そしてその意志が僕たちの意志とまったく違っていると嫌になってきて吠えたり、蹴っ飛ばしたり、逃げたりしていきます。意志が強く僕たちの意志とある程度方向が合うと、その意志に従おうとします。ただこの意志がいわゆる犬の種類によってすべて方向が違って、必ずしも犬だからといってすべて同じ方向性とは限りません。
つまり人間から見た時、ある犬に無視されたからといってすべての犬に無視されるわけではなく、その人の意志に応じた犬が必ずどこかに存在しています。ですから自分に合う犬の種類が何であるのかを見つけると、自分の意志の方向性や強さがどの程度であるのかが分かってくるでしょう。犬と接する時に自分の意志の方向性を知るという目的を知ると自分の関係が見えてくると思われます。
でも人間はとても面白く、人間の近くに行くと面白いことが分かってきます。仲間という意識をつくる時、人間は誰かと仲間になって寂しさを仲間から補充してもらおうという考えを持っています。私たちも仲間を大事にして、仲間同士で助け合っていきます。でも、人間のように仲間から大事にして欲しいという思いは持っていなくて、同じ仲間なのでお互いに自動的に助け合ったり、協力し合ったり、連絡し合うという意識が出来上がっています。
そのために常に何か変わったことがあれば、すぐに報告をし、確認をし、連絡をするようにしています。何か変化があるとすぐに仲間たちに連絡をします。人間の社会では、何かしてもらうという思いが強くて、自分からするという思いがあまり感じられません。私たちの社会では自分から何かしないと仲間としての機能がなされなくなっていきます。人間が人間であるためには、一人ひとりが自立して自分で解決すべきことなのかもしれません。
私たちは人間の中でいろいろ報告をお互いにしているのは、どの人間の意識がどう変化して、その社会にどのような影響をもたらすか、それについてお互いに連絡をし合います。でもほとんどは人間そのものの意識には分からないことであり、皆さん方がそれによって何かをするということでもありません。あまり人間のことは分からないのでここまでにします。
人間の意識として自然の木を伐採し、環境を破壊し、そして自分たちの好きなように加工している、そう思っている人がたくさんおります。しかし私たち自身はそういう意識はありません。いわゆる木が繁殖し、育っている状態から人間の手によって伐採され、人間の手によって、何かつくり変えられ別の形になり、別の思いや別の命が入って人間の近くで奉仕をする、これは私たちの木にとって喜びの一つでもあります。
木が木のままで一生を終えてしまうのと、人間と接触して新しい意識を身に付け、人間的な思いが入ってくると、その木はとても素晴らしい経験をしたことになります。人間と触れることはとても良い経験になります。したがって、伐採されて加工されたからといってそれは悪いことではなく、否定的なことでもありません。
ただそれによって木の数がどんどん減っていき、環境がバランスが取れなくなる、これは確かに人間にとっては良いことではないかもしれません。自然のバランスを常につくっておく、バランスのとれた生態系を維持する、これはとても大事なことです。しかしこの自然の生態系のバランスをとっているのは、自然の神であり、自然そのものが自らバランスをとっています。人間がバランスをとっているわけではありません。
人間はバランスをとろうとして余計にアンバランスなことをする傾向があります。何がバランスなのかが分かっていないからでしょう。単純に木を何とかするとか、バランスをどうかするとかいうよりも、そのいろんな生態系と思いを通して人間との繋がりや、関係を強くしていく、お互いの思いを感じ取っていく、そうすると人間が何をしたら良いのか、自然に何をしたら良いのかが見えてくるでしょう。
単純に自然を守ろうとして余計に悪化させる場合もあります。自然を大事にするということは野放しにすることではなく、あくまでもより良いバランスを見つけて、より快適な環境を求めて進んでいく、そこに向けてのあるべき姿を見つけていただきたいと思います。
地球が呼吸をし、生活をしている。皆さん方が呼吸しているのと同じように大きく息を吸って大きく息を吐く、地球自身が呼吸をしています。地球が呼吸をする時、正しい気を全部入れるということがまだできておらず、とりあえず近くにあるものすべてを吸い、そして吐き出していきます。近くにあるものを吸い取る、それは人間が関与しており、人間が地球に与えようとしているもの、人間が地球にもたらしたいと考えているもの、それに従って地球は吸い込んでいきます。
人間が地球に何を与えようとしているか。残念ながら人間はこの地球で支配しようとしたり、自分だけ有利なことを手に入れようとしたり、都合の良いような思いを一杯出しております。それによって地球はそのような都合の良いエネルギーを吸い込んでいきます。当然それは気持ちの良いものではなく、不快な現象を起こし、いわゆる咳き込んだり、不快な現象となって現れます。
不快なものを出したり、不要なものを出す時に地震という現象が起こっていきます。したがって、人間がどういう思いを地球に与えているか、何を願っているのか、これがとても大きな要素を占めております。地球に対してできるだけ良い思いを持ち、良いものを吸い込めるように、地球自身が良い状態を保つことができれば、地震というものも役割が変化していき、人間を不幸にさせることもなくなっていくでしょう。
今はまだ人間に気づきを与えるために人間の出した波動に従い、人間に現象化されるようにしていきます。一人ひとりの思いが変化していけば地震の現れも変化していくでしょう。まずは自分から変えていく、ぜひそれを行なってください。
必ずしも人間との関わりを意識しているわけではありません。それぞれの動物や植物、鉱物ごとに世界があり、人間の世界とは完全に分かれているのです。人間はそうは理解しておらず、すべてが人間の世界の中にあるように感じられております。しかし実際にはそれぞれの世界ごとに異なっている、まったく別のルールで動いている、それを理解していただく必要があるでしょう。
そうすると他のものたちとのやり方、やり取りの仕方、いろんなものが見えてくると思われます。いろんなものと接する時、自分の意識をどうもっていくか、いろいろ考えながら学びを続けていってください。それでは少し休憩を取ります、ありがとうございました。
私たちの平和というエネルギーは、人間の意識の成長のために現れ、また人間に関与していきます。そしてそれぞれの人間のそれぞれの段階において、一人ひとりの心の中に自分でつくられた平和があります。したがって一人ひとりの心の中にある平和と、私たちの本来存在している平和は同じものではありません。
しかし、いつかの段階では心の中にある平和を私たちの今のレベルにまでつくり上げていく必要があります。皆さん方の心の中にある平和、多くの人が災いはなく、争いもなく、明るく楽しい日々を過ごしている、これを平和と思っております。しかしその心の中の平和を実現させるためには、争いがない、病気がないという現実をつくり上げる必要があります。
争いがないということは、お互いの価値観や思い、考え方がすべて同じであり、何一つ異なる方向性がないということを意味します。しかし皆さん方は一人ひとり命を与えられ、自由意志が与えられている以上、他の人とまったく同じ考えで同じ方向性ということは有り得ないのです。一人ひとりまったく違うように神がつくっているのです。
皆さん方の進むべき方向性は一人ひとり異なっています。進むべき方向性が異なっているのにも関わらず、考え方や、方向性、自分の持っている生き方がすべて同じということは基本的に有り得ません。ということは、日々の生活において一人ひとりの生き方が完全に同じという状態は有り得ず、必ず何らかの衝突やトラブル、意見の食い違いが生じてきます。
意見の食い違いが生じてきた時、自分の生き方で通そうとする、自分のやり方に合わせようとする、お互いがそれを行なうために争いが生じ、対立が起こり、支配がつくられていきます。そしてそれは平和ではなくなり、混乱を招いていきます。その混乱を無くそうとして話し合いが起こり、ルールができて、そして平和を維持しようとします。
したがって今の皆さん方の社会において、平和を維持するために何らかのルールが必要になっています。このルールが完全にすべてにおいて平等で、対等で、差がなければ機能していくでしょう。しかし一般にルールは進化の度合いに応じてうまく合うものと合わないものがでてきます。
まだその進化のレベルに達していないものからもう学びを終えたものまでが一つの場にいる時、ルールが適応しづらくなってきます。そこで一般に混乱が起こり、また新たなるルールが必要となります。しかしルールを増やせば余計に混乱が増える方向にもいきます。できるだけルールは少ない方が良く、ルールをつくればつくる程混乱が増していきます。
平和とはできるだけ少ないルールでできるだけ混乱のない社会をつくること、一般にルールをつくり、全員がルールを守れば平和は維持できるかもしれません。しかしその場合のルールは支配的なルールになり、心の平安は保たれないでしょう。心の平安が保たれない時、必ずそれが現象化してきて、そして混乱を表に出していきます。
平和を維持するために一人ひとりが自分の本来の居場所をどこに見つけているのか。今のこの現象的な世界を自分の居場所と思っているのであれば、これはあくまでも幻想であり、見せかけの世界であるために、平和を維持するのは難しくなります。自分の本来の居場所がどこであるのかを見つけ、それに意識を向けた時、この現象の現れは本来のものではなく、いろんな波動のものがお互いにただ表現されて〜、一人ひとりの心がただ満たされて〜、それに気づいた時、他をどうこうしようとか、他人に干渉しようとする思いもなくなり、また心の平安が維持されていきます。
平和は見える現象界をいうのではなく、心の平安をいかにどうつくり上げていくか、本来の自分をどこに見つけるか、それによって初めてつくられていきます。皆さん方の心の中にある平和というエネルギー、本来の私たちの平和というエネルギーを結びつけ、ここに常に向かっていくように、ここを目指してくるようにしていただければと願っております。
まず永遠に自分のことは分からないということが分かる、これが悟りの一つです。また、悟りは差を取るという意味があり、自分と他を分けているもの、あるいは自分の中でも自分を分けているもの、あらゆる分けているものをすべて分ける前の状態に戻す、それを悟りを得る状態と言います。
悟りは自分と神との差を取ることが最終目的となり、多くの人は自分と神との間に差をつくっております。この差がある限り悟りは得られません。自分と神との間にどういう差をつくっているのか、それを一つひとつ見つけていき、自分と神との間の差をすべて取り除いた時、悟りが得られます。
自分と神との差をすべて取るということは、自分が何者であり神が何者であるのかを見つけなければなりません。自分が何者であるかを見つけられない限り、自分と神との差は見つからず、神が何者であるかを見つけない限り、自分と神との差が何であるのかは分かりません。差を取るということは自分が何者であり、神が何者であり、そして自分と神との間につくり上げられた差が何であるのか、それをすべて取り除いた時、悟りが得られます。
一人ひとりの心の中にある悟り、それは一人ひとりの自分と神との間の挑戦であり、自分にしかできません。一人ひとり、悟りとして体験すべきものがすべて異なっております。一人ひとり特徴が違うように、一人ひとりの人生が異なるように、一人ひとりの悟りも違ってきます。
したがって悟りは自分一人で行なうものであり、自分でしか得ることができません。自分で自分の差を取っていく、自分の中で自分をしっかりと見出し差を取っていく、その悟りをしっかりと身に付けていってください。
私はKeikoという言葉の波動です。この言葉の波動が人間と結び付く時、言葉が人間に影響を与える部分と、また人間が言葉に影響を与える部分が現れてきます。おくむらけいこという波動そのものは、そこに秘められた不思議なるものを形として現していくという波動が秘められております。この波動を人間に付けると、人間のテーマとして常に隠されたものを形として現すという使命を身に付けていきます。この使命をどう生かすか。人間自身は何も意識していなくても自動的にやってくる仕事や、依頼されるものが形として現すように仕向けられていきます。形として現さない限り常に何らかの後悔や罪のような意識がつくられていきます。何か満足しない、申し訳ない、うまくいかなかった、こういう思いが心に残っていきます。心の中にできるだけそういう後悔や無念をなくすために、形に現すということを意識していってください。
私はKokoという波動です。Kokoという波動は、本来の秘めたる使命を高さの度合いに応じてその神々しい姿を現していくという意味があります。神々しい姿を現すために内にあるもの、内なるものの一番高きものを表に出させる必要があります。内にある一番高きものを表に出す、そのためにはしっかりと本質を見抜く能力が要求されます。常に隠れている一番高きものが何であるのか、隠れている神々しいものが何であるのか、常にそこに意識が向くように運命付けられていきます。常に高く神々しい、ひたすらそれを見つけ、そして表現できるようにしていってください。
Tomomiという波動です。Tomomi、この波動は大いなる大いなる自然界の中で常に共に共に歩んでいる、友となり共に歩んでいる、この波動が入っております。永遠に友として〜〜。したがってこの波動を身に付けるものは永遠の友を常に意識していきます。身近にいるもの、離れたるものも永遠の友としてつくり上げていく、常にそういう意識を持っております。心の中の永遠の友、それをしっかりとつくり上げて〜。永遠の友がお互いに励まし合い、許し合いながら永遠に生きる、その素晴らしき人生をつくり上げてください。
私はYukikoという波動です。Yukiko、この波動は太古からの神聖なる波動を維持しながら必要な時に必要なことを表現する、必要な時期に必要なものだけを表現するという波動が隠されております。必要なものだけを表現する、それを行なうためにはそれをゆう時期やタイミング、勇気、表現の仕方、言い方、いろんなものが必要とされます。そういったものをいろいろ考えながら現し、そして大事なものを現していく、この波動をあなたはうまく使いこなすことができ、言うことによっていろんなものを表現していきます。自分の表現の仕方、時期や現し方、それをうまくつくり上げて、現していってください。
私はAkemiという波動です。Akemiという波動は、明らかにするという波動が入っており、物事を明らかにする、顕にして表に出すという波動があります。この波動を身に付けたるものは明らかにする、表に出すという波動により常に何かを出していきます。明らかにすべきものが何であるか、その何を明らかにすべきかが一人ひとり異なっており、またそれをうまく見抜く必要があります。あなたの場合はわざと隠されているものを明らかにしていく、封印されたるものを明らかにしていくという波動があります。そのためにはわざと封印されたるもの、わざと隠されたるものに余計に意識が向くようになっています。誰も無視すればする程余計に意識がいくようになっていたり、隠されれば隠されるほどそこに向かっていきます。それによって明らかにしていく、自分の本来の波動を理解してください。
Minekoという波動です。Minekoという波動、人間の中には一人ひとりの心の鈴を鳴らしながらもそれを音として広げていく、心の鈴の音を拡大させていくという波動があります。心の鈴をどう鳴らすか、心に響く言葉が必要です。言葉によって心を響かせていく、心が響く言葉使いをする時、本来の波動になっていきます。そのためには人によって響く言葉が何であるか、人によって響かせる言葉をうまく使い分けていく、また自分がそれだけ言葉や音に敏感になって〜、こういう学びがあります。一人ひとりの心に響く波動をうまく選べるようにしていってください。
Isaoという波動です。Isao、この波動は高きものから低きものへと勇ましく伝える、しっかりと伝えるという波動があります。高きものから下されたものを低きものへと正しく伝える、高きものを低きものへと勇ましく伝える、そのためには忠実に丁寧に正しく伝えるという波動が必要になります。ただ伝えるのではなく、間違うことなく良きタイミングにて正しく伝える、これが必要とされます。心を正しくしてしっかりと伝えていってください。
私はNaokoという波動です。Naoko、この波動は人々との関係において常に一人ひとりに的確に合わせながらも、素直に素直に流れを逆らうことなく流していく、うまく坂のように流れるように流していく、人と人との間のエネルギーを気の流れを丁寧に素直に流していく波動があります。特に坂のような高低差があるもの、逆らうもの、反逆するもの、そういうものの流れを素直にしていく、本来の流れと異なるものを本来の流れに戻していく、この波動があります。常に元の波動に素直に流していく、うまく〜〜、それなりの自分の判断力も大事に大事に育てていってください。
私はEikoという波動です。Eikoという波動には言葉から流れてくる素晴らしい波動があり、それは英才の波動やまた研ぎ澄まされ優れたる波動という意味もあります。優れたる、研ぎ澄まされたる波動、これを遠くまで流して自分の中の優れたる研ぎ澄まされたる波動を遠くまで遠くまで届けていく、こういう波動が入っております。自分の中の研ぎ澄まされた洗練された波動、これを遠くまで流せる意識を持って行動や言葉を発してください。
私はMasakiという波動です。Masakiという波動は、心を正しくする波動が込められていき、心を正しく保ち、そしてそれを維持する、正しく正しく、本来の波動に合わせてそれを維持していく、これをずっと維持しながらもひたすらそれを保つという波動を持っています。心を正しい状態に保つというのはとても難しく、常に心はコロコロ変わるために、それに変化しない動じないしっかりとしたものを自分の中につくり上げております。その波動をずっと維持し、いろいろの変わる心に左右されずに、常に自分を保っておく、そのしっかりとした波動を大事に大事にしておいてください。
私はKayoという波動です。Kayo、この言葉に形つくられながらも変化していき次の新しい形をつくり上げていく、この波動が入っております。形を新たなる形へと変化させながら又次の流れへと入っていく、この波動があるために常に次の波動を意識しており、現状にこだわらず常に次の波動のことを考えていきます。一見いろんなことで心配を招いたり、何か落ち着かない心になるのも、常に次の波動を考えてのことであり、それを不安に感じてしまうところがあります。常に次のサイクルが自分を成長させるもの、成長させたものとして理解し、それを素直に受け入れられるようにすることが必要です。次のサイクルは確実に今よりも進化している、あるいは成長しているということ、そうやって次の波動を堂々と正面から入れていってください。
Madokaという波動、このMadokaという波動は大平原の中に少しずつ形がつくられていき、そしてある一定段階になったところで一気に花が開く、一気に形ができるというサイクルを現しています。大きな大きな平原の中で少しずつアイデアが広がり、形つくられていき、そして一気に花開く、これがあなたの波動になっています。何か大きなことを達成するには、ゆっくりと時間を掛けながら成していくという波動が身に付いています。このゆっくりと時間を掛けるということ、これがあなたの流れに入ってきてます。自分自身はそういう意識はないかもしれません。というのも、この波動はある意味ではあなたの本来の波動とはわざと違うようにつくられた波動であり、むしろ新しいエネルギーを取り入れるつもりでこの名前を付けております。したがって、大いなる平原の中で悠々とした世界から少しずつつくり上げていき、一挙に花を開かせるというこの波動をあなたの中に取り入れようとして名前を付けたのです。この大いなる意識をぜひ体の中に入れていってください。
私はKazumiという波動です。Kazumiという波動は、いろいろの波動の中に自分自身の率直さや素直さをどのように維持し表現し、そしていろんな関係の中で良い状態をつくり上げていくか、いろんな波動の中で自分自身がしっかりと保つためには、どうもっていくか、それを実現するための波動が入っております。いろんな波動、その中で自分が自分であるために、意識の持ち方、自分が確立し自分が満足するための行動のあり方、それを身に付けるための波動が名前に入っている、この波動によって自分は確実に自分をしっかりと維持し、そして自分の流れを自分で維持することができます。ただこの名前を嫌っていたり、否定したり、何か合わないという思いがくると、その波動が動かなくなってしまいます。この波動から受けるもの、それをしっかりと自分の中に刻み込んでください。
Naokoという波動です。Naokoという波動にいろいろの関係の中でお互いの間の接点、人と人との接点の大事さが自分で分かるようになっており、その大事なものをスムーズに展開させていく、人と人との間の接点をスムーズにスムーズにもっていく、こういう波動がつくられております。したがって人と接する時、その接点がどこにあるのか、その接点をどううまく流れをもっていくのか、常にそこに意識が向き、又それをうまく流せるようにしております。自分のこの波動をうまく使って常に良い流れをつくり上げてください。
私はAkiraという波動です。Akiraという波動は、非常に物事をシンプルに考え、単純化させながらも深いところまで入っていく、単純化させながらも奥深いいろんなものまで洞察できるようにしていく、こういう波動があります。物事を単純化してそして深い洞察力でいろいろなものを明らかにしていく、こういう意識を持っているために、物事の考え方や単純化の仕方、またそこから何かを見つけ出す考え方、これが特徴的であり、その意識をうまく使うことができます。自分の人生の中に単純化させながらもいろんなものを明らかにしていく、ぜひそれを活用してください。
皆さん方の名前の持つ波動で一人ひとりを見てみました。名前からくる波動の情報だけなのであまり感じとか、言葉そのものには捉われないようにしてください。その発する響き、音、波動から論じております。いろんな見方がありいろんな解釈があるでしょう。自分で自分にしっくりくる解釈を採用していってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。