光を流す、光を与える、表現としてはそういう表現を使いますが、実際に一人ひとりの持っている波動は異なるために、光をどのように使うのか、そのやり方が変化していきます。あるものは光を変換させて使うことに卓越しており、あるものは純粋な光そのものを扱うことに長けている、光を遠くまで届けることに長けているものがいれば、すぐ目の前のものに光を当てることに長けているものもいます。
光を扱うにしても一人ひとり特性があり、扱い方が変わってきます。日の本の人々の持っている一般的な特徴は、本来の光をまずそのまま使える、変換された光ではなく本来の光をそのまま扱う、これが一番の大きな特徴になります。日の本の人々でない光の使い方は本来の光であろうが、変換された光であろうが気にせずにただ光を使いこなしてより以上の素晴らしい光をつくり上げていく、これが他の人々の役割になります。
したがって、日の本の波動を持っているものはなるべくオリジナルそのままをへたに変換させることなく本来のものを大切にして伝えていく、あるべきものをあるべき姿のまま残していく、こういう傾向があるのに比べ、日の本でない人々の役割は、いろんなものを組み合わせてまったく新しいものにつくり変えていく、本来あるものを更に高度なものへと変換させていく、まったく異質なものに変換させてしまう、そのように光をまったく違うものにしてしまう、それを芸術の面で使ったり、工業、技術、農業の面で使ったりしていく、これは他のものの役割になってきます。
日の本の波動として神が地球のために必要として流した波動、地球のために使うべきものとして流してきた波動や光をまずそのまま受け取る、そして受け取ったものを必要な人にそのまま与える、必要な国々にそのまま与えていく、必要な自然、動物、気象に向けてそのまま流していく、これが日の本の役割になります。
一般に日の本の波動を持って生まれてきたものは本来のものを大切にする、受け継がれてきた純粋なるものをそのまま維持しておく、そういう傾向があります。この日の本の波動、これが機能しないと他の民族のものたちは本来の純粋な光を受け取ることができずに、純粋でない光だけを組み合わせて新たなるものを創造しなければなりません。
純粋でない光、それがすべて悪とか悪いとかいう意味ではありません。中には良い波動でつくられたものもあるでしょう。しかし人間が一度でも手を加えてしまった波動においては、どれだけ純粋につくり変えようとしても所詮は人間の波動が入っています、必ずどこかに人間的な波動が入っているために、人間的な影響を受けてしまいます。
ほんのわずかでも感情や思考の波動が入ると、それに引き寄せられて来る波動が生じ、人間関係、いろんな場のエネルギーが引き合ったりしていろんな現象をつくり上げていくのです。同じように日の本の人々も本来の純粋な光を引っ張ってきてもそれを他の人々や他の国々に流す時、必ずその人の人間的なエネルギーが影響を与えていきます。
純粋なままで他の国や人々に流せばとても良い波動としてその国に影響を与えていくでしょう。しかしほんのわずかでもこれは日本人だからできるとか、日本が世界の上にあるとか、自分たちにしかできないとかいう波動を出すと、もう本来の波動は純粋性を失い、人間的な波動に染まって流れていきます。そしてそれを受けた人々や国々ではその波動をそのまま受け取り、自分たちが素晴らしい人間だ、自分たちの国こそが一番の国だ、こういう波動を使うことになります。
皆さん方が自分たちが素晴らしい人間、自分たちの国が素晴らしい国、そういう思いを持てば持つほど、他の国の人々が皆その波動を使って、自分たちが素晴らしい、自分たちの国こそが素晴らしいという波動を使うことになります。したがって、日の本の人々が自分たちの役割が素晴らしいとか、自分たちの国が素晴らしいという思いをわずかでも持っている限り、この地球上での争いが消えることはないでしょう。
争いは人と人とのぶつかり合い、国と国とのぶつかり合いだからです。自分たちが素晴らしい、自分たちが上である、他のものたちは自分たちよりも下、こういう意識を少しでも持っている限り、日の本のエネルギーは純粋性をなくし、汚れた波動として他の国々に流れていくのです。日本は世界の雛型である、この意味をどれだけ知っているでしょうか。
今述べたように日の本の民族が自分たちが素晴らしいという波動を持っている限り、地球から争いが無くなることはありません。この地球におけるあらゆる争いが日の本の人々から起こされていること、日の本の人々が争いを持っている限り、地球から争いが消えることはないこと、日本が雛型であるという意味をどこまで理解しているか、すべてにおいて雛型なのです。
今の一瞬、一瞬出している思いが世界をつくっていること、今自分の感じている思いが世界全体の思いとなっていること、それを本当に自覚する必要があります。神として頑張る、光として頑張る、それぞれが今まで何度も宣言してきたでしょう。恐らく何十回宣言したか忘れるくらい宣言してきたでしょう。
私は神である、そう宣言した時、本当に皆さん方に神としての波動が流されます。そしてその時から皆さん方の考えること、思うことがすべて現実化するように仕組みがつくられていきます。自分の思う通りになれ、そう思う人々の波動がそのまま有効となり、自分の思う通りにいくでしょう。それぞれが自分を中心に考えている限り、一人ひとりの自分中心の考えがぶつかり合い、それが現実をつくり出していきます。
皆さん方のつくり出した波動はすべて神の世界で有効となります。計画のひとつとしてしっかりとつくられております。必ずいつか現実化されてきます。それが自分が神であるという証なのです。神であると宣言しているものは自分の出した思い、言葉、すべてが神の計画に入っているということを理解する必要があります。神の計画として必ず地球人の誰かが役割を演ずることになります。
日の本の役割として本来の神の波動を純粋性を保ちながら、他の人々へ、他の国々へと流す、本当にどこまでできるでしょうか。人間として肉体を持ちながら感情を持ち、思考を持ちながら純粋性を保って光を送り届ける、果たしてそれが可能なのかどうか、皆さん方が学んだようにこれまで数多くの神が関与して地球をつくり、日の本をつくり、日の本の人々をこの地域に集めてきました。
肉体を持ち、この地を歩いて人々に指導したものもたくさんおります。実際に肉体を持ち人間として生きた日の本の役割を持ち、すめら巫女との役割を持ち、肉体で役割を成してきた、彼らは本来の光を純粋性を保ちながら他の人々へと受け渡したでしょうか。多くの肉体を持った日の本の人々、一人ひとり立派な役割を演じてきました。本当に立派な役割を演じてきました。
純粋性を保つといっても初めから聖人君子として生まれてきた人は一人もおりません。皆人間してしかも混乱の時期に人々が苦しみ、悩み、生活がおぼつかない時期に生まれ、人々の先頭になって指導してきました。当然争いも起こり、ぶつかり合いもあります。それでも日の本の役割を理解し、必死になって本来の光を流そうとしておりました。
日々の生活において感情的なことや、怒りが出てきたとしてもそれ自体を責めたり非難する理由はまったくありません。そんなことに私たちも興味は持っておりません。日々の人間関係における行動のことを言っているわけではないからです。私たちは一人ひとりの人間関係についていちいち言及することは一切ありません。私たちが見ているのはその人の心の中に宿る本来の日の本の光がどのように動き出しているのか、それだけを見ているのです。
本来の日の本の光がどのように使われていくのか、何か目の前の人と意見が食い違ったり、言い合いになったとしても自分の心の中ではどうしても本来の純粋性を相手に送り届けようとしている、純粋性をしっかりと地球に残そうとしている、本来のままでそのまま働きが行われるように残そうとしている、そういう気持ちがあれば、感情や怒りがどのように発動しようともあまり問題はないのです。
本来の光がどう動いているのか、そこだけ私たちは見ているのです。では個人が出す否定的な感情や怒りはどうなるのか、それは皆さん方自身がお互いの人間関係の中で学ぶためにつくられているだけです。相手に不快な思いをさせれば自分が不快な思いを後で戻されてくるでしょう。相手に与えたことが自分に戻ってくる、そういう自分自身の学びとして使うことになるでしょう。
それは私たち自身が言及する問題ではありません。一人ひとりが自分の成長のために使ってください。私たちが見ているのは皆さん方の心に本質的に宿っている日の本の光、これをどのようにして活性化させ、使いこなし、光を放っているのか、そこだけを見ているのです。自分が日の本の役割として何をしたら良いのか、何をすべきなのか、多くの人が悩んでおりました。意味が分からず、困っていました。
自分の心の中にある純粋性を保つ気持ち、本来のものをそのまま維持しようとする気持ち、正しく伝えようとする気持ち、これはすべて日の本の波動からくるものです。しかしだからと言って光を変換させたり、うまくチューニングさせたり統合化させたりすることが悪いという意味ではありません。それはそれで一人ひとりの個性として与えられた波動がたくさんあります。
その場合でも光を統合する場合でも統合する純粋なやり方があります。変換する場合でも純粋に変換するやり方があります。複数の光を一つにする場合でも純粋なやり方があります。それぞれの純粋なやり方が日の本の波動として自分に宿っている、それに気付けばすべては日の本の波動に関係していることが分かってきます。自分がどういう波動をどのように使っていくのか、どのように使いこなせるのか、是非感じてみるようにしてみてください。
一人ひとりの日の本の光をさらに活性化させますので、一人ひとりにここにきて前に立っていてください。
Gyoukouさん、光の世界において光あらんとし、光あるために光そのものになる、この光の中から生まれ出てきた人として光の具現者になり、光を示すことにより人々に勇気と希望を与えようとしている。光をどう具現化するか、光を具現化するということはどういうことか、その本質的な波動を持ってきている。具現者としての本来の日の本のエネルギーを使いこなして欲しい。
Minoru.Iさん、日の本の波動は気持ち良く流れている。この体は日の本のエネルギーを格納するのにとても良い。日の本の波動の光を保つ、本来のものを残しておく、それにより目覚める、気付き、これらがキーワードとなって日の本の波動に入っている。この波動を使う時に表現の仕方に工夫がいる。気付かせる表現の仕方がまだ自分なりにつくり上げられていないために自分の世界の中で完結している。この波動をいかに他の人々が自分で気付くように使っていくか、自分で分かるように出していくか、その表現の仕方を工夫してみて欲しい。
Minoru.Hさん、光と共に生まれ、光と共にやってきた。日の本の波動を身に付ける時自分なりに宣言をしてきた。日の本の光としてまず自分が日の本の意識をしっかりと自覚し、そしてこれを受け取るものが確実に日の本の光として使えるように光を受け取ったものが日の本の光として意識できるように使う、それを宣言してきた。言葉を通して光を放つ時、それを聞いたものが自分の日の本の光を輝かすことができるように目覚めさせることができるように工夫をする必要がある。言葉を使って光を目覚めさせていく、そのためには、今自分の話すべき人がどういう光を持っていて、どこを輝かせるのか、常にそういう意識を持つ必要がある、分かる必要はない、知る必要もない、ただ意識をしておくことだ。この人はどういう光を活性化させ、日の本の光として使えれば良いのだろう、そう思うだけで、そう思うだけで自然と必要な光が流れていく、自分はいちいち理解する必要はない、知ろうとすると純粋な光でなくなり日の本の光でなくなってしまう。所詮自分の脳で理解しようと思う必要はない、ただそう思うこと、まずはその練習をして欲しい。
Akikoさん、日の本の波動はどの人間にも流れていく、すべての人間が日の本の波動を必要としている。あなたの体から流れ出る日の本の波動は、一人ひとりが自分であること、ただ存在すること、そのままでいること、それを定着させようとする波動になる。どこにいようとどの状態にあろうと、どのように変化しようとも自分はそこにいる。今ここにいる。自分は自分である。この意識を定着させる波動である。あなたの魂からはその波動が常に流れ出ていき、あなたからの波動によって人々は自分であることを思い出していく。自分が自分に疑問を持った時、この波動は流れなくなってしまう。自分自身がいかなる場においてもいかなる状態においてもただ自分であることを理解している、常にこの意識を持ち続けるようにしていって欲しい。
Keikoさん、日の本の波動に十分に慣れてきた。迷いがあり、自分の頭では理解できないこともあったでしょう。しかし、確実にあなたの心にも日の本の波動が定着されている。純粋性を保とうとする思い、ただそのままであるべきという思い、あるがままの正しさを維持する思い、これらが日の本の波動である。自分は何か決めたらそれを常に維持しようとする、何か分かったらそれを常に維持しようとする思い、これらは日の本の波動である。これをどのように人間関係で使っていくか、相手の中にうまく入り込もうとする思いがある。直線的にすぐ言うよりも、なるべく柔らかく相手の中に入り込もうとする、日の本の光は一般にはそのままストレートに入っていく、あれこれ考えると日の本の波動ではなくなってしまう。相手のことを思うつもりが結果的に自分の勝手な思いであってしまう場合がある。したがって、あまりあれこれ考えることなくストレートに表現する、そのまますぐに行動に移す、これが必要になってくる。頭であれこれ考える習慣を少しずつ減らしていき、そのままストレートに表現していく、そのまま行動に移していく、そうやって本来の日の本のエネルギーを外側に出していって欲しい。
Suzukoあん、光の使者として日の本の伝授者としてよく活動されている。光を伝え歩くもの、光のない所に光を伝える、これがとても大きな働きになる。今だ光を知らぬもの、光に目が行かないものに光を与えていく、日の本の光を今だ気付いていないものに日の本の光を流していく、何が純粋性なのか、何故純粋性を維持するのか、何故本来のものが素晴らしいのか、何故本来のものでなければならないのか、それをしっかりと伝えていく必要がある。自分が人間関係において、あ、それは本質的に必要だ、あ、それが一番大事なものだ、そう思った時はそれが純粋な波動であり、それは日の本の波動であり、そう思った時にその波動が相手に流れていく、それをしっかりと理解する必要がある。したがって、人々との関係において、あ、それは大切だ、それが一番だ、そう思う瞬間をたくさん感ずるように、その時一瞬、一瞬日の本の波動は流れていく。自分の気付きを通して相手に気付きの波動が流れていく、常にそれほ理解しておくように。
Motokoさん、日の本の波動として大切なものをいくつも請け負っている。目に見えるあでやかなものに固執せず、むしろ見落としがちなもの、あまり人から表に見られないもの、そういったものにむしろ日の本の波動が隠れており、そういったもの程必要なものである。そういう意識を常に持っている。日の本の波動はすべてにおいて本質性を維持している。本質性というのは表があれば裏があり、上があれば下があり、外があれば内があり、この世界においての両極性を常に維持しているのも本質的な波動である、あなたはその波動の根本的なものを請け負っている。人々が外に注目すれば自分は内側に意識がいき、人々が上に意識が行けば自分は下に意識が行き、常にそれにより両極性の波動を活性化させている。これをどのようにして他の人々に流していくか。両極性があるということを単に気付き口に出すことである、ある人が表の面だけを話している時、裏の面を話すことによってバランスを取りすばらしさを説いていく。人々が上ばかり話している時、下の部分も話し美しさを説き、バランスを説き、素晴らしさを説いていく、そうすることによって本来の本質を見抜く力を養わせていく、この波動を是非使いこなして人々に流していって欲しい。
Masahiroさん、本質的な光はあなたをしっかりと守り、繋がり、さらに力強く動き出している。日の本の波動に必ずしも依存しない働きをしている。あなた自身の光は日の本にこだわらず、すべての側面においての光を使おうとしている。今この地において自分の光をどのように使っていくか、あなたの体から出る光は日の本に限らず、多様な光を放つために他の日の本の波動を求めているものからすればあなたに興味を持たないものも出てくる。しかし、日の本の波動の本質的な側面だけを感じ、新しさや斬新さ、より高きものをつくろうとする意志のあるものにはむしろ日の本の波動よりは、他のそれ以外の多種多様な波動を求めるものもあります。あなたを求めているものは必ずしも日の本の波動にこだわらない、むしろより大きな発展を望むもの、日の本の波動では不十分なもの、日の本の波動にまだ慣れていないもの、いろんなものたちがあなたの波動を必要としている。この地において自分は日の本ではないのか、これはあなたにとってとても大きなテーマとなるであろう。日の本の波動はすべてにおいて本質的な波動を身に付けている。あなたの中の本質的な波動とは何であるのか。日の本をしっかりと自覚させるためには、日の本そのものをむしろ感じさせなくする波動も必要であり、そういうバランスも必要であるということ、もう一つ言うのであれば、日の本の完全な具現者をあなたはワークの相手として選び、共に活動することがとても良い活動をつくり上げていく、バランス、常にこれを理解したワークを意識してみるように。
Namikoさん、光はすべてに入り、あなたの本質的な波動をつくり上げ、そして日の本のエネルギーを身に付けてきた。この地に降り立つ時に新たなる契約をいくつも結んできた。そして自分自身の本来の光を確実に定着させることを願ってきた。自分はどういう光を定着させるのか、日の本の仲間たちがあなたとしっかりと契約をし、波動を与えてきた。人々はいろんな情報に惑わされ混乱し、自分がどこに向っているのか分からなくなるだろう。その時に確実に方向性を示し、自分が何者であるかを思い出させ、常に見失うことなく日の本の道を歩いていく、常にそれに意識がいくように約束をしてきた。したがって、あなたからの言葉一つひとつには常に日の本の道を歩き、迷うことなく、自分の本来の道を進んでいけるように言葉を与えていくように役割が成されている。それを具現化するためには、自分自身が迷うことなくしっかりと日の本の道を歩み続けることである。自分にとっての日の本の道、それをしっかりと思い出し進んでいくように。
Jun-ichiさん、日の本の光が力強く流れている。一度決めたらずっとそこに向う、自分の信念を貫き通す、自分の思いを確実に具現化させる、強いパワーを持っている。日の本の人としてとても良い波動である。これをどのように他の人々に伝えていくか。自分の力が強いばかりに自分の中で動き、相手に感応しない場合がある。自分の思いをいかに相手に感応させていくか、相手の心に響くようにもっていくか。自分の心の感激をうまく伝えるために相手の波動の特性を理解していく必要がある。自分の思いだけで表現しても自分の中で空回りし、うまく伝わらない場合がある。相手の特性一人ひとりを見抜く練習をすること、一人ひとり個性があり違うという意識を持つこと、すべての人に同じように接すると空回りしてしまう、この人にはこの表現、この人にはこういう接し方、この人にはこのエネルギー、一人ひとり個別に違うエネルギーとして接すること、そうすると本来の波動が一人ひとりに確実に伝わっていく。一人ひとりに見合った日の本の波動を流していけるように。
日の本の光がさらに皆さん方に強く流れ、そして純粋性をここから多くの地球の人々に流し、地球の人々が純粋性を維持しながら本来の働きが成されるように皆さん方の活動に愛と光を送ります。ありがとうございました。