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1998/12/7■月曜交流会から

運命やカルマに左右されない生き方

@他と同じことをするのが和ではない

私たちは皆さん方の成長のためにいろんな仕組みを準備している仲間たちです。先ほどの話で、まだ理解していない人と一緒にいるときに自分がうまく行動できないという人がおりました。私たちなりの見解を説明しておきます。皆さん方は一人ひとりいろんな学びがあり、いろんな現象を通して成長していきます。一人ひとりに与えられたテーマ、経験すべきことがまったく違っております。自分にとっては宇宙の学びがとても大切な場合であっても、ほかの人にとってはまったく意味のない場合があります。

先ほどから言われているように、そもそも生きるということを先に学ぶべき人がたくさんおります。したがって宇宙的な生き方を身に着けるよりは先に生きるという喜びを優先させる場合もあります。また人によってはまず本当に愛を学ぶ場合もあります。たとえ宇宙や難しい理論を理解しなくても、とにかくいろんな人と愛を分かち合うということ。いろんな人種やいろんな国の人と愛を分かち合うのがテーマの場合もあります。人それぞれその方向性が違うために、自分にとっては大切なもの、自分にとっては素晴らしいものであっても、ほかの人にとってはまったく役に立たない場合があります。したがってそういう人に無理矢理自分の大切なものを伝えたとしても、相手はまったく反応しなかったり、無視する場合もあります。

一般に精神的な学びをしている人は、物質的なものを軽く見たり、軽蔑する場合すらもあります。しかし物質は物質で大切な役割があり、それを否定することはできません。物質の一つひとつに意味があり、人間と関与するエネルギーがあります。物質の虜になって執着的になってしまう場合もあるでしょう。そういう人でさえも学びがあり、無視したり否定することはできません。物質の虜になってもそこで物質的なエネルギーの流れに気がついてきます。自分一人だけ富を得ようとして頑張ってきた者、自分の都合で他人をコントロールしようとしたもの、自分の思いだけでは物質をコントロールできないということに気がついてきます。

物質は物質の世界の流れがあり、それは皆さん方の思いだけではどうしようもできない場合があります。物質を理解するためには、物質の世界を理解することが本当に必要です。物質が何故そこに存在しているのか。自分とどういう関わりがあるのか。その意味を本当に理解して初めて物質を自由に扱うことができます。物質のその本当の気持ちを理解せずに、ただ手にしたいと思ったり、相手に対して何かを為そうとする場合、それは最終的には自分がほかの人から何をされるという状況で現実化されていきます。したがって物質の気持ちを本当に理解したり、物質の意味を探ろうとする人にとっては物質は大切なものであり、物質ばかり扱っても何も問題はありません。

精神的な学びをしている場合でも、それですべてが解決されるわけではなく、精神と肉体の関係、精神が現実に及ぼす影響、自分の精神はどうなっているのか、いろんなことを理解していく必要があります。精神的な学びをしている人の多くの人は、都合の良いところを自分に当てはめ、都合の悪いところを相手に当てはめる傾向があります。これは真の学びにはなっていきません。むしろ逆に都合の悪いところを自分に当てはめ、都合の良いところを相手に当てはめていく。これぐらいの勇気が必要となるでしょう。でもそれでも真の三次元の世界を理解することにはつながりません。相手の本当の心を理解するには、その人の身になって考えるということが大切です。これは物質を扱う人が物質の身になって考えるのと同じともいえます。

したがって物質ばかり扱っている人が人間のことを理解できないとか、人間を疎かにしているとかいう判断は実際には成り立ちません。物質をこよなく愛し、物質の気持ちを理解できる人は人間の気持ちも理解できます。人間の気持ちを疎かにする者は物質の気持ちも疎かにし、物質に恵まれることもないでしょう。そういう意味で、精神的なことを理解しているからすべてがうまくいくとか、物質を扱っているから劣っているということはいっさいないということを理解しておく必要があります。


さて、日本人と日本人の心の在り方、そして別に心の壁というのがテーマになっておりました。今、いろんな意味で日本人の心の在り方がとても大切になってきております。今までの価値観が次々と崩れ去り、自分はどうあるべきか、自分はどう生きるかがとても大切になってきております。社会が思ったようにいかなくなっている以上、これまでの価値観でやることがとても困難になっております。今まで信じていたものを手放さなくてはならない。今まで常識と思っていたものを無視しなくてはならない。でも、では何を信じたらよいのか。どのようにして生きていくのか。今、これで混乱している人がたくさんおります。

日本人がお互いに和を求め、同じような価値観で生きるということをやってきました。日本人が和を求めたのは、日本人がお互いに相手を尊重し合い、自分と違っていても自分の仲間であり、個性があっても同じ仲間であるという意識から造られたものです。したがって本来はほかの人はほかの人の役割があり、自分とは違う波動を持ち、その人独特のエネルギーがあるということを理解しており、それでも同じ仲間であるという思いを身に着けるように和を造り上げてきました。これがいつの間にか、皆が同じであり、同じでなければならない、同じで当たり前という考え方に変わってしまいました。これは明治以降、特に強くなった傾向があります。

本来の日本人は、一人ひとりが自由に生き、あえて別の人と違っていても問題がないという生き方をしておりました。あまりにも一人ひとりが違っていたために、わざと村とかいろんな制度で一つにくくろうとしたり、強制的に同じにしてしまおうとする働きが行なわれてきました。いつの間にかそれがあまりにも強く影響し、皆が同じであるという観念を造り上げてしまいました。本来の日本人は一人ひとり別々に行動し、別々の考えを持っていたのです。今、皆さん方に必要なのは、一人ひとりが自分の人生を生きる、でもなおかつ皆が同じ仲間であるという、この本来の和を理解していただき、それを具現化してほしいのです。初めから皆同じという和ではなく、一人ひとりは自分があり、自分の波動があり、自分の生き方がある。でも同じ仲間である。こういう和なのです。

ほかの人の生き方を素直に認めていく。ほかの人の人生観をそのまま尊重する。でも同じ仲間である。生き方の違う人を尊重して、その人はどういう素晴らしい生き方を身に着けていくのか。どういう素晴らしい人生を経験していくのか。それをお互いに分かち合えば、いろんな喜びが増えてきます。でもあえて真似しようとか、その通りにしようとは思いません。自分は自分の生き方をただ進めていく。それでまた自分の喜びが溢れてきます。日本人が必要としている生き方、忘れてしまった生き方、でも皆さん方の心の中には明確に存在しております。それをなるべく自分の手で表に出し、行動に移していっていただきたいのです。

一人ひとりは確かに心の壁を造り上げ、自分の世界があり、そしてほかの違う世界の人が来ると違和感を感じたり、居心地の悪い状態になっていきます。これもある意味では途中からどんどん造られていった波動であり、本来の日本人はそれほど強い壁はもっておりませんでした。これも先ほどと同じように、和を前提にし、皆が一つであるように造られたエネルギーから、逆に自分を他人と分けてしまう壁が造られていったのです。本来、一人ひとり自分の生き方があり、自分の考えがありました。でも和で一つになるというやり方が広まって以来、無理矢理、表は皆に合わせていながら自分は自分の生き方をするという二重の構造が造られてしまいました。これによって一人ひとりの心の壁がどんどん強くなり、表向きは皆に合わせていながら内面では自分だけの生き方をする。こういう状況が進んでいきました。

だがその心の壁も時代と共にどんどん変化していき、今となっては自分の生き方が何かすらも分からなくなっております。皆に合わせること自体が自分の生き方になり、皆と同じこと、問題のないことを実践に移すことが自分の人生観になっている人もおります。そういう人でも心の壁は明確にできております。皆から嫌われたら困る、皆と違うことをしたら困る、それによって自分だけの世界がどんどん造られていきます。皆と違うことがあると、自分の中に隠して分からないようにしてしまうからです。ほかの人と違うところ、特殊なところ、目立つところ、これを全部自分の内面に隠してしまうのです。ほかの人には見えないようにする。でも自分でもそれを見ないようにする。でもその人の波動は自分の生き方をしようとしている。これによっていろんな状況が造られていきました。

こうやって造られた心の壁を少しずつなくしていき、多くの人と楽に楽しく分かち合えるように持っていく。これはある意味では時間のかかる作業といえます。すぐにそうしようと思っても、うまく行動できない場合があるでしょう。自分が心を開けば開くほど、周りから逆の仕打ちを受ける場合があるからです。まだまだ皆が同じという観念、同じでなければいけないという観念を持っている人が多いために、そういう人からいろんなエネルギーが発せられてきます。それに打ち克つだけの強い心、これは中々まだ普通の人には養われておらず、とても繊細な部分だけが表に出てきて、か弱く傷つきやすい状況になってしまいます。

今、私たちが話すことができるのは、そういう同じ目的を持っている者、心の壁をなくそうとして少しでもオープンになろうとしている者、一緒に練習し合って楽な生き方をしようとしている者、まずはそういう者同志がお互いに協力し合い、自分が造り上げた壁をよく見ていき、まずは相手の生き方をそのまま見ていく、相手がいかに素晴らしい心をもっているかを見ていく、という練習をしていくことから始めるのが良いでしょう。自分たちの仲間たちから始めるのはある意味では宗教的な波動を引き寄せる場合もあります。ですからそういう仲間たちを見つけた場合でも、あえてひとつにくくってしまったり、特別なメンバーとして認識したり、ほかの人と違うという雰囲気は持たないようにしながら、練習をすることが必要です。あくまでも普通の人と同じ仲間であり、たまたま心の壁をなくすという共通の目的だけで一緒にワークをしているということ。そういう意識でお互いに成長していく練習が必要でしょう。


A生きるという強い意思があればカルマに負けない

私たちはIzumiさんの魂の世界から、今、メッセージを預かってきております。あなたの先ほどの話において、いかに喜びを表現しながら皆が生きていけるか、生きているという喜びをいかに皆が身に着けるか、日本人が皆同じような生き方をして覇気がなくなっている、これについてのメッセージが届けられております。

あなたが感じていることは、宇宙全体でも感じているテーマであり、これだけ真面目で素直な日本人が生きる喜びを見失い、生きる元気がなく、毎日を決められたとおりに行動するという生き方になっております。人間というのが何であるのか。それはほかの動物に比べて考えることができる、意思を持ち、喜びを表現し、分かち合うという思いがあります。人間が人間であるためには少なくとも自分が生きているという実感を持つことが必要です。生きている。何をもって生きていると感ずるのか。ただ、朝、目が覚めて、食事をして、仕事をして、一日を終え、また夜寝る。これが本当に生きていることなのだろうか。

自分の意思、独創性、分かち合い、これが一日、どれだけ体験されたのであろうか。人との違いにばかり意識を向け、自分を合わせようとか、目立たないようにしようというのは生きているのではなく、相手の生き方に合わせているだけです。日本人はよく運命的なことやカルマ的なことを口にする人がおります。これも生きていることから逃げてしまいます。運命だからしかたがない。カルマだからしかたがない。これは違います。その人の意思が強く、生きているという実感があれば、カルマのエネルギーよりも自分の意思の方が強く働く場合があります。その人が本当に生きているという強さを身に着ければ、カルマや運命を変えることが可能です。

自分が生きているという実感がほとんどなく、なるようにしかならない、どうせ決まっている、運命だから、親がこうだから、社会がこうだから、会社がこうだから、こういう時代だから、こう思っていると、本当にそういう生き方になってしまい、自分の意思で行動することにはなりません。したがって本当に生きているという実感を得たいと思うのであれば、親の所為や社会の所為、運命の所為、といったものにしないで、自分の意思で選択したということをもっと強く認識することです。ほとんどの日本の宗教がカルマ的なことや前世的なことを口に出して、その人の人生がすでに決まっていたかのように伝える場合があります。これも実際にはその人の生きる意思を弱くしてしまいます。

その人が本当に生きるという実感を得たいのであれば、そういう影響はほとんど直接的には関与せず、自分の意思でいろんな現象が巡ってくるということ、それを本当に理解することが必要です。今、それぞれの自分の心の中で、親の所為や社会の所為、会社のせい、時代の所為、カルマの所為、それを口実にしている部分があったら、自分でそれをしっかりと理解した上で、もうそういったものには依存せず、自分の意思で自分の人生が変わるというのをしっかりと理解するようにしておいてください。


B現実を客観的に、総合的に眺めること

私たちは少しだけ話をして終わりにいたします。今日は皆さん方の学びに最適なマスターたちがいろいろやってきています。実は今日は別のテーマを考えておりました。いろんな関係で皆さん方の質問に答えることを優先させました。いろんなマスターたちはそれぞれに気づいてもらいたいこと、理解してもらいたいことを持ってきました。一人ひとりに個別に話する時間がなくなってきましたので、大まかなことだけ言って終わりにいたします。ほとんどの人は人間関係でいろんな悩みを持ち、自分たちの学びのためにどういう意味があるのかを探ろうとしています。でも、実際には自分の都合から先に考えており、いかに自分が正しいのか、どうしたら分かってくれるのかという観点で考え方を進めていきます。

自分の正しさを証明させようとしていろんな推論をしても、それは正しい考えに結びつかない場合があります。本当の理解をし、事実を確認したければ、いかに自分を客観的に見ていくか、自分が正しいかどうかではなく、その時の場としてどういう状況が起こったのか、もっと全体的な観点でその場を見ていく必要があります。全体的な流れが必ずあり、その場において必要なもの、自分が役割として演じなければならなかったもの、ほかの人が役割としてそれをする必要性があったというもの、それを客観的に見ることができる見方が必要となります。

誰が良いか、誰が悪いかではなく、あるいは分かっている、まだ分かっていないでもなく、その全体的な流れを見たときに必然的にそういう役割を演ずる人がどうしても必要になるということ。自分はその中のどういう役割を演ずるように動かされたのか。その場で何を教えようとして、そこで一番つらい役を演じたのは誰であったのか。常にそういう大きな観点で見ることが必要です。良い悪いとか、こうしてくれないとか、どうしたいのではなく、その場の現象そのものを全体的に見て誰がどういう役割を演じてくれたのか、その現象では何を表そうとしていたのか、常にそういう観点で現象を見るようにしておいてください。それではここで少し休憩をとります。ありがとうございました。


C前世や運命を信じている人はその通りになる

今日は皆さん方の話でいろいろ面白いものがあり、私たちもやり方を変えてみました。生きるという意思、これによってカルマやいろんな流れを変えることができる。これは本当に真実です。ただ、人によってその影響力が違い、本当に運命的なものやカルマを信じている人にはどんなに意思が強くてもカルマに流される場合があります。そんなものは本当に意味がなく、意思で変えられると思っている人は本当に意思で変えることが可能です。その人の思っている真理に従って現実が進んでいきます。

今、ここにいる人では多くの人がまだ流れに流される進み方となっております。完全に自分の意思で自由に現実を展開できるという人はあまりおりません。やはり今まで学んできたいろいろな知識により、カルマや前世的なエネルギーで今の自分がこう流れ、これからもある程度そうなるという風に信じている人がおります。この信じ方をどの程度変えたら、自分の意思で動かせるようになっていくのか。日頃、口からいろんな言葉を出したり、いろいろ話をするときに、運命だからとか、カルマだからとか、前世だから、という風にすぐに口に出てしまう人はほとんど無意識の状態でそのエネルギーに影響されております。

そういった表現をしなくても、そういう流れを自分なりに信じている人、何か新しいことをしようとしたり、工夫しようとしても、どうせ運命で決まっているから、どうせ前世でこうなったからまたこうなるだろう、という考え方をする人はその流れに流れていきます。本当に自分の意思で進めていきたい、新しいことを経験したいと本気で望んでいる場合にはその方向に進んでいきます。

ただ、今のほとんどの皆さん方の場合には前世的な影響により、心の癒しが必要となり、それにより現実が少しでも解放されるというのを信じております。したがって多くの人はその流れに従って現実が展開していきます。現実のいろんな状況においてうまくいかないこと、うまくやろうと思ってもついできなくなってしまったり、心がいろんな動きを表してしまう。それは意外と前世的なものに理由をつけている場合があります。そういう前世的なものをもうすべて切り離し、その時その時の心の動きでたまたま自分がそうした、自分の意思で選択した、というのを信じていくと、前世との繋がりは消えていきます。したがって今、皆さん方が学んできた前世を題材にして癒しを行なったり、自分を見るというやり方もあるレベルまで進んだときには、もうそれを完全に切り離し、自分の意思で行動するというやり方が必要になっていきます。

いつまでも前世的なものに心を奪われていると、その流れから変わることはできません。自分の意思で行動しようと思っても、どうしても過去性のエネルギーで流れてしまう場合があるのです。皆さん方が本当に自分の意思で、自分の思いで生きたいと望むのであれば、自分を制限させていた流れ、自分をコントロールしていた流れにしっかりと別れを告げ、自分は自分の意思で行動していく、自分の強さで歩いていく、という意識を強くするようにしておいてください。


D挨拶

今の話と重なるかもしれませんが、皆さん方の人生はすべてが決まっているわけではありません。確かに少し前までの生き方では、決められたものがたくさんあり、それを順番にこなしていくという流れがありました。でも、今、地球の波動がどんどん変化し、皆さん方に影響を与えているエネルギーも日々、変化しております。それと共に皆さん方が造ってきた予定も毎日のように変化しております。今となっては、生まれる前に決めてきた予定が全て意味のないものになっている人もおります。したがって初めからすべて決まっている、流れが明確にあるというのを信じている人は新しい波動にはついていけない場合があります。地球の変化と共に地球に合わせて波動を高めていこうとする者は、自分の意思で、自分がしっかりと生きるという思いで生きていく生き方を身に着ける必要があります。

皆さん方もいずれは明確に自分の意思で自分の人生を生きるということが実感となって得られてくるでしょう。そうすると今の状態がいかに別のものにしっかりと覆われ、別のものの流れで流されていたのかが分かってきます。自分は自分の意思で自分の人生を生きる。その喜びを実感できるようにこれからを考えていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
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