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2000/7/22■土曜瞑想会から

リチュアルマスターと宗教的エネルギー

@エネルギーの感じ方の練習

私はマイトレーヤの波動で降りてきました。今日はエネルギーの感じ方を中心に練習をしておりました。いろんなマスターや天使と呼ばれている存在でも、皆さん方に現れるときには皆さん方が感じられるエネルギーの姿をつくることによってやってきます。その姿がいつも決まっている存在があれば、そのときそのときに作り上げる存在もいます。したがってどの人間にでも同じ姿で現れるとは限りません。その人がいちばん感じやすいもの、分かりやすい姿を作ってやってくるからです。

エネルギーはまだ人間のレベルにおいてはとても判断が難しいものです。したがって今すぐに分かるとか、理解できるということを目標にするのではなく、長い目で見ていつかは分かるようになる、そういう世界があるというのを理解しておく、信じておくという程度で十分となっております。ホンのわずかでもエネルギーが感じられたり、区別ができる人は、とても素晴らしいといえるでしょう。今の人間の知覚レベルにおいて、エネルギーの区別はとても難しく、まだまだ人間の及ぶ範囲ではありません。


さて、Hidetoさんからの質問がありました。宗教的なエネルギー、自分がリチュアルマスターとして学びつづけるときに、このエネルギーとの関与においてどういう事態が予想されるのか。リチュアルマスターとして学びを重ね、エネルギーを鍛え、自然と一体化するという流れと、宗教の世界において宗教エネルギーのマスターとなり、それを使いこなすレベルとは質的に違うものがあります。

リチュアルマスターはあくまでも、全体を知り尽くし、理解し、すべてを創り出した大元の意志によって動く人々であり、リチュアルマスターの行動の一つひとつには愛があり、光があり、生命を慈しむ思いがあります。宗教の世界において、いろんな超能力的なことを身につけ、それを具現化している人の場合は、すべてを理解し、すべてと一つになったという思いはそんなに高くはなく、また生命を愛し、慈しむ思いも完全ではなく、どうしても自分の能力を高くする、さらに大きな影響力をもたせるようにパワーを作り上げる、より強いマスターに来てもらえるように自分の波動をさらに高めていく。そういう波動が常に近づいてきます。

したがって成長という方向で見た場合、リチュアルマスターの場合は本当に神と一つになり、神の思いを具現化させる役割としての働きが多くなるのに比べ、宗教的なマスターになった場合には自分の思い、考えにしたがってそれを利用しようとするものたちがいっぱい集まってくるという方向性があります。確かに能力は強くなり、コントロールする力も強くなり、いろんな人間や動物を自由に操ることができるようになるでしょう。でもそれらはすべてを知り尽くしたものの思いであるかどうかは別となります。

宗教的なエネルギーに関与すると、ほとんどの場合、そういう流れが創られてしまい、気がついたときにはすべてを創り出したものの考えとは違うを身につけている場合があります。そして中には、争うこと、生命を奪うことを正しいと理解して、それをどんどん進めていく人々もおります。すべてを知り尽くしたものは確かに犠牲のエネルギーを理解していても、無闇な殺生は好んでおらず、無闇な争いを認めるわけではありません。できるだけ争いや混乱が少なくなる方向へいつも考えていきます。

宗教の能力のマスターとなっているものは、自分の力を誇示するためにどうしてもそういう争いをつくりやすくなってしまい、リチュアルマスターは最低限のワークを行ない、できるだけ特別なエネルギーワークをしなくても普通の人間関係で済むようにお互いで話し、理解し合うという程度で進化できれば、それはそれで十分と考えております。確かに中にはとても強いエネルギーがあり、リチュアルマスターが何十人も集まってそのエネルギーを解消できるものがあるでしょう。それはそれでお互いに相談し合いながら、それを解消し、光に変えていくことは問題ありません。

しかし本来は自分の三次元の行動で、直接話し合い、愛し合い、慈しみ合うことによって解決すべき程度のものはいちいちリチュアルを使わずとも、普通の人間関係の中でそれらを解消していただければと思っております。なんでもかんでもリチュアルに頼ってしまうと、結局は三次元の生活が疎かになり、逆に自分の力を誇示する状況ばかりがつくられてしまう傾向があります。皆さん方が本当にリチュアルマスターとして本来の光の道を進むのであれば、それだけ三次元の普通の生活にも意識を向け、なるべくそこで解決できるようなやり方を工夫してみてください。


これからしばらくはあなたが求めれば、いつでもエネルギーとしてあなたの前に現れ、何らかのつながりがつくられるように練習の場を創っておきましょう。お互いに少しでもつながりが強くなれることを望んでおります。それではありがとうございました。


(c)2000 CentralSun
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