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2006/12/18■月曜交流会から

心の強さを身につけること

@キリスト意識は尽くすという強さ

私たちはハイアラーキーの仲間としてやってきました。今日は十二月の月例セミナーと同じタイミングで波動を降ろしてきており、皆さん方が話し合われていたイエスの波動についてもう少し説明をしたいと思います。昼間のセミナーにおいてはキリスト意識にかなり重点をおいて説明をしていきました。

しかし多くの人がキリスト意識に接点をつくろうと思っても中々はっきりと繋がりをつくるのが難しいという意識状態を感じておりました。日本人にとっては最後までやり通すとか、貫き通す、徹する、徹底してやるという波動がかなりキリスト意識に近いものがあります。一度何かを始めた時には最後までやり通す、貫き通す、徹底して行なう、この強さがキリスト意識の持つ強さとかなり同じ波動を感じさせる場合があります。

イエスが何故最後磔になったのか。やはり同じように徹底して使命をまっとうするという強さを持っておりました。確かに自分は自分の流れを理解しており、自分が犠牲になることにより、人々に何かを分かってもらいたい、何かを感じてもらいたい。何を感じてもらおうとしたのか。自分が犠牲になることで多くの人が何を感ずるのか。

皆さん方は誰かが十字架に処せられてそのまま息を引き取ったとして、何を悟るでしょう。ただ可哀想だとか、こんなことはしてはいけないとか、その程度のことでわざわざ自分が犠牲になるでしょうか。単に生命が可哀想とか、やってはいけないとか道徳的なことだけで果たして自分が犠牲になるでしょうか。したがって、イエスが皆さんに知ってもらいたかったのは、必ずしも生命を大事にしなさいとか、人を殺めてはいけないとか、そういう程度のものではないはずです。

もっと大きな何かを皆さんに知ってもらいたかったのです。何を知ってもらいたかったのでしょう。当時の多くの人は神に対していろんな思いを持っておりました。自分たちがこんなに毎日貧しい生活をして苦しい生活をして、やっと毎日生活しているだけで必死、何とか毎日生き抜いている、こんな苦しい生活をいつまで続けるのだろう、何故神はこういう一般市民を苦しめたままの状態を許しているのだろう。一方で豪勢な食事をしたり、裕福な身分で楽をして生きている人がいる。奴隷にように人々を使い、自分は毎日豪勢な生活をして暮らしている。そういう人がいて、また貧しい市民からの税収で彼らの生活が続けられている。なんでこういう不平等な社会をつくったのか。神は一体何を考えているのか。多くの市民がそういったことを考えておりました。

そういう時代にイエスははっきりと人々の声を当時の支配者階級にぶつけていったのです。特に貧しい人や年寄り、病気の人を常に大切にして彼らに少しでも勇気と希望を与えようとイエスはいつも彼らに優しい言葉を与えておりました。そして支配者階級には徹底して厳しく、もう搾取は止めるように人々からの税収を少しでも和らげるように、支配者階級に対しては徹底して厳しいことを言っておりました。

しかし当然力を持っているのは支配者階級であり、人々の心は金銭でいくらでも動いていきます。金銭をもらえばすぐに支配者階級の言うなりに動く。金銭さえ手に入れば間違ったことが正しくなり、悪いことが良くなっていく。金銭でいくらでも心を売るものが現れています。

イエスはそういったものに対してもあくまでも自分の正しさを徹底して証明していこうと生きてきました。どれだけ金銭を積まれようとも、どれだけ強い支配者階級が目の前にいようとも、自分の心を変えることはありませんでした。正しいことは正しいとして徹底して行ない、悪いことは悪いこととして絶対に認めることはない。イエスはその生き方を皆に示していきました。

多くの人はその生き方を確かに素晴らしいものと思っていながらも、いざ目の前に金銭を積まれるとすぐに心が変わってしまう。すぐに寝返ってしまう。そういう者たちばかりでした。イエスは普段は支配者階級に厳しく徹底して正義を説いていながらも、最後には一般の市民に対してその弱い心を少しでも改めるように心を強く持つように言っていたのです。

すぐに寝返ってしまう心の弱さ。それに対してイエスは決して心を変えることはない。正しいものは正しいとして最後まで貫き通す。それを人々に見せていったのです。いかに自分が磔に遭おうとも、処刑されようとも、間違いは間違いであり正しいことは正しいこと。これを変えることはありませんでした。

それを普通の人々に知ってもらいたかったのです。すぐに寝返るような弱い心、そういう弱い心をいつまでもいつまでも持ち続けるのではなく、徹底して正しいことは正しいこととして行なっていく、それを人々に見せていったのです。しかしその正しいことに徹したイエスが人々の目の前で磔に遭う。やはり人々は戸惑うでしょう。正しいことを徹底すれば生命がなくなってしまう、ある意味ではそれを目の前にまざまざと見せ付けられたのです。

やはり結果的に正しいことを追求すると生命がなくなってしまう。適当に誤魔化して生きるしかない。生命が大事だと思うのであればその場その場で取り繕って生きるしかない。人々は皆そう考えるでしょう。本当にそうでしょうか。確かにイエスが生命をなくしたことにより、徹底して正しさを追及するということは生命を無くすということに繋がったのかもしれません。

しかしイエスの教えは今でも残っています。イエスが行なった正義の言葉は今でも残っています。もしイエスが徹底して正しさを追及しなかったならば、イエスの言葉は二千年も続くことはなかったでしょう。誰一人イエスの言葉を崇めるものもいなかったでしょう。結果的にイエスが徹底して貫いた正義は今でも残っているのです。

これが真の強さと言えます。人々には響かなかったかもしれませんが実際には二千年もの間この地球に残っているのです。徹底して正しさを貫いた、徹底して信念を貫いた、その強さがそうさせているのです。皆さん方自身の心の中にも残っている尽くす、徹底してやり通す、これはキリスト意識に近い波動です。

信念を貫き通す、正しいと思うことは正しいとして徹底的に行なっていく、その強さを皆さん方に持ち続けていただきたいのです。光のハイアラーキーが日本人に対して武士道を説いている。何故今ごろわざわざ武士道を皆さん方に説くのか。武士は潔癖の上に生きていた典型的な人間です。人々に正しさを常に見せ、決して裏と表を使い分けたり、誤魔化したりすることはしません。

一度言ったことを覆したり、人によって言っていることが違うということはまったくありませんでした。正しさを常に貫き通す、武士に二言はなく常に裏も表もない言葉を貫き通した。これが武士道の強さです。力の強さを言うのではなく心の強さ、人によって言うことを変えるのではなく一貫して正しさを追求していく、この強さが武士道なのです。

そしてそれがキリスト意識にも繋がり、尽くすという波動にも繋がっています。今の日本人の心を見た時、尽くすという波動をどこで見ることができるでしょうか。すぐに状況によって言っていることを変えてしまう。少し力のある人、パワーのある人から言われるとすぐに言葉を変えてしまう。周りの状況によってころころ表現が変わってしまう、これが今の日本という社会です。

武士道の心がなければキリスト意識もありません。結局一貫した心がないために何を考えているのか分からない。どこに向っているのか分からない、そういう状態になっていくのです。今日本人がどこに向っているのか、何を求めているのか。結局その場その場の刹那的な生き方に負けており、信念のないまま方向を見定めないまま、ただただ周りに流されたまま生きているのが今の日本人です。

今の日本の人々はそういう刹那的な生き方を早めに終焉させ、何とかして核をしっかりとつくり上げた強い心で日本の社会をつくっていただきたいのです。日本人が何を求めてどこに向うのか。あれ程人間関係を大事にしていた日本人、それが今ではその場その場の雰囲気に流されているために、相手を思っているように見えても実際にはその場その場でただ相手に合わせているだけであり、本当に相手に尽くすということはほとんど行なわれなくなっています。

たとえ家族、親戚や身内であろうとも尽くすということ、徹底して面倒を見るということが減ってきています。家族の面倒を見るという人がどんどん減ってきているのです。自分が楽しければ良い、家族よりも自分が大事。家族の面倒を見るよりも自分の遊びの方が大事。そうなってきてただ自分の楽しさ、面白さだけを追求しているのです。

それが本当に楽しいでしょうか。皆さん方の求めている楽しみ、楽しさは刹那的な楽しみです。その時はただ愉快に暮らしているだけであり、次の日になれぱ何も心に残っておりません。満足感がほとんどない楽しみです。ただその場その場を陽気に暮らす、そういう楽しさです。尽くすということ、面倒を見るということがまったくなされず、ただ自分が愉快に過ごす、そこに何の満足が見出せるでしょう。

自分の心を満たしてくれる、そういう人を皆さんが求めています。自分はこれだけ苦しんでいる、自分はこれだけ寂しい思いをしている。誰かが自分の心を埋めてくれる、埋めてくれる人を探している。自分の心を埋めてくれる人がいたらその人を愛のある人だと思ってしまう。何と優しい人なのだろう、何と良い人なのだろう。自分の空白の心を埋めてくれる人が愛のある人とはなりません。

それは愛でも何でもないのです。自分の空白の心をつくっていること自体が問題であり、その問題を持っている限りは自分自身で自分の癒しが必要となります。自分で自分の心を癒せない人が他人に癒してもらおうとしている。実際には他人のエネルギーを奪っているだけであり、本当の愛のエネルギー交換ではありません。

結局自分の心を埋めてくれているように見えても自分が一方的に奪っているだけであり、相手は段々疲れてきます。エネルギーが奪われるだけであり、相手は疲れてくるのです。愛はお互いのエネルギー交換が必要であり、一方が疲れる、一方が得をするということは愛ではないのです。

お互いに成長が必ず伴っているのです。自分の心の隙間を埋めてくれる人、ただそれを追い求めていく。それは自分勝手な妄想であり、愛とは程遠いものであると理解する必要があります。イエスが皆に教えたかったこと、本当に知ってもらいたかったことが何であるのか、自らの心を強くしてください。自分の心を強くするのは自分でしかできません。他人は自分の心の弱さを映してくれます。

自分の心の弱さをまざまざと見せてくれます。しかしそれを強くするのは自分しかできません。他人が自分を強くすることはできないのです。自分が強くなるためには自分が強くなるという意識がない限り強くなることはありません。誰かに自分の心を埋めてもらうという意識があるうちは自分の心が強くなることは絶対にありません。

自分で自分の心を強くするという意識があって初めて強くなっていくのです。多くの人は自分で自分の心を強くしようとは思わず、ただ誰かに隙間を埋めてもらおうとしている。それ故、心は一向に強くならず、ますます弱くなっていき、ますます人に依存するようになっていくでしょう。これからの時代に向け、心の強さはとても重要になっていきます。

今後ますますお互いに心のエネルギーを奪い合う時代になっていくでしょう。自分の心の貧しいのを他人の所為にする、自分の心がうまくいかないのを他人の所為にしていく、そうやってお互いに心の貧しさを指摘し合います。自ら強くなること、自ら強さを発揮していく、それに気付かぬうちはただ貧しさを埋めてくれる人を追い求めていることになっていくでしょう。今自分たちが何をすべきなのか。イエスが本当に教えたかったことを自分はどう受け止めているのか、一人ひとりが自分の心と向き合ってください。


A毎日、まったく異なる生活をしている

私はイエスの波動としてやってきました。皆さん方が私の波動を呼んでくださったことに感謝を申し上げます。今この地球において私を求める声があちこちから聞こえてきます。それこそ毎日食べるものがほとんどなく、今日の生活自身がどうなるか分からないという非常に貧しい国々の人、毎日のように私の声を叫んでおります。

またある程度裕福なものたちでさえも、自分たちのそれぞれの思いで少しでも良い生活になれるように私の名を叫んでおります。今の生活が苦しい、だから神やイエスを求める、確かに肉体を持って体験しているものは毎日がいろんな問題の連続でうまくいかないのかもしれません。

しかし皆さん方は毎日の人生を喜びを持って生きることが可能であることに気が付く必要があります。どのような状態であろうとも毎日を喜びを持って生きることは可能なのです。毎日何らかの悩みを抱え苦しんでいる、多くの人がそういう意識を持っております。何故苦しみを感ずるのでしょう。自分よりもましな人がたくさんいる、裕福な人がたくさんいる、そういう人に比べて自分が劣っており、貧しい、だから良くして欲しい、こういう考えが普通になっているからです。

実際には一人ひとり自分に見合った自分だけの毎日の生活をつくり上げています。他人がどうであろうと自分には関係ありません。今自分の与えられている環境、自分の与えられている世界、これがすべての自分なのです。それに対して不平や不満、心配をしている、実際にはその日その日、その日に必要なものすべてが与えられています。次の日には次の日に必要なものだけが与えられています。その日その日、その日に必要なものがその日に与えられていきます。

今日は今日の学びがあり、明日は明日の学びがある、そのために毎日違う人に出会い、毎日違う生き方をしているのです。今日は今日でいろんな体験をした、明日はどういう体験がやってくるのだろう、毎日毎日違う人生なのです。まず皆さん方はそこに意識を向けていません。毎日が同じものだと勘違いしています。

今日の連続が明日だと思っている、あるいは今日の続きが明日だと思っている。実際にはまったく違うのです。今日は今日で完結し、昨日や明日とはまったく繋がりがないのです。明日は明日で明日だけのエネルギーがやってきます。明日だけの人間関係があり、明日だけの金銭の使い方があります。そこを無理に繋げておかしくなっていきます。今日は今日で完結させる、今日の一日が終わる時、今日一日分の人生をうまくまっとうできた、さあ、明日はどうなるのだろう、明日は明日で明日だけのエネルギーが体験されていく。まずそれに気付いてください。

毎日毎日がその日だけしか体験できない人生を歩んでいる、そうすると毎日がとても楽しくなってきます。気が付けば気が付く程、昨日と今日がまったく違うことに気が付いてくるでしょう。たとえ同じ人に出会ったとしても昨日の人とは違っているのです。昨日はあんなに感情的だったのが今日はとても優しく、穏やかに話してきた、細かいところを見ていくとその違いがよく分かります。

毎日毎日違う人と出会っているのです。しかし皆さん方の頭の中で昨日の人と今日の人、同じ人という意識があると、同じ人というエネルギーでしかその人が見えてきません。したがって、その人は同じ行動を取っていくのです。そして結局同じ人という意識がなおさら強くなっていく、自分が同じ人という意識を持っている限りその人は同じ人を演じていくからです。

しかし昨日の人と今日の人では違うという風に意識しておくと、その人は昨日とは違う行動を取っていきます。皆さん方が自分の現実をつくっているということ、自分の意識によって一人ひとりの行動が違うということ、これをはっきりと理解してください。そうすると毎日がとても楽しい人生になっていきます。

今日はどういう行動を取っていくのだろう、今日はどういう側面を見せてくれるのだろう、毎日がとても楽しい人生になっていきます。一人ひとりの行動が本当に毎日違うということ、これに気付くとどうせ違うなら少しでも良い方向へと進んでいく、どうせ違うのであれば楽しい方向へと進んでいく、そういう意識が出来上がっていきます。

そうすると昨日よりは今日の方が良い人生、常にこういう意識が出来上がっていきます。そうすると人生の連続が本当に毎日、日々良くなっていきます。毎日毎日周りの人が良くなっていくのです。それを自分も感じ自分の心も良くなっていく、それに気付いた時、人生の神秘さをまたいろいろと感ずることができるでしょう。

また神であるということがどういうことかが又はっきりと分かってくるでしょう。是非皆さん方の人生、毎日を楽しく生きるということ、そのためには昨日の人生と今日の人生が違うということ、それをはっきりと意識して生きる、是非その生き方を身に付けていってください。では皆さん方にアドバイスをしていきます。


Kimioさん、あなたの心の中にあるキリスト意識、尽くす、イエスに繋がる波動。あなたは何か興味があると徹底して追及していきます。自分が満足するまで徹底して追求していきます。この追求する心はまさしくキリスト意識に繋がっています。そして自分なりに満足のいく真理をつくり上げていく、この波動は今後もとても良い方向へと使うことができるでしょう。この徹底して追求するという波動を奉仕として他人のためにどのように使うことができるのか。自分のために追求しているのを他の人のために追求するように切り替えていき、一人ひとりがどういう真理体系をつくり上げているのか、それを見抜いていく、一人ひとりの真理体系を尊重し自分と違う真理体系であるということを理解していく。自分のつくり上げた真理体系は自分にしか当てはまらない。他の人は他の人独自の真理体系をつくり上げていく。では他の人は自分とは違うどういう真理体系をつくっているのか。そういう観点で他の人の真理体系を見抜いていく。一人ひとりの真理が違うということを徹底して追及していく。是非そこに意識を向けてみてください。

Hiromi.Yさん、キリスト意識、尽くす、徹底して行なう、あなたが徹底して行なうもの、あなたの頭の中には今は自分について徹底して見つけようとしております。自分が何者でありどこに向かい、何をすれば良いのか、自分は本当に何ができるのだろう、いつもそれを考えております。あなた自身は考えて考えて自分を見つけようとしています。今度はそれを行動することによって自分を見つけるというやり方を探していってください。考えるだけでは自分は中々見つからないところがあります。行動するということが自分にどう関ってくるのか、何か新しいことをやってみる、今までやったことのないことをやってみる、そういう行動を取った時、自分にそれがどう影響してくるのか、新しいことをやった時何か慣れていない、あまり馴染みが感じられない、そうだったとしてもそれを繰り返すことにより、何か新しい発見が出てきます。まったく新しいにも関らず違和感がなくうまくいくもの、まったく新しくてやはり合わないと思うもの、いろんな感覚が出てきます。そのうちいろいろ行動してみて自分ですっきりするもの、何となくやってみて体に合うものが見つかってきます。そうやって行動するということで自分を見つけていく、そのやり方を是非進めるようにしていってください。

Yasuko.Nさん、キリスト意識、徹底して行なう、あなたの波動の中に自分について信念をつくり、その信念に従って徹底して行動していく、こういう波動があります。まずは自分で真理を見つけ、真理らしいものを見つけたらそれを徹底して行動していく、こういう波動です。そのためにあなたはまず真理を見つけるということと、見つけた真理を行動するという二つのプロセスを使っております。真理を見つける、いろんなところで学んだ知識、頭の中にやってきた知識、それをまず整理した後でそれを実際に具現化していく、具現化するうち体に合うもの、合わないものがやってきて、結局合うものが自分の真理として定着していく、あなたはそういうやり方で自分なりの真理をつくり上げております。いろいろ体験を重ねるうちに以前真理と思っていたものが合わなくなってきたり、以前とは違う解釈になってきたりする場合があります。そこでまた真理をつくり変えていく、そうして又行動を変えていく、こうやって柔軟なやり方を身に付けております。そのやり方はある意味では自分なりの生き方を見つけていくのに、とても役立っているでしょう。そしてそこに他の人との関りをつくるようにしていってください。今はまだ自分だけの真理であり、自分の世界だけでの行動となって現れています。しかし他の人との間での真理、他の人との間での行動、これが伴ってきた時、やはり自分一人とは違う現実が現れてきます。他の人は他の人のエネルギーがあり、それで動いている、自分はそういう人とどういう風にエネルギーを使っていくのか、他の人間が入ると途端に真理が変化していきます。他の人間が入った場合の真理、真理のつくり方、現実の送り方、是非それを見つけていろんな人との間でもうまく行き渡れるような真理を見つけていってください。

Rurikoさんのキリスト意識、尽くすということ、あなたの体の中の尽くす、あなたは一つの物事に徹底して尽くす能力を持っています。何か本当にしなければならないこと、是非やるべきだと思ったことには徹底して行なう力があります。ただ現実的に中々そこまで動くことがありません。せっかくのパワーを持っていながらも現実では中々それを発揮していないのです。せっかく最後までやり通すというパワーを持っていながらも現実ではすぐ途中で諦めてしまう、途中で止めてしまうという現実になっています。途中で止めるということに何か快感を感じているかのように途中で終わってしまいます。是非最後までやり通すということをやってみてください。それだけのパワーを持っているのにも関らず途中で満足してしまう、そうするといつまで経っても最後までいくことができないままエネルギーがつくられてしまうのです。是非最後までやり通す、そのエネルギーを何度も何度もつくり、そして完了させるようにしていってください。

Fumikoさんの徹底して行なう尽くすという波動、あなたは人間関係において何か問題が起きたり、トラブルが起きた時に徹底して考える癖があります。何故そうなったのだろう、何故こういかないのだろう、どうしてこうするのだろう、いろんなことを徹底して考えていきます。徹底して考えてもそこで出た結論が中々満足のいく結論にはなりません。やはり自分の視点からだけで考えた結論であるために、相手の判断や行動には繋がっていかないのです。自分が徹底して見つけた回答が実際には相手の思いとはまるっきり違っている、そのために自分が良いと思っても相手から見ると良くはなっていないのです。徹底して考える時に相手の考え方、相手の行動のパタンをもっともっと見つけていく必要があります。自分の行動パタンで相手を類推しても相手の行動パタンにはなりません。相手のことを考える時自分だったらこうするとか、自分の場合で当てはめるのではなく、あくまでもその人の場合はそう、この人の場合はこう、一人ひとりの行動パタンがまったく違うということを意識し、その人の場合の流れで見ていく、そうやって一人ひとりの流れを見つけるようにしていってください。

Juriさんの徹底して行なう、あなたの心にとっても良い優しさがあり、その優しさが常に表に出てきて、徹底して行なうということをどこかで止めてしまう傾向があります。せっかく心の中では何か徹底してやろうと思っても相手に対する優しさが出てきたり、周りに対する優しさのために徹底して行なえないところがあるのです。何かそこまでやると可哀想とかそこまでやる必要はない、そこまでしなくても、ついそういう気持ちが沸き起こってきて途中で妥協してしまいます。しかし実際にはそれによってお互いが苦しんでいきます。自分も最後まで行うことができないために、どこかで心残りがあったり満足できない気持ちが残っていきます。相手もはっきりと言われないために結局何を考えているのか分からなかったり、それで良いのかどうか分からないまま相手も途中の行動のままで留まってしまいます。結局中途半端な付き合いは中途半端な満足感のままで不完全燃焼してしまうのです。やはり自分がこうやるべきだと思ったことは最後まで徹底して行なう、相手の気持ちを考え、可哀想とかそこまでとかいう意識を持っていくと結局相手の身にもならないまま不完全燃焼で思ってしまうのです。あなたの優しさがそのまま表に出てきています。したがって、あなたから出る優しさは多くの人が分かっているために、あなたははっきりと最後まで表現したとしても多くの人は厳しいとは感じません。優しさに包まれた言葉であるために多くの人は余計にはっきりとその言葉を聞くようになるでしょう。これからはそういったことを踏まえながら自分の感じていることははっきりと表現してみる、言いたいことは最後まで言い尽くしてみる、是非そういう練習を進めるようにしてみてください。

Megumiさん、徹底して尽くす、あなたの言葉にはパワーがあり、強さがあり、多くの人からとてもはっきりと表現しているかのように受け取られていきます。そして実際にパワーがあるためにそれだけの影響力を持っています。しかし徹底して行なうというキリスト意識の目から見た時、やはりあなたはそれでもどこかで相手に対して少し優しく、弱く言ったり、中々正直にすべてを言えないところもあります。自分としては表現したように見えてもどこかでやはりセーブが掛かっています。本当の心の中ではもっとはっきり言いたいこと、ズバリ言いたいことがあるにも関らず、やはり少し控えめのままで表現をしていきます。これは普通の人間関係においてはその程度で良いかもしれません。普通の人間関係でまぁ良い状態をつくるのにはそれ位が良いのかもしれません。しかし実際にカウンセリングや本当にその人を癒そうとする時、その人の心のエネルギーを本当に変えなければならない時、その時には徹底してすべてを見せる必要があります。その人の心のすべてを見せる必要があるのです。そしてそれをその人が受け入れることができるかどうか、その人がそれをすべて自分の心として受け入れることができるかどうか、すべてを自分の心として認識しない限り、その人が変わることはありません。どこかで妥協しその程度で良いとか、これ位にしておこうという妥協が出てきて、完全に自分を変えることができないのです。その状態では完全なヒーリングは行われず、完全にエネルギーを変えることもないのです。どこかで妥協する弱さが伴っており、どうしてもあと一歩のところで進めないのです。あなたはこれからの働きにおいて完全に変えていくということを学ぶ必要があるのです。完全に変えるためにあと何が必要なのか、だいたい変わったとか、ほぼ変わったとかで満足するのではなく、完全に変えるということを学んでいく時期なのです。そのために自分はどのエネルギーをどう使いこなしていくのか、是非その術を身に付けていってください。

Hitoeさんの徹底して行なう、あなたは自分の興味のあることに対してはとても徹底して追及し、そしてとことん知り尽くして調べていきます。そしてそれを何とかして他の多くの人にも伝えていく、自分が本当に大事だと思ったことは徹底して伝えていく、こういう強さを身に付けております。この強さを現実で生かす時に自分の心の中では本当に徹底して相手に伝えたい、多くの人に知らせたい、この波動がとても良く反応して一人ひとりの心にそのまま響いていきます。今後のあなたの成長や流れを見た時、この徹底して知らせる、伝えるという波動がどうしても相手に理解されない時、相手に使われない時に自分自身がとても不快感に陥ったり、どうしてもそれを伝えようとして躍起になってしまう傾向があります。やはり相手に伝わらない時にはそれはそれで相手はそのレベル、相手はそのレベルで充分、という相手の力量に応じた説明の仕方が求められていきます。人それぞれ力量があり、それ以上は無理な場合があるのです。したがって、人それぞれの力量に応じた説明の仕方、広め方、こういったやり方が必要となってきます。すべての人を同じ力量として見るのではなく一人ひとりの力量、それを見分けていく、是非その能力を高めていってください。

Yukikoさんの徹底して行なう、あなたの心はとても強い心があり、一度必要と思ったことはとことん追求していきます。あなたはその追及する心においてとても素晴らしいものを身に付けております。本当に必要と思ったものはとことん追求していく、しかし興味のないものにはほとんど興味が沸いてこないというその側面もあります。確かに大事だと思ったことは追求してとことんやっていく、しかし興味のないものにはまったく興味が沸かない、この差があまりにも大きいために新しいことへのチャレンジが少し遅れてしまう傾向があります。やはりいろんなものに常に意識を向け、興味が沸いてこなかったとしてもやはり重要と思ったことは常に自分の頭の中に残しておく、いつでもそこに入っていけるような心の準備をしておく、そういう余裕もつくっておいた方が良いでしょう。そうするとその場その場に応じて自分が次はどこに向うのか、何をすれば良いのか自然と与えられてきて、そこへ向いやすくなってきます。是非そういった意味で心のアンテナをもう少し増やすようにしてみてください。

Yoshieさんの徹底して行なう、あなたの心はいろんな方向に向いていて、いろんなことを次から次とやってみたいという気持ちがあります。いろんなことをとにかくいろいろとやってみたい、そういう意味の幅広さにおいてはとても良い波動があります。幅広く幅広くいろんなものを身に付けていく、いろんな知識を獲得していく、そういった意味で質よりはいろんな量でチャレンジしていく、徹底して分野を広げていく、そういう波動になっております。あなたはそういった面において自分が次はどこに興味を持ってどういう勉強をしたら良いのか、常に勉強することを考えております。あなたから学ぶことがたくさんあるでしょう。そしてあなた自身はそれによって自分が成長、進化できたことを自分自身に感謝しており、自分で自分を喜びを持って受け入れております。あなた自身が今後の流れにおいてみた時、それだけのいろんな知識や能力を他の人に分かりやすく伝えるテクニック、他の人が理解できるようにうまく説明できるテクニックが必要とされてくるでしょう。あなたはいろんなことを身に付けているためにいろんなことを複合的な関係で理解しておりますが、他の人はそういう複合的な知識を持っていないためにあなたの説明していることが素直には理解できない場合があるのです。あなたが良いと思ったことが他の人にはそのまま良いと伝わらなかったり、あなたが大事だと思っても他の人には大事だと感じない場合があるのです。したがって、あなたが本当に感じたその素晴らしさ、重要性をうまく的確に説明できる工夫、うまく話に持ってこれる工夫、そういったことを少し練習してみてください。

Akikoさんの徹底して行なう、あなたは徹底して行なうというよりは、いかにその場を楽しんでいくか、その場その場を自由にいろんな観点から楽しんでいくか、そういったところに意識が向いております。したがって、いかに多くの観点から多くの人の見方で見ていくか、そこに意識を向けておくと自分なりの楽しさが沸き起こってくるでしょう。一つの現象においていろんな見方がある、この人はこういう見方、この人はこういう見方、あの人はああいう見方、人によっていろんな見方がある、自分自身もそれを心の中で感じながらいろんな見方を試してみる、いろんな見方やいろんな価値観があること自体にあなたは喜びを感じ、満足をしていきます。そういった意味において多才さ、いろんな観点、いろんな見方、常にそういったことを理解しながらいろんな人との繋がりをつくっていく、そういった方面の能力を活性化させ、いろんな人の心が分かるようにしていってください。

Kayoさんの徹底して行なう、あなたは自分の学んできたこと、理解してきたことにとても興味を持ち、理解したことを整理したり、まとめたり、結局どういうことなのかを時々考えたりしていきます。そうすることにより自分の理解度がどうなっているのか、理解したことが本当に正しいかどうかを、また自分なりに整理していっております。自分の考えにとても関心がある、とても良いことです。今後のいろんな学びにおいて自分の考えたことを人に表現できるような工夫、自分で理解したことを他の人にうまく説明できるような工夫、そのために後何が必要なのか、結局一つの見方だけで説明したとしても他の人はそういう観点では見ていないことに気が付いてきます。自分は自分の観点で分かった、自分の見方で分かったつもりでいても、他の人にはその観点では分からなかったり、そういう観点では見ていない場合があるのです。したがって、自分が分かったと思うことを少し別の観点から見つめ直してみる、別の見方で説明をしてみる、自分が分かったという真理を別の表現で説明してみる、そういった練習をしてみてください。そうすると他の人にはその説明で納得できたり、むしろその説明の方が他の人には分かりやすかったりするのです。自分は分かったと思った理解、それを別の表現で、別の観点からでも説明できるようにしてみる、そういうトレーニングを頭の中で進めてみてください。

Masayoさんの徹底して行なう、あなたは頭の中でいろんなシミュレーションを行なっていきます。いろんな状況においていろんなシミュレーションを行ない、こうなるとこうなる、こういう条件ではこうなる、いろんなことを試して楽しんでいたり、予想したり、想像したりしております。そして局面において自分のシミュレーションが当たった時には自分でも快感を覚え、シミュレーションが当たらなかった時、どうして間違っていたのか、またいろんな条件で新しい考えをつくり出していきます。こういうシミュレーションはとても楽しいでしょう。いろんな場合においても一人ひとりの心を試してみたり、言動を試すことができ、とても楽しい現実を送ることができます。しかし自分自身が常に出てくることがなく相手のシミュレーションを常に見ているために、自分はどうあるべきなのか、自分の信念はどこにあるのか、自分の考えがどこにあるのかと見た時に、自分が見えてこない場合があるのです。常に相手のことを考える、相手のシミュレーションをする、そこにおいてはとても良い流れですが、でも自分が何であるのか、自分は何を望んでいたのか、自分は何をやろうとしているのか、ここが見えてこなくなるのです。今度はシミュレーションをする時、自分は何を求めているのか、自分の信念は何であるのかを少し見つけ、その流れで改めてシミュレーションをしてみる、自分の本来望んでいるものは何かということを自分で見抜き、その流れで人間関係をシミュレーションしてみる、少しそういうやり方をトレーニングしてみてください。

今日の昼間に続いてまたイエスのキリスト意識について説明をしてみました。キリスト意識についてはいろんな見方があるために、いくら時間を掛けても話し足りないことがたくさんあります。しかし今の日本人にとって尽くすということがとても弱くなっており、すぐに妥協したり、諦めたり、相手に合わせてしまったり、論理一貫していなかったりしてその場その場のとても残念な流れを歩んでいる人がおります。

自分の人生、是非満足のできる人生を歩んでいただきたいのです。昨日と今日とは違う人生であり、今日は少しでも昨日よりは良い人生を歩むということ、昨日よりは少しでも良い人生を歩んでいく、常にそういう意識を持って毎日毎日を成長できる流れのところにあるように人生をクリエーションしていってください。それでは少し休憩を取ります、ありがとうございました。


Bスピリチュアルヒーラーの時代に向けて

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今スピリチュアルな世界において人々にスピリチュアルな能力を活性化させるために、どういう働きが良いのか皆さん方もいろいろと考えていることと思われます。これまでは病に苦しんでいる人、いわゆる病の苦しみを取り除いてあげることが奉仕となって人々のために活動がなされておりました。

そしてそれが心の病になり、心の病を解決してあげる、しかし肉体の病も心の病も基本的にはその人が自分でつくり上げたものであり、自分でその病の種をつくっている以上はそれを取り除いてあげることはできません。本人がつくった種は本人でしか解消することができないからです。

したがって、ヒーラーとかカウンセラー、こういった人々はその人がつくった種を見せてあげることしかできません。そして種を見せてあげて本人がそれに気付いた時、それをどう取り除いてあげるのか、あくまでもそのアドバイスをしてあげる、或いはパワーを与えてあげる、本人が自分でその種を見つけ自分で取り除くという意識がない以上は先に進むことはありません。

これが今までのいわゆるヒーリングの世界で行なわれていた現象でした。しかし今ではそのヒーラー及び、皆さん方がスピリチュアルな能力をさらに一層高めてきている、これまでは普通のヒーラーとして活動していた人が実際にはいろんなリチュアルやマジックを使うことができるようになっている、そうするとこれまでのヒーラーとは少し違うレベルになってきています。

これまでは純粋にヒーリングの法則でその人自身が自分の力で癒すということを前提にしてやってきていました。しかし皆さん方がスピリチュアルな能力を高め、マジックやまた神を通じてのエネルギーワークを行なうことができる、そうするとヒーリングの世界では解決できなかったことを解決できるようになる場合があります。

いわゆる魂のエネルギーを変えてしまったり、流れを変えてしまう、いろんなことが行なわれるようにもうなってきているのです。そうするとヒーリングとは違う世界にかなり入ってきていることになります。いわゆるDNAアクティベーション、DNAを活性化していく、光をさらに強くしていく、エネルギーを交換していく、場合によっては人生のエネルギーやエマネーション、そこにまで影響を与えていく、これまでとは違うレベルでのパワーが強くなっているのです。

そうすると、この個人差がさらに大きくなるために実際にはヒーラーといっても、いわゆる典型的なヒーラーから、スピリチュアルなレベルでのエネルギーを変えることができるマジシャンのような存在、そういったところまでの差がとても大きくなってきます。しかしクライアントからはほとんど何も分からないでしょう。

人によってはヒーリングされたと思ってもまったくヒーリングの効果が感じられなかった、このヒーラーはインチキだ、その人はそういう風に感ずるかもしれません。実際にはその人はヒーリングではなく、まったく違うレベルでエネルギーが変えられており、まったく別の流れに入って本当はヒーリング以上のエネルギーワークを行なわれた、そういった場合もあるのです。

クライアントそのものが深い知識をまた必要とされてくるのです。ヒーリングだけではなく、いろんな作用も行なわれる場合がある、今はそういう時代になってきており、皆さん方自身が実際クライアントに何を行なっているのか、クライアントは何が行なわれたのか、またそういったことについても理解する時期にきているでしょう。

今は皆さん方自身でもどこまでがヒーリングで、どこまでがアクティベーションで、どこまでがエーテル手術で、どこまでがスピリチュアルなエネルギー変換なのか、それを区別することがまだ難しいかもしれません。しかしいずれはそういったところにも少しずつ理解が深まっていき、こういったことが体系化される時代がやってくるでしょう。

そうした時ヒーラーとは違うレベルでのエネルギーワーカー、そういったものがたくさん存在してきて、それらの間での区別も明快に分かることになるでしょう。ヒーリングだけを求めるものはヒーラーにいく、流れを変えたい人はそういったことができるシャーマニズムやマジシャンのところにやっていく、いろんな人が分かれてくるでしょう。

こういった流れにおいて今後スピリチュアルな世界がどんどん細分化され、分かれて、さらに明確な区分も行われていく、そういう流れにあるということを今感じておいてください。そして皆さん方はそれぞれの先駆者となって働いていくでしょう。今自分たちが経験していることがこれから育ってくる人々の先駆けとなっており、また貴重な時代をつくっているスピリチュアリストであるということを自覚しておいてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2006 CentralSun
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