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1997/11/10■月曜交流会から

自分を素直に表現するエネルギーを日本に確立すること

@自分の喜びを素直に表現するように

私たちは今日は神々の領域の中の、極めて特殊なところからやってきております。先ほどからの話で、私たちも今日の内容を変えることにしました。今までとはまた違う展開を考えております。実は今日はまた違う展開を考えていたのですが、皆さん方の心の準備がだいぶ進んだ状況が感じられましたので、さらに先に進もうと思います。したがってまた混乱する人が出てくるかもしれませんが、なるべく心を冷静にして聞いていただきたいと思います。

これまで私たちは皆さん方に日本人として何を為し、一人ひとりがどういう基準で判断し、行動していくか、これを主に説いてきました。今改めて皆さん方に本来の日本と人間に近い情報を与えようと思っております。先ほどの話で、日本という国が大切な役割を持ち、この地球のこれからの流れの大きな鍵を握っているということが話されました。これにもいくつかのいろんな条件があり、必ずしもそれが唯一の選択ではないということも覚えておいていただきたいと思います。

日本という国がお互いに和を重視し、協調的な生活態度で真面目に自主性を持って進むのであれば、とても良い働きをするでしょう。しかし、自分の価値観を押し付けようとして相手を認めなかったり、自分と同じ価値観のものだけを仲間として思い、そうでないものを退けたり、力関係だけで優劣を競うという行動の仕方が続くのであれば、日本という国の役割は返上されるかもしれません。

したがってまだ決まっているわけではないということを本当に理解していただきたいと思います。ただ、私たちはあくまでもそれがうまい方向に確実に進んでいくことを前提として皆さん方に情報を与えていきます。一人ひとりもそれを努力目標として頑張っていただきたいと思いますが、決定事項ではないということを頭に入れておいてください。

さてその中で、日本人として一人ひとりが何を為すべきか。日本においては世代間の違いがあまりにも出すぎてしまい、価値観も異なってしまい、まるで同じ人間とは思えないぐらいに相手を非難する人さえもおります。日本人同士がこういう状況であるのにもかかわらず、なぜほかの国々と仲良くできるか。おそらく極めて難しいでしょう。今、私たちは本当にそれを考えております。

日本人がほかのいろんな国々の人間と仲良く、本当に価値を認め合うという生活態度が確立するのかどうか。相手の言うことを尊重し、自分を正しく表現する。こういう生き方が一人ひとりに身についてくるのかどうか。日本人一人ひとりは真面目であり、素直でおとなしく、また勉強家でもあります。でもこういう人が複数集まると、お互いに誰かに任せたり、責任のがれをしたり、ただ従うという風潮がつくられてしまいます。

日本人において自分を表現するということが大勢の場では発揮できない状況になっております。今これが私たちにとっても大きなテーマであり、日本に対して真剣に取り組んでいるテーマでもあります。何故、表現することがうまくできないのか。

いうまでもなく過去の歴史において、表現することが抑圧され、目上や長老にただ従うという生き方が徹底されていたために、従うものはただ後についてくるという生き方しかできなくなっております。でもそれはずっと昔のことです。皆さん方の世代ではもうそれを手放しても良いぐらいの世代のはずです。にもかかわらず、表現するのが恐ろしい、恥ずかしい、面倒臭い、こういうエネルギーによって一人ひとりはなるべく目立たないように、分からないように、隠れてしまいます。

今のこういう状況において、日本人が本当に自分を表現し、それが相手からどのような評価を得ようとも、まず自分を正しく表現していく。こういう生き方を確立していただくのに、どのようなことが必要であるのか。

多くの人にとって表現するという大切さをあまり理解していない人がおります。何も表現しなくても、別に構わない。皆に合わせておけば大丈夫。でも、この気持ちが日本をダメにしてきたのです。日本という国がほかの国々からどのように見られているか。決して良い印象は得られておりません。確かにお金はたくさん持っており、真面目で頭もよい。そういう感じはあります。でも、これはお金儲けだけを考えており、遊びが下手であり、一緒に居ても楽しくない、仕事の話しかしない、つまらない、人間性がない。こういう感じが一般的です。

一人ひとりが満足しているという表現をほかの外国人は聞いたことがありません。皆、小さな家で、高いお金を払って我慢して住んでいる。そうとしか思われておりません。日本人の楽しみは何であるのか。ほとんどの人に理解されておりません。皆さん方はもっともっと自分を表現し、喜びを表現する必要があります。

ほかの国においての喜びは何かを造り出したり、発見したり、遊びに行ったり、それぞれがいろんな方面で喜びを感じております。日本人は一般に誰かについて行って、皆で同じことをやって、皆が同じ喜びを感じる。こういう傾向が特に目立ちます。自分一人で喜びを感じるということがあまり得意ではありません。ほかの人が何かを持ってくると、喜びを感ずる。自分一人では見つけられないのです。ここが一番の本質的な違いとなるでしょう。

自分で喜びを見つけることが下手なのです。誰かが見つけてくれると、すぐそこについていって自分も喜ぶ。誰かが発見すると、それを真似して自分もやってみる。皆で一緒に何かをやって、皆で喜びを感ずる。こういうやり方にあまりにも慣れすぎているために、自分で喜びを見い出すということがとても苦手なのです。

でも喜びというものは本来は自分が感ずるものです。ほかの人が喜んだのを見て自分も喜ばしい。日本人はこれを良いこととして、当たり前のように感じております。でも、それは単にほかの人の喜ぶ様を見て気持ちが和やかになっているだけであり、その人が見つけた喜びを感じているわけではありません。ただ単に喜ぶ様を見て、気持ちが良いだけなのです。喜びというものは何であるのか。

日本人が自分で喜びを見つけ、表現するようになってきたら、日本という国が本当に変わっていくでしょう。自分を表現するというのはすぐには難しいかもしれませんが、自分が喜びを見つけ、それを表現するというのは意外と簡単なことです。そういう意識を持つだけで、かなりやりやすくなってきます。皆さん方はそもそもそういう意識をはじめから持っていないのです。

喜びを見つける。この意識を常に持っておいていただきたいのです。また、人の喜んでいるのを見て喜びを感じるのではなく、自分が喜びを見つけて喜ぶ。このやり方を本当に身に着けて欲しいのです。これを一人ひとりが行えば、ほかの国々の人も日本に対して見方を少しずつ変えてきます。日本人が何に対して喜びを感ずるのか。ほかの国々の人はそれが分からないのです。ですから、お金儲けしか頭にないと、皆が信じ込んでいます。お金儲け以外に喜びを皆さん方が自分で見つけ出し、表現して欲しいのです。


さて、この喜びの表現。一人ひとりが自分で表現する。これともう一つ、日本人に是非やっていただきたいことがあります。多くの人は職業というものに関して特別な思いを持っております。良い仕事をやっていると、自分が良い人間であるかのように、有名な仕事に就いていると自分が有名人になったように。仕事と自分をかなり重ね合わせております。したがって自分のやりたい仕事というのがいつの間にか、ほかの人から見て良いと思われる仕事、そういう価値観に変わってしまい、自分が心からできる仕事ではなく、ほかの人から誉められる仕事、評価される仕事、それを選ぶ傾向があります。

本当に自分のやりたいことは何であるのか。こういう質問をしても、ほとんどの人はそれが分からないと答えてきます。なぜならば、自分のやりたいことを本当に見つけようとしたことがなく、考えてもいないのです。ほかの人がこれが良いと言ったら、自分はそれに興味を持ってしまう。別の人はもっとこれが良いと言ったら、今度はそこに目がいく。自分で自分の仕事を見つけようとする気持ちがないのです。世間体やほかの人の言葉に惑わされてしまう。

あなた方の人生はそうやって造られているのです。自分のやりたいことをやっているのではなく、ただほかの人にいかに合わせていくか。ほかの人から良いと思われるように、いかにもっていくか。これしか頭にないのです。自分を表現し満足した生き方をしようとするならば、本当に自分が何をやると一番、納得し、心が晴れ晴れとするか。心がすかっとするのはどういうときか。一人ひとりが本当にそれを考える必要があります。

人の役に立つ仕事をしたい。とても良い言葉です。人の役に立つ。でも、それぞれ自分の生き方を完成させ、自分で満足できる生き方をやっているときに、人の役に立つということはどういうことなのか。それぞれが自分で自分の人生を送っている。それぞれが満足を感じている。人の役に立つとはどういうことか。誰も迷っている者はいない。誰も混乱している者はいない。喜びしか皆感じていない。さて、役に立つとはどういうことか。

ほかの人の評価を気にして仕事を考える。ほかの人から良い人間だと思われたい。こういう気持ちがあまりにも日本人の心の中に入り込んでおります。自分は自分の生き方を完成させる。その大切さを本当に理解していただきたいと思います。


A相手の言うことを尊重して聞くように

さて私はまったく違う話をします。一人ひとり、いろんな考えを持っております。自分はどうしたらよいか。自分の喜びは何であるのか。どういうことを表現したら、良く思われるか。いろんなことを考えておりました。皆さん方はとても真面目な人々であり、熱心に学びを重ね、そして真剣に神と繋がろうとしております。

新しい時代で本当に皆が一つになって神々と交流できる惑星に持っていきたいと願っております。でも、今の考え自体がいかにも日本人的なのです。どう表現したらよいのだろう。自分はどうしよう。あまりにもそういうことに頭が回りすぎるのです。常に自分の評価を気にしてしまうのです。ほかの人からどう思われるのか。自分はどうしたらよいのか。こういう意識があまりにも強いのです。

皆さんは何をして良いのか、また分からなくなっているようですね。結局、素直に表現するということがまだ分かっていないのです。考え方の一つひとつが、ほかの人からどう思われるのか。どうしたらどう思われてしまうか。こういう考えが無意識のうちに働いているのです。ほかの人からどう思われようとも、単に自分はこうしたい、自分はこうやりたい、そういう素直な気持ちが入っていないのです。

どのようにしたらその素直な気持ちが表現できるようになっていくか。考え方そのものから変えていく必要があります。ほかの人からどう思われるとか、どうしたら良いという風に評価されるかとか、そういう基準で考えても、素直な表現にはなりません。単純に自分は何を今したいか。今、何を思っているか。そこにもっともっと目を向ける必要があるのです。

ほかの人から評価されることがそんなに気になりますか。何故、気になるのでしょう。悪く思われたくない。変に思われたくない。少しでも良い方向で見られたい。でも、そういう気持ちって虚しくありませんか。仮にここのメンバーだけで、ほかの人より良く思われようとか、恥ずかしいとか考えて、つまらないと思いませんか。ほとんどの人は無意識のうちで、そういう反応が起こってしまいます。ですからチョット意見されると、すぐ反論してしまったり、ムキになったり、気分を害したりしてしまう。

これもある意味では慣れが良いのかもしれません。何度も何度も表現して、ほかの人から変に思われても、それが当たり前ということに気がついてくると、もう恥ずかしくも何ともなくなってきます。まず相手を責めたり非難したりすることを自分から止めましょう。相手の言うことを素直に聞いてあげる。相手の表現を喜びをもって聞いてあげる。一人ひとりがそれから始めていきましょう。そして自分はちゃんと表現する。

自分と違う意見があっても、それは尊重すべきです。ただ自分がそれに合わせるかどうかは自分の問題です。違うと思ったら、自分は合わせる必要はありません。でも、相手の意見は尊重してあげる。本当にこれを何度も何度も練習することが必要でしょう。ほとんどの人は感情的に反論してしまいます。意見されると、もう先に感情の方がむかついてきます。この感情のコントロール、日本人がまだ学びの必要なところです。

特に若い者から言われて、むかついてしまう。知らない人から意見されて、むかついてしまう。そういったことの一つひとつを克服し、自然なものに変え、せめて日本人同士だけでも和やかに、お互いにお互いに表現できる社会を早めに造ってください。これが本当に必要です。日本が、皆が自分を表現し、正々堂々と正しいことを正しいと言えるようになってくると、世界はまた急速に変わっていきます。

一人ひとりのその力はとても強いものがあります。決しておろそかにせず、ほかの人の所為にせず、自分の力で自分を表現させてください。自分の力で、自分を閉ざしていたものをり外していってください。


B挨拶

さぁ、一人ひとりが自分を表現できなくさせていたものは何であったのか。そういう風に躾けられた。いつもそうだった。恥ずかしいから。いろいろあるでしょう。でも、そのままずっと皆さんは続けていくのですか。それで本当に楽しいですか。勇気をもって自分を表現してみる。その練習を自分なりのどんどんやってみてください。私たちはここで少し休憩の時間をとります。ありがとうございました。


C日本は自然に助け合う雰囲気が備わっている

私たちは今の話の中から少しコメントをしたいと思います。一人ひとりが自分の表現をする。日本という社会においてこれが失われてしまった一番の原因は何であったのか。日本という国は全員で何かをするということにとても優れたエネルギーを持っております。たとえ一人が必ずしもその能力を十分に発揮できなくても、ほかの人が手助けをしてあげたり、それを補ってあげる心の優しさを持ち合わせております。

そこにはあえて口に出さなくても、ほかの人が何となくそこをカバーしてあげたり、手伝ってあげるという雰囲気が当初のころから備わっておりました。こういうやり方がいつの間にか、好ましくない方向にも使われ始め、仮に誰かがうまくいかなかった場合にその人間だけを排除してしまったり、非難するという言動が少しずつとられ始めるようになっていきました。

したがってほかの人よりも、おかしいとか劣っているということにだんだん過剰な反応を示すようになり、できるだけ自分はほかの人と同じように目立たないようにしておく、ほかの人から非難されないように黙っている、こういう風にエネルギーが変化してきました。本来は誰か一人が困っているときにはいつの間にか皆で助け合い、補っていく、こういう力が日本の原動力だったのです。

このエネルギーはいずれはまた日本に復活する可能性があるでしょう。そのためには排除するとか、劣っている者を無視するというエネルギーをそれぞれが本当に心から手放していく必要があります。皆で弱い者をいじめてしまう。これは長年の歴史において造られたものでした。それによって自分が優位に立ち、自分が正しいものであり、自分の好ましくないことをごまかしてしまう。誰か一人を悪者にして自分を正しいものに位置付けてしまう。こういうやり方がいつの間にかそれぞれの生き方の中に造られてしまったのです。

したがってその弱い者になるべくならないために、皆と同じ言動をとり、皆に合わせて行動する。日本人の生き方がそうなってしまいました。今、あらためて日本人が自分を表現し、自分で喜びを見い出すという生き方に変わろうとする。この皆で助け合うとか、皆で力を合わせるというエネルギーとどのようにうまく組み合わせていくか。

一人ひとりが自分で喜びを見い出し、表現し、しかもうまくできない人には手助けしてあげる。これが暗黙のうちに身に着くようになってくると、日本人は素晴らしいエネルギーを発揮していくでしょう。せめて一人ひとりが今、自分のできる範囲内で意識を変え、行動に移していっていただきたいと思います。


D自分のできるところから実行していくように

さて今日は少し内容が変わってしまいましたが、あらためていくつか、追加の情報をしたいと思います。先ほどの話の中にもいくつかありましたが、日本という国がこれからどのような役割を演じていくか。日本という国がこの世界においてとても大切な鍵を持っております。しかしその真の役割はまだ完全に日本人の手に渡されたわけではなく、これからの日本人の活動によって変わってきます。

日本人が本来の役割に目覚めることなく、ただ責任をあまり感ぜず、ほかの人の顔色をうかがって可もなく不可もない生活を続けようとするのであれば、その鍵は渡されない可能性もあります。どの民族にも役割があり、世界に貢献できる素晴らしいものを持っております。でも日本人がその鍵を手にすることなく、そのまま過ごしてしまうと、この地球はかなり難しい状況になってしまいます。

だからといって日本が何か素晴らしい国とか、役割とかいうわけではなく、日本という国に約束された本来の役割そのものが今、やってきている。単にそれだけのことです。でも日本人として生まれるときには、それをある程度、理解した上で生まれてきております。これから日本人がどのように発展し、目覚め、行動に移し、そして世界に貢献していくか。だんだん真価を問われる時期に入っていきます。

今の時点において、皆さん方が真剣に取り組み、若い世代の者に影響を与えていくのであれば、それなりに効果は出てくるでしょう。自分のできる範囲内で自分を表現し、さらにほかの国々の人々にも正しく表現していく。それを本当に実行に移していただきたいと思います。


E理性を働かせて行動すること

私たちは今、いろんな思いを持って聞いておりました。これからの日本という国が新しいエネルギーに少しずつ変化し、今までの束縛から少しずつ解放されていくでしょう。その時に理性をもって自分を正しく行動させていくことができるかどうか。日本人の場合は制限を外すと、途端におかしくなってしまう傾向があります。どんどん際限なく、ルールを無視してしまう。やるところまでやってしまう。そんなところがあり、理性を働かせて、常識の範囲内で収めるということがとても難しい民族となっております。

制限を外したからといって一気に、とことんまで進んでしまうのではなく、理性を働かせ、必要な範囲内、その範囲内で自分を自由に表現していく。自分を最大限に表現していく。そういうやり方を身に着けていってください。私たちは今日はここまでにします。ありがとうございました。



(c)1997 CentralSun
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