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1998/2/11■水曜瞑想会から

学びを終えるまで睡眠中の体験は記憶されない

@今年のテーマを再調整

私たちは今の話の件から先に説明をしていきます。まず、今の瞑想のやり方について少し、説明をしておきます。それぞれが自分の意識を頭から一部出して何らかの経験をしてくる。そういうことを目標にして今の瞑想が進められました。ただ、ここで理解していただきたいのは、皆さん方が頭の上から出た領域はまだかなり表面意識に近いエネルギー的な波動であり、完全なアストラルの領域には入っておりません。

完全なアストラルの領域に入るためには表面意識の波動をかなり抑え、本当に自分自身のかなりの部分をアストラルの領域に持っていく必要があります。あえて数字的にいえば、自分の意識の半分以上は肉体から出るような状況にしておいて、初めてアストラルの世界で自由に行動ができるようになってくるものと思っておいてください。

しかし、あまり悲観的に考えたり、がっかりしたりせずに、皆さん方の今日体験されたことだけでも大変、意味のあることであり、またこれからの発展に向けてとても大切なことです。少なくとも、何も経験できないという人の方が圧倒的に多いのに対し、ここにいるすべての人が何らかの体験を得られたということはとても喜ばしいことです。そういう意味において、まず自信を持ちながらも、さらに自分の意識をなるべく外にたくさん出していく練習を積み重ねていく、というのをやるようにしていってください。


さて、皆さん方の話で多くの人が機械室のようなものとか何か工場のようなものという言葉を出していました。私たちの造り出した今日の旅は、皆さん方自身の新たなる波動に向けての調整や修正といったものをかなり重点的にやっていました。一番大きなポイントは、今年それぞれが必ず何らかのテーマをつくっております。自分なりの今年の学びがいつどのようにして自分と関わり合い、学んでいくか、といったことを造っております。それに向けてそれぞれが確実に経験して学びが得られるように、自分なりに少しでも早くその学びを終えることができるように、その調整が行なわれておりました。

人によっては単に機械とか薬品のように感じられたかもしれません。それは自分の持っているエネルギー的な波動を調整したり、造り変えたり、やり直したりしているイメージと思っておいてください。それらを自分が経験することによって、自分の波動をこれから起こってくる波動とうまく対応がとれるように、いろんな調整が行なわれております。

こういう経験をすると、現実の世界で何かが起こったときでも、うまく対応がとれやすくなったりします。ここで学んだことが潜在意識の中やあるいは無意識の中で記憶に残っており、自然に行動をとることができるようになったりします。初めて出会った人で不快感を押し寄せるような言動をとってきたとしても、自分の方では冷静に受け止めてそれを自然に対応することができるようになったりします。

それも今回の学びにおいて潜在意識の中に残っていて、それで相手に対して自然な態度がとれるようになったりします。したがって、今日それぞれが体験することができたのはこれからの学びにおいていろんな意味があり、またその再調整が行なわれたものと思っておいてください。


Hさんの糸巻きのような二色のもの、これも先程の意味の通り、自分の経験のエネルギーを再調整している一番のシンボルです。二本の糸で新たなる経験を造り直し、自分の手で自分の満足のいく経験を用意しておき、自分がそれをそれを理解した上で経験していく。そういう意味が込められております。自分自身の手で自分の経験すべきことを造るために、自分がすべて納得しており、自分が造ったことによって責任はすべて自分にあり、自分が学ぶべきことを本当は自分が理解している。そういうことによって素直に、スムーズに現実が展開していく。そういったシンボルと思っておいてください。


Iさんの場合で、いろいろ見えてきたけれどもすぐに消えてしまうという現象ですが、ある意味ではまだ自分の認識能力がそういう状況であり、必ずしも本来のエネルギーが消えたり、なくなったわけではありません。あなたのところにはこれから経験していくもののほとんどのものがやってきて、そしてそれが起こる順番に応じて現れてきました。ただ、それを三次元的なビジョンで確認しようとすると、必ずしもうまく対応できないものがあります。

したがって三次元的なイメージで確認しようとせずに、もっと現せないものやエネルギー的なもの、波動的なものを自分で感じとる練習をしてみてください。そうすると、形には現れなくても自分で明らかに分かったり、納得できたり、またもっと適切なエネルギーとして示される場合があります。したがって今日はたまたま自分が見えるという範囲内で認識していましたが、これからは単にエネルギーを感ずるとか、思いが分かるという雰囲気も持ちながら瞑想をすると、もっといろんな感覚が伝わってきて、より多くの情報が得られるものと思われます。


A三次元をマスターしないと別次元の体験は記憶されない

それでは別の話をして今日の終わりにいたします。皆さん方が自分を理解しようとしていろんな試みをし、学びも続けております。瞑想はその中でもとてもよい練習のテーマであり、意識を自分に向け、集中力を養い、そして自分のエネルギーを確立するという大きな影響力を持っております。ただ、この瞑想にもいろんなやり方があり、また人間の個性に応じて適しているものや適していないものもあります。

今、皆さん方が体験している瞑想は自分の意識の拡大や能力を開発するという面においてとても大きな意味を持っております。こういう経験を重ねることによって自分自身のまだ知らない世界や、以前に体験したことですっかり忘れていたものを思い出したりすることができるようになってくるでしょう。

こういう瞑想の練習を続けていくのに対し、夢とかデジャブ、そういったものによっていろんな経験が認識された場合に、それらが自分の意識とどういう繋がりを持っているのか。夢による経験は、先程の話の潜在意識の領域において、自分の意識との繋がりがもたらした現象ともいえます。そしてそれによって表面意識だけではなく、自分の潜在意識の領域にも目を向けることができ、その世界を学んでくることができます。

ただ、夢のすべてが潜在意識における体験かというと、そうでない場合もあります。例えば、瞑想中に眠ってしまい、そしていろんな経験をしてきた。これは必ずしも睡眠中の夢と同じものではない場合があります。瞑想中の睡眠はまた別の領域に行っていることが時々あり、それは眠っているのではなく、別の世界に完全に意識が行ってしまっているという状況から起こることがあります。

それは潜在意識の場合もあれば、潜在意識とは別にまったく別の世界であることがあります。いわゆるアストラルの世界というのは、潜在意識というよりはまた別の世界の体験ともいえるでしょう。確かに潜在意識の中でのアストラルの体験も否定はできませんが、本当のアストラルの世界に意識が行ってしまうと、自分の潜在意識とは別の体験が進んでいきます。それによって自分自身がいろんな体験をしていながらも、まったく思い出すことができないという状況になってきます。

潜在意識の領域の中で体験をしていくと、何らかの形で思い出すことができます。すべてではありませんが、思い出そうとして思い出せることがあります。しかし、完全に別の世界に行ってしまうと、ほとんど思い出すことは不可能であり、それがどの世界での経験であろうとも、皆さん方にはほとんど記憶には残っていないために、単に、眠ってしまった、あるいはごくわずかに夢を見たという状況しか記憶には残りません。

さて、このように、ほかの世界で体験をして何も思い出せない、こういうときには一般に自分自身のもっと本質的なものがその世界で体験をしており、自分の肉体を持った意識が経験しているわけではありません。したがってその別の世界で経験したことを皆さん方が思い出せるとか、いつか分かるということはあまりありません。

基本的には、自分が本質と繋がるときがくるまで思い出せないともいえるでしょう。でも、それ自体、意味があり、思い出す必要もなく、またそれに意味があるわけでもありません。基本的に、別の世界に行って何も思い出せないものは思い出す必要がないもの、そういう意味がまったくないものと理解していても構いません。

ただ、皆さん方はせっかくその世界に行って何かをしているのだから、少しでも覚えておきたいという気持ちはあるでしょう。でも、現実には皆さん方、眠っているときにはいろんな世界に行っていろんな活動をしております。それをすべて思い出すというのはとても大変なことであり、またあまり意味がありません。

三次元の世界をすべてクリアーし、学びをすべて終えた場合には眠った場合でも記憶しておくことは可能となります。しかしまだ三次元のいろんな問題を抱え、毎日の現実に四苦八苦している場合には夢の中での世界を思い出すということはまずありません。

なぜならば、眠っている最中に実際には、普段いつも喧嘩している人と出会って楽しく話をしていたり、明日はこういう喧嘩をしようとか相談をしている場合があります。あるいは普段、仲良くしているのが眠っている世界においては喧嘩ばかりしている場合もあります。そういう裏をすべて知ってしまうと、現実がうまく進まなくなったりします。まったく別の世界がそこで進行しております。

したがって別の世界の流れは別に世界での学びがあり、そこにおいてまた必要な経験をしている。三次元での経験は三次元の肉体を持った人間同士が必要な経験であり、お互いに確認をとりながら学びを続けている。そういった意味において、三次元の学びをすべて終了していないものは、ほかの次元においての学びを記憶しておかないようにといろいろ調整がとられております。

もしすべて覚えておきたいというときには、早く三次元の学び方をマスターして毎日を楽しく、愛といたわりを持って人々を思いやり、優しく楽しく過ごせる自分の現実を造り上げていかれるのを望んでおります。

これまでと同じように、さらに皆さん方の瞑想においてもいろんな手助けをしたり、発展性を考えたりしております。ですから、自分なりに工夫をしながら、さらに意識を発展させるために、瞑想においてもゴールとか最終的なものといったものはなく、常に前に向けて成長していくという練習が必要であることを確認しておいてください。

それでは私たちはここまでにいたします。ありがとうございました。



(c)1998 CentralSun
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