2013/12/28 光の第二儀式①
光を出すということ
このメッセージのいいねポイントは
①自分から光が出ているのを確認する
光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今日は皆さん方の光の第二儀式という機会に一緒になり、皆さん方が次のレベルへと進んでいかれるのを楽しみにしております。これまで皆さん方が学びを重ね、光を使いこなすトレーニングを続けてきました。
まだまだ自分は十分に光を使いこなせていないという実感がある人がいるでしょう。光を使いこなすという実感を得るのは難しいようで実は簡単なことでもあります。自分から光が出ているかどうかをどのようにして確認をしていくのか。自分から光が出ている時は周りの人が自分の光によって変化していくのが感じられていきます。
自分が光を出している時はその場にいても周りの人が明るくなってくる、元気になってくる、良い話題が多くなってくる、子供が集まってきたり、知らない人も集まってきたりしていろんな人が近寄ってくる、これが光を出している人の現れになります。
光を出していない時は逆に何か自分をもっと暗くさせる話題が集まってくる、自分が落ち込むようなことを他の人が言ってくる、力がなくなったり楽しくないことが多くなってくる、これは光を出していない証になっていきます。
毎日がつまらない、面白くない、これは光を出していない人の証であり、自分から光を出さない限り楽しくはなっていきません。自分から光を出していく、口ではそのように表現されますが、皆さん方から見た時はとても難しい行動となるでしょう。
他の人の心を軽やかに元気にさせる言葉を与えていく、場が明るくなったり楽しくなる話題をしていく、何か悩み事や苦しみを抱えている人がいたら相談に乗ってあげる、こういうことが光を出す行為になります。
光を出す時は自然に自分が何かを意識したり、特別なことをするという思いではなく、自然な行動で移していくこと、いかにもその人のために何かをしてあげているとか、分かりやすくその人に気づいてもらうとか、そういうことで相手のためにするのではなく、ただ何気ないような感じで自然に行なっていく、こういう行ないが相手の人の心を軽やかにし、おしつけや恩着せがましい行動で接するのではなく、相手が何も特別な思いを抱くことなしにただ明るくなっていく、こういうやり方が必要となるのです。
人によっては何もしてもらいたくはない、一人にしておいてもらいたい、余計なことはしてもらいたくない、こういう場合もあります。そういう思いはしっかりと感ずることができ、いかにもその人に何かを言ったとするとその人が機嫌を悪くしそう、その人は一人で考えていることが好きなみたい、そのような感覚になった時はその人をそのままにしておくことも必要かもしれません。
しかしいくらその人が一人で考えてもその人はまったく分かりそうもない、自分の考えの中にはまり込んでしまって自分では解決できそうもない、そう感じた時はその人に優しく別の話題を持っていきながら、その人が少しでも何か糸口を見出せたり、自分について客観的に見ることができるような感覚を身に付けさせるように工夫をしていきます。
第二儀式を受けると人間関係のいろんな問題が自分に寄せられるようになっていきます。相談をしてほしい、悩みを聞いてほしい、どうしたら良いか具体的なことを教えてほしい、このようにして相談を受けることが多くなっていきます。その時に自分がどのように接していくのか、その人の悩みを聞いてあげてその人を楽にしてあげたい、普通はそのように考えていきます。
しかしその悩みがいかにもその人の独善的な悩み、自分の欲望や願望に取り付かれ、それを満たそうとして相談をしてくる、このような悩みの場合はその悩みや相談そのものが本来の人間の心ではないこと、他をいたわり思いやりを持つ人間の心から離れていると、そういう悩みそのものが本来の光ではない状態になっていきます。
そういう人に対しては問題の解決法をただ導こうとするのではなく、なぜそういう問題を抱えるに至ったのか、なぜそういう苦しみを抱えてしまったのか、それを一つひとつ聞いていき解明していきながら、自分の欲望や願望で問題をつくり出したこと、自分本位な考えで問題をつくり出したこと、それが分かるように導いていきます。
皆さん方のところに集まってくるいろんな人々は皆さん方が何か光のためになる、何か参考になるという思いで近づいてきます。したがってただ悩みを解決したり、相談に乗るだけではなく、何らかの光の方向性、よりその人の心が軽やかになり人生を豊かに生きるための何らかの解決策を求めているのです。
悩み事はただのきっかけに過ぎず本質的には人生そのものをどのように生きていくのか、人生をどのようにとらえ、一つひとつの現実をどのように見ていくのか、それが一番大きなテーマになることが普通になります。したがって何か問題や悩みを抱えてやってきた時はその問題だけで終わらせるのではなく、その背後にあるその人の考え方や生き方、人生そのものにも目を向け、その人が本来の自分に目がいくように、自分自身に気がつくようにいろいろ導きを与えていってください。
②知識ではなく人生そのもので教えていく
皆さん方が成長を重ね次のステップに上がることを喜びとしております。光のハイアラーキーは今大幅なエネルギー的な変化に対応するために、人間についての導きや指導のあり方を少しずつ変えてきております。特に今新しい地球に向かう人間と、これまでの地球の流れを継続する人との間の調整を進めており、それによっていろんな変化が人間の世界に沸き起こってきます。
皆さん方は確実に光の道を進み、新たなる地球の世界をつくり上げるために協力する人々になるでしょう。これからの新しい地球をつくり上げていく、そのための活動をしてもらうことになります。自分自身の進化成長も大事ですが、皆さん方の周りにいる身近な人はもっと苦しみを抱え、悩みを抱えているのです。
そもそも光ということが分からず、人生の意味も分かっていません。物事の考え方そのものが願望や欲望を前提にした考え方であり、神に至る道とはかけ離れているのです。そういう人々と共に生きながら、そういう人々をうまく光の道へ神の道へと導いていく、そのためには普段自分がただ正しい行動をとること、正しい発言をすること、そういうことによって他の人が気づき、分かっていくのです。
あえていろいろ教えようとする必要はありませんが、聞かれた時はしっかりと真実を語ってください。その人が本当に望んでいること、人生とは何なのか、なぜ生きるのか、その本質に悩んでいる人がとても多いために、この人生の意味、生きる意味をしっかりと教えていただきたいのです。
皆さん方が真理を知り、人生についていろんな生き方を理解し、現実を楽しんで生きられるようになったのと同じように、他の人にも現実を楽しむことを教えていくのです。人間はとても弱い生命であり、知識だけをたくさん手に入れても生命力そのものがとても弱くなっております。
知識だけでは生きていくことができず、知識をたくさん手にしながら生命力を弱めている人がたくさんいるのです。生命力は知識ではありません。本当に生きようとする心、自分を大事にする心、他の人の命を大事にしようとする心、こういったものによって自分も生かされ生きていくのです。
知識で教えるのではなく、その人の本来の人生、人生そのものを見ていき、人生そのものがもっと良い人生になるように、もっと喜びに溢れた人生になるようにいろいろと導いていくのです。
これからの流れにおいて自分との戦いがさらに強くなっていくでしょう。これまでは自分の心の中の悪といったものにそれほど目を向けなくても自然と自分のことが分かり、自分の弱さに気づき、自分のネガティブなところを知ることができました。今の皆さん方のレベルでは大体自分の弱いところ、自分のエゴの部分を知識として理解してきています。
しかしこれからの自分との戦いはまだ自分では気づいていない自分の心であり、中には認めたくないもの、あるいは自分なりに良いと思っているもの、そういうところに潜んでいる魔の心が相手になります。常に自分を正当化させ、自分の悪を見せないようにさせているために、気づくことがとても難しいでしょう。
また気づいたとしても小さいころからの自分のくせや考えと思っているために、取り除くことがとても難しい戦いになります。この本来の自分との戦いを進めていき、本当に自分の弱さ、本当の自分の悪に気がつき、それに打ち克ったとき、皆さんに本来の光の道がはっきりと見えてきて、第二儀式にふさわしい生き方が完成されるでしょう。
ぜひ本来の第二儀式の生き方に向け、自分との戦い、自分の中の魔の心との戦いを進めていき、自分に打ち克つようにしていってください。今日はまだエネルギー的な準備をはじめた段階であり、今晩から明日にかけエネルギーを少しずつ調整しながら高めていく状態が続いていきます。
今晩決して油断することなく、常に自分の波動を高めるように意識していき、明日は最高レベルまで自分の波動を高められるように意識をもっていってください。それではここまでにいたします、ありがとうございました。
2013/12/29 光の第二儀式②
光に近づくほど闇の力が大きくなる
①自分というエゴをなくしていること
私たちは光の世界からお話をいたします。今日は第二儀式を受けられる皆さん方を前にして話ができることを光栄に思います。私は新しい地球をつくるために活動しているマスターの一人です。これまでの皆さん方の学びにおいても時々ここで話をさせていただきました。
私たちは通称光のマスターとか、光のハイアラーキーのメンバーとして紹介をさせていただいています。その方が皆さん方にはある意味では分かりやすく一番問題のない言い方となるからです。私には多くの人に知られている名前というものがあります。
しかし本来この名前というものはとても厄介であり、ほとんどの人が正しい認識で私のことをとらえているわけではなく、この日本やそれぞれの国の人々の歴史の中でとらえられている名前のイメージがあり、それがとても強いために私の本当の姿を見てもらうことが困難になります。
そのためにほとんどの存在たちはここでは名前を名乗らず、ただ光のマスター、ただハイアラーキーのメンバーとして紹介をしております。その方が私たちも皆さんに繋がりやすく、また毎回新鮮な感じで皆さん方に話をすることができ、とても良いエネルギーとして話をすることができます。
したがってこれからも私はただ光のマスターとして話しをしていきますが、皆さん方自身はあまり勘ぐったり、名前を知ろうとしたり、またいちいち詮索するような心は持たないように注意をしておいてください。このような話をしたのは皆さん方自身にも同じような状況がこれからやってくるからです。
皆さん方が何か他の人に良いことをした、何かある人を助けてあげたり、その人が幸せになるようなことをした、これまでの意識レベルでは私がしてあげた、誰々さんが何かをした、このように名前で特定される人物が何か良いことをした、良いことをしてあげたという意識をつくり上げていきます。
私があの人のためにしてあげた、誰かさんが誰かさんのために何かをしてあげた、こういう思いがある限り第二儀式は受けることができないのです。第二儀式はそういうエゴを完全に手放しており、すでに皆さん方が自分というものに執着せず、すべてが神に繋がっており、すべてが神の意志によって行なわれている、これを完全に心で理解している必要があるのです。
もし皆さん方の中にわずかでも私はイニシエーションを受けた、私が第二儀式まできた、こういう意識を持ったのであれば第二儀式は受けられなくなってしまいます。さきほどの説明にもあったように、イニシエーションは魂がイニシエーションを受けるのであり、皆さんの肉体人間が受けるのではありません。肉体人間を通して魂に刻印されていきます。
魂は肉体に感謝をするでしょう。しかしだからといって自分の肉体によって魂がイニシエーションを受けた、そこに意識を向けないようにしておいてください。肉体というものが仮の姿であり幻想であること、本当にそれを理解し、自分という意識が本来どこから来たのか、自分はここで何をするのか、イニシエーションを受けることにより自分はこれからどういう人生を歩んでいくのか、常にそこに意識を向けていただきたいのです。
今日第二儀式を受けることにより皆さん方の魂が変容していき、新たなる光の流れへと入っていきます。これまでは自分のエゴを手放すための流れに入っておりました。そのために他人とのかかわりにおいて常に自分のエゴを見せる他人が近づいてきました。自分と他人という意識で他人を分離すると自分自身が分離されていきます。
自分のエゴを見せている相手は自分そのものであること、自分として受け入れ自分を見つめ、自分自身の心を変えていくようにすることにより他人と自分との関係がよりいっそう深まり、そして新たなる生き方が心から分かるようになっていくのです。今回の第二儀式を受けることにより、この意識レベルがさらに高度なものへと要求されることになります。
他人という関係だけではなく、世の中すべての人、どの人であろうが、見知らぬ人であろうが、他の国の人であろうが、他の宗教の人であろうが、すべての人に目を向ける必要があります。そこにおいて好きな人や嫌いな人、好み、いろんな考えはすべて不要となり、それを超越する必要があるのです。
身近な人でいつも意地悪を言ってきた、いつも自分に対して失礼なことを言う、大喧嘩してから二度と会っていない、こういうような人にも皆さん方は心を見て、光を投げかけ、その人を救う役割が発生するのです。第二儀式といっても皆さん方がまったく新しい世界に入る入り口となり、そしてそこで目にするものはまさしくこれまで見たくなかったものを目の前に見せられていきます。
いかに自分が好き嫌いで人間を遠ざけていたか、自分の概念や思い込みで世界をつくり上げ、本当の世界を見ていなかったか、いろんな意味で真実の世界に入っていきます。自分自身が今までどのような生き方をしてきたのか、これからどういう世界に入っていくのか、それを目の当たりにすることになるでしょう。
まったく見知らぬ人であろうが、昔からの嫌な仲間であろうが、同じように接していき、また自分がしてあげた、私がやってあげたという意識を持つことなく、ただ神の意志を感じ光を流し、その人の命を救っていく、悩みがあり苦しみがあれば取り除いてあげる、そういう生き方が皆さん方の生きる道になるのです。
皆さん方の中にはまだ第二儀式というレベルに達していない人がいるかもしれません。それはそれで皆さん方自身はあまり気にする必要はありません。光の流れが変わり、自分なりにふさわしい現実がくるとその度に強くなり、また挑戦し、新たなる光に向かっていく、それを繰り返していくだけで自分の光が強くなり、意識レベルも上がっていき、いずれは第二儀式の人間としてふさわしい活動ができるようになっていくでしょう。
皆さん方はある意味では自分の世界で活動することに慣れていました。人によってはここで学んでいるということすらも内緒にして、ほとんど一人の世界の中で成長してきた人もいるでしょう。エゴをなくすという学びの中においては、それでも十分に生きて来れたかもしれません。
第二儀式を受けると少しずつ世の中や世界に目を向ける意識が必要となってきて、ある程度皆さん方で協力し合ったり、皆さん方自身でプランを立てたり行動することが必要になってきます。したがってこれまでと同じように自分は自分のペースで、自分は自分のやり方でやっていくという、このやり方が少しずつ通用しなくなってくるのです。
もし今までと同じように自分は自分のペースでというやり方で第二儀式の光を使おうとすると、自分が社会に押しつぶされるように感じたり、自分一人では手に負えずもう止めたくなったり、自分自身の光をもうシャットアウトするような意識をつくり上げたりしていきます。実際に第二儀式を受けた後、逆にもうこの世界から縁を切ってしまい、何もしないでただ好きなようにやるという人も相当数見られております。
こういう人々は自分一人で何とかやっていく、これまで一人でやっていたからこれからも自分のペースで自分の光で十分やっていくという考えの持ち主であり、まだまだ自分という意識を卒業していないのです。自分一人でやるという意識そのものが第一イニシエーションのレベルであり、そこをしっかりと終了していない、そのために第二儀式まできてもつぶされてしまうのです。
第二儀式以降うまくいくためには、自分という意識を完全に取り払うと同時に、私は私で一人でやる、私は私のペースでやる、私のやり方でやる、この考えそのものをまず完全に捨て去る必要があります。自分が体験するいろんな現実において時には、場合によっては嫌な人とチームを組んだり、時には仲良しと一緒にやってみたり、時には見知らぬ人と一緒にやったり、いろんなことが要求されてくるのです。
また自分の意識を向けるところも日本に限らず他の国々へと広がることもあるでしょう。仲間を集めて皆でどこかへ行ってみたり、あるいは集まって誘導瞑想しながら地球のために奉仕をしたりして、いろんなことが考えられてきます。そういう意味において第二儀式を受けるということは、これまで第一儀式のレベルで行なっていた行動パタンとはかなり異なってきて、自分の世界から大きく出て、日本や地球全体を見ながらいかに自分の光を多くの人々に届けることができるかどうか、単に心で思うだけではなく現実にそこに出かけていって触れてくる、現実にその場所で何かをしてくる、こういったことが要求されてくるのです。
もちろんそれらは仕事ではなく、場合によっては自分で出費したり、協力し合って活動することもあるでしょう。しかし皆さん方が本当に真剣に自分という意識を超越し神が行なっている、宇宙そのものが行なっているという意識を完全に身に付ける本来金銭的なものに苦労することはありません。
金銭的なことに苦労する人はほとんどが自分という意識を持っていて、自分が稼ぐ、自分が儲ける、自分が仕事をする、こういう時にエネルギーがうまく動かなくなり、どうしても金銭的な流れがストップしてしまうのです。自分は十分に光の仲間であり光の一員であり、神の意志をしっかりと感じて神がそこへ生かそうとしている、こういう思いを持っていればそれなりに最低限必要な金銭的なものは十分に回り動くことになります。
だからといってそれをあてにして無謀に計画をつくったり、必要以上の計画をつくるとそれは自分に災いとなって戻ってきます。本来必要なものだけが必要な時に流れてくる、この宇宙の仕組みをまず理解すること、これも第二儀式のレベルで学ぶテーマになります。
したがって第二儀式を受けた後、金銭的な流れが急に変わるという現実を体験する人もいるでしょう。第一儀式のレベルで自分という意識の中で金銭を学んでいる時と、第二儀式でしっかりと神からの光を感じ必要なところへ必要な時に行くという活動では金銭の流れがまったく異なってくるのです。
そういう意味において皆さん方の生活の仕方、活動の仕方にこれまでとはかなりの変化が感じられてくるのです。もし第二儀式を受けても何も変わらなかった、何一つ現実が変わらなかったという人がいれば、恐らく第一儀式と同じ生き方を続けようとして自分の中でどこかに抵抗していたり、あるいは自分自身がもう光とは繋がっていない状態で別の意識になってしまっている、そういうことが起これば第二儀式の光とは別の状態になるかもしれません。
今世の中の多くの人が実際には光がしっかり届かず苦しんでいます。自分たちがどういう生き方をしているのか、欲や概念、執着、そういったエネルギーの中で必死になって毎日を生きているのです。金銭、あるいは自分の生活基盤が成り立たず不安で不安でしょうがない、こういう人生を送っている人がたくさんいるのです。
不安を持つ限り現実は豊かにはなりません。自分自身の心が不安を生み出し、それによって現実が不安な現実をつくり出していくのです。心がすべてのはじまりであり、心をいかに軽やかに明るいものにつくり変えていくか、ぜひ皆さん方はそれを教えていってください。
まず自分の心をしっかりとコントロールし豊かで明るい心に常に維持しておく、どのような人がきても明るく元気に接し、皆さん方を見た時にその人を一人ひとりが明るく元気な体になっていく、それを皆さん方が現していくのです。
これからの流れにおいて、皆さん方に訪れる試練というものがいくつかやってきます。一つはこれまで述べていたように自分の世界をつくっていた概念、自分でつくり上げた魔のエネルギー、闇のエネルギー、こういったものとの戦いが訪れてきます。
これは自分自身との戦いであり自分がつくり上げたものなので自分で理解することができます。しかし一般には認めたくない、信じたくない、行動に移したくない、こういう思いによって戦おうとせず、取り除こうともせず、見て見ぬふりをしたり放置したり、あるいは人のせいにしてしまうことが普通になります。
こういう戦いが日夜皆さん方に訪れてくるでしょう。そしてもう一つの試練は皆さん方が本当に光と繋がり、光の道を進めば進むほどその光を皆さん方に入らせないようにする、光から離れさせるようにする、そういう働きが仕組まれているのです。
光に近づけば近づくほど光から遠ざけようとする仕組みがつくられている。それによって皆さん方は真実の光を見失ったり、光として行動することに抵抗を感じたり、疑問を持ったりついには光から離れたりすることになるのです。光に近づけば近づくほど自分の中の闇の部分が表に出てくるために、自分の中の闇の部分があたかも光を遠ざけているかのように、光から離れさせるかのように動いていき、それが現実に自分を光から遠ざけるように動いていくのです。
光から遠ざかるのは自分の中の闇の部分であり、もし皆さん方が闇に繋がっていなければ皆さん方が光に進むにつれ闇の部分は光から離れていくでしょう。しかし自分が闇の部分と繋がっていれば、自分に光に近づけば近づくほど光から離れていく闇があたかも自分であるかのように思ってしまい、自分自身が光から離れていくのです。
この仕組みによってせっかく光を見出し光の方向に進んでも、自分の中の闇を照らしだしてしまい、自分の中の闇が光から遠ざかると同時に自分も一緒に光から遠ざかっていき、結局は光から放れてしまう、こういうことが頻繁に起こっているのです。
したがって自分の中の闇をしっかりと見抜き負けないようにする、自分の中の闇を見つけたら自分と切り離し、自分自身は光に向かい、闇の部分は光から遠ざけていく、これを自分で行なうことが必要とされます。これは多くの人にとってはとても辛い体験となるでしょう。
自分のつくりあげた闇というものはある意味では自分が信じていたものであったり、自分がつくり上げた考えであったり、あるいは自分が引き込んできた闇であったりします。さまざまな闇の種類があるために一言では述べることができず、皆さん方自身が自分で見つけていく作業に入っていきます。
Aさんの場合、あなたの心の中にある闇の部分で、光が強くなればなるほど表に出てくる闇は、これまで自分はできるだけ良い人間で、良い姿で良い状態で皆の前に接していく、多くの人の前にも良い状態を見せていき、良い姿を続けていく、こういう心で生きてきました。しかしその自分なりに良さや良いところを見せようとすればするほど反対のエネルギーがつくられていき、良く見えなかったらどうしよう、変に思われたらどうしよう、もし間違っていたらどうしよう、本来の思いと違っていたらどうしよう、こういう思いが同時につくられていき、これらが集まって一つのエネルギーをつくり出しております。このエネルギーがだんだん強くなってくるといつどのような状況にいてもこれで良いのかどうか、間違っていないかどうか、場合によっては間違っているぞ、あなたは違うところにいる、このように語りかけるくらいに大きくなっていきます。これがあなたのつくり出した闇の部分であり、これは自分自身がつくり出した闇であるために、自分自身でこれらを取り除いていく必要があるのです。誰のせいでもなく自分がつくり出したということ、これが第二儀式の範囲内であなたが学ぶテーマになるでしょう。そしてこれを本当に卒業した時に次のレベルへと入ることになります。
Bさんのこれからやってくる自分の闇の試練は、あなたにとって大いなる命が動き出し、命そのものがあなたのテーマになっていくでしょう。自分自身の人生と同時にいろんな命を感じ、他の人々を見ても命を見て喜びを感じたり幸せを感ずることになるでしょう。この命の喜び、ここに意識を向け生きる素晴らしさをどんどん感じてくると逆に命の弱い人や弱っている人、病の人、苦しんでいる人に意識が向くことになります。なぜこの人は弱いのだろう、なぜ苦しんでいるのだろう、そこにも意識が向くようになり、あたかも自分が困っているかのように自分が悩んでいるかのように感じたりしていきます。他の人の苦しみや弱さをあたかも自分のように感じたりしていき、いずれはそれが辛くなってきて、場合によっては自分自身が突如として苦しくなったり悲しくなったり、自分自身でも分からなくもがいてしまう時があります。これはすべてあなたが生きる喜びを感ずると同時に、生きられない悲しみに繋がったエネルギーであり、生きられない悲しみがあなたにさまざまな救いの声を語りかけてくるのです。あなたはその声にだんだん通ずるようになり、悩まされるようにもなっていくでしょう。しかしこれも自分のつくり出した闇のエネルギーなのです。確かに命は素晴らしいですがそこだけを意識しておくと反対のものがどんどん強くなっていく、したがってはじめから素晴らしい命があれば終えようとする命もある、できるだけ偏らず全体を正しく見れるような心を養っていってください。
Cさん、あなたが第二儀式を受けた後、あなたの闇の部分によって経験していく試練は、あなたの心の中に正しさをしっかりと実践し、正しいことを広げていく、自分自身の正しい心で世の中にも正しさを広げていく、こういう思いがあります。そのために常に何が正しいのか、こういう時はどうするのか、あの時は正しかったかどうか、いろんなことを常に考えていきます。これによって正しさをしっかりと認識し、何が正しいのか、こういう時はどうするのか、こういう意識ができ上がることはとても良いのですが、やはり正しくない時、間違った時、うまくいかなかった時にいろんな思いをつくり上げていきます。それによってあなたの正しさを追求する時に同時に間違ってしまう、正しくできなかった、あるいはうまくいかなかった場合どうしよう、こういうエネルギーが同時につくられていき、これらがあなたに常に働きかけるようになっていきます。何が正しいかを考えている時に常に間違ったらどうなってしまう、うまくいかなかったらどうなってしまう、こういう意識が働きかけ自分にとって行動する時に躊躇したり、迷ってしまったりする現実が訪れてきます。こういう試練を乗り切るためには正しさを考える時にそもそも自分から見た正しさなのか、それとも神から見た正しさなのか、神から見た正しさしはと何なのか、この観点から常に考えてみてください。自分から見た正しさの場合は常に闇をつくり出しますが、神から見た正しさの場合は闇をつくり出さないのです。神から見た正しさを常に見つけていき、それを実践していけば本来闇のエネルギーに惑わされることがなくなっていきます。正しさ、それを考える時に自分が考えている正しさなのか、神が見た時どうなのか、常にその観点で考えるようにしてみてください。
Dさんが第二儀式の後試練としてやってくる闇のエネルギーは、あなたの日常の行動の中に周りからどう思われ、人々がどう感じているのか、自分はそれにどう答えていき、どこまでうまくできているか、このように周りとの反応で自分をつくっている部分があります。周りからどう思われるか、これによって行動の一つひとつが常に周りを認識しながら周りの人にうまくいくように接していく、周りの人に合うように接していく、このような行動が進んでいきます。こういう行動の仕方によって心の中に周りから変に思われていないかどうか、おかしく思われていないかどうか、今のは良かったかどうか、このような思いが裏でつくられていき、これらが集まってきて常に自分はうまくできていないかもしれない、間違っているかもしれない、違うかもしれない、こういうエネルギーが育っていき、これが常にあなたにこれはだめだ、そんなことをしては恥をかく、こんなことをしていてはいけない、これは違うやり方だ、このように働きかけてくるのです。これがあなたの闇の部分となって現実化していき、自分が何かをしようとすると常にこれが正しいのか、これで良いのか、どう思われるのか、このような心を生み出していくのです。こういう心に負けないようにするために、まず自分は周りの人の波動を気にしないようにするために、十分に自分は多くの人から満たされ、許され、愛され、自分は他の人から認められている、これをしっかりと意識する必要があります。必要以上に自分を低く見るのではなく、周りの人は皆自分のことをしっかりと認めている、少なくとも神はあなたを認めています。マスターもあなたのことをしっかりと認めているのです。神や光がしっかりと自分のことを認めている、誰も自分のことを責めてもいないし非難もしていない、この心をしっかりとつくり上げ、いつどのような状況にあっても自分の心は軽やかに、心は元気にしておく、そうすることによって闇のエネルギーに打ち克つことができるでしょう。
Eさんの第二儀式以降の試練の闇のエネルギーは、あなたの日常の言動の中に言葉使いについていろんなエネルギーが動いております。自分が何か言葉を発する時にその言葉に入るエネルギー、このエネルギーがいろいろと動き出し、場合によっては自分の本位とは違うエネルギーが動き出したり、自分の思っていることとは違う思いで相手が受けとったりする状況が行なわれております。これは自分が意識していても意識していなくても動き出すものであり、普通に何気なく言っていても相手はきつく感じてしまったり、相手はそう受けとらなかったりしてしまうのです。自分はそれをあまり意識しないで普通に話していくと相手が感じた何らかの不快感や勘違い、正しく認識しなかったエネルギー、それらがすべて自分のところへと跳ね返ってきて自分の見知らぬところでこれらのエネルギーが集まり、あなたにそういう思いをさせるように現実がつくられていきます。そのために自分はなんだか分からないところで突然嫌なことを言われたり、嫌な感覚になったり、嫌な感情を感じたりする状況が訪れてくるのです。これらはすべて自分が何気なく発した言葉のエネルギーから戻されたものであり、これがあなたにとって闇のエネルギーのように動き出し、第二儀式以降かなり強くあなたに戻されることになります。そこをうまく乗り切るためには、言葉を発する時本当に優しく相手にことを思い、相手が少しでも喜びを得るように、相手が光を見出せるような感じで優しく愛のこもった語り方を練習していくと、少しずつ自分の本位が相手に伝わるようになり、相手の不快感が戻ってくることもなくなるでしょう。そうすることにより自分の闇の部分のエネルギーが抑えられていき、本来の第二儀式の光を使いこなせるようになっていきます。
Fさんの第二儀式以降に訪れる闇の試練というのは、あなたはもうすでに第二儀式にふさわしいエネルギー的な使い方を行なっており、多くの人に同じように接するという心が身に付いております。見かけや外見で比較したり判断することもなく、常に自分の中心の心で奉仕する人々を見ていき、光をそのまま流していきます。それでもあなたには同じようにやはり闇の試練が訪れてくるでしょう。あなたに訪れる闇の試練は自分自身がしっかりと正しい心で光の心で接している限り、自分はしっかりと光に守られすべてがうまくいく、本来正しくちゃんとやっていれば何も苦労することなくしっかりと生きていくことができる、こういう思いで日常を過ごしております。この思いは確かに尊い思いですが、これが同時に別のエネルギーをつくり出していきます。正しくやっていない人はうまくいかない、光に繋がっていない人は少し苦しんでいく、正しい心を持っていないと災いを招いてしまう、こういう思いが同時につくられていき、自分は正しく光の道を進めば進むほどそうでないエネルギーがつくられていき、それを他者で見出してしまうのです。今は自分は正しく本来あるべき生き方をしている、そういう思いで構いませんが、いずれそういう思いもだんだん弱くしていき、何も考えなくても本来神が望んでいる光の道を進み、光の意識になっていく、いちいち光の道に合っているかどうか、神の道に合っているかどうかを考えることもなくただ光の道を歩んでいく、このような意識になれば光を踏み外した人を同じように接することができるようになっていきます。自分自身の今後のトレーニングとして意識を持っておいてください。
Gさんの第二儀式以降の試練の闇というのは、あなたの心の中にどこまで人間を信じ、どこまで人間を信じない方が良いのか、人間の心についてどこまで信用できるのか、こういうところで迷っているところがあります。信用できる人でもすべてを信用して良いのかどうか、信用できない人はすべてが信用できないのか、人間を信用するというレベルにおいて迷い、悩んでいるところがあり、表向きは良い人間として付き合っていく、表向きは良い人間として接していく、そう思っていながらもなぜか心の奥底ではどこかで信用できない、これで良いのかどうか、常に迷ってしまうのです。こういう心を持って第二儀式以降進めていくと、人間それぞれの心に常に不安や恐れをつくり出していき、自分がつくり出した恐れや不安がそのまま自分の闇の部分に姿をつくり上げていきます。そのうちに人を信用するな、信用してはいけない、人間は信用できない、誰もかれも信用できない、そのように思わせるような現実がつくられていき、自分で苦しみをつくり出していくのです。信用できないような人間関係があった場合でも、自分の中に信用できないというエネルギーがあるためにそういう現実がつくられること、自分自身がそういうエネルギーを持っていなければ信用できないという現実がなくなっていくのです。まず信用するかどうか、信用できないかどうかに意識を向けず、ただ必要な関係が行なわれていること、自分自身にとってそもそも人間を信用するというのはどういう価値があるのか、それを調べていきながら本来人間関係は必要な時に必要な人間関係が行なわれていく、それを理解できるようになっていくと信頼するというエネルギーの闇のエネルギーから解放されるようになるでしょう。
Hさんはすでに第二儀式の流れを歩いており、闇のエネルギーの中で活動をしております。自分自身の闇と向き合い、自分自身がこれからの流れにおいて必要なことを目の当たりにしているのです。この自分の闇の試練の中であなた自身がしっかりと理解すべきことは、自分自身のつくり出した闇と周りの人間、土地のエネルギー、日本のエネルギー、さまざまなものがあなたの闇の部分と重なって現実化され、自分だけのエネルギーなのか、周りの人のエネルギーなのかが分からなくなってきているところです。したがってこれを乗り越えるためには自分一人だけのエネルギーという思いではなく、友人や仲間たち、土地やいろんなものを含めたエネルギーで自分が生きており、その中から自分にとって必要なエネルギー、自分にとっては必要ではないエネルギー、それらを見つけ出していくこと、そして自分一人ではなく多くの人のエネルギーが関与していると感じられているものに関しては、多くの人に対して光を流したり、多くの人に対して奉仕をする、多くの人の悩みを解決してあげたり、土地そのものを光に変えたりすることにより自分自身の闇のエネルギーが浄化され、光へと変わっていくのです。これからの流れの中で自分自身のエネルギーとそれに繋がるさまざまなエネルギー、それらを自分なりに見つけていき、光を広げていくように意識をもっていってください。
皆さん方が第二儀式以降どのような光のトレーニング、闇の試練がやってきて自分を成長させていくのか、光に近づけば近づくほど落とし穴や誘惑が大きくなっていき、自分自身が強くならなければ先に進めなくなっていく、そういうことを話していきました。
だからといって恐れたり不安になる必要はありません。これは必ず通る道であり、皆さん方はこれを先に経験することによって後から続くものへと教えていき、後から続くものがうまく進めるように自分なりの生き方をつくり上げるようにしていってください。それではここまでにいたします、ありがとうございました。