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1998/10/26■月曜交流会から

真の愛が交流し合うには壁を取り払うこと

@愛のエネルギーも心の壁で変質してしまう

私たちは今日は皆さん方の学びの仕方について説明いたします。先ほど、隣人愛と愛についての話が為されました。いずれも愛に関するテーマであり、人間関係を通して皆さん方がいかに愛を育み、身に着けていくか。一人ひとりが心から愛することに喜びを感じ、ごく普通に自然に人を愛せるようになる。いちいち愛することが大切だといわれなくとも、自然に愛することができる。それぐらいの意識状態になれば、あとは生きること自体がとても楽しいものに変わっていきます。

まだ愛することの喜びを感じていなかったり、本当に人を愛したことのない人にとっては、生きていること自体があまり楽しくもありません。つらさばかりが表に出てきて、結果的に人を避けたり、人から離れたりしてしまいます。まず、汝の隣人を愛せよ、という言葉の真の意味は、今、皆さん方の愛を具現化するのに一番必要な人が隣にいるということ。それゆえにまず、隣の人から愛することを始めていくということ。

自分の隣の人を愛することが面倒臭い、そういう人はほかのどの人間をも愛することが面倒臭くなるでしょう。一人ひとりの持っている愛の器からして一番、愛することのできる人が常に隣に来るように位置付けられております。多くの人はその隣の人にでさえも、心を開くことができず、自分の心をしっかりとガードしており、自分を守ったままで人を愛しようとしております。

自分は心を開かず、しっかりガードしたままで他人を愛そうとしている。これは真の愛にはつながりません。自分が心を閉ざしている以上、真の愛の喜びは相手には伝わることがないのです。一見、その人のために優しさや思いやりを与えたつもりでも、それは相手には真の喜びとしては伝わらず、余計なお節介であるかのように受け取られてしまうことがあります。

本当に自分がその人のためを思ってその人の悩みや苦しみを解き放ってあげたいと思っている時は、自分自身の心を明確に開き、心の内面で相手とつながることが必要となります。自分は愛してあげているのに、あの人には分かってくれない。いくら愛を与えても受け取ってくれない。これは実際には愛という名前の押し売りであり、本当の愛は相手には一切、流れておりません。

本当の愛は相手が受け取ろうが無視しようが、それ以前にお互いで感じることができます。お互いが心を開いているために、愛が心で分かるのです。受け取ってくれないとか、感じてくれないという表現は成り立たないのです。本当の愛は自分が心を開き、相手が心を閉ざしていても、自分の心の中から精一杯の優しさや暖かみを出してあげる。相手がそれによって次第に心が開いたり、少しでも壁が溶けていけば、それで十分、愛は伝わっております。お互いにそれが感じられてきて、少しずつ心が柔らかくなっていく。少しずつ心を開いていく。それが感じられていくのです。

多くの人は自分の心をしっかりとガードしており、ほかの人からのエネルギーによって変えられることを望んでおりません。自分で作り上げた心の壁は自分で元に戻していくか、あるいは愛の波動で溶かしていくか、どちらかでしかなくなることはありません。お互いが心を開いて愛の波動を出しているときは、とても素晴らしい光がお互いの間に輝いております。その光が大きく包み込んで、その人のエネルギーを少しずつ変化させていきます。愛はお互いが一緒になって心を開くと、どんどん素晴らしい光を放っていきます。

この一番基本的なところ、愛を感じるところ、心を開いて相手の愛を受け入れることにより、自分も高い波動に変わっていく。こういう雰囲気を実際に感じたものでないと、愛の本当のところは中々理解できません。多くの人はただ優しく、自分の言うことを聞いてくれればその人は愛がある、あの人はよい人だ、と評価しております。私たちからみれば、その人の心の壁が何一つ改善されず、ただエゴを作り出している場合にはそれは愛と呼ぶことはできません。

したがってもしその人がエゴの固まりである場合、そのエゴをしっかりと見せるのもある意味では愛の表現形態になってきます。自分のみたくない心をしっかりと見せつけられた、一番いやなところをずばりと指摘された、その時に、何といやな人だろう、とても厳しくて冷たい人だ、という風にほとんどの人が評価しております。しかし私たちの観点からみた場合には、これはとても愛の波動を出している場合があるのです。

それによって相手は自分の見たくない心の壁をみることができ、成長することができるからです。しかしそれに不快感を感じて相手のアドバイスに見向きもせず、何も改善が為されなかった場合、それは確かに愛にはなりません。ただそのアドバイスをした人にとっては、それは自分の信念に従った行動であり、愛であろうと愛でなかろうと、気にする必要はありません。

愛はそういう意味で、ある意味では非常に難しいエネルギー的な作用ともいえます。ただ私たちの観点からみた場合には、お互いがエネルギー的にとても美しい波動を出しているときにはそれは十分に愛として認識することができます。それは言葉の世界ではなく、行為の世界でもなく、エネルギー的な世界での話です。

皆さん方はまだそのエネルギーを明確にみることはできません。だから、愛が難しく、言葉や言動で確認しようとします。でも実際にはそれはあくまでもエネルギーであり、お互いがそれによってとても素晴らしい光を発している。心がどんどん変化していく。意識がどんどん目覚めてくる。これが愛です。

こういう愛に目覚め、さらに成長させていくには、どのような学びの仕方が良いのだろうか。例えば、Kさんの場合、近くに不自由な人がいて、これからの仲を良くしようとしている。三元的な言動だけですべてを解釈せずに、エネルギー的な観点からもいろいろと学びをするようにしてみてください。

三次元的に何かをすれば愛であり、何かをすれば相手が喜ぶとか、そういうものではなく、エネルギー的にその人が目覚め、成長し、豊かな心を身に着け、お互いが満足する状態に持っていくためには、どのような接し方が良いのだろうか。その人が趣味や興味として持っているものは何であろうか。どういう話をすると、その人の心が楽しくなってきて、だんだん嬉しい感じになってくるのか。その人が思わず、なごんでくる話題にはどういうものがあるのだろうか。

こういったことを直接的に聞くのではなく、いろいろ間接的に確認してみたり、相手に分からないようにして見つけ出し、何気なく口に出してみる。相手の反応を見て、相手が少しでも楽になれば、そういう話でどんどん進めていく。直接的に聞き出したり、いちいち確認をするのではなく、自分なりにいろいろ工夫しながら、いろいろと自分の持てる能力の中で進めていく。それによって相手が少しでも楽になり、楽しくなり、満足するような心に変わっていく。これが自然とできるようになれば、愛を身に着けつつあるやり方といえるでしょう。

そういう気持ちがなく、ただ面倒を見たり、ただ話し相手だけになっていても、それは真の愛には発展しない場合があります。いわゆる、ただ良い人でありたい、良き人間としての証を得たい、それで終わってしまうケースがあります。したがって三次元的な行動で判断するのではなく、その人が本当に心で満足するためにはどういう接し方をしていったらよいのか。それをいろいろと工夫するようにしてみてください。


Tさんの場合には、今までと同じように、言葉にどうしても感情が入ってしまうために、その感情でいろんな現象が展開していきます。自分はごく普通に話していても、相手はその感情を敏感に感じとり、それによってあなたの全人格を判断していきます。そういう価値観が違うときに、自分はどういう愛の表現の仕方が可能なのだろうか。相手のためにいろいろと思って、いろいろとやってみてあげる。でも、結果的にそれが相手にはうまく伝わらなかった。

これはいろんな行動や言動にあなたの感情が必ず入り込んでいるために、本当の愛が中々伝わりにくい場合があります。本当の愛はなるべく感情を入れることなしに、もっと高いレベルで心が満足する状態になることを考えていきます。相手が本当に心で喜びを得るためにはどのような接し方で、どのように対応していくのか。

感情が入ってしまうのは、一般に、どうしても自分という存在をそこに入れようとするために感情が入ってしまいます。自分はどういうことをしてあげた、自分はどうした、自分がいて自分の役割はどうであった、こういったことを少しでも表現しようとして感情がそこに入り込んでしまいます。

そういう感情をあまり入れることなしに、素直にただ相手の必要なものを与えていく。ただ相手にとって適切なものをただ与えていく。そういうやり方をいろいろと工夫してみてください。それによって相手が少しずつ心を開いてくる。それは感情があまり伝わっていないときに開いてきます。しかし自分の方の感情が強いときには、相手は余計に閉じてしまいます。相手の心の開きぐあいをいろいろと調べながら、自分の感情について学びをするようにしてみてください。


愛は自分が思っているのとは違うように相手に伝わることが何度もあります。一般に感情や思いが入り込んでいるときに、自分が愛と思っていたものがかなり違う感情になって相手に流れていきます。したがってそういう感情的なもの、自分が何かをしてあげた、あの人のために私が何とか役に立とう、ぜひともこれを分かってほしい、そういったいろんな感情が入り込むと、相手にとっては不快感がどんどん高まってしまいます。そういう感情を入れることなしに、すんなり、ただ単純に相手が必要なものを与えていく。それをそれぞれが身に着けるようにしてみてください。


A心の壁があるから思いが素直に届かない

愛はとても優しい言葉で何度も何度も口に出され、皆さん方も愛することの大切さは何度も耳にしてきました。でも中々これが身についてこない。相手をいくら愛しても中々うまく広がっていかない。相手の愛を素直に自分は受け取ることができない。いろんなところでうまくいかない現象が起こります。これの一番大きな原因は、一人ひとりが造っている心の壁に原因があります。

一人ひとり明確に壁が造られており、それによって人間関係がどうしても歪んできております。人間を完全に信ずることができず、安心して自分のすべてを曝け出すことができず、相手を自分の心の中に完全に入れることができない。自分は相手のためにと思っても、相手にはそう伝わらない。こういったことも心の壁や感情から引き起こされてきます。

もう心の壁を取り払うワークを何度もやっている人がいます。現実に今年になってかなり改善されている人もおります。でもまだまだお互いが本当に愛を分かち合い、素のままの心で交流し合うにはまだ深いレベルの癒しや調整が必要になるでしょう。人間に対しての不安や恐れを一切なくし、どんな人間にでも同じように接することができる。自分のすべてを曝け出すことができる。こういう状態になるまで、まだまだ学びが必要でしょう。

皆さん方からみれば、そんなことはできないとか、そんな人はいないというかもしれません。実際にはかなり高いレベルまで心の壁をとっている人がたくさんおります。そういう人はそういう人同士で交流しあい、壁を造っている人は壁を造っている者同士で集まってきます。したがってそういう人がいないのではなく、まだ皆さん方がそういう人と出会う状態にはなっていないということ。自分が心の壁をどんどん溶かしていき、心をオープンにすると、そういう人が近づいてきます。

これからの学びは自分の心の壁をいかに溶かしていき、自分のすべてを表に出すことができるか。そこに常に意識を向けていきながら、愛を感じるように練習を進めていってください。


B誰もがはじめから愛を身に着けているわけではない

心を閉ざす一番の大きな理由は何であるのか。本当に分かち合える友達がいなかった、本当に愛した人間と出会えなかった、それによって心を完全に開いた経験がない。だから心を開くということがどういうことなのかも分かっていない。結局、本当の愛もまだ分かっていない。結局はこうなるのでしょう。

分かっていないからできないというのは理由にはなりません。すべての人間がはじめは分かっていない状態から出発します。素晴らしい愛を具現化し、身に着けている人でも、はじめは皆さん方と同じように何も分からず、何もできないところから出発しました。多くの人から傷つけられ、悩み、独りぼっちになり、そして本当の愛に気づき、心を解放して人と接するようになった。そういういろんな人たちがおり、自分の力で愛を身に着けていったのです。

はじめから自動的に愛が与えられて、それで身についたということはあり得ないのです。皆さん方も、まだ分かっていないからという理由ではなく、皆、分かっていないということを前提にしながら自分がその中で少しでも愛を具現化していく、身に着けていくという意識を持って学びを続けていってください。


それではここで少し休憩をとります。ありがとうございました。


C日本を変えるために日本人の心の壁を取り払う

一人ひとりの心に造られている壁は生まれつき備わっている人も時々存在しております。これは魂がある意味を込めて壁を造りだし、自らの体験のため、ある特定の学びのために造られたものです。こういう人は生まれつき無口であったり、人を避けていたり、いつもひとりで遊んでいる傾向が強くみられます。

こういう人に無理に壁を取り払おうとか、壁をなくしてあげようとすると、余計に反抗してきたり、さらに人から離れてしまう傾向があります。こういう人の心の壁は魂が管理しており、無理やりこじ開けようとか、勝手にそれを取ってあげようとかしないことが前提となります。

しかしこういう人でも時期がくると心の壁を溶かしていき、次第に人間の温かさや愛に目覚めていく傾向があります。今まで人と分かち合ったことのなかった人が自分の心を本当に解放してくれる人と出会って、人間の心の暖かみが分かり、他人への認識が全く変わってしまう。こういう時期のくる人がおります。

しかし普通の人間は家庭生活を続ける中で、親や兄弟に対しての壁が造られていき、学校へ行っているうちに先生や友達に対して壁を造り出します。趣味の合う人、合わない人、男性と女性との間の壁、目上の人と目下の人、いろんな面で壁が造られていきます。家庭の中でほとんど壁を認識せず、学校においてもほとんど壁が造られなかった場合には、その人は確かに心が開放的に、自分が制限のない生き方をすることが自然になっているでしょう。

こういう生き方を目指している人は、それはそれで自分なりのやり方があり、それに従って人生が進んでいきます。しかし大多数の日本人は日本人として経験すべきエネルギーがあるために、必然的に日本の家族社会、教育社会、地域のしきたり、会社における上下関係、地位、いろんなところで壁が造られていきます。そしてそれを一つひとつ経験しながら、過去の日本人が造り上げた壁のエネルギーを浄化していく必要があります。

したがってそういうごく普通の壁を持っている人は自分を卑下する必要はなく、日本人の心の壁そのものを溶かしている一員として自分が担っている、という認識で取り組むぐらいの楽な感じで接して構いません。どの人間も本当的に人を避けてしまったり、あるいは嫌われるのを恐れたり、独りぼっちになるのを不安になる思いがあります。

この根本的な思いはほとんどの地球人に共通しており、この思いがそれぞれの文化や地域の差によっていろんな形の壁に変化してまとわりついております。したがってどの国に行っても形は変わっても何らかの心の壁を造り上げております。欧米人は一般に壁がないように見られておりますが、実際には日本人以上に壁を造っている人がたくさんおります。黒人の人、ほかの小さな国々の人、キリスト教以外の人間、先祖代々貧しく奴隷のような感じの子供たち。

皆さん方が西洋の人間というときにはほとんどがアメリカ人的な人間を想像しますが、この地球上においてはほとんどの地球人がとても貧しく、貧富の差があり、社会的にも恵まれていない環境で生活しております。そして多くの壁を造り、身を守るために必死になっており、決して自分の心を開こうとはせずに頑なに心を閉ざしております。ごく一部のいわゆる先進国と呼ばれる人たちが陽気であったり、開放的であったり、音楽や絵画を楽しんでおります。

でも彼らにはプライドの高い自尊心があり、人よりも上に立つことばかりに意識があり、貧しいことへの恐れがあり、何らかの保証を得ようとして出世しようとしております。心の壁はそういうところにも明確に存在しており、結局彼らは貧しくなることへの不安を抱え、事業が失敗することへの不安を抱えており、心の壁は明確にできております。

今、私たちが日本人に心の壁について積極的に話をしているのはこの日本のエネルギーそのものを根本から変えるためにどうしても一人ひとりの心の壁が障害になっており、これを早く取り除くことが大至急、要求されているのです。日本人は今まで何かを覆いかぶせられ、何らかの制限の中で生活し、またそれが当たり前のように感じておりました。この制限を取り払い、一人ひとりが自らの力で自らの人生を歩む、という流れに入るためには一人ひとりが今まで造られた心の壁を完全に手放し、裸のままで新しいエネルギーの中に入っていく必要があるのです。

これはある意味では今、日本という国を大幅に変更するために必要なことであり、ほかの国においてはほかの国を管理している存在たちがその思いの中で計画を進めております。中国は中国でまず経済的な立て直しから国を改め、労働することの楽しさや成長することの楽しさをまず味わってもらうことが前提になっております。アフリカの人々もそれぞれ学びがあり、それに応じて計画が進められております。

今、日本の人々は自分というものを見つけるためにかなり意識を目覚めさせている者と、逆に今までの生き方にしがみついて自分をなくしたままで長いものに巻かれていく生き方を望んでいる者がおります。新しい時代を造ろうとしている者は明確に自分自身を完全に新しい光の中に持っていく必要があります。

日本という国がこれからどのように変化していくのか。一人ひとりの目覚めがどこまで進むのか。これはあなた方がすべて鍵を握っております。自分が変わらなければ日本は変わりません。誰の所為でもなく、ましてや宇宙や神の所為でもなく、自分の責任であるということ。自分の現実が良くなるのは自分の責任であり、自分が新しい流れに入るのも自分が行なうべきものであるということ。

他人のことをいろいろと話したり、噂をするのは誰にでもできます。しかし自分がその中でしっかり成長し、真の光に入ることができるのは自分の力だけです。今皆さん方に求められているのは、あくまでも自分は自分の力で光の中に入っていくということ。自分の力で壁を見出し、解き放って、光の中に入っていく。

新たなる光がどんどん地球にやってくるでしょう。日本に新しい息吹をどんどん与えていくでしょう。でも日本人がそれをどれだけ感じ、受け取り、地球に流していくのか。一人ひとりが行なわなくては何も前に進みません。問題は自分がそれを行なうかどうか。あなた方の自由意思です。


D自分で成長しようとする気持ちを持っているかどうか

私たちは皆さん方の波動をいろいろと調整しながら話を進めております。自分が変わるためには自分を変えようとする意識が必要です。自分が変わろうとする気持ちがない者には変化は訪れません。自分がどのように、なぜ変わるのか。少しでも多くの人と分かち合って楽しく過ごしたい。ほかのいろんな人に自分の本当の心を伝えてあげたい。だから自分の波動をもっともっと高めたい。

そういう思いを持っている者は新しい波動が次々とやってきて、意識的な成長が進んでいくでしょう。自分にはまだ能力がないから、まだ自分には分からないから、どうせやってもダメだから、と言う人は実際は新しい波動を自分のものにすることはできません。自分が成長しようとする気持ち、自分が高まっていきたいという気持ちがあるかどうか、これがすべての成長の鍵を握ります。自分がそれを望んでいるかどうか。


大いなる仲間たちが皆さん方に祝福を与えて終わりにいたします。


(c)1998 CentralSun
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