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1998/1/14■水曜瞑想会から

金銭も心のエネルギーに反応して現象化している

質問
−金銭の意味について説明してほしい
−金銭に執着している人とどのように接したら良いか、分からない

@金銭にも人間の思いが入っている

私たちは今日の瞑想会の手伝いをさせていただいた仲間たちです。まず先に質問の方からお答えをしていきましょう。

金銭というのは確かにほとんどの人にとってどう認識して良いのか分からない存在といえるでしょう。無視しようと思っても現実に金銭にとらわれることがあまりにも多く、またこれをまったく無視して楽しい生活ができるとも考えられないことでしょう。今、説明されたように、エネルギーの流れという観点で説明をしたときには先程のような状況になります。今度は私たちの方から別の観点でお話をしましょう。

金銭は基本的にお互いの人間の間の何らかのやり取りをそこに生み出します。金銭を渡す代わりに何かを受け取る。自分が何かを手に入れるために金銭を使う。そういう手段として金銭が使われております。したがって金銭をたくさん手にしていれば、いろんなものをたくさん手に入れることができる。そういう意味を持って、金銭を獲得しようとして皆さん方が毎日、頑張っております。

ところがこの金銭というものが必要以上に価値を多く生み出し、いろんなものを自分の自由にさせる道具として発達してきました。物を手に入れるだけではなく、地位や名誉、自分の存在価値さえも金銭で手に入れることができるように変わってきました。今までは物質を交換する道具として働いていたものが、物質以外のエネルギー的なものや人間の造り上げた概念、あるいは単なる想像、そういったものですらも金銭で手に入れることができるようになってきました。

この時点において、金銭は本来の目的を達成してはおらず、まったく別のものとして今、動き出しております。自分を解放させる何か特別なもの、自分の意思を自由に実現させる何か特別なものという価値が入ってきております。今の皆さん方のほとんどの人は、この金銭を手に入れることによって自由や安心、将来への保証などを手に入れることができます。

でも、この金銭をいくら手にしても本当の自分の安心感や存在価値、自分自身の本質的なものを手に入れることはできません。自分は何であるのか、この本質的なテーマを解決することはできません。つまり金銭は人間の妄想によってその価値がどんどん膨らんでいっても、本質的なものを解決する能力は持っていないのです。

こういう時代において、金銭が今、いくらでも形を変えていろんな関係で人間に災いをもたらそうとしております。金銭がなければ不安になってしまう。ある程度の金銭がないと生活できないという困った感覚がありありと現れてしまう。こういう金銭というエネルギーが不安や心配を一気に呼び寄せる働きもすることになってしまいました。

金銭がこのように人間の意識によってどんどん姿・形を変えてきております。夢を買うこともできれば、不安を与えることもできる。いろんな機能を持ち合わせているのが今の金銭という一つのエネルギーです。ではこの金銭のエネルギーが先程言ったような、使うことによって入ってくるという本来の働きから少しずつ崩れてきております。

物質だけではなくいろんな概念や思いによって金銭というものが姿・形を変えられている以上、金銭のエネルギーの流れも本来の流れとはかなり変わった流れ方に変わってきております。不安をいっぱい持っている者、その不安が金銭のエネルギーとうまく反応して、なおさら金銭がうまく入ってこないように仕向けてしまいます。そういった意味で、金銭自身が持っているいろんなエネルギーとその人自身の持っている心の波動がお互いに反応し合い、心の状態に応じた金銭のエネルギーが入ってくるようになっているのです。

さて、金銭にもそれぞれエネルギーが入っております。他人に金銭を渡すときに、その人のために本当に役立ってほしいという思いで金銭を渡したときに、その金銭はそれこそその人の役に立つようにエネルギーが働いていきます。しかし、損をしたとか、高い買い物だとかいう感覚で紙幣を払った場合、その紙幣は必ずしも相手を幸福にはさせず、相手がつまらないという働きをしていきます。

金銭の一つひとつにもそういった人間のエネルギーが入り込み、それが相手に影響を与えていっております。したがって、もう今の段階においては金銭というまとまったエネルギーではなく、それこそコインの一つひとつ、紙幣の1枚1枚に個別にエネルギーが入り込み、それがその人の心の状態に応じて反応しているという風に理解をしておいてください。

そして手には持っていないけれども、単なる数字で銀行においてある金銭や預けてある金銭、それがそれぞれの思いによって反応していきます。このようにして金銭というものがエネルギー的にかなり姿・形を変え、それぞれの心の波動に応じて動き回っているというのも理解をしておいてください。


さて、そういう金銭や地位、名誉にこだわっている人、そういう人が今、皆さん方と一緒に存在し、学びをしようとしているときに、どのようにして皆さん方が対応していったらよいのか。少なくとも、皆さん方の目の前にそういう人が現れてきた場合、必ず意味があるということを理解しておいてください。

仮にものすごく物質的に意識が向いており、物質がすべてだという考えを持っている人。その人が自分の目の前に来たときにはその人と自分が何らかの波動的な繋がりがあるということをまず、理解しておいてください。ただ、自分がそこまで物質的に執着していないというケースもあります。その場合には、物質的な執着欲ではなく、むしろ感情的なものとか、ほかのいろんな学びのためにその人が目の前に現れてきて、自分のいろんなエネルギーを解消しようとしている場合があります。

つまりそういった人に対して、何か嫌いだとか、イヤだとか、避けたいという気持ちを持っていた場合、やはりそれは好ましいエネルギーではありません。その人たちの生き方をも尊重してあげ、認めてあげるという愛が必要となります。まだそういう愛を身に着けておらず、どこか下に見てしまったり、自分の方がまだマシだとかいう思いを持っている人には、そういう人々を通じて愛を学んでいく必要があります。

実際にはいくら金銭に執着していても、本当に人のことを考えて思いやりに優れている場合や、あるいは別の角度から見た場合にはより光っている場合があります。物質的なことや金銭的なことだけですべての人間を測ることはできません。自分がいろんな人間に対して、いろいろな見方ができているかどうか。人間性をしっかりと認めることができているかどうか。そういう学びのためにそういう人々が自分の目の前に現れることがあります。

したがって自分の方からそういった人々に対しても、同じ人間として本当に愛を持って接する、相手が困っていることが何であるのかをなるべく理解しようとし、そして共に成長していこうとする気持ち、そういった気持ちを養っていただけるのを望んでおります。


A三次元的な生き方をしている人を見下ろさないように

さて、それでは私たちの方から説明をいたします。今の話にもありましたが、今のこの地球上においてはまだまだ物資的なものや金銭的なものに執着し、それを追い求めている人がたくさんおります。でも、そういう人々に対して、まだ未熟だとか、遅れているとか、ダメだとかいう判断は一切、しないようにお願いいたします。

そういう人間たちも必死になって生きており、自分なりのテーマを抱えております。彼らなりに自分たちに一番最適な環境が与えられており、そして自分を少しでも成長させるためにいろんな体験を選んでおります。自分が今、一番必要なのは、今、目の前にいる人、一人ひとりと本当に接し、いろいろ学び、そして愛を育んでいくということ。まずはそこに意識を向けておいてください。

ただどうしても目の前にそういう執着を持った人が何度も現れ、自分が不快感を感じてしまう。そういう場合もあるでしょう。自分が不快感を感ずるということは、まだまだ自分が学ぶべきテーマがあるということです。人間を良い人間、悪い人間という風に区分けしていないかどうか。自分の方がだいぶ理解しているという思い上がりがないかどうか。一人ひとり、自分もほかの人と同じように学びの最中であるという意識を認識しておいてください。

でも、決して自分がまだダメだとか、未熟だとか、至らないという思いも持たないようにしておいてください。自分を否定する気持ちがまた自分の光を発しない方向へと導いてしまいます。自分は常に光ってそのまま成長し続けている存在というのを自分なりに納得しておいてください。

私たちはここまでにいたします。ありがとうございました。



(c)1998 CentralSun
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