正しいかどうかはこれは神が決めることであり、自分で決められるものではありません。しかし決めなければ行動できません。ここで矛盾が生じます。本当は何が正しく何が間違っているか、誰一人分かっていません。そんな人間はいないでしょう。完全に何が正しく何が間違っているか、すべてを知っている人間なんているはずがありません。
すべてのものに対して正しいか正しくないかを二つに分離できること自体が無理なのです。というよりも現象そのものは正しくもなければ正しくないわけでもないのです。それは一人ひとりの人間が決めることであり、宇宙のレベルにおいては単に神の意志、宇宙の意志に従った現象があるだけです。
それを人間が自分が正しいことであるかのように説得しようとします。何が正しく何が間違っているか、基準のできていない人間が自分の行動を正しいものとする、正しいと分からせようとする、分かってもらおうとする、そういう行動をとっていきます。日頃の日常の体験の中で何か自分にとって不都合が生じた時、自分にとって気に食わないことがあった時、これをどこかにぶつけようとします。
仮に自分の所為で何か障害を起こしたり、自分の所為でうまくいかなかったとしても、それを認めたくない人がおります。必ず誰かの所為にしたい、何かの所為にしたい、そうしないと気がすまない、自分の所為だとは絶対に認めたくない、こういうエネルギーがあります。結局その自分の思いを達成させるために誰かに文句をつける、言いがかりをつける、一言言っていく、こういう行動をとっていきます。
こういう思いがどんどん蓄積し、文句ばかりを集めるエネルギーが固まってきます。同じエネルギーがどんどん集まってきて、文句を言う、苦情を言う、一言言っておく、これが苦情処理のエネルギーとしてつくられていきます。この苦情処理のエネルギーはしたがって、人間と関りのある組織においては必ず存在します。
少なくともお金を払って取引をするという段階で、人々は必ず払ったお金よりも多くのものを期待します。支払った金額通りの効果が得られなければ、何か文句を言いたくなります。金銭とのやり取りをしている企業においては必ずと言って良いほど苦情処理のエネルギーが出来上がっていきます。
そしてそのエネルギーはいわゆるお客さんが増えれば増える程、苦情処理のエネルギーも拡大していきます。したがって、企業で取引しているお客さんが大きくなれば当然苦情処理のエネルギーも大きくなってくる、これは否定することができません。どんなに品質を良くし、どんなに品物を良くして万全を期したとしてもクレームがなくなるということは一切ありません。
さていろんなカラクリを説明していきましょう。企業を見た時、その企業に勤めている人、数人、数十人、数百人という企業が何かを研究開発し、製造し販売し、保守をする。お客さんとの取引に関係している製品へ、その製品を作るのに関与している人、その人すべてのエネルギーを見てみる必要があります。
研究開発段階において、設計段階において、製造段階において、販売の段階において、保守の段階において、クレームを一言も発しなかったという社員がいるかどうか。社内での議論や打ち合わせにおいて一言もクレームを発しなかったという人がいるかどうか。少なくとも関与する社員の中で文句を言ったり、不平不満を言っていたとすればそれがそのまま製品の中に商品の中に入って販売されていきます。
お金を出して製品を買った人は製品と一緒にそこに含まれている不平不満や文句のエネルギーも一緒に買うことになります。当然その人は不平不満やクレームのエネルギーを手にすることにより、自分がそういう気持ちを起こすことになります。結局それがまた会社の方に戻ってきてクレームを言われたかのように感じていきます。
何でこんなクレームが来るのだろう、というエネルギー自体が不平不満のエネルギーを製品の中に入れることになります。結局会社に関与しているすべての人の思いが製品に関与していきます。どのような現象であったとしても製品を扱っている人、関与している人すべてのエネルギーが製品となって出ていきます。
こんなクレームが来るのはおかしい、という思い自体が不平不満となり製品に入って出ていきます。結局このエネルギーが客と会社との間で行き来しているだけのことになります。ではそういうエネルギーの流れを断ち切るためにはどうしたら良いのか。基本的に会社で扱っている製品に関しては、自分一人が頑張ったところで変えられるものではありません。
では自分はまったく不平不満を言わずにすべてに感謝と尊敬の気持ちを持って接していれば絶対苦情処理を担当することはないのか。これは非常に難しい問題があります。というのも一人ひとり持っているエネルギーがあり、それによってわざとそういう場を体験させられている場合があるからです。
基本的にそういうエネルギーを担当するという状態でなければ、確かにそういう場で体験することはありません。しかし何らかの意味があり、最初から魂のレベルでそういうエネルギーをつくっていた場合には、やはりそれを体験することになります。クレームを受けるという仕事は確かに気持ち良くはないでしょう。
朝から晩まで仮にそういう思いで接していたら、会社自身が楽しくなくなってくるでしょう。普通どの仕事でも必ず波があり、サイクルがあり、そればかりが永遠に続くということはありません。必ずどこかでサイクルが変化し、次のサイクルに変わっていきます。しかしサイクルが変わる時に、そのサイクルで学ぶべきテーマが完了せずに次のサイクルにうまく乗り切ることができない場合には、前のエネルギーが再びやってくる場合があります。
つまり自分は今の職場の中で学ぶべきものが何であるかを理解し、それを学びとして自分のものとすることができたかどうか、これが一つの鍵になります。クレームを受けるという場合学びは何なのか、これは単純にそこだけで考えるテーマではなく、やはり自分自身の持っているエネルギーの中で個別に見ていく必要があります。
一般論でいう話と個人の場合ではエネルギーがまったく違ってくるために、個人のことを言うのはとても難しくなっていきます。いずれにしても仕事に関与している中で、日頃から不平不満やいろんなクレームのようなものを発している人がいる場合、それが自分に関係なかったとしても、その会社の中の関り合っている人すべてがそれらに関する不平不満のエネルギーをもし出していたのであれば、そこから販売される製品のすべてにそのエネルギーが現れていきます。
したがって、常に不平不満を持って仕事をしている会社があれば、その製品の顧客がことごとくクレームを言うことになります。もし楽しく一切の不平不満を持たずに、常にお客様のことを感謝と尊敬の念で接していた会社があれば、おそらく製品の大部分はクレームとは関係なしに尊敬と感謝を持って受け入れられることになるでしょう。
しかし宇宙の法則としてとても面白く、だからといって製品のすべてが感謝と尊敬だけで一切のクレームが来ないという、そういう現象はあり得ないのです。宇宙の仕組みは非常に面白くできていて、一見すべてうまくいったように見えても必ずどこかに問題が起こったり、見逃しがあったり、うっかりがあったり、間違いがあったりして必ず何らかのクレームや文句が言われてくる状況が起こるのです。
むしろそれがあるために常に身を引き締め、常に慎重に丁寧に、常にお客さんのことを考えるという意識が芽生えてきます。こうやっておけば大丈夫という安心感、これが隙をつくり、油断をつくり、そこについ魔が入り、クレームが入ってきます。ですからどんなに完璧にやったとしてもこれで完璧だという思いそのものが慢心であり、油断であり、そこに魔が入るということ、常にこれで正しいかどうかをチェックしながら、常にお客のことを思い、そして完璧なものとして意識を持っていく、そういう姿勢が大事だと思われます。
一般論の現象としてそれで構いませんが、一つひとつの個別の現象を見る時、一般論では言うことのできない特殊なケースが一杯関与してきます。例えば今のクレームの場合に関しても、ではクレーム処理の担当になった人は日頃からクレームを発しているのか、もちろんそんなことはありません。
逆に日頃クレームを言っている人がクレーム処理に任されたら、とんでもない大混乱に陥るでしょう。毎日お客さんと喧嘩するはめになるからです。したがって、クレーム処理という担当につく人は、むしろ逆に冷静にお客さんと接し、感情に動かされず、ちゃんとした論理的な話し方で対応できる人が要求されてきます。したがって、クレーム処理という担当を考えた時には、あくまでも会社側の方針で適切な人、適材適所で配置されたものであり、必ずしもエネルギーが苦情処理とかのエネルギーでつくられているものではありません。
したがって会社の部門の配置、人事などに関してみた時に、エネルギーで理解しようと思ってもエネルギーの解釈の仕方が皆さん方の考えている解釈とは違うものになります。皆さん方はまだまだエネルギーの考え方が単純であり、単純に理解しようとする思いで論理的に納得したような気持ちになります。もし皆さん方の考えをベースに考えると会社の場合、お金のエネルギーを持っている人が経理担当になり、車の好きな人が車の部門に配属され、物を書く人が好きな人がたまたま出版部門に行くとか、そういう分類になってしまいます。
実際にはそんな単純に会社の人事が行なわれているわけではありません。むしろまったく別なケースが頻繁にあります。いかにもこの人はこれが大好きなのにまったくその部門に配属されないとか、まったく縁のない人がそこに配属されてしまったり、よくある現象となって見えてきます。でも結果的に配属されたからにはあくまでもその人のエネルギーと、組織のエネルギーが合っているから確かに合っています。
ただその時のエネルギーの見方が皆さん方の思っているエネルギーの見方ではなく、あくまでもその人の体験すべきエネルギーが、会社の組織としての体験すべきエネルギーと合っているかどうかになります。その人の趣味や好み、性格から決まるものではありません。体験すべきエネルギーに関係してきます。
仮にその人が何かものすごい興味を持っていたり、特技があったとしても体験すべきエネルギーは全然別であり、やはり一般に自分の苦手な人、得意でない人、感情的なもの、エゴ、そういったことに関り合うところから起こされてきます。特にプライドや優越感、競争意識、そういったものによってつくり出される感情的なもの、そういった学びのある人は、そういった学びを頻繁に行っている部署に配属されていったりします。
あくまでもその人の持っている体験すべきエネルギーが会社のエネルギーに合っているかどうか、そういったことによって配属される、単純にどこどこの担当だからこういうエネルギーだとか、そういう発想は持たないようにしておいてください。
私たちは皆さん方の現象の一つひとつに関与しながら、皆さん方と常に一体感を感じているエネルギーです。例えばこの場においても一人ひとり自分自身の体験があり、自分は自分の体験をするためにここにやってきています。皆さん方一人ひとりがここで学ぶべきものは、それぞれ自分だけの学びであり、他の人とはあまり関係ないレベルでつくられていきます。
しかしそれを私が今この場において、一つの場としてつくり上げ、本来一人ひとりは自分とこことの間での関りでつくられたものを、私たちが全体を一つとして再構築し、お互いに学び合えるように、お互いに一つの体験として共有できるようにつくり変えていきます。それによって本来は一人ひとりの持っているエネルギーが、ここにいる人全員が共有したり、やり取りしたり、共感したり、同情したり、感情的なものが動いたりという一つの場をつくり上げていきます。
私たちはそういうエネルギーをわざとつくっていることにより、私たち自身いろんな学びをしていきます。それぞれのどのエネルギーを引き出すと、誰がどう感情的に反応するか、それがとてもよく分かるのです。ある人の場合にはある言葉を出させると急に怒りを覚えてしまったり、ある人の場合にはある話題に触れると急に何も話さなくなったり、ある人の場合にはある人が話すと急に自分も気持ちが良くなったり、一人ひとりの心の動きがはっきりと分かり、これが皆さん方自身には何も分かっていないのがとても面白い現象として感じております。
何人かで話している場合、皆さん方は話のテーマに意識がいってのめり込んで、自分が何を言おうか、どう論理をもっていこうか、どういう風に話に入っていこうか、そこに一生懸命気が向いております。しかし私たちの観点からすると、でもこの人にこの言葉を話させると皆が急にこの方向へと話題をもっていくとか、あるいはこの人がしゃべると場の雰囲気が急に変わってしまうとか、この話題を出すと皆黙ってしまうとか、その心の動きがとても面白く、この場合をどう持っていくか自身が私たちの学びになっているのです。
でも一人ひとりがここで体験すべきことは決まっているために、ある程度この人はこの場においてこの人はこの言葉を出さなければならないという、そういうエネルギーがあります。したがって、私たちはその言葉をいつどの時点でその人の口から出させるか、これを考えていくのです。
これを間違って皆が黙ってしまう時にその言葉を出してしまうと、本当に場が黙ってしまい、気まずくなってしまうと私たち自身も気まずい思いをしてしまいます。あ、間違った、私たち自身が一番焦っています。したがって、なるべく皆が楽しい話題をもっていくためには少しその言葉を出すタイミングを後にもってこさせたり、わざと他の人がしゃべっている間にこっそりと言うようにして聞こえなかったかのように言わしたり、いろんな工夫をしていきます。
そうすることにより一人ひとりの思考や感情が場においてどういう影響をつくり、この場がまた一人ひとりの感情と思考にどう影響を与えてくいか、こういったことが分かっていきます。これが分かってくると私たち自身が複数の人間の感情や思いを同時に関与することができ、それによって複数の人間がいる時に平和をつくることもできれば、戦争状態をつくることもできます。
皆さん方が目指しているシャンバラという世界、これをつくるためにも私たち自身が一人ひとりの心としっかりと繋がり、皆さん方がシャンバラに向けて進んでいけるように、私たちも頑張っています。今皆さん方がシャンバラに向けて一生懸命勉強している、どういう社会なのだろうか、自分はどう心をもっていったら良いのか、一生懸命考えています。
自分はどこまで愛があるのだろう、どこまで光があるのだろう、皆さん方も一生懸命考えています。私たちもその時は一生懸命考えているのです。じゃ皆さん方の愛が感じられるように、どういう場をつくったら良いのだろう、どういう風にしたら皆が愛を感ずるのだろう、そうやって皆さん方が愛を感じられるような場を少しでもつくろうと頑張っています。
結局皆さん方が全体の中であまり愛を感じられなかったと思う時、それは私たち自身の場がまだ愛に満たされていないというところであり、私たち自身がまだまだ未熟ということになります。私たちは私たちのつくる場をすべて愛で埋めようと思っています。シャンバラに向ってこれができなくては意味がないのです。
すべての場が愛で満たされている、そのためにはどういう場をつくったら良いのか、いつも皆さん方の場をつくりながら考えていくのです。確かに皆さん方の心に愛が一杯あれば、愛をつくる場は楽なのかもしれません。でもそうすると私たち自身の学びが薄くなるのです。私たちは皆さん方の心の中にほんのわずかな愛しかなかったとしても、素晴らしい愛の場ができること、これが私たちの実力の発揮すべきところなのです。
実際時々私たちの力が未熟な時に、大いなる大先輩がやってきて、それを見せてくれる時があります。一見まったく愛がないような人ばかりで集まっていて、殺風景な話題、知識の自慢や見栄ばっかりの論争がある時に、たまたま大先輩が素晴らしい場をつくる時があります。たった一言ある人に話すだけで涙を流し、心が感動してしまう、ああこういう大事なことがあったのか、あ、こんな気付きがあったのか、場が一気に変わってしまうのです。
私たちはそれを目の当たりに見た時に、ああどうしてそれに気付かなかったのだろう、ああこういう言葉をこの時に出せば良かったのか、とても参考になるのです。そういった大先輩が時々やってきていろんなことを見せてくれる時、私たちは本当に宇宙の愛を感じてしまうのです。
私たちがそういう愛を感じた時に、是非ともそれを皆さん方の場にもってきて、皆さん方にも同じような思いを持っていただけたらと考えております。それでは一人ひとりのメッセージを与えていきます。
Madokaさんの先ほどの話で、あなたもクレーム担当の仕事をしょっちゅうするという話がありました。先ほどの話にあったように、だからといって自分にクレームのエネルギーがあるわけではありません。あくまでも組織の中の配属としてなったものであり、あなた自身は別の理由から今の配属になっています。あくまでもできるだけいろんな人と接すること、様々な人に接することが今の体験の目的になっています。普通官庁がらみとか大きな組織になると、一部の人としか接しなくなっていきます。組織が大きくなればなる程接する人は限られてきます。末端にいったり小さなところ、個人でやってる人の方がいろんな人と接していきます。あなたの場合でもいろんな人と接するということが学びとしてつくられているために、今の所に関与しています。いろんな人の率直な意見を聞いてみる、いろんな人の本音を聞いてみる、いろんな人の本当の事を聞いてみる、それで本当の人間を知る必要があります。人間て何なのだろう、こんないろんな人間がいる、理想の人間て何だろう、いるのかどうか、様々な人間模様を見て人間ということを感じていく、これが今の学びなのですり。そういった意味でクレームというところに意識を向ける必要はありません。いろんな人間と関り合っていく、そういった観点で自分の仕事を見ていてください。
Kimioさんにやはりいろんな人から時々クレームが来るという話がありました。あなたのところにやってくるクレーム、というよりも場合によってはかなり強烈な文句であったり、言いがかりであったり、でも正当な論理であったりします。一つひとつのエネルギーがとても強いものがあります。そしてそれに関してはあなた自身の持っているエネルギーから起こされています。あなたの発する言葉の中にエネルギーがとても強く入っているために、あなたの説得する時のような口調や言い方がとても強くエネルギーとなって相手に流れていきます。それが相手の心にぶつかってたまたま自分に戻ってくる場合があるのです。その時に強いエネルギーとなって戻ってくる。でもそれはやはり自分が強く出したものが戻ってきていると理解する方が好ましいと思われます。つまり自分が感じたのと同じような思いを必ず相手もどこかで感じたということ、本人かどうかは必ずしも言えない場合がありますが、どこかの時点でどこかの段階で自分がたまたま発した何気ない言葉、でもそこに含まれているエネルギーとしては強烈なエネルギーがあり、それが自分に強烈に戻ってきた、そういったことを自分がクレームとして感じていると理解してみてください。
Shogoさんの先ほどのクレームの話において、先ほどの話にあったように、今の配属が必ずしもクレームのエネルギーから来ているわけではありません。あくまでもあなた自身の学びのエネルギーから今の配属になっているのものであり、別にあなたがクレームをしょっちゅう出しているという意味ではありません。では自分は何の学びのために今ここにいるのか。一つは物事を考える時に、やはり物質的ものと物質以外のものを切り分けて考えることができるかどうか。今の物質社会においては物を作るということは物質だけの世界に限られてしまい、製品を作るということは物質を作ることという風にみなされていきます。しかし実際にはエネルギーも作り上げており、製品の中にはエネルギーも同時に入っている、製品を販売するということは物質と同時にエネルギーも販売しているということ、そしてそのエネルギーが相手の心に響き、それが何らかの形でまた戻ってくる場合がある、それがクレームとなって戻ってくるのです。自分の会社の製品の一つひとつについて物質とそこに含まれているエネルギー、これを分離して考えることができているかどうか。頻繁にクレームが来る製品は、そこに関っている人に何らかの不平不満や、否定的なエネルギーを出している人が関っているということを意味します。ほとんどクレーム処理がない製品はそういうエネルギーを持っている人が少ないということを意味します。したがってクレームと製品の関係を調べながら、どの部門で作った物は常に否定的なエネルギーが多く、どの部門の製品は良いエネルギーだと、そういったことを自分で見つけていく必要があります。そしてあなたがいずれ責任者となり、管理者となった時に、そういった人員配置までもしできればどういう風に人員配置をすれば、この重要な製品は良いエネルギーで集まり、この製品はこの人たちでやってもらう、そういったことができるようになっていくでしょう。物質とエネルギーをうまく切り分けて考えることができるかどうか、その学びのために今の配置が成されていると理解してみてください。
Yukariさんのエネルギーですが、あなたに関しては別にクレーム処理というエネルギーとは直接は関係はしていないでしょう。ただ今まで話されたように何らかの奉仕をしたり、製品を提供したり、商品を販売する時に自分がどういう思いでどういうエネルギーを込めて販売するか、そのエネルギーによって相手が心で反応し、それが場合によってはクレームとなって戻ってきたりするということ、常に物質とエネルギーを別に考えるということ、これは今までと同じように理解しておいてください。そしてあなた自身のアドバイスとしては自分がライトワーカーとして活動する時、必ず相手がいます。相手に対して何らかの奉仕をする、何らかのサービスをする、当然自分のできるセッションやルーチン、いろんなプログラムの中で自分としてやりたいもの、苦手なもの、得意なもの、いろんなものがメニューとしてあるでしょう。一つひとつの中で必ず感情的なものが動いたり、また相手の顔ぶれによってもいろんな思いが沸いてきます。必ず何らかの感情的なものが動いていきます。そうするとそのセッションをしている時に必ずその感情が相手に流れていくということ、自分が感じている感情、それがすべて相手に関与するということ、そして相手もそれに反応するということ、これはどの場合もすべて当てはまりますが、ほんのわずかこれはちょっと苦手とか、これはやりやすい、あ、これは良い、ほんのわずかでも思った感情でも相手から見ると大きなエネルギーとして感ずることがよくあるのです。したがって、自分ではほとんど意識していないレベルの感情でも、相手にははっきりと感ずる場合があるのです。これは多くのライトワーカーが意外と気付いていないことですが、やっている本人はほとんど感じていません。ごく普通の感情と思って何でもないように感じています。ところが受ける側としてははっきりと分かっているのです。したがって、これからはどのセッションにおいても、どんな人においても、常に同じように感情的なレベルでも常にある一つのレベルで、常に公平に、できれば高い愛のレベルで常に一定にしておく、そういう訓練を重ねてみてください。
Gyoushinさんのアドバイスとして、今日話されたいろんな話しの中で、一人ひとりの持っている感情的なもの、これがいかにお客さんとか相手との間のやり取りに関係してくるか、いろんなことが話されていました。あなたの世界においては一見関係ない話かのように思われますが、実際にはあなたの場合には接する人一人ひとりがある意味ではすべてお客さんであり、むしろ金銭を伴う、伴わないに関らず自分と接する人すべてが対象になります。したがって、ほんのわずかでも感情的なものが動いたり、自分の感覚的なものが動くとそのまま相手との間の一つのエネルギーをつくり上げていきます。それはあなたのように純粋さが高まれば高まる程、むしろ現れやすい現象となっていきます。むしろ感情的な人の方がほんのわずかな感情を出してもあまり気にとめない人が多いのですが、あなたのように高い波動になってくると、ほんのわずかな感情でも相手にはすぐに感じられてしまうところがあります。これはあなたから見たらある意味ではとても不便かもしれません。すべての人にまったく差をつくることなく高いレベルで維持しなければならないというとても厳しいルールのようなものができているからです。でもそれをいちいち気にしているとまた堅苦しくなってくるでしょう。私たちが場をつくる時にはあなたのように高い意識の持ち主には、やはりそれに見合った場を常につくっていきます。他のどの人よりも常に高いレベルで考えていくために、私たちにとっては一つの参照点、一つの基準にしやすいレベルがあります。常に大事な時にあなたに何かを話してもらう、ここぞという時にあなたからの一言が出るように、そういう場をつくるのにやりやすいのです。皆が何か感情的な流れに入りそうな時にあなたからの一言で冷静に戻っていく、そういう時によく使ったりしていきます。したがってあなたから見た時に、すべてをこの場をつくるマスターに任してください。自分が何とかしようとか、あ、ここで何か言わなくちゃとか考える必要はありません。自然に任せると必要な時に口から出ていきます。必要な時に必要な言葉が出ていきます。そしてこれは言おうと思っても言うタイミングがなかった時、それは元々場のマスターが要求していなかったことと思っておいてください。したがって後になって、あ、こう言えば良かったとか、これは言っておきたかったとかいう必要はないのです。それは場のマスターが元々考えていなかったことと理解しておいてください。すべては場のマスターに任せる、これができればもっと気楽になります。そういう体験をしてみてください。
今日はクレーム処理という波動を使ってお話しをしてみました。どこまで皆さんの心が重くなっていくか楽しみにしていたのですが、あまり下がらなかったですね。ちょっと失敗してしまいました。もう少し私たちも勉強してみようと思います。ではここで少し休憩を取ります、ありがとうございました。
そうやって人間の個々のエネルギーを組み合わせて一つの方向につくり変えていく、そういった学びを何度も何度も体験し、いろんな人間の関りを学んできました。そしてその体験に続き、今度はそこに他のいろんな場のエネルギーや日本や過去のエネルギーの存在しているものと組み合わせて方向付けをつくり変えていく、そういった学びを積み重ねておりました。
そしてしばらく前から場をつくるという担当になり、一瞬、一瞬の場を瞬時にしてつくり上げていく、こういう役割を担当しておりました。場をつくるマスターは一瞬、一瞬の時間軸に合わせながら皆のそれぞれの意識の中で今という接点に一つひとつの場をつくり上げていきます。一人ひとりは今体験しているという今の現象を感じながらも、実際には場をつくるマスターとしては必ずしも一つの時空ではなく、一人ひとりの別の時空を無理矢理今という接点で合わせてつくっていきます。
したがって、皆さん方から見た時には常に今という時空でずっとお互いが連続しているかのように感じていますが、本来は一人ひとりの時空はまったく別になっているのです。それを今をつくるマスターが一つにして、いかにも皆が一緒に体験しているかのように思わせていくのです。こういったことを学んでいき、時間との関係、一人ひとりの思いとの関係がつくり上げられていき、こういったことができるようになるとやっとそこで一つの時代を任されるようになっていきます。
しかし一つの時代を担当するためには、集合意識レベルで民族や国、宗教に関するいろんな人間の意識波動を学ばなければならず、さらに数千年、数万年という体験が必要になっていくでしょう。皆さん方もそうやって人間の意識を学んだ後には、流れや時空、そして進化という方向に向って更なる学びが続いていくのです。
いろんな話を参考にしながら今度は自分が担当となったら、どのような場をつくろうとするのか、自分だったらどうしていくのか、そういう観点で今という現実を見ていくといろんな面白い発見ができるものと思われます。私たちも皆さん方がそういう観点で話をしたりしているのを見てとても嬉しく思っていきます。意識レベルを高めるためにいろんな発想で話をしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。