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1998/5/25■月曜交流会から

一度しかない人生をいかに有意義に生きるか

@エマネーション

さて、今日はこれまでとは少し違う試みをしようと思っています。もう、皆さん方は十分に私たちの世界を理解し、自分との関係についても理解を深めてきました。人間が何のためにこの地球にやってきて、この地球で何を為し、そしてまた新たなる学びの場へと向かっていくか。少しずつ、それが理解されてきています。でも、今日はその一番、核心となるもの、一番大切なことについて話をしていきたいと思います。

これまで私たちやほかの存在たちが皆さん方の正体を知らせるために、エネルギー的なことや魂について話をしてきました。皆さん方の魂について説明をすることが皆さん方の役割を理解し、そして自分の方向性について理解できるものとして魂を説明し、一人ひとりにアドバイスを与えてきました。

ところが、昨年ぐらいから魂というものは初めからあるものではなく、生まれるときにつくられたものであり、また前世というものもない、という情報が与えられたのに従って、皆さん方の方で混乱をきたしたり、また訳が分からなくなったりして困っている人がいるようです。今日は少し、その辺のことについて説明をしていきたいと思います。

今まで私たちは言葉の便宜上、魂や転生、そして地球に来る前の状況というものを説明してきました。でも、それもある意味では皆さん方には意味のない情報であり、また皆さん方自身とも何のかかわりもありません。一人ひとりは今回、肉体を持ったこの人生が真の魂の出発点であり、これから神に向けて永遠となる進化を重ねていきます。

ただ、人間として生まれるためには準備を必要としており、いきなりスピリットが人間の世界に生まれ出るということはできません。特に、この地球は特別な条件が必要となっており、どのスピリットでも自由に生まれ出るということはできない状況になっております。したがってスピリットによってはこの地球上で肉体を持つために、何万年、何十万年という年月をいろんな惑星で体験し、そして人間として必要なエネルギーを身に着け、それから地球にやってきた者がおります。

そういう話をすると、いかにも前世があり、魂が体験を重ねたかのように理解してしまいます。そこが一番の誤解されやすいところであり、実際にはスピリットがそういう体験を繰り返して魂となる器のようなもの、根本的なものを自らの力で造り上げてきたのです。そしてこの地球で生まれ出ることが可能なレベルにまでその波動を調整し、そしていろんな条件が満たされ、肉体をまとっても良いという許可が降りたときに初めてスピリットは自分の意識の一部をそこに降ろしていき、人間の肉体の中に入っていきます。

人間の肉体の中で成長を続けていき、明らかに肉体を維持できるような状況にまで成長し、母体から十分に個別で成長できる段階にまで進んでくると、魂の元となるものがつくられていき、そして胎児が自分なりの思考によって自分のエネルギーをつくることができるまでに成長を続けていきます。

胎児がいろいろ成長を重ね、自分の思考によってエネルギーがつくれるようになると、その思考のエネルギーや感情のエネルギーとスピリットから流されてくるエネルギーとの合体が起こり、そして魂がつくられていきます。そして胎児が母体から出てくる段階になると、魂の殻のようなものが明確に造り上げられていき、そして自分の人生を始めることになります。したがって胎児が母体から分かれてこの肉体を明確に自分で維持できるようになったときに、すべての魂がつくりだされ、永遠に向けて旅立っていきます。

しかし、そのままでは魂は極めて未熟であり、ほとんど自分で自分をコントロールすることができません。そのために、その魂をなるべくうまく人間社会に適応できるようにエネルギーを調整していく協力者が必要となってきます。その協力者を皆さん方の言葉では守護霊という風にいっておりました。この存在がその人生の間、ずっとその人間と共にあり、肉体だけではなく、魂の成長を管理しながら人間をすべて最後まで協力していきます。

人間が一生を終え、肉体を放棄するようになると、魂の世界でいろんなことが起こってきます。それまで肉体を自分と思っていた人間が肉体から離れるときに、人によってはとても苦しい状況を経験したり、あるいは恨みやとらわれ、他の人への思いなどによってその時空からうまく切り離れることができない場合があります。そういう人間の思いはすぐに肉体から離れることができずに、肉体と繋がりのあるエネルギーの場に戻されてしまい、その場のところでしばらく学びを続けることになります。

皆さん方の言葉ではそれを自縛霊とか地獄の一種のように認識されてきました。でも、それはその人自身の造り上げたエネルギーと、今までの人間生活の中でほかの人との間につくられたエネルギー、執着や愛憎、恨みなどによってまだ生きている人間や現実との繋がりが明確につくられてしまい、離れることができない場合に起こる現象です。

こういう学びを選んだものはそのエネルギーが解消されるまで、そこから出ることは許されません。普通、数百年、場合によっては数千年という三次元時間を経験するものもおります。したがってそういう存在に対し、霊能者やお坊さんのような人が、そういう霊に対して地上での役割を終えたこと告げ、その場から解放させるということはある意味ではとても良い役割をやっているともいえます。

しかし、一般にそういうエネルギーでこの世界と繋がっているものは、自分自身の執着のエネルギーがとても強く残っているために、一回や二回の浄霊や光を当てたぐらいでは根本的に新しい世界に行くことはできません。一瞬、その場から離れたように見えても、またすぐに戻ってくるのです。したがってそういう霊に対して、一度だけ成仏させたと思って安心していても、すぐにまた戻ってきて同じ現象を引き起こす。これが実際には日常、繰り広げられております。

皆さん方の社会において、本当に自縛している霊を新たなる波動の世界にまで持っていけることのできるお坊さんや霊能者はそんなに多くはありません。ほとんどは、実際には見せかけだけで何もしていなかったり、人間の弱みに付け込んでそういう恐怖感を与え、そして自分はただやったつもりで金銭を受け取る、そういう人もたくさん、おります。ですから、彼らの言うことをいちいち真に受けて信用したり、言うとおりにする必要はいっさいありません。

ただ、そういう、苦しんでいる霊や執着を持っている霊、それがいろんな人間に影響を与え、関係のない人間にまで恨みや執着を現す場合もあります。そういう状況から逃れるために、自分はどのような生活をしていったらよいのか。基本的に自分の心の波動と同じ波動のものが引き寄せられてきます。若い男性、女性の場合はどうしても異性に対して強い執着を発揮し、自分に素晴らしい異性が現れてくるのを願っております。そしてそれに引き寄せられていろんなエネルギーが次々とやってきます。

そういう人々が、いくらエネルギー的に綺麗になりたいとか、清らかな人間になりたいと思っても、執着的な愛を求めている限りはそういうエネルギーから逃れることはできません。そして結局は本当に自分に見合った異性が現れた場合でも、自分が引き寄せた別のエネルギーによってその仲がすぐに壊されてしまったり、邪魔されてしまったりしてうまくパートナーと出会えない人もおります。

ほとんどの人は執着と同時に嫉妬のエネルギーも引き寄せるために、その人の本来のパートナーがやってきても、自分の引き寄せたエネルギーの嫉妬によってその仲が裂かれていくのです。したがって自分が本当に本来のパートナーと出会うためには、そういう別の種のエネルギーを本当に切り離し、純粋に宇宙の愛を表現することが必要になってきます。

こういうエネルギーで人間に影響を与えているものは、ほかにもいっぱいあります。普通の会社に勤めている人はどうしても出世したい、認められたい、評価されたいという思いを強く発揮するために、そういう種類のエネルギーをどんどん引き寄せていきます。そして上司と部下との関係でそのエネルギーを呼び寄せ合い、お互いでいろんなドラマをつくり出していきます。

自分の方が仕事ができる。自分の方が人気がある。いろんな思いによって自分の方が優れていて、会社では有能であるという評価を得ようとします。これもそういうエネルギーを次々と呼び寄せてしまい、上司と部下との間である一つのエネルギーが明確につくられてしまい、常に争いを起こす人がおります。

家族の間においても同じ状況があります。先祖やあるいはその場所で古くから生きていたもの、その家で以前に生活していたもの、そういったエネルギーが影響を与える場合があります。したがって引越をしたときに、その場が何となく自分に合わない、その部屋はどうも自分とっては不快である、という思いを感じた人は本当にそこに何かが存在していると理解しても構いません。

ただ、常にそういう風に認識していると、ほとんどの人は何も行動できなくなるでしょう。どこに行っても不安であり、心配であり、心が落ち着かない。そういう状況になってしまい、心の安らぐ場がほとんどないことに気がついてきます。

さて、また話を戻しますが、今のは人間が人間としての生命を終え、肉体から離れた場合でも執着のエネルギーをもっている場合に影響を与えている影響を与えている例を示してきました。では、特にそういう執着を持たなかった人間の場合にはどうなるのか。そういう人は肉体から離れたときに、それまで援助してきた仲間たちがやってきて自分の一生がどういう人生であったのか、その肉体で身に着けたもの、学んだものは何であったのか、を説明してくれることになります。

そして一通り説明が終わった段階で、新しい学びの場に連れていかれます。肉体はもうないために、実際には苦痛や不快感、感情といったものは持っておりません。でも、ほとんどの人間はどうしても人間としての肉体の感覚がまだ残っているために、自分はいかにも肉体があり、そして痛みがあり、感情もあるという風に思い込んでおります。そういう人間的な肉体の執着から離れていく学びがまずやってきます。

そのためにあえて肉体としての感覚を放棄させるための場を体験させられる人間もおります。一般に、地獄という名で呼ばれているエネルギー場ですが、それは肉体的な苦痛や悲しみ、不快感、といったものは本来、もうその世界では存在していないものであり、そういうことにとらわれる必要がないというのを学んでいただくための場となっております。熱い、苦しい、痛い。ほとんどの者がそういう叫び声を上げ、何千年、何百年とそこで活動しております。

でも、本来は肉体がもうないために、そういう苦しみを感ずることはありません。でも、そういう風に思い込んでいるのです。もう肉体はないために、痛みや悲しみ、苦しみ、といったものはない。それに気づいたものはその場から抜け出ることができます。肉体の制限はなく、自由に行動でき、自らが光り、本来の活動が始まるという学びの場へと変わっていきます。

そこの新たなる場においては、自分自身が一番得意なもの、そして自分の核となるもの、といったものを学んでいき、自分の役割や仲間たち、そして自分の本質となっているものと自分との関係、といったものが理解できるような学びを続けていきます。その中で自分はどういう役割を演じ、どういう方向性に向かって進化していくのか。そしてそれに向けてのいろんな体験が始まっていきます。

そこでの体験の期間は極めて長い期間になっていきます。普通の人間の場合にはこの期間が数千年というぐらいになってきます。そしてそれから自分についていろんな特徴が分かり、自分の本来のものや宇宙における位置付けが理解されると、さらに新たなる場へと移されていきます。そこの新たなる場というものは、初めにこの地球にやってきたときの状態の波動と似たような世界であり、地球に降りて行ってそして戻ってきたという一つの出口ともいえるでしょう。

そしてこの地球という場で何を学んだか。何を身に着け、これからどういう方向性に向かって進んでいくのか。そういったことがいろいろと分かってきます。そしてそこですべてがまた自分であり、自分がまた一つになって新たなる場へと変わるように変化していきます。そして自分の仲間たちや個別の生命たちもすべて自分と一体となり、一つになってこの地球から離れ、別の場へと移っていきます。

これが皆さん方のこれからの流れといえます。さて、そこでいくつかのいろんな疑問が湧いてくるでしょう。例えば、生まれたばかりですぐに死んでしまった場合、その人の魂、人間としての活動はどうなるのか。生まれたばかりの人間の生活ではほとんど魂が完成されていないために、肉体から出た後に通常の進化をしようとしても極めて困難を伴います。したがってそういう魂は先程のような通常の流れで進化することができないために、特別の状況が用意されていきます。

その特別な状況というのは、その魂ごとにすべて違っているために、一般論でいうことはできません。別の人間とともに常に一緒になって新たなる学びをする場合があれば、まったく別の場に行ってそこで経験を重ねる場合、あるいはすぐに通常の死後の世界に行ってそこで何千年、何万年と学びを続ける場合。いろんな状況があります。いずれにしても、肉体の期間が少ないと、それだけ魂がまだ不十分な状況になっている場合があり、必ずしも初めに考えた通りにはエネルギーが身に着かない場合もあります。

したがって長い間、肉体的な期間を地上で経験するということは魂にとってはとても良いことであり、また価値のあるものなのです。いかに魂が望んでいても、皆さん方がそれを否定し、自ら命を断った場合には、それ以降の肉体のエネルギーを獲得することができずに、魂は本来の予定とはまったく違う方向へと進むことになります。

さて、こういう人間の進化の流れの中で、今まで伝えられてきた前世とか転生というものがどういう状況であったのか。実際には皆さん方はこの肉体を手にするまでに無数の人間的な生活を体験してきております。でも、それは肉体をまとって生活したわけではなく、肉体を持って生まれ出ようとするその人間に、自らが先に下りていき、魂が創られる場を準備してきます。

つまり受精した後、スピリットがその受精卵の中に入り、それから成長し、魂ができるまでの準備をしていくのです。そして受精卵が細胞分裂を繰り返し、胎児に近づくに従い、スピリットがいろんな準備をしながらその体験を進めていくのです。そして胎児が十分に成長し、自分で思考することができ、自分でいろんなエネルギーを出せるようになると、魂が造り上げられていきます。そして魂は自ら肉体を動かし、活動していきます。

しかし、初めから入り込んで待っていたスピリットはあくまでもその魂の成長を見届け、しっかりとその人間と共に体験を重ねることができるだけであり、自分の意思をそこに介入させたり、自分で選択することはできません。その一番大切なところはすべて魂だけが行なえるようになっており、初めから共にしていたスピリットは単に魂の成長のために体験を共にしているだけです。

でもその間の体験はすべてスピリットも同じように悩み、悲しみ、喜びを分かち合っていきます。そして肉体を終えるときに、スピリットはその肉体から離れていき、また自分の元へと戻っていきます。したがってそこで先に準備をしていたスピリットは場合によってはその人生を経験したかのように感じられるかもしれません。でも、実際には自分の意思はそこには何も入っておらず、すべては魂と肉体の人間が経験したことであり、そのスピリットはただそこで場を提供していたのに過ぎないのです。

こういうスピリットとしての経験を何度も何度も積み重ねることにより、人間としての考え方や行動の仕方が身に着いていき、そしていろんなエネルギーをまとうこともできるのです。こういう経験を何度も繰り返すことをエマネーションという言葉で表してきました。そしてこのエマネーションを何度も何度も繰り返して、やっと人間としての肉体が手に入る段階になったときに、初めて肉体の中に自分の意識を下ろしていき、魂を創り上げていきます。

こういう人間の進化過程において、一人ひとりがこの現実をどのようにして生活し、行動していくのが良いのか。もうすでに感じられているように、肉体を持っているこの瞬間を否定的にとったり、価値のないものとして思ってしまうと、それはとてもつらいエネルギーを魂に送り出してしまいます。

魂はたとえどのような経験であっても、生きていること自体に喜びを感じております。できれば一日でも、一時間でも長く地球のエネルギーと分かち合いたいという思いを持っております。しかし、自分を否定したり、イヤになったりすると、そのエネルギーがほかのエネルギーを呼び込んでしまい、魂も苦しくなり、恐怖感に襲われる場合もあります。

したがって難しいことを口に出すのではなく、単純にその瞬間瞬間を楽しく、満足して生きている場合には、魂自身もとても良いエネルギーで満たされていきます。でも、皆さん方から見た場合には、現実が本当につらく、ほかの人間と交わるのも得意ではなく、少しでも楽したいという思いを持っている人がいるでしょう。

確かに今の人間世界においてはそれから逃れることができず、感情や欲望でお互いのエネルギーがぶつかり合っております。今、それぞれが学んでいること。自分は本当に光であり、ほかの人も光であり、皆が認め合うことによって地球が変わっていく。それを学ぼうとしております。

でも、現実的に目の前の人をどうしても許せない。愛せないという場合があります。これはある意味では先程のエマネーションによってつくられたエネルギーでもあります。いろんな人間の中で体験をしてきて、本当に恐怖感や失望感、悲しみばかりを体験してきた人は人間と出会うだけで瞬間的にそのエネルギーが表に出てきて、いろんな思いを湧き起こさせる場合があるのです。

そういう人々に、相手を許しなさいとか相手を認めなさいとかいっても、もうその人のエネルギー自身が不快感で囲まれている場合があります。私たちはそういう人たちに対し、それでも相手を優しく抱き抱え、愛を持って接しなさいとまでは言うつもりはありません。ある意味ではそれが不可能な人もいるのです。その人自身のエネルギーが本当に相手とぶつかり合ってしまい、いくら努力してもそのエネルギーを根本から変えることが不可能な場合すらあるのです。

では、その人はどのようにして愛を身に着けていくのか。まず、基本的に、自分の心を見ることから始まっていきます。自分はどういう心を持っているのか。自分はどういう現実を造っているのか。これが出発点となります。他人をどうしても愛せない、許せないという人。まずそういう自分の心を見つめることから始まっていきます。どうして許せなくなったのか。どうして他人を見ると、イヤになるのだろう。どうして他人を自分と同じようには認められないのだろう。

その心から沸き起こるもの、その多くはそれまでのエマネーションによってつくられたエネルギーです。このエネルギーはある意味では、自分の力によって手放すことができます。なぜならば、今の皆さん方が自分で造ったものではないからです。ただ、そのスピリットが経験のために過去のエネルギーを皆さん方に流し、そして人間関係を造り、新たなる社会までに愛を身に着けようとして流しているエネルギーです。

それがごく普通のエネルギーで間に合う場合には効果があったのですが、実際にはほとんどのスピリットがエマネーションによってとても苦しく、つらく、許せないエネルギーばかりを身に着けてしまったのです。そのために皆さん方に流されてきたエネルギーというもののほとんどがつらく、悲しく、許せないというエネルギーになってしまったのです。

このエネルギーは皆さん方がしっかりと宣言し、自分の人生は自分でつくっていける、自分は自分のエネルギーだけで十分、という時期になったときにはそのスピリットのエネルギーを手放すことが可能なのです。ただ、そういうスピリットのエネルギーを手放した場合には、もうカルマ的なものがなくなると同時に、自分の方向性や目的、人生の役割そのものもすべて手放すことになります。つまり自分の力ですべてを創り上げていく必要があるのです。

もうそういう決められたものは何一つ不要であり、すべてを自分の力で創り上げていく。そういう準備のできた者だけが可能となるのです。多くの人は、カルマ的なエネルギーだけを手放しながらも、さらに役割は何でしょう、何をしたら良いのでしょう、これからどうなるのでしょう、ということを聞いてきます。これはまだ、カルマを手放す条件が満たされていない、一つの典型的な例です。

そういう意識を持っている限り、エネルギーを手放すことができないのです。ホンのわずかでも、依存したり、縋ったりあるいは運命があると思っている者はどうしてもそういうエネルギーを引き寄せてしまうのです。自分からそれを引き寄せているのです。したがってそういう人にはこれまでのエマネーションによってつくられたエネルギーをすべて手放すことが難しいのです。

そういうエネルギーを手放したい人は本当にすべてを自分で創り上げていく、目的も役割も未来もパートナーもすべて自分のエネルギーで自分で創っていく。そういう意思の強さが必要となるのです。そういう準備のできた者、そういった者から順番に私たちはこれまでのエネルギーの繋がりを切っていき、新たなる場へと迎えていっております。これまで、数人の人がそこまで行くことができました。

でも、多くの人はまだまだすぐに何かに縋ったり、教えてもらったり、あるいは運命のようなものがあると信じているために、どうしてもまたエネルギーを引き戻してしまいます。そういった意味で、自分の人生は自分で創っていく。何も決まっているものはない。すべてが自分の意思によって展開していく。そう信じ、行動していくことがいかに大切なことなのか。改めてそれを理解していただきたいと思っているのです。

さて、少し、話が長くなりましたので、まず今までの説明で、皆さん方が少し話をしていただき、質問とかあればそれを話の中で出していっていただきたいと思います。それでは少し休憩をとります。ありがとうございました。


A意思と行動力が大切な意味

それでは続きをしようと思います。先程、人間の成長と魂、スピリットとの関係についてお話いたしました。そして一人ひとりが自分の人生と照らし合わせ、自分はもうこれまでのエネルギーを手放しても大丈夫なのかどうか、自分の意思と行動力で自分の人生を創ることができるかどうか。そういったことを話していただきました。

今日は特にそのエネルギー的な調整をとることは考えておりません。したがって今日、一人ひとりのエネルギーを取り除いたり、新たなる波動に変えるというところまではやらないと理解しておいてください。ただ、一人ひとりにどうしても理解だけはしていただきたいことがあります。

これまでの自分の流れと今の生き方、そしてこれからの流れ、ほとんどの人がこういう組み合わせで人生というものを認識していきます。そして今までの生き方が自分に苦しかったとか、好ましくなかったとかいう判断を持っている人、こういう人はどうしても未来も同じエネルギーでつくられてしまいます。

私たちの観点から見た場合には、過去も現在も未来も同じ場であり、皆さん方がただ単にどこに意識を向け、どういうエネルギーを放って新しいエネルギーを引き寄せていくのか。そういう風にしか映っておりません。したがって実際には過去も未来も別も存在しているわけではなく、一つの同じ場の中でただ皆さん方がいろんなエネルギーを呼び込んでおります。

したがって未来というものをより良いものに変えていくためには、これまでの過去をより良い過去であったという風にまず認識し直すということが必要となります。すべては自分にとって良い経験であり、必要なものであり、満足すべきものであった。すべては自分の為にあり、自分が今、こうやって楽しい経験ができるのも過去が良かったから。こういう思いを持っておくと、それに反応するエネルギーが集まってきて、未来が満足するものに変わっていきます。

過去を常に否定的に捉え、だから今、自分は楽しくない、今、苦しい、そういう思いを持っている人は、これからの流れも苦しく、楽しくない流れを造っていきます。したがって自分の人生というものを考えるときに、ただ単に思うではなく、本当に自分の過去は良かった、本当に満足すべきものであった、今本当に楽しい、ということを心から理解することが必要となってくるのです。

そして自分の人生を自分の意思と行動力で次から次と楽しい人生を造ることができるようになってくると、自分を常に苦しめていたり悲しませていたエネルギーがもう不要となり、それが取り除かれていきます。しかし、どうしてもつい苦しく、悲しいエネルギーを思い起こして引き寄せる者にはそのエネルギーがまだ必要と感じてその場の中にずっと残されていきます。

したがってもう自分は、いちいち思い起こしたり、何度も振り返ることなくしてそのままにしておけば、そのエネルギーはもう必要のないものとして次々とエネルギーがモトに戻されることが可能なのです。そういうやり方を通して、自分のエネルギーを変えていくというのも一つのやり方です。


さて、エマネーションという現象について少し、説明をしておきます。先程の話の続きで、この肉体をまとっているときに、予定外の状況によって肉体を放棄する必要が生じた場合、例えば、思いがけない状況によってどうしても肉体を去らねばならない、自らの意思で肉体を放棄したい、という場合には、つくりあげたエネルギーが完了しないうちに魂の世界に戻ってくるために、どうしてもその本来の姿にエネルギーが順応することがないため、それを完了させてからでないと戻ってこれないという思いが沸き立ってきて、さらにその残りの部分を自分なりに解消させようとして別の経験をつくり出していく場合があります。

一般に自殺という現象を選択した場合には、それ以降のプランがすべて変更になるために、死後の世界において自分がその責任をとっていく必要があります。予定されていた状況は自分だけのことではなく、予定されていたパートナーや家族、出会うべき人々のすべての流れを変えてしまいます。それによって自分以外の人間にもその予定を変更させてしまうというさまざまな状況が生じてしまいます。

その場合には、ただ単純に死後の世界において自分一人だけで頑張れば元に戻るというわけではなく、もうどうしようにもならない状況もあります。そしてこれまでの地球の歴史において、そういうどうしようにもならない事態といったことが頻繁に起こり、そのために地球自身の予定もうまくいかなかったということがあげられます。

自殺をそそのかすものは基本的に私たちとは別の存在です。そして自殺を起こさせることによって私たちの計画を潰していくのです。私たちの計画がそれによってまた完了することなく、新しいものを創り直して、また新しい人間を創り出していきます。一人の人間の自殺によって計画がすべてダメになることが何度も起こりました。それによって地球はさらにおかしくなり、予定通りに進まず、そして私たちと反対のものが勢力を大きくしていきます。皆さん方は単純に、自殺した場合にはその人だけの責任と思うかもしれませんが、実際にはそれによって影響を受けた人間がたくさんいるということも理解しておいてください。

この自殺した霊がそれなりに自分のエネルギーを解消するためには、とても長い期間を要します。しかしそういう長い期間をどうしても消化できないということが明らかになったときには、その魂はもう一度、肉体をまとおうとして生まれ出る場合があります。でも、基本的に魂は二度と生まれることはできません。そして魂はその瞬間からエマネーションという現象を自ら創り出し、ほかの人間についていって自分のエネルギーを解消しようとする場合があります。

でも、これは先程述べた本来の合体のスピリットとはまったく違います。本来の合体するスピリットはあくまでも高いスピリットの世界からやってきており、魂自身のエネルギーも自分の力でいろいろと変えることができます。しかし今の未完了の魂がほかの人間に合体していく場合にはどうしても粗い波動のままでその人間に影響するために、その人間は必ずしも思い通りにはいかない状況がつくられていく場合があります。そして未完了の魂は自分の本来のエネルギーに解消しようとしていろんな現象を創り出していきます。

でも、その元々の人間は自分自身の生き方をしようとしてスピリットと共に自分の人生を進めようとします。こういう現象は本来は好ましくはないのですが、どうしてもやむを得ない状況が何度も起こる場合にはそれを許す場合もあります。したがって場合によっては、一人の人間について何十種類もの魂のエネルギーが関与している場合があります。

一般に影響力のある人間、指導者と呼ばれるような者、そういう強い人間には多くのエネルギーが関与しています。そしてその人自身の人生だけではなく、ほかのいろんなところに影響を与えています。こういう人間とは別に、あくまでも自分自身の本来のスピリットだけで人生を送り、自分の本来の役割を全うしようとする人間もおります。

こういう人間は、ある意味ではあまり人間とは関わり合うことなく、自分のペースで人生を進めていこうとする場合があります。こういう人間の中には、きわめて高い世界からエマネーションを繰り返してきて十分に人間としてのエネルギーを身に着け、ほかからの影響を受けることなく自分のペースで進めていけるものがおります。

そしてそういう人間の中には、ほかの人との人間関係の中において、常により良い方向へ持っていかせようとしていろんな人間にアドバイスをしたり、協力者となって役割を演じていく場合があります。こういう人間は、あまりほかの人のことや社会での評価、名誉といったものに興味がなく、常に自分のペースで歩んでいきます。

社会のいろんな名誉や評判などに意識がある人はどちらかというと先程のような別のエネルギーが関与しているケースが多く、そしてまたそういうエネルギーを引き寄せていきます。このようにして人間は実際には魂あるいは仲間とかの影響だけではなく、自分が引き寄せたエネルギーや本来のエネルギーあるいはそれ以前のほかのエネルギーによっていろんな状況が起こされているというのを理解しておく時期に入ってきました。

多くの人にとってそういう話を聞くと、自分がほかの言うなりになったり、影響を受けたりすることに不安を感じたり、否定的な思いを出す場合があるでしょう。でも、今、それをあえて皆さん方に説明をしたのは、もうそういう時期ではないからです。もうあなた方は、どの人間も自分と同じであり、一つであり、お互いに協力し合うというのを理解する時期に来ています。自分とほかの人間を分けたり、別のものとして認識する時代はもう終わりを遂げました。

したがってほかのエネルギーが自分に関与して何らかを為そうとしている場合でも、あえてそれを否定的にとったり、不快に思う必要はありません。ただそれによって自分の本来の流れがうまくいかなくなってしまう。そう感じたときには、それを素直に表現することが必要です。

相手が人間である場合には素直に自分の思いを宣言する。相手が霊的なものの存在の場合には、光の存在や自分のスピリットにその旨を告げ、自分自身はもうそういう影響は受けたくはない、自分のペースで自分の人生を進めていきたい、それをしっかりと宣言する必要があるのです。そして十分にその準備ができ、意思が強くなり、行動力が十分になってくると、そういった不要なエネルギーはそれを必要としている人間のところに移されていくでしょう。

したがって意思を強くし、自分で行動するということは単純にただ良い人生を自分で造るということだけではなく、自分に影響していたいろんなエネルギーとも別になり、本当に純粋に自分のエネルギーだけで人生をつくるという流れに入ることを意味するのです。今までは多くの人がいろんなエネルギーの影響下にあって、社会生活を営んできました。

自分の何気ない行動が実際には別のものの行動であることも何度もあったのです。つい口から出てしまう言葉、ついとってしまう行動、それは自分の思いではなく、別のものの思いであることがあるのです。そういったものをもう手放したい者、しっかりとそれを宣言し、そして自分の意思と行動力で自分の流れに入っていく必要があります。

多くの人々が自分についての理解をまだ明確にできないまま、人生を歩んできました。自分の欠点、自分の悪いところ、それは実際には自分のことではなく、自分以外のエネルギーから起こされていたのです。そういうことが何度もあったのです。改めて自分は何者であり、何処へ向かうのか。それを本当に理解する時期に入ってきているのです。

そして自分と思っていた者は本当の自分ではなく、たまたま自分が引き寄せたエネルギー、自分が許しているエネルギーに過ぎないということ。そして自分はもう必要ではないと思ったときにはそれを手放すことが可能であるということ。それを本当に理解する時期に入ってきております。そういう意味において、改めて自分とは何であり、どういう生き方をし、自分を確立させていくか。また別の観点から自分を見つめ直していってください。


B自分の意思とは別のエネルギーに関与されないように

私たちは少しだけ説明をして終わりにいたします。今の説明で、魂とか自分のエネルギーとかいったことについていろんなことが説明されていました。そして改めて自分とは何であり、自分の意思とは何であり、自分の考えというのは何であるのかを思い直している人もいると思われます。今、考えている自分、ここにもいろんな影響が及んでいる人もいると思われます。

癖、内面から常に発せられるいつものパターン。これは意外と自分以外のものの場合があります。自分はいつまでもそれを許していた。そのためにそれが自分であるかのように行動している。それを知って許している場合には、それはそれで構いません。しかし、もう手放したいと思っているもの、それは自分の強い意思で手放していく必要があります。

それを手放したいと思っている者は、もうそれを呼び込むことなく、そこに意識を向けることもなく、新たなる自分に意識を向け、意思を強くして行動していかれるのを望んでおります。

それでは今日はここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)1998 CentralSun
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