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2006/8/28■月曜交流会から

本当の自分とは何か

@認めてほしい、というエゴ

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。皆さん方の日常の生活においていろんな人間関係の中で心に関していろんなテーマが隠れています。自分の心、自分にとってとても大きな世界であり、自分のすべてがそこに入っております。しかしこの心はその時、その時、一瞬、一瞬にしてすぐに変化し、豊かで大きな心があったと思えば一言で一瞬にして小さくひび割れた状態に変化する場合があります。

何気ない一言が自分を傷つけた、嫌な話を聞いた途端に心が荒んでしまった、一瞬、一瞬心は変化していきます。心を豊かに持ちたい、大きく持ちたい、誰もがそう望んでおります。常に人を愛せる大きな心を持ちたい、どんな状況でも他を許し認める、寛大な気持ちでいたい、誰もが望んでおります。

またそういう心が徳のある立派な心であり、そういう心を持っている人を見るとうらやましく思ったり、素晴らしいと思って、ついその人からいろんな波動を感じようとしたりします。あの人はあんなに豊かで愛があるのに何故私はこんな小さな心で人を許すことができないのだろう、そう思う事も多々あるでしょう。

しかし心というのは瞬時にして変化するものであり、今寛大であると感じた人の心がある一言によって急に血相を変えて突っかかってくる場合もあります。寛大な心は瞬時であるなにば誰もが体験することができます。問題はそれを持続することができるかどうか、寛大な心を続けることができるかどうか、それが一番難しい状況と言えるでしょう。

他人を優しく扱うことができる、大きな観点で見守ることができる、決められた時間であるならばある程度誰でもができます、しかしそれをずっと続けるということがいかに難しいか、心は元々変わり行くものを現わしており、一定不変の心を現わしているのではありません。

寛大な心、人を大きく包み込む包容力、しかしそれを持続させるのは極めて難しく、自分は一瞬、一瞬の変化を感じながら自分を感じ、相手を感じ、周りを感じて行動に移しているのです。素直な心になれない、寛大な気持ちになれない、そう思っている時自分の心には何らかの痛いところ、辛いところが隠れております。過去にいろんなことを言われて大きなショックを受け、自分として思い出したくない思い出となって心の底に残っている、家族や友人、いろんな人との関りにおいて自分を否定するような言動を取られた時、話を聞いてくれない、分かってくれない、理解してくれない、言うことを聞いてくれない、いずれも自分の存在を認めてくれてない感じになり、自分が否定されたような感じになってしまいます。

自分が否定されるということは自分の心が否定されている感じになる、自分の心、存在そのものがあたかも相手にはまったく理解されていないと思ってしまうのです。自分が理解されない、そこからくる不安や恐れはかなりのエネルギーを発し、それによっていろんな言動がつくられていきます。

自分を認めさせようとする言動を取っていくのです。自分が認められないから認めてもらうようにもっていく、どうやったら自分のことを認めてくれるのか、自分の得意なところを表に出して認めさせようとする人もいるでしょう。できないことをできるようになって自慢したり、評価してもらうことによって自分を認めてもらうことがあるでしょう。

普通の人にはできないことができるようになった、それで自分を認めてもらえる、これまでの自分にはできなかったことが今はできるようになった、認めてもらえる、いろんなことを自分で理解し、そして自分が認められるようになっていく、そういう風にして自分を認めさせようとする言動を取り始めていきます。

簡単なレベルにおいてただ認められなかった自分を認められるようになった、それで済む場合には大きな問題をつくることはありません。それは誰もが持っている反応であり、それ自身は必ずしも否定されるものではありません。しかし始めに自分が感じていた認めてくれない、分かってくれないというエネルギーが認めてくれるようになった、分かってくれるようになったと変化したとしても、普通はそこで終わることはなく、さらにもっと認めてもらおう、さらに分かってもらおうとして、より大きなエネルギーを発し続ける場合があります。

もっと認めて欲しい、もっと評価して欲しい、もっと愛して欲しい、そうするとその段階から当初の目的とは異なり、認めてもらうことが目的になっていきます。この段階からエゴというエネルギーが動き始め、自分の言動の一つひとつがエゴに染まっていくことになります。自分の言動の一つひとつがもっと認めて欲しい、もっと分かって欲しい、もっと愛して欲しいというエネルギーに染まっていきます。

この段階にくると当初考えていた、ただ自分の分かってくれないところを分かってくれれば良い、認めてくれてないのを認めてくれれば良い、そういう当初の目的ではなくもっともっと自分のことを分かって欲しい、もっともっと愛して欲しい、目的意識が変っていき自分自身をより大きく愛してもらうために言動を取り始めていきます。

その頃から自分の言動が自分のエゴによって染まっていくために他の人はそのエネルギーを感じ、そのエゴのエネルギーに対して不快感を感じ始めていきます。素直に話しているようにみえても自分の口から出てくる言葉の一つひとつがエゴのエネルギーに染まっているために、聞いている人はだんだん嫌になっていき、途中で話を遮ったり、初めから聞く耳を持たなかったり、話題を変えようとしたりしてエネルギーから離れようとします。

しかし話している方は自分のエゴを満たそうとしてさらに大きなエネルギーを発し続け、より強く理解してもらいたい、分かって欲しい、聞いて欲しいというエネルギーで言葉を発していきます。聞いてくれない、分かってくれない、このエネルギーが強くなればなるほど聞いている方は段々不快のエネルギーが濃くなっていき、余計に聞くのを拒むようになっていきます。聞いていて面白くない、疲れてくる、結局話す機会も減っていき、話している方からすれば分かってくれないという不満だけが募ることになります。

自分の思っていること、本当のことが相手に分かっていない、むしろ勘違いされたまま相手に伝わっている、人から言われたうわさだけで他人に知られている、本当の自分が分かってくれていない、これはすべての人間にあてはまるのです。自分だけが特に分かってくれていないとか、自分だけが勘違いされているということはまずありません。すべての人間がお互いに表面しか知らず、勘違いで自分の観点からで相手の人を評価しています。

それを変えさせようとか、変えて本当の自分を見て欲しいと思ったところで、何が本当の自分でしょう。分かってくれないから分かって欲しい、そうむきになっているところがその時点でのその人の本当の自分です。何とか分かって欲しい、分かってもらうまで延々と話し続ける、これも一つの本当の自分なのです。

本当の自分を分かって欲しい、そこで出てくる本当の自分とは何でしょう。多くの人は私はこんな良いところがある、私も真面目にこれはやっている、それを本当の自分と自分で思っているかもしれません。それは本当の自分ではないのです。自分の頭の中で良いこととしてつくられた自分の概念であり、それは自分のすべて本当のものということには決してならないでしょう。

自分の頭の中で美化した自分であり、普段はできないけどそういう風に良いことをした時期が一瞬あった、良いことをしたことが一回だけあった、すごい時がある時代にはあった、そういう絵面影を心の中に残し、それをずっと自分のものとして信じ込んでいるのです。かつての栄光にずっと思い出を寄せ、今の自分にオーバーラップさせようとしている、今の自分はそういう過去の自分にただ浸っているだけであり、過去の自分を演じているわけではありません。

本当に自分の良いところを見せようとするのであれば、過去の自分と同じことを今自分がすれば良いのです。寛容な態度を取る、寛容な行動を取る、今それを自分が行なうことです。それを行動しないで過去に自分はこうだった、以前私はこうだった、本当の私はこうである、といくら口に出したところでそれはもう本当の自分ではないのです。今自分が行動できなくては自分とは言えません。今はなき過去の自分にすがったり、浸るのではなく、今自分が行動することです。今自分が他を愛し、他のために尽くす、自分はただそれを実行することです。

本当の自分とは何であるのか、過去を紐解き、その時々の良い自分の姿を持ってきたところでそれは本当の自分とは言えないのです。今行動している自分そのものが本当の自分なのです。過去にすがっている、それが本当の自分であり、過去にできたというのは単純に今はできていない証です。今自分がどういう言動を取れるのか、今自分がどこまで他のために愛し、尽くすことができるのか、自分の行動によって変化していきます。自分が行動を取る、自分が行動する、常にそれによって自分を確認し、今の自分に戻すようにしていってください。それでは少しアドバイスをしてみます。


Hiromiさんの波動を見た時、あなたの体の中にいくつかの光の流れがあり、その流れは自分が設定したものであるということを理解する必要があります。自分でその光を設定してきました。あなたは肉体を持つ前にこの肉体でどこまでいけるか、この肉体が自分をどこまで成長させるかにとても大きな関心を寄せておりました。そして父母を選ぶ時、あなたは自身は確実に自分を成長させる流れをつくるのに、一生懸命になっていました。自分を確実に成長させること、そのための条件つくりを入念に行い、自分の性格的な弱さからつい逃げてしまう部分があり、それを克服できるような流れをつくろうとしていました。自分を常に強くあるために、常に逃げ道のようなものをなるべく多く作らず、自分が前に行くしかない、進むしかないという現実をなるべく多く作るように設定しました。それによって自分の選択肢がなるべくやるしかない方向へと向かい、それによって自分が確実に行動力を身に付けていく、やるべきことをやるようになっていく、そういう風に作ってきました。肉体を持って生活を始めると、自分の意志というところでいろんな状況が変化してきました。自分の意志をもっともっとはっきりと理解し、自分のやるべきことはちゃんとやるという流れを作っておりましたが、この肉体人間の中に入ると意志がうまく発揮できず、確実にやるべきところがうまくコントロールできないことに気が付いてきました。そのために、数少ない逃げ道があった時、確実に行動しようと思ってもつい行動できない自分が少しずつ現れてきました。

本来は確実に行動するという思いでつくったエネルギーでしたが、現実に体験してみると中々意志が発揮できず、つい愚痴をこぼしたり、正当化するような自分が現れ始めてきました。これを克服しようとしてスピリットに戻っている時には、なるべく意志の強さを肉体で具現化できるように仕組みをつくってきました。どうやって意志を強く発揮させるか、そのために自分なりの信念のようなもの、思い込んだら確実に行動に移すこと、そういうやり方をなるべく自分に当てはめ、自分の信念によって前に進む、確実に強い思いでやっていく、そういう働きがつくられていきました。しかし思春期の頃からその自分の思いは行動に現れるよりも、自分を否定するような方向へと動き始めていきました。できない自分を正当化したり、できないままで済ますような状況に変化していったのです。そのためにせっかくの強い意志や思いが行動をしないという方向へ動いていってしまいました。この流れをまた変えようとしてスピリットに戻っている時になるべく自分が自分に対して甘くなるのではなく、強くさせるようにと仕組みをつくり始めていきました。周りから強く言われることによって目覚め、強く生きていく、そういう流れをつくり始めていったのです。それによって自分が強くなれる、強く行動できると信じていたのです。しかし現実では周りから強く言われると、その時にはものすごく反発しても結果的にその通り行動することにとても強い反発を感じ、自分は自分のままでいるということに強さを向けていったのです。

自分は今の自分で良い、このままで良い、どんどんその方向へと向っていきました。まるで自分を変えることが他人の言うなりになるかのように感じ始め、他人に言われたことを行動することに抵抗を感じているのです。他人の言うなりにならず自分は自分であるために、自分はそのままでいることに徹したのです。これを変えようとして今仕組みをつくり始めている最中と言えるでしょう。まず自分で自分を変える、これを自分でどう考えているのか、人から言われた通りに変わっていくような感覚を受け、まるで自分で行動しているような感覚にはならない、人の言うなりになっている感覚を得てしまう、そういうところがあるのです。しかし実際には他人からの言葉というのはすべて自分のメッセージです。自分が自分に与えたメッセージなのです。他人の口を借りて自分で自分に言葉を与えているのです。自分で自分にメッセージを与えることができないために、わざわざ他人の口を借りて聞かせているのです。目の前にいる人々は実際にはあなたに対し何を言おうとも関係ありません。ただあなたがあなた自身に自分で発した言葉を目の前の人が発しているにしか過ぎないのです。他の人は自分の為に協力してくれている偉大なるヘルパーなのです。自分は自分の言葉を他人の口を借りて聞いている、自分はそれに感謝を感ずる必要があります。そうしなければ自分のメッセージは聞くことができないのです。それをあたかも他の人が自分に対して言ったかのように錯覚してしまう、他の人が自分に言ってきたかのように思ってしまう、それはとんでもない勘違いです、誤解なのです。

他の人はあなたに特別に何か言いたいこととかはまったくないのです。ただ単に自分が自分のために言いたいことがたくさんある、それを他人の口を借りて具現化させているに過ぎないのです。自分に対していろいろ言われたこと、それは全部自分が自分に対して必要と思って与えたメッセージです。それに反発する、聞く耳持たない、自分で自分の言うことを聞いていないのです。自分で自分の言葉を聞いていない、まず素直になることは自分で自分の言葉を聞くことでしょう。自分の言葉を聞かずしてどうやって他人の心が分かるでしょうか。自分の言葉を聞かないということは自分の心を見ようとしていないのです。自分の心を見ようとしないものが何故他人の心を見ることができるでしょう。もし癒し、他の人のサービスとして光の奉仕として活動するのであれば、まず自分の心をしっかりと見る必要があります。自分の心を見ると相手の心も見えてきます。自分の心が見えないうちは相手の心は見えることはありません。相手の心と思ってもそれはまだ自分の心なのです。自分の心しか見えていないのです。自分の心が見え始めた時から相手の心が見えていきます。まずは相手の口から出る言葉はすべて自分が自分に発したメッセージであること、それを理解して自分を理解し、自分の心が分かったらしっかりと他人への奉仕をする、まずはその流れをしっかりと理解しておいてください。


Akikoさんの心を見た時、あなたの心に自分で自分を傷つけたり、痛めた波動もまだ残っています。そしてこれは場合によっては自分ではずっと気が付かないかもしれません。意識している自分の世界と意識していない自分の世界があり、意識していない自分の世界には意識していない言葉で自分を傷つけているもの、意識していない言動で自分を傷つけているものがあります。これは意識していないために自分で見つけることは極めて難しいと言えるでしょう。意識していない自分の言動で自分が傷ついている、言葉の一つひとつ、どうせ何々だからとか、まぁこれで良いやとか、まぁ私もとか、こういうごく普通の会話の中に自分も実際にはできなかったことやできない、相手と同じく自分も低いとか、いろんな細かなエネルギーが入っているのです。皆そうよねとか、誰でもそうなんだから、この言葉でも自分を傷つけているのです。自分の価値を下げている、自分もできないという風に思っている、こういう意識していない自分の言葉が多数あり、そしてそれは自分を傷つけていると分かっていないために、中々改善も難しいのです。

今までは意識している自分を見て、自分をかなりヒーリングしたり癒すことはできたでしょう。しかしこの意識していないレベルで自分を傷つけている言動、まだまだこの世界でのエネルギーが残っているのです。これを完全に癒すことによって本当の癒しが始まっていきます。そしてそれを自分の言動で変え、すべて自分にとってポジティブな言動を取り始めた時、あなたの本当の光が動き始めていきます。あなたが持っているあなただけの本当の光は、この無意識で自分を傷つけている自分がある限りは発動しないのです。無意識で自分を傷つけている自分を完全に取り払い、すべての意識においてあなたがあなたであった時にあなたの本当の光が表に出てきます。それはあなたにしか使うことのできない極めて素晴らしい光です。意識せずに傷つけている自分を見つけるのは一筋縄ではないでしょう。しかしそれは必ず行わねばなりません。あなたがあなたであるために、あなたの証であるためにもあなたの本来の光を出さなくてはならないのです。言葉の一つひとつ、これから充分に注意をし、もっと細かく分析していき、本当の自分の姿を表に出していってください。


人間関係から自分の心がどう動き、また他人にどう与えているのかを述べてみました。心はころころしょっちゅう変わるもの、それはそれで問題ありません。一言で急に変化する、一瞬の思いでまったく変わってしまう、元々そういうものが心なのです。そういう心の動きそのものに評価を上げる必要は一切ありません。むしろそういう心の動きをうまく利用していく、うまく使っていくということができれば本当の意味でのマスターになるでしょう。

心の動きに惑わされたり、とらわれるのではなく、そういう心をツールとして使いこなしていく、是非そういう意識を身に付け、より高度なレベルで心を使いこなすようにしていってください。それでは少し休憩を取ります、ありがとうございました。


A心をツールとして使う

光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今日で八月の交流会も最後になり次回から九月に入ります。日本においては季節ごとに人それぞれの心も変化し、人間関係も変化し仕事振りも変化していきます。季節が心に与える影響は極めて大きく、自分の心の動きを観察する時、周りの状況を常に考えてみることも必要となります。多くの人はその時に言われた相手のこととか言葉そのものにしか反応していない場合があります。

実際には周りの環境、季節、時間、天気、いろんなことが心に影響しているのです。そういったことが分かってきた時、その時々の季節や時間的なもの、天候的なものを理解することにより自分の心の動きも段々理解できていき、じゃ自分がとっても大事なことを言う時には、いつ、どういう時にどういう場所で言ったら良いのか、自分が苦手な人と会う時にはあえて天気の良い時、あるいは気持ちの良い時に相手と約束をするとか、いろんな心の動きをうまく使うこと、それが先ほど言った心を使いこなす、心をツールとして使うという意味になってきます。

ただ単に相手の言葉だけに反応して無理矢理自分の意志だけで使いこなすのではなく、いろんな心の動きの作用を利用して、良い人間関係をつくっていく、良い表現をつくっていく、そういう心の使い方、ツールとしての使い方を学んでいってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2006 CentralSun
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