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2008/4/28 月曜交流会

生命進化の流れと

@執着があると先に進めない

私は生命を管理する監督者としてやってきました。先ほどの皆さん方の話において、いろんな質問と説明がなされておりました。人間が自殺をしたらどうなるか、こういう質問がありました。自分で命を絶つ、肉体のやるべきことを途中で放棄する、単純に考えるとこれはとても大きな罪を背負うことになります。

しかし、じゃあ自殺した人の全員がとても辛い罪を背負ったのか、確かに多くの人はそれなりの反省なり気付きが必要とされますが、中にはそれをどうしてもやむを得ないものとして持ってきているケースもあります。例えば、地球上に残っているいろんなエネルギーの中で、多くの人が混乱の中で迷ってしまい、もうどうしようもなくなってしまった、これ以上まったく行き場がなく、さらに地上での生活が不幸になるだけの流れしか有り得ない、そういう流れに陥った時に、その流れを切り替えてしまい、新しい流れにつくり変える試みがあります。

そうするとその流れを一度そこで停止させ、新たな流れをつくり、そして新しい流れの中に移す場合があります。そのために一時的に同じ時期に亡くなった人すべてを持っていき、新しい流れに移し変えるということが行なわれていきます。ほとんど同じような条件で同じような状況で亡くなった人を集めて一つのエネルギーの場をつくっていきます。

流れにおいて死を選ぶ人がいる場合もありますが、中にはまだ肉体的な死の条件を満たしていない場合もあります。肉体的な死の条件を満たしていないにも関わらず、新しい場のエネルギーに切り変わらなければならないという状態にある時に、自らで命を絶つということが行なわれる場合もあります。

したがって自殺という一言ではすべてを説明することができず、その時その時何が起こっているかを見なくては分からないことがあります。一般的に言って個人の事情、何らかの身勝手な行動や、あるいは見せつける、自分の存在を示そうとする、表現を現す、自分なりの思いやエゴ的な思いから行なわれる自殺という行為は、これはそれを自分で戻ってきたエネルギーを体験せざるを得ないために、とても辛い世界が待っていることになります。

しかし一般にそういう思いを持って自殺した人は、自殺したということに中々気が付かず、向こうの世界に行なっても同じように身勝手な行動を取り続けることが多く、自分について分からないままただ流れを進めていく場合があります。エゴ的な理由ではなく本当にもう肉体を維持することができない、このままでは自分のみならず家族全員が苦しんでしまう、もうこれ以上まったく生きることができなくなった、そういう場合の自殺という行為は、これはある意味では自然の死と同じ状態を与えられることがあり、必ずしも自殺ではなく一つの必然的な流れとして見られる場合があります。

こういう場合では明らかに自分がもう命を亡くし肉体から去ったということが分かれば、その段階で次の世界に向かうことができます。しかしまだ自分が死んだということに気が付いていない場合、肉体を放棄したにも関わらず、まだ肉体的な思いを身に付けている、これは何らかの執着やしがらみが三次元のところに残っており、完全にこの世界を放棄したわけではありません。

それが何に対する執着なのか、わが子や家族に対する執着なのか、仕事に対する執着なのか、そういう執着を自分で断ち切るまでそこでの学びが続くことになります。しかし単にもう生きていくのが嫌になった、もう毎日生きているのが辛い、あるいは面倒臭い、人と話をするのがやってられない、そういう現実逃避から自殺という道を選んだ場合は、ほとんどの場合やるべきことがまだ残っており、そのまま向こうの世界にスムーズに行くことができなくなってしまいます。

また自分が死んだということに気付くことも難しく、結局はただ呆然として、ただそこに存在しているという状態で時間を過ごすことになります。多くの自殺者の場合、そういう感じでただそこにずっと残っている、ただ存在している、そういう意識でいるために、中々気付くことが難しく成長することも難しい事態になります。

自殺者といっても人によって一人ひとり事情が異なり、もし皆さん方がそういう人々に何かをなしたいのであれば、自分の意識に気付くように、もう死んだということやあるいはこの世にいないということ、自分の持っている執着を手放すこと、そういったことが分かるような光を当てたり、あるいはそういう意識を持つことが必要になります。


A命の責任

私は今ここに呼ばれてやってきました。なぜここに呼ばれたのか、ここが何なのかは分かりません。少しずつ記憶が戻ってきて、何かずっと夢を見ていた感じのように思われます。何か少しずつ夢を思い出している感じになってきました。あぁ、私も肉体を持ったことがありました。あぁ、そうです、周りの人が皆嫌になったのです。誰も分かってくれなかった、誰も理解してくれなかった、どうして分かってくれないのでしょう、辛かった。

言っても言っても理解してくれなかった、私はもう嫌になって皆から離れようとします。そのままボーっとしていました。少しずつ思い出してきます。私はやるべきことがありました。その時家族でのいろんな問題があり、それを修復する役割を持っていました。それぞれの考えが異なり、事情があるために常に家族がばらばらになっていました。それを直すために役割を持って誤解を無くしたり、一方的な思いを広げないようにしようとしてやってきました。

しかし家族の中で一緒に生活していると同じような場になってしまい、結局は一つにまとまらず、常に対立する波動になっていきました。言っても言っても分かってもらえないために私は途中で諦めてしまい、もうどうにでもなれと思ってしまいました。それによってさらに良くないことがたくさん起こってきました。

どうでも良い、どうにでもなれという思いがさらに悪くさせてしまったのです。どうにでもなれという思いは絶対に出してはいけないのです。何とかしよう、常に何とかしようと思うことが必要でした。どうにでもなれという思いが私の人生を狂わせてしまいました。あぁ、私は今どうしたら良いのか、どうにでもなれという思いを何とかしなくてはいけない。

今私は神の言葉を受け取りました。肉体として体験している人の近くでどうにでもなれという思いを持っている人の近くにいって、そうではなく何とかする、少しでも良くするという思いを持たせるように、少しでも良くしようという気付きが与えられるように、そばにいるように言われました。

それによって私は自ら命を絶ったという責任を取戻すことができる、そう言われました。私はこれから必要なところに移され、どうにでもなれという人の思いを何とか良くさせるという思いに変えていきたいと思います。私のために機会を与えてくださった神々に感謝を申し上げます、ありがとうございます。


皆さん方の毎日の現実、分からないこと、理解できないこと、辛いこともたくさんあるかもしれません。でもそれこそが人生であり、また人生としての面白さでもあるのです。決まりきった人生を生きるのが本当に楽しいでしょうか。多くの人が運命を尋ねたり、カルマや過去性を聞き出そうとしたりしています。そういう情報が本当に自分に喜びを与えるでしょうか。

皆さん方の人生は自分でつくるものです。本当につくれるのです。自分でどういう人生をつくっていくのか、どんな人生でもつくることができるのです。いろんな人生の可能性を皆さん方に与えているのです。何をしたら良いかよく皆さん方はそういう質問をします。しかし皆さん方にとって必要なのは、何をするかではないのです。何を見つけ何を発見し、何を受け取っていくのか、誰を愛するか、自分が何を身に付け何を自分のために取り入れていくか、本当にそれが大事なのです。自分にとって一番大事なものが何であるか、常にそこに意識を向けるようにしておいてください。それではアドバイスをしてみます。

Kaori.Tさんのエネルギーを見た時、人生についていろんな思いがあるでしょう。今自分に流れているエネルギーは、これまでのいろんなエネルギーと新しいエネルギー、また自分が新しくつくり出しているエネルギー、これらが複合的にやってきて、大きな大きな変化をもたらそうとしています。これからやってくる現実はこれまでとは違う大きな流れをつくり出していきます。これまでできなかったこと、これまで自分の世界では無理だと思っていたところに意識を向けていってください。それがかなり現実の中に降ろされていきます。これまでやろうと思っていてできなかったこと、願っていたこと、あるいはやるべきだと信じていたもの、それが自分の流れの中に入ってきます。それをすべて受け入れ信じていく、自分はその流れを確実に歩んでいる、そう信ずることによって確実に自分の世界が出来上がっていきます。これからの流れを自分の中に引き寄せ体験していく、そしてそれを確実に喜びをもたらし、自分のためになることを信じて現実を歩んでいってください。

Akemi.Aさんの流れのエネルギーを見た時、あなたの魂はとても素直で忠実で計画性のある波動を持っています。非常に丁寧に、そして確実に流れをつくっていきます。この波動をあなたが使いこなすために、一つのパタンをつくり上げていきます。このパタンをつくることにより流れを自分なりに理解しやすくなるのです。この流れのパタンを自分なりに見つけ、つくり出し、現実に当てはめていく、そうすると自分なりの理解できる現実が見えてきます。ただこのパタンの合わせ方にまだ自分の能力が追い付いていないために、漠然と考えているパタンのようなものと、導き出そうとしているパタンが一致しないために、どうしても自分の都合の良いようにパタンをつくり上げてしまいます。したがって方向性としてそのパタンをいかに自分の流れに合うパタンに変えていくか、そのためには現実を素直に丁寧に見ることが始まりになります。現実の中にその流れが隠されており、現実を見ていくと次のパタンが見えてくるのです。現実をしっかりと見つめ、思い込みや先入観ではなくただそのままの現実を見ていく、そこからパタンを見つけていく、ぜひその意識を身に付け、そこから自分の生き方を見つけ出せるようにしていってください。

自分なりの現実を歩む上で自分の思っていること、あるいは他人からの影響、社会の流れ、いろんなものがぶつかり合って自分の思いが中々うまく現実化されないこともあるでしょう。しかし理解してもらいたいのは、思うようにいかないとか、うまく進まないという現実そのものが自分がつくり出したものであるということ、他の人の流れを止めたり、他の人をコントロールして他の人の思い通りにさせないようにした、このエネルギーが自分に戻ってきて自分の流れが進まないようにされているだけのことなのです。

もし自分の現実を望み通りに思い通りに進めたければ他人の流れを邪魔しないことです。他人の自由意志、他人の選択肢を妨害しないこと、自分のやりたいことを他人に押し付けたり、他人の選択肢を奪ってしまったりすることのないように、他人の自由意志を尊重し、他人を自分のやりたいようにさせていく、そうすると自分の流れもスムーズに進むようになります。他人に与えたエネルギーが全部自分に戻ってくる、ぜひそれを現実の面で理解するようにしていってください。それでは少し休憩を取ります、ありがとうございました。


B魂の目覚め

今魂の目覚めについての話がありました。一般に魂の目覚めという場合は、魂本来の持っている波動がその人の人格的なものにどの程度影響を与えてきているか、自分の個人の好みや思い、言動が魂の持っている波動とどの程度噛み合っているか、これが魂の目覚めや活性化と類似している状況と思われます。

普通の人の場合には魂が活性化するまでの準備段階があり、小さい頃の体験や学び、家庭などの環境を通してやるべきことがあり、それは一般に魂とは別のレベルで仕組まれる場合があります。そして幼少の頃のいろんな体験を経ながら、魂の波動を少しずつ人格的なレベルで思いのレベルで受け入れていき、そして興味を持ち、学び、それなりの練習を積み重ね、魂のいろんな波動を引き下ろしてくる、そういうことが行なわれていきます。

いわゆる青春の頃何かに没頭してチャレンジして能力を身に付けていく、技能を身に付け、知識を身に付け、やりたいことをどんどんやっていく、これは魂の波動を引き降ろしたり、活性化している状況と言えるでしょう。したがって人によってはかなり小さい頃にそういうことを意識し、小さいながらもいろんなことを興味を持ってどんどんやっていく人、逆に小さい頃はそういう環境になくむしろ大人になってから、成人になってからやりたいことに出会い、どんどん興味を持って進める、こういうことがあります。

こうやって自分のやりたいことをどんどんやっていく、これが魂の活性化に関連しているものと思われます。そういう意味で人間人生のうちでいつかの時点で何かに興味を持ち没頭する、そういう時期を体験するのは魂の目覚めにとても良い時期と言えるでしょう。もしお友達の中でそういう人々がいたら、それが魂の目覚めや活性化に近づくということ、また調度そういう時期にスピリチュアルな勉強をしたり、アティベーションをすると魂との繋がりがより密接になっていくということも伝えておいてください。それではここまでにいたします、ありがとうございました。


(c)2008 CentralSun
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