多くのマスターがここへの参加を希望しており、皆さん方と一緒に交流できる機会を持とうとしています。しかしそれにもいろんな条件があり、許可されてマスターしかここにはやってきていません。マスターたちの世界から見た時、皆さん方と交流できる、一緒に会話を楽しめるという機会をとても重要な考えており、いろんなマスターたちが何とかしてメンバーに入りたいと立候補してきます。
しかし一人ひとりの繋がっているマスターやハイヤーセルフの許可に応じて選ばれるために必ずしも全員が許可されるわけてばありません。皆さん方から見た時、あまりマスターという実感がないかもしれませんが、ここでの会合一つひとつに非常に重要な意味があり、それぞれのマスターは何とかして自分たちの思いを感じ取って欲しい、あるいはエネルギーを受け取って欲しい、そういう気持ちで真剣にこの場合にやってきます。
基本的に話をしているマスターはわずか一人二人のように感ずるかもしれませんが、基本的には全員の集合意識な観点で話をしています。したがって、実際の言葉としては全員が一つの人間であるかのように話しをしていると思ってください。よく皆さん方に一人ひとりにメッセージを与えている時、人によってエネルギーがまったく違っているのを感ずることと思われます。それぞれその人に一番ふさわしいマスターがメッセージとエネルギーを与えているために、一人ひとりまったく違うエネルギーの場がつくられていきます。
そして私たちもその瞬間はとても楽しい経験をすることになります。皆さん方のハイヤーセルフやガイドと言われている存在たちがその時にいろんなエネルギーの仕組みをつくり、マスターから与えられた光やエネルギーを最大限に受け取ることができるようにいろんな仕組みが演じられていきます。
ハイヤーセルフ自身が予想もしていなかった光を受け取ったり、また単なるメッセージの間に神や天使のレベルから奇跡とも思われるような現象が行なわれたりしています。皆さん方の中にはほとんど眠っていて覚えていなかったりとか、自分のところだけまったく記憶がないという場合もあったりします。しかしそれは一般に皆さん方のスピリットの体が実際にはマスターや天使たちと一緒になっていろんなワークをしていたり、特別な仕組みをつくり出している時によく起こったりしています。
皆さん方の肉体よりもスピリットのレベルで重要なことを行なっている時に肉体から離れてしまい記憶に残らない、覚えていないという現象が起こってきます。確かに肉体のレベルで覚えている時はそれはそれでといも良い経験をする時があります。エネルギーの種類がよく分かったり自分へのメッセージがとても良く理解できたりする場合があるでしょう。 それはそれでとても良い結果であり、また記憶に残っていなかったとしてもスピリチュアルな世界においてはとても素晴らしいエネルギーをチューニングしたりしている場合があるのです。世の中がどんどんスピリチュアルな観点からいろんな会合が増えてきて、一見皆さん方の意識がスピリットと繋がりを強くし、どんどん今後のスピリチュアルな時代に向って進んでいるという風に理解されているかもしれません。
しかし私たちの観点から見た時、本当のマスターや天使、あるいは神々と呼ばれる存在たちと繋がりが確実に増えているかということを考えた時、必ずしも明らかに目立って増えているという状態ではありません。古代においても或いは数十年前、数百年前という時代をとっても、必ず天使やマスター、観音や菩薩と話ができる人は必ずどの時代にも何人かは存在していました。
いかに戦争のような状態、悲惨な状態の時期であったとしても、必ず菩薩や観音と話ができるという人は日本に存在していました。中には人々に対してとても良い仕事をした人もいれば、実際には話しをするだけで世の中からは何も評価されていないという人もいました。今いろんな学びの機会が増え、一見天使やマスター、菩薩や観音と会話ができる機会がとても増えてきたかのように思われるかもしれません。
しかし以前存在していた観音や菩薩などと話をしていた人のレベルと、皆さん方のコミュニケーションの能力を比較した時、やはりどうしてもいわゆるエゴ的なものがとても多く、素直に100パーセント、観音や菩薩などとコミュニケーションができるという状態には至っておりません。特に今の社会においてそれぞれの家庭の事情や金銭的なこと、社会における地位などを考えた時、純粋無垢なままでコミュニケーションを行っているという人はほとんどいないと思っても良いくらいです。
どうしても何か自慢できるものを欲しい、有名になるきっかけが欲しい、或いは友人との比較の中で自分の方が優れているという証が欲しい、こういう気持ちがどうしても心の中に見え隠れして、ほんのわずかでも自分が他よりも優れているという情報があればもう有頂天になって、いかにも自分が最高の霊能者であるかのように吹聴してしまう人がたくさんおります。多くの人がそういう心を奥底に持っているために、得られる情報にもどうしてもそういう観点が結びついてしまいます。
特に今のような時代においてはどこで学ぶのが一番良いのか、どの先生が良いのか、どれが正しくてどれが間違っているのか、そういう議論が絶え間なく繰り返されており、それぞれの判断で誰が一番良いとか、誰は悪だとか、そういう論争が日常何度も繰り返されております。私たちの与えた手情報がそういう使われ方をした時、私たちがいかに悲しく又人間に与える情報についてまたよく考えなければならないこと、いろんなことを思わされてしまいます。
今日やってきているマスターたちも本当に皆さん方と交流できる機会を希望し、いろんな条件の中で選ばれたものたちがやってきています。皆さん方と交流できる機会がほとんどないために、こういうわずかな機会においていろんなマスターたちが名乗りを上げてきます。マスターたちからすれば本当にこの場にいるだけでとてもうれしく、皆さん方の話している会話を直接聞けるだけでもとても大きな喜びとなってきます。
今人間の社会では何が問題なのか、何故そういう議論が行なわれるのか、家庭や家族という話題でいろんな話が進められておりました。今日本において家族や家庭とてもエネルギー的にも見て、冷たく、破壊的なエネルギーが覆っています。これまでの日本の社会は家族皆で協力し合う、助け合うという波動がありました。確かに苦しい時、生活が成り立たないとき、どうしても年貢を納めることができない時、子供を売るとか、奉公に出さす、そういった現象がごく普通に行なわれておりました。しかしそれでも家族の絆はとても強く、奉公に出したとしても子供のことを忘れる親はまずありません。
何年経とうが、何十年経とうが自分の子供はどこで何しているのだろうとか、人目会いたいとか、無事に生活しているのか、いろんなことを思っておりました。確かに中にまだまだ未熟なものや気性の荒いものたちは乱暴な言動を取る人もいたでしょう。しかしそれに比べ今の社会はどうでしょう。家族の絆がほとんどなくなり、友人よりも繋がりが弱く、家族といってもまったくの情報が分からない状態にあります。
無関心、家族において無関心というのがどういう状態なのでしょう。無関心は典型的な悪のエネルギーであり、人間関係を疎外させていきます。人間関係から愛を奪い去っていきます。この無関心という波動が家庭にどんどん蔓延ってきて、一人ひとりが自分のことだけを考える、自分のやりたいことだけで精一杯、とても家族のことなんか考えてられない、こういう時代になってきています。自分のことで忙しくて家族が考えられない。いわゆるライトワーカーと称して世のため人のために自分の身を捧げようとしている人、神と約束したり、マスターやハイヤーセルフと約束して私たちはユートピアに向けて何でも協力します、神の意志通りに動きます。こういう風に宣言している人がたくさんおります。
そして他の人に奉仕する事も前提としていろんなやりたいことをどんどん進めていく、結果的な家族関係がないがしろにされたり、家族という考え方がなくなってくる、これはとてもおかしな現象と言えます。社会は家庭を根本に出来上がっており、家庭を無視して社会を語ることはできません。家族や家庭は社会の基本単位であり、家庭を顧みず、社会だけを良くするということはありえないのです。
しかし多くの人が勘違いをしており、家庭よりも社会を重要視することで自分は大きな仕事をやっているかのように勘違いしてしまう、家庭よりも社会一般で働いた方がより価値がある働きをしているかのように思ってしまう、こういう錯覚に陥っています。家族の面倒を見もるよりも社会で困っている人、社会で活動した方がより豊かで意味のある仕事と思う、そういう状態なのです。
しかしエネルギー的に見た時に必ずしもそれは健全なエネルギーではありません。あくまでも社会は家庭の積み重ねでつくられているために、家庭に対していかにエネルギーを流しているか、光を流しているか、自分の家庭を自分のグランディングポジション、自分の落ち着ける場所としてホームタウンとして位置付けているかどうか、自分の居場所がないという人がよくおります、自分の居場所は自分の家庭、自分の家族なのです。
たとえ一人で独身者で生活していたとしてもやはり家族に常に意識を向けることが必要です。両親に頻繁に連絡をしてみたり、兄弟、また親戚などにも頻繁に連絡をしてみる、こういったことはとても重要なことなのです。特にこの時期、家族や親戚のお墓参りとか、供養にでかける人もいるでしょう。日本においては今の時期において供養に行くということはとても意味がある働きとなります。
まだまだ皆さん方の親戚の中で亡くなって依頼浮かばれていない人、まだまだ未練を残し彷徨っている人、スムーズに新しい世界に入れない人が意外と多いのです。そしてそれが家族にいろんな影響を与えたりする場合があります。これが以前の場合にはだいたい本家とか、主だった家族のところでそういったエネルギーをうまく浄化したり面倒を見る働きが自動的に行なわれておりました。いわゆる守護霊などの働きによってそういったものたちが本家で管理され、家族全体の面倒を見るという役割を演じていたのです。それが今家族という繋がりがどんどん弱くなってきて、バラバラな家族の状態になってきた時、本家が行っていたような働きがどんどん弱くなってきて、行なわれにくくなっています。
そうすると皆さん方の遠いおじいちゃんやおばあちゃんに相当する、亡くなった霊たちは自分を浄化してくれる場がどんどん減ってきて結局長い間まだ迷い続けて、長い間彷徨っているという状態になってきているのです。皆さん方がスピリチュアルな勉強としていろんな意識を高め、ハイヤーセルフと繋がる、マスターと繋がる、天使と繋がる、しかも私は新しい神に認められた、もっと高い神に繋がった、他の人よりも一段階高い光をもらった、そうやってうぬぼれ合戦をしている時に実際には肝心の皆さん方の先祖達が迷い、彷徨い、苦しみ、浮かばれずただその辺をうろうろと歩き回っている、これがスピリチュアルな社会なのか、皆さん方の意識の中でどんどんスピリチュアルな世界に向っていって皆意識も高まり良いね、という話をしている時、本当にそういった先祖達を考えた時、スピリチュアルな社会に向っているのか、実際にはまだ昔の方が先祖供養が多く成され、お盆の時期には家族皆でお墓参りに行き、普段でもしょっちゅう先祖のためにお神酒やご飯を供養として差し上げる風習が残っていました。
今はそこまでやっている人がどんどん減ってきています。皆さん方の先祖がどんどん浮かばれない状態が増えているのです。これがスピリチュアルな社会に向っている証でしょうか、何をもってスピリチュアルな社会というのか、自分はハイヤーセルフと話ができる、マスターや天使と繋がった、それはそれで良いでしょう。それをどこでどうどのように使っていくのか、結局皆さん方が行っているのは、それを自慢の種にしたり、商売の道具に使っているだけであり、先祖の供養とか悩みを解き放つ、困っている人の手助けになるという働きには中々繋がっていないのです。
それがいわゆるエゴのためにスピリチュアルの勉強をしているという状態を広げているだけなのです。必ずしも皆さん方を責めているわけではありません。スピリチュアルな世界が広がること自身はとても良いことです。それまで肉体がすべて、物質がすべて、この世がすべてと思って生きている人には、やはりスピリチュアルの世界を理解していただき、物質や肉体がすべてではないこと、目に見えるものがすべてではないことをしっかりと説く必要があります。
でも昔の人はそういうことを言われなくてもお墓参りに行き、先祖供養をし、毎日のようにお神酒を捧げたりしていたのです。心のレベルでスピリチュアルな人間だったのです。今の皆さん方は心のレベルでスピリチュアルでしょうか。頭のレベルではスピリチュアルな知識が一杯増えたかもしれません。しかし本当にハートのレベルで心の底からスピリチュアルな人間と自負できる人がどれだけいるでしょう。
スピリチュアルな知識を得ることにはとても興味がある、しかしお墓参りにはまったく興味がない、それは暇な両親にさせておこうとか、自分の役割でないから他の人にやってもらおう、これはまったくスピリチュアルを理解していない人の発言となります。
何の為にスピリチュアルな勉強をしているのか、何を目指してスピリチュアルな学びをしているのか、ユートピア、シャンバラ、桃源郷、いろんな言い方があるでしょう。しかしそういう世界を考える時、皆さん方は三次元の、或いはこの現実の世界しか考えていません。そういう時代になった時に先祖供養はどう変化していくのか、スピリットの仲間とここの世界の仲間とがどういう関りになっているのか。
皆さん方の先祖で苦しんでなくなったまま誰からも供養されず、新しい世界にも行けず、ここの世界に留まっている人が何とかして楽になろうとして特定の場所にしがみついたり、或いは波動の合う人間に捕まったりする。これが今の時代に行なわれていると新たなるシャンバラの世界に、新たなるユートピアの時代において、そういうものたちとの関りがどう変化していくのか、彷徨っているものたちをどう持っていくのか、本当のスピリチュアルな観点から見た時には、そういったことに対してどう行なうのかも考えていかねばならないのです。
ここの世界だけで、ただ病気がなくなれば良いとか、お金をどうしようとか、物質的なものをどうしよう、そういうことにばかり意識を向けていますが、実際には先祖たちに対してどうふるまう、彷徨っているものたちに対してどうふるまうのか、そういった議論がまったく成されていません。それはシャンバラの世界をまだ理解していない状態と言えます。またスピリチュアルな社会についても理解していない状態と言えます。
何がスピリチュアルな社会なのか、単に自分がハイヤーセルフと話ができる、それだけでスピリチュアルな社会になるわけではありません。浮かばれない人、困っている霊たち、皆とコミュニケーションを取りたい霊たち、さらに妖精や精霊、いろんなものたちが皆さん一人ひとりと関りを持っている、彼らとの関り方をどう持っていくのか、そういったことをしっかりと考えて初めてユートピアについて語ることができるのです。
本当にスピリチュアルな意識に近づいて自分がスピリチュアルな仲間として活動しているということを自負しているのであれば、すべてそういった観点を常に心に持ち、ごく普通のスピリットや霊たち、彷徨っているものたちとどう関り合っていくのか、自分はそういったものたちに対してどう言動を取っていくのか、そういったことも常に意識して話ができるようにしておいてください。
私たちからお話しをしてみます。今スピリチュアルな社会についての話がありました。アドバイスは別の観点から話をしてみようと思います。
Rieさんの波動を見た時、これまでのあなたの人生において自分ということを考える時、いろんな観点から自分を見つめたことがありました。自分の人生、自分のパートナー、自分の職業、自分の人生は価値があるのかどうか、自分はどういったことが行えるのか、いろんなことを考えたことがありました。今改めて自分というものを見つめた時、自分にしかできない能力、自分だけのものが少しずつ見えてきています。あなたにはあなたにしかできない能力がいくつか備わっており、そしてそれは地球にとってとても大切な波動なのです。これまでの一般の人々の場合には自分自身の持てる能力を発揮して認めてもらう、自分の能力をフルに活用して何らかの役に立たせる、そういった意識を多くの人が持っていました。しかしあなたに関しては必ずしも認められるとか、評価されるということに興味があるわけではなく、むしろ本当にどう使われるのか、どのように変化していくのか、そこにだけ意識が向いております。それはあなた自身が本来持っているとても素朴で純粋な波動から起こされております。地球に来る時の一番の光がその光であり、単純にただ行ないたいことを行っていく、ただ見るべきものを見ていく、育てるべきものを育てていく、そういうシンプルな観点から行なわれていきます。したがって、物事を評価する、価値を大事にするという人から見た時、あなたの言動が理解できない状態に映ったりします。あなた自身はそういったことにこだわらず、単純にその対象が良い方向に向って進むこと、今自分の思っていることが思い通りにうまくいくこと、単純にそれを感じているのですが、価値観を大事にする人はその証を残そうとしたり、そこに価値を付けて何か大きな価値を代わりに示そうとしたりします。それがあなたにとってはとても理解できず、まるで別の人間のように感じられてしまいます。今の社会においてあなたのようなエネルギーを表現するのはとても難しいかもしれません。人間はそれぞれ価値観を競い、優劣を定め、少しでも自分の優位性を説こうとします、しかしあなたはそういったことにはほとんど関心がないために、そういう競争している人から見ると、一見何の価値もないかのようなレッテルを貼られてしまいます。しかしあなたに本当に理解していただきたいのですが、価値観でつくる価値には何の価値もありません。あなたのように価値観で評価できないもの、人間の価値観には入ってこないものこそにとても大きな価値があるのです。人間的な尺度で自分を評価したり、あるいは他の人から評価されたりすることに意識を向ける必要はありません。あなたは今のままで十分にとても偉大なる価値を持っており、そしてそれを地球に降ろすことにとても重要な役割があるのです。これを地球に定着させるためにはあなたがそれを信じ、特に価値観を何も考えないまま、自分が素直に表現していく、そのまま自分の本来のものをただ行動に移していく、それによってのみその光が地球に定着していくのです。多くの人の言動に惑わされず自分は自分のやり方で自分だけの光を是非地球に残していってください。
Ayakoさんの光を見た時、あなたの光にはとても大きな輝きがあり、この輝きはあなたの進む道を常に照らしてくれています。あなたはこの光に意識を向けておけば、常に進むべき道が分かるようになっています。自分がどうして良いか分からない、どこに向って良いか分からない、そう感じた時自分の中の光に目を向け、この光がどこを目指しているのか、どこに向っているのかを感じてみてください。心を落ち着かせ光に意識を向け、光を感じた時、進むべき方向性が自然と感じられてきます。それまでただ言われるがままにやっていたこと、自分では本心ではなかったけれども決まっていたから行ったこと、そういったことに対してとても違和感が感じられる場合があります。それは光とは違う方向を進んでいる時です。あくまでも自分の中の光に意識を向け、これが何を求めているのか、何を望んでいるのかをはっきりと感じていく必要があります。そしてそれはあなたにしか理解できません。したがって、その理由を他の人に話したところでその方向性が良いということを説明することはできないでしょう。あくまでもその光が向っているところがあなたの進むべき道であり、論理や多数決やルールから決まるものではないのです。そのためには常に自分の心と照らし合わせ、自分の心がどこに向いているのか、自分はどこに関心があるのか、常にそれを意識しておく必要があります。そしてそれを感ずるところ、ただそこに意識を向けそれを現実化させていく、それが自分の行動の進め方になります。これからはそういうやり方をマスターして是非自分の光の目指す方向へと進んでいってください。
Hiromiさんの光を見た時、あなたには輝く大きなシンボルが掲げられており、いろんなマスターがそのシンボルを使ってあなたと活動を共にしています。あなたにはまったく理解できていないかもしれませんが、そこにあるシンボルを使うことにより多くの仲間達がとても素晴らしい働きをすることができるのです。そのシンボルを掲げ、そのシンボルの現わすところの場をつくり、存在たちを紹介することによりあなたが何か成さねばならない時、場は一変してとても強力な場につくり上げられ、そして大きな大きな働きを成すことができるのです。あなたはそれだけの力を持っていながらそこに意識を向けることもなく、また使いこなすこともできていません。それについていろいろ自分で悩む必要もありません。いちいち理解して意識で行動せよと言うつもりはありません。掲げられている大きなシンボルはスピリットの世界において意味があるものであり、あなたの言動によってどうにかなるものではないからです。したがって、あなた自身はその掲げられたシンボルを使う場に肉体を運ぶこと、そういう働きをする状況のところに自分の体をうまく移動させること、これがあなたの肉体の働きになります。あなたはその必要な時に必要な場所に行くことにより、隠された働きが行なわれるようになるのです。したがって、自分がいつどこへ誰と行くか、これがとても大きな鍵を握っているのです。一般に他の人からいろいろ誘われたとき、面白い話がやってきた時、ほとんどがそういった状況と深い関連を持っていることがあります。したがって、その時一緒にどこかに行ってみたり、自分の感覚でどんどん進んでみたり、それによってあなたの大きな働きが行なわれるようになっていくのです。したがって、自分としてはいろんな機会があればどんどん出掛けていく、自分の感ずること、思い当たることがあればどんどん行動してみる、これがとても重要な働きになります。その重要なものがいつどこで行なわれるのかをあなたはまったく考える必要はありません。それはスピリットの世界であり、あなた自身がどうこうするものではないからです。今の時点においてはあなたはただ肉体を必要な所に移動させる、それによって本来の役割を成している、この関係だけをよく理解するようにしておいてください。
Minoruさんの光を見た時、あなたの光に関しては恐らく自分でも理解できないくらいいろんな光の影響を受けているために、自分が本来どうあるべきなのか、自分は本来どうしたら良いのかを自分でも分からなくなっているかもしれません。あなたに関与しているマスターがたくさんいるために、必ずしも一つのことだけをすれば良いというわけではないのです。いろんなマスターたちがそれぞれの状況に応じてあなたの体をいろいろと使っていく、これが次から次といろんなマスターたちに使われているために、自分ではどこまでが自分でどこまでがスピリットなのかが分からなくなっているのです。またそうやっていろんな働きをしている自分を一人の人間、一つのエネルギーとして理解しようとするとまったく理解できない場合が何度も起こります。たまたままったく目的の異なる複数のマスターが同時にあなたの体を使う場合があります。自分でもまったく理解できなかったり訳の分からないことを感じたり、行なう場合があるでしょう。あなたの体に関してはむしろそれが普通であり、いろんなマスターたちがまったく別々の目的であなたの体を使っていく、したがって、そこにあえて一つの意味を持たせようとか理解する必要はありません。あえて何か理由を付けたとしてもこじつけになってしまうだけであり、本来のあなたの役割を示しているわけではないのです。したがって、自分としてはその場その場に応じて必要なマスターたちに体を預ける、必要なマスターたちと一緒にワークをしていく、こういう意識を持っておけば良いでしょう。それぞれ関与しているマスターがまったく別であるために、自分の心の中では一つに統合することはまずありえないでしょう。無理に統合させようとせず、それはそれ、あれはあれと個別に考えていく、一つひとつをまったく別のものとして受け入れていく、そういう意識で日常を過ごすようにしてみてください。
Akikoさんの光を見た時、あなたの体においていろんなワークが行なわれるとき、あなたは光の使い方に特徴があり、これから地球に降ろすべき必要な光に対してとても敏感であること、その光をうまく使いこなしていろんな場で使うことができる、これについてはとても良いところがあり、新しい光、まだ慣れていない光にとってとても良い状態をつくり出していきます。しかし普通の人が持っている典型的な光、スタンダードな光に対しての反応がとても弱く、自分は普通の人が感ずるようなところ、普通の人が理解できるような光にはほとんど何も感じていない場合があるのです。これから必要となる新しい光には敏感であっても、今多くの人が必要としている光にはほとんど興味が沸かず、関心も持っていないのです。そのために今現在の普通の会話をする時にはまったく付いていけないところがあったりします。その反面、他の人にはまったく想像もつかないところで新しいアイデアが出てきたり、これまでとは違う発想のものが出てきたりする場合があります。これがあなたの繋がっている存在たちの波動になります。したがって、新しい光をうまくどのように活用していくのか、それをしっかり考えてもらう必要がありますが、その考え方について普通の人とはまったく違う考え方をするために、説明をしたり、理解してもらおうとすることがとても苦手となります。理解しようとすればするほどまったく本来のものから離れてしまったり、相手が余計に理解できなくなったりしてしまうのです。したがって、自分としては新しい光の方にとにかく意識を向け、それをひたすら他の人に分け与えていく、この地球にばら撒いていく、まずそれを優先させ、今困っている人、今悩んでいる人については、あえて普通の人間のやり方ではなく、何かまったく新しい見方、新しいやり方を優先させて解決させていく、そういう自分なりの方法を見つけることが必要でしょう。まだ他の人には何もできていない新しいこと、自分だけのやり方、自分だけの光やエネルギーの使い方をマスターし、そのやり方で自分を成長させていくように意識をつくってみてください。
Mamiさんの光を見た時、あなたには今いろんな光が協力し合ってあなたが次に向うべきステップに確実に昇るように周到な準備が行なわれております。これまでの流れとは違う流れに入ってきているために、次へのステップの上がり方がこれまでとは違うやり方で行なわれていきます。あなたにとってはそれはある意味では分かり易いやり方かもしりません。これまでは普通の社会の中にうまく埋没してその中で成長していくような流れに入っていました。しかし今は自分が理解することによってどんどん先へ進み、分かることによって成長するという流れの中にあり、自分が分かることによってどんどん成長している証を得ていることになります。そうすることによって自分がいかにも成長しているという感覚を得ることができます。しばらくはそういうエネルギーが自分に関与することになるでしょう。そのため自分は確実に前を進み、確実に光に近づいていき、確実に愛が広がっている、それをはっきりと実感することができるでしょう。今はそのやり方をしっかりとマスターしておいてください。いつかの段階でそういう学びからまたはずれ、必ずしもそういう実感が得られない場合、証が得られない時期がやってきます。そうすると自分がいかにも成長していないかのような感覚を得てしまうのです。しかし実際には成長はどんどんしている場合があるのです。成長していても証とは関係ない、証を得る必要はない、そういう学びの時期がいずれかはやってきます。今はまず自分がどんどん何かを体験することにより成長している実感を得る、まずはそこで十分に楽しんで自分の意識の拡大、成長の度合いを感ずるようにしていってください。
今皆さん方にアドバイスしたお話し、基本的にはシャンバラに向けて自分の意識をどう成長させていくのか、またその成長ということをどのように評価するのか、自分が成長したということを自分で理解できるかどうか、他人から評価されることと他人から評価されない時、どちらが本当に成長しているのか、いろんなことを皆さん方に考えてもらうきっかけをつくっております。
是非そういった感覚でスピリチュアルな社会とはどういうことなのか、何をもってシャンバラ、ユートピアと言うのか、是非お互いに議論をしてみてください。それでは休憩を取ります、ありがとうございました。
今は亡くなった人に対して特別な思いを持って奉るという現象をつくり上げていますが、太古においては肉体が無くなってもスピリットとして明らかに生きていることを理解しているために、今肉体を持って生きている人と同じような接し方をしておりました。皆さん方が神話と称して聞く話の物語においても実際には肉体レベルで活躍した神がいれば、肉体を失った後の向こうの世界での話であったりします。
昔の日本人はその区別をほとんど付けておらず、同じような話し方をしていました。それが今の人にとっては肉体を持った人間と、もう肉体を失った人間ではまったく別物という価値観が出来上がってしまい、理解がどちらかにはっきりと分かれてしまう状態をつくっています。今の文化的に残っている風習は以前の肉体があろうが、肉体がなかろうが同じように接していた頃の状態がそのまま風習となって残っており、先祖に対してもごく普通に日常的に供養したり、お話しをしたり、奉っていたことが今でも続けられております。
死んだ人に対してはこうするとか、生きている人に対してはこうするとかいう区別がほとんど付いておりませんでした。今は仏教の影響で死んだ人が何か否定的なイメージを伴ってしまい、悪いもの、気持ち悪いとか、怖いとか、或いはかわいそうとか、いろんな感情が死と共につくり上げられております。そのため亡くなった先祖、もう肉体を失った人に対してはとても否定的なエネルギーがつくられております。
これは今の人々がつくったエネルギーであり、古代においてはそういうエネルギーはほとんどありませんでした。この死や亡くなった人に対する特別な否定的なエネルギー、これは日本人がつくったエネルギーであるために、日本人が変える必要があります。皆さん方自身が変えなければならないのです。亡くなった人であろうが今生きている人であろうが同じように接する、また肉体を失った人に対して否定的な思い、気持ち悪いとか怖いとかいう思いも一切抱くことなく、生きている人間であるかのように接していく、生きている人間と同じように感情があり、知恵があり、知識があり、またさらに成長している、そういったことを先祖の方それぞれに持つ必要があるのです。
確かに浮かばれずにまだ家の周りで彷徨っている霊もあるでしょう。どこへ行って良いか分からず、ただあちこち歩いている霊もいるでしょう。それはおかしいとか否定的に思うことなく、ただ肉体が無くなっているためにこの世界に定着できず、また理解していないために行くべき所も分からず、ただそこで生命を維持している、そういった人に対して自分は何ができるのか、自分は光を与えることができる、知識や知恵を与えることが出来る、少なくとも自分はどういう奉仕ができるのか、自分の奉仕できる人が肉体人間だけだと思っていたら大間違いです。
肉体を失って迷っている人、彷徨っている人にも奉仕はできるのです。皆さん方の光はいろんな人を照らしていく、いろんな霊たちをも救っていく、それだけのパワーを持っています、是非この時期に先祖との関り方、肉体を失ったものとの関り方を少し考えてみて、自分はどういう奉仕ができるのか、どういった関り方ができるのかを少し見つめてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。