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2007/1/22■月曜交流会から

光のハイアラーキの役割

@物質に惑わされないこと

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。私たちは皆さん方の進化の流れを担当しており、皆さん方がこれから進む流れ、自分たちが選択した流れをどの程度自分たちで理解し、そして進んでいくか、一人ひとりの流れに担当を受け持っております。ハイアラーキーの中にもいろんな作業部隊がいて、人間との関り方がそれぞれによってかなり異なっております。

皆さん方の意識からすれば光のハイアラーキーはそれぞれが人間のために守ってくれたり、アドバイスをしてくれたり、あるいは何か教えて欲しいことがあれば、伝えてあげる、直感やインスピレーションを通して伝えていくという、そういう存在のように思っているようです。

しかし実態としてはそういうことはほとんどありません。私たちは必ずしも皆さん方の一瞬、一瞬を厳重に管理しているわけではありません。それを行っているのはいわゆるハイヤーセルフとか守護天使とかの役割になっていきます。まず私たちは人類の流れ、人類の進化ということを第一前提に考えていきます。

今この地球上で進化を進めている人類、皆さん方の言葉で言うアダミックシード、この人間たちは長い間この地球上にいて、そして今山場を迎えようとしております。人類の進化の絶頂期に向けて今まさしく絶頂期にふさわしい勝利者となるか、それとも絶頂期において勝利者となれずにここで脱落していくのか、その大きな節目にきております。

そして成功者となって最後まで辿り着ける一部の人と、多くの人が最後まで辿り着けずにまた別の場を探して移動していく、今その重要な岐路を迎えてきております。今の皆さん方の毎日の学びにおいて、いわゆるスピリチュアルな世界に意識を向け、自分の意識を高めようとして学びを重ねている、言うまでもなくこういう人々は勝利者をかなり目前としたいわゆる本来の流れに乗っている人々と言えるでしょう。

しかし皆さん方の本当の役割は自分自身が勝利者となるかどうかではなく、本来勝利者となれずにそのまま脱落してしまいそうな人をいかに救い上げていくか、このまま脱落の道を進んでいる人をいかに光の道に誘っていくか、皆さん方はそのために生まれてきています。ですから自分自身が生き残れるかどうかとか、自分はどうなるかということにおける関心は意味は持っていません。

皆さん方が生き残るかどうかの問題ではなく、今確実に光から離れている人、確実に脱落を目指している人をいかに救っていくか、光の方向へと導いていくか、それが皆さん方一人ひとりの価値になっていきます。皆さん方は他の人と同じように自分はどうなるのかとか、自分はどうやったら助かるのかとか、そういったことを考える必要は一切ありません。またそんな余裕もありません。

今のこの地球において毎日かなり多くの人が光の方向から脱落しております。かなりの大規模な規模で光の方向から去っております。何故光の方向から去っていくのか、言うまでもなくまず自分の心をコントロールできない人が圧倒的に多く、特にこの日本においては心を厳しく保つ人がほとんどいなくなっております。

自分の心を律するだけの強い意志を持った人がほとんどいなくなってきて、皆に合わせていく、皆と同じことをする、教科書通りに書かれていること、言われていること、テレビで言っていること、そういった方向にただ足を向けておけば大丈夫、そういう人が圧倒的に多いのです。

言うまでもなく今の世の中において大多数の人が望んでいることは、楽をすることであり、手っ取り早く成功を手にすることであり、皆から見て良いものを手にすること、こういったことはスピリチュアルな方向と程遠い場合があり、単なる三次元的な成功しか目を向けていません。

スピリチュアルな方向にいかに目を向けるのか、一般にスピリチュアルな方向に目を向けるためには三次元的な現象に惑わされないこと、三次元的な成功に目を取られないこと、これがまず第一のポイントになってきます。しかし世の中では三次元的な成功をいかに手に入れるか、いかに三次元的に成功するか、これが求められております。

したがって、純粋にスピリチュアルな成功を手に入れようとするのであれば、三次元的な成功を手放す必要があります。それは多くの人にとっては受け入れ難いことでしょう。これだけスピリチュアルな勉強をして実際に金銭的な投資をして、神を味方にし、天使を味方にしていながら三次元的な成功は要求できない、これは多くの人にとって理不尽なことと思われるでしょう。

三次元的な現象そのものがどうかこうかという問題ではなく、三次元的な現象に執着していたり、三次元的な成功を手に入れることによって楽をする、他の人よりも上にいるような感覚を手にする、こういった気持ちを身に付けていたのであればそれはスピリチュアルな人生を目指している人とは言えません。結果的に三次元的な生活を望んでいるのです。

スピリチュアルな生き方を望んでいるわけではないのです。スピリチュアルな知識を武器にして三次元で成功しようとしているのです。こういった人たちはスピリチュアルな人とは言えないのです。スピリチュアルな成功というのはスピリチュアルの方向に生きながら三次元的なものをツールとして使うことです。

しかし多くの人は三次元の世界においてスピリチュアルなことをツールとして三次元的な成功を手に入れようとしています。これは自分の生きている道が三次元の道であるために、結果的にスピリチュアルな道に歩んでいるわけではありません。そしてこういった人たちは地球自身の新しい波動には付いていけないのです。

地球自身がこれから入ろうとしている高い波動においては、スピリチュアルな意識が最低限必要な条件となります。したがって、三次元的な生き方を望む人、物質的なものに意識が取られている人はスピリチュアルな方向性とはて違うと言わざるを得ません。

ではスピリチュアルな道を選んだ人は皆三次元的にうまくいかないのか、そういうわけではありません。スピリチュアルな道を歩んでいながらも現実的なこと、物質的なことをいかにツールとして使っていくか、ツールとして使うということに割り切って、ツールの使い方を正しく使えば、それによって三次元的なものを楽しく使うことができるでしょう。

あくまでも物質的なものをツールとして使う、この意識が必要なのです。金銭はツールであり、したがって富もツールの一つであること、物質、また肉体における能力や美しさ、与えられた知性、環境、すべてをツールとして割り切ることです。それらをツールとしていかに良い方向へと多くの人々を導いていくか。しかし多くの人は与えられた三次元的なものをツールと理解するのではなく、目的として思ってしまいそれを手に入れることに執着してしまいます。

いつの間にか金銭を手に入れることが目的になってしまう、美しさを手に入れることが目的となってしまう、肉体的な能力を得ることが目的となってしまう、そして最終的には現世的な世界における名声、評価、人から良く思われることを目的としてしまう。これらはすべて物質世界のことであり目的にはなりません。

たまたま得られた美しさ、名声、評価、それをまた武器として使うことは良いでしょう。それらをツールとして使い、人々の意識をまたスピリチュアルな方向へと向けさせるために使ってみる、少しでも人々の意識が高まる方向へと使っていく、それはとても良いことでしょう。自分の歩んでいる道がスピリチュアルな道を歩む上でさらに物質的なものをツールとして使っているのか、それともスピリチュアルなことを武器として現実世界における富や名声、美しさを得ることを目的としているのか、これらは似ているようではありますが方向性はまったく逆になります。そして光を向いている人と光から離れていく人、この差が生まれてきます。歩んでいる道はまったく正反対なのです。

一見同じように見えていながらもまったく正反対の道を歩んでいる、それ故に毎日毎日多くの人が光から遠ざかっております。毎日多くの人が光から遠ざかる、これは私たちにとってどれだけ辛いことでしょう。それまでスピリチュアルなことに興味を持っていなかった人がアデプトを受けたり、ティーチャーを受けたりしてスピリチュアルな世界に入っていく、しかしその大部分の人がスピリチュアルなことを武器として現実世界での成功を手に入れようとする、これは光から離れているのです。

多くの人がスピリチュアルな勉強をし、楽しみながらも光から離れていく、これほど私たちにとって辛いことはありません。皆さん方も多くの人がそうやって友達をいっぱい光の世界に導いてきました。友達から変に思われるとか、親兄弟から変に思われる、それだけの覚悟を徹して自分たちの世界に紹介し、イニシエーションを受けたり、光を与えたりして意識を変えさせようとしてきました。

しかし多くの人がその結果、光から離れていきます。結局自分たちの歩いている道は物質世界の道だけであり、スピリチュアルの道に入ることができなかったのです。皆さん方がスピリチュアルなことを他の人々や友人、信頼できる人に話す時にスピリチュアルの道を歩むという本当のことを中々伝えていないのです。

ただ単にスピリチュアルの面白さ、不思議さ、知識、自慢すること、それしか伝えていないのです。私はこれだけスピリチュアルなことを知っている、これだけ自慢できる材料がある、どうだ俺の方が知っているだろう、これらはすべて自慢するためにスピリチュアルを利用しているだけであり、スピリチュアルの道を歩いている人ではありません。

私たちは自慢するためにこの場を使っているわけではないのです。スピリチュアルな道を歩いてもらうためにこの場を使っております。ハイアラーキーからこう言われた、マスターからこう言われた、このアドバイスを皆さん方がどう使っているか。単に三次元の道を歩いているのを正当化するためにメッセージを使っていたのであれば、やはり光から離れていることになるでしょう。

逆にアドバイスをスピリチュアルな道を歩く礎として、指標として目印として使い、あくまでも三次元的なものをツールとして人々にまた連絡していく、伝えていく、これはその人はスピリチュアルな道を歩いていると言っても良いでしょう。自分が本当にスピリチュアルな道を歩いているのか、それともスピリチュアルなものを道具として基本は現実の物質世界をただ歩いているだけなのか、一人ひとりがそれを本当に見つめる時期に入ってきております。

これまでは少々別の道を歩いていてもあまり厳しく言うことはありませんでした。まだいつでも戻ってこれる余裕があり、またそれを連絡してくれる機会があったからです。しかし段々時間が進むにつれ、戻ることが難しくなるような事態に入ってきています。もう放っておいたらどんどん離れていってしまう、そういう人が少しずつ現れてきております。

修復が難しい時期に入ってきているのです。自分は本当にスピリチュアルな道を歩いているのかどうか、それともスピリチュアルなものをただ道具にして、ただ人にいろんなことを言っているだけに過ぎないのか。単に自慢したり、知識を広げたり、三次元的な名声や評価を得るのが目的なのであれば、残念ながらスピリチュアルな道とは違う方向へとどんどんどんどん進んでいっているということを理解しておいてください。


Aハイアラーキの新人

私たちはハイアラーキーの新しい仲間と思ってください。新しい仲間というのは最近ハイアラーキーに入ったばかりということです。したがって、意識レベルではまだ皆さん方の人間的な意識をかなり理解できます。先ほどのようなメッセージを与えると多くの人が落ち込んでしまい、私はだめだとか、また怒られてしまったとか、すぐそうやってお友達に言っていきます。

ですから少しでも皆さん方の心が楽になるようにと、私のような新しいものが呼ばれてきました。皆さん方の人間の意識レベルではまだまだ理解できない世界がたくさんあります。皆さん方は今日心ということをテーマに学んできました。とても良いテーマです。所詮は一人ひとり心が違うために皆で同じ価値観で話すということが中々できないのが普通になります。

おそらく皆さん方お家に帰って兄弟や家族の人と同じように心について話してみるとよく分かると思います。おそらく共通点はまったくないでしょう。一人ひとりまったく違うどころか家族でさえも接点が見出せないと思います。しかし皆さん方のお昼の学びにおいては皆さん方が同じような価値観で同じように心を話しておりました。

これは普通の会話では中々なし得ないことです。そう思いませんか。自分の本当に話せる友人と話した場合でも普通は心の見方、魂の見方が根本的に違っており、まったく共通の話題にはなりません。でも皆さん方は同じような方向性から同じような価値観で心や魂について学んでおりました。

これは私たちにとってもとても面白い学びになりました。今後のスピリチュアルな世界においてどういうテーマでどのように話していくのか、どういう風な直感やインスピレーションを与えたら皆さん方が同じような方向性に向いていくのか、そういったことを調べるのにとても良い材料となっております。

いわゆるエソテリックとかセオソフィ、エタフィジックスの世界においては、それぞれの書籍があり、書籍の概念に従って学んでいる人がとても多いものです。アリスベイリーにしてもブラツキーさんにしても書かれた概念に従って皆さん方が勉強し、それが間違っているとか、それは正しいとかいう評価をしていきます。

それによって同じような概念を身に付け、誰が良く知っている、あの人はまだ分かっていない、そういう風な評価をしていきます。もう皆さん方はすでに理解されていると思いますが、所詮アリスベリーにしてもブラバツキーさんにしても書かれてあることと実際のスピリットの構造はまったく違います。本に書いてあることを自慢げに話したところで事実とはまったく違います。

本に書いてあることを自慢げに話している人を見ても私たちはどう評価して良いものかとても迷う場合があります。ましてや本に書かれていることを自慢げに皆に話している人を見る時、皆が同じ間違った概念を身に付けていく、本人はそれを信じて一生懸命勉強し身に付けたものであるために、悪気があるわけではありません。

でも全員が間違った概念を身に付けているという面においては、間違って導いていることと同じです。ある意味では麻原彰晃と同じになります。多くの人を誤った方向へと導いているのです。でも私たちはいちいちそれに対してどれが間違いとか、どれが合っているということを言うことは許されておりません。

それは皆さん方が行なうことであり、私たちはそれに対していちいち人間をコントロールすることは許されておりません。私たちは一つひとつが正しいとか間違っているとか言うことは一切あり得ないのです。しかし多くの人がいわゆるチャネラーを通して聞きに来ます。これは合っていますか、これは間違っていますか、私たちはそれを答えることは許されてはいないのです。ほとんどの場合は黙っています。

しかし、チャネラーの場合にはほとんど答えがくるという意識で質問してきます。そうすると何が起こるのか、私たちは何も答えません。本当のチャネラーは答えがないという風にして諦めて交信を打ち切ったり、何も言ってきませんでしたと皆の前で素直に言うでしょう。しかしやはりエゴにまみれたチャネラーは何らかの情報を伝えようとします。一生懸命何か伝えようとします。そうするとそれこそまったく関係のないものがやってきて、勝手なことを言っていきます。

チャネラーはそれをキャッチして、あ、これは正しいとやっぱり言っています。そうやって皆に報告をしていきます。多くの人もやっぱり、あ、やっぱりこれは正しいんだ、と理解しこのチャネラーはなんと素晴らしいんだろう、そう評価してチャネラーの評価を皆で自慢げに話していきます。

一般に天使でもマスターでも人間から質問されたことに対して必ずしも真実を全部言うということはほとんど有り得ません。まず人間的な質問そのものがマスターや天使の世界から見て意味のないものがたくさんあるからです。意味のないというものはそもそも質問になっていない場合があったり、質問そのものがナンセンスだったり、別にどう答えても良かったりするケースです。

皆さん方はただ良いか悪いかだけに捉われており、場合によっては自慢すること、自分が良いチャネラーであるということを自慢したい人、そういうつもりでチャネリングしている人が多いのです。そういうエゴを満たすため、自慢するためにチャネリングをしている人に関してはどのような答えであれ私たちから情報を流すこと自体が、その人のエゴを増長させ、結果的に世の中をおかしくしていきます。

したがって、そういう場合には私たちはまず答えを出すことはありません。良くても悪くてもチャネリングそのものがその人のエネルギーをおかしくしてしまうからです。しかしその人は強引に何らかのチャネリングをしようとします。そうすると本来許されていないものたちが入ってきたり、全然別の情報が流されていくのです。

皆さん方は今スピリチュアルな学びをしております。先ほど言われたようにスピリチュアルなものを歩くべき道の指標として学んでいるのか、それともそれら道具として自分の三次元的な生活のために使おうとしているのか、それによってエネルギーがまったく違ってきます。スピリチュアルな道を歩いている人は本来スピリチュアルな方向性のエネルギーが流れてくる、それだけで良いのです。スピリチュアルな道を歩いているだけで充分なのです。他に何もする必要はありません。

ただそれだけではつまらないという人のために三次元的に何らかの楽しみを得たい人はそれらをすることは可能でしょう。スピリチュアルな道を歩いていて三次元的な楽しみを得たい人はそれはそれで三次元的なものをツールとして楽しみを演じていってください。そうではない人、基本的に物質世界に身をよせていて、単にスピリチュアルなものを道具として自慢したり、周りから良く思われようとしたり、人よりも上に行こうとしたりしている人、この人たちは基本的にスピリチュアルな道を歩いているわけではありません。

つまりハイアラーキーからのちゃんとした情報が来ることはまずありません。ハイアラーキーとは別の世界を歩いているのです。皆さん方が今どこに向っているのか。本当は皆さん方が少しでも軽くなる話をするつもりで呼ばれてきたのですが、先ほどと同じテーマになってしまいました。まだ私が入ったばかりで未熟なものですからすいません。

私たちもハイアラーキーの中でいろいろ学んでいるところが多く、人間としての意識を理解している分だけどうしてもやはりマスターたち、天使たちとは意識が合わないところがたくさんあります。でもそれは基本的に皆さん方が今三次元の世界においてマスターや天使の考え方が分からない、光のハイアラーキーがどうなっているのか分からない、それとまったく同じ意識なのです。

私たちのようにハイアラーキーになってもやはり、光のマスターたちの考え方、光の天使たちの考え方が中々分かりません。本当に上には上がいて、少なくとも人間の時に思っていたマスターや天使よりはさすがにいろんなことは分かっていますが、分かれば分かるほど分からないことが山積みになってきます。本当に不思議な世界です。

マスターといっても一人ひとり全部違います。会う人会う人、まったく違う個性を持っていて、違う光を持っていて、違う特質を持っていて、同じマスターというのは一人もいません、まったく違う人々ばっかりです。これはおそらく人間の意識から見たらびっくりするでしょう。エネルギーがまったく違うのです。でもどのマスターもとても素晴らしいエネルギーです。会った瞬間に思わず土下座をせざるを得ないような素晴らしいマスターがたくさんいます。

まともに顔を見ることができないマスターもいます。マスターの目の前にいること自体がとても恥ずかしく、どんどん自分の体が小さくなっている感じがします。もうとってもとっても大きなマスターがいて、自分はそのマスターの足元にも及ばないくらいまだまだ未熟だというのが瞬時にして分かってきます。

これだけ素晴らしいマスターがあちこちにいるのです。皆さん方はマスターを見ることができなくて幸せなんですよ。本当に恥ずかしくて恥ずかしくて逃げ出したくなってしまいます。マスターの光に比べて何と自分が汚れていることか、何とエゴまみれでまったく会わす顔がなくて、せつなくて、取り返しがつかないことをたくさんしてしまって、本当に悲しくなってしまいます。

でもマスターたちはそんな私たちをまったく叱りもせず、変に思う事もせず、恨んだりもせず、暖かく暖かく見守ってくれます。そしてそういうマスターの前に来るとやはり自分もそれだけのマスターになりたいとか、やはりそのパワーを欲しい、自分もそれだけの大きな光を身に付けたい、そういう感覚になってきます。

マスターからの一言一言が自分の心に本当にズシンと伝わってきます。マスターの一言で本当にそんなに大事なことだったのかとか、いかに自分が未熟だったのか、本当に何もしないで何も分からないで、何千年、何万年と間違ったことを繰り返してきた、いろんなことが分かります、皆さん方のように今お互いにいろんなことを話し合って自分のことが分かってくる、自分嫌なことを相手が言ってくれる、これはとても良いことです。本当に良いことです。スピリットの世界に来た時誰も言ってくれません。

それこそ何千年、何万年経ってからマスターの一言で言ってくれる、これしかないのです。目の前でいちいち指摘してくれる人はどこにもいないのです。今皆さん方がお互いに指摘し合える、あなたのこれがこうなのよ、確かに嫌かもしれない、でも肉体を失うと誰も言ってくれないのです。

何万年経とうが、何十万年経とうが誰も教えてくれません。自分で分かるまでただ繰り返すだけのことです。今自分の欠点を言ってくれる人がどれだけ素晴らしいか、本当に肉体がなくなったら分かります。肉体のあるうちに自分の欠点を指摘してくれる人、愛してあげてください。それでは皆さん方へのアドバイスをしていきます。

Mami.Mさんの流れ、これについてお話をしてみます。今あなたの学んでいる流れ、この光の方向にまっしぐらの道はとても素晴らしい道を進んでおります。あなたが自分で決め自分で見つけ、自分で歩いているこの道は確実にスピリチュアルな恩恵が得られる道となっております。そして多くの人を少しでも光の道へ誘おうとしていろんな人に声を掛けていく、これもとても素晴らしいことです。多くの人があなたによってスピリチュアルなこととは何であるのか、何がスピリチュアルな方向なのかを理解することができました。自分がさらにスピリチュアルな方向性を確固とするためには、やはり三次元的な現象における落し穴、誘惑にまだ理解していないところがいくつかあります。スピリチュアルな成功と三次元的な成功、やはりこれは別であるということをしっかり理解する必要があるでしょう。スピリチュアルなことをすべてうまくやれば三次元的なものがすべてうまくいく、そうとは限らないのです。今日のお昼で学んだように三次元的な成功は心の満足感が多く、それは人によって評価が異なってきます。スピリチュアルな成功は必ず成長をもたらしていきます。したがって、スピリチュアルな成功と三次元的な成功ではかなり方向性が違います。これを共通なものにしようとすると必ず無理が生じ、お互いの接点にずれが出てきます。したがってスピリチュアルな世界における成功、これと三次元の世界における成功は別のものとして切り離し、自分は自分でどこでどうそれらを感じていくのか、それを追及するようにするとスピリチュアルな道の歩き方がもっと楽になっていくでしょう。自分の意識の持ち方、心の在り方を少し考えてみてください。

Kimio.Iさんの流れについて、あなたの今の学びの方向性、自分としては確実にスピリチュアルな方向に向って学びをしている、おそらくそういう自信があるでしょう。実際そういう体験もし、学びを通して他の人に負けないくらいのスピリチュアルな知識は身に付けてきました。しかし歩んでいる道が本当にスピリチュアルな道かどうか、スピリチュアルな道を本当に歩んでいればスピリチュアルな意識レベルがどんどん成長し、他の人の見方が変わってくるはずです。おそらくあなたから見て他の人の見方はそれほど変わっていないと思われます。スピリチュアルな勉強をする前もスピリチュアルな勉強をかなり行った今でも他の人に対する目線、見方、心のレベルはそんなに大差ないと思われます。自分自身の持っている興味はどこにあるのか、スピリチュアルな道を歩むこと自体ではなく、スピリチュアルな知識や現象、興味に過ぎなかったかどうか、自分の歩いている道が本当の道を歩いているかどうか、やはり根本から考えてみる必要があるかもしれません。しかしこれはスピリチュアルな道を歩いていないとか外れているという意味ではありません。スピリチュアルな道を確かに歩いてはおります。ただ脇道が多く、スピリチュアルな道の中でのあちこちの脇道に入って、本来の通りに中々進んでいかないという現象と言えるでしょう。脇道があまりにも多いためにどれが本当の道なのかが分からなくなっているのです。スピリチュアルな道の中における脇道と本来のスピリチュアルの道、これらを区別する能力を身に付けていってください。

Juri.Sさんの流れ、あなたは本当に純粋に真面目にスピリチュアルな世界を見、眺め、そして取り組んでおります。あなたの周りには本当にスピリチュアルな道を歩かせようとする存在たちがとても多く、そしてとても熱心に手伝っております。あなたはおそらくそういった存在のエネルギーを感じているものと思われます。何だか分からないけれども多くのスピリチュアルな存在が手伝ってくれている、おそらくそういう感覚があるでしょう。そしてあなたの歩んでいる道、時々曲がりくねったり、斜めに行ったりはしていますが、確実にスピリチュアルの道を進んでおります。そして反れると言っても大きく反れるわけではなく、やはり自分が分からないことを興味のあることがあれば、そこを徹底的に調べていく、とことんまずやってみてから先に進む、その時に一時的にスピリチュアルの道から外れたり、別の観点からずれてしまうものであり、それは決して間違いではなく、むしろそういったことは全然問題ありません。したがって、流れとしては今までのようなやり方で進んでいってまったく問題ありません。能力的にスピリチュアルな能力をもっと身に付けたい、そういう意識があるでしょう。そのためにはやはり瞑想を深くできる能力が必要とされております。やはりそういったことに取り組む意識も持ってみてください。

Yukiko.Sさんの流れを見た時、あなたはとても強い心を持っており、一度決めたからにはそれをとことん貫き通すという強さがあります。したがってスピリチュアルな方向性においても一度その方向性がしっかりと自覚され、その道を本当に歩んでいこうという決意があればその道をとことん突き進んでいくでしょう。これまでの流れにおいて確実にそうやってスピリチュアルな道に進んだこともありますが、時々あまりにもそれにこだわりすぎ、スピリチュアルな道が少し方向が変わったり、曲がっていたとしても自分の方でまっすぐ進んでしまうという傾向がありました。したがって、方向性というのを自分の決めた信念に従うのではなく、本当に今歩いている道がスピリチュアルな道なのかどうかを常に判断できる余裕で、心の持ち方が必要となります。最初に決めてつくり上げた信念の道ではなく、常に歩いている道を自分で客観的に評価し今本当にこの歩いている道がスピリチュアルな道なのかどうか、これで本当に自分の成長が行われるかどうか、そういったことに常に意識を向ける必要があるでしょう。もしそれさえ身に付ければ、強い意志によって確実にスピリチュアルな道から外れることのないとても良い歩き方ができるものと思われます。

Hitoe.Oさんの流れを見た時、あなたの流れ、常に客観的に大きな観点から道を見て、そして確実に問題のない道を常に歩んでおります。歩み方のスピードは一見遅いように思われますが確実に歩いているということが大事であり、その面においては地道に少しずつですがスピリチュアルな道を歩いております。自分がこれで良いのかどうか、そう思う時が何度もあるでしょう。歩いていることは確かで問題ありません。ただ今世の中の流れ、多くの人の意識の流れを見た時、やはりもう少しスピードアップさせる必要性があるでしょう。自分のペースではなく地球のペースを感じてみてください。地球のペースは段々自分のゆっくりとしたペースでは合わなくなってきているのです。地球そのものもある程度ぺースを上げようとしているのです。したがって、あなた自身もペースを少し上げてみて、少なくとも地球のペースにずっと付いていけるように、地球の流れと一緒に進んでいけるような意識を持ってみてください。

Namiko.Tさんの流れを見た時、あなたの流れ、本当にユニークでとても面白くむしろ周りで見ているいろんなガイドたちがとても興味を持って眺めております。あなたにしかできない選択を時々することがあり、これは周りのガイドたちも意表をつかれた感じでその後のフォローに懸命に走り回る場合があります。でも多くのガイドはそれを承知やってきており、ある意味では汗をかきながらも楽しく行っております。あなたは自分の好きなようにやっておりますが、しかし確実にスピリットたちを信頼しきっており、またハイアラーキーの仲間たちに対しても全幅の信頼を持っております。そのためにハイアラーキーたちは確実にあなたの手助けをしております。あなたの場合には道を歩くというよりも私が道をつくるという感じで進んでおります。これはこれで確かに一つのやり方として成り立つでしょう。ここで一つ言わなければならないのは、これはあなたにしかできないことであり、このやり方を他の人に言ったとしても誰もできません。自分がうまくいくからといって他の人がうまくいくとは限らないのです。したがって自分のやり方を他の人に強制することだけはやめた方が良いでしょう。あくまでも自分だけのやり方であり自分だけがうまくいく、他の人は他の人のやり方があり、それは何なのかをあなたが見つけていく必要があります。そして人それぞれに見合った歩き方、人それぞれの歩き方をアドバイスできるようにしていってください。

Akiko.Iさんの流れを見た時、あなたは最近とても良く意識を高め、また自分の人生や家庭、家族のためにどう使えるかをとても良く意識されております。自分の役割が何であるのか、本当に真面目に取り組みとても良いスピリチュアルな人間として評価されております。あなたの歩いている道、とても良い道を歩いております。とても素直であり、言われた言葉は一つひとつを大事に大事に受け取り、本当に自分のために生かそうとしております。スピリチュアルな道を完璧なものにするためにはやはりこれまで長い間つくり上げてきた概念というものがあり、この概念の中には三次元的な評価の概念もたくさん入っております。やはりスピリチュアルな勉強をするまでに身に付けてしまったもの、現実の社会における生き方、人間関係、付き合い方、まだまだこういったものに意識を捉われる場合が多く、スピリチュアルな生き方を学んで良く分かったと思っても行動する時に普通の物質世界の生き方に戻ってしまう場合があります。しかしそれらはこのスピリチュアルな学びを続け、少しずつ自分で変えていくことによりいくらでも修正は可能でしょう。それは決して致命的な問題になっているわけではありません。ですから今のペースで時々人間関係にいろんなことが起こったり、物質世界でいろんなことがあったとしても、そういったものに捉われずに基本的にはスピリチュアルな生き方をしっかりと進めていく、自分自身を成長させる方向へと道を進めていく、常にそういう意識を持って進んでいってください。

Hiromi.Yさんの流れを見た時、あなたの流れ、いろんな学びを続けることにより知識的にはいろんなことを学んでこられました。頭の中で少しずつ整理されていき、自分について、人生について、人との関係において学ぶことができました。いろいろ学んだことを実生活にどうやって生かしていくか、三次元的な世界をいかにスピリチュアルの生き方に変えていくか、実際にそこの場においてまだあまり変化してないところがあります。いろいろ知識は増え、学んだものが多く、ツールを手にしても中々それを使いこなせず、まだスピリチュアルな道を完全に自分のものにしていないところがあるのです。どこかでまだ信じきっていないところ、自信がないところ、確信が持てないところがあり、ツールのままで留まっているのです。スピリチュアルなものをツールとしてではなく自分自身として、道そのものとしてしっかりと自信を持って歩く、この勇気が必要となるでしょう。また決意であり、信じきる信念、その根本のところがまだ完全なスピリチュアリストになっていないとも言えます。勉強のためのスピリチュアリストではなく、単に知識のためのスピリチュアリストではない本当に生きる指標としてのスピリチュアリズム、自分の存在そのものとしてのスピリチュアリズム、そういった根本のところにいろんなスピリットの情報を入れていってください。

Sayoko.Kさんの流れ、あなたの流れを見た時、あなた自身の心の中でつくり上げてきているスピリット、自分が一生懸命学んでいるミステリー、こういった情報やエネルギーと自分が本当に歩んでいる現実世界、まだまだここにギャップが多く、どうしても心の中だけの世界、あるいは感覚的な世界に留まっております。自分の実際歩いている現実そのもの、体験している毎日の生活そのものが、これがスピリチュアルな生活なのかどうかというとまだ自分で理解しきれていないと言えるでしょう。やはりまだ三次元的な生活がとても意識の中心にあり、今の生活がスピリチュアルな生活だという風な意識になりきっていないところがあります。やはり今後スピリチュアルな生活をするためには、今まで教わってきたものが本当に現実であること、単なる情報やエネルギーではなく世界そのものであること、今自分はスピリチュアルな存在としてスピリチュアルな道を歩いていること、それを信じきる必要があります。まだどこかで完全に信じきれておらず、単なる情報やエネルギーに留まっているのです。今後の流れをしっかりとした道とするために、ぜひ今の目に見えるもの、聞こえるものすべてがスピリチュアルな生活であること、それをはっきりと自覚できるようにもっていってください。

Akiko.Nさんの流れを見た時、あなたの意識の中ではおそらく物質世界もスピリチュアルな世界も区別はしていないでしょう。ある意味ではどうでも良いことであり、そういう捉われそのものが三次元的なイメージに思われるかもしれません。一番必要なのは確かにあなたの思っているように三次元的なことやスピリチュアル的なことと区別することではなく、そういった意識なくても自分の行動そのものがハイヤーセルフやマスター、神の願いに沿っているかどうか、いちいちスピリチュアルや物質的なことという区別なくして生活そのものが神の意志に合っているかどうか、確かにそういうことでしょう。そういう観点で見た時、あなたは確かに神の意志に従った生き方をそのまま具現化していると言えます。あなた自身がそれに対して納得しきれていないのは自分がこういう生活をしていても、これで良いのかどうかという保障が得られないこと、他の誰に話しても誰も評価してくれないこと、評価しようがないこと、比べようがないこと、そういったところにいろんな不安や恐れが出てくるでしょう。あなた自身はそういった評価とはまったく別の次元で生きているために、おそらく自分自身が自分で認めるしか方法はありません。あなたを褒めてくれるのはあなた自身であり、あなたを叱るのもあなた自身です。自分で自分を叱咤激励する、自分で自分を厳しく導いていく、こういったエネルギーが必要になってきます。今まではどうしても自分を甘やかしたり、そのままで良いよというエネルギーを必要としていました。しかしやはり自分を確実に前に進めていく、少しでも自分にとって良い道へと向っていく、この意識も必要となります。あなたにとって自分を成長させる道とは何であるのか、おそらくそれが自分では分かっていないでしょう。あなたの波動から見た時、あなたを成長させるもの、前に向わせるもの、それは言うまでもなく一人ひとりがあなたと同じ側面を持っています。一人ひとりが誰にも理解されない、捉えどころのない、言葉に現わせないものを身に付けています。そしてそれは多くの人が他の人には見られたくないところであり、しっかりと隠し通しています。多くの人は他の人に見られても大丈夫なところだけを他の人に見せています。知識であったり能力であったり美しさであったり、いろんな他の人から評価されるところを表に出していきます。そして捉えられないもの、捉え難いもの、知られないもの、こういったものは自分の心の奥底に隠し通しております。あなたはそこに手で触ることができるのです。あなたはそれを感ずることができます。一人ひとりの中に隠されている知られたくないもの、自分でも隠しているもの、あなたはそれを表に出すことができるのです。多くの人はあなたを見て変な人とか、不思議な人と思うでしょう。でもそれこそがその人の持っている見られたくないところなのです。その人が持っている捉えられないものなのです。あなたはそれを見せているのです。それだけすべての人に対していろんな人の不思議なものを見せることができる。自分はそれだけ大きな器を持っているということを理解し、自分自身をそうやって愛し、慰め、また叱咤激励させながら、より強くいろんな人に気づかせを持っていってください。


皆さん方の流れについて話をしてみました。多くの人は確実に光の道を歩いております。始めに言ったようにそれは当たり前のことであり、皆さん方に必要なのは自分自身が光の道を歩けるかどうかではなく、むしろ光の道から離れていく人、光の道に入ってこれない人、そういった人たちにいかに皆が手助けをすることができるか、それが一番のポイントであることを常に覚えておき、あまり自分自身の道にはこだわらないようにしておいてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


Bスピリチャルな道

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。皆さん方の今の学びにおいていろんなお話がなされております。普段中々スピリチュアルな生き方や生活について話をすることができないために、今の場においての会話一つひとつが皆さん方にとってとても良い経験であると思われます。

特に友人同士でスピリチュアルな話をした場合でも、話していることが本当にスピリチュアルな方向になっているのかどうか、こういう考え方が良いのかどうか、自分の勝手なマインドでイメージしていないかどうか、おそらくその区別がほとんどついていないために、単なる雑談のようになってしまったり、単なる自分勝手な考えで終わったりする場合があります。

しかし今ここで皆さん方が話しているのを見ると、確かにスピリチュアルな観点から議論が行なわれたり、自分のことを見つめたり、他の人を眺めたりしております。いわゆるこれが先ほどから言っているスピリチュアルな生き方、スピリチュアルな道を歩いているという証になります。常に他の人のことを話す場合でも、その人が少しでも前向きに、前に、より良い方向へと向うようなアドバイスをしてあげる、自分は自分で正直に自分の心を見つめ、反省し、正しい道を歩いていけるようにする、これがスピリチュアルな生き方と言えるのです。

しかしそういう自分の心を見つめたり、他人を愛することを忘れたり、他人の成長のことを忘れて、ただいかに儲けていくか、あるいは悪口を言ったり、波動が下がるようなことを言ってしまう、これは普通の世俗的な生き方になるでしょう。スピリチュアルな道を歩くということと、そうでないことの違いをそういった考え方一つひとつからすぐに見分けが付き、修正できるようにしておく、そういったことが分かってくれば常にスピリチュアルな道を歩いているかどうかが分かるようになっていきます。

したがって、何がスピリチュアルな道か分からないと思っていた人、そういった基準から少し眺めてみるようにしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2007 CentralSun
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