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2009/2/2 月曜交流会

神を自分のものにする

@愛と奉仕の生き方ができるか

私たちはアンドロメダ星雲の一つの場所からやってきております。皆さん方にお話をできる機会が与えられ、宇宙の神々に感謝とお礼を申し上げます。今ここに私たちのマインドを通して地球の皆様方に私たちの思いを伝えることができ、とても光栄に思います。今、地球の皆様方がどういう局面にあり、また宇宙の中でとのような流れにあるのかを見ていきたいと思います。

この地球というエネルギー場は、宇宙の中でも極めて特異な性質を持っており、単なる一つの星の進化の場ではなく、さまざまな影響力を持ち、またとても重大な役割を担っております。この地球というエネルギー場は決して失敗は許されず、すべてを成功させねばならず、またここにやってきた一人ひとりもそれを承知の上で地球にやってきております。

誰一人失敗ということが許されず、やるべきことを確実にまっとうして地球を終えることが必要になります。この地球での役割は神から見てもとても尊いものであり、一つひとつの役割が重大な任務を兼ねております。しかし人間の人生にはいろんな仕組みが伴っており、一人ひとりの思いの中では自分がしたいことを好きにやって良い、自分の喜びを追求して良い、自分が満足する生き方を生きて良い、そういう生き方でも十分に生きられるように仕組まれております。

自分の好きなように生きて良い、しかしどのように生きようとも初めに考えられた目的は達なされることになります。その人がどのように考え、行動しようとも、その人の人生をまっとうさえすればある程度役割はなされたことになります。じゃ、本当に好き勝手に一生を過ごして良いのか、自分を律して多くの人に光と愛を届け、自分を犠牲にしながら他人のために奉仕をする人、他人のことはまったく考えずにただ自分の好きなように生きる人、それでも人生はまったく同じなのか。

この場合、何をもってその人の人生なのかということがとても複雑に入ってきます。基本的に他になしたことは自分に戻ってくる、これにより人生がまた修正されていくために、他に不快感を与えたり、他に苦痛や苦しみを与えた人生を送っていると自分がそれを味わいながら生きていくことになります。

他のために生きていくと、他の人からいろいろと喜びが与えられるように暮らすことになります。しかし、じゃ、奉仕の人生ばかりでまったく自分の喜びを感じないまま一生を終えている人、これは人のためだけに働いて、その分の喜びをもらっていないのではないか、確かにそういう人生もたくさんあります。そういう人生にしてもその人がそういう風に計画をしたためであり、他になしたことが自分に戻ってくるというのを肉体のレベルで戻ってくるのか、肉体を終えてから戻ってくるのか、それぞれの設計の仕方によって変化していきます。

他に与えた苦しみが自分に戻ってくるのも肉体のあるうちに戻ってくるのか、肉体を終えてから戻ってくるのか、これがそれぞれ自分でつくられた通りに作用していきます。したがって、一見他人を見ていると一生苦労ばかりで他の人にばかり精を出して自分の喜びは何も得ていない人、そう思われる人でも肉体を終えてから多くの喜びを受け取っている場合があります。

逆に他の人に一生懸命施しをし、その分生きているうちにも多くの喜びを得ることができた、この場合肉体を去った後に得られる喜びというものが、かなり限定されたものになってしまいます。他に与えたものが自分に戻ってくるという現象において、肉体がある時にそれを全部求めるのか、肉体を去った後でも有効とするのか、これによってその人の人生がかなり変化していきます。

一見他人に苦労ばかりさせて自分の好き勝手に生きている人、それでも一生は何もその人に問題がなく、最後の最後まで好き放題にして人生を終えた、とても良い人生を終えたかのように他の人は思っている、しかし肉体を去った後、何の光も得られないところで過ごしている場合があります。

自分の人生をどこで評価するのか、生きているうちに評価するのか、あるいは肉体を去ってから評価するのか、どこまで自分の人生を評価できるのか、これは一人ひとりの進化の状態によって変化していきます。肉体のことしか考えられない人、肉体がすべてと思っている人、それは肉体の世界だけで完結するようにつくられていきます。

肉体がすべてではなくそれ以降にも自分の人生があり、それ以降にもいろんな影響が及んでくる、それを信じている人はいろんな喜びが後でも得られるように仕組まれていきます。したがって、スピリチュアルな世界や死後の世界を理解していて、そこでのいろんな喜びをつくろうとしたり、そこでも喜びを得ようとしている人は肉体で他人のために奉仕をしたり、他人に与えた喜びが必ずしも肉体のレベルではなく、それ以降の流れにおいて得られるようにつくっている場合があります。

一人ひとりの意識の進化状態によってその関係性が変わってきて、最終的には自分でしかそれを評価することはできないと言えます。自分で自分の意識を理解し、自分の人生というものを自分で考えていく、そして自分がどのレベルで喜びを他に与え、どのレベルで喜びを自分が得ていくか。他人に一生懸命奉仕をし、他のために人生を費やしている人、肉体の時間であるか、それ以降の時間であるかは抜きにして必ず自分にも喜びが戻ってきます。

他に苦痛を与え、他を悩ませたりしている人は、肉体か、それ以降かで必ず自分にもそのエネルギーが戻ってきます。しかしこう話を聞いたからといって、じゃ自分に多くの喜びが得られるために、他の人に何か良いことをする、こういう風な発想になってしまうと初めから見返りを期待していたり、自分のために他人を使っていることになり、これは真の奉仕ではなくなってしまいます。

こういう気持ちでやっている人は、結局それがそのまま現象界に現れてきて、本当に心から他の人から喜びを与えられたり、心から尽くしてくれることがなく、利用されてしまったり、騙されてしまうことが頻繁に起こっていきます。自分が幸せを得るために他人を幸せにする、自分が喜びを得るために他人に喜びを与える、こういう思いを持っていると結局は騙されたり、いつまで経っても本音で人と付き合うことのできない人間関係になってしまいます。

宇宙の仕組みを理解しながら人生を正しく生きる、これはとても難しいことです。宇宙の仕組みを理解し、すべての意味が理解され理由が分かってくると、他の人に対して一つひとつの理由が現れてくる、そうするとその理由が先に立ってしまい、本当にその人のために何かをする、その人を愛するために行動するということが減っていってしまいます。

理由を知らない方が本当にその人を愛することができ、その人のために尽くすことができます。したがって皆さん方が宇宙の勉強をする時に宇宙の仕組みを理解して、早く宇宙の高いところに達しようと考えている人、結局こういう人は宇宙の仕組みを理解すればする程、他に対しての愛がなくなっていき、冷たい人間関係になっていきます。

むしろ宇宙の仕組みを何も知らない人の方が素直に相手と接することができ、本当にその人に尽くした行動になり、愛も育っていきます。今いろんなスピリチュアルな勉強をしている人々の中でいかに愛のない人を私たちは見たことでしょう。一見口からは立派な言葉がたくさん出てきます。

また人を愛しなさいとか、愛が大事とか、愛がある人がアセンションできる、こう言う人がたくさんおります。またそうやって神の前に宣言をして私は愛をもって人々を救います、そういう言葉を何度も聴きました。しかしその人の本当の心を見た時、ただ単に自分が早くアセンションしたい、自分が他の人よりも上にいるということを皆に知って欲しい、皆に自慢したい、そういう気持ちだけで勉強している人がたくさんおります。まったく愛のない勉強になっています。

スピリチュアルな勉強をしている人の中で本当に愛を身に付けている人がどれだけいるでしょうか。傲慢さや無礼さ、我がままな人、こういう人ばかりが目立ちます。まったくスピリチュアルに関係ない人の中で私たちはたくさんの愛を見ることができました。本当に皆で助け合っている、頭の良い人から見たら愚かなところで助け合っているのかもしれません。

でもそこにはたくさんの愛があり、人を思う気持ちがあり、人のために尽くす心があります。こういう心が大事な心なのです。いろんな知識を身に付け、人を下に見ることが愛ではありません。またそれでアセンションできるわけではありません。本当に他を思う気持ち、本当に人のことを考え、その人のために尽くすこと、この愛が今本当に日本では欠落しています。

誰もが愛のない世界に目を向けており、誰もが自分のことしか考えず、誰もが自分だけが優れていると思っています。日本はこれからどうなるのでしょう。ますます愛が見えない時代に入っていくでしょう。一人ひとりが信じられず、信じていた友人にも裏切られ、もう誰をも信ずることができない。スピリチュアルな勉強をしている人同士でもお互いに不信感が募ってきて、お互いに非難し合う、これからそういう中へとどんどん突き進んでいきます。

本当に信じられるものは自分しかいない、誰も信ずることができない、そういう時代においてこそ真実の愛が必要となり、また真実の愛だけが生き残っていきます。誰も信じることができない、自分しか信じられない、そこでの愛、どういう愛でしょう。一人ひとりが完全に神となった時、一人ひとりが完全に自分の心の中に神を見出した時、自分のすべてを信ずることができ、自分のすべてが愛になり、そして他人のすべてが愛に感じられてきます。

自分自身が本当に神と繋がり、自分自身が完全に愛と繋がった時にすべての他人が愛のある存在に感じられます。誰も信じられない、どこにも愛が見られない、そう思っている時はまだ自分が神に繋がっていない段階であり、自分自身に神に近づく修行が必要であることを示しています。

自分の心の中の本当の神とどのように繋がっていくのか、一人ひとり神と繋がるためにはいろんなトレーニングが必要でしょう。どういうトレーニングでしょう。人によっては厳しいトレーニングかもしれません。人によってはわりと楽なトレーニングかもしれません。いずれにしても他人を下に見たり、他人よりも自分がましだという気持ちがある時は神に繋がることはできません。

自分の中の真実の神はそこにはいないからです。自分の中の真実の神は本当に他に尽くすこと、本当に他を認め、他を生かす、そこに本当の神が存在し、自分がそこに繋がらない限り本当の神は自分には宿ってきません。これからの日本、これからの時代において神に繋がっている人しか、しっかりと生きることができなくなっていきます。

神に繋がっていないとすべての人が敵に見えてしまったり、すべての人が愛のない人間に見えたり、すべての人が自分を裏切る人間のように感じられていきます。しかし自分の心の中にしっかりと神を宿らせ、神と繋がっているとすべての人が愛の持ち主であり、すべての人が自分を見せてくれており、すべての人が神の側面を自分に見せていることが分かってきます。

神と繋がるということ、口では非常に簡単に言うことができますが、一人ひとりが実感をするのは難しいかもしれません。しかし現実的にはそれは誰にでもできることであり、また見方によってはいつでもできることでもあります。自分の中の一番高い愛の部分、自分の中で自分を犠牲にしてでも他に尽くす気持ち、真剣に他人のために何かを犠牲にしてでもしてあげる、そういう時に神はやってきます。

自分の中の本当の神の部分、ぜひこれを目覚めさせ、そして常にその観点でいろんな人と繋がっていく、ぜひこうやって新しい時代に向け、新しい自分、新しい神の姿として過ごすようにしていってください。皆さん方が少しでも神の波動に近づくように、皆さん方の心の中の神の部分を活性化させていきます。自分の心の中の神を感じてみてください...


天之御中主の神より一言申す。日の本の民人たち、日、光、自らの光を多くのものたちに流すように。人は光が足らず、皆からの光を待っている。真実の光を届けよ。偽りやごまかしの光ではなく、真実の光を届けよ。相手の身になって考え、本当に必要と思う言葉を与える。相手が求めているものを与える。真実のものを与える。偽りやごまかしはきかず、真実の光を与えること。

真実の光は自らの心に邪心がなければ直ちに流れる。自らの心に迷いなく、自らの心に不安なく、本当に他を思う気持ちあれば真実の光は流れていく。真実の光にて他を愛す。一人ひとりが正しい光を発するように。アドバイスを渡していきます。

Madokaさんの本当の神と繋がるには、自らの心にある正しさ、真実の愛、そこに常に目を向け、自らが真実の愛の具現者であること、真実の光の具現者であることを常に理解すべし。自らを否定したり、自らの愛や光を弱めると神から離れてしまう。自らが最高の愛と光であると完全に信じ維持すること、それが真実の神と繋がっている時。

Makikoさん、あなたの真実の光、真実の神、あなたのマインドの中に明確に構築されてきて、マインドは清く美しくなり、多くの光がマインドを住処にし始めてきている。マインドを汚さないようにすること。常にマインドを使って真実の神はあなたに波動を送っている。神の意識をあなたに繋げている。あなたが直感で感じること、感覚で感じること、神のレベルでの感覚に近いものがある。マインドで感ずるものを神と思い、できるだけ純粋で素直な波動を感じ、それを自分の姿と思い行動していくように。

Takumiさん、あなたの真実の神。意識がまだ自分の外側に向けており、あなたの真実の神との繋がりが体の外に築かれている。真実の神を自分の中に持ってくる。外ではなく自分の中に真実の神が座します。これをしっかりと信じ、自分自身を神が宿る社とせねばならない。素晴らしい神々が自分に宿れるように、肉体を浄化し、魂を浄化し、心を浄化する、常に自分の心身をきれいにし、神が宿れるようにすること。肉体の浄化、心の浄化、これにより神を宿らせる社をしっかりと完成させ、自分の中に神がいるという思いを定着させること、まずそれを自分の中に完成させるように。

Kimioさん、あなたの真実の神は、いろいろな形を通して現象化され、自分の中にいるという意識がしっかりありながらも、常に現象界に姿を見せてくる。いろんな人の中に宿って見ることになり、あなたから見れば目に見える一人ひとりの中に神の姿が感じられてくる、それは自分の中の真実の神の側面であり、一人ひとりの神を知ることにより自分の神を知ることになる。いろんな神の側面を学んでいき、それによって目の前にいる人との関係も分かってくる。すべて神の現象化であり、また自分の中の神が始まりであり、神と人間との関係がより詳しく分かってくる。常に他人を見る時、そこに宿る神を見つけるべし。

Youichiさん、真実の神はあなたに常にメッセージを与え、あなたに常に言葉を出している。あなたはその神の言葉をどの程度自分の中に取り込んでいくか。真実の神の言葉はあなたのハートに流していき、ハートで感じさせようとしている。しかしあなたは言葉の多くを頭で受け取り、頭で解析しようとしている。そのために神の言葉は神から離れていき、あなたを素通りして通過してしまう。頭ではなくハートで神の言葉を感ずる。そのためには素直に周りから言葉を聞くこと。一人ひとりの言葉一つひとつに神が宿り、あなたへのメッセージがある。一人ひとりの言葉を丁寧に聞き、そこから神のエッセンスを引き出すこと。心で感じ心で吸収していく。それが神に近づく一つの方法。自分のために行なうように。

Akiraさん、真実の神はあなたの心の中で喜びを出し、前に進み、あなたとの出会いを楽しみにしている。あなたは神に目を向けており、神もあなたに目を向けている。この神のパワーを肉体レベルで使うのにはもう少し修行が必要となる。今はあなたと神は向かい合っているが、まだ手を取り合うくらいの接点にはなっていない。手を取り合うためには他人と自分を分離している境い目を取ること。他人は自らの神であると知る時、他人を分離していると神と分離され繋がらないことが分かってくる。他人と繋がりをつくることが神と繋がりをつくること。今は他人を目の前にし、寸前のところまで来ていてもどうしても他人と心が中々繋がりにくい。他人との境界を取った時、神はあなたの手を取りあなたに神のパワーを伝授するだろう。

Toyokoさん、あなたの真実の神。あなたが考え、見つけようとしている神の姿、この神の姿はあなたが自分でつくればつくるほど、神から離れ、遠ざかり見えなくなってしまう。神の姿をつくったり、思ったり、イメージすると神ではなくなってしまう。そのままを受け入れる、そのままを感ずる。人の言葉を聞く時も自分なりに解釈したり、自分に照らし合わせて考えるのではなく、そのまま受け取っていく、そのままで感じる、これが必要となる。他人の言葉をそのまま感ずるという練習をしていくと、その人の言いたいことは言葉にはなく、そこの本質的な心の部分にあることが分かってくる。そうすると人との会話が心で感じられるようになり、神との繋がりも心で感じられるようになっていく。言葉に惑わされたり、見かけや概念に惑わされず、そこに含まれている本質的な心で繋がりをつくるように。

Akikoさん、あなたの真実の神。あなたの真実の神は、あなたの能力に応じていろんな形で現れ、いろんな波動で現れ、あなた自身どれが自分の本当の神か分からなくなってくるかもしれない。しかしそれ自体があなたの真実の神の姿であり、決まった形、決まった波動、決まった色、決まったものがない神、どこにでも変化しどのようにでもなりうる神、これがあなたの真実の神であり、したがってどういう状態でも神と繋がることができれば、しかし場合によっては自分が何かに決めてしまった時、概念をつくった時、固定的な考えになった時には、神には繋がれなくなってしまう。自分自身も自由な考え、枠にはまらない、型にはまらない意識でいる時に神に繋がり、何かに当てはめると神から離れてしまう。しかしあなたが生きていくうえにおいて人間は型を好み、パターンを好み、具体化を好んでしまう。人間に合わせようとすると神は遠ざかり、人間から離れると神が近づいてくる。人間の生活の中では矛盾する現象が起こってくる。あなたはそれを克服し、いかにこの物質世界を型にはまらない世界として構築するか、決まりきった考えの中で枠のない考え方でいかに成功に導いていくか、あなた自身の自分の姿からこの人間の世界を新しい素晴らしい世界へと変えてみてください。

一人ひとりの真実の神は今の肉体の人間としっかりと繋がり、そして役割をなそうとしております。まだまだ神と連携するのには時間が掛かるかもしれないが、意識だけを持っているとかなり神は協力してくれる。いざという時、真実の神は真剣に肉体人間に目を向けてくれる。したがって皆一人ひとりが自分の真実の神をしっかりと信ずること。愛すること。今しばし自分の真実の神に向かい、宣誓や誓い、アファーメーション、お祈りを授けてみてください。

...皆の思いしっかりと受け止めた。これから一日とて離れることなく、お互いに手を取り合って素晴らしい地球を築いていこう。ありがとう。


A純粋なマインドに育てる

光のハイアラーキーからお話をいたします。皆さん方は目に見えない存在との認識をハートで感じたり、頭で感じたり、あるいは体で感じたりしていきます。ハートで感じているのは、いわゆる愛という部分で反応し、自分が自分以外のものとどの程度繋がりをつくり、波動を共振させていくか、自分と異なるものをどこまで受け入れていけるか、それをハートで感じていきます。

頭で感ずる、いわゆるマインドのレベルの反応は、それぞれの意志を感じているところであり、神の思いや宇宙の思い、そういった波動を感じているところがマインドになります。そして光を感ずるのが肉体であり、体のいろんな場所によって刺激を感じたり、感覚的なものを通して感じていきます。

それぞれ違和感のあるものから非常に良い感覚を得る場合があります。ハートの場合はいかにも自分が暖かく満たされた感じになったり、包まれた感じになる場合があれば、まったく阻害された感じ、突き放された感じになってしまう、こういった感じ方が得られる場合があります。またマインドの場合には、いかにも思いが伝わってきて、本来の思い、本質的な思いを感ずる場合があります。

しかし人間同士のマインドの場合には、そこで汚れているエネルギーが関与してくると、何か嫌な感覚がしたり、何か波動が下がるような感覚が得られてきます。肉体的な場合はいわゆる暖かく感じたり、何か特別な波動を感じたりする場合があれば、違和感があったり寒気がしたりする場合がある。

いわゆる波動を下げる場合には冷たさや、怖さとなって体で感じていきます。一般に神や天使の意志をマインドで感ずる場合は、ほとんどの人が何か前向きに感じたり、明るくしようという思いを持ったり、クリエイティブな考えになることが多く、逆に波動の低いものがマインドに入ってくると他をおとしめようとしたり、自分だけ目立とうとしたり、自分の得意なことだけやろうとしたりするように現れてきます。

したがって、マインドで感ずることがすべてが悪いということではなく、むしろ神や天使の波動をいかに感じて、クリエイティブに、あるいは新しい発見、発明、インスピレーションによって何か困難な問題を切り拓く新しいやり方、そういったものを見つけることができます。マインドをクリアにして波動を高めていく、体をクリアにして感受性を高くしていく、ハートをクリアにして愛をしっかりと流していく、それぞれのレベルでスピリットを感ずることができます。自分自身のスピリットの感じ方を自分で評価してみて、それぞれの能力を高める練習もしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2009 CentralSun
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