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2006/10/30■月曜交流会から

自殺やいじめの要因を理解する

自殺やいじめの要因を理解する

@自分以外を求めると病になる 私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今日本においていわゆる精神的、心の病が広がっており、それにおいて一人ひとりの悩み、社会的な混乱、そして事件のようなものが起こっております。特に自分で自分の命を絶つという現象が広がっており、これは肉体を持つ人間にとって極めて残念な結果となります。

本来肉体は役割を持ってつくられており、本来の役割をまっとうすることによって肉体での学びが終了となります。しかし自分で自分の命を絶った場合、本来の役割をまっとうすることができないため、結局肉体を無くした世界において肉体での学びを続けなければならず、それは極めて時間の掛かる特別な状態をつくり出すことになります。

今は特に日本において、安易に自らの命を絶つという若者が増えてきており、これはスピリチュアルな世界においては極めて残念な現象となります。日本人が他の先進国に比べてまだスピリチュアルな繋がりが強く、スピリチュアルな世界をある意味では体現していると言うことができますが、ただこの自分で命を絶つということに関してはスピリチュアルな世界をまるで理解していない状態と言えるでしょう。

自らの命を絶つことが必ずしもスピリチュアルな世界に良い影響を与えるわけではありません。安易にただ肉体の世界から離れることがスピリチュアルな世界に入ることと勘違いしている場合があり、それは結果的に好ましくない現象をつくり出していきます。自分で自分の命を絶つということに関しもっと深い正しい認識を得る必要があります。

自らの命を絶つという心には実際には必ずしも本人の単独の意志ではなく、様々なエネルギーの複合によって行なわれていきます。特に最近かなり多くなっているいわゆるいじめという現象に耐えることができず、辛く悲しみのあまりに自分で命を絶つ、これは古代にはなかった現象であり、いかにも現代の人々に特別に起こっている現象と言えるでしょう。

本来悲しいとか辛いとかいうのは、その人の個人の問題であり、自分の意志さえ強ければいくらでも克服することができました。しかし今の人々は自分が辛く苦しいのは他人の所為、社会の所という意識が強くなってきており、自分で自分の心を強くするという考えがほとんど起こらなくなってきています。

自分に不都合なことがあり、嫌なこと、辛いことがあるとすべて他人が自分に何かをしている、自分が他人の犠牲になっている、自分は他の人の所為でみじめになっている、そういう解釈で行なわれているために、自分が極めて耐えることができず、生きることができず、命を絶つ、そして社会自身がそういう現象を当たり前のように理解しており、結局対策としていじめを無くすようにもっていこうとか、何か行動がおかしいことがあったら注意しようとかいう、そういうレベルの対処を考えていると言えるでしょう。

しかしそれは本質的な問題ではないために、そういう対処法が何一つ功を奏していない、ほとんど何の影響も受けていないということがよく分かると思います。いろんな命を絶つ事件が相次いだとして、いろんなことが分かったとしても根本的な対策や、対処法が何一つ行なわれていない、まったく何も変わっていない、何故でしょう。

これは単純に責任逃れをしたり、組織が悪いとかいう問題ではなく、基本的に考え方や原因の場所が違っているために、対処しようがなく、そのために何も改善されていないと理解してください。本当に周りの所為とか組織の所為であれば、何とかしてあげようとか、もうこういったことを亡くそうという段階でそのエネルギーと繋がり対処法が確実に見えてきて、少しでも効果のある状況が現れてくるはずです。

しかし何一つ良い方法がみつかっていない、何一つ良い効果が出てこない、これは結局は組織の所為や周りの所為ではなく、もっと本質的なところに問題があるということを意味しているのです。まず一人ひとりが自分の生命に対して極めて弱くなっています。生きるという強い意志が欠けており、他の人に生かしてもらう、社会に生かしてもらうという、自分の生きるエネルギーそのものを他人に預けているのです。

自分でしっかり生きる、どんなことがあっても自分で生きるというエネルギーが極めて弱く、ちょっと生きるのに不便であれば人の所為にする、ちょっと生きるのが難しければ社会の所為にする、そうやって生きること自体を他人に預けてしまっているのです。そのために生きるエネルギーが極めて弱くなってきており、それによって生命力がどんどん弱まり結果的に病気になりやすくなってくるのです。

今、あちこちに蔓延しているいろんな病、特に神経系統、精神的なもの、これらは明らかに自分の生命エネルギーが弱くなっている証なのです。何か具合が悪い時、体に異常があった時、食べ物の所為にしたり、生活の不規則の所為にしたり環境の所為にする、全部他人の所為にしているのです。

自分自身の問題ということに意識が向いていないのです。食べ物が悪い、環境が悪い、時間が悪い、すべて他の所為にしており自分自身の心のあり方に問題があるということに誰も焦点を当てていません。すべては自分自身の問題であり自分からつくり出されているのです。自分で生きようとする強さがどこまであるのか、自分の体を生かすという思いをどれだけ強く持っているか、自分の肉体を自分の意志で生かすという思いがどれだけあるのか、多くの人が自分の力をまず信じておらず、どうせ私にはそんな力はない、もっと素晴らしい先生やヒーラーに助けてもらう、そういう考えでいるのです。具合が悪ければ専門家に見てもらう、エネルギーの強い人に見てもらう、有名なヒーラーに見てもらう、すべてが他人任せなのです。

そういう考え方そのものが自らの体を病と化す、自分で自分の面倒を見ることができず最終的には命を絶つ、そういう現象をつくり出していくのです。自分の体の面倒は踏んで見る必要がある、自分の心で維持する必要がある、自らの意志で肉体を生かしていく、これに気付かない限り、病がなくなることはないでしょう。自らの病を癒すのはヒーラーでも先生でもなく自分であるということにいか気が付くか、自分の病気を治す一番の名医は自分の意志であること、いかにこれに気が付くか、良いヒーラーや良い先生を追い求めている限り自分の病気は完全に治るということはないでしょう。

自分以外のものに先生を求めている限り自分の体は健全ではないのです。今のこの時代確かに環境は厳しいでしょう。空気も水も汚染しており、口にするもの多くが毒と化し、触るものすべてに雑菌が入っているでしょう。しかしだからといってそれらが病気の原因ではないのです。直接的な病気の原因は自らの心にあり、その心を現象化させようとしていろんなウィルスや雑菌、毒素的なものが働きを起こしていくのです。

いろんな病菌の原因となっているものは自らの心によって侵されているのです。偶然入ってくるとか、偶然病に遭うというのは存在しておりません。自らの心の波動に応じてそういったものが動かされていく、したがって、自分自身が強い意志をもってしっかり自分の体を生かしていく、自分で自分の体の面倒を見る、自分は完全に自分の意志で体を治していく、そういう思いをもっていれば自分が病を引き起こすことはあり得ないのです。

さて病について一般論を述べてみました。しかしこういう話をする時にどうしても難しいのは、一般論で話すのと個人について話すのとではかなり事情が変わってくるからです。例えば先天的に肉体に病を持っている人、先天的に特定の病に入りやすい人、人それぞれいろんな病の傾向があるからです。肉体的な病と、いわゆる怪我、外傷的なものが同じ原因で起こるかどうか。事故や外傷などの状態において肉体を傷つけることと、いわゆる内臓疾患などにおいて病気となって肉体を傷つける方法でエネルギーがどう違ってくるのか、外傷的なものは外部からの働きによって自らの体が損害を被るものであり、これは自分が外部に対して与えたパワーがそのまま自分に戻ってきているだけのことです。

自分が他人を呪ったり、自然を破壊させたり、外部に暴力を与えたものがそのまま自分に戻ってくる、それによって怪我や事故などとなって現れてきます。内臓疾患などは自らの心の思いによって自らを否定した分がそれを自らの病となって現れてきます。自分の心を認めていなかったり、自分の心を否定的に扱ったものがそのまま自分の心に病となって現象化されてきます。

ただ生まれながらに先天的に持っている病、奇形的なもの、これは魂の目的によってつくられたものであり、思いによって修正できるものがあれば修正できないものもあるでしょう。これはそれ自体に意味があるためにすべてが治るとか、修正できるものではありません。先天的なものに関しては必ずしもそれを修正するとか、良い状態にもっていくことが目的ではないということを理解する必要があります。

むしろそういったものを一つの材料としていろんなものに取り組んでいく、与えられた一つの条件としてそれをそのまま見ていく、そういう必要があります。しかし後天的に後で現れてきたものはほとんど自らの思い、心のあり方によって現象化されたものであり、それはいくらでも治すことができます。むしろ治せるという信念を持って取り組む必要があります。多くの人が病に苦しんでおり、中々うまく解決策も見つかっていないでしょう。

特にこれからはさらに病名の特定できないもの、病名が分かっても処方のしようがないもの、いろんなものが出てきます。しかし本質はすべて同じであり、自らの心のあり方で修復できるということ、思いによって変化させることができること、常にそれを理解するようにしてみてください。


Kiyotakaさんの体のエネルギーを見た時、あなたの体の中ではいわゆるリンパ系のシステムにエネルギー的な流れが留まっており、それを自分なりに意識で変えていく必要があります。リンパ系のシステムをうまくもっていかせるためには、日常の生活においてあまり正しいこと、間違っていることにばかり意識を向けすぎており、物事の価値観にあまりにも意識が集中しているのです。正しいこと、あるべきこと、それに捉われ過ぎており、それが体の反応としてリンパ系のシステムに障害を起こしていきます。必ずしも良い悪いの観点や正しいことだけに捉われずに、まず流れうまくもっていく、判断するということはその段階で流れが止まってしまうのです。仮にそれを良いと判断したり、悪いと判断したり、どちらにしてもその瞬間はエネルギーが止まってしまうのです。したがって、良いことだけしていれば良いとよく言う人がいますが、実際には良いという価値観や判断をした段階でエネルギーの流れが留まっており、結果的に良い流れにはなっていかないのです。何でもかんでも正しいと判断すれば良いとか、正しいことだけやれば良いというものでもないのです。これが人間の体の非常に神秘的なところであり、正しいこと、良いことばかりやっていけばすべて健康であるかということ、そういう問題でもないのです。やはりバランスや調和を保つということ、流れをスムーズにもっていくこと、そういったことにも意識を向ける必要があるのです。自分の考え方、意識のあり方に目を向けてみて、流れをスムーズにいかせるやり方を見つけていってください。

Kimioさんの体を見た時、あなたの体のエネルギーでいわゆるエーテル体の全体的なバランスにおいて、一部の疾患が現れております。エーテル体の一部というのは基本的にはいずれは肉体に影響を与えてきたり、或いは肉体のエネルギーがそのままエーテル体に現れている状況と言えます。そしてエーテル体で出ている疾患というのは、自分の心のあり方と肉体を繋ぎ合わせるものであり、心のあり方においてどこかにおいてまだ不安、恐れが存在しており、それが肉体の流れを阻害させていきます。肉体の流れを阻害させる不安、それはどこかにおいてまず自分に自信がなかったり、不安があったりする、まず手自分に対して責めたりしているところがあり、それが流れを留めております。本来は以前はかなり自分に自信を持ち、自分の存在を本当に良い存在と信じており、とてもよく光を放っていた時期がありました。しかしいくつかのトラブルに巻き込まれ、その間につくり上げた恐れや不安、心配がいろんな障害を起こし、それがいつのまにか自分の体の中にかなりつくり上げられていってしまってます。少しずつ改善を進めていっても心の奥底でどうしても引っかかってしまうところがあるのです。これを回復させるためには、以前にあったような完全に自分のすべてを信じ、自分のすべてをそのまま受け入れ、そのままの光で自信を持ってやる、そういう状態に戻すことが必要でしょう。いくつかのトラブルや問題があったとしてもそれに捉われない強い心が必要です。確かにいろんな妨害があったり、障害がやってくるでしょう。しかしそれはすべて心を強くするためのトレーニングであり、光の道を歩むものは必ずそのトレーニングを重ねていきます。生命力を強くするためにはやはりトレーニングによって強くなっていくのです。何もトレーニングなしに自動的に強くなることはありません。生命力を強くするためには生命を脅かすもの対して打ち勝っていくのです。そして生命を脅かすものに打ち勝つこと一つひとつ、自分が強くなっていく、それを自信に変えていくのです。どうしても自信にならずに不安だけが強くなると否定的なエネルギーだけが残っていきます。立ち直り克服したとき、それを自信として体の中に養っていってください。

Hiromiさんの体を見た時、あなたの体のエネルギーでは主に循環系のシステムにエネルギー的な滞りが感じられます。エネルギーの循環、気の流れ、この流れを阻害させている波動があり、そのために自分で何か自分に自信がなかったり、自分なりに満足できない思いがこみ上げてきます。自分自身の思いになぜか信じきれないところがある、自分で自分の能力を信じきれない、そういったことにより循環系のシステムがうまく機能しなくなっていきます。エネルギーの流れをスムーズにする、そのためには自分の体をすべて信じ愛することが必要です。自分の体をどの程度愛しているかどうか、自分の体のすべてに愛を送り込んでいるかどうか。自分の体に興味がなかったりあまり関心をもっていなかったりすると、まずやられてくるのが循環系なのです。それだけで気のエネルギーが滞ってしまい、自分の思いが末端まで届かないのです。自分の体に興味を持ち、自分の体が好きになるとその思いだけでエネルギーが体中に流れていき、自分が好きだという波動によって細胞が一つひとつ生き生きとしてくるのです。自分で自分を好きになること、これが唯一の治療法と言えるでしょう。自分の体に自信を持ち、自分を好きになって自分の循環系の流れをスムーズにもっていってください。

Kyokoさんの体のエネルギーを見た時、あなたの体のエネルギーはある意味では極めてスピリチュアルな働きに適した体のつくりになっています。いろんな人のスピリチュアル波動を感じやすく、また影響を受けやすいという状態になっています。そのため周りにいる人の波動によってあなた自身の波動が変化を起こしていきます。恐らく感覚的に何か人が来るだけで体で反応して、違和感を感じたり、不自然さを感じたり、気持ち良くなったりすることがたくさんあるでしょう。あなたの体が感じやすいという状態です。したがって、一番難しいのは体に異常があった時、それは他の人のエネルギーを感じただけなのか、それとも自分が本当に何か病に陥ったのか、この区別がつかない状態となります。あなたの場合には他の人と違い、そういう状態の時に自分の病気を治すとか、自分の体のために何をどうするかとかいう意識を持つことが無意味になってきます。元々他の人のいろんなエネルギーを体で感ずる、それが本質であるために自分の病がどうかとか、他人のエネルギーを感じて自分がどうかとかいう考え方そのものを修正する必要があります。元々あなたはそういう体であるために、自分の体の健康と他人の体の健康を区別する必要ががないのです。元々そういうものだと理解してください。他の人の体を感じて具合が悪くなった、他の人が良くなることをアドバイスしてあげる、自分がどこが具合悪かったのか感じて他の人がどこが悪いのかを感じ、それを治せるようにもっていく、あくまでも本質は自分でしか自分の体を治すことはできません。相手が自分の体を好きになり、生命力を強くし、生きようとする意志を強くするためにどういうアドバイスをしていくのか、その人が元気良く生きるようになるために、どのようなアドバイスをするのか、それを考えていくのです。そして相手の波動が高くなれば自分の波動も高くなっていきます。結果的に自分の体は健康になるでしょう。自分の体だけを健康にすることを考えても全く意味はありません。他の人があなたの体に反応し、ただ教えてくる、あなたは他の人にアドバイスをすることにより他の人の体を改善させ、結果的に自分の体が楽になる、ただこれを繰り返すだけです。それによって自分と他人は同じものであり、別ものではなく繋がっているもの、一つのものだということが肉体レベルでも感じられてくるでしょう。そういう観点から肉体の神秘さ、不思議さを感じ、そして新たなる真理を見つけていってください。

Akikoさんの体を見た時、あなたの肉体の波動はまず自分の意識で肉体をコントロールすることがうまくできていないために、自分の意志で体がうまく動けていません。そのために何か自分で思っていることがあっても、そのまま体に反応しないことが度々あります。しかしこれが他の人とは違い、他の人の場合には意志が発揮されていないために、生きるというエネルギーが弱く肉体に入らないために肉体が弱っていく、これが普通の人の流れとなります。しかしあなたの場合には必ずしも肉体を否定しているわけではないために、繋がっていなくても肉体が損傷を得ることはありません。したがって、明らかに肉体的な病とか肉体に不都合が起こるといったことは生じてはきません。したがって、自分に何らかの病、不具合が生ずるというのはまったく別の現象によって起こされていきます。一般にむしろ体を不自然な場所につれていったり、環境が肉体に合わないところにもっていったりした時に肉体が耐え切れずにいろんな障害を現わしてくる、肉体の波動を理解せずに無理矢理肉体に合わないものを採ったり、体に近付けると肉体が抵抗していろんな反応を示してくる、そういったことよって肉体にいろんな症状が起こってきます。したがって、思いから肉体に対して病を導いているのではなく、むしろあまり肉体を考えていないことにより肉体の状況とは合わない所に肉体を連れていき、それによって肉体が損傷を起こす、こういう流れで肉体が具合を悪くしていく傾向があります。したがって、自分のやり方としてはいろんな場所や状況を見た時に、それが肉体に合うかどうかをなるべく考える癖を養っていく必要があるでしょう。しかし今までそういう考え方をあまりしていないために急に言われても恐らく何が体に合って何が体に合わないのかも見つけられないでしょう。結果的に体に何か不都合が生じたり、合わないと思った時に周りを考えてみて、どのエネルギーが体に合わないのか、どのエネルギーで体が抵抗示したのか、それを見つけていく意識を養うことが必要でしょう。自分に何らかの不具合があった時、思いではなく波動が合わないことにより肉体が悲鳴を上げている、そういったことを感じて肉体のメッセージを受け取るようにしていってください。


今は皆さん方に対してのアドバイスをしてみました。今はまず日本人全体が非常に自らを見失っており、肉体のことを疎かにしているために、肉体との繋がりが極めて弱く、そして生命力が弱まっている状況と言えます。日本人全体がとても低い生命力にあります。そしてそのために自らの命を自ら絶っているのです。生命力は一人ひとりのものでもありますが、日本人全体に共通している波動とも言えるのです。

したがって、皆さん方が強くなれば他の人の生命力を強くすることもできるのです。他の人の生命力が弱まり自らの命を絶つということは自分自身にも責任があり、自分が弱い生命力を与えているということ、そこに意識を向け自分は強い生命力を他の人に与えていく、少しでも他の人が強く生きられるように自分の生命力を高めていく、是非そういうことによって一人でも多くの人が自らの命を絶つことを止めるように、食い止めることができるように意識をもっていってください。それでは少し休憩を取ります、ありがとうございました。


A意志の強さが最優先 私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今の生命力に関していわゆる気との関連の話がありました。いわゆる丹田とかに集まっている気のエネルギーは主に肉体を生かすエネルギーであり、この気のパワーによって肉体の生命力が強くなっていきます。しかし先ほど話された生命力はまず自分自身を生かす生命力と言えます。

肉体があろうがなかろうが、肉体が弱っていようが強くなっていようが、まず自分自身の存在を生かす、どれだけ自分が弱っていたり、立場が悪かったり、環境が悪かったとしても自分は生きるという強い意志を持っているかどうか、自分の存在そのものを生かす生命力、これがまず自分の本質にあります。そしてそれとは別に肉体を生かす生命力も必要です。

肉体は肉体で一つの生命であり、いわゆる皆さん方が眠っている時は皆さん方自身は肉体から離れております。肉体は肉体だけで生命を維持しております。もし肉体自身の生命力が弱ければ皆さん方から離れた時、肉体だけの生命力で維持していきますが、丹田が弱っている時には肉体の生命力がどんどん衰えてきて、病になりやすい現象になります。皆さん方自身が一人ひとり持っている生命力の意志の強さと肉体自身が保有している生命エネルギー、これは基本的には別ものですが、皆さん方が肉体に宿っている時には皆さん方自身の強い生命力によって肉体が生かされていきます。

皆さん方の中に自分は生きるという強い意志があると肉体も強くなり、肉体が強い生命力を発揮していくのです。逆に皆さん方自身が弱い生命力だった時、肉体そのものが強い生命力を持っていたとしても実際には皆さん方の弱い生命の思いの影響を受けてしまうのです。したがって、いくら丹田を強くしても自分自身に生きる力が弱ければ、意志が弱ければ肉体はやはり衰えていくのです。

肉体に入っている丹田の生命エネルギーよりも、皆さん方の意志の生命力の方が強い影響を与えているということ、そのために自分自身を生かす思いがまず優先しているということ、それを理解して自分とは何なのか、自分の生命とは何なのか、自分を生かすということが何なのかを理解するようにしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2006 CentralSun
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