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1997/1/16■木曜瞑想会

相手を認めるという人間関係を確立するように


質問
−クァンイン、マリア、ルークのエネルギーの色を確認したい
−エネルギーの方向と渦巻きの方向の関係について
−(瞑想で宇宙にある「無の領域」に行ったことに関し)無のエネルギーはどう使うのですか

@他人をコントロールしようとするエネルギーを抑えるように

こんにちは。まず、簡単な質問の方から先にお答えをしていきましょう。エネルギーの色ですが、口で言うよりも、実際に体験をしていただきましょう。クァンインをまず先に流しますので、自分でその色を感じてみてください。


私がクァンインと呼ばれているエネルギーです。Iさんとはいつもお会いしていますので、あえて色で呼ばなくても、思考で思うだけですぐに現れることができます。私は必ずしも特定の色で出ることはないかもしれません。あなたのヒーリングのときに良く使うエネルギーと今現れてきているエネルギーで、少しの違いがあるかもしれません。今は私の中の5番目の波動というところで現れてきています。しかし、いつもあなたのところに現れるときはもう少し緑っぽいエネルギーをまとって出てくることがあります。自分の感じた思いで識別をしておいてください。少し、色が確認できましたか。

それでは次のマリアの方に移ってみます。


私のエネルギーを強く流しますので、よく感じてみてください。白いイメージは、元々多くの人が私のことをそう思っているために、それで出ています。そのように造られた概念が私たちを形作っています。でも、本当は私の波動は別の波動です。あなたなら分かるかもしれませんので、本来の私の波動のところを、今、流してみましょう。

これがマリアの本来の波動のところです。

私たちは必ずしも特定の姿で動き続けることはなく、その時々の状況で常に変わって出てきます。ただ、皆さん方に会うときはそれぞれが分かりやすいように、ある一つの概念に合わせて出てきております。でも、一番よいのは、固定的に考えないで、常に柔軟に受け取っていただけるのを望んでおります。マリアだけでも、いろんな現れ方をすることがあります。これからいろいろ遊んでみてください。


私はルーク。一般には私は白が多いと思われます。でも、ヒーリングをかなり主体にして行なうときはやはり薄い緑のような感じで受け取られるでしょう。私自身は特定の波動で活動はしておりませんが、皆さん方の前に現れるときは白が多いと思われます。


さて、私の方から質問の続きを答えさせていただきます。エネルギーを入れたり出したりする場合、思考でエネルギーを操作しますが、確かにビジュアルに渦巻きをイメージすると入りやすくなります。一般には、人間の方には時計周りだと向こうに進み、反時計周りだと向こうからやってくる、という人が多いように思えます。でも、実際には人間の条件づけにより、いろいろと変わってきます。もし、自分で分からないときには一般に言われている方に合わせるのが良いかもしれません。

ただ、それを限定してしまうと、必ずしも適当でないことがあります。したがって、必ずしも渦の方向で合わせるのではなく、思考でエネルギーを送ったり、引っ張ったりできるように練習をしておく方が良いでしょう。

エネルギーというのは非常に繊細でもあり、ホンのチョットした不安や疑問でも、まったくおかしくなったり、動かなくなったりすることがあります。ですから、不安や疑問を持ちながら、いろいろ操作してもまったく意味はなく、確実に自分で信じられるという方法で行なえるのをやってみてください。どのような方法であっても、確信に満ち、堂々と行なえば、それは強いエネルギーとなって流れていきます。

いくら、一般的な方法でも、不安や疑問を抱きながら行なった場合には、かなり乱れたエネルギーが流れていきます。ですから、まず信念を持って行なうということを覚えておいてください。

相手をヒーリングするときには、まず相手のオーラをなるべく綺麗に浄化し、自分自身のオーラも綺麗にしておく。こういったことにも少し意識をもっていってください。そして相手がエネルギーを受け取りやすい状況に設定をする。不満や疑問、そういったエネルギーを一切発することがないように、楽に満足していられる姿勢を保っておくようにする。相手が疑問を抱いたり、不愉快なエネルギーを出していると、そのエネルギーが自分にやってくることがあります。したがって自分はそういったエネルギーを受け取らないという信念をつくっておくことが必要です。

自分自身がしっかりとした条件づけを行ない、相手もクリアになって純粋にエネルギーが流れていくように、その筋道を正しく設定する。これが大切です。普通の人は、ただエネルギーを入れる、入れない、ということにだけ意識を向け、流れの通路そのものには無頓着になっている人がいます。しかし、通路を綺麗にし、周りのエネルギーの状況も綺麗にしておく。こういうことがとても大切です。そういうところに気を配って、エネルギーを流したりするのをやってみてください。

先ほど、宇宙に飛び出し、この宇宙外の根本の領域で無と繋がってきました。この無は始まりにして終わりである領域であり、すべての始まりでもあり、また最後の姿でもあります。その無で宇宙が創られ、そしてまた元に戻ります。無はあらゆる宇宙を創り出すことができる根本になっております。そしてこの無はすべての神の根本にある一番初めの意識、真実の意識が創り出した領域です。

この無はこれだけで完成された状況になっております。しかし、これを使いこなせるものはそれほど多くはいません。少なくとも、神と呼ばれている存在の中でも極めて一部の存在しか自由に使えるようにはなっておりません。大いなる、大いなる秘密がこの無の中に隠されております。ただ、これを直接、使うというのは普通はあり得ないことです。

この無から宇宙を創り出し、経験をさせ、そして自分のものとしてまた元に戻っていく。無のエネルギーをどのようにして使っていくか。これはあなた自身が創造主となって宇宙を創り出すときにいろいろと秘密が明かされていくでしょう。自分の宇宙を創っているという意識を強く認識し、常にそういう思いを持っていると、この無の必要性がだんだん分かってきます。自分が創造主であるという意識をなるべく常に持っているようにしておいてください。そうすれば無が次第にあなたに近づいていきます。


それでは少し、お話をして終わりにいたします。先ほどの皆さん方のお話の中で、人々といろんな一体感や分かち合う気持ちを感じたいというのがありました。人間がほかの人間と分かち合う。これはとても素晴らしいことです。にもかかわらず、中々うまくできません。どうしても自分と他人という分類をしてしまい、他人に適切なエネルギーを流すことが困難になっております。自分が生きるのが精一杯であり、ほかの人に目を向けることができなくなっております。

でも、自分一人でいろいろやってみても、喜びは出てきません。ほかの人と一緒に何かをする。こちらの方がはるかに満足感が得られます。これを常に維持しておくためには、自分自身が常にほかの人に意識を向け、同じ仲間であるという思いを強く持ち続けることが必要となります。でも、普通はそれが困難であり、自分一人だけ、自分だけ、そういうところに変わってしまいます。

いかにして、自分と他人が常に存在し、お互いに必要なのか、それをどう理解していくか。人間は自分一人で行動するという意識を強く持っております。ほかの人と何かをするということに不満や恐れ、心配などが現れてきます。中々、喜びが見い出せない。何故喜びが見い出せないか。自分の思う通りにいかないことが多いから。お互いに自分を主張し合い、ぶつかってしまう。だからうまくいかない。

したがって基本は自分の思う通りにいかせようとか、相手を自分の言う通りにさせよう、という気持ちがある限りはお互いに常にぶつかり合い、楽しいエネルギーが流れることはなくなってしまいます。したがって他人と楽しく分かち合うためには、まず他人を言い聞かせようとか、言いくるめよう、押し付けようとする波動は一切出さないようにする必要があります。

自分自身のいろんな考え方、相手もいろんな考え方があります。自分の考えを押し付けても相手にはうまく合わないことがたくさんあります。自分は自分だけのやり方を理解し、相手には相手のやり方があるということを認めてあげる。まずはこれが出発点となります。自分と違うやり方を相手が取ったとしても、そのままそれを認め、その中から面白さを感じてみる。自分は自分で楽しく、満足する選択を行なう。

一見、何でもないようですが、このように相手を認めるということ。これがなかなかできず、自分の考えを押し通そうとしたり、押し付けようとしていろんな混乱が起こってきております。ですから、いろんな人間と分かち合うためには、まずは素直に相手の行動や選択を認めてあげる。自分は必要以上のことは行なわない。これをまず身に付けるようにしていただきたいと思います。

今の人間はお互いにコントロールし合っております。そしてお互いで悲劇を造り出しております。これからはそういう関係は造らず、単純にお互いに同じ立場で会話する。そういうやり方を身に付けていってくださるのを望んでおります。今のいろんな話の中でも、それぞれ考え方が違っていたり、違う雰囲気や思いが出ることがあります。でも、あくまでも、自分は自分の考え、ほかの人はほかの人のやり方。常にそれを認めてあげるというのを練習しておいてください。そして自分と違うやり方を相手が行なったとしても、それをそのまま認めてあげる。

そうすると、自分と相手が違うやり方をしても、相手はそれなりに自分のやり方で満足を感じる。こちらはこちらで自分のやり方で満足を感じる。お互いにそれでうまくいくことが分かってきます。皆、自分に正直になり、素直に表現して良いということが分かってきます。そうすると、それまでいろんなことを考えたり、他人の目を気にしていたのが何も意味のないことが分かり、単純に好きなことをどんどんやっていく。そして満足していく。お互いにこれをやっていくと、お互いに満足が広がっていきます。

自分がイキイキとし、相手もイキイキとしてきます。自分なりでいろいろと工夫をして、伸び伸びと自由に生けるやり方を身に付けてみてください。思ったほどよりは本当に楽であり、自分が素直に表現できるのに驚いてくるようになってきます。これからもそういう感じで、自分を愛し相手も愛する。それを実践してみてください。


私たちからはここまでにしますが、もし何か質問があれば、お受けします。

−主人の肩が凝っているのですが。

まず、いろんなことを説明する必要があります。単純に肩が凝るとか、痛いといっても、原因としてはいろんなことが重なっております。まず、痛いとか肩が張るとかいう以前に、肩という場所、あるいは背中、その場所自身に意味があります。肩、本当に上の方の肩という場合と、背中に近いところの肩ではまた意味が違いますが、本当に上の方の肩の場合、いろんな重荷を背負っている証となります。

自分が上に成長していくのを拒んでいる重さです。光に近づき、神に近づいていくのを、何故かそこにオモシを付けている。どういうオモシであろうか。もし右の肩にオモシのような働きがあると感じた場合、自分が積極的に神に向かって進んでいくというエネルギーをわざわざ阻害している原因があるということ。神に近づくのを自分で拒否している、押さえ付けている。神を認めていない。まだ私は神に会える器ではない。私はそういう立派な人じゃない。まだ資格がない。用意ができていない。こういった思いで、普通は神に向かっての成長を、プレッシャーとしてのエネルギーとして造っていきます。

もし、左の肩に何かを感じる場合、調和や人々の関係において、プレッシャーをそこに造り出しています。常にバランスをとり、全体をなごやかにし、うまく取りまとめようとする気持ちにプレッシャーがかかり、面倒臭いからとかやらなくても良いという感じでごまかしてしまい、自分を何もしない方向へと正当化させようとしております。自分自身が何かをするのをそこで止めております。

もし背中に近いところの場所で凝ったり、痛みがある場合、これも左と右で意味が違い、もし右の背中に近い肩の方が凝ったりする場合、人からのいろんな評価をいつも気にして、自分がそれに固まってしまい、自由に動けなくなっているという証があります。世間体とか周りの評価を気にしすぎる場合、一般に、右の背中のところが張ってきます。

左の背中より上のところ、これは自分がこうなりたい、というあこがれのようなもの、願望、こういったエネルギーが自分自身を制限してしまい、まだまだ自分がそうなっていないとか、自分がまだそれを手にしていない。まだこれが不足している、早くこれを手に入れなくては。そういう思いが制限となって、自分の背中のところをの行動を規制するエネルギーが固まってしまいます。

痛みとか、その症状にもかなり意味があります。単純に凝っていて、少しほぐせば治る場合。一時的にそういうエネルギーが造られて、自分でまだそれが修復可能であるということ。かなり根が深くなっている場合には、そういう思いによる制限がかなり以前から造られ、体に染み込んでしまっているということ。自分自身の症状と照らし合わせて考えてみると、少しずつ分かってくるのではないでしょうか。自分のケースが少し想像できますか。

−背中の真ん中の場合は。

真ん中というのは常にバランスをとる支点、中心のようなところです。右と左のバランス。ただ、あなたの場合は、バランスもそうですが、いろいろ悩んで考えてしまって、それで不調和のエネルギーを造り出すことがあります。自分自身でいろいろ否定をしたり、価値観を認めなかったりしている場合に、自分の根本を固めてしまうことになり、それが中心部に現れてくることがあります。自分自身がしっかりと自信を持ち、伸び伸びと行動している場合には、おそらくそこのところには炎症とか痛みはなくなってくるでしょう。もう少し、自分自身に楽に生きていけるように、そして楽しく生きていけるように言い聞かせると、柔らいでくるのではないでしょうか。

責任に対しても、あまり自分自身の所為にしすぎると、中心部の肩のところが痛むことになってきます。他人の所為にするとだんだん片方に痛みがきますが、自分の所為にすると真ん中の方が真ん中の方が凝ってくるようになってきます。自分の場合がどうだか、少し分かりますか。では自分でいろいろと癒してみてください。

ほかに質問はありますか。

−主人の肩のエネルギーの汚れを取る方法を教えてください。

一般にヒーリングという場合でも、いろんな種類があります。まず、どういう状況になっているかにより、エネルギーを使い分ける必要があります。例えば、仮に相手がエネルギー的に不調和があったという場合でも、自分で造り出したエネルギーとほかからやってきたというエネルギーとでは癒し方が違ってきます。自分で造り出したエネルギー、先ほどの肩のように自分で責任を感じすぎた場合とか、自分で悲観的になりすぎてエネルギーを固めてしまった場合と、ほかの人から伝わってきたエネルギーを背中に抱えている場合では、癒し方が全然変わってきます。

自分で造った場合には、まず自分である程度、それを理解することが必要となります。本人が理解していないときに、それを勝手に癒すということは許されておりません。まず、本人がどうして自分がそこに炎症を起こすようなエネルギーを造ったのか。それを理解させるようにしながらそこをほぐすように、何かヒーリングのエネルギーを流してもらうように頼んでもらう。相手の魂の許可が必要となります。

何か別のエネルギーがそこにしがみついたり、固まって付着した場合、これもある程度は宇宙の許可が必要ですが、自分自身はそこに愛を送って、もうそこにへばりつく必要はないですよという風にして、それを取り除いてあげることが必要となります。しかし、こういったことはかなり訓練された、いわゆるヒーラーという人々にだけ普通は許可されており、一般の人が無闇にやるのはかなり危険でしょう。

したがって自分のできる範囲内で相手を楽にさせるためには、まず相手の魂とコミュニケーションをとってみて、そこのところが癒されるようなエネルギーを私の体を使って流してあげてください、と頼みます。そしてエネルギーが流されている間に何が行なわれ、どういう状況でそこで病んでいたのかをなるべく知る努力をしておいてください。何もそこを感じようとせずに、ただ厭そうとすると、宇宙では認められない場合があります。あくまでも、原因を本人が理解しているかどうか、これが鍵を握っているからです。そういう観点で工夫をしてみてください。

ほかに質問はありますか。

−おなかが張ったりするのですが。

私たちの見たところによると、あなたの内臓のところが中々うまく機能していないところがあるようです。そこは消化器官のところですが、そこにくるまでの内臓にも、うまく機能していないところがあるように見えます。この原因としては、あなた自身がいろんなものを体内に取り入れ、それを正しく消化し、自分のものにしていくという働きに少し、疎かなところがあるように思えます。ほかの人がいろいろ自分に対して与えた情報や話、ものに対してあまり深く考えず、単に好き嫌いでそれを拒否したり受け取ったりする。そういう傾向はないでしょうか。

相手の言葉を十分に吟味し、自分の成長のために良いものはどんどん感謝を持って受け取り、自分で必要でないと思ったときにはもう感謝を持ってそのまま体から流していく。こういう訓練をしておくと、内臓の働きも良くなってきます。消化器官というのは、相手のアドバイスを的確に自分のものに、成長のために役立てていくという意味が入っております。それを自分なりに考えて、少し工夫をしてみたらどうでしょうか。

それではほかに何か、質問はありますか。

−私は瞑想中に首が右にそれてしまう傾向があるのですが。

人によって確かに首がどちらかに傾いていったり、前かがみになったり、手の組みが変わったり、いろんな人がおります。これはすべてその人にとって一番、エネルギー的に満足する方向へと体が自動的に反応していくものです。そして一般には肉体のエネルギーの流れに何らかの変化があり、それをうまく改善させようとして肉体が反応していきます。普通、どの人でも右と左でまったく対称ではなく、どちらかがエネルギーの流れに不十分であったり、あるいはまったく流れていなかったりする場合があります。

その時に瞑想すると、エネルギーの流れを正常な方向に持っていかせようとして特定の場所にだけ大量にエネルギーを流し、調整をとったりすることがあります。ですから、そういう風に、体が変化しているときにはエネルギーが正常になるように体が反応した結果であるというのを理解しておけば、そんなに大変なことではないということが分かるでしょう。

実際にはそういう曲がった状況でも何も問題はありませんが、もし自分で気になるのであれば、正常な方向に姿勢を向けた後、エネルギーだけは何か不調和なところを確実に治すという風に意識をし、全体的にエネルギーが正しく流れていくような思いを強く持ちながら姿勢を保つと、少しずつ改善されていくでしょう。

ほかに何かありますか。

それでは今日はここまでにしましょう。ありがとうございました。

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