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2000/1/17■月曜交流会から

感情・思考のエネルギーとコントロール

@感情と思考のコントロール

私たちは光の仲間としてお話をします。先ほどの話の中で、現実のシンボルとその解釈についての話がありました。エネルギー的に造られたものが、三次元の現象にどのようにして現れていくか。これは皆さん方の学びの上では、とても大切なテーマになります。エネルギー的に造られたものは、いつかは必ず三次元の世界で現象化されます。ただそれがいつ、どのように現象化されるのかは、一人ひとりの持っているエネルギーによってかなり違います。

人間関係において学びのテーマとなっているものは、その人の持つ人間関係で造られたエネルギーに依存します。人間関係において、いつもトラブルを起こしている人、それはそのトラブルの体験を通して、自分が成長するように造られている場合があります。一般に、感情のレベルで人間関係が悪化する人と、コントロール、束縛し合うエネルギーで人間関係が悪化する場合があります。

感情の面でトラブルを起こすのは、自分の好みに合わない、エネルギー的に良い気持ちになれない、存在そのものが自分には好ましくない、そういった感情のレベルでの思いが自分の心の中にあり、それによって人間関係を悪くしていきます。こういう人の場合は、感情をコントロールするというやり方以前に、感情によって人を判断する、好き嫌いの好みによって人間を分けていく。そういうやり方自体に本質的な問題があります。自分の好みに合うか合わないか、自分が楽しいか楽しくないか、そういう感情だけで人を判断していると、人間関係において感情面でのトラブルが多くなることになります。

こういう人の学びとしては、好き嫌いや良い悪いで判断するのではなく、どの人間も同じように接し、その中で喜びをみつけていく、人間の素晴らしさを感じていく、どんな人にも良いところがあり、それを自分で探そうとする、そういうことによって克服することを理想としています。現実の中において、それをうまく克服している人は、そんなに多くはいません。ほとんどの人は、自分の感情が正しいと思い、自分の感情に合わない人を次々と切り捨てていきます。

思考のレベルでのトラブルは、自分の思い通りにさせようとしたり、自分の願望を満たそうとして人を操作したりするところから始まります。こういうコントロールのエネルギーはほかの人間を苦しめ、ほかの人間の自由を奪っていきます。しかし基本的に人間はほかの人間をコントロールすることはできません。本人の自由意思が優先しており、本人が望む限りは自由意思ですべて動くことができます。したがってコントロールのエネルギーを出しているものは、実際には自分が自由を奪われるという状況を造り出し、そして自分が自らトラブルの中に巻き込まれていきます。こういう人間関係を通じて、一人ひとりが感情を学び、思考を学んでいきます。

今の人間のレベルで、思考と感情をうまくコントロールしている人はそんなに多くいません。しかしその感情のレベルを自分の学びに合わせて、今の自分のコントロールできる範囲内でコントロールすることを理解し、そのレベルで努力しようとする人、一気にすべての感情をコントロールするのではなく、今自分が一番テーマとしている感情、嫉(そね)みとか妬(ねた)み、憎しみ、孤独感、こういった感情を自分なりに理解し、それを克服しようとしている人は、そこに意識を向け、それを自分なりに練習し、コントロールするやり方が可能になっております。

自分の心の中で、もうコントロールできている感情、まだコントロールは十分にはできていない感情、とうていコントロールするには時間がかかりそうな感情、いろんな種類の感情が潜んでいるものと思われます。一般にトラブルが起こる場合には、まったくコントロールすることができない感情が一気に吹き出したとき、何かを引き金にして急に出てきたとき、その時にトラブルが起こります。

自分の痛いところを突かれてしまった、知りたくないことを人から指摘された、自分では分かっているのにわざわざ何度もそれを言われた、そういうときにいろんな感情が起こります。思わず、耳をふさぎたくなるもの、知らんぷりするもの、分かった分かったと言ってごまかしてしまうもの、いろんな人がいるでしょう。でもほとんどの場合、相手の言葉に耳を正しく向けてそれを自分なりに改善しようとする人はそんなに多くはいません。

したがって感情のコントロールの第一歩は、まず相手の言葉を素直に聞く、指摘された言葉を素直に受け容れる、これが出発点になります。感情をコントロールしようと思ってもなかなかできない、そういう人は感情ばかりに意識が向いている可能性があります。感情に意識を向けるのではなく、まず素直に相手の言葉を聞き入れる、素直に指摘されたことを認める、こういう素直さがいちばんの鍵を握っております。

自分にいろんな感情があって、これはコントロールできている、これはコントロールできていない、そう分析するのは構いませんが、実際にそれを自分の努力でコントロールするためには、まず共通して素直さが必要であるということ。この素直さを抜きにして感情のコントロールはあり得ないのです。自分の克服できない感情よりも先に、まず素直さを自分で調べ、素直さのエネルギーをまず普通の人間関係で使えるようにしていくのをやってみてください。


A感情そのものではなく感情の表現の仕方を

今の話に少し関係するかもしれません。感情を克服しようとしても、うまく克服できない。まずそういう人との場合には感情のコントロールということがなんであるのかを出発点から考えてみる必要があるでしょう。感情のコントロールということを自分の体とうまく照らし合わせ、楽しいときは楽しく、また否定的な感情が沸き起こってもそれを表に出さず、常に冷静沈着に行動しているような状況を思い浮かべる人がいるかもしれません。感情のコントロールは何も無表情や反応しないという意味ではありません。むしろ面白いときや楽しいときは心から笑い、悲しいときは涙を流し、怒りが込み上げてきたときにはそれを表現することも必要です。

ただ感情が問題を起こすのは、その感情のエネルギーの使い方です。感情のエネルギーを喜びや楽しみとして放出し、それを多くの人間で分け合うことはとても良いことです。しかし感情のエネルギーを放出するとき、怒りや憎しみとなって表現するときには、それは相手のエネルギーを傷つけ、相手のエネルギーを重くしてしまいます。これは良い反応をもたらしません。

したがって感情のエネルギーを出すときに、どういう風にして出していくのか。人を責めたり、人を呪ったりして感情のエネルギーを出した場合に、その感情のエネルギーは確実に相手に影響を与え、相手の行動に好ましくない状況を造り出していきます。しかし喜びを感じながら、感情のエネルギーを出すと、その喜びのエネルギーはいろんな人にも影響を与え、喜びの場をたくさん造り上げていきます。

したがって、感情自身の問題ではなく、感情のエネルギーを表現するときに、どういう思いで出しているのか。どういうエネルギーを感情を通して表現しているか。これこそが一番大切なポイントです。いくら冷静沈着に行動しているように見えても、口から出る言葉が否定的なことばかりで、相手を責める言葉であれば、それは相手に不快感しか送り出していません。自分の持っている感情をよく調べて、自分の場合の感情のコントロールとはどういうことなのか。感情を押し殺すことではなく、しっかりと表現しながらも、感情をコントロールする。そのやり方を身に着けるようにしていってください。


B地球の成長と各自の変化

私たちは別の話をいたします。新しい年を迎え、気持ちも新たにして、今年を過ごすことになっているでしょう。皆さんの心の中にも、やりたいこと、やってみたいことがいっぱい入っております。でも今年はいろんな意味において、皆さん方に変化をもたらしていくでしょう。その変化にはいろんな意味があり、物理的な変化、人間的な変化、環境の変化、いろんなレベルで変化が感じられます。

この変化は一人ひとり現れがかなり違います。明らかに変化として気づく人がいれば、変化と気づかずにごく普通に過ごす人もいるでしょう。この変化のエネルギーを自分が使うときに、自分はそれをどういう風にして活用していけるか。変化は一般に一人ひとりの成長をもたらします。変化する前と変化したあとでは、何らかの成長が行なわれております。

ただそれが人間的なトラブルによる変化の場合、一人ひとりの現実のエネルギーがかなり自分のペースで変わっていく必要があります。今まで自分の現実を造り出していたものは、自分の現実のエネルギーであり、それが今までの現実のエネルギーと組み合わさって現実化されておりました。しかし変化があると、自分の持っているエネルギーと現実化のエネルギーの両方が変わってくるために、それまでのやり方では感情がうまく処理されない状況があります。

新しい流れと新しいエネルギーの中で、感情を使いこなす練習が必要なのです。それはそれまで経験してきた感情の使い方とはかなり違う場合もあります。したがってこれからの新しい時代における感情の使い方はどうなのか。そういったことをよく学んで、それを実践していく時期に入ってきております。一人ひとりが身に着けている感情のエネルギーはとても素晴らしいものが集められております。それをうまく使いこなして、新たなる時代へと自分自身を導いていけるように、現実を造っていく必要があるでしょう。


今年、それぞれに与えられている変化がどういう変化であるのか。ある程度、自分では予想でき、その予想の範囲内の中で、変化をするために、そんなに大きな混乱はなく、1年を無事に過ごせる人、Yukiko.T、Masahiro、Shougo。1年の流れがこれまでの1年とはかなり違うように感じ、自分の予測の範囲以上に変化が感じられるもの、Tae、Keiko。ある程度、予想した範囲内で一見収まりながらも、それとは別にいろんな出来事が同時に起こり、一見いろんなことが次々とやってきているように感ずるもの、Yukiko.K。

Nishidaもそういう傾向があるが、実際にはその変化というものはその時々によって流れが変わるために、どこまでを変化といって、どこまでを計画と感ずるのかが、分かりにくいところがあるかもしれません。一般に変化という場合には、自分が自分のエネルギーでコントロールできる範囲内で急に変わる場合と、自分の持っているエネルギーそのものが変えられてしまい、自分の意思とはまったく無関係にまったく違う流れに入ってしまう変化があります。Nishidaの場合には、本人の持っているエネルギーとは別に、流れが変わる可能性もあり、変化自体が変化すると思っても構いません。


今年は、地球の流れそのものは急速に成長していきます。したがってその地球の流れに付いていけないものほど、自分の流れがうまくいかないように感ずるかもしれません。地球の流れにうまく沿っていくためには、自分自身も急速に波動を変えていく必要があります。波動を急速に変えて、地球に合わせて付いていけるものは、変化を楽しむことができるでしょう。変化しながら、地球と一緒に成長していく自分を楽しんでいくことができます。

地球の成長に合わず、自分のこれまでの価値観や執着にしがみついているものは、やはり変化を多く感じますが、それと同時に混乱も同時に起こり、心から自分で納得できなかったり、分からない現実が次々とやってくるでしょう。いずれの場合も変化は訪れ、ただ結果として納得しているか、納得できないかの差があります。ほとんど変化を感じないという人は、実際には変化の時期よりも先に自分が行動をとっており、いちいち変化を現象化させなくても、いろんなエネルギーが常に高まっている人のことを言います。

そういう人の場合には、先に自分からどんどん意識を上げ、波動を変えているために、自分はただ学びをし、成長しているように見えて、変化を変化とも思わずに過ごしているという場合のことです。こういう今年の変化について、一人ひとりが自分の心をいかにしっかりと保ち、そして成長させていけるか。自分を信ずること、自分は光であると確信すること。自分の人生を自分でつくるということ。この原則を常に見失うことなく、しっかりと自分の足で歩いていけるようにしていってください。


C変化のエネルギー

最後に話をして、終わりにいたします。虚や、お昼から変化という言葉を何度も聞かされ、皆さんももう慣れてしまったかもしれません。変化って、好きですか。私は変化です。私は変化そのものを表すエネルギーです。私を好きな人ほど、変化を好みます。私は変化を通して、自分に気づくことを教えるように創られております。変化を体験すると、皆、自分のことを考えます。何か間違ったことをしたのかなぁ。これでいいんだろうか。そうやって自分を振り返ります。

変化を否定的にとる人もたくさんおります。なるべく変化がないように計画をつくって、変化が起こると慌てふためく人がたくさんおります。でも私はそういう人たちが大好きです。変化をして慌てふためくときほど、私たちの波動が一番働いているときなのです。私たちのいちばん活動の極地にあるある状態です。変化を変化とも思わずにそのまま過ごしてしまう人は、なんかつまんないです。自分のことを見てくれないんです。

でも、自分の意思でどんどん先取りしている人は、実際には変化のエネルギーを使わなくても自分を理解し、一生懸命、自分を成長させている人もおります。そういう人はそれでかまいません。私は変化を怖れている人、恐がっている人のところにいっぱい入っていって、そしてわざと変化をさせると、皆、ビックリします。「わぁ、こんなことが起こった、どうしよう、どうしよう。マニュアルに書いていない。誰も教えてくれなかった。あの人が嘘を教えた」。皆、そうやって他人の所為にします。皆、他人の所為にします。でも本当は自分の所為なんですよ。それに気づかせようとして、変化を創っているんです。皆さんも、もしこれから、なにか変化があったとしたら、「自分が変かなぁ」と思ってください。では、休憩をとります。ありがとうございました。


D自分は自分の力で現実を創る

私たちは人間と一緒に学びを続けている、あるエネルギーの集まりです。私たちはこの地球の人々の思考について学びをしており、地球の人々が思考のエネルギーを造り出すときに、どういう働きをし、エネルギーを使って行動するのかをしらべております。地球の人間といっても、人種や宗教によって思考のプロセスがそれぞれ違います。日本人の場合の思考のプロセスは、漠然と頭の中でイメージし、自分をどう見てもらうのか、自分の思いをどう感じてもらうか、それを表現しようとして言葉を発していきます。

その場合の言葉は、自分を正当化したり、わざと意味付けを行なったり、脅したりごまかしたりして、自分をみてもらうという波動が出ていきます。ギリシャ人や哲学の好きな欧米人は自分が理解したことをいかに相手に伝えるか、自分の理解をどのようにして表現するか、そういう思いで思考を表現していきます。アフリカやまだ文明がそれほど発達していないといわれている人種たちは自分を表現するというよりは一体となって何かをし、全体が一つの流れとして自分を認識し、全体における自分の立場を表現する傾向が中心となっております。

したがって先ほど、話されていたように、自分が周りに合わせたり、周りから非難されるのを恐れたり、うまく表現できずに適当に言ってしまう、これはすべて日本人特有のエネルギーともいえます。確かに欧米人でも嘘をつくひとはたくさんおります。でも彼らははじめから自分が嘘をつく人間であるというのを前提とし、人に責められてもいっさい自分の非を認めず、とりあえず自分は正しい人間であるというのを立証させようとして論理をつくっていきます。

日本人の場合には、自分は間違ったことをしてしまった、悪いことをしてしまった、という思いがどこかにあり、その思いの中で苦し紛れの屁理屈を並べていきます。日本人のこういう思考の形態はかなり古くから存在しているように見受けられます。日本に海外からのいろんなエネルギーが入り込んできて、日本人同士の意思の疎通がうまくいかないようになってきてから、皆と違う、皆とは別に行動する、という人々が少しずつ増えてきて、皆で一緒に楽しく分かち合うといった日本のエネルギーが少しずつ壊されてきました。

そのころから皆とは違うという行動が目立つようになり、つい西洋化しようとしていろんな理由を並べ立てる人間が現れてきました。皆と違うことを堂々といえず、ついごまかしたり、嘘をついたり、屁理屈を言ってしまう。これは、皆と同じでなければいけないという価値観からもたらされたエネルギーでした。欧米のように、はじめから個別主義であり、はじめから他人と違っていて構わないという土壌においては、自分のしたいことを自分ひとりでするといっても、ほとんど問題はありません。

しかし日本では皆で一緒に作業をするという習慣が強かったために、皆と違う言動をとる人間をとても奇異に思っております。そして合わせなければいけないという思いが次第につくられていき、皆と違う言動をとる状態が不自然なようにつくられてきました。今の時代において、日本人はこのエネルギーを変えようとして、いろんな作用を行なっております。個性の強い人々を次々と生まれさせる、人の意見を聞こうとしない人間を次々と送り出す、マイペースで生きる人間を送り出す。しかし日本の伝統的なエネルギーである、皆で分かち合うというエネルギーもとても素晴らしいものがあります。したがって皆で一緒にやるというエネルギーを残すのに、得意なものはその役割を演じられるでしょう。

今、こういう状態の中で、日本が非常にまとまりにくい段階に入っております。皆で一つのことをやることもできなくなっており、かといって一人ひとりがしっかりとした行動をとっているかどうか。これもまだ不完全な状態にあります。一人ひとりの行動の基準が明確でない場合があるために、一人ひとりは実際にはどこに向かっているのかが分からない状態になっているのです。

皆に合わせるというのがおかしいとは思っていても、自分ひとりで行動する場合、どういう行動の仕方が適当なのか、どこに向かって進むのか、それが分かっていないのです。そのために皆でやる場合にしても、ひとりで行なう場合にしても、両方とも自分には納得がいかず、結局、中途半端に対応してしまうのです。皆に合わせることなく、しっかりとして自分の道を歩こうとしているもの、こういう人々は、自分なりに自分の進めべき方向性、自分の価値観を理解し、尊重し、それを前提にして行動できるようにしていく必要があります。

自分の造り上げた信念を通すというのは、勇気が必要であり、忍耐も必要です。自分の信念を押し通すというのには、とても強いエネルギーが必要なのです。今までそういうエネルギーを皆さんは使ったことがありませんでした。皆で一緒に何かをする場合に、そういうエネルギーは必要なかったのです。全員の流れのエネルギーが出来上がり、皆がそれにのっかるだけで進むことができたからです。ひとりで自分の行動をとる場合に、皆のエネルギーではなく自分のエネルギーで進まねばなりません。しかしその訓練をしていない日本人は、自分のエネルギーで自分の流れをつくることができないのです。

そのためにどうして良いか分からず、混乱に陥り、結局は誰かほかの人の言ったアドバイスに従う、ほかの人が皆やっているのと同じことをやってみる、誰かの言うとおりにやってみる、そういう風にしてほかの人のエネルギーで流れをつくろうとします。しかしその場合も普通はうまくいきません。人のエネルギーを使っている以上、自分の流れにはならないのです。自分が満足するためには、自分のエネルギーで自分の流れをつくらねばなりません。したがってこれから自分がほかの人と違うことをやってみたいと感じたとき、徹底的に自分のエネルギーで進めていく必要があります。ほかの人のアドバイスやほかの人がやったこと、本で読んだこと、そういった情報が自分にはもう当てはまらなくなります。自分は自分の考えで、自分のエネルギーで進めていく。これしかうまくいく方法はないのです。

したがってほとんどの人も、一番大切なことは、誰の言うことを聞くかとか、どの本に書いてあるかとか、誰に従うのかではなく、いかに自分が自分のエネルギーで進めることができるか、自分ひとりで自分の流れをつくっていくことができるか、そこに集約されるのです。何をやるのが当たり前だとか、どうするのが常識とかいう価値観ではなく、とにかく自分のエネルギーで自分の現実を造っていく。これを進めることが必要です。

自分のエネルギーで自分の現実を造る限り、それはすべてうまく現実化していきます。たとえ、模範解答であったとしても、ほかの人から教えられたものは自分には当てはまりません。必ず、混乱が起こります。今後の現実の流れをつくるときに、その仕組みをよく理解して、あくまでも自分は自分の力で現実をつくっていく、それを徹底させるようにしておいてください。


Eあだ名、呼び名について

先ほどの話の中で、シンボルについての話がありました。特に、あだ名とか呼び名についての意見がありました。一般に名前には波動とエネルギーが入っており、それはその人の肉体的な特徴や魂のエネルギーを表現しています。ユキコという波動を宇宙でみた場合に「ウィーカゥ」、「ウヒーカゥ」... これはあなたの魂の一つの波動から起こされるエネルギーです。これはあなたが自分の魂を呼ぶときにも使えます。この響きによって魂はあなたとつながった一つの特殊なエネルギーを降ろすことができます。しかしそれはあなた自身の自分の意識でコントロールすることはできません。魂があなたの体を通して使える唯一の波動です。

「ユウヒーカウ」、この波動を身に着けるのに、魂はある特殊な訓練を行ない、それによって人間の肉体にエネルギーを流すという能力を身に着けてきました。あなたはその時の担当者であり、それを肉体に降ろすためにいろんな準備をして今までやってきました。したがってあなた自身を特徴づける名前として、ユキコという日本の名前はいちばん相応しい名前になっております。

そういう名前とは別に、呼び名やあだ名、愛称と呼ばれるものがあります。これは一般には人間の概念でつくられたものであり、魂やスピリットとは関係しておりません。しかし時々、その愛称の持つ波動とスピリットや魂の持つ波動に何らかの共通点があり、それがその人に対して意味がある時に、その愛称をわざとその人に与える場合があります。

Hiroakiさんの先ほどの、「ぼん」という話において、じっさいにはこれは魂とは別のレベルでの波動から周りの人々にエネルギーが出ております。魂があなたをつくるときに、あなた自身の必要なエネルギーとしていろんな状況を創り出していきました。その中の一つに、日本人に欠けているエネルギー、そしてこれからの時代において必要なエネルギーは何であるのかを探し出し、それを身に着ける練習をしていました。

魂はその時に、日本の、いわゆる欧米化した人間のところで何度もエネルギーを獲得し、そのエネルギーを自分のものとしてあなたを創り出していきました。したがってあなたのエネルギーをつくるときに、欧米化した日本人のエネルギーをたくさん取り入れたことがあり、それが周りの人々に「ぼん」というイメージを起こさせる状況になったものと思われます。愛称がすべてそのような理由とは限りません。思い込みや概念、単なる雰囲気でつける人もおります。したがってすべてがスピリチュアル的な意味があるとは思わないようにしておいてください。


名前については、本当に一人ひとり、本当に奥深い意味があり、魂やスピリットにとってもとても意味のあるものがたくさんあります。名前を勝手に変えてしまったり、いろんな名前を自由に使い分けて楽しんでいる人もいますが、やはり自分の持っている名前は何らかの意味があります。場合によっては魂の波動そのものを現している場合があります。自分とは何かを探る上において、名前という基本的なことも、ある意味ではとても大切なものかもしれません。自分のすべてに興味を持ち、自分の正体を探すための道具として名前や愛称も考えてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1999 CentralSun
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