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2005/8/1■月曜交流会から

比較・競争に慣れてしまっている

@気がつかない自分のエゴ

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今の皆さん方の話の中で自分たちの思いがどう現実に反映するのか、現実で起こることと自分たちの意志がどういう関りになっているのか、それらに関しての話題がありました。いろいろ思った通りに進むことがあれば、思ってもまったくその通り現実化しないことがある、思った通り現実化する時と思っても現実化しないこと、この違いがどこにあるのか、それらに関する話題がありました。

皆さん方の世界からすればいろいろ自分たちの思いがあり、やりたいこと、願望があり、それを求めて毎日計画を立てたり、準備をしたりして現実化を進めようとします。しかし私たちの世界から見た時にはある程度流れは既につくっており、その流れを皆さん方がただ歩いているように感じられております。では皆さん方の準備、勉強、いろんな用意をしてお互いにやり取りするのがどういう意味があるのか、本来皆さん方がどのように準備をしようともいろんな計画を立てたり、その時になって急にやり方を変えたとしてもエネルギー的に見ての流れはほとんど変わることはありません。

エネルギー的に見てやるべきことは既に定まっており、その流れにただ現実が合わせているに過ぎません。皆さん方の意志で現実をつくっているように見えていますが、実際には皆さん方の意志は既につくられているエネルギー的な流れにいかに自分の肉体を合わせていくか、そこに皆さん方の意志が関っているだけであり、皆さん方の意志によってエネルギーの流れそのものを変えることはまだできる段階ではありません。

というよりもむしろ皆さん方は毎日起きる前に既にエネルギー的な準備を終えており、すべての体験すべきエネルギーをつくり終えた後肉体に戻ってきて、現実を過ごしているに過ぎません。したがって、自分の方ではうまくいかないとか、変えようとしていろいろ努力しているように見えても実際にはエネルギーの流れでは既に定まった方向に向っているに過ぎないのです。

では自分が強い願望をもって行動することと何も考えずに行動することでは流れは同じなのか、実際定まった流れを進むという点に関してだけで言えば、ある意味では同じと言えます。強い意志を持って先に進んでもほとんど意志を使わず他の人にいろんな迷惑を掛けながら過ごしていったとしても、辿り着くべき流れは同じになります。

じゃ何もしなくてただ回りから引っ張っていってもらっても十分なのか、皆さん方の観点からすると目標を達成する、行くべきところに進むという意識が強く、それをもってうまくいく、さらには一番で行くこと、人よりもうまく早く、美しく行くこと、そこばかりに意識がいっており、いわゆる競争的なエネルギーで流れを早く体験しようとしています。

皆さん方の価値観から言う競争原理で一番になること、早く、より多く身に付けて辿り着く、そこだけに意識がいっている人に関してはひたすら自分がより多くのものを手にしようとして流れをつくっていきます。早く辿り着くことによるメリットを享受する、人に自慢できるとか、自慢話ができるとか、褒められるとか、いろんなものを期待して早く行こうとします。

また身に付けてきたものをさらに見せびらかしたり、他の人に自慢することによって喜びを感ずる、これが皆さん方の生活の過ごし方になっています。エネルギー的に見た時には流れは決まっていても、そこで手にすべきものが何であるのかは一切定まってはおりません。

自慢話や得意になる気持ち、他の人に話せる面白いことを一杯身に付けてくる人もいるでしょう。しかし中には本当に人のことを考え、困っている人に出会ったら手伝ってあげる、悩んでいる人に出会ったら悩みを聞いてあげる、疲れている人がいたら癒してあげる、たとえ一番最後にビリで辿り着いたとしてもそういうエネルギーを一杯出して歩いてきたものは多くのエネルギーを他の人に流しており、愛と光を十分に使って辿り着いてきたのです。

常に決められた同じ流れを一番に辿り着こうとして他を蹴落とし、早く、人よりも前に行って自慢話をする人と、自分のペースでゆっくりと歩いてきて人のために癒し、手伝い、時間を費やしてきて一番最後に辿り着いた、スピリットの世界から見れば当然のごとく遅れてでも多くの愛と光を使った人がより多くのものを得たことになります。

一番に辿り着いて自慢話をするのか、人のために奉仕をして一番最後に辿り着くのか、それは皆さん方の自由意志に任されています。それこそが皆さん方の頭で考える意志になります。これは決まっている流れではありません。皆さん方が自分で考え、自分で判断する自由意志の世界です。しかし流れそのものは決まっており、どういう風に体験しようとも辿り着くべきところは同じになっています。皆さん方はそこで何を学ぶのか、何を身に付けるのか。

三次元の世界においてはつい他人と比較、競争することに意識が向いてしまい、ほとんどそれをエネルギーの中で過ごしている人がおります。何をやるにしても他人の目を気にしたり、他人よりも早くやらないと気がすまなかったり、少しでも遅れていると焦ってしまったり、他の人が自分よりうまくできると劣等感を持ってしまったり、いろんな比較の中で生活をしております。

基本的に社会生活を営んでいる以上、他の人との間で何らかの比較のエネルギーを出し、それによって自分を判断していきます。まだ自分はこれができない、弱い、だめな人間、一瞬、一瞬そういうエネルギーが体に流れ込み、それによって自分自身のエネルギーがうまく流れなくなっていきます。三次元の体験をするのはすべて自分の判断であり、自分の意志で行動をしております。

しかしエネルギー的に見て学ぶべきものは同じになっています。毎日の生活をどのように体験していくのか、自分がどこに向って進んでいるのか、それについて中々自分でも分かっていないことが多く、自分ではちゃんと行動して確実に良い方向へ向っているように見えながらも、スピリットの観点から見た時、まったく逆行している場合があります。

三次元的にうまくいくこと、それは往々にして他人よりも早くより上に、より強く生きることであり、多くの人々の上になって多くの人々に影響を与えることができる、これがいかにも三次元の世界におけるいわゆる勝ち組みのエネルギーになります。そして付いていけないもの、他の人に利用されてしまったり、他の人の後についていくもの、こういったものたちは負け組に分類され、社会における評価が低くなるという現実をつくっております。

多くの人はそういう社会とおさらばをしたい、そういう社会から早く抜け出したい、そう考えて新しい社会をつくろうとしています。しかし新しい社会をつくろうとしてそういう人々が中心にいろんな社会をつくり始めたとしても、また同じように比較や競争によって進んでいく社会が出来上がっていきます。

もうこの現実の生き方を身に付けてしまうと、どうしても少しでも他の人より早く、強く、うまくやらないと生きていけない、こういう波動が出来上がってそれに合わせないと生活できない状態になっているのです。したがって、一見親切で優しく、人のことを考えている、こういう人は一般に負け組みの波動になってきて利用されてしまったり、他人の常に後を追うエネルギーしか身に付かなくなってしまうのです。

今のこの社会で本来神のように純粋に素直に真面目に生きようとすればするほど、他の権力のあるものに利用され、お金はどんどん貢ぐことになり、自由意志が奪われ、場合によっては生活そのものが脅かされるという状態になっていきます。本当に神のような純粋で素直な心を身に付けようと思っている人々はどんどん他の人に利用されるだけ利用されてしまい、気が付いた時にはいかに自分が愚かだったのか、自分のやっていたことは自分に何一つ幸福をもたらしていないということに気が付いていきます。

神のように純粋に素直な心で生きていきたい、こういう心もエゴなのです。皆さんはまだそれに気が付いていないようです。神のような心を身に付けて生きていく、そうすることによって自分がどれだけ辛く貧しくてもたぶん神様が助けてくれるに違いない、神様が見捨てないで救ってくれるかもしれない、そういう気持ちで生活をしています。

自分が本当に苦しい時、本当に生命が脅かされそうになったら絶対神様は助けてくれるはず、ましてや人を利用し人の上に立っているものたちは天罰が下って当たり前、私はそういうエゴを出していないから絶対神から褒められるはず、こういった思いがとんでもないエゴのエネルギーなのです。

自分だけは他の人よりはましである、自分は他の人よりもエゴがない、自分は神に認められている、こういう波動をもっており、これ自体がエゴなのです。エゴとは何なのか。何が本来の波動なのか、エゴのない気持ちというのはどういうことなのか、だんだん分からなくなってきたかもしれません。基本的に他人を見下ろしたり、他人を下に見ている限りそれはエゴです。

自分が純粋である、自分が神に近い、自分は神とほとんど同じ波動、こう思っている段階で他の人々を皆神から遠ざけてしまい、実際そのエネルギーによって他の人々は神から遠くなっていきます。自分の思っていることは必ず現実化を進めていきます。他の人が自分よりも愚かである、そう思った段階で本当に他の人は自分よりも愚かな境遇へと場が流れていくのです。これをエゴと言わずしてなんと言うでしょう。

自分と他人を切り分けている限り、本来の波動には程遠くなります。一見純粋で真面目で素晴らしい考えを表現しているように見えても自分と他人を区別している限りはエゴから出てきた言葉になります。常に他人を見下ろし、まだあの人たちは分かっていない、まだ準備ができていない、まだその時期でない、そうやって人を切り捨てていきます。

自分が他人を切り捨てている限り自分自身は神から切られてしまいます。自分が神から切られているために、神と一つになろうと無意識に働きかけていきます。しかし実際には神と繋がろうと思うのではなく、いかに隣の人と繋がっていくのか、いかに目の前の人と繋がっていくのか、自分が目の前の人を分断している限り神には繋がりません。自分の心の中で起きている動き、それを細かく細かく見ていく必要があります。

皆さん方は毎日いろんな人の姿を見ています。確かに口を交わす人は限られた人だけかもしれません。家族や職場の人たちだけしか話をしないかもしれません。でも実際には電車に乗っていろんな人を見てつい判断してしまう、あの人はまだ分かっていない、まだできていない、テレビを見てまだこんな愚かな人がいる、一日の時間の中でいろんな人に対して何らかの判断を下していきます。

このエネルギー一つひとつが自分と他人を切り裂いていきます。私よりも愚か、まだまだ私のレベルには到達していない、この波動がそのまま神から自分に流されます。自分たちの一瞬、一瞬出している判断のエネルギー、人に対して流しているエネルギー、もっともっと注意深く見ていく必要があります。皆さん方は人間として生活をしております。当然感情があり、エゴが出てきます。人間として行動している限り、エゴや感情が出てきてもそれ自体は問題ではありません。人間としての価値観の中でいろんなエネルギーを発し、感情的なこと、エゴ的なことでトラブルがあったとしてもそれ自体は問題ではありません。

したがって、それを一つひとつ気にしたり、落ち込む必要もありません。ただ自分が出したエネルギーはすべて自分に戻ってくる、この法則は理解する必要があります。自分が他人に対してまだ分かっていないとか、愚かとか、準備ができていないという思いを出した時、それはそのまま自分に戻ってきて必ず他のものから自分は分かっていない、愚か、準備ができていないという風に言われる流れをつくっていきます。

そうすることによってまた自分と他人の間が分断され中々一つになりにくくなっていきます。毎日毎日の時間の中で本当に人と一つになる愛のエネルギーと、他人を分断するエネルギー、自分はどちらを多く出しているのか、朝起きてから眠るまでのいろんな人との出会いの中で、他と繋がるエネルギー、他と分断するエネルギー、どちらを多く出しているのか、それをよく考えてみてみましょう。

ましてやこれが地球全体の規模で見た時、六十億もの人間すべての集合で考えた時、他を分断するエネルギーと他と一つになるエネルギー、どちらを多く毎日出しているのか。まだまだ毎日他を分断するエネルギーが大量に出されています。一日一日分断のエネルギーが増えているのです。皆さん方はそれを一つにしようと学んでいるはずです。

この地球をユートピアにしたい、シャンバラにしたい、素晴らしい星にしたい、皆さんそれを考えているはずです。もしそれが本当であるならば毎日分断するエネルギーではなく、一つになるエネルギーをたくさん出していく必要があります。地球全体の人間から出るエネルギーで分断するエネルギーよりも一つになるエネルギーが強ければ地球は平和に向っていくでしょう。

本当にシャンバラに向い、ユートピアと向っていくでしょう。でも今のこの地球で六十億もの人間の出すエネルギー、分断するエネルギーが一つになろうとするエネルギーに比べてどうなのか。これは他の人の誰かの所為とかいう問題ではなく、自分の問題であること、一人ひとり自分の問題として考える必要があるのです。

集合意識だからといって他の人の所為にしたり、自分には関係ないという問題ではありません。自分の出したエネルギーだけ自分に戻ってくるからです。地球全体のエネルギーを全員で分け合っているからです。誰の所為でもなく自分自身の問題であること、この地球をユートピアにするのもシャンバラにするのも自分の問題であること、それは誰かの力のある指導者とか、光の強い一部の人々、イニシエイトを受けた人とかアデプトを受けた人とかの問題ではなく、一人ひとり全体の問題であること、誰かの個別の所為にしてしまうのは自分自身の責任を犯している逃げになります。

自分で自分自身の行動に責任を持つことです。自分の流れを自分でしっかりと見ているかどうか、自分の進むべき道、自分が一瞬、一瞬出している波動をちゃんと理解しているかどうか、今後の地球の流れを見る時、そういう観点で皆さん方もしっかりと見ていく必要があります。

自分自身は地球全体にどの程度波動の影響を与えているのか。

Jun-ichi.Tさんの波動を見た時、あなたの毎日毎日心から出ている波動、そしてそれは集合意識レベルで蓄積され人類全体で共有し合うように、またつくり変えられていきます。主に自分のことについていろいろと考え、悩むエネルギーとある程度グループや組織、まとまった単位で考えるエネルギーとの二つの種類があります。自分について考えるエネルギーに関しては、一般に一つの見方から見て正しいやり方、方向性から見て納得できるやり方という流れがつくられておりその観点から見て自分にとってとても良いエネルギーを出していきます。しかし別の観点から指摘されたり、自分のつくり上げた体系の理論でない時にはこのエネルギーがうまく維持できずに、いつのまにかまったく形が違ったエネルギーへと変換されてしまいます。自分なりにちゃんとつくったエネルギーでありながらもまったく違う観点からすぐに形が変えられてしまう、こういうエネルギーが毎日かなり出ています。これはあなた自身の性格的な個性的な波動と影響しているために、それ自身が良いとか悪いとかというレベルの問題ではありません。問題はすぐに壊されてしまう、すぐに崩れてしまう、これをいかに安定させたものにしていくのか、というのはすぐに崩された瞬間、崩される寸前に魔が入りやすくなってしまうからです。一番あなたを壊そうとする波動はその瞬間を狙っており、崩れる瞬間にあなた自身の破壊を試みようとするからです。それに負けずに自分が自分のためにしっかりする在り方、自分自身である在り方を確立する必要があります。そうすることによって自分自身をどのような状況にあろうとも自分のは自分として確立させておく、自分の存在をしっかりとつくり上げておく、これを身に付けるようにしていってください。

Sayoko.Kbさんの波動を見た時、あなたの毎日の波動がこの地球にどのような影響を与えていくのか。あなたの毎日の心の動きは一般に自分自身のペースですべてをつくることに馴染んでおり、自分の流れ、自分のペースで進むことが当然であるかのような認識があります。そしてこの自分のペース自身が自分では宇宙の流れであるかのように理解しており、自分は一番宇宙の流れに沿った生き方をしているかのように感じております。この流れは必ずしも地球の集合意識の流れと同じではありません。したがって、あなた自身が理解している自然な流れ、自分に見合った流れは地球人類の集合意識のレベルの流れのペースとはかなり違っています。したがって、自分の流れが他の多くの人に合うとは考えないようにしておいてください。ではどの程度の違いが出てくるのか、あなた自身のこの肉体の流れのエネルギーからして、一番最適なペースが今の流れになっています。あなたの肉体の中で体験すべきエネルギーがつくられ、それがあなたの意識の動きと絡み合って巧妙につくられたのが今のあなたの流れになります。したがって、この流れはあくまでもあなた個人のものであり、他の人の流れとまったく違う流れ方をしています。自分は自分で自分の流れを見るのは簡単ですが、他の人についてまったく当てはまらないこと、つまり他の人の流れについて言及したり、また他の人があなたの流れについて言ったとしてもまったく合わない流れになります。あなた自身の今後の流れを見た時、自分自身の流れを自分で大事にしていて、恐らくこのペースは今後も当分変わらない流れになるでしょう。しかしこれは多くの人の流れのペースとは違うためにそのままで他の人に合わせるのが難しくなっていきます。他の人は他の人のペースで流れをつくっていきます。したがって、あなたが今後他の人との流れをうまく保ちたいのであればある程度他の人の流れを理解する意識を持つ必要があります。もし他の人に一切興味関心がなく、自分の流だけを見ていく場合には他の人の流れの繋がりが入ってこないために、他の人との間のエネルギー的なやり取りも行なわれなくなっていきます。自分の流れをどう理解していくのか、他の人との繋がりをどう理解していくのか、こういった関係を理解するようにしてみてください。

Noriko.Toさんの心の波動と地球の集合意識の波動を見た時、あなたの毎日出される波動、あなた自身が頭で理解している波動と心から出てくる波動にかなりのギャップがあります。根本的に価値観の違いがとても多く、自分にとって良いことと他の人にとって良いことがまったく合っていないこと、自分のためと思っていても自分のためになっていなかったり、他の人のためと思っていても他の人のためになっていない場合があります。自分のためと思ってやって結果的に自分のためになっていなかった、そういう場合でもあなたの場合にはそれを無理矢理正当化して自分のためになったという風に理解させる働きが自動的に行なわれていきます。したがって、自分のためにならなかったという意識が中々育ってきません。同じように他の人のためと思ってやって他の人のためにならなかった場合でも自分の頭の中では他の人のためになったという価値観だけが支配しており、他の人のためになっていないというフィードバックが成されてきません。そのために何度も同じ失敗を繰り返しながらも未だにその原因がわからないというところもあります。自分で自分についてどうしても良い方向へと解釈してしまい、本当の相手のためになっていない、本当の自分のためになっていない、こういうところがあるのです。これもそのまま地球の集合意識の中に組み込まれていきます。あなたの出したその波動もすべて集合意識に集められ、誰かがそのエネルギーを演じて行動することになります。そして仮にあなたの目の前にいる人がそのエネルギーを体験してあなたにいろんなことを言ったとする、あなたはそれを見てなんと自分勝手な人だろう、そういう風に思うことがあります。しかしそれは実際には自分がつくり上げたエネルギーをその人が演じているだけであり、その人の所為ではないということ、集合意識を通してのエネルギーの体験についてもう少し理解する必要があるでしょう。目の前いる人はまったくの他人ではなく、エネルギー的にも共有し合っていること、自分と他人はまったくの違う人間ではないこと、その辺のからくりをはっきりと理解しないと自分と他人との分離がいつまで経っても埋まらなくなっていきます。何故他人が出来たのか、それは自分を見せるためであり、自分と同じ波動があるから他人を通して自分を見ることができるのです。自分と他人との関係をもっともっと理解するようにしていってください。

Jun-ichi.Mさんの心の波動を見た時、あなたの心の動きから毎日いろんな波動が出されていきます。いろんなことを考え、思い、判断をしていきます。あなたの思いのエネルギーはとても強く、いろんな思いが心から出されていきます。でもその思いは自分を軽くするものではなく、いつも自分を重くする思いになっています。何かを考える、何かを想像する、その場合でも自分が軽やかに光の方向に進むという思いよりは、その場に留まってしまう、そこに深く繋がりをつくってしまう、そこに留まってしまう、こういう思いのエネルギーが強いために、一杯いろんなことを思いながらも先へ進めなくなるケースがあります。あくまでもいろんな考え、思いは自分を光の方向に進めるエネルギーにする必要があります。肉体はその光のエネルギーによって進んでいくこと、思いから出された光によって肉体がどんどん前に進んでいけること、肉体を軽やかに動かせるために思いをつくり上げていること、これをはっきりと理解しておいてください。自分自身のすべてを自分の思いで進ませていく、自分の考え一つひとつが自分自身を引っ張っていく、もっと軽い思いを自然に出せるように練習していってください。

Shuko.Fさんの心の波動を見た時、今のこの時点においてはあなた自身は自分で自分を抑える心の動きが支配するようになっています。ある程度自分で霊性に客観的に心を使うやり方を身に付けており、それは勝っている時には自分の範囲内で心の動きを扱っております。自分のいろんな状態の中で自分自身にやはり攻撃的なエネルギーが出されたり、自分自身の価値観や存在を否定する発言が成された時、心の動きが急に萎縮してしまい、自分の存在場所がなくなってしまったり、動きが留まる波動を出していきます。その時にとても隙をつくりやすくなり、自分の心の隙間が何らかの違和感をつくり出していきます。自分自身の心がどのような状態になろうとも一切他のエネルギーに脅かされないようにする、他のエネルギーに干渉されないようにする、これをしっかりと身に付けておく必要があります。不安や恐れ、特に縮こまってしまった時にはいろんなエネルギーがまとわりつきやすくなるために、余計に流れが苦しくなっていきます。自分で自分をコントロールできる状態をさらに広げていき、どのような価値観でどのように発言があったとしても自分は自分のペースで自分をコントロールしていく、どのような状態にあろうとも自分は自分で自分を守っていく、常にこれを維持できるようにしておいてください。

皆さんの心と集合意識との関係を話してみました。普段肉体を持って行動しているの確かに肉体が自分のものであり、他の肉体はその人個人のものという思いが強くなるでしょう。でもそれはまったくの錯覚であり、真実と違うことをそろそろ理解する必要があります。皆さん方はこの肉体にすべてを入れているわけではありません。

偉大なる自分の存在のほんの一部だけを今の肉体で体験しているだけであり、場合によっては他の一部の波動をさらに目の前の人や、他の人、まったく違う肉体の中にも入れたりしております。人類は個別で生存しているわけではなく、やはりすべてが自分であるかと思えば、他人が自分であったりするのです。

そういった意識をどこまで身に付け、心から感ずることができるようになるのか、自分と他人との関係がどうなっているのか、さらに深いレベルで理解するようにしていってください。それでは少し休憩を取ります、ありがとうございました。


A集合意識レベルでの体験

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。先ほどの話でそれぞれの心と集合意識の関りについて話をしていました。自分という存在が肉体を持った固有のものである、生まれた時からそういう育てられ方をしているために、この肉体が自分固有のものであり、自分はこの肉体と一体であり、自分とはこの肉体に依存するもの、そういう意識がしっかりと出来上がっているようです。

いろいろ惑星が進化し、肉体自身との関りも進化してくると、この肉体が自分固有のものではないということが現実的に現れてきます。場合によっては必要に応じて他の人の体と交換したり、自分が他の人の体に入っている時に宇宙からのスピリットから入ってきて、別の役割を演じたり、お互いにまったく別のスピリットを入れて共同の作業をしたり、いろんな進化の流れがあります。

そういう流れにいくためにも集合意識のレベルで肉体を動かしていく、肉体を動かす原点が集合意識から来ていること、そういう意識をしっかりと確立しておく必要があります。あくまでもこの肉体は自分のもの、目の前にいる人はその人固有のもの、まだこの人は分かっていないから教えてあげなくてはいけない、こう思った瞬間に自分とその人は集合意識レベルで分断されていること、いろいろまだ集合意識レベルで理解すべきことがたくさんあります。

皆さん方の普段の勉強の仕方が単なる知識を求めるやり方になっており、より多くのものを記憶する、多くの知識を手にして自慢をするというこういうやり方に完全に慣れています。組織そのものが三次元かされており、競い合う知識、競争し合う知識になっているのです。すべて三次元で身に付けてきたものが集合意識レベルでも現実化されているのです。

比較したり、奪い合うものではなく、初めから集合意識レベルで一つとして理解していく、知識にしても知恵にしても体験にしても人類皆で分け合っていること、それぞれが自分の役割を演じていること、そういったことをはっきりと理解して本当に自分と他人とは同じであるものと言葉や理論ではなく、はっきりと意識で理解できるように学びを進めていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2005 CentralSun
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