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2000/8/7■月曜交流会から

現実を通して光を学ぶ

@自分で答を見つける努力をすること

私たちは... (数分間、録音失敗)

...皆さん方は確かに人間として生まれる以前においては、波動の高い世界で体験をしたり、学びを進めたことがありました。しかし今は肉体をまとい、肉体の次元において学びを重ねている以上、皆さん方は肉体をまずうまく使い、肉体のレベルで物事を解決することが最優先されます。それはスピリットを無視するとか、否定するという意味ではありません。皆さん方は肉体とスピリットをうまく使いこなし、総合的な見方から物事に対処していく必要があります。

ただここで問題なのは、三次元で解決すべきことをスピリットに任せたり、自分自身の問題をスピリットに答えさせてしまう、という考えがいちばん危険なものとなっております。自分が取り組んでいるとき、それが明らかに三次元のレベルの問題であるときには、自分の力で自分の能力で解決せねばなりません。スピリットが行なうのは三次元の皆さんではどうしようもできないところ、あるいは皆さん方固有の問題ではなくもっと本質的な問題がある場合、そういうところにスピリットが関与します。

それは必ずしも皆さん方が困っているときに助けるとか、皆さん方から何か質問されたから答えるとかいう役割ではありません。皆さん方の世界は目に見える世界だけではなく、目に見えないレベルでいろんな現象が起こっております。それらは皆さん方一人ひとりの力ではどうしようもならない問題です。皆さん方から目に見えていない問題は、そういうレベルにおいていろんなことを工夫し、考え、努力しております。

たとえば、私たちは皆さん方の言葉からすれば、宇宙人という表現で説明されるかもしれません。でも私たちはそういう意識はいっさい持っておりません。皆さん方と同じ仲間であり、同じレベルにおいて学びを重ね、この地球のためにいろんな努力をしているからです。皆さん方以上に地球のことを考え、地球が本当に素晴らしい惑星になるように、地球の人々が本当に喜びを分かち合えるように、いちばん考えていろんな計画を進めております。皆さん方以上に地球にいろんな努力を注いでいるのです。

皆さん方からは目に見えない存在は私たちに限らず、いろんな次元から、いろんな領域から、いろんな宇宙から、関与しております。それぞれが皆、地球のことを考え、地球のために、地球人類のために工夫をしているのです。でもそれぞれはそれぞれにしかできない役割をもっており、自分だけの問題を手にし、それを必死になって解決するべく努力をしております。私たちは私たちの世界で地球のためになさねばならぬことがあり、そのために毎日、いろんな人々の意識を調べて適当な時期を類推したり、意識の流れから見ていちばん良い状況を作り出したりして、皆さん方の成長のために協力をしております。

皆さん方が三次元の普通の生活において、もっとこうしてほしい、こうなれば良い、という風に考えているほとんどは自分がそうせねばならない範囲の状況と理解しておいてください。それをするために、すぐに宇宙人を呼ぶとか、天使を呼ぶ、マスターを呼ぶ、という考えは必ずしも好ましいとはいえません。自分の頭で考え、自分で行動し、自分で解決する必要があるからです。

ただ、今、皆さん方に与えられているテーマとして、スピリチュアルな文明を築き上げる、霊的に進化した人間になる、ということも叫ばれております。当然、スピリチュアルな面に関する知識や体験はそれなりに必要となるでしょう。でもそれは三次元を疎かにしたり、三次元を無視してスピリチュアルな文明を築くという意味ではありません。あくまでも肉体をまとっている限り、基本は三次元になります。この三次元の肉体をまとい、三次元の人々がたくさんいる中で、いかに素晴らしい世界を作り上げていくか。なぜ、三次元の肉体をまとっているのか。なぜ、人生を生きなければならないのか。まずはその本質的なテーマをしっかりと見据えることから始まります。

なぜ、今、肉体をまとっているのか。肉体をまとうことによって、スピリットではできないいろんな可能性があるのです。スピリットの世界ではどうしようもできない問題が、三次元の肉体をまとうことによって解決できるのです。三次元の肉体にはそれだけ大きな意味があり、可能性があり、また素晴らしい道具なのです。この三次元の肉体を無視し、すぐにスピリットのエネルギーを呼んだり、エネルギーだけで解決しようとするのは、何のため肉体をまとったのかという本質を見失ってしまうことになります。なぜ自分は生まれてきたのか。なぜ自分は肉体を手にしたのか。この本質的なテーマをよく考えるようにして見てください。


A三次元は時間・空間の制限がある

私たちは別の領域から話をいたします。今、肉体についての説明がありました。皆さん方が肉体をまとい、三次元の生活をしている以上、肉体に伴ういろんな苦痛を避けることはできません。思い通りにいかなかったり、いろんな人と衝突があったり、時間・空間の制限があるでしょう。これは避けることができないという意味だけではなく、実際にはそれを有効に使うことによってとてもよいことができるのです。私たちの世界ではそういう制限がほとんどありません。

制限がないということはどういうことでしょう。お互い、考えるのが自由であり、思ったことや考えたことはすべて現実化していきます。もしそこで光でないエネルギーを引き込んだり、光を遠ざけるような考えを持った場合、それすらもすべて現実化していきます。そういう考えを持ったものはたちまちにして自分の世界が光でないものに侵され、光を取り戻すのに何十万年とかかる人もおります。制限のない世界においての一瞬の思考によってその人の世界がまったく変わってしまうのです。考えることに対する責任がとても大きいのです。皆さんの毎日の思考の中で、絶対に否定的なことを考えないという人はどれだけいるでしょうか。自分の悪口、他人の悪口を一切考えないという人がどれだけいるでしょう。

三次元の皆さんにおいては、時間と空間の制限があるために、そういう否定的なことを考えても生きることが可能なのです。時間をかけてそれに気づき、目覚めるチャンスがあるからです。私たちの世界においては、考えると同時に現実化するために、否定的なことでも考えた瞬間に否定的な存在に変わってしまいます。自分では否定的になったということすらも気づいておりません。したがって一度、否定的な考えをもつと、光に戻るのがとても難しいのです。そういうものたちが光に気づくための場として三次元の領域を創りました。そこにおいて自分の考え、自分の行動を十分に確認することができるのです。

そして、けっして否定的なことを考えたり、光でないものを呼び寄せることをしない、というのが完全に身についたときに、時間・空間という制限から逃れることができるでしょう。三次元の世界は確かに波動が荒く、制限が多く、思っていたことが実現されず、もどかしいかもしれません。でもまだ三次元にいるということは、否定的な発想をする可能性があるという状況と理解しておいてください。


B真実の光との契約

私たちは皆さん方のエネルギーを見ていて、いろんなことを感じております。Kさんが先ほどいろんなことを話され、お互いにいろんな意見が出されておりました。KさんはKさんが自分で作り上げたテーマがあり、それに従って学びを進めております。これはあなたが自分で作り出し、自分で流れを作っているために、あなたは自分でそれを解決せねばなりません。あなたが解決しようと思って自分なりにいろいろと取り組んでいても、実際にはほかの人の力によって問題を解決しようとしております。

あなた自身が今回、一番のテーマにしているのは自分の力がどこまで本当に発揮できて、自分の人生を変えることができるのか、自分の力をどこまで本当のものにすることができるのか。唯一、ここにかかっております。自分は本当はどうしたいのか。自分は何がやりたいのか。これは必ずしもTさんたちの意見ではなく、私たちや宇宙からのメッセージでもあります。あなたは何をしたいのか。どうやって解決したいのか。どうやって自分を取り戻したいのか。どうやって自分を見つけ出したいのか。あなたが自分でそれを見つけない限り、今までと同じことを繰り返していくでしょう。

あなたがそういうテーマを自分で作ったときに、確かにあなたはそれを自分で達成できるかどうか、分かってはいませんでした。でもあなたは自分の人生を創る時に、最後の賭けをそこに入れました。この地球の中にいろんなところに現れてくる光の使者たちの中で、一番最高の光をもつもの、地球の中で強いもの、常にそれを目指して進んでいくようにあなたは流れを創りました。そして自分がその流れにうまく入っていけば、いつかは自分は真実の光に巡り会い、自分を取り戻すことができると。これはあなた自身の賭けでもありました。実際にそういう最高の光に本当に出会えるかどうか、これは保証がありませんでした。宇宙はそこまで契約はしなかったからです。

ただ、あなたは自分でそういう流れを創りました。これがどういう現実を作り出したでしょう。あなたの意識からすれば、次々と素晴らしい光の仲間たちに出会う、という風に流れが進んでいきます。宇宙から見たときにそれが本当に真実の光かどうかは別問題となります。あなたが生まれてくるとき、光の仲間たちはあなたと契約しなかったために、その保証が得られていないのです。なぜ、契約しなかったのでしょう。

一つ、あなた自身が拒んだというのがあります。光の仲間たちは条件付きで契約をしようとしました。本当に光の仲間と出会い、それによって自分の流れを変えたいと思うのであれば、あなた自身が本当に光の仲間と一体化して、それ以降、完全に光の仲間の一員として行動するということ。こういう条件をつけました。しかしあなたはそれを受け入れませんでした。あなたの頭の中にはまだ本当の光と真実ではない光との区別がついておらず、そのとき契約を申し出た光が本当の光かどうか、あなたには分からなかったのです。もし私たちが本当の光でなかったならば、あなたは別のものの仲間入りをしてしまう。そう感じたために、私たちとの契約を拒んだのです。これが結局、今の人生そのままに当てはまっております。

あなた自身がこれからどうしたいのか。自分でどう成し遂げたいのか。自分で決めねばなりません。自分で行動せねばなりません。自分自身の流れ。あなたはいろいろと考え、自分なりに満足のいく流れを創り出しております。でもただ一つ、真実の光との契約がまだ為されていないというこっと。その理由とそこに潜むいろんな裏を自分で見抜くことが大切です。もっともっと自分に隠されているからくりを自分で紐解き、自分の力で解決するようにしていってください。


今、話されたのはあくまでもKさん固有の問題であり、これが誰にでも当てはまるというわけではありません。したがって今の話を元にして自分のことを類推したり、ほかの人のことを類推することはしないようにしておいてください。それでは少し休憩をとります。ありがとうございました。


C光を見極める学び

私はロードミカエルとして話をします。今、いろんな人の中から光と光でないものについての話がなされていました。光は皆さん方から見れば美しくきらめきのあるものとして理解されているかもしれません。私たちの世界から見れば、光はすべてであり、私たちそのものでもあり、また神そのものでもあり、皆さん方そのものでもあります。でも人間として肉体をまとい、いろんなテーマが与えられ、そのテーマが自分で解決できないとき、皆さん方は何かに救いを求めようとします。早く答を教えてほしい。何とか解決してほしい。そういう心境になったとき、それを手助けするものとして神という概念がつくられました。神は皆さん方を手助けするもの。救うものとして認識されたのです。

皆さん方がそういうイメージで神や光をどんどん作り出し、自分たちが困っているときに何とかしてくれるもの。全知全能のパワーを使って自分のために解決してくれるものというイメージで、神や光を作り上げてきました。

私たちも以前は西洋の文明の中で特に強いつながりをもっていました。西洋の人間は神という存在はもっと絶対的であり、必ずしも助けてくれるという感覚は持っていませんでした。もっと絶対的な権限を持っており、むしろ裁くもの、厳しきものとして理解されてきました。したがって西洋の人間にとっては天使が彼らを助け、困ったときには天使にお願いをするという状況がつくられておりました。天使も光をたくさん身につけており、偉大なる力をもって人間と接し、人間を救うことができる。そういう概念があり、人間は天使と交わることによって自分が楽になる、幸せになると考えておりました。

天使も神も、日本でいう菩薩や観音でさえも、これらはすべて光の仲間ということができます。光を呼ぶ、光を求めるというとき、こういう存在たちを呼ぶことを光を呼ぶという風に理解することができます。ただ皆さん方自身もその本質は確かに光といえます。ただ先週話したように、皆さん方の光はまだ学びの段階である光であり、それは神や天使の光とは少し質的に異なる光となっております。皆さん方はまだまだ歩き出したばかりの光であり、すべてを知り尽くした光にはなっておりません。したがって皆さん方の本性は光ではあっても、それは必ずしもすべてを完全に終えた光とは限らないのです。

皆さん方が光として行動する。光りある人間となる。それはどういう意味でしょう。まだまだ歩き出したばかりの光をさらに強くして歩いていく。精一杯の光を身につけていく。それはそれで理解してもあまり問題はないでしょう。しかし現実問題として、皆さん方の光には容量があり、器があります。それを超えていろんな光を出すことは今のところは難しい状況といえます。人それぞれ、愛のもてる波動があり、慈悲や優しさについてもそれぞれ自分だけの波動を持っております。その波動を一気に神のレベルにまで上げることは難しいでしょう。

隣人を愛せよ。こんな簡単な真理がいまだに身についていない状況です。家族や兄弟、親友にどれだけ愛を持って接することができるでしょうか。ましてやいろんな考え方や価値観、宗教が違う人間とどれだけ仲良く接することができるでしょうか。まだまだ一人ひとりの愛は制限つきの愛であり、どの人間にでも同じように愛するということはとても難しいのです。そういう状況において、光と一体化して生きる、神と一体化するというのはまだまだ難しい状況といえるかもしれません。でも、だからといってそれをあきらめたり、無視しても成長はありません。

自分はそういう程度の波動を身につけており、今、その学びをしている。そういう事実はしっかりと受け入れる必要があるからです。それゆえに自分はそれを克服し、成長があるのです。光として生きる。それは自分の光を信じることであり、ほかの人の光を信じることでもあります。人それぞれ光があり、光によって生かされ成長し、そして本来の素晴らしい光へと戻っていく。光が完全な光になるために、いろんなテーマを与えています。

たしかにKさんの場合には本当の光と光の真似をしている光でないものとの見極めは難しいかもしれません。でもそれはKさんに限らず、どの人間にでも必要とされているものです。Kさんはその経験を通し、それを克服することによってほかの人の何倍もの強い判断力を身につけることができるかもしれないのです。今はまだ逃げてばかりいて、その見極めさえも自分でなるべく楽して手に入れようとしております。まずはその気持ちそのものを捨てて、しっかりと自分の頭で判断する、自分で見極めるという能力を養うようにしていってください。

Wさんが光として生きるために、あなたなりに創ったテーマがあります。それは自分自身の輝きの中に本来の光とは違う光を身につけた時期があり、それを自分でどう理解し、そして本当の純粋な光を掬(すく)い出し、光でないものをどう処理していくか。それに取り組む時期がありました。そしてその成分の中から本当の光だけを取り出し、自分がその光を使える状況になったときに、あなたの本質的な光が少し波動を変えてあなたに流してきました。それによってあなたはそれまであなたを導いていた光とは別の存在の光から影響を受けるようになり、そしてあなた自身のテーマが少しずつ変化してきました。

今、あなたに流れている光に関するテーマでは、あなた自身の人生を導く光とあなた自身の神の部分を導く光の接点をいかに強くし、ずれをなくしていくか、そして自分自身が光と一体化するということはその波動のレベルで何を意味するのか、それを完全に理解することがテーマになっております。自分自身の中に流れているいろんな光を自分で理解し、そしてそれをさらに統合化していく。それを当面の目標としてやってみてください。

Sさんに関しての光のテーマでは、強さ、パワーというのがまず先に挙げられます。光は強くあらねばなりません。しかし強いからといって光の証にはなりません。光のないものほど強く見せる傾向があります。光の強さを自分でどうコントロールし、そして真実の光の強さとはどういうことか、本当に強い光はどういう現象を好むのか。それはあなたのテーマとして取り組んでみてください。

Tさんは光のもついろんな側面の現れのうち、三番目の波動の学びを終えつつあり、次の段階の学びへと移行する最中といえます。これは人間的な言葉で言えば、感情レベルから思考レベルへと移る流れともいえます。しかしだからといって感情がなくなるとか、克服したという意味ではありません。これまでは思考のレベルにおいても感情がかなり左右していたのが、思考は思考で独立してコントロールできるようになり、感情は感情で独立してコントロールできるようにしていく。そういう流れに入るものと理解しておいてください。

この学びに対しての光の影響は、あなた自身が本質的にもっている光とあなた自身にわざわざ流されてきている光との融合によって創られており、その時々に一番最適な光があなたに影響を与えてテーマを作り出していきます。したがってあなたの周りで起こるいろんな現象はあなた自身の光とあなたに流れてくる光の合わさったもので現象化されているということです。すべてを自分の光ととらえたり、あるいはすべてを自分以外のものとして考えるのではなく、両方の光によってつくられているという風に理解をしておいてください。

Iさんの光に関するテーマでは、自分自身の内なる真実の光にまだ目を向けたことがないために、自分自身の光そのもの、輝きがまだ体の中に光り輝く状況が出来上がっておりません。自分自身が本当に光であり、またそれを理解することによってさらに輝きが増していく、それを実践していく段階に入っていくでしょう。自分の光とは何であるのか、そもそもなぜ光が自分の中にあるのか。自分はその光をどう使おうとしているのか。自分の存在と光との関係を理解し、常に光の観点から自分の現実を見るようにしていってください。

Mさんの光についてのテーマは、なぜ光が尊く素晴らしいのか、なぜ光は永遠で絶えることがないのか、光が光であるための本質的なところに目を向けていく必要があります。あなたの思考からつくられてくる光にはまだ制限があったり、限定されたものがあり、永遠で無限なる光とは別な波動になってしまう場合があります。そのために光を使っているつもりでも限定付きの光であったり、制限された光であることが多いのです。光を呼ぶとき、使うとき、それは永遠無限の光であり、自分のために耐えず流れてくるものであり、また流すことができるもの。その光の本質的なところと自分の考えを一致させるようにしてみてください。


私たちは確かに光という言葉を何度も使い、皆さん方もそれに馴染み、またあまりにも一般的な言葉になりすぎているかもしれません。でも私たちが何度も光という言葉を口にするのは、皆さん方がまだ真実の光に出会っていないという現実があるからです。いくら光がやってきても、皆さん方はそれを光と見抜くことができません。光でないものがやってきて皆さん方のエゴやプライドをくすぐったとき、なぜかそれを光と勘違いしてしまう人がおります。光と光でないものの区別がまだまだついていないのです。

光は皆さん方のエゴやプライドをくすぐるでしょう。でもそこに現れてくるのは光ではなく、皆さん方のエゴなのです。それで光を否定したり無視しても意味はありません。自分の心をしっかりと見ることです。皆さん方が光と光でないものの見極めをしっかりとすることができ、もう迷うことがなくなったときには、わざわざ光という言葉を何度も呼ぶことはなくなってくるでしょう。私たちもそういう時期が早くやってくるのを願っております。

いろんなものたちが光と光でないものについての話をするでしょう。でもそれでいちいち不安を感じたり、否定的な思いで聞く必要はありません。あくまでも自分の心をしっかりと見て、自分の心の中で光だけを追い求めていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2000 CentralSun
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