和の国の人々は一つひとつの知性や能力、特質を生かし、発展させ、それらすべてを組み合わせてより高度なものをつくり上げていく、こういう能力を持っております。和の能力は神の能力の出発点でもあるのです。神になる前は一人ひとりは自分の能力を磨き、発展させる、自分が誰であるか、何者であるかを探し求め、自分の能力を知り、自分を生かすということを目標として歩んできました。
自分が何者であり誰であるか、これを求めているものがまだ学びの者たちです。それを理解し、自分のやるべきことが分かった時、神の学びに入っていきます。神の学びでは一人ひとりが自分が何者であり、役割が何であるかを理解している者たちを和として統合させていく、さらに高次の新しいものをつくり上げていく、この学びに入ります。
自分が何者であり何をなすべきかを理解した者たちは、自分のやるべきことに邁進していきますが、そこに神の和の働きが入ることにより、自分の理解した世界以外のものが影響を与え初め、自分はこういう役割がある、自分はこうすれば良いと思っていた考え方が合わなくなってきます。
自分をマスターしたつもりが、マスターして回答を得た自分とは違う流れに入っていく、ここでマスターした者たちはまた分からなくなっていくのです。そして自分という意識がまたこれまでとは違う意識の波動になり、自分という感覚がまた大きくシフトし、ただ存在する、ただ在るという状態へと進化を進めていきます。
自分という考えからただ存在するという状態へと変化する、これが神への第一歩になります。皆さん方の肉体のレベルにおいても神の学びが同時に行なわれていきます。私はこれを望む、こうしたい、いろいろ自分の思いがあり、自分の人生を豊かなものにしよう、自分の人生を満足のいくものにしようと考えます。
そうして自分の役割が分かり、自分の流れが見えた時、自分はこういう人生なのだ、このために生きてきたのだという自分なりの解答が得られます。しかし自分の人生がそこで見つけられた場合、そこで学びは次の段階へと移行していきます。自分の人生はこうやっていけば良いんだ、そう思った途端に次のサイクルに入り、自分という意識、自分の人生という意識に疑問を投げ掛ける現象が起こってきます。
どこまでが自分なのか、家庭生活を見た時、自分という意識はどこまで関与するのか、パートナーとの間においてどこまでが自分なのか、会社の経営者にとってどこまでが自分なのか、国や自治体の長においてどこまでが自分なのか、国の国家の元首や代表においてどこまでが自分なのか、自分という意識について学びを深めていきます。
家族において、パートナーにおいてどこまでが自分なのか。当然一人ひとりも自分という意識を持っており、自分の人生があります。一緒に生活し、権力も力も経済力もあるものが全体をまとめていたとしても、それでも一人ひとりの人生があります。一人ひとりの意志があり、一人ひとりの世界があります。
全体を見ているものは自分という意識をどこまで反映させるのか、これはとても大きなテーマになっていきます。力のあるものが全体を自分の力でまとめようとする、自分の力を最大限に使って全体を自分のやり方で進める、これは強引であるように見えても結果的に全体がまとまるという効果もあります。
仮に全体をまとめることなく一人ひとりを自由に行動させた時、おそらくバラバラになり、全体の成長が留まり、常に分裂を起こす方向にいくでしょう。したがって、どういう形であれ全体を一つでまとめるという意識そのものは全体を破壊させない一つの方法にはなります。
しかしその力が強すぎるとそのメンバーの一人ひとりがやる気をなくしたり、意志を弱くしたり、あるいは単にロボットのように動く状態になってしまいます。これは結果的に全体を生かしていることにはならず、一人ひとりを殺している状態になり、全体としても死んだまとまりになってしまいます。
全体を一つにまとめながらも一人ひとりを殺すことなく、一人ひとりを生かすシステムとしてどういうやり方が望ましいのか、一人ひとりを生かすためには一人ひとりがやる気を持って自分から自発的に行動できる形態でなくてはなりません。一人ひとりを生かすやり方、そのためには一人ひとりの個性や能力を見抜く力が必要となります。
つまり全体をまとめるものはそのメンバー一人ひとりの個性や特質、能力を見抜く力が必要となります。仮にこれは最小メンバーの二人という形態においても当てはまります。相手の能力や特質、特徴をどまこで見抜いているか、相手をよく理解している人が全体をまとめるようにもっていくと、一人ひとりの特徴を生かしながらも全体がうまくいくという形をつくることは可能でしょう。
ただ今の日本の社会において、全体を理解しながら一人ひとりも生かすという波動はまだそれほど完成されていないために、現在皆さん方がつくっている最中と言えます。全体を知るものが一人ひとりの能力を理解して生かしていく、これを目標にしていても今の日本人の意識レベルにおいては、結局は全体をまとめている人が自分の利益に合うように、自分が得をするように運営させており、そのために全体が一つにまとまることなく、むしろ反発したり言うことを聞かないという現象が起こってきます。
全体をうまく理解しながらも一人ひとりを理解する、さらに自分の欲をもコントロールしていく、それによって全体をうまくまとめることができます。今の日本においてはこの形が最小人数となる二人の場合であってもこれを身に付けていく必要があります。二人、例えばパートナーとか友人の間で、相手をよく知りながらも自分をもよく知り、自分をコントロールして全体がうまくまとまるように働き掛けていく、こういう意識が必要となってくるのです。
これからの流れにおいて、日本の社会が大きく変化していきます。これまで力を強く発揮していた男性的な波動は徐々に徐々に人間の心から見えなくなっていくでしょう。しかしそれは日本の男性の波動が消えていくとか、消滅したという意味ではなく、その日本の男性の波動をしっかりと身に付けている人が地球からどんどん出ていくという状態を意味します。
この地球には生存できなくなり、彼らにふさわしい場へと移行することになります。そのためにこれまでの日本の男性の意識にしがみついているものはいずれはこの地球から追い出されることになるでしょう。しかしまだまだ心を変える時間は残っており、少なくとも今肉体生活を送っているものは、お互いの協力によって心を変えることはできます。
肉体を持っているうちはまだ学びを進めることができ、自分で気付くこともでき、自分で変えることができます。今肉体を持っているものは自分の力で自分の心を変えるチャンスがあります。これは肉体を持っているものにとって又とないチャンスであり、むしろ今それを行なわなければならない時期にあります。
今肉体を持っているものは自分をよく見つめ、自分の中の古い考え、執着している考えを見抜き、そしてそれを手放すワークが必要になります。日本の男性の多くはどうしても男性が中心という意識が身に付いているために、自分よりも優れた女性や口答えをする女性に対して無意識的に反発したり、気に食わないという波動をつくり上げていきます。
これはある意味では心のレベルで染み付いている波動であり、言われても中々変えることのできない波動とも言えます。この日本人の男性の波動を変えるには、本当にその波動が意味はなく、むしろ悪であり、必要ないということをしっかりと理解する必要があります。
他人をコントロールするということがいかに宇宙の法則に反しているか、自分の範囲内に相手を入れてしまうということが宇宙にとっていかに悪なのか、これを理解する必要があるのです。この男性の心のゆがみをしっかりと直していき、そして新たなる時代に向けて新しい波動へと切り替えていく、まさしく今それが求められております。
今後の新しい時代に向けて男性的な意識をどんどん変えていく、宇宙から見て調和とバランスの取れた仕組みへと変えていく、そのためには男性も女性も同じ人間として、同じレベルの人間として対等に接していく、お互いに個別の意識を持ち、個別の人生を歩んでいる人間であること、お互いが平等であることにいかに気が付いていくか、そういったことをしっかりと身に付けていく必要があるでしょう。
今後の流れにおいて、今まさにそれを行なえる人間と、それに抵抗していて行なえない人がいるでしょう。本人が自分から変えない限り他の誰をも助けることはできません。あくまでも自分で自分に気付き、自分で変えるしか方法はないのです。したがって、周りの人は無理して変えさせようとか、無理してそうさせようとする必要はありません。
無理強いをすると必ず自分に戻ってきて自分がコントロールされるという現実をつくり上げていきます。ですから自分自身は他をコントロールしようとは一切考えないようにしていってください。
私たちはシャンバラの世界に向けて一緒に学んでいる仲間と思ってください。皆さん方が目指している新しい国々は、今のどの状態よりも美しく波動が高く、そして神聖な場として定着していくでしょう。人々がそれぞれ喜びに満ち、活気に溢れ、自分の望んでいることを行いながらも全体が常に調和のとれた社会を維持している、とても素晴らしい時代がやってくるでしょう。その時代を迎えるにあたり、今皆さん方は最後の段階を通っております。
本当に自分自身を完全に神に預けることができるかどうか、まだ自分の世界にこだわっていないかどうか、自分の人生と理解してまだ自分だけの中に閉じこもっていると、それは神の考えとは違うものになっていきます。多くの人は自分の人生を自分だけのもの、自分が満足するものとしてつくり上げています。
しかしそれは神の観点から見た時、一人ひとりの人生とはなっておりません。神から見た時、一人ひとりの人生も常に他人のために、世界のために、宇宙のためにつくられており、自分の人生だけが満足できる流れにはなっていないのです。地球のため、宇宙のために必要な役割を担っており、自分が喜びを感ずるかどうかは別問題となります。
確かに宇宙から見た役割を一人ひとりが演じ、それで一人ひとりが満足するという状態であれば望ましいことかもしれません。でも実際にはそういう現象はほとんどなく、一人ひとりの人生も常に分からないこと、疑問などが存在し、完全に自分が喜びの中にひたるということはとても難しいのです。
自分の人生を喜びで満たそうというのはある意味では進化の法則を勘違いしており、進化すればする程楽になるという勘違いをしているのです。むしろ進化すればする分からないことが増えていき、コントロールできないものが増えていきます。自分がすべてをコントロールできるのは本当に今の一瞬の時間だけであり、進化すればする程コントロールできないものが増えてくるのです。
そして最終的に一人ひとりどの生命体もすべてコントロールできない、すべては自分の思い通りにはならない、そういう境地に至ったのが神という存在です。神は一人ひとりに思う存分に人生を与え、つくらせております。神の思いはあったとしてもそれをどう成し遂げるかどうかは、一人ひとりの自由に任せております。
確かに神の言う通りに動く人もたくさんおります。しかし動かない人もたくさんおります。それ自身神から見てある意味では挑戦であり、神としての役割をまっとうしているのです。波動が高くなったからすべて思い通りにいく、進化すれば自分のペースで生きられる、それはすべて勘違いであり、理想論であり、実際にはそうはなっておりません。
あくまでも自分は自分でしっかりと自分の道を歩み、そして自分が理解できる範囲内でのみ自分はコントロールできる、進化すればする程コントロールできないものが増えていく、そういう流れを理解しておいてください。それではアドバイスを差し上げます。
Namikoさんの波動を見た時、あなたの大いなる魂は、今あなたに対しとても喜びを感じております。あなたの本質的な波動が何であるのか、あなたの本来の波動がどう働くのか、それを理解するのにとても大切な学びを進めているのです。あなた自身もいろんなケースにおいて自分の言葉で相手を動かすという役割を演じてきました。言葉で相手に影響を与え、相手の流れを変える、こういうことを得意としておりました。言葉に潜むパワー、言葉のエネルギーをとてもよく理解していたのです。そしてまたそれを受ける側の体験をも今行なっているのです。言葉のエネルギーでコントロールされる、言葉のエネルギーで向ってくる、結局自分が他に対して言葉を使って動かした部分と、自分が他からやってきて言葉で動かされる役割の両方を体験しているのです。これをうまくもっていかせるためには、言葉で他人を変えさせようとする思い、あるいは言葉で自分を変えさせられるという思い、これの両方を見つめていき、自分に一番良いと思うレベルがどこなのか、自分が相手に対し言葉を出す時、期待や思いを込めて発していれば、同様に相手から期待や思いを持って自分に言葉が戻ってきます。しかし自分が他に対しただ選択肢を言うだけ、こういう方法がある、こういう方法もある、ただ選択肢を示すだけであり、あえてどれが良いかとか、そういう指図をしなければ自分に対しても選択肢だけが与えられ、どうこうせよというコントロールの波動はなくなっていきます。あくまでも自分が発したものが自分に戻ってくる、今それを如実に体験しているところであり、基本は、じゃ自分がどう言葉を発していくか、思いを持って言うのではなく、単なる選択肢だけを述べ、単に事実だけを述べる、そういう練習をしていくと流れはもっとスムーズに展開するものと思われます。
Kimioさんの波動を見た時、あなたのハートのエネルギーにおいて、人間関係の波動の中で他との折り合いがうまくいかない時に、自分が妥協すべきか、それとも自分の思いを徹するべきか、これをよく考えたりします。妥協をしようかと考えている時は、主にそれによって自分が変に思われたらどうしよう、嫌われたらどうしよう、そういう感情から起こされるものであり、それは本質的な正しさではありません。確かに良く思われなけれは感情的には不愉快であるかもしれません。しかし一番大事なのは正しい行動を取っているかどうか、自分が正しい行動を取っていなければ仮にそこで妥協したとしても必ず何かが心に引っかかってきます。変に思われるのが嫌だから今回はこうしておこう、そう思っているとどうしても正しい行動ではないという意識が心に残り、それによって正しくない行動を取ったという波動が出ていき、正しさを理解させる学びが引き寄せられてきます。正しさを追求すると人間関係がぎくしゃくしてくる、これもよくあることです。正しさを追求するあまりに嫌われてしまう、孤立する、こういったことは大昔から繰り広げられており、誰かは常に正しさを言葉にしていなければなりません。したがってケースバイケースとなり、もし周りのどこを見ても誰も正しさを口に出していなければ自分がそれを口に出す役割を担ってきます。しかしすでに周りに正しさを口に出している人がいて、あえて自分が言うまでもなければ自分はその範囲内でごく普通に行動することができます。つまり全体を見た時に全体を正しさの方向に向っているかどうか、もしそれを誰も行なっていなければ自分がその役割を担っていく、そういう風にその場その場において自分の必要なことを考えるようにしてみてください。
Akikoさんの心の波動を見た時、あなたの心の波動に自分自身という感覚がおおまかなところで広がっており、多くの人の感じている自分とは違う意識の自分が出来上がっております。ある意味では限界がないという意識でもあり、またある意味では明確な自分という意識が確立されていないという言い方もできます。これはより多くの人と繋がる面においてはとても良い波動であり、いろんな人との接点をつくることができます。しかしその反面、理解する、分かち合うという波動がとても弱く、単にいろんな人と繋がりをつくるだけで留まり、分かち合う、理解するというレベルまで掘り下げることができない状態になります。多くの人と繋がった上でその人にしっかり繋がったり理解し分かち合うためには、思考のレベルでの接点が必要になります。思考のレベルの接点というのはいわゆる同じような考え、同じような考え方を通して繋がっていく必要があるのです。この思考において他の多くの人と同じような考え方という見方で論ずる時、あなたの思考の形態は他のどの人とも異なっており、同じような思考形態で分かち合うことが難しくなっております。そのために分かち合うというやり方が思考でのやり方ではなく、感覚的なやり方になっていきます。感覚的なレベルでの分かち合い、理解になっており、これは論理的なレベルでの分かち合いや理解とは異なる状態になります。そのために本人が分かった、理解したという状況と、相手の人が分かった、理解したという状況がまったく異なるケースがあります。今後の人間関係の繋がりを見た時、必ずしも思考のレベルですべてに合わせるということは意味があるわけではありません。というのも今の現代人の多くの人の思考は必ずしも正しい方向に向いているわけではなく、自分が得する方向、自分が目立つ方向、自分が良く思われる方向にだけ向いているために、多くの人に合わせたからといってそれでうまくいくとは限らないのです。しかしそういう波動を避けていたとしても他の人と接することにはなりません。したがって、他の人と接するためには同じような思考法でありながらも、方向性が今とは違うという考え方を調べていく必要があります。つまり物事がうまくいく、正しい方向にいく、進化する方向にいくという考え方を養うことはとても良いことであり、それは今の多くの人と繋がることができます。ただ多くの人の考えはさらにそれを自分だけのもの、自分が得し、自分だけがうまくいき、自分が人よりも少しでも上にいくという考えの中でもたらされるものです。したがって、あなたの場合には必ずしも自分や自分だけがという意識はつくる必要はなく、ただ単純に具体的に良いこと、うまくいくことを考えていく、論理的に正しい方向へと導ける考え方を養っていく、そうすることによって他の人との接点が出来上がってくることになります。したがって、これからそういう思考法を考え、身に付け、他の人との接点をつくり上げながらも、でも相手に合わせて自分だけがという状態に入ることなく、全体がうまくいくという方向性でのみ思考を使っていく、そういう考え方を身に付けるようにしてみてください。
皆さん方の思考や感情についてお話をしてみました。今日本の社会は本当に古いもののエネルギーによって牛耳られており、若いものがそのコントロールの中で苦しんでおります。これをただ崩壊させようと思っても昔のエネルギーがとても強く崩壊することはとても難しい状態にあります。
何かに頼って一瞬にして変わるということを期待するより、一人ひとりが自分から変わっていく、自分で変えていく、その力によって初めて変わることができます。まずは皆さん方一人ひとりが現状を理解し、自分から変わるということ、自分から変わることによって日本が変わる、ぜひその意識を身に付けるようにしていってください。それでは少し休憩をとります、ありがとうございました。
それと共に一人ひとりの行動自身も改めなければなりません。政治家や経済の人々が国民に見せているのは、国民一人ひとりにある心を見せているに過ぎません。結局は国民の一人ひとりの政治や経済の心を政治家や経済人に見せているに過ぎません。
自分たちが政治にどういう思いを持っているか、これまで自分は特に政治に関与せずにただ政治家がうまくやってくれれば良い、とにかく国民のために都合良くしてくれれば良い、そういう意識でいたので政治家たちの心をおごりにさせ、国民を自由に操るという状況をつくりました。
国民がすべて政治家に任すという意識ではなく、一人ひとりが政治に介入する、一人ひとりが政治のエネルギーを変えていく、一人ひとりが社会をつくり上げる、一人ひとりが社会の流れに関与していく、一人ひとりが社会の悪を退治する、一人ひとりが社会の弱者を助けていく、一人ひとりが社会の犠牲者に手を差し伸べ、一人ひとりが社会や政治の中に意識を向けない限り、政治家が一人ひとりの心に入ることはないのです。
今そのために国民の一人ひとりが政治家に意識を向けるように、経済人に、社会に目を向けるように事件が起きています。それを政治家の所為、社会の所為にするのではなく、いかに自分たちが社会や政治家に無関心であり、他人任せだったのか、いかに自分は社会に対して何も意識を向けていなかったか、それを皆さん方に気づかせているのです。
皆さん方がそういったことにより政治や社会に向けて自分たちが何かを変えていく、自分たちも行動していく、自分たちが社会の中に入り、光を広め、弱い人を助け、悪の道から正義の道へと流れを変えていく、そうすることによって政治家たちも正しい方向へと変わっていくでしょう。
常に主導者と国民は鏡を演じており、導かれるものは鏡を見せ合って、お互いに同じエネルギーで動いていく、政治や経済、社会から学ぶことが反映されていく。そして国民が今、そこに介入し、社会の一員として行動すること、今まさにそれを教えている時期だということを理解しておいてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。