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1999/8/2■月曜交流会から

地球は不思議なヒントがたくさんある

@地球には素晴らしいヒントがたくさん隠されている

私たちは私たちのことについて、少し話をしてみます。私たちは私たちのことについて話をすることは許されておりません。私たちは皆さん方とは深い関係を持っているにもかかわらず、私たちのことをいちいち説明することは許されてはいないのです。なぜならば、今の皆さん方の意識レベルにおいては、どのような言葉を使って私たちを説明しようとしても、私たちのホンのわずかな姿でさえもつかむことはできないからです。

というのは、多くの人が神や天使、マスター、宇宙人、という名前で存在を定義し、それらを理解することによっていかにも自分たちが成長をなしているかのように勘違いをしているからです。まず皆さん方がいちばん理解すべきことは、今まで地球人に伝えられてきた神にしても天使にしても宇宙人にしても、その分類はほとんど意味がありません。

ある存在が勝手に天使として現れたり、宇宙人として現れたり魂として現れたりしている場合があれば、地球にとても強い影響を与え、毎日、皆さん方のためにいろんな努力をしているのにもかかわらず、まったく人間と話したことがなく、また姿を見せたことのない存在がいたりします。そういう存在に限って、自分の正体を露にしたり、名前を表現したり、人間と接することはほとんどないのです。

そのために多くの人は、宇宙の存在といえば、すぐどのレベルからやってきて、どういう働きをして、どれだけ素晴らしい力を持っているか、そればかりを聞こうとする人が後を絶ちません。そういう存在は、実際にはホンのわずかであり、たまたま皆さん方と接する機会が与えられたからそういう姿を使って現れているに過ぎません。それは真の宇宙の姿ではないのです。

では、真の宇宙はどういう姿になっているのか。それはまず、根本から考え方を変え、自分たち自身にしても位置づけを作り直す必要があります。多くの人が地球という惑星で一人ひとりが役割を持って地球のために奉仕を為し、それを終えたら自分の場所に戻ってまた新たな生活を始める。そう思っているようです。これは地球という惑星に対する考え方そのものが間違っているために、そう思われているに過ぎません。

地球はまったく新しい体験の場として創られたものであり、地球でしか体験できないものがたくさんあります。今までどこかの惑星で体験してきた生命体にしても、地球で体験を重ねると、地球の素晴らしさや神秘さが次々と表に出てきます。どんなにほかの惑星で体験を重ねても、地球にはかなわないのです。地球で体験をするということは、ほかの惑星ではまず体験できないことを次々と体験できる機会が得られるために、早く地球から去ろうとか、地球から出るという思いは普通は持ちません。むしろ、できるだけ永く地球で生活をして、この不思議さをどんどんと調べていく。いろんなエネルギーをどんどん取り入れていく。普通はそういう風に考えていきます。

にもかかわらず、人によっては、早く地球から離れ、故郷に戻りたい、という人がおります。せっかくの地球での体験をあまり意味のないものにして、喜びをわずかしか体験できないまま、地球から追い出そうとするものたちがいるからです。地球での体験を短くして早々と追い出そうとするのは、地球があまりにも素晴らしいために、自分たちだけで独り占めにしてほかのものたちには奪われたくないという気持ちから起こしているのです。したがって地球はつらい星で、早く地球から離れて、故郷に戻りたい、宇宙に戻りたい、と考えている人は、別のものたちにまんまと騙されており、本来、地球にやってきた目的でさえも忘れ去ってしまっているのです。

自分たちが地球に何を求めてやってきたのか。地球には何が隠されているのか。この地球には喜びがたくさん隠されており、それを皆さん方が見つけ出し、ほかのいろんな宇宙に持っていく働きがあるのです。ほかのどの惑星でもどの世界でも見つけられなかった喜びや答がこの地球にあるのです。何万年、何十万年と争いを続け、その解決がつかないまま地球にやってきたものたち、この地球においてそれを終結させるヒントが隠されており、それを見つけ、自分たちの世界に戻れば自分たちの世界が争いを終えることが可能になるのです。

自分自身のテーマがあって、何万年も宇宙を旅して、いまだに解決できなかったもの。それがこの地球に来て、地球でいろいろ探し出せば、その答が見つかるのです。地球はそういう不思議なヒントがいっぱい隠されており、多くのものたちがほしかったヒントや答があちこちにあるのです。そしてそれをどんどん宇宙にもって帰ったり、広げたりすれば、宇宙は次から次と喜びが広がっていき、宇宙全体が新しい光とエネルギーに変わっていくのです。皆さん方はそのヒントを見つけるために地球にやってきているのです。

したがってそのヒントを見つけないまま、ただ故郷に帰ろう、もう疲れたから帰りたい、面倒臭くなった、と言っている人は実際にはまだ何も見つけていないのです。今までの地球は、見つけようとしないものには絶対に見つからないように、いろんなものたちの仕組みが働いていました。人の言うとおりに動かないと動けない人、人から指示されないと行動できない人、自分では考えることができない人、こういうものたちはただほかのものの言うなりになって自分では喜びが見つからないように仕組まれていました。今、そういうエネルギーが少しずつ離れてきており、本当に自分の力で喜びを見つけたいもの、本当に自分の手で答を手にしたいもの、そういうものたちにはどんどん答が近づいてくるように仕組まれているのです。

何故、地球がこういう状態になったのか。何故、今までいろんな争いや苦しみが続いて、人間同士が争いを演じてきたのか。その答でさえも見つかるのです。今までの価値観や考え方はもう通用しません。これからは自分が自分の手で見つけようとするものにその答が与えられるでしょう。人の言うとおりに動くのではなく、自分の意思で動こうとするものには生命のエネルギーがどんどん流されていくでしょう。喜びをほかの人に分け与えたいと思う人には、その喜びがほかの宇宙にも届くように、いろんな仕組みが創られていくでしょう。皆さん方一人ひとりはそういう役割をもって地球で活動しているのです。

地球においてこれまで演じてきたもの、確かに一見つらく悲しく愚かな行為ばかりが目立ったかもしれません。でもいつまでもそれを前提にしていたり、それを甘んじて受けている必要はありません。波動がどんどん変わり、それらの拘束力もどんどん弱くなり、今は自分の手で、自分の意思で自分を変えることが可能なのです。


A地球から早く出ようとするものは騙されている

私たちは今、いろんな方法を使ってこの地球が変わるための準備を進めております。天使やマスター、神を信じているものはそれらの存在が働きかけて協力していくでしょう。でも私たちはこの場においてはそういう働きかけはほとんどしません。神や天使やマスターがすべてではないからです。私たちはなるべく本当の宇宙の姿を皆さん方に理解していただき、本来の姿そのもので皆さん方と接し、皆さん方も本来の心を表に出して私たちと接していただきたいのです。

神や天使が来たら畏れ多く丁寧な言葉遣いで接し、宇宙人と聞いたら少し安心して和やかに話す。そういう区別は私たちにはあまり好ましくはありません。何故そういう区別をしなければならないのか。神であろうと、金星人であろうと、ほかの人類であろうと、同じように接するのが私たちの望んでいるやり方です。現に、私たちからみれば、皆さん方一人ひとりもほかの宇宙の存在も何一つ変わることなく、同じ生命の仲間として存在しているものにしか見えません。

宇宙の真理を勉強しようとしていろんな概念を身に着けている者たちがおります。宇宙はこうなって、次元がこうなって、地球はこれからこうなる。それを得意げに話しているものもおります。でも実際は何一つ、真実とは違います。地球のこれからの流れはまだどの人間にも明らかにはされておりません。アセンションとかフォトンベルトとかでいろんな言葉を使って一見知識を提供している人間がおります。でも地球の流れはそういうものたちの言うとおりには進んではいきません。

もっともっと一人ひとりが喜びを感じ、宇宙の神秘さや不思議さを感じ、神を実感できるように現実が造られていきます。そして自分がどこから来て、何をして、何に目覚めて、自分はどう生きていくのか、そういったことがもっともっと分かるような現実が一人ひとりに必ずやってきます。天使に言われた通りに行動するとか、宇宙人の言う通りに従うという生き方がまったく意味のないものになっていきます。自分がどこから来て、自分が何をして、自分はどこに向かうのか。自分で分かるからです。ほかのものたちにいちいち聞いたり、言う通りにする必要がまったくなくなっていくのです。

自分で自分のやるべきことが分かると、自分が本当に地球で為すべきこと、自分がどうしてもやりたいことがどんどんはっきりと分かっていきます。そして地球の大切な意味が分かり、何とかして最後まで地球上で頑張って、自分の命のある限り地球で生きて、一生懸命、ヒントを見つけ、自分を成長させたいという気持ちがはっきりと強くなっていきます。早く宇宙に帰りたいとか、故郷に帰りたいという思いはほとんどなくなっていきます。むしろ、命ある限りこの地球上で生きて生きて生きて、トコトン生きて、ヒントを見つけ、喜びを見つけ、多くの喜びを持って帰るという思いがどんどん強くなっていきます。

もしそういう気持ちが湧いてこない、やはり早く帰りたい、と思っている人がいるのであれば、それはもう私たちの思いやエネルギーが届かないぐらいに別のところを歩いているのでしょう。もう私たちの言葉が通じないぐらい、別の世界に行ってしまっているのです。あまりにも私たちからかけ離れ、別のものたちの操り人形で動いているものたちには私たちもいちいち干渉することはなくなっていくでしょう。

私たちはこの地球を守るために一生懸命、頑張っております。でもそのためには皆さん方一人ひとりが自分のために頑張る必要があるのです。自分が地球の喜びを自分の手で見つける。どうやって見つけていくのか。地球にやってきたときのことを何とかして思い出そうとする。今、自分が何を為すべきかを自分で分かろうとする。自分でやろうとするものに対し、私たちも一生懸命、協力をしていきます。

自分の足で歩き、自分の手で未来を造れるものたち、地球はそういう人間に対し、いろんなメッセージを送り届けております。自分で考えていく、自分で歩くように、自分で喜びを見つけるようにと。もう多くの人々は宇宙から学ぶべきものはほとんど学び終えております。天使や神の名前をいっぱい覚えたところで、皆さん方の目覚めには何一つ役に立たないということはもう分かっているはずです。

宇宙の構造が分かったからといって自分が目覚めるわけではないことも分かっているはずです。にもかかわらず、そこにばかり意識を向けているものたちが山ほどいるのです。いつになったらこういうものたちは目覚めるのでしょう。地球は一人ひとりにメッセージを送り届けています。地球が望んでいるもの、一人ひとりがとるのにいちばん相応しい行動、いろんな情報を常に送り届けております。

そしてあるものは確かにそれを受け取り、旅行に出掛けたり、友達と遊んだり、喜びを分かち合って生きております。しかしあるものは、そういった情報をまるで別の情報であるかのように受け取り、さらに地球の望んでいない方向へ、宇宙の思いとは違う方向へと進むものたちもおります。いくら、本人がそれが好きだから、勉強が好きだから、面白いから、と思ってどんどん進んだとしても、今の時点においてはもうほとんど意味がないのです。もう今はそういう時代ではないのです。

今はいかに自分の足で歩くか。これが大切な時代なのです。現実を見てみたら分かるはずです。一人ひとり、混乱を抱えているものがたくさん出てきました。社会が混乱し、家庭が混乱し、自分も混乱している。自分の足で歩くことを身に着けたものは何も混乱しておりません。しかし自分の足で歩くことがまだ見つかっていないもの、誰かの言うとおりにしてみようとか、プライドや経験にただ頼って強引に生きようとするもの、権力をすぐ全面に出すもの、もうそういうものたちもスムーズには生きていけないのです。

いつになったらそれに気づくのか。いつになったらそれを手放すのか。それは私たちにでさえも分かりません。一人ひとり自分の問題です。しかしいつかはそれを手放さないと、生きてはいけないということに気がつくはずです。もう社会がそういう社会ではない、周りの人間もそういう人間たちだけではない。それに気づいてくると、生き方を変えざるを得なくなってくるのです。一人ひとり、それに目覚め、自分はどうやって自分の足でどこに向かっていくのか。どういう生き方をしていくのか。それをはっきりと自分で造り上げるようにしていってください。


B人間の概念に合わせて話を進める

さて、少し話をして休憩にします。私たちはあまり天使とか神とかを表立って否定したり、あるいはそれを全面に出したりすることは好んでおりません。それを信じているものは信じて構わないし、それを信じていないものは信じなくても構いません。ただ言えることは、神や天使を信じているものは、成長がどうしても遅い可能性があります。自分たちで造り上げた概念があり、その概念と違う場合には受け入れないことが多いために、新しい概念や新しい情報がなかなか頭の中に入っていかないのです。

しかしまったく何もそういう概念のない人はまた私たちの言おうとしていることがなかなか伝わるにくいために、それはそれで成長がとても遅い場合があります。ではどういう方法が良いのか。それは私たちにも分かりません。一人ひとりまったく違う概念を造り、まったく違う生き方を身に着けているために、全員に同じように話すことがもう無理になっているのです。

したがって私たちはあるときは天使として現れ、あるときはマスターとして現れ、あるときは宇宙人として現れ、あるときは単なる意識として現れて話をし、その時々の状況に応じていちばん好ましいと思われる話をしていきます。いずれにしてもそれはその時にわざわざ形作ったものであり、私たちの真の姿ではないということを理解しておいてください。私たちの真の姿をここにもってきても、それを皆さん方が感じたり、うまくコミュニケーションをとることは不可能です。

皆さん方と接するためにはどうしても何らかの概念を使わざるを得ないために、どうしても私たちは皆さん方に合わせてしまう必要があるのです。しかし皆さん方の方でその概念をどんどん変え、少しでも私たちの本来の姿に近い概念に変えていくと、私たちはそれを使ってより私たちの真実を表しやすい話し方をしていくのです。したがって皆さん方も、できれば本来の私たちの姿を少しでも理解しようとし、それに合わせた概念を造っていかれるようにしていただきたいと思います。

それではここで少し、休憩をとります。ありがとうございました。


C癒してあげる、のではなく癒し合う

私たちはこれからの流れについて少しお話をします。多くの人が癒しや奉仕という役割を演ずることにより、人々の役に立って喜びを分かち合いたいというようになってきました。喜びを分かち合う方法として、まだ誰も知らないものを自分が見つけてきてそれを分かち合う、自分が発見したものを皆で分かち合う、これはとても大きな喜びになります。今まで問題があって、解決できずにずっと影響を与えており、それによって流れがスムーズに進むことができなかった。それに対しての解決を見つけ出し、流れが一気に良くなり、楽に進むようになった。これも喜びを分かち合うことになります。

癒しをしたいという人の気持ちをみた場合、単に自分が何らかの手伝いをしたり、その人が楽になることを考えて自分が良い働きをするという感覚で癒しや奉仕を考えている人がいる場合、これは必ずしも進の分かち合いにはならない場合があります。癒しにしても奉仕にしても、お互いのエネルギーのやりとりが必要であり、自分にも癒しと同じエネルギー、奉仕される側と同じエネルギーが必要になるからです。したがって相手が癒しが必要で、それで困っている場合、自分がそれを解決する場合には、自分の持っている波動とバランスをとり、お互いの癒されるべき波動に応じてエネルギーがやりとりされます。

したがって厳密には、一方的に自分が相手を癒すという行動はありません。お互いに癒し合い、分かち合い、成長し合うという状況しか存在しないのです。癒してあげたい、本来はこういう用語は存在しないのです。相手が、友達が一人もおらず、表現できず、いじめられている、それを解決しようとする場合にはそれと同じ波動を自分が持っている必要があるのです。そしてお互いにそれを分かち合い、その部分をお互いで癒し合いする。

もしその波動を持っていなければ、いくら頑張って癒しのエネルギーを流したところで、真の癒しは起こりません。それを分かっていながら、癒しをしたいという表現をとる場合、何のために癒しを行うのか。そこにもっともっと意識を向ける必要があります。ただ、相手が苦しんでいるから、治してあげたい。これはまるで、テストの最中に答が分からず苦しんでいるから、答を教えてあげたい。それと同じことであり、それが本当に最善のやり方でしょうか。日本人はすぐ答を教えてあげたり、すぐ結果を与えることにあまりにも無頓着過ぎるところがあります。

そして喜んでもらったら、ただ自分は喜びを感じる。自分が嬉しい。やってはいけないことをやっても、相手が喜んでくれたら、それでよい。そういう無頓着さが多くの人人々にあります。癒しや奉仕について考える場合、表面的なことだけで行うのではなく、その人が本当に何を学んでいるのか。自分は本当に何を体験しようとしているのか。それを良く考え、深いレベルにおいてエネルギーの交流が必要になります。

ただ、表面的にみて、相手が喜ぶから、面白そうだから、お金になるから、という考えで行動に移したとしても、それは必ずしも相手の癒しには繋がらないことがたくさんあります。自分のやりたいことをやってみる。自分のしたいことをどんどんやってみる、それはそれで構いません。ただその場合の自分というものがどこにあるのか。単に表面的にうまく生きようとしている自分がその時の自分なのか。深いレベルにおいて、人々と分かち合うことを喜びとしている自分がその自分なのか。自分をどのレベルに持ってくるかで生き方がまったく変わってきます。

自分が本当に何を求めて相手のために行動しようとしているか。自分は最終的に何を望んでいるか。それをもっともっと自分で見つけるようにしていってください。、


D運命や宿命を信じないこと

さて、今日は日常、生きる上でどういう生き方、どういう見方が大切なのか、どういう風にして毎日を過ごしていくかを考えるためのヒントを話していきました。Yさんの場合は、自分なりにいろいろやってみて、今、自分がどこに向かい、さらに何を自分の喜びとしていくのか。今、いろいろと模索している最中といえるでしょう。自分についていろいろと考えていくうちに、今までの生き方は自分でどうだったのか。これからは自分はどうやって生きていくのか。少しずつ少しずつ明確になってきております。

今まではある程度、あまり深く考えなくても十分に生きることができました。これからは社会自体がどんどん難しくなり、かなりいろいろと考えていかないと、自分もうまくやっていけない流れになっていきます。ただ単に漠然と感じていたり、大雑把な生き方ではだんだん難しくなっていくのです。ではどこまである程度、考えたらよいのか。

必ずしも一つひとつを細かく限定させる必要はありません。いちばん大切なのは、方向性として自分は何を喜びとし、どういうことが楽しいのか。その方向性が自分で見つかった場合に、その方向に合っていれば自分ではそれで良しとしていろんなことをやってみる。少しぐらいずれていても、方向性が合っていれば、それをやってみる。そういう程度で頑張っていってください。あまり細かく考え、少しでもずれたり、合わないと、悲観したり、嫌になるとかいう必要はありません。

しかしだからといって、まったく関係のないことをいろいろとやってみて、ただ面白いからといって進めていくと、いつかの時点でそこにはいられなくなる現実が造られたりします。そういう風にやむを得ず、変わらざるを得ない状況が起きたときには、それは流れとは違う方向に進んでいたという風に理解をしておいてください。


Kさんの場合では、今、本当に自分がどういう風に何をして良いのかが見つけられない状態にあります。今はいちばん、あなたにとって大切なテストの時期になっております。あなたの場合にはとにかく、何かが決まっていて、教えてもらってその通りにやる、運命や宿命のように感じて、それを全うしようとする。その思いがあまりにも強いために、自分の意思でつくるということがほとんど不可能な状態になっているのです。

あなたが自分の意思で自分の流れをつくるためには、運命や宿命のようなものを完全に捨て去る必要があります。でもいまだにそれに固執しており、教えてほしい、知らせてほしい、というのがまだまだ残っているのです。自分で自分を進めていく。流れをつくる。そのやり方がまったくつかめておりません。今のうちに、はっきりと述べておきますが、私たちはあなたにどうせよ、こうせよということはいっさい言うつもりはありません。しかしインスピレーションでは毎日のようにあなたに与えております。

あなたがいかにそれをキャッチして、行動していくか。私たちはただそれをみて、それによって次の現実を進めていくだけです。自分で受け取って、自分で進んでいく。その生き方を早く身に着けるようにしていってください。


これからも現実についての生き方や自分がどうあるべきかについての話題が何度も繰り返されるでしょう。それはまだ自分がどういう現実をどうつくるかが分かっていない人が多いときに、伝えられるものです。したがってそういう話題が流されたときには、まだまだ現実を造るやり方が自分でうまくできていない、どうしてもどこかに甘い気持ちがあり、アドバイスをもらう、教えてもらうという気持ちが潜んでいる、そういう状態であるという風に理解をしておいてください。

それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1999 CentralSun
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