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2008/8/15 RMMSニューシャンバラ

日(靈、火)の本の守り人へ

@戦争は心の中の争いが現象化したもの

私は火の神としてここに現れた。日の本の人々に話がある。日の本という言葉は日の国を守る人々であり、日の国は火(靈)、火は命であり、スピリットであり、始まりであり、破壊でもある。火によって命ができ、火によって栄え、火によって滅びる。火を維持するもの、すべてを維持する。

日の国の守り人は火を使いこなさねばならない。日の国は火を大いなる神から与えられ、それを守り通してきた。神より与えられし火を日の国のものたちが守り、そしてこの火を使いこなし、火によって栄えるように火を使いこなしてきた。火は命を与える。火は成長を与える。皆さん方が言う戦争、争いも火のシンボルとして使われている。しかし火は争うためにあるわけではない。火は生かすために命のためにある。

命がなぜ戦争に変わるのか。命の火を誰かが消そうとする。自らの命が危うい時、身を守ろうとして相手の命を奪おうとしてしまう。お互いに自らの命を守ろうとして相手の火を消そうとする。戦争という現象は自らが生きるために現象化されている。

しかし自らが生きるために他者の火を消そうとする。他者の火を消すことは自らの火を消すことになる。自らの火を消すものは他者ではなく自らであることを悟らねばならない。自らの命が危ういと感じ相手を先に消そうとする。しかし相手として見えているのは自らに過ぎない。自らの命が危ういと感じた時、自ら自分の命を自分で消そうとしていることに気が付かねばならない。

これを見つけない限り他者の命を奪う、他者の火を消すという戦争は続くことになる。自らの命を消そうとするのは他者ではなく自らであること、これに気付けば戦争は広がらない。ならばどうやって自らが自らの命を消そうとしていることに気が付くか。自らの命を粗末にする、自らの命を無視する、自らの命を自ら育てねばならない。

火はそれだけでは燃えていかない。火が燃え続けるためには芯が必要であり、酸素が必要であり、またそれを維持するあらゆるものが必要となる。それと同じように一人ひとりが生きるためには芯が必要であり、酸素も必要であり、蝋も必要であり、あらゆるものが自らの中に必要とされ、自らの火を命を維持するには生きようとする意志がまずなければならない。

自ら生きようとする意志、自分で自分を生かすという意志、そして火が燃えていることの喜び、また他を照らすという喜び、自らの火で他者の行く道を照らしてあげることに気付かねばならない。自らの火によって迷っているものの道を見せることができる、迷っているものの道を照らし、そのものの歩く道を照らすことができる。

自らの命の火により他のものが行き先を見出していく、人はお互いに命の火を灯し合い、お互いに歩く道を照らし合い、お互いに進まねばならない。自らの火に気付くことなく、自らの命を粗末にする、それが自らの火を消すという現象になってしまう。しかし自らの火を消すという思いが他者を通して現象化され、他者から殺される、他者からやられるという事態に現れてくる。

実際には何の因果もなく自らの命を他者から奪われるということは有り得ない、自ら自らの命を無視し、自らの命を認めない時に他者を通して自らの命を奪うという現象が現れてくる。生きようとする意志、他者を生かすという意志があれば、むやみに他者から命を奪われるということはない。

しかし一人ひとりの命のろうそくの長さは決まっており、ろうそくの長さの寿命が来た時にはそれは変えることはできない。それは初めに神が定めたもうた一人ひとりの寿命であり、それは学びそのものでもあり、それにて神の計画が進んでいく。その範囲内においてむやみに他者から命を奪われたり、あるいはむやみな争いや戦争ということは起こることはない。

ただこれまでの長いこの地球における人間の誤った行為により、むやみに多くの命を奪ってしまったというカルマが大量に残されている。あまりにも多くのエネルギーが残っており、これは人間が自ら解消せねばならない。人類の歴史においてつくられた他者の命を奪ったという現象そのものは人間がすべて自らの力で変えていかねばならない。

もしさらに争いや戦争、あるいは悲惨な現象によって他者の命を奪う時、そこに否定的な思い、あるいは新たなるカルマをつくり出した時、またそれは地球に残り、誰かが体験する現象となって残っていく。もし争いや戦争を無くしたければどのような争いや戦争が起こったとしても、それをすべて許し、否定的思いを抱くことなく、そこに関与している人々を許し、またそのエネルギーを解消せんとして自ら命をつくり、自ら戦争の犠牲者となって生まれてきたものたちに感謝をすべし。

戦争の犠牲者は多くの場合、自ら戦争というカルマを解消するために生まれてきているものも多い。そこに否定的な思いを持てばさらなる戦争のエネルギーがつくられ、そしてその戦争のエネルギーが次の大きな戦争を引き起こしてしまう。戦争は嫌だという思いがある限り戦争が現象化されてしまう。本当に戦争のエネルギーを無くしたければ、あらゆる争いや戦い、戦争に対するエネルギーを頭から追い出さねばならない。良くないという思いすらもそれを現象化させてしまう。ただ感謝し無くなるのを見るべし。

ただ人間の心はとても弱く、感情によってすぐに変化していくであろう。また、戦争や犠牲者となったものを、それによって戦争がなくなるとただニコニコ喜んで良いというわけでもない。すべてをただ楽観的に見て済むという問題でもない。宇宙の流れはとても微に入り、細に入り、細かくできていて、やはり無責任、いい加減な感情だとそれはやはりもう一度現象化されてしまう。

本当の愛によってのみしか戦争は無くなっていかない。本当に戦争をこの地球から無くしたければ本当の愛を心の中につくり上げ、戦争に関与するものすべてに愛をもって接しなければならない。また自らの心の中にある争いの心、他を非難したり、他を問い詰めたり、他に意見したりする心をすべて自分で見つめ、自分の愛ですべて変えていかねばならない。

もしここにいる人々が自分の愛の力で自分の争いの心をすべてコントロールできた時、それだけでも今地球上で展開されている戦争の件数を半分にまで減らすことが可能であり、ここにいるものだけでも本当に愛をもって自らの争いの心を無くせば、今地球上に起きている戦争の半分が減るのである、それだけ愛の力は強い、それだけ一人ひとりの力は強い。

したがって戦争に打ち克つ愛に関しては、私はできないから誰か他の人にとか、私は未熟だから誰か良い人に、という思いは一切あてはまらない。一人ひとりが今完全に愛を身に付け、真剣に戦争を無くそうとする愛を身に付けることが必要である。ここにいる人が本当に真剣に愛を実践すれば、今地球上に展開されている戦争の半分が無くなるのである。

宇宙の多くのマスターが今皆さん方に本当に愛を、本当に戦争を愛で変えてもらいたいと願っている。宇宙からの大いなる愛のエネルギーを感じて欲しい。自らの心の中の争い、非難する心をすべて愛で許し、認め、まず自らの心の中を争いの無い波動にして欲しい。自分を許し、隣人を許し、目の前の人を許し、家族を許し、兄弟を許し、町で歩く人、一人ひとりを許していって欲しい。

日の本の国の人々として命を他者に与え、命の栄える喜び、命が燃える喜びをもっともっと多くの人に広げていって欲しい。ありがとうございました。


(c)2008 CentralSun
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