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1999/6/26■特別セミナーから

光そのものは一つだが現れは多様

@光の存在はその時々で最適な姿をつくる

私たちは光の世界からお話をいたします。光についてのいろんな話がなされました。私たちが地球人と接するときに、マスターとか天使とかいう姿を使って皆さん方と接しております。私たちは基本的には全体でひとつの光を作っており、光が個別に分かれているわけではありません。しかし皆さん方の意識とつながろうとするときに、私たちの光そのものでは皆さん方と接することができません。

そのために皆さん方と接することのできる一番良い方法を見つけようとします。ある人は、天使を信じておいて、天使という存在を使うことによって私たちを感じることができる場合、私たちは天使という、その人の概念の中にエネルギーを送り込み、あたかも私たちが天使であるかのようにその人に信じ込ませることになります。同じように、マスターにしても神にしても、一人ひとりの概念を調べ、その人の概念に合うようにエネルギーを流していきます。

では私たちは個別の存在ではないのか。そういう質問が出てくるでしょう。私たちは全体で一つになっていますが、しかし光を表す中心がいろんな波動に分かれており、それぞれが別の輝きを持っております。遠くまで鋭く、突き刺さるような波動を表すことができるものがいれば、柔らかく包み込むような光で現れるものもおります。それぞれの特性に応じてさまざまな種類の光の現れがあります。

しかしその個々の現れは、必ずしも天使の名前とかマスターの名前と一致するものではありません。私たちはマスターとか天使とかいう集まりで行動しているわけではありません。しかし、私たち自身の本来の姿を皆さんに説明しようとしても、それはとても難しいものがあります。

私たちは通常、ひとつの集合意識として動く場合があります。その場合、私たちの中心が自動的に作られてしまいます。そしてその中心はその時々の状況によって変わることもあります。その中心がその時の状況によって、マスター的な波動が好ましいときにはマスターのような波動に自動的に変わり、そしてマスターとして活動する場合があります。しかしロゴスや天使として活動した方が良いというときにはそういう波動に瞬時に変わる場合もあります。

したがってひとつの波動でずっと存在しているわけではなく、その時々の状態に応じて自由に変わることができます。今までここでいろんな存在がやってきました。そのときに主にその人が信じている概念にいちばん相応しいものがやってきて、その人の概念に合うようにエネルギーが流されていきます。それは宇宙に存在している本当の光とどういう関係があるのか、それは一概には言えないところがあります。

というのも、光はすべてお互いに繋がっているために、区別することがとても困難な状態にあります。ミカエルを呼ぼうとしたときに、ミカエルの別の波動の部分が現れることが何度もあります。しかしあくまでもミカエルの波動の中で変化するものであり、ガブリエルやラファエルが現れることはありません。しかしミカエルとラファエルはどこまで違うのか。これはとても難しい説明になります。

ラファエルもミカエルもある意味ではより大きな波動のひとつの現れになります。そのより大きな波動の現れは天使界の中において、より大きなエネルギー的な影響力を持ち、天使の波動を自由に調整している役割があります。そしてミカエルの波動の部分を中心に表したいとき、ラファエルの波動の部分を中心に表したいとき、それぞれの自分の意思によって現れ方を変えていきます。

ミカエルを呼ぶ声がしてもガブリエルで対応したいと思うときにはガブリエルの波動を強く出す場合があります。しかし呼んでいる方は、それをミカエルと信じているときには、ミカエルのように受け取ってしまいます。こういう状況にあるときに、一人ひとりが理解しようとしている個別の意識がどこまで意味があるのか。実は私たちにとっては、ほとんどどうでも良い問題となります。あまり区別しても、私たちには何の影響もありません。

私たちからみて、人間が私たちを呼んだとき、まずいちばん考えるのは、その人のために今、何を為せばよいのか。その人がいちばん満足するために、自分はどういう働きを演ずるか。これを一生懸命、考えていきます。天使を呼んでいる。天使の波動で現れてあげたい。どうやって、どういう情報を与えてあげよう。どう接してあげようか。いろいろ考えていきます。

それは名前がミカエルであろうとラファエルであろうと問題なく、その人に必要なものをまず与えようとします。でも多くの人はまだそこまで感ずることはできないために、自分にとって気持ちよかった、あまり感じられなかった、という対応をしていきます。でも私たちはそれに何も文句は言いません。感じられないのが普通であり、それで十分なのです。

皆さん方と私たちが接する機会をつくった。私たちは一生懸命、姿を作って現れていきます。でもほとんどの人が何も分からなかった。感じなかったといえます。私たちはそれでも不満を持たずに、何度も何度も相手をしていきます。

今の日本人はある意味では私たちのグループの中でも、特にいちばんの感心を集めております。今まで造られてきた地球上の概念を根本から変える大きな原動力を持っているのです。神や天使を知らなくても、平和な生活を続けている。祈りを捧げたり、イエスを信じなくても、一人ひとりが豊かであり、平和な社会を作っている。これは宗教が絶対的ではないというひとつの証になります。

宗教を作っている国ほど貧困の差が激しく、必ずしも幸せが演じられているわけではありません。争いが起こり、対立が起こり、相手の財産を奪おうとしたりしています。神の教えである宗教を信じて、何故貧困になるのでしょう。彼らは本当に神の言葉を理解しているわけではないからです。人の物を奪うということがいかに悲しいことか。日本人なら、ほとんどの人が分かることです。でも、西洋の国の人はどうでしょう。油断している奴が悪い。隙があるから悪い。そういう論理で、相手の物を取っていきます。

隙があろうと、油断していようと、相手の物はその人の物です。取って良いとは、神は一言も述べておりません。そういう根本的なところを理解させるだけでも、西洋の人間はとても長い期間がかかります。日本人はそういう根本的なところで神の気持ちを理解できる能力を持っているのです。その人が悲しくなることはしたくない。なるべく一緒に楽しくやりたい。ムダな争いは作りたくない。これは私たちも同じ考えです。

平和を勝ち取るために闘う。そう叫んで、積極的に争いを起こす人がおります。剣を持つ者は剣で倒れる。イエスはしっかりと述べたはずです。にもかかわらず、すぐ剣を手にしようとする。光を説明する以前に、光を受け入れる心すらもなくなってきております。自分が光の一員として活動するために、自分は何を為し得るか。一人ひとり、自分なりにどう行動し、どう動いていくかが分かってきました。

自分が光の仲間である。そう信じて、行動をとっている。これはとても良いことです。光は皆さん方が相手の幸せを考え、自分自身の輝きを持っている限り、常にそこにあります。一人ひとりの心の中にいつもあり、自分が光との一体感を感じている限り、光はただそこにあります。逆に、希望をなくし、落ち込んでいるときには光はどんどん弱まり、自分自身、行き先が分からなくなってしまいます。

皆さん方が今日身に着けたもので、どういう考え方が光に繋がり、どう考えると光でないものに繋がるのか、が理解されてきました。そしてこれからはそれに従って行動することになるでしょう。光は心の中に入っていた。自分が光ると、自分の光が美しく輝く。他人の光を見つけると、その人の光が輝き、自分も輝いてくる。非常に簡単でした。ただそれを人に伝えるときに、とても時間がかかります。自分は何とか理解できても、ほかの人が難しい。でも諦めてはいけません。光はこれからもっともっと大きな働きを演じていきます。

今まで自分なりに考えてきたこと、その一つひとつを自分なりに調べていき、自分が光として活動するにはあと何が必要か。もう自分は十分に光の一員と感じているか。それを自分なりに考え、光を自分の見方にするように意識を変えていってください。


A光の一員として活動するように

大いなる光の仲間たちは皆さん方に常にエネルギーを与え、それを使いこなせるように願っております。光はいろんな形に変化していきます。自分なりに、自分に見合った形を作り、光のエネルギーをより多くの人々に流していくのをやっていってください。


光は皆さん方に勇気を与えることができます。まだ見えていないところが明確になり、人生に希望が湧いてきます。光のいろんな特性を自分なりに工夫してみて、光の一員として立派に動けるように、自分の体を使いこなしていってください。

常にこれからも光と一緒に活動できるように、私たちも願っております。


B宇宙の全体像の理解は困難

それでは少し説明をして終わりにいたします。今日は宇宙の話も織り交ぜながら、光についての説明が為されました。宇宙についてはいろんな見方や観点があり、全体像を話すにはとても難しいテーマになります。したがって今日、話されたこともそのホンのわずかの部分でしかなく、これが真実そのものではないということをまず理解しておいてください。

実際には、皆さん方の意識の成長の度合いやその時々の考え方によってかなり左右されます。しかし一般的に、無闇に現れることは許されておりません。皆さん方の分からない範囲で活動し、戻っていく必要があるからです。しかしこの地球はこれから少しずつ波動が高まり、宇宙との接触も多くなってくるでしょう。したがってこれから自分がもしそういう状況に陥ったときには、そのまま受け入れて、自分なりの学びができるように意識を変えてみてください。

私たちはここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1999 CentralSun
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