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2007/2/26■月曜交流会から

一人ひとりの心の美しさ

@日本人の意識が分裂している

私たちはアルテミスの波動としてお話をいたします。皆さん方とお話しをできる機会が与えられたことにとても感謝を申し上げます。このような場において話をするということが中々難しく、いろんな存在たちが常に候補に上げられ、どういう存在がどういうメッセージを人間に与えるか毎回とても楽しく話し合いが行なわれていきます。今日は私たちが話をする機会が与えられました。

皆さん方の先ほどの話の中で踊りや動物についてのお話がありました。しかし私たち自身は私たちから皆さん方にどうしても話したいことがあり、まずはそれを優先させていただきます。この日本という場において今エネルギー的に見てとても不安定な状況にあり、今後日本という場においてとても大きな変化が起こる可能性があります。

日本人の意識の断片、日本人同士の連続的な繋がりが保たれず、意識間の分裂が起こってきており、一つになりきれないという状態が続いております。一人ひとりの意識をなるべく調和的に保ち、お互いの意識が協調し合って一つになるように、いろんな試みを行なってきましたが、どうしても自分が、私がという波動により、他を受け入れず、自分だけが飛び出るという意識のつくり方になっていました。

今の日本の人々にとって他の人々と協力しないということは、日本の民族そのものが成り立たず、本来の日の本の役割が達成できない事態になってしまいます。この日の本の役割を成すためには、己、自分という意識を多くの人々の中で位置付けていく、自分の感覚的なものを他人に押し付けるのではなく、単に表現だけしておく、自分は自分の感覚を表現して問題はありません。

表現は自由に行なってください。しかし押し付けることはルール違反になります。一人ひとり自分の表現方法があり、確かに踊りで表現する人もいるでしょう。歌で表現したり、言葉で表現したり、会話のやり取りで表現をしたり、一人ひとりの表現の仕方があります。それを自分なりでうまく使いこなしていく、表現の自由さ、それは一人ひとりに与えられており、自由に行なって構いません。

しかし表現は他人をコントロールしたり、他人によろしからぬ影響を与える場合には、表現ではなく押し付けになってしまい、そこには我が入っていきます。我が入ると醜い波動になり、そこにいるものすべての波動が下がってしまいます。我を取ること、それにより波動が上がっていきます。

一人ひとりに与えられた表現の自由、これはとても素晴らしい神からのプレゼントになります。一人ひとりは自分だけの表現の仕方を身に付けているのです。誰にもまねすることのできない表現を身に付けています。それをどのようにして見つけていくか、自分はどういう表現方法を取ると一番心を現わしやすい、あるいは表現方法に非常に興味があり、もっといろんな表現の仕方を考えてみる、そのようにして自分の表現をどんどん追及し、自分にとっての一番の表現の仕方が何であるか、常にそれを追及する見方を養っておいてください。

言葉で表現する人、言葉の使い方に注意をする必要があります。言葉は相手を傷つけてしまう表現がとても多く、相手に勇気を与えたり、感動を与える言葉使いがとても難しいものです。相手の心に響く言葉が必要です。相手のことを考えず自分の都合だけで言葉を出している人、感動を与えることなく自分の我だけが出ていきます。相手に応じて相手の心に応じた表現を取っていく、それを言葉として現わしていく、常にそういう意識を持つことが必要です。

音楽で表現をする人、音の不思議さ、神秘さをもっと考えてみることが必要です。音の波動により受ける感覚がかなり変わってきます。音は波動であり、体に直接響いてきます。音階によって肉体の反応する場所が変わってくるのです。したがって、音を出す場合でもその人はどの部分にどの音が必要とされているのか、その人が必要とされている場所に応じて音階を決め、そして音として出していく、その人の体に直接反応する音を出していく、肉体に限らず心や魂に響く場合もあるでしょう。心や魂に響く音階があります。それを使い分けることによりその人の肉体や心、魂に音が反応して響いていく、音についてもっともっと理解することが必要でしょう。

絵を描くことによって表現をする人、見ることの美しさ、見た感覚から得られるもの、それを相手に伝えて相手がそこから何らかの反応を出していく、色そのものには波動が入っており、色から受ける波動を目を通して心へ、体を通して肉体へ反応していきます。色や形がやはり心や肉体に影響を与えていきます。形によって安定や安心を得るものがあれば、形によっては不安定、不安を感ずるものもあります。

色によって安らぎを感ずるものがあれば、やる気を感じたり、行動力が増してきたり、いろんな反応が出てきます。色や形を使い分けて必要としている人に的確に表現していく、そういう表現の仕方もあります。体を動かすことによる表現、体の動きは空間を変化させる、人間同士の関り合い、場の変化に影響を与え、空間そのものを通して人間に影響を与えていきます。

動きを伴うことにより、空間に変化をもたらし、磁気エネルギー的な反応が肉体に影響を与え、やはり肉体がその場その場に応じた新たなるエネルギーを獲得していきます。体の動き一つひとつが空間との交わり方であり、空間を使うことによるその空間に関係している人すべてにも影響を与えていく、空間そのものを動かしていく、動きそのものがとても素晴らしい影響を与えていきます。

人間の体はいろんな表現の仕方があり、皆さん方がそのいろんな表現を身に付け、自分にとって一番得意な表現の仕方を学んでいきます。体を使うのが好きな人、これは空間そのものを変えることに特徴があり、場を瞬時にして変えたり、その場にいる人すべての意識に影響を与えたりすることができます。体を動かすのが得意という人、空間と友達になる、空間と一緒に生きている、ぜひそういう感覚を身に付けていってください。

歌を歌うのが得意な人、言葉の響きが人々の体を通して心や魂に伝わっていきます。言葉は心と魂に安らぎを与え、悩んでいる心を解放したり、孤独な心を豊かにさせたりしていきます。心と心の触れ合い、直接心に訴えかけていく、そういう歌が必要となります。歌を歌うのが好きな人、一人ひとりの心と直接やり取りをしている、心と心の会話を行なっている、そういう意識で歌を表現していってください。

絵を描くのが好きな人、色と形から発せられるエネルギー、そこに秘められた美しさ、美しさは人間に喜びを与え、希望も与えていきます。美しさを感ずることによる心が解放されていきます。心に緊張がある時エネルギーの流れが滞っていきます。美しさはその滞った流れを解放させ、エネルギーの流れをスムーズにもたらしていきます。美しいものは流れをスムーズに変換させるのです。美しいものを見た時、流れがスムーズになり心が安らいでいく、美しさはそれだけで癒しの効果があります。

一人ひとりの持っている美しさが何であるか、言葉の美しさ、表現の美しさ、行動の美しさ、それが古来日本人の持っていた雅、日本人はすべてに美しさを見出していました。動きの一つひとつ、歩き方の一つひとつ、言葉の一つひとつに美しさがあり、美しさの中で人々はいろんな表現を楽しんでいました。

お互いに表現し合うことにより常に心が解放され、美しい響きによって心が軽やかになり、常に喜びがもたらされておりました。美しさの中で過ごしていた日の本の人々は次第に欲が出て、我が出て、己だけを高しとし、己だけが上であると勘違いしたところから美しさが消えていき、心の解放も忘れてしまい、次から次と我を強くするものが増えてきました。

己のみを高しとする我をどのように取り除いていくか。美しい表現で取り除くことが可能です。己のみが高しとする我を持つものにも美しい表現で会話をし、美しい表現で思いを現わし、自然の美しさを見出した時心は解放し、自らの我の愚かさに気が付くでしょう。自らを高しとする我は極めて汚れており、醜く、美しさが乱れています。

心の美しさ、それにより自らの我がどこまで勘違いしているかが分かっていきます。己のみを高しとする我を持つものが次第に増えてきて、一人ひとりの意識の分裂がどんどん進み、美しさを共有し合っていた意識も薄らいできました。美しさ、それは一人ひとりが本来の心を素直に表現し、自分だけの表現の仕方で自分を現わした時とても美しい調和の取れた波動が現わされていきます。多くの人々が本来の自分を取り戻し、美しさと表現力で他の心をも解放させていく、ぜひそういう生き方を進めてみてください。


A素直さや謙虚さを大切に

私たちはアルテミスのグループで皆さん方と一番近いところで活動している仲間たちです。皆さん方の意識を調べるために皆さん方の世界にかなり近いところで毎日活動をしております。皆さん方の意識の近くで行動しているために、皆さん方の日常の考え方、行動の仕方がよく分かっております。私たちは皆さん方の考えを見て、良いとか悪いとか、愚かとかそういう表現を取るつもりは一切ありません。

皆さん方はそういうことを特に気にしすぎており、何かマスターやスピリットが来た時、怒られるのではないとか、注意されるのではないか、また見たくないところを言われるのにではないか、そういう思いを持ってやってくる人がおります。多くの人が注意をされたり、何かアドバイスをもらうことに特別な感覚を身に付けております。

私たちは皆さん方の先生として存在しているわけではありません。皆さん方に何かを教えるとか、皆さん方のためになることを言うとか、そういうことはほとんど考えておりません。皆さん方の人生は皆さん方のものであり、私たちが変えたりコントロールすることは一切不可能なのです。皆さん方の一人ひとりの人生、生き方そのものもそうであり、私たちがそこに介入することは不可能なのです。

皆さん方は一見アドバイスをもらったとか、何か良い話が聞けるとか、まるでマスターや天使を先生であるかのように思っている人がいますが、そういう意識そのものがかなり勘違いされている意識と言えます。おそらくこういうスピリチュアルな世界をつくり上げた人たちが皆そのように振舞っているのでしょう。スピリチュアルなことを知っている人が他の人によりも偉いとか、先生であるかのように行動していてスピリチュアルな知識のある人がそうでない人よりも分かっている、偉い、そういう認識が出来上がっているようです。

しかしスピリチュアルなことを知っていることと人生の先生とはまったく一致しません。場合によってはスピリチュアルなことをまったく理解しておらず、スピリチュアルなこととは正反対の認識をしていても、皆さん方の人生においてはとても素晴らしい先生となっている人もいます。スピリチュアルなことをまったく意識していなくても、常に正直で親切で人のために身を尽くして働いている人、とても素晴らしい先生と言えます。

スピリチュアルなことをまったく理解していなくても、朝早く起きて掃除、洗濯をし、家事をずっと一日中行ない、家族のために食事をしっかりと作って夜遅くまで家事をしている、こういう人も実は立派な先生と言えます。スピリチュアルな世界について熟知している人がいかにも人生のリーダーであるかのように思っているのはまったくの虚像であり、そんなことはまったくありません。

スピリチュアルな世界は皆さん方にとって単に興味があり、面白く、分からないことに答えを与えてくれるために勉強としては楽しいかもしれません。しかし私たちから見た時、結局そこに我が生じてきて、どんどん我を増長させるような活動をしたり、己のみが高しとする波動を広げていったりすると、それは決して良い先生とは言えなくなってしまいます。己のみが高しとする人々を次から次と養成していったり、己のみが高しとするグループをどんどん作り出していっている場合、これは私たちの世界から見て決してスピリチュアルな人とは言えないのです。

本当のスピリチュアルな人は我を強くするような学びは絶対に行ないません。我を強くさせる人を次から次と養成することもありません。単に面白いから、楽しいからという理由だけでスピリチュアルな勉強をしていくと、つい落し穴に落ちてしまい、いつのまにか己のみが高しとする、自分たちのグループだけが高しとする意識だけがつくられていきます。これは非常に危険な合図であり、そういう意識が出来上がってくると必ずどこかでそれを排除しようとする働きが行なわれていきます。

かつてのゴールデンドーンが途中からどんどん非難され、次から次と分裂をしていったのもそういう理由からです。皆、学んでいるものたちが自分たちが一番素晴らしい知識を手にしている、世界でも有数の知識を手にしている、己のみが高しとしている、そういう人々が次々と養成されていったために、そういう意識を排除しようとする働きが自然に起こり、それによって分裂、解散が行なわれていきました。

学ぶこと事態は問題はありませんが、何のために学ぶのか、自慢するために学ぶのか、本当の人々の幸せのために、心の解放のために学ぶのか、心の解放のために学ぶのであれば、自分にとっての一番の表現手法が何であるのかを見つけ、自分なりの表現手法を取って人々に美しさを見せていく、それが真の働きになります。しかし、表現をまったくせずにただ獲得した知識を自慢し、己のみが高しとしている場合、これは本来の求められている働きにはなりません。

こういう働きをしていると、いずれは追い出される流れに入っていくでしょう。いわゆるニューエイジとして言われている人々がそういう危険な意識の状態になっており、多くの人が己のみが高しとし、自分に都合の良い理論で他を非難し、他を非難することに喜びさえ感じているものがおります。非難するという行為そのものが神の波動ではありません。

他を下に見ている段階で神の波動とは程遠いものがあります。スピリチュアルな勉強というのは神として振舞う勉強であるために、他を下に見たり、他を避難する行為はスピリチュアルな世界とはまったく違う世界になっていきます。学びはじめの頃は多くの人が素直に感動し、学びを続けていきます。しかし段々学びの時間が経過してくると、同じような人々が集まってきてつい楽しい話題に花が咲き、どんどん展開していくうちに、ついいつのまにか自分たちだけが何か優れた学びをしているかのように勘違いをしたり、また新しい人々よりは自分が知っているかのような意識をつくり上げていきます。

常に自らの心を謙虚にし、いつまで経っても素直で純粋で謙虚な姿勢が必要となります。己のみが高しとする波動がどんどん広がってきて、今の日本がいくつにもいくつにも分断されてきています。本来日本人が得意としていた輪、協力し合う、助け合う、皆で一緒になって支え合う、こういう波動が現実から消えていっております。自分のことは自分でやれ、それは私のことではない、確かに自分の人生は自分でつくり上げ、自分で歩くことが必要でしょう。でも自分一人だけでは自分の人生は進まないのです。

単に他人をうまく利用したり、手伝ってもらったりするだけで完成することもありません。他人との関係において助け合う、支え合う、協力し合う、一緒にやることによってのみ人生は前に進みます。自分一人では進まないし、誰かに一方的にやってもらっても進むことはありません。お互いに学び合う、お互いに助け合う、お互いに協力し合うという波動が大前提なのです。

常に受身で自分から何も行動しない人、誰かが先にやってくれるまで黙っている人、誰かが見本を見せてくれてから動く人、これも日本人に持っているとても悪い癖です。いつのまにかこれが日本中に蔓延してしまいました。これも日本人をだめにしようとする悪魔からもたらされた波動です。したがって、まず誰かをやるのを見てから行動するとか、誰かに見本を見せてもらってから行動する、誰かがうまくやってから真似をする、これらはすべて悪魔にエネルギーを与えているのです。

自分から先に行なう、間違っても良い自分から先にやる、このエネルギーが今日本で一番必要です。ほとんど日本からなくなってしまいました。とても残念なことです。結局この波動を外国からもたらさねばならないために、外国人を日本に連れてこなければならない状態なのです。日本人が自分たちで行なうということを実現しない限り、多くの外国人を日本に呼んでこなければならないのです。

日本人以外の人が次々と日本に来ているということは、それだけ日本人には持っていないエネルギーを必要としており、もう日本人の手から離れてしまったエネルギーがたくさんあるということです。一人ひとりが自主的に行動する、しかし我を出さずに、素直に謙虚に行動していく、こういう本来の日本人の素晴らしいエネルギー、どうかまた活性化させて表現していっていただきたいと願っております。


それではアドバイスをしていきます。

Midori.Eさんの波動を見た時、まず自分についてまずしっかりと見ることが必要でしょう。見られることや他人からの視線にかなり意識が向いていて、自分の視線で自分を見ることができなくなっております。自分で自分を素直に、すべての自分を的確にそのまま見ていく、まずこの練習が必要となります。自分で自分を見る時にすでに色眼鏡をつくっております。自分で自分を見るのに色眼鏡を使っていてはいつまで経っても自分が見えてきません。素直に自分をそのまま見ていく、ぜひそのトレーニングを続けていってください。

Yukari.Kさんの波動を見た時、あなたの心にとても輝き始めてきている光があり、これはあなたにいずれ大きなエネルギーとなって現れていくでしょう。あなた自身に新しい希望をもたらし、今まで自分で気が付かなかった自分の本来のエネルギーが隠されております。他人との関りにおいて常にどこか比較していたところ、また意外と負けず嫌いなところがあり、それを自分なりに一生懸命見られないように振舞っている波動がありました。しかしその波動はあなたの本来のその光を出させないように仕組まれていた別のものの波動であり、あなたの本来の波動をわざと見せないようにさせていたものです。あなたがそういったものに自分で気付き、いちいち他人との関りにおいて自分を見るのではなく、素直に自分の波動をそのまま出すというところに意識が向いた時、あなたのその本当の波動が少しずつ表に出てきます。それはお互いの個性を認め合う波動であり、比較ではなく、一人ひとりの素晴らしさをただ表現していく、一人ひとりの違いを超えた美しさをお互いが認め合う、それにもたらす鍵を持っている光です。そのためにはまず自分がしっかりとその波動を身に付けること、一人ひとりの素晴らしい個性を自分が認めていく、自分自身もその一つであるということを心から信じていく、それによってその光があなたから放出されていきます。個性の輝き、ぜひそれを表面に出していってください。

Masami.Iさんの心の波動、あなたの心に大きくてまた繊細な波動があります。この大きくて繊細な波動は、新しいことをやる時にとても有効な波動であり、まず大きな希望と大きな方針がやってきて、新しいことをやる時にとても前向きに考えていく波動があります。しかしどの計画もいざ始めるとやはり難しく、中々現実化されず、先へ進まなくって行く、その段階で繊細さが動き出し、慌てることなくゆっくりと繊細に一歩一歩進めていく、そういう波動に変化していきます。新しいものを考え現実化させる時の波動がとても良く身に付いております。大きくて繊細な波動をぜひうまく使いこなし、新しいことの始まりにおいてうまく現実化させていく、その部分にうまく活用していってください。

Akiko.Iさんの心の波動を見た時、あなたの心に優雅さが残っており、言葉の優雅さ、表現の優雅さに特徴があります。あなたは優雅に表現をする能力があります。その優雅さにより心を穏やかにし、苦しんでいるものの心を解き放ち、辛いものの心を楽にさせていきます。優雅さは心を包み、優しさを与えていくでしょう。この優雅さを自分の表現として身に付けるためには、何か声に出して言う素晴らしい表現手法、言葉をうまく使いなが優雅に表現する、そういうトレーニングをしてみるととても良いと思われます。言葉を使って優雅に発することにより心を解放させていく、ぜひそういう表現をやり上げてみてください。

Korieさんの心の波動を見た時、あなたの心に大きな解放のための波動があり、常に何かを解放させようとする働き、何か捉われているものがいるとそれを解放させようとする働きが常に行なわれていきます。あなたの意識は何かに捉われているもの、何かに捕まっているものへと向いていき、それを解放させようとして動いていきます。したがって、自分がよくトレーニングしているのもすべて解放のために自分は何ができるのか、その人の心の解放には何が適切なのか、常にそれを学ぼうとする意識から出来上がってきます。解放のために自分のすべてを捧げている、まさにそういう人生と言えるでしょう。今後の流れを見た時、その人を捕らえているもの、縛り付けているものが何であるのか、概念であったり、その場の欲や思い込みで捉われたりしている人がいます。一人ひとり何で心が捉われているのか、それを的確に見抜く練習がまだ必要となります。すべての人が同じように説明できるわけではありません。一人ひとりの捉われ方がまったく違っているために一人ひとり違う見方で見ていく、ぜひそういうトレーニングを進めていってください。

Kimio.Iさんの心の波動を見た時、あなたの心に毎回変化が生じてきており、ここでのトレーニングにより又その変化がとても早く進行しております。自分なりの表現が何であるのか、今はそれをいろいろと考えている最中と言えます。自分にとって一番良い表現が何であるのか、これまでの経験から得られたもの、自分が身に付けている特技、いろんなものを総合して見た時、やはりあなたの肉体そのものに対する知識、肉体の動きと空間との関係、光と肉体との関係、こういったものについての知識をうまく使うことにより、肉体の解放にはとても良い効果があるでしょう。これをさらに心や魂、スピリットとの兼ね合いで見ていった時、一番日本で問題となっているのが、日本人的な概念にこだわっている人、日本人的な意識で執着を持っている人、そういう人の心のケアがポイントになります。肉体的なことや目に見えることの解放は行なわれても、目に見えない心での捉われは中々うまく進まず、心の解放が行なわれないうちは又元に戻ってしまうのです。いくら肉体的なところを解放させても心を解放させない限り、また元に戻っていきます。そういった面において真に必要なのは心や魂のレベルでの解放であること、肉体的なものはその場しのぎにしか過ぎないこと、そうすると本当の内面での解放をどう行なっていくのか、まずは言葉により心や魂の波動にうまく訴え掛け、心のレベルでの解放を目指していく、初めはそれに取り組んでみてください。言葉の使い方、表現の仕方によって余計に複雑になったり、解放するはずのものが頑なになってしまったりする場合があります。それはいずれも我を出した時に起こる現象となります。相手が頑なになった時自分は我を出してしまったということ、まずはそれを自分で気付いていく、そうすることにより自分のエネルギーの使い方がわかってきます。そして自らの我の解放を行なうと同時に相手の心の解放も行なっていく、お互いにそれを行なって高まっていくようにトレーニングをしてみてください。

Juri.Sさんの心を見た時、あなたの心にはとても大きな喜びがあり、私たちもとても大きな喜びと希望が感じられてきます。あなたも多くの人に喜びを与え、とても良いエネルギーがつくり出されていきます。多くの人はあなたからとても大きな喜びや平和を感じていくでしょう。しかしその大きな喜びもあなた自身は大きな大きな心の痛手でつくり上げられたものであり、あなた自身がそれを獲得するためにいろんな犠牲を伴ってました。それには多くの存在たちも理解を示しており、あなたが真に喜びを表現できることに多くのものが感謝を感じております。やはり喜びを表現するためには、それなりのトレーニングが必要でした。それをまったく感じさせないあなたの強さがとても素晴らしいです。しかし多くの人も実際にはそれを分かっております。人は誰でも辛さを乗り越え、そしてそれを心の糧にして他を愛することを身に付け、喜びを表現することを身に付けてきました。とても良い先生として理解されていくでしょう。さらなる大きな愛に向けて前に進んでいってください。

Akiko.Nさんの心を見た時、あなたの心は〜 【以下、録音失敗】


B一人ひとりのメッセージについて

私たちはアルテミスのグループとしてお話をいたします。今日は皆さん方のお話を初めから聞いていて私たちもとても面白い話を聞くことができました。やはり多くの人がパートナーシップについて興味を持っており、特に話の一つひとつに自分のことについて照らし合わせる傾向があることがとても面白く感じられておりました。

一人ひとり一般論のように話していながら実際にはかなり自分に関係した話をしております。私たちの世界から皆さん方を見た時に、他の人の話を聞く時には一般論として聞きながら、自分のことを話す時には自分との兼ね合いで話しているのがとても面白く、一人ひとりのつくり上げている全体の真理のようなものが一人ひとりまったく異なっております。

私たちの世界からアドバイスをする時に、全体に通ずる一つの話としてストーリーをつくる時に、全員にうまく話が合うようにつくる必要があるために、すべての人の話をうまく噛み合わせながら、今後の皆さん方の意識が良くなるように展開していく、そういうつくり方をして論理をつくり上げていきます。

時々どうしても個人には当てはまらない内容が出てくる場合があります。しかしいずれはそういう人が増えてくるのが理想と言えるのかもしれません。皆さん方が個性を発揮し自分の表現出していった時に、もう一つの大きな教科書的な解答では間に合わない、もう一つの標準的なメッセージがすべての人に当てはまらない、むしろそれが好ましいメッセージなのかもしれません。

そういった意味において皆さん方一人ひとりにメッセージを与えている、むしろそれが皆さん方の心と魂を歓喜させ、刺激さ、本来の自分が何かを見つけるヒントとなる、一般的なメッセージはあくまでも集合意識でのレベルでの話であり、皆さん方個人に降ろした時には必ずしも当てはまらない、そういったことが段々明確になってきます。

したがって、今後私たちからのメッセージを聞く場合も、そういう風に理解しておいてください。あくまでも一般的な話の時はハイアラーキーからの観点として人類、日本人に対しての大まかなメッセージであり、皆さん方一人ひとりの心を見た時には皆さん方一人ひとりの進むべき道に対してのアドバイス、やはり全体と一人ひとりでは内容がかなり異なっているということ、つまり皆さん方も他の人との話し合いをする時に、そういう観点が必要となってきます。

友達と話をする場合、仕事で話をする場合、家庭で話をする場合、一般論として話をすることとその場その場の相手と自分について話をする場合では、内容が違ってくる場合があるということ、そういった認識も必要になってきます。そして一般論だけで進めようとすると、個人が犠牲になってうまくいかない場合がある。個人だけをうまく話をしていくと一般論とは違う方向にいってしまう場合がある。一般論の場合と個人の場合との方向性が違っていることが多い、そういった観点で話をしてみた時、一人ひとりの意見が何故食い違ってくるのか、何故一人ひとりの好みが違うのか、何故一人ひとりの言っていることが違うのか、でもそれで良い場合があるのです。

一人ひとりが違っていても一般論で合っていれば問題はありません。そういう認識の仕方も勉強するようにしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2007 CentralSun
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