2013年10月のレポートから
長年、スピリチュアルな勉強を続けている人ほど、落とし穴に陥っていることがあります。熱心に勉強をしている人は、現実の世界の意味やカミとの関係、精霊の存在などの知識が豊富になっており、「普通の人よりはよく知っている」という潜在的な自負を持っています。かなり前、ペルーを旅行していた時、教会に行く時間になったので、そこで教会のエネルギーを読んでいました。しだいに「神」に関して議論することになりました。「ここは貧しい国かもしれないが、現地の人々は神がどうであれ心から信奉している。先進国の人は知識を神としている」と指摘されました。神の名前を覚えたり、神の世界を勉強することは知識欲を満たすだけであり、神につながることにはなりません。本当の神を理解するためには何が必要なのか、真剣に理解する必要があるでしょう。
アセンションは進んでいる
アセンションがどんどん進行しているのを実感しています。個人セッションやワークショップなどで一人ひとりのエネルギーを見ていくと、エーテル体やチャクラの部分が少しずつ新しい身体に変化してきています。これまで教わってきたチャクラなどとは違う働きになってきて、新しい地球の波動に合うようになってきているのです。
現状ではかなり変化が始まっている人では20%ぐらいが新しいチャクラに変わったりしています。変化が始まっていない人もいますが、学びを進めている人は数%程度の変化は始まっています。かなりおもしろかったので、チャクラの部分にスポットを当て、どのチャクラがどのくらい新しいチャクラに変わっているかを特別ワークで調べることにしました。11月4日(月)に行ないます。
また脳の使い方にも各自の特徴が出ており、論理認識が弱い人や創造力が豊かな人など、脳を見て確認することができます。この脳の働きをエネルギー的に読んでチェックするのを11月3日の特別ワークで行ないます
江戸しぐさの真偽
すでにここでも何度か書いたことがありますが、江戸時代に普及していた江戸しぐさを復活させましょう、と提案しています。ところがネットでは、江戸しぐさは嘘だ、という書き込みが多いのには驚きました。
江戸しぐさは、時泥棒(断りなく相手を訪問し、または約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪わないこと)、喫煙しぐさ(非喫煙者が同席する場や、灰皿が無い所では喫煙をしない)、こぶし腰浮かせ(乗合船などで後から人が来たらこぶし一つ分、腰を浮かせて席を作ること)、陽に生きる(人生はプラス思考が大事)など、江戸時代に口伝で伝わっていたさまざまなマナーのことです。
ところがこれらは嘘、インチキだというサイトがあり、その根拠を調べると、例えば時泥棒では、当時は時計を持っている人はほとんどいないのに、時間を正確に守るというのはおかしい、という未熟な想像での言いがかりです。実際は江戸城に太鼓番がいて、卯の時(明の六つ)や酉の時(暮れ六つ)など、庶民はそれなりに時間と共に生活していました。確かに今のように1分、1秒を厳密に争うという意味ではありませんが、「時間を約束して守る」という認識自体が数百年前に一般化していたのは素晴らしいと思います。
富士山のふもとに頻繁に行きますが、よく温泉にも寄ってきます。ある時、温泉の洗い場で、洗い桶などを洗っていたら、隣にいる年配の人が話しかけてきて、「おたくは東京からきたんだね。洗い桶とかを綺麗にして片づけたりするのは江戸でしつけていた習慣だから、すぐにわかるよ。こっちの人はそういうことしないからね... 云々」と長々と話してきました。
江戸時代の銭湯はまさしく社交場で、皆で近所仲間のお話をしていました。おそらく銭湯のマナーだけではなく、さまざまな江戸しぐさも銭湯などで伝えられていたと思います。批判している人たちは「確かな文書がどこにもない」と述べていますが、庶民がいちいち文書に書き残すということはほとんどしなかったと思います。ましてやマナーは書くことに意味があるのではなく、実践することに意味があるので、口伝で教わり、それをまた他の人に伝えていく、ただそれだけだと思います。文書がないからウソだ、という論理はあまりにも今の考え方で判断しているものと思います。
江戸しぐさがどういう経路で今に伝わっているか、誰のものなのかということではなく、一つひとつのしぐさは忘れられた日本人の心を取り戻すのに大切なものといえます。どんどん西洋化しつつある現代日本において、思いやりやいたわりの心で接するマナーとしての江戸しぐさは広がってほしいです。