆さん方の頭の中にある愛という概念、それが本当に皆さん方の持っている愛で社会がいっぱい満たされたとき、本当に平和になるでしょうか。真実の愛が充満するというのは、今言ったように、考えたもの、計算されたものが充満するのではなく、とっさの判断、瞬時のときに人を助け、我が身を犠牲にしてその人のためにいちばん良いことをする。それぞれが瞬時に、一瞬のときに行なわれていく。普段、頭の中にあるのは、いかに自分の社会を楽しく、美しく、面白く持っていくか。それで十分なのです。自分の持っていた愛という価値観。愛というエネルギー。お互いの人間関係。皆さん方はまだまだいろんなところを学ぶ必要があります。

ただ、今、ここにいる人々はそれでも非常に恵まれており、高いレベルでの愛を学んでおります。多くの人々の場合はこういう考えすらも理解できず、出会うこともありません。それ以前に自分がいかに裕福に、立派に、認められたり、崇められたりするかを考えており、純粋に愛ということを考える人はほとんどおりません。まだまだ多くの人はそういう愛の学びをしているのです。でも皆さん方はその愛の中でも、今、自分が思っている愛よりも高いレベルで、またさらに純粋なレベルでの愛を学んでいく必要があります。常に自分は今、頭に描いている愛よりも、さらに高い愛を追求し、目指していく。この学びは永遠に続きます。

したがってこれが愛だとか、愛はこういうもんだという結論が出ることは絶対にありません。自分がそう定義した段階で、それよりもはるかに高い、また一段階上の愛が自分のテーマとして用意されていきます。愛はこうだ、これが愛だ、そう口に出した段階でもうその愛は自分にとって役割を終えた愛になっていきます。宇宙は本当に皆さん方に何を与えようとしているのか。どう体験していただきたいと望んでいるのか。そこの深いレベルをもっともっと感じ取るようにしてみてください。


A多様な側面を持つ愛をどうとらえるか

愛についてはいろんな解釈があり、人によってもいろんな意見があるでしょう。いろいろ意見が食い違ったり、いろんな論争が沸き起こっても、それは当たり前のことであり、それ自体は何も問題ありません。皆さん方はやっと愛について論ずることができるレベルになったばかりなのです。まだまだ愛の入口の段階なのです。本当の愛はまだまだ奥深く、まったく今の地球人のレベルには見ることもできない世界なのです。それだけ奥深い、素晴らしい愛を皆さん方は少しずつ、紐解き、感じ、身につけていくのです。

単純に一言、二言の言葉ですべてを説明できるわけではありません。でもそれは皆さん方を否定しているわけではなく、それだけ素晴らしい愛を皆さん方は身につけることができ、あるいはもう中に隠されていて、自分がそれを紐解いていくレベルになっているということ。もうすでに皆さん方はその愛をいつのまにか行動に移し、実践しているということ。もっともっといろんな観点から愛と取り組んでみてください。

愛についてはいろんな解釈があり、いろんな話があるでしょう。でもそのどの話もすべて意味があり、実にいろんな側面を持つ愛のどれかの部分を示しているからです。いろんな側面があります。そしてそれぞれ皆さん方に何かを教えようとしております。もし愛について何かを論じているとき、あくまでもその一つの側面から捕らえている愛、それを自分はどう解釈し、どう理解して、より真実の愛を見つけていくか。そういった観点でもっともっと大きな観点で愛を見つけるようにしていってください。それでは少し、休憩をとります。ありがとうございました。


B一人ひとりの愛の波動

私たちは少し話をして、終わりにいたします。皆さん方のこの社会は本当にいろんな仕組みが複雑に重なり合って、一人ひとりが巧妙に、本当にうまく成長できるように創られております。そしてそういう社会を創るために、いろんな人間たちやエネルギーが影響し合い、皆さん方が最適に、いちばん良い条件で成長できるようにすべてが仕組まれております。そしてその仕組みは固定的なものではなく、一瞬一瞬、変化し、本当にそのときだけしかできないこと、そのときでないと実現できないことなどもあります。そのわずか一瞬のために、入念に準備を重ね、何度も何度も練習し、そしていざそのときのために何人かでうまくその場が演じられるようにエネルギーが創られていく。こういった状況が何度もあるのです。

皆さん方がマスターとか天使とか呼んでいる存在は、一般にこういう仕組みを一生懸命、創っており、その流れをうまく創り変えたり、コントロールすることによって皆さん方が成長し、自分の光や自分の波動を高めていくことを目標としております。皆さん方が何気なく考えていること、漠然と思っていることでも、その裏側では無数の存在たちがその仕組みを実現させるためにいろんな活動をしているのです。もしそういう本当の状況が皆さん方にも理解されていくと、この一つの肉体を維持するためにもいかに多くのエネルギーが関与し、そして自分だけのためにどれだけ多くのマスターが協力してくれているのかが良く分かってくるでしょう。

皆さん方はそういういろんなエネルギーの中で、今、自分にしかできないこと、自分だけの能力を発揮して、地球に奉仕しているのです。皆さん方が肉体を持ってきているだけで、地球は皆さん方からの特別な波動を受け取ったり、エネルギーを受け取ることができるのです。地球は皆さん方に感謝をし、喜びを感じております。多くのマスターはそうやって皆さん方の体を使って、地球が成長し、喜びを感じるように仕組みを創っていきます。皆さん方がこれからどんどん成長すると、そういう裏におけるいろんな役割が見えてくるでしょう。そしてあらためて、自分の肉体の素晴らしさ、肉体を持っていることの喜びを感じていくでしょう。その大いなる仕組みがいっぱい絡み合って、そして自分だけに用意されたいろんな場の中で生かされている。こういう仕組み全体が愛という波動の中で仕組まれております。

愛というものの無限の響き、無限の可能性の偉大さにいつか気づいていくでしょう。でも皆さん方がその愛の実行者であり、皆さん方はその愛を体を通して具現化しているのです。地球は皆さん方の活動に大いなる愛を感じております。皆さん方がいるからこそ、地球は成長することができます。宇宙において、皆さん方一人ひとりの役割がいかに素晴らしいものであり、大切なものであるのか。皆が良く理解しております。これからもそういう思いを感じ取りながら、三次元の生活を楽しく過ごしていってください。


それでは簡単にアドバイスをしていきます。Minoruさんの愛の波動が少しずつ変化し、今まであなたがテーマとしていた感情やより感性のレベルにおける波動が活性化されてきております。知性の波動の動きが少しずつ感性や喜びの波動と混ざり合ってきております。この波動を大切にして自分の愛の波動をより高い波動へと作り変えてみてください。Sayokoさんの愛の波動には、あなただけの繊細な波動がとてもよく響き渡っており、あなたの波動が多くの人にそのまま振動できるようになっております。この愛の響きはあなたにとっては何気ない、ごく普通の響きであっても、それは周りの人にとてもよい影響を与えていきます。あなたの持っているその愛の特性をうまく活用して、自分の世界をもっともっと力強いものにしていってください。

Shogoさんの愛の波動はあなたの繊細さ、細やかさがとても表されている波動になっております。多くの人々には理解できないような領域においても、その繊細さをあなたは保つことができます。その繊細な愛の波動は場合によっては、硬い概念を打ち砕いたり、固まってしまった概念を破壊する力を持っております。自分の精細な愛の波動をうまく使いこなして、必要な波動をうまく行使できるように練習をしていってください。Yoshieさんの愛の波動は、一人ひとりの波動の中に、うまく溶け込んでいく波動があります。この波動はあなた自身の考えで現れるのではなく、あなたの内面から、魂のレベルから現れてきて溶け込んでいく波動になっております。したがってあなた自身はそれを愛とは感じておりません。でもあなた自身のその魂のレベルからいろんなところに溶け込んで入っていく、という波動が出されております。自分の波動を魂に近づけ、自分の方からいろんなところに溶け込んでいく意識をもっともっと持っていってください。

Yukikoさんの愛の波動は、あなた自身がより強くなるために、あなた自身が自分のためにいろんな試練を与えております。あなたは自分で自分の成長のためにいろいろと作り変える能力を持っております。そしてそれによって自分自身がたくましく成長していきます。この成長するという波動、たくましく、強く、そして自分で作り上げていくという波動があなたの愛の特徴であり、あなたは結果的に自分の成長のためにいろんな現象を作っていきます。したがってあなたもほかの人のことをいちいち考えるよりは、本来、自分の成長のことを考えた方がよりスムーズに展開できるようになっております。自分自身はどういうことを体験しようとしているか。どういう成長を望んでいるのか。そこに意識を向けてみてください。


皆さん方が少しでも自分の愛に意識を向け、そしてそれが自然に、無意識のうちに発揮できるようになっていくのを望んでおります。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2001 CentralSun
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