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2007/7/30■月曜交流会から

学びをつくる存在たち

@学びというエネルギー

私は学びというエネルギーとしてやってきました。学びという一つの波動があり、これが皆さん方に刺激を与えることにより皆さん方は学ぶという体験を感じていきます。何故スピリチュアルな勉強をするのか、その問いが出された時、一人ひとりいろんなことを考えていました。まず皆さん方の一つの傾向として答えを探そうとする、正解を言わなくてはならない、間違ったら怒られる、いつも怒られているのにまた怒られてしまう、常にそういう不安が頭の中をよぎっていき、もう答えそのものがそういうエネルギーで染まった答えになっていきます。

確実に正解だと思われることしか口には出さない、間違ったらどうしよう、怒られたらどうしよう。言うまでもなく学びという波動は学校の教育において根本的に歪められております。本来学びは楽しいものであり、発見があり、面白みがあり、また果てがなくどこまでもどこまでもさらに学びたいという気持ちがやってくる、これが私たちのつくった学びという波動です。しかし皆さん方にとって学びは苦痛であり、義務であり、正解しないと怒られる、落第する、置いてきぼりにされてしまう、不安や恐怖が完全に皆さん方を牛耳っております。

これは学びという波動ではなく、皆さん方をコントロールする一つのエネルギーになっています。皆さん方の考えそのものを束縛してしまう、ある一つの方向性でないと動きが取れなくなってしまう、一つの方向性というのは正しい答えを知っているものだけが生き残れる、ちゃんと正解したものだけが褒められる、この方向しか皆さん方が生きられないようになっております。

正解を出すことが生き残る方向であり、正解を出さないと生き残れない、生存競争の中に学びが完全に仕組まれております。何故スピリチュアルな学びをするのか。これは人間として生まれた時から必然的に発せられているものであり、そこに理由など存在しません。スピリチュアルな学びをするのに理由はありません。

人間として生きること自体がスピリチュアルな学びだからです。理由があろうがなかろうが皆さん方はスピリチュアルな学びをするようにつくられております。しかしこう聞くと答えなければならない、正解を出さなければならない、常にこのエネルギーに囲まれてしまい、つい正しい答えを出そうとする、何が正しい答えなのか、一見かっこいいこと、もっともらしいこと、論理的なこと、でもそれは取ってつくられた一つの論理に過ぎず、本当にスピリチュアルな学びの理由にはまったく関係しません。

単純に皆さん方は生きる必要があります。生きなくてはならない。人間として生きるためにはスピリチュアルな学びがどうしても必要です。スピリチュアルな学びをせずして人間として生きることができるでしょうか。そこに理屈は必要ありません。

人間関係において偶然と思うことが何度もやってくる、偶然良い人に出会った、偶然手に入った、その偶然というのが何なのか、偶然ということがあるのだろうか、これもスピリチュアルな学びの出発点になるでしょう。何故お金持ちの人、貧しい人がいるのだろう、これを考えるのもスピリチュアルな学びになります。

私はどうなるんだろう、どうしてこんな人生なんだろう、これもスピリチュアルな学びになります。自分のことを考える、自分の人生を考える、すべてスピリチュアルな学びです。この世に存在しているものはすべてスピリットが入っているためであり、スピリットなくして物質化はあり得ないのです。

したがって、物質世界に住んでいること自体がスピリチュアルな学びになっていきます。そして物質世界を解明しようとした時、物質だけですべては解明できないようにつくられております。スピリットを考えずして物質だけで解決できるようにはつくられていないのです。必ず何らかのスピリットをそこに持ってこないと分からないように仕組まれているのです。

一見物質的なことだけで論理的にもっともらしく話したとしても、そこにスピリットのことがまったく入っていなければそれは正解でも何でもありません。単なる論理の遊びになってしまいます。したがって、三次元的なことの現象を解釈したり、自分のことを考える場合、必ずスピリットの観点から考えてみる、スピリットのことを必ず考慮していく、こういう意識がない限り自分の納得のいく解は出てこないと思っておいてください。


A胎児でなくなったもの

私は人間として生まれようと決めて降りてきました。でも、物質化する過程において物質度が濃くなるに従い、怖くなりました。とても恐ろしい恐怖の波動が毎日のようにやってきて、ここで人間として生まれることに怖さと、恐ろしさばかりが感じられてきました。

確かに神様と約束をして人間として生まれるという機会を与えてもらいました。お母さんがとても厳しい人だということも分かっていました。お父さんが何とか助けてくれるというのも分かっていました。でもお腹の中でお母さんが毎日怒ってばかりいて、すぐ子供の所為にしたり、今後の不安ばかり他の人に話すので、生まれることに怖さと恐怖が出てきました。

このまま生まれた方が良いのだろうか、やっぱりやめようか、途中からこんなことを考え始めていきました。こうやって不安に思うとお母さんが急に具合を悪くしたり、熱が出たりするので、あ、私の所為でまた熱が出てしまった、そう思ってなるべく頑張って生きようと思うのだけども、お母さんが常に恐ろしいことばかりを言うので、つい怖くなってしまいました。

少しずつ体が出来上がってきて人間という肉体が形つくられていくのはとても面白くて、自分の体を感ずることはとても楽しかったです。これが手なんだ、あ、これが足なんだ、手が右手と左手で動く、とても面白い、これが人間の体なのか、自分の体を見ている時はとても楽しくて、このまま楽しいままで生きられたら良いなといつも考えていました。

でもすぐにまた怖い波動がやってきて、体がぶるぶる震えてしまったり、手が硬直してしまったり、栄養が流れなくなって体の一部の所に血が流れなくなったりして、すべての体が順調な流れにならなくなっていきました。怖い波動がやってくるたびにエネルギーが流れなくなり、体の一部にエネルギーがやってこなくなるのです。だんだん体に異変が起こり始め、体のあちこちに正常ではない肉体がつくられ始めました。

何とか体がもつようにといつも神様にお願いをして、私頑張るから神様生かしてっていつも頼んでいました。でも体がだんだん言うことを聞かなくなってきました。結局人間として生まれることを断念することにしました。お母さんはある意味ではせいせいしたと言っていました。でも私の完全に人間になれなかった体は元には戻りません。

私はこの体を出発点にして進化を続けなければなりません。でも人間として生まれることはできなかったので人間の進化コースには入ることはできません。まだ私はこの世界に来たばかりなので、これからはどういう風にどうなっていくのか、まだよく分かりません。ただ私と同じような小さな体であっちこっちに異変が起きている人がいっぱい集まっています。

体全体に湿疹ができている人、口が曲がっている人、鼻がない人、手足が未熟な人、いろんな人が集まっています。皆お腹の中で恐怖を感じてエネルギーが流れなくなり、そのまま生まれることを諦めた人ばかりです。私たちはそういう人と一緒にいてなぜかこれはこれで楽しいなと思ってしまいます。皆、人間になれなかったけれど人間性も感じられるのでとても楽しいです。

一番仲の良いお友達はこの肉体をつくるのに、いろんな宇宙に行っていろんな星々で体の一部をつくり上げ、やっと準備ができてこの地球で生まれる許可をもらったそうです。でも人間として生まれる前に終わってしまいました。でも皆、誰も残念がったり、悔しがったり、ましてやお父さんやお母さんを恨んだりはしていません。

皆さん方の意識で水子という言葉があるようですが、すべてがそういう状態で親についているわけではありません。ただ中には本当にお母さんたちからの強い波動がやってきて、離れられなくなっている子供もいます。あまりにも子供のことを思いすぎて執着していたり、あるいは逆に怖さ、神の天罰を恐れたり、何か自分が悪いことをしたかのように罪の意識を持っている人、こういう人はどうしてもその赤ちゃんと繋がっていきます。それを皆さん方は水子と言っているようです。

本当は途中で終わっても私たちを見てくれる素晴らしい方々がいて、人間にはなれないけれども別の道へと導いてくれます。私たちが今後どうなるのかは詳しくは分かりません。でもいつかは皆さん方のような素晴らしい肉体を持って息をして他の人を触ることができる、そんな体験ができるのではないかなと思っています。

他の人の体を触るってどんな感じなのでしょう。物質ってどんな感じなのでしょう。皆さん方は物質という世界でいつも辛いとか、嫌だとか言っている言葉が多いようですけれども、私たちから見たら不思議なことばかりでどうしてその物質の不思議さに目を向けないのか、どうしてもっともっと物質そのものに目がいかないのか、考えていきます。人間の体って素晴らしい。一人ひとりの特徴が違うってなんて素晴らしいのでしょう。体があるって良いんですね。


B自分の本当の役割は何なのか

私たちは光のハイアラーキーの仲間としてお話をいたします。今話されたのはいわゆる胎児の状態において生命を終えたものを呼んできました。母体の中でそのまま終わってしまったものは、人間にはなることはできません。そのために彼らだけを専用に見ているマスターたちがいて、私たちがその役割を演じています。

人間としてなれなかった胎児は皆さん方とはまったく違う進化の流れに入っていきます。それは皆さん方とはまったく違う世界なので話をすることすらも許されておりません。まだその許可も下りていません。したがって、あまりそこに意識を向ける必要はありません。まず皆さん方は自分の与えられた環境、与えられた場をまず理解してください。

自分は肉体がある、生きている、他人がいる、その現実をどのように扱っていくのか、そこから何を学びとして自分のものにしていくのか。皆さん方がいろいろ子供のことを考えたり、赤ちゃんのことを考えたり、あるいは未来の家族を考えたりする、そうするとその波動に応じていろんなスピリットも集まってきます。

楽しい未来を考えている時、それに見合う存在たちもやってきて、一緒になって楽しんでいきます。逆に否定的なこと、怖いこと、恐ろしいことを考えると、怖い存在、恐ろしい存在が一緒にやってきて、もっともっと怖さを与えようとします。皆さん方が一瞬、一瞬考えていることがまったく同じエネルギーの存在たちを呼んできます。

子供のことを考えている時、自然と子供が一杯やってきます。しかし皆さん方が考えている子供、ほとんどが五体満足な子供たちであり、可愛い子、楽しい子を想像します。したがって、人間界にやってくる子供たちのほとんどは元々元気な子であり、元々素直で良い子ばかりなのです。しかし亡くなった子供たちの大多数は実際には必ずしも元気ではなかったり、体が弱かったり、体に異変があったり、いじめられていたり、そういう子供たちが圧倒的に多いのです。

そしてむしろ必要なのは、そういう子供たちに皆さん方が愛や癒しを与えることなのです。そのためには皆さん方の頭の中に、五体不満足な赤ちゃんや子供たちにどういう思いを出しているか、皆から離れ離れになって一人ぼっちでいる子供たちにどういう思い出してられているか。普段焦点の集まらない赤ちゃんや子供たちに意識を向けていく、それがむしろ光が一杯持っている人たちの仕事なのです。

初めから元気で可愛い子、素直で優秀な赤ちゃん、そういう人は普通の人がいくらでも面倒を見てくれているのです。皆さん方は普通の人のできない赤ちゃんや子供たちにも光を送る必要があります。今日これからそういう今まで一度も人間に愛も光ももらったことのない子供たちを集めてきます。どうか愛を送ってください。

今日ここに来ている皆さん方はいわゆるリチュアルマスターという光の強い人たちです。普通の人とは違い光が強いということは、それだけ光を使う方向性が普通の人よりも特殊なところに要求されていきます。光がない所に光を送る、普段光をもらえることのない生命たちに光を送り届ける、皆さん方の本当の役割が何であるのかをもう一度考えてみてください。それではアドバイスをしてみます。

Takaakiさんの波動を見た時、あなた自身の持っている光の強さは、とても強くそしてあまねく広く届く波動を身に付けています。普通に意識をしても十分な光が流れていきます。そして十分にそれをコントロールする能力も身に付けています。したがって、次の課題としては光をそれぞれの一人ひとりに違う光をどのように生み出して与えていくか、ただ光として漫然と同じ波動を出すのではなく、一人ひとりに必要な光を組み立てて一人ひとりに違う光を流していく、そういう意識が必要になっていきます。ただ単に光をではなく、この人にはこういう光、この人にはこういう光、その時の基準が何であるのか、その人に今何が問題であり、それをどう乗り越えていくか、あるいは次のステップに向うのに何が必要なのか、いろんなことを考えてその人に必要な光を流していく、そういう観点で光の使い方を学んでみてください。

Hirokoさんの光を見た時、あなたの光はとても大きく、大らかでとても柔らかさが含まれております。ただこれを何かに向けて作業しようとする時の集中力が足りないために、一箇所にフォーカスすることができなくなっています。したがって、漫然と光を送るというテーマの時には何とか乗り切ったような雰囲気を感じますが、実際に個別にこの光が必要、このテーマではこの光を使う、そういう具体的なテーマが流された時に、光がまだうまく使えない状態にあります。したがって光という時、そこにフォーカスをもってきていかにもそこに必要な光を今自分が流す、自分からつくり出していく、そういうしっかりとした意識を持つようにしてみてください。

Akiraさんの光を見た時、あなたの光はとても広がりがあり、また変容性があり、自由な形でいろんな状態に変化のできる光を身に付けています。そのためにいろんな局面において、いろんな光をうまく使い分けることができます。人間を見る場合でも一人ひとりの見方が非常にうまくできていて、一人ひとりに見合った光で対応していきます。それ故あなたは一見いろんな人に柔軟性があるように見られるかもしれません。この光の特徴から見た時、あなたがこれから身に付けるべきテーマは、この光の一つひとつの特性を自分がしっかりと理解していくこと、単なる柔軟性というのではなく、一人ひとりの光の特性を自分が使いこなせるようにしていく、自分の持ついろんな光の特性の一つひとつを個別に理解していく、光のいろんな特性やいろんな特徴を自分から見つけていき、理解し使いこなせるようにしていく、そうすると同時に複数の人に個別の波動を出していくとか、いろんな人に同時に違う光で接するといったことができるようになっていきます。そういったいろんな光の特徴を学んでいって、それをコントロールできるようにしてみてください。

Yukariさんの光を見た時、あなたの光はあなたの意識に応じてとても素早く自在に変化できる特徴を持っています。あなたの意識に応じて光が瞬時に変化していきます。そのために自分が感じたこと、思ったこと、一瞬、一瞬いろんな光に変化していきます。これは自分がとても良い状態の時にはとても良い光として次から次といろんな良い光が生み出されるために、美しい光となって感じられていきます。しかし一度光の良さが見失ってしまった時に、その光の個々の良さがどんどん消えうせていき、いつの間にか自分で今どこに向っているのか、自分の光が何であるのかが分からなくなっていきます。そうした時光は光でなくなり、いつの間にか自分で自分の体を維持するのも難しくなっていきます。自分の体から出てくる光、意識で一瞬、一瞬に変化していく素晴らしい光、これを常に維持できるようにすること、常に良い状態の光を出し続けること、これがあなたのテーマになってくるでしょう。ほんのわずかでも否定的な思いや迷いが出た時に、すぐに頭を切り替えて良い方向へと、光が溢れている方向へと思いを変えていく、常にそうやって乗り切っていけるようにしていってください。

Gyoushinさんの光を見た時、あなたの光はとても強く、そして大きな大きな包容力があり、相手の心にそのまますんなりと馴染んでいく光になっています。常に人の心に必ず接するようになっており、どのような話題であっても心に必ず繋がりができるような光になっています。あなたの関心が常に心にあるために、どの人の心にも反応する光になっています。今後の方向性としてその心の部分の刺激の光を自分のいろんなことを使いながら少しずつ高い波動へ、スピリットの部分へと感じられるようにもっていく、相手のスピリットへと自分の光が接するように、。相手のスピリチュアリティに自分の光が接するように、さらに心からその内面のスピリットへと繋がっていく光の使い方を学んでいってください。

Kazukoさんの光を見た時、あなたの光、包容力があり優しさがあり、又たくましさもつくられております。自分の価値を自分で認めることができないという意識があるために、せっかくの光が自分から出ていけなくなっています。本当はあなたの光はとても遠くまで、いろんな人々にも通ずる位の強さを持っています。それをしっかりと信じ、また心からそれを行えるようにしていくこと、自分の存在を自分で認めることによりその瞬間から光は遠くまで届いていきます。自分が大きな大きな光の存在であるということ、それをはっきりと自分で宣言し、また行動できるように意識を変えていってください。

Akikoさんの光を見た時、あなたの光は、とても多様な側面を持っていて、一つの特徴ではなく、いくつものいくつもの様々な特性の光が同時に絡み合いながら、常に変化する光の状態を示しています。そのために光の特性というよりは、光から生み出される多様な側面となって相手に届くために、相手から見ると逆に捉えがたい光となって感じられていきます。しかしあなたは自身は自分の光の特性の使い方を自分なりに理解しているために、それが当たり前のように感じていることでしょう。したがって、自分としてはその光をさらに自分のものにし、それをいかに良い方向へとコントロールすることができるかどうか、自分の方から相手の心の中にこの光を接するように工夫をしてみる、あまりにも多様な側面を持ちすぎると心に入りにくくなっていくのです。多くの人の心はとてもシンプルで感情的なところから相手の中に入り込んでいきます。しかしあなたからつくられるとても巧妙な光は、人の心には中々接することができないために、相手の本心が中々分からない状態になっていきます。相手の心に入る時にはもっと光をシンプルにすること、単純に心に繋がってみること、そういうやり方で繋がりをつくってみてください。

Atsukoさんの光を見た時、あなたの光は、あなたの内面からつくり出される凝縮された光がそのまま発せられていきます。したがってあなたの光はとても凝縮された、洗練された光になっています。この光は問題が明らかな時や、はっきりと光でないものにぶつかった時には、相手には恐怖と感ずるくらいの強い光となって感じられていきます。しかしその洗練さを見抜くことができない人にとってみては、この素晴らしい光も光として認識されず、むしろ怖さや恐怖となって感じられていく場合があります。自分の洗練されたこの光をどのように使いこなしていくのか、普通の人の心にどうやってこの光を入れていくか、それがテーマになっていくでしょう。相手の心の中に入るためには、もう少し柔軟性や別の要素、洗練さだけではなく少し感情的なものを使って入り込んだり、いろんなことをしてみる工夫があるかもしれません。それが面倒臭い時には、今のままの洗練された状態だけで入っても構いません。それはあなたの好きなように任せております。

皆さん方の光の利状態についてアドバイスをしてみました。他人との関係において常に光を意識するということはとても重要なことです。そしてその光が使われる時、学びのテーマのエネルギーが常にやってきて、相手がそこから何らかの学びができるように場がつくられていきます。お互いにそうやって学び合える場がつくられていくこと、常にいろんなな学びのために光を使いこなしていってください。それでは少し休憩をとります、ありがとうございました。


C感情の学び

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。先ほど皆さん方から届けられた愛と光のエネルギーにより、多くの小さな子供たちが救われておりました。人間からのエネルギーを直接感ずるということがほとんど彼らにはなかった体験であるために、とても大きな喜びを感じていきました。

そして改めて皆さん方の心というものに関心を持ったように感じました。彼らは人間としての生活がないために、いわゆる皆さんが持っている心というものがつくられておりません。そのために皆さん方がごく普通に感じている感情的なものもかなり違う仕組みになっております。皆さんにとってはごく普通の感情というものが彼らにはないために、感情を通して繋がることがとても難しいのです。

したがって、彼らにとっては必ずしも皆さん方が持っている感情的な思い、寂しいとか嫉妬とか、可哀想とかそういった感覚はほとんどありません。ただ感情に近いものは確かにあります。かなりスピリチュアルな観点から見てどうにかしたいとか、もっとこうしたい、あるいはこうすれば気持ちが良い、そういった感覚はあります。

しかし多くの場合は皆さん方の感情のシステムは、いろんな人々と友人や家族の間でつくられた感情があり、それはある意味では概念でつくられた感情なのです。こうすると嬉しいとか、こうすると楽しい、これは楽しいことなのだ、だから楽しいことをしなさいと言うと楽しいという概念のことを再現させようとする。それを皆さん方の感情と思い込んでいます。

ですから一人ひとり感情と思っているものは単に家族や友達の間でつくられてきた喜びや楽しさ、気持ちの良いこと、そういったことを感情として捉えているに過ぎません。そして小さな子供たちは、先ほどのような子供たちは人間としての体験がないために、友人や家族を通しての感情というシステムがつくられておりません。

しかし彼らなりの観点から見て喜び、楽しさは一杯あります。でもそれは個人の感情ではなく、どちらかというと、もっと宇宙的な、あるいはスピリチュアルな観点から見た感情であり、ハイヤーセルフや宇宙の意思、宇宙の思い、自然の意思、そういう観点から見た感情になっていきます。

したがって、彼らからした時には皆さん方の心を通じて繋がったとしても、皆さん方が楽しいとか可哀想という感覚は彼らにはまったく通じません。逆にどういう風にしたら成長になるのか、どういう風なシステムを次に与えるとどう学んでいけるのか、宇宙の法則に見合った観点でいろいろ感じていくと、それは彼らの感情に伝わっていく場合があります。そういった意味で皆さん方が楽しいこと、嬉しいことという基準が彼らにとっての楽しいことや嬉しいこととまったく同じではないのです。

改めて感情というものが何であるのか、また素直な感情というものが何であるのか。普通は親子や友人の間でつくられた概念的なものを感情と思い込んでいるに過ぎません。そしてそれが当たり前と思い込んでいます。しかし民族が異なり、世代が異なってくると当然感情のシステムはかなり変わってきます。

改めて感情というものが何であるのか、相手の感情に繋がるにはどうするのか、いろんな観点から学びを進めてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2007 CentralSun
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