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1998/11/4■水曜瞑想会から

感情を素直に表現する

@感情のテーマのエネルギーで瞑想

それでは今日の瞑想について少しお話をいたします。今日はオレンジ色の世界、皆さん方の感情に関するテーマのエネルギーを使って瞑想を体験していただきました。一人ひとり今、抱えている感情の中で、特に今年テーマになっていたエネルギーを体験していただきました。

Sさんの場合はもうすでに自分からいろいろと話されていたように、自分の心の中にあるいろんな思いが次から次と表面化してきております。自分の心の中にどういう感情があったのか。いろんな人から自分がどう見られているか、常にほかの人のいろんな面を気にしている。これが人間がたくさん登場した意味となっております。自分は常にいろんな人の外見を気にしている。自分がほかの人からどう見られているのかを気にしている。そしてほかの人が自分とどういう関わりを持っているのか。それをいろいろと調べようとしています。

自分なりに自分が満足することをしようと思っている。でも中々うまく展開していかない。自分の思ったことをやろうとしてもうまく展開していかない。これはまだ感情のエネルギーの使い方がスムーズでないために、感情の世界においては自分の行動がうまく流れていかないという意味があります。感情で一番、大きなテーマは自分の思ったことや感じたこと、これをまず素直に表現するときにいろんな思いが一緒に沸き起こってきて、複雑な表現となって行動をとってしまいます。

そのために相手が感じるのはいろんな感情であり、単純に一つの感情だけを受け取ることができない状態になっております。常にいろんな感情が同居してそれを表現してしまう。感情を表現するときに、単純にシンプルに、できれば喜びや楽しさを表現するようなやり方を工夫していくのが良いでしょう。いろんなことにとらわれたり、何度も何度も今までのことを思い起こしたり、常にいろんなことを考えてしまうと、いろんな感情が常に同居して複雑になってしまいます。感情の流れをシンプルにする練習をしておくのが良いでしょう。


Uさんの瞑想において、今日はいろんなことを体験していただきました。まず自分なりに思い出したことがありますが、大体、経験したことの八分の一ぐらいの記憶と思っておいてください。ほかの状況でもいろんな体験をしてきており、あなたのこれからの生き方に少しずつ影響を与えることになるでしょう。先ほどの話の中ではベージュやオレンジという色がいわれておりました。ある意味では感情の世界において、今、あなたが一番感じやすい色といえます。

あなた自身の感情のエネルギーがかなり大人しく、露(あらわ)ではないというエネルギーの色となっております。これは起伏が激しいというわけでなく、それなりに常に理性でコントロールしながら自分の感情を組み立てているという意味があります。ただこのエネルギーの場合には情熱的な感情や本当に相手を好きになる感情、そういう強さがまだ造られておりません。

今、自分が感じている感情はそれなりに穏やかに、自分が普段の生活の中で特に問題がなく生きていける感情のエネルギーです。これが良いとか悪いとかいう意味ではなく、いろんな人間がいる中であなたの場合には基本的にかなりあまり攻撃的でもなければ、無表情でもなく、ちょうど中間的な感情といえるでしょう。ただ普通の人はもっと感情の起伏が大きく、強い怒りを露にしたり、より強い独占欲を持って相手を愛そうとしたり、いろんな強さを持っております。それに比べれば、かなり理性で抑えられた状況にあります。

自分なりにもっといろんな感情を楽しみ、いろんな人との間でも感情を通して体験を重ねたいと思うのであれば、少しずつ自分の内面の中から感情的な強さを表現する練習が必要となるでしょう。自分の本当の心、相手に対する思い、これがどういうものなのかを自分なりに見ながら、本当に楽しいときには強く表現し、イライラしているときにもそれを表現する。これは強さを増していきます。

ただそれによってどういう現象が起こるか。その分、相手からもいろいろ強く迫られてきたり、いろいろ接してくる人の感情も激しくなってきます。どちらを望むかはあなた自身の選択となります。ただ、一般により津強い感情を身に着けていくと、さらに感情のエネルギーに赤みが増してきて、ベージュ色もさらにオレンジの方へ近づいていくことになります。自分なりの感情の使い方や人間関係で自分が望む方向へと感情を使ってみてください。


A貧しい者にどのように接したらよいのか

さて、先ほどの話の中で、貧しき者、あるいはそういう価値観についての話がありました。原則的に見て、貧しいという観念を持っている人は貧しい人に対して何らかの行ないをすることがその人の心を大きくし、また相手に対しての優しさも広がっていきます。ただそれが自然に起こるものであれば、特に問題はありません。しかしそうすることが正しいことであり、常に自分が良き人間である証を得ようとして貧しき者に行為を施そうとしている場合、結局、貧しき者を常に探し求めることになり、人を見ても貧しいかどうかで判断し、貧しかったら何かをするという発想が身についてきます。

こういう発想が身につくと、貧しい人間というものが常にその人の心から造り出されてしまい、もうその人の心からは貧しさを本当に解放させようとする気持ちがどんだん消えていきます。自分のエゴを満たすために貧しき者と接するようになってしまうからです。したがって貧しい者にどういう行為をとろうとも、それは単に現象だけで見ることはできず、その人がどういう気持ちで貧しき者を救おうとしたのか、どういう気持ちで貧しい者と接しようとしているのか。そこの気持ちが大切になってきます。自分がどういう気持ちでそういう人々と接するのか、常にそこに意識を向けて考えるようにしていってください。


また日本人の傾向として、和や調和を求めるあまり、不正が蔓延るという話がありました。これまでの日本の社会が不正を不正とも思わず、ただ周りが楽しければそれで良い、うまくそれでまとまりがとれていれば許されるという感覚があります。これは確かに日本人の和を前提にして、それを発展させる時代においては許される行為でありました。しかしもう日本は日本だけで動くことはできず、ほかの国々と連携をとってこの地球という惑星の中で活動する必要があります。

この地球といういろんな国々、いろんな人種の中で動き出すためには、日本人の価値観は必ずしも通用しなくなってきます。不正をやはり認めない国、やってはいけないことはしっかりと言わなければ納得できない人々、たくさんあります。したがって日本人の価値観はそういう世界的な視野でこれから見ていく必要があります。これは調和や和を無視するという意味ではなく、調和や和を重んじながらも、基本的にあるべき姿へ進んでいくこと。

ただこのあるべき姿というものは具体的にいえることではなく、その時々の人間の意識レベルによってかなり変化します。皆さん方が成長すれば正しき方向も変化していきます。これは国によっても違い、人種によっても違います。したがって何をするのが正しいのかを一言で言うことはできません。あえていえば、神の御胸に沿った生き方といえるでしょう。でもそれは一人ひとり、現れが違うために、あとは自分なりにそれを探し求める練習が必要となります。あとは自分で自分の生き方自分の正しい行動を探し出すようにしてみてください。


B和と正しい方向性をどのように両立させるか

私たちは今の話を聞いていて、皆さん方が何とかして皆でうまく、楽しくやりたい、こういう気持ちが強いのを本当に感じとることができます。概ね、日本人は正しい方向へ進むというよりは皆で仲良くやるという方向を選びます。これは以前の日本においては誰か一人が正しい方向を常に見ている人がいて、そういう存在の下で皆がまとまるというやり方がありました。

いわゆる、その村で一番権威のある人、長老や物知りと言われていた人、古くからの年寄りで全体を常に見ることができた人、こういう人の意見に従い、皆がまとまるというやり方がありました。今はそういう人がいなくなってきたために、方向性が分からなくなっております。したがって和を重んじながら、正しい方向を選ぶというのは必ずしも不可能なやり方ではありません。また昔の日本人はそれをやっておりました。

もし今、それを復活させたいのであれば、やはりそういう良く知っている人や、見抜ける人、鋭い洞察力を持っている人、そういう人と一緒に皆がまとまりを作っていく。これも一つのやり方としていえるでしょう。しかしその場合にその仲間だけで組織をつくってしまったり、ルールを造ってしまったりすると、排他的になってしまう傾向があります。

それが排他的にならずに、オープンで、どの人でも自由に出入りできるような雰囲気にしておくと、とても良い方向へと向かうでしょう。そういうことを考えながら、自分の生き方も考えてみるようにしていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
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