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2008/6/23 月曜交流会

自立するには意志を強くすること

@お金のエネルギー

私たちはお金というエネルギーの姿でやってきました。皆さん方ともこれまで毎日のようにお付き合いをさせていただいております。このお金というエネルギー、人間とどういうかかわりになっているか。お金というシステムが皆さん方人間がつくった、人間がシステムをつくったと思っているかもしれません。

実はそうではなく、このエネルギーは元々は神がお創りになり、人間が地球上に現れる前から私たちは存在していました。私たちは人間という存在が来る前からこの地球上で何万年もの間過ごしておりました。人間が初めて地球上に姿を現し、人間が知性を使っていろんなものを手にしたり、自分のものとしたり、あるいは他の人に分け与える、いろんな思いを持つ時、価値観、価値がある、貴重なもの、そういう認識を持ってやり取りしておりました。

この貴重なもの、大事なもの、これが私たちの当初のエネルギーでした。貴重なもの、自分は中々手にできないもの、他の人に中々与えられないもの、こういう貴重なものというものが私たちの始まりのエネルギーでした。そして知性が発達していき、貴重なものを自分が手にする、あるいは家族や部落で手にする、そういう風に意識が成長してきた時、家族や部落の中でこのエネルギーがあると、全員で貴重なものとして尊重し、大事にし、そして後世のものに伝えて残していく、こういう意識がつくり上げられてきました。

さらに人間の意識が成長し、いろんな価値観、いろんなものが人間の手によって作られてくると、それぞれの人間の思いの中にこれは誰にとって貴重、これは誰にとって価値がある、例えばどこどこに住んでいる人にはこれが大事なもの、どういう条件の時にこれは価値がある、暑い時にはこれが良い、寒い時にはこれが良い、いろんな価値観がつくられ、その価値観の多様性に応じてお互いの必要なものが変化してきました。

そしてお互いにそれが同じ価値観というもので交換するシステムが出来上がってきました。私にとっては今これが価値観があり、あなたにとっては今これが価値観がある、同じ価値観のもの同士で交換する、お互いが納得する価値観の元で交換するというシステムが出来上がってきました。

したがってそれは交換するもの同士が同じ価値観であるという納得をした上で交換をしていきます。他のものたちにしたらまったく価値がない、しかし交換するもの同士が同じ価値がある、そう納得していればそれで十分に交換が成立していました。そして人間の価値観がさらに多様化してくる、そうすると価値観が中々分からないという人間が登場してきました。

価値観をすぐ見抜くものがいて、寒い時期にはこれが必要、暖かい時にはこれが必要、この季節にはこれが必要、いろんなことにすぐ長けた価値観の持ち主がいれば、そういう価値観に対してまったく理解することのできない人間がいました。それで価値観をかなり見抜くことのできる人がそれを教えてあげたり、価値観の同じようなもの同士を代わりに交換してあげるというシステムが出来上がってきました。

そしてまた人間がどんどん進化してきて、価値観がさらに多様化し、価値観を見抜くものが中々身近にいないという状況が出てきました。そうすると価値観が分からないというもの同士で交換をする、価値観の理解できないもの同士で交換するという時代がやってきました。

お互いにどういう価値観が分からない、そういう時に価値観の代わりになるものがつくられていきました。目に見える貴重なもの、目に見える価値のあるもの、それで宝石類や貴金属、あるいはその人にとって大事なもの、そういったものを形のあるものとして見えるものにし、それを交換条件として使うというシステムが出来上がってきました。

誰にとっても明らかに価値があると思われるもの、美しいもの、輝いているもの、宝石類や金属類、こういったものを価値観のあるものとして一定の基準をつくり、それを交換にして必要なものを得るというシステムがやってきました。さらに時代が進むと交換として使っている貴金属や宝石類がほとんど数が足りなくなってくると、いちいち宝石類や貴金属を用意することができず、代わりに別のもので価値観のあるものを代用するというシステムが必要になってきました。

いわゆるそれが今皆さん方が使っている金銭というエネルギーになってきます。この金銭は物質的には単なる札であったり、コインであったりしており、それ自身の物質的な価値観はそれ程高いわけではありません。しかしそこに秘められている交換すべきものは、仮に一万円札という物質を見た時、常に一万円相当の物質と交換させている、人間の意識で一万円と認識している価値観のものと交換している、これが行なわれることにより一万円札には一万円という価値観のエネルギーが入るようになっていきます。

したがってもしこれが日本人ではなく、他の国の人が一万円札を見た時、おそらく何も知識のない段階に一万円札だけ見ても何の価値観も感じられないでしょう。それで一万円相当のものと交換しようと思ってもおそらく自分の心の中には何も交換した雰囲気には感じられないと思われます。

後でその一万円という価値がどれだけのものかを学んだり聞いたりした時に、初めて一万円という札が一万円という価値のあるエネルギーに変化していきます。つまり皆さん方はお金というエネルギーの価値観を自分で決めていたり、あるいは自分で認識しているだけのことであり、これは状況によって変化することが可能だということになります。

つまり日本中全体で見て一万円札が一枚しかなかった、そういう状態になれば一万円札に入っている価値観は一万円ではなくなっていきます。また逆に一万円札が大量に出回っており、今のティッシュのように自由に手に入るようになれば、また一万円札はただのティッシュペーパーになってしまいます。

人間が思っている価値観に金銭がどんどん変化していきます。皆さん方は一万円というお札を見た時に初めからこれは一万円札だという風に認識し、一万円という価値観を前提にして同じものを交換しようとします。それ自体がもう金銭のエネルギーに支配されているのです。金銭のエネルギーに振り回されており、金銭の奴隷になっているのです。金銭の価値観に負けているのです。

元々は人間が金銭をつくり出したのであれば皆さん方は金銭のエネルギーをコントロールしても良いはずなのです。一万円を一万円として使うのではなく、三万円、五万円、十万円として使うことも可能なのです。しかし頭の意識の中で一万円札と書かれている以上、これは一万円札ではないか、一万円札は一万円札以外何者でもない、おそらくそう思っていることでしょう。

これがいわゆる人間の持っている概念であり、また支配されている考え方なのです。皆さん方は常に見た目に騙されており、見たままで動かされており、周りにコントロールされているのです。現実に振り回され現実にコントロールされている、やってくるエネルギーにドギマギし、やってくるエネルギーに振り回され、そしてやってくるエネルギーに不平不満を述べていきます。

今人間にとって必要なのは自分が周囲を支配すること、自分が現実をコントロールすることなのです。自分の流れを自分がコントロールする、そのためには自分が紙幣を、金銭をコントロールする、自分が他の人間との関係をコントロールする、自分が仕事とのかかわりをコントロールする、自分が現実をコントロールする、今まさにこれを身に付ける必要があるのです。

今皆さん方がこの時期に何を学んでいるのか、今スピリチュアルな流れがどんどん人間にやってきて、人間の社会を変えようとしている、何をさせようとしているのか。スピリチュアルな勉強を始めた途端に環境がどんどん変わり、これまでの流れとはまったく違ってしまった、これまでにはなかったものがどんどんやってくる、これはこれまでの流れとこれからの流れが違うということを意味しており、新しい流れのコントロールの仕方を学ぶ必要があるのです。

新しい流れにおいては何を学んでいくのか、皆さん方が自分にかかわるすべてのものをコントロールするのです。自分で流れをコントロールする、自分で現実をコントロールする、金銭をどうコントロールしていくのか、金銭のお札やコインを手にした時、決してそこに書かれている数字、あるいは周りの人から認識されてる数値に騙されてはいけません。

千円札一枚であったとしてもそれを千円と思わず、一万円、十万円という価値があると常に認識しておくことです。確かに支払う時には三千円と言われたら千円札三枚渡しても良いでしょう。しかし自分の心の中では三万円の価値を相手に渡した、あるいは十万円のものをあの人に与えた、そう思うと相手から渡されたものが三万円なり十万円のものとして自分に入ってくるのです。

自分は額面に書かれている以上のエネルギーを手にすることができるのです。そうすれば額面的には今財布の中に三万円しかなったとしても、三万円を使いきった時に百万でも二百万でも手にすることができるのです。確かに周りの人から見たらそういう価値観は思えないかもしれません。でも自分の心の中ではそれだけ十分な価値観を得ているのです。

ただここで問題なのは、仮に相手から何かを交換しようとして三千円を払った、自分としては三万円というエネルギーの価値を相手にあげた、そうした時相手から受け取ったものが本当に三万円の価値があるということを確信しているかどうか、額面的には三千円という金銭を相手に渡したけれども、受け取ったものは三万円相当の価値があり、自分は三万円の価値のエネルギーを交換した、そこまで理解できるかどうかです。

相手から受け取ったもの、周りから受け取ったもの、一つひとつにそれだけの価値がある、それをどこまで皆さん方が確信できるかです。単純に何かたった一つお店で買ってきて、単純な食べ物を受け取った、仮に百円なり二百円という金銭と交換した、しかしそこで得られた食べ物一つが本当に今自分の欲しかったエネルギーが入っていて、本当にこの食べ物によって肉体が一番必要な栄養を手にすることができ、また他の食べ物に入っていない貴重な栄養が中に入っており、今まさに自分は三千円にも四千円にも相当するものを手に入れることができた、だから自分は三千円、四千円相当の価値のエネルギーと交換した、そこまで中身を本当に確信し、大きなもののエネルギーの交換を感じている、そこまで確信できた時には目に見える金銭以上のエネルギーの交換が行なわれていきます。

これがだんだん慣れていき確信できるようになってくると金銭という額面に書かれたものではなく、本当のエネルギーレベルでの交換がだんだん動くようになっていき、自分のたった一言のアドバイスがそれによって感動を受けた人から多くの金銭が与えられる、自分が何気なく行なった言動がその人に感銘を与え、多額の謝礼がやってくる、こういった動きができるようになっていくのです。

そうすると自分は常にいろんな大きなエネルギーが自分から発せられていき、また大きなエネルギーが自分にやってくる、こういったことができるようになり、自分は大きな価値観を常に動かせるようになっていくのです。自分から大きな価値観のエネルギーを動かしていく、自分が受け取るもの、自分のとこにやってくるものは常に大きな価値観のものばかりがやってくる、これが本当に確信でき、そして自分は常に大きな価値観のエネルギーを扱えるようになっていくのです。

そしてそれがだんだん身に付いてくると皆さん方は金銭を自分の思うように使うことができるようになっていくのです。ただ金銭を思うように使うということは、相手を騙したり、誤魔化したりすることではなく、本当に価値があるもの、本当に秘められているものと同じ価値のものを動かしていく、一つひとつのものには素晴らしいエネルギーが入っているということ、何気なく買った一見安い金銭のものでもとても素晴らしい愛を感じた、この愛には一万円でも十万円でもの交換する価値がある、だから私は十万円という価値のエネルギーを相手に与える、これを毎回信ずることにより大きなエネルギーが動いていくのです。

そうすると金銭、札やコインというエネルギーは大きな価値を動かす単なる媒介であり、そこに書かれている額面はほとんど意味がないという状態になっていきます。そうすると相手の素晴らしいものと常に自分の素晴らしいもので交換できる、こういった本当の価値のあるもの同士の交換がまたできるようになっていき、またそういう時代がいずれやってくるでしょう。

金銭のエネルギー、ぜひ皆さん方と常に自由に使えるように、あるいは意識してうまくコントロールできるようにしていってください。皆さん方の金銭に関する意識、エネルギーが少しでも変わるようにこの金銭の新たなるエネルギーを皆さん方の体に流していきます。少しこのエネルギーを体全体で感じ、金銭のやり取りをする時にこのエネルギーを思い出したり、感じたりしながら、金銭のエネルギーを交換してみてください。それではエネルギーを流してみます。


A組織のエネルギー

私たちは人間と直接交わることがほとんどできませんでした。人間と常に意識を交えながらぜひ価値観の交換を行なっていただければ思っております。こうやって人間と直接交わることができた、貴重な場に呼んでいただいたことに神々に感謝を申し上げます。そしてこの神々に多くの感謝と同じ価値観をここにいる人間たちに与えていきたいと思います。どうか同じ価値観を受け取ってください。ありがとうございます。

私たちは就職というエネルギーです。就職、人間が会社や何らかの組織というところに入る時に就職というエネルギーを介在にして入っていきます。自分という存在と大きな組織との間の窓口になります。人間が自分よりも大きな活動体、共同体や組織体の中に入る条件として就職という門を通過し、許可されればその組織の中に入っていく、許可されなければ受け入れられず別のところに行く、その窓口となっている就職というエネルギーです。

自分が何らかの社会的活動をしたい、社会の中での組織体の中に入りたい、そして就職活動をする、その時にうまく認められて合格するか、あるいは中々うまく認めてもらえずに不合格になるか、皆さん方の人間の意識からすればその会社は私の価値を認めてくれなかった、あるいは面接官が本当の私の良いところを理解してくれなかった、あるいは私とその会社との相性が合わなかった、いろんなことを意識としてつくりあげていきます。

でも実態としてはこの就職というエネルギーが皆さん方をすべてコントロールしています。この就職というエネルギーはまず企業を運営している人々のエネルギーからつくられていきます。企業は企業で一つの生き物となり、生命があり、企業という生命の中で自分が生きるのに必要なエネルギーだけを取り入れようとします。

企業や組織という生命は自分の生命を生かすのに必要なものを取り入れようとします。自分の生きるのに必要なものというのは自分の進化の流れに合っているかどうか、自分の生命をさらに生かすことができるかどうか、それによって条件がつくられていきます。そしてその企業の生命をうまく生かす人間がやってきた時、就職という門は開き、その人を招き入れ、そして自分の生命のために活躍してもらうことになります。

しかし自分の生命が必ずしもやってくる人間と合っていなかった時には就職という門は開かずに結果的に入ることはできなくなります。この就職というエネルギーで組織体や企業が求めているものと、人間が求めているものが合っているかどうかをどうやって見抜くか、人間の方でこれを見抜くのは極めて難しいと言えるでしょう。

あくまでも企業なり組織体の生命がつくり上げたものであり、すべてのコントロールは組織体の方が握っているからです。就職という門は組織体の生命が司っているからです。人間の力によってこの門が開いたり閉じたりするわけではありません。ただ皆さん方は今新しい流れを学ぼうとしております。つまり人間がすべてをコントロールする、人間が自分の流れに合うように自分の流れをつくろうとしている、今そういう学びをしております。

そういう観点から見た時、自分の思っている通りに就職という門が開いてくれれば良い、あるいは開くことを信じていると開いて良いはずだ、そのように思うかもしれません。しかしここで皆さん方に一番学んでいただきたいのは、いたるところに生命があり、生命を大事にするということなのです。自分よりも大きな生命を大事にするということ、生命には極めて大きな生命からまだ生まれたばかりの生命、いろんな生命があります。

人間一人の生命と組織体や活動体というエネルギーを見た時、大きな組織体や活動体のエネルギーの方がはるかに大きな生命を持っているのです。自分はその中で見ると小さな生命になるのです。ただ存在そのものは人間は神としての価値があり、また大きな大きな可能性やパワーを秘めております。

しかし生命という観点だけで見た時に、今皆さん方は地球上の人間という肉体をまとっているだけなのです。この人間という肉体の生命の価値観をどう見ているか、いわゆる普通の人間、二十、三十、四十代の人間という、いわゆる一般の人間と認識していると本当にそういう価値観になってしまい、自分の人間としての価値観はそれだけになってしまうのです。

いくら自分は神であると叫んだところで肉体としての生命はそれだけの生命になってしまうのです。私は神だと言っている皆さん方の神の部分は、仮に肉体を失った場合でも存在しているところに神があり、肉体を失ってしまった場合、肉体そのものは単なる肉体になってしまうでしょう。

肉体を失った肉体そのものを皆さん方は神と認めることができるでしょうか。自分が肉体を失った時、お墓に埋められた自分の肉体を神と思うことができるでしょうか。もし本当にその肉体だけを見て神と思えるのであれば、今皆さん方の肉体は神と同じ価値観を持つことができます。しかし肉体を離れて肉体だけを見て神と思えなければ単なる物質になってしまいます。もうそれも生命のない物質になってしまうのです。

それが皆さん方の肉体としての生命になります。この肉体としての生命と企業や組織としての生命では、やはり企業や組織としての生命がはるかにパワーが強く、人間をコントロールしていくのです。今皆さん方はこの社会の中で企業で働く、組織の中で働くということを通して人間をコントロールする大きなエネルギーを学んでいるのです。

企業の都合によって人間はいくらでも解雇されたり、また必要であれば大量に採用する、しかしまた不要であれば大量に解雇する、これは企業という組織が生きるために必要なことなのです。企業が生きるために場合によっては人間への給料を安くしなければならない、場合によっては退職金を出さない時もある、しかし生きるために必要であれば多くの給料を支払う、これは組織、企業としての生命がそうさせているのです。

自分よりも大きな生命があるということ、これはこの肉体のある時にぜひ学んでいただきたいのです。自分よりも大きな生命があるというとが分かった時、それをどんどん理解していけば、この地球上には地球という大きな生命がある、自分は地球という大きな生命の中で生かされているということです。

まず自分が企業や会社を自分の言うなりにしようとして、自分の生命よりも小さな生命として見るということは、地球の生命を自分よりも小さなものと思ってしまったり、自分が地球を支配しようとしているのと同じことになってしまうのです。

逆に今自分は地球という大きな生命の中で自分が生かされている、自分は地球の生命を今受け取って味わっている、そういう風に今地球という大きな中で生かされているという実感が得られた時、会社においても国においても大きな生命の中で生かされているという実感が沸いてきます。これが沸いてくると皆さん方は大きな組織の中に生かされているとうことが本当に実感できるようになり、そしてまたその大きな生命から愛されるようになります。

大きな生命から愛されると大きな生命は皆さん方の小さな生命を大事に思い、自分の生命の中に取れ入れようとします。したがってまず自分よりも大きな生命を大事にするということ、大きな生命を本当に価値があるものとして認めることが最初になります。

しかし大きな生命があるけれどもこれは人間の価値観から見て悪い活動をしている、あるいは良くない影響を与えいる、もしそう思った時、皆さん方はこの組織は良くない、悪いことをしている、そういうエネルギーを入れていき、その大きな生命に否定的な波動を送り込んでいくのです。もし皆さん方がそこに否定的なエネルギーを感じたならば、それを少しでも良いエネルギーに変える働きが求められてきます。

これは人間に良くない影響を与えている、もしそう思ったのであれば、そこで活動している大きな生命が苦しんでいるかもしれない、そこで人間のために奉仕しようとしている大きな生命が人間の邪悪なエネルギーによって苦しんでいる、何とかしてあげよう、だからこの生命の中に入って助けてあげたい、そう思うとその生命は皆さん方を必要とし、招き入れ、そして皆さん方からの愛によってその組織は生まれ変わろうとします。

しかし皆さん方が逆にこれは良くないというエネルギーをさらに出していくと、その生命はさらに汚れていき、苦しんでいきます。皆さん方よりも大きな組織は皆さん方を必要としているのです。そこに入っているエネルギーを浄化したり、愛で満たすことができるのは人間だからです。

人間が大きな生命を美しくしたり、愛で満たすことができるのです。しかし逆に邪悪なエネルギーに染まらせたり、あるいは否定的な言動を取るようなエネルギーに変えることもできます。生命は大きかったとしてもそこに秘められているエネルギーは必ずしも美しく愛で満たされているとは限りません。ただ大きな生命であることは確かであり、大きな生命は人間の生命をも自由に扱うことができます。

しかし光や愛がなければ大きな生命はどんどん邪悪な生命へと変化していきます。今皆さん方がそういった生き物に、生命あるものにどういう奉仕をしていくか、どういう活動をしていくか、まさにそれが求められているのです。皆さん方一人の人間が自分よりも大きな生命、例えば今日本という国、これも大きな生命です。

日本の人々が自分たちの国という意識ができた時に、日本という生命ができました。初めは愛国心によって国は皆さん方日本人をも愛していました。日本の人々が国を愛することにより、日本という国が日本人を愛し、他の国々から来るいろんな影響を防いでいました。日本を支配しようとするエネルギーをことごとく排除し、日本の人々のために一生懸命守っておりました。

しかし日本の人々が日本という国に大きな生命を感ずることがなくなり、日本という国を愛さなくなった時、日本という国の生命がどんどん生命が弱まっていき、愛がなくなり、今日本の人々の一人ひとりからの愛と光が受け取れなくなっているのです。そのために日本という国が他の国々から利用されるようになり、むしろ他の国々から生命が入ってきて、他の国の人々の思いによって日本という国自身が変化していっております。

日本という国が日本以外の人々の生命に動かされている。とても悲しいことです。自分よりも大きな生命、国にしても、会社にしても、地球にしても、彼らは一生懸命生きており、人間をとても大事に思っています。また彼らのエネルギーを光と愛に満たすことができるのも人間なのです。

ぜひ人間一人ひとりが自分よりも大きなものの生命というものを感じて、そして人間がすべてを自分のものにしようとせずに大きな生命を感じれば大きな生命、偉大さや尊厳、感謝を感じて、大きな生命を大事にする心を身に付けるようにしていってください。ではアドバイスをしてみます。

Sayakaさんの生命というエネルギーでアドバイスをします。あなたとあなたの今大きな生命との意識を見た時、あなたはある意味では自分よりも大きなものに対して尊厳を持っていたり、感謝を感じたりする波動があり、それによってあなたは大きなものに生かされ、愛されているところがあります。しかしその反面、人間の生命を見た時、他の人の価値観をまた軽く見てしまうところがあります。大きなものの生命を確かに尊いもの、貴重なものとしている反面、他の人をあまり強く見ていないところがあるのです。やはり人間一人ひとりの生命も大変貴重なものであり、偉大なものであるのです。大きなものから愛されることは確かに大事でしょう。でもやはり同じ人間からの愛と光も同じ位大事なものであり、またあなた自身も他の人間同士の愛やエネルギーの交換がとても大事なのです。肉体が生きている実感というものを得るためには、他の人間同士の生命の交換が必要なのです。他の多くのいろんな人々と交流したり、生命を交換することにより、人間としての喜びが満たされていきます。ぜひ人間としてのエネルギーの交換を大事に又するようにしていってください。

Madokaさんの生命というエネルギーを見た時、あなたの場合は他の多くの人々の心や思いをとても大事にするところがあり、何とかして多くの人に良いところを少しでも認めてあげたり、その人が輝くような表現をとってあげたり、他の人の心をとても大事にするところがあります。しかしその反面、大きな生命に対して時々あまり考えていなかったり、あるいは考えていても当然、あるいは偉大であって当たり前という感覚があり、生きているという実感が少し弱いところがあります。たとえどのような生命でもそれこそ人間から良くないものと言われたり、悪いような評価をされる大きなものであっても、生命はしっかりと頑張って生きているのです。良くないとかいろんな価値観は人間のつくり上げた価値観であり、生命そのものに良い悪いはないのです。生命そのものは自分の生命のために一生懸命生きているのです。それは寒いところに行けば寒い中でも一生懸命熱をとろうとする肉体に変わるように、暑いところに行けば一生懸命熱を放出しようとして肉体は変わるのと同じように、今の人間の意識の中で生きようとすれば人間の意識に合わせて生きようとして必死になっているのです。大きなものは大きな生命が一生懸命生きようとして頑張っている、あなたがそれを実感し、また理解できた時に大きな生命はあなたに大きな門を広げ、あなたを受け入れ、そしてあなたを大事に大事に認めようとするでしょう。そして今まさにそれが行なわれているところであり、あなたは大きな生命の中でこれからいろんな光を与えていくことになります。ぜひ大きな生命というものを感じ、そして尊厳や尊さ、いろんな思いを感ずるようにしてみてください。


皆さん方がこれからいろんなものを生命という観点で感じ、そして最終的には地球という大きなエネルギーが皆さん方と交流し、お互いに愛し愛され、生かし生かされることができるように、お互いが光輝くようになるのを願っております。それではここで少し休憩を取ります、ありがとうございました。


B思いとおりに生きることが必要なのか

私たちはハイアラーキーの仲間としてお話をいたします。一人ひとりがこれからの自分の流れをつくるのにあたり、思っている通りに中々進まない、周りの環境と自分の願っているものが一致しない、こういうことはこれからも何度も起こることになります。

というのも、元々この地球という世界、あるいは物質的な世界そのものがそういう仕組みになっており、一人ひとりの思っていることが自由に行なわれるという世界ではないのです。それぞれ思いや波動、本質的に持っているエネルギーが一人ひとりまったく異なり、考え方も進化のレベルも意識レベルも皆違っている、違っているもの同士が一つの場で一緒に生活する、そういう時にそれぞれが自分の思っている通りに現実化すると、実際にどうなることが起こるのか。

もしそれを行なうのであれば、やはりパワーのある人や力のある人、権力のある人がその世界を支配することになります。そして弱いものは大きなものの中で支配されていき、それによっていろんな人々の生活が成り立つことになります。しかし一人ひとりの持っている波動や価値観を大事にし、尚且つまったく異なる意識レベルの人々が思い通りに生きるには、お互いが心から相手を尊重することが必要になります。

自分ができる範囲と周りの人や環境、他の人々ができる範囲を自分が理解し、それぞれのできる範囲内で自分ができることを行なう、これを理解する学びが必要となるのです。今この肉体を持った世界においては、自分の思いを100パーセント達成するのではなく、周りとのいろんな意識レベルや環境の中で、周りの人を生かしながらいかに自分を生かしていくか、そのバランスを考えたり、調和を考えることが必要なのです。

自分の好きなことを100パーセント行なうというのは、それはスピリットの世界で可能になります。そしてそれはいつでも自由にできることなのです。今この肉体という貴重なものを身に付けている時には、むしろ自分がしたいことを100パーセント行なうのではなく、周りがしたいことを考え、その範囲内で自分ができることを考えていく、周りができることを100パーセント生かしながら、自分が100パーセント生かせることを可能性として考えてみる、それを見つけていくのが人生の生き方になります。

したがってそれはスピリチュアルな学びを初めてすぐに可能になるわけではありません。いろんな人の価値観やいろんな生命、いろんな生き方、それぞれをいろいろと自分が見つけ、発見し、そして自分自身を見つけていく、その果てにその生き方が可能になります。

したがって今それを手にするのではなく、いろんな人々と交わったり、いろんな生命と交わって、そして自分なりの生き方を少しずつ見つけていく、そういう目で自分の人生を見るようにしていってください。それではここまでにいたします、ありがとうございました。


(c)2008 CentralSun
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