アマテラスという言葉は最近になって日本の人々が主に使っている言葉であり、皆さん方の言う太古の昔、古代の人々は本当に理解しているものたちが天照皇大神、あるいは天照大神、そのような具体的な名前として使っておりました。
皆さん方の頭で言う太古の時代、古代の日本という時代と今の皆さん方の時代では、考え方や概念、生活の基準がまったく異なっているために、同じ言葉で表現することがとても難しくなっています。アマテラスという言葉はあまねく照らすという言葉と天津神々が照らす、天の世を照らす、様々な意味を込めてアマテラスと使っておりました。
ただその頃の時代は言葉が重要〜〜
(途中、録音失敗)
その神々たちの名前を使うことにより神々のパワーを使うことができる、そういうやり方において目に見える自然界と目に見えない世界の両方のパワーを言霊を使って使えるように仕組まれておりました。したがって、日本の場合、神の名前として非常にたくさんの神の名前があり、また必ずしも自然や現象界とは関連を持っていない神々がたくさんあります。
ところがそれでもその神々たちは目に見えない世界のパワーを持っており、人間がその名前を使うことによりそのパワーを使うことができたのです。古代の日本の人々はそれを理解している一部のものたちはいろんな神々の名前を使いこなし、目に見える現象界を変える時には自然界の言霊を使い、見えない世界に繋がる時は神々の名前を使うことにより、それぞれの思いを達なするように神々のパワーを使っておりました。
今日本の多くの人々は神の名前といっても、何かとても格式の極めて高い特別な神だけを奉ろうとし、他の普通の神々たちはそれこそどうでも良いかのような感覚を身に付けています。確かにすべてを治めている神は、すべてをうまく支配し、すべての流れを管理しすべてが一となって働くようにしているでしょう。
しかしそれだけでは人間との繋がりがうまくいかず、人間との繋がりをうまく生かせるように多くの神々たちが実際に活動しているのです。この多くの神々たちは、今は人間との繋がりがほとんどなくなり、それぞれの神々がただ自分の思いで個別に活動している状態になっています。
この神々たちは人間と協力し合ってこれからの新たなる世界に向け、神の意思をうまく人間が現実化するような流れでこの世界を素晴らしいものにしたいと考えています。しかし今のところ人間そのものは、言霊のパワーをほとんど理解せず、名前をただの名前に落とし入れ、パワーを使えないようにしてしまい、また最高の神だけを拝むことにし、普通の神々はほとんど無視するという意識になっております。
これでは新しい世界をつくろうとしても新しい世界がまったく動かない状態になります。新しい世界で素晴らしい活動を行なうためには、多くの神々たちが人間と一緒になって活動していく、自然界そのものが人間と調和して成長していく、こういったことが必要になります。そしていずれにしても言霊のパワーが重要であり、自然界における言霊、見えない世界における神の名前、これらをいかにうまく使いこなして人間の世界を素晴らしいものに変えていくか、こういったことがとても重要な局面になっております。
多くの人が古代の日本を勉強し、歴史や神々のいろんな知識を得てきたでしょう。しかし多くの人々が学びのための学びになってしまい、せっかく学んでもそのパワーをどう使うかが分からない状態になっています。パワーを使わない限りいくら学びを進めても皆さんの現実は一切変わることはありません。
自分が何をして良いのか分からない、何をやってもうまくいかない、自分の進むべき方向性が見つからない、こう言っている人がたくさんおります。多くの人は真面目に勉強し、瞑想したり、リチュアルをしたりして少しでも自分の内なる神に近づき、内なる神に近づいて自分の本来の流れを歩いていこうと、そう考えております。
瞑想をとてもうまくできるようになり、リチュアルを毎日数時間も行なって自分の内なる神にどんどん近づいていったとしても、それによって現実が急速に変わるとか、良い現実になる、自分のやりたいことがはっきり分かった、ということが起こるとはまったく言えません。
自分のスピリチュアリティが高くなっていくことと、現実が良くなるということは何の関係もありません。スピリチュアリティがいくら高くなったとしても現実面で何も変化が起こらず、一生懸命勉強した代償がこんなものかと怒りに震える人もいるでしょう。
反対に一切スピリチュアルな勉強を行なわず、人間世界の中でどっぷりつかっている人が次々とビジネスを成功させ、大金持ちになる場合もあるでしょう。スピリチュアリティ高め、神やハイヤーセルフに繋がったとしてもそれが自分の生活を豊かにしてくれるということとは何の関係もないのです。
しかし多くの人は神やハイヤーセルフに繋がるとうまくいく仕事を教えてくださいとか、家庭を裕福にしてください、家庭を円満にしてください、このように願いを求めてくるものがいます。神は皆さん方の心の言葉を受け取ります。私たちの家庭を豊かにしてください、人間がそう口に出した時、神に届く言霊は何でしょう。
家庭を豊かにしてくださいという言葉は、言霊のパワーが入っていないただの人間の言葉であり、神に聞こえてくる言霊は人間の豊かさに相分の光を与えよ、このような言霊として流れてきます。あるいは人間の富の器にふさわしき光あれ、このような言葉に変換されてきます。
人間が何らかの願いを込めたとしても人間の言葉がそのまま神の世界に届くわけではありません。言霊として神の世界に届くためには神の世界にあるルール、神の世界の言葉の使い方、神の文法、これらに従う必要があるのです。神の世界の言霊を使う時には、一般に自分のことについて人間がお願いをしたり、何かを求める時は一般に神の世界では己の器に応じたものが現象化されるように、あるいは己の持っている気質に応じて、御光が入るように、そのように変換されていきます。
しかしもし皆さん方が心から自分ではない他の人を指して、この人間に幸いを与えよ、あるいはこの人間に深き愛を与えよ、もしそのような言葉を出した時、この言葉は神の世界において他人に与えた分だけあなたに愛を与えよ、他人に与えた光をあなたに与えよ、このように変換されていきます。
人間の世界において自分に対して求めたものは自分のもてる器に応じてのみ法則に従って動かされていく、しかし他を輝かせる、他を豊かにする、他を幸せにするという言葉を出すと、神の法則に従い他に与えた幸せの分だけ自分に幸せが戻ってくる、このように現象化されていきます。
皆さん方が言葉を発する時、その言葉は人間同士の理解できる言葉であり、人間の世界で意味があり完結するでしょう。しかしその言葉を神の世界の文法に変換し神の世界のルールに合うように変換され、そしてその変換されたものが神に伝わっていきます。
皆さん方の日頃発している言葉すべてがそのように行なわれております。したがって、最終的に神が皆さん方から受け取っている言葉はすべて神の法則に合った内容で、神の世界のルールに従って言葉が伝わってきます。そしてその言葉は多くの人を幸せにする言葉に変換されており、多くの平和があるように変換されています。
もちろん実際の人間の世界においてまったくそういう言葉を口に出していない人、他人を豊かにする、他人を平和にする、他人を幸せにするという言葉をまったく出していなかった場合、神の耳には何一つ言葉は届いてきません。したがって、その人からはまったく神に言葉が届かないことになり、神はその人間が何をしているのかがまったく分からない状態になるのです。
皆さん方が口に出す言葉、これは本当に言霊であり、皆さん方の現実に影響を与えますが、見えない世界にいる神々は見えない世界のルールに従った言葉に変換され、そして皆さん方が使えるようになっていく、この言葉のパワーをよく理解して、少しでも自分が多くの人々の幸せに貢献できるように、少しでもこの世界が自然界と共存して素晴らしい世界になるように、ぜひ言霊のパワーをうまく使い皆さん方が素晴らしい言霊の使い手となって神々のパワーを使いこなせるようになっていってください。
皆さん方が言霊を使って神のパワーを使う、それを一つ確実にさせるために天照大御神の言霊を皆さんの意識と繋げていきます。私に続いて言霊を口に出していってもらいます。
あーまーてーらーすーおーおーみーかーみー
自分の体の細胞のすべてに天照の波動が入るまでこの言霊をしっかりと口に出していってください。
あーまーてーらーすーおーおーみーかーみー
言葉はとても大事であり、言葉を出したパワーと波動によって必ず何らかの現象に影響を与え、またそれに相当する神々のパワーが動き出していきます。神々のパワーを言霊で使うために神々世界の法則やルール、使い方を理解する必要があります。己の個人の欲に絡んだ言霊は一切神には届きません。他の幸せを願い、平和を願う言霊は神に届きます。しかし平和を願い、愛のある素晴らしい世界を口に出したとしても、それが自分の欲、目立つとか、自分が一番とか、自分が偉いとかいう意識を持って行なうと、その波動は一瞬にして汚れてしまい、闇の存在たちに繋がっていきます。
そしてその言霊は闇のものたちを動かし闇がそれぞれのところに近づいてきます。正しき言葉を発すれば神が動き出し、みだらな言葉を発せば闇が近づいてくる、言葉の一つひとつ神に届くか闇に届くか、言葉はとても大事であり、見えないものすべてに影響を与えていきます。皆さん方の口から出る言葉によりぜひ神々を奮い起こし眠っているパワーを目覚めさせ、自分の周りを愛と光に満たされたものへと変えていってください。
天照、あるいはアマテルという言葉と同時に国照という言葉もあります。国照の大神、国照の命、この国を照らす、人間の世界を照らす、自分の見える周りを照らす、それが国照神々たちの役割になります。国照の命はアマテルの神々たちと協力し合い、天と地が一つになって活動しておりました。
今この国照の働きが皆さん方一人ひとりに移されてきております。つまり人間一人ひとりが国照の命の役割を担い、天津神々の思いをしっかりと受け取って自らを照らし、自らが他の人々を照らす役割を与えられているのです。一人ひとりが国照の命、国照の神々として目覚め行動していく、そのためにも先ず自らを照らす、自らの心を自らの光で照らす、これが大事です。
常にどのような状況にあれ、自分を照らしていく、自分が神から与えられた素晴らしい役割を持つ人間であり、自らを照らすことができる、さらに他の人々を照らすことができる、悩みや苦しみ、悲しみが覆った時、どのようにして自分を明るく照らしていくか、人間の世界において辛いことは毎日のようにあるかもしれません。
それを神々が与えた試練とか、神々と共につくった試練と解釈している人もいるでしょう。確かに神々は人間に試練を与えています。しかしその試練は一人ひとりが神になるための試練であり、悲しみや苦しみを克服する試練とはまったく次元の異なる試練になります。悲しみや苦しみを克服するのはそれは人々一人ひとりの働きになります。
悲しみ、苦しみ、これは人間をお互いに過ごす時にお互いの感情でもたらされる仕組みであり、我が身を大事に思い、友を大事に思い、多くの人間たちを大事に思う心から起こされるものです。悲しみや苦しみ、心の痛みを感ずること自体は悪でも間違いでも失敗でもありません。それが人間を大きくしていき、そして辛い思いをしている人々に光を与える原動力になっていきます。自らの心の痛み、それがあるが故他の人の心の痛みが分かり、他の人に優しくしたい、助けてあげたいという気持ちが湧いてくるでしょう。
他の人を助けたり、他の人のためにしたとしても報われず非難されることもあるでしょう。皆さん方が熱く強い愛する気持ちを身に付けるためには、そういう波動もある程度必要なのです。他人のためにしたことがおせっかいであったり、一生懸命尽くしたことが無駄に終わったり、正直に行なったことが裏切られてしまう、こんなことは神は許さないと思うかもしれません。でもそれも神は許した現象なのです。
あくまでも許した現象であり神がわざわざそれを創ったわけではありません。辛さや悲しみ、痛みは人間がつくったものであり、神はその仕組みをつくっただけです。それにより他の人にどういう風に接していくか、いろんな人々がいる中で自分はその人にどう接していくか、それを考えることができるようになるでしょう。
辛い経験をなくして強い愛が身に付くということはないのです。強い愛を身に付けるためにはある程度痛みや苦しみ、悲しみ、辛さも必要なのです。悲しんでいる人がいた時、苦しんでいる人がいた時、何とか助けてあげたい、いろんな助け方があるでしょう。しかしそれを乗り越えるのは本人でしか乗り越えることはできません。
他の人がその人の痛みや悲しみを取って変わることはできないのです。その痛みや苦しみは自分で解決していく、それしか許されておりません。理不尽なことが起こった、絶対に許せない、そう思い口に出してしまうと許せないという波動が魔に繋がり、魔の世界にいる許せないものたちがやってきて、更に自分を落とし入れていきます。
悲しみ、辛さ、痛みが襲ってきた時でも、闇に繋がるのではなく神の光に繋がるようにする、これを学んでいる最中なのです。どのように痛みや苦しみ、辛さがあったとしても、相手に光がありますように、相手が幸福になれますように、その人が幸せになれますように、常に神に繋がった言霊を発していく、これが学びなのです。自分がどのような環境にあろうとも闇の言葉を使うのではなく神の言葉を使っていく、これができない限り、結局自分が取った行動が闇に繋がってしまい、自分が愛をもった行動だったとしても相手にとってはおせっかいであったり、失礼な言動であったり、まったく受け取ってくれることのない言葉になってしまうのです。
もし自分が人のためにやったと思っても通じなかった時、それは闇に繋がっている可能性があり、自分が純粋な心で接していたかどうか、常に神の言葉で口に出していたかどうか、それをよく考えるようにしてみてください。
Sakiさんの波動を見た時、あなた自身の心の中にある神の波動、常に神の気持ちを理解し、神の言葉となって口から出ていく、この口から出ていく神の言葉が相手の世界に入り、相手のマインドの中に入った時にこれが神の言葉と理解されず、人によっては生意気な言葉であるかのように感じてしまう、人によっては可愛い感じのように感じてしまう、いろんな感じ方に変化していきます。もちろんそれはそれぞれのマインドの中で変換されたことであり、あなた自身の問題ではありません。人それぞれが持っているマインドの中の変換作用によって巧妙に変化していきます。あなたの言葉の神の言霊が入っている時に、マインドを相手の中のマインドを通過する時、この神の言葉に時々反応する人がおり、神の言葉を聞きたくない人、あるいは避けている人、あるいは神の世界から遠ざかっている人には、この神の言葉はまるで悪魔の言葉であるかのように感じられていきます。その人はあなたの言葉をまるで悪魔のように感じてしまい、刃向かってくるでしょう。しかしそれにいちいちあなたが反応していると、あなたがまんまと闇の世界に陥ってしまい、罠にはまってしまうのです。どのような状況にあっても自分は神の言葉と共にある、自分の言霊は神の言霊と一つになっている、常に他人の幸せ、他人の幸福を願う、それを徹して行なうことです。あなたがどのような状態にあろうとも、神の言霊を使っている限り神はあなたと共にあり、あなたの言霊を通して神は現象化させていきます。常に本質のところだけを間違えないようにしておいてください。
Atsukoさんの波動を見た時、あなたの心の中にある言霊の波動、あなたは言葉を大事にしたいと思いながらも中々うまく言葉を選ぶことができず、つい人間の普通の表現で留まってしまいます。せっかく大事な大事な神の言霊を心に秘めていながらも、ほとんど神の言葉が宿っていない言葉になってしまうのです。そのためにせっかくの言葉が相手の心に触れなかったり、相手の琴線に及ばない時があるのです。神の言霊をしっかりと意識して言葉を発していくとそれは相手の魂に触れ、相手の神に繋がっていきます。神の言霊を入れるためには常に自分の言葉が正しい神と共にあり、相手が神として相手が神の言動を取る素晴らしい存在として会話していく、常に神と話をしている、そういう意識をもって話すことです。そうすると自分の言霊が神の言霊になり、あなたの言葉から相手の心に触れる言葉へと変化していき、その神のパワーによって癒しを与えたり、喜びを与えたりしていくでしょう。ぜひ神の言霊を使えるようにしていってください。
Madokaさんの波動を見た時、あなたの言葉にはパワーがあり、このパワーには様々なパワーが入っております。自らの思いのパワーもあれば、神聖なるパワーもあり、また神のパワーも入る時があります。やはり一番大事なのはすべての言葉に神の言霊のパワーを入れていく、ただ自分が表現したいことを表現するというだけではなく、常にその背後をイメージしていてください。言いたいことを言うと同時にその背後に神が願っていること、神の世界としてあるべきこと、その人が神のような世界で良い波動になっていること、それをイメージしながら自分の言いたいことを表現してみてください。そうするとイメージした神の世界から神の言霊が降りてきて、言葉に神のパワーが宿っていきます。何かを話す時常に神の世界を意識し、神の光、神のパワーの中で言霊を発していく、ぜひそれを行なえるようにしていってください。
Norikoさんの波動を見た時、あなたの言霊のパワー、この言霊の波動には、あなたは普段あまりパワーを入れない話し方をしているために、周りの人から見ると一見わざとパワーを出していない言葉のように感じられていきます。自分の言葉にパワーをあまり入れないようにする、言霊をわざと入らないようにする、そういう思いによってパワーが入らない状態になっています。しかしあなたは本来言霊をしっかりと使う能力があり、言霊の大事さを十分に理解しているのです。言霊が重要でありパワーがあり、大事であるが故にみだりに言霊を発することができず、そのためにあまり言葉を発しないという現実になっています。これは神聖なる世界において尊いことであり、本当に必要なことだけを必要な波動で言霊を発していく、これを行なっております。あなたが今後それを極めていくか、つまり本当に大事な必要な時だけ言霊を発して現実に影響を与えていくか、それとも人間の世界をもっともっと喜びを堪能しようとして、人間の世界に言霊のパワーを一杯降ろし、普段の会話の中に一杯パワーを入れていく、こういう選択肢もあります。必要な言霊だけを発するか、あるいはすべての言霊にパワーを入れていくか、これはあなたの自由に行なってよいやり方になっています。いずれにしても最終的には神のパワーを発していく、これが大事であり、本当のパワー、大事なパワーをしっかりと表現していく、あなたは常にそれを行なうことになります。言霊のパワーを一生懸命勉強し、本当のパワーをどうやって引き出していくか、ぜひその学びを進めていってください。
Yukiさんの波動を見た時、あなたの言葉の節々にいろんな波動のエネルギーが一緒に入っていきます。言霊を発する時に純粋な一つの言霊ではなく常に複数のいろんな言霊が入っていくのです。これはこれまで学んでいたやり方が常にそうなっており、いろんなものを組み合わせていく、いろいろ学んだものを合わせてしまう、自分の中でいろんなものを重ねていってしまう、これから行なわれている現象です。したがって本当の大事な純粋な一つのものを使うというよりは、身に付けてきたものすべてを使うという傾向になっているために、常にいろんなものが混ざり合った言霊になっています。あなたの学びの仕方を変えていく必要があるでしょう。来たものを全部受け入れるとか、身近にあるものは全部正しいと思っている学びの仕方を変える必要があります。その中には神の言霊があれば闇の言霊もあり、常にその狭間で混乱する状態になってしまいます。本当の正しいもの、神に繋がる波動、神の言霊、それだけをしっかりと見極め、使っていく、いくら学び教わったとしても神でないものは扱わない、こういう意思の強さが求められており、判断能力、意思の強さ、そしてそこに進んでいく行動力、これをぜひ身に付けていってください。
皆さん方に言霊の世界を少し学んでもらいました。自然界にある名前の付けられたものと、その裏にある世界の神々の言霊、これをうまく使いこなせば皆さん方の世界はある意味では本当に願ったとおりに動くことができます。しかしその願いが自分勝手な願いであったり、自己本位の願いであればたちまちにして闇のものに繋がり、闇の手下となって動かされていきます。
神の御使いとして行動する、しかし一歩間違えば闇の手下として行動してしまう、言霊一つを取ってみてもこの狭間の中で常に動いているのです。皆さん方がぜひ正しき言霊を使い、自分の正しい現実をつくり上げていく、ぜひその流れを確立できるようにしていだたきたいと思います。それでは少し休憩をとります、ありがとうございました。
八月はそれぞれが持っている火のエネルギーをどのようにうまくコントロールし、そして変化に役立てていくか、それぞれの持っている情熱、やる気が良い方向へ向えばどんどん新しいチャレンジが起こり、いろんなものを手にしたり、いろんな世界を学ぶことができるでしょう。
しかし油断をするとつい自分のペースだけで他人が見えず自分の思いだけで行ってしまうとぶつかったり、対立したり、喧嘩という波動に変化していきます。火のエネルギーをうまくコントロールし自分を大きな世界へ、自分の器を大きくする一番の良い時期であるために、この火のエネルギーをうまく使いこなしていく、自分の器を大きくし愛を持って情熱を持って人間関係をうまく行なっていく。しかし一度歯車が狂うと人間関係がこじれたり、怒りを呼んだりしていまいます。
自分の情熱をうまく使い、魔の入らない火のエネルギーの使い方をすることにより器を大きくして、より高いレベルのスピリットに繋がるようにこの八月の時期をうまく過ごしていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。