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2005/7/25■月曜交流会から

新たなサイクルへ

日本人の心

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今日本においていろんな変化が起こってきており、それによっていろんな波動のずれやひび割れ、また整合性がうまくいかないところがあちこちに出来上がってきて、それによって細かい歪、またバランスを欠くところが現れてきております。

日本全体が大きなサイクルで変化していく、この日本人の心をうまく転がしていくためにいろんな障害があちこちに起こっており、これまではスムーズに転がっていたものが、段々いびつになってきたり、歪やゆがみによってリズムが崩れたりしてきております。

日本人の心がうまく転がらなくなってきた、心が一つになっていない、こういったところから地球全体にもいろんな影響が現れてきております。皆さん方がどれだけ気が付いているか分かりませんが、日本で大きな事件が起きたり日本で大きな事故が起こるとしばらくすると他の国で大きな事件が起きたり、事故が起こったりしています。

日本人の心がそのまま他の国々に影響を与えていくのです。日本人同士がうまく繋がりがつくられず、波動的な争いを始めると他の国においてそれが現象化されたりしてきます。日本における心の動きがそのまま他の国々に影響を与えていく、では日本の中において心の動きをうまく正常に転がすためには何が必要か。

昔の日本人は心を転がすことに本当に実感があり、皆の心が一つになっていないと心を合わせて一つに転がしていくという思いがとても強くありました。自分が犠牲になってでも全体をうまく持っていかせる、そういう発想もそこから行なわれてきており、全体の日本人の心を転がすために自分はその役割に徹している。

しかし今は多くの人が自分の心を転がすことを最優先しており、日本全体の心が止まってしまおうが、不釣合いになろうが、それは二の次であり、先ず自分の心が快適に動くことを求めていきます。しかし自分の心が快適に動いたように見えても全体の心がうまく転がっていない時には、必ず自分の心にもひずみが現れることになります。

自分がうまく転がろうとしても転がっていかない、自分中心に考えている人は自分はちゃんとやっているのにあの人はやってくれない、自分はまともなのに周りが協力してくれない、自分は正しいのに皆が反対する、そういう風に感じられていきます。しかし全体の心を転がす意識を持っている人は先ず全体が転がっていることに意識がいくために、先ず全体がスムーズにいっている喜びを感じ、そしてそれを転がしている一人ひとりの心の働きにまた喜びを感ずることになります。

自分の喜びがどこにあるのか分からない。全体の心の動きに自分が役割を成していなければ自分の心は喜びを感じないでしょう。自分だけの心の喜びを感じようとして全体の心の動きに意識が届かず、心が通わなければ全体の心の喜びを感ずることができません。

自分だけの心の喜びを感じたところでそれは喜びにはならないでしょう。したがって、喜びを感ずるには全体の日本人の心がコロコロ、コロコロ転がっているかどうか。全体の心の転がりに自分の心がどう参画しているか、先ずそれを見る必要があります。全体の心の動きに何一つ興味がなく、関心がない、そういう人は全体の心の動きにまったく繋がっていないために、自分自身の心の喜びを感ずることはないことになります。

心はコロコロ転がるもの、コロコロ転がらずして心は喜びを感じません。自分の心が転がっているかどうか。皆の心が転がっているかどうか。それによって喜びを感じているかどうかを見ていってください。


今日本人の心について話がありました。日本人の心が変わってきている、徳や人々の喜びや豊かさ、その人一人ひとりの深さを求めていた時代は遠くに去り、今心の豊かさと言えば金銭的な豊かさが同居しており、また心の豊かさは誰かに埋めてもらおうとしていたり、又、満足していなければ何かが欠けているとか足りないという感覚を持って埋め合わせをしようとしたり、まったくもって本来の心には有り得ない思いで満たされています。

心が満足しなければ全て他の所為にする、何かが足りない、まだ身に付けていない、まだできていない、まだ手にしていない、だから心がまだ満足していない、だから心が楽しくない、こういう論理で心が楽しくなければ何かを手に入れることによって豊かになろうとしているようです。

心は何かを奪うことによって喜びを感ずることはありません。喜びを感ずるエネルギーの入っているものが心であり、心がある限りは必ず喜びを見出すことができます。喜びを見出すことができないものは心そのものが役割を成していないことになります。

何故喜びを見出せなくなったのか。つまらない、面白くない、楽しくない、これは他の人が自分よりも楽しんでいる、他の人が自分よりも豊かである、他の人は自分よりも恵まれている、こういう思いからつくられる感情になります。他の人は皆自分よりも優れている、自分はまだそこまで至っていない、だから自分の心は楽しくない、何かを手にすることによって埋め合わせをし、心が豊かになっていく、何を手にすれば豊かになるのか。何を手にしたら喜びになるのか。こういう発想で喜びを手にしようとしていきます。

これは心の動きではなく、心を別のエネルギーで捕らえている働きになります。心から動いている言動ではなく、頭で考え、頭で心をコントロールしてしまっている作用からきます。自分で心がわからなくなり、心から行動できなくなり、心を自分の思いでつくり上げコントロールしていく、心を自分の知性でコントロールすることがあたかも賢い生き方であるかのように錯覚し、心を知性で扱っていく、心はあくまでもその人の行動の原点であり、心にあることが言動に現れてきます。

その心を知性でコントロールしようとしている。その知性は何であるのか。心をコントロールする知性とは何であるのか。心のままに行動すること、これがまるで未熟な人間であるかのように、愚かな人間であるかのように思われてしまう、好きなことを口に出し、思ったことを次々と口に出していく、あたかもそういう人間を愚かのように感じたり、まだ知性を身に付けていないかのように捉えてしまう。これはまったくの間違いであり、実際には自由に思ったことをすぐ発言している人程、捉われがなく、心のままに動いており、十分に心と体が繋がっている人になります。

むしろ思っていてもすぐ口に出さず、口に出して良いかどうかを考えてしまったり、行動すべきかどうかを考えてから行動していく人、こういう人は知性的であるかのように思われていても実際には心で行動しているわけではありません。心が抑え付けられている、心の発動が制止されてしまっている、その人の本当の動きにはなっていないのです。

一見知性を使って言動をコントロールすることがまるで知性的な人間であるかのよにうに思われていますが、それは人間たちが勝手につくった概念であり、単なるエネルギーの流れからすればまったく理不尽なエネルギーの流れになっています。心から出てくるエネルギーをわざと止めてしまい、別のエネルギーで行動に移していく、本来湧き出てきた思いをわざわざ止めてしまって、別のエネルギーに変化させて行動させていく、こういうことが行われているために正しいエネルギーの流れにはなっていないのです。

しかしいわゆる知識人、知性的な人と言われる人ほど、多くの人から知性的であると思われるような言動を取ろうとして思ったからといってすぐ口に出さずに、皆から尊敬される言葉を選んで口に出していく、皆から評価される態度をとろうとして行動を選んでいく、こういう生き方になっています。

こういう人ほど何と愚かと言えるでしょうか。いちいち他の人の反応を気にして自分が素晴らしい人間であるかのような評価が得られるような言動を常に選んでいるのです。どう言ったら皆から認めてもらえるか、どのようにすれば皆からの尊敬を勝ち取ることができるか、そういう観点でばかり考えているため、心の動きが常に抑圧され、本来の活動ができなくなってしまっているのです。

自分の本来の心の動きがどうであるのか、本来の心の動きは何をしようとしているのか、自分はそれをどういう風に止めてしまっているのか。一度自分の心の動きを見てみる必要があるでしょう。そうすることによって自分はいかに周りの目を気にし、周りに合わせて行動してきたか、いかに自分は他の人のことを注意して行動していたのか、その様がよく分かってきます。

それに対し思ったとおり次々と行動している人は自分を大切にしています。他の人に合わせることなく自分を曲げることなく、自由に行動を取っていく、こういう人は自分の心が伸び伸びと育っており、エネルギー的にも良い流れをつくっていきます。自分の心の動きについてどの程度まで本来のエネルギーを流しているのか、よく見つけてみてください。

Jun-ichi.Tさんの心の動きを見た時、あなたの心の動きも頻繁に転がり動き出したと思えば急停止したり、また周りを見ながら動き出すという転がり方をしています。転がる時の動き一つひとつ周りに注意をして動いていきます。これは繊細な心がそのまま現れており、そういう意味では周りの人をよく考えた動きにもなっています。しかし周りの人を考えていても全体の心の動きと今1つ噛み合っていないために、やはり全体の喜びを自分の喜びとして感ずることができない感じになります。何かやっぱり自分は少しずれている感じがしたり、何か出遅れているような感じを得ているようです。自分がどういう役割を演じていくか、自分の合わせようとする役割に意識が捉われ過ぎて返って全体の動きが見えなくなっているのです。もっと全体の動きに意識を向け全体の動きそのものに自分の心も合わせていく、そういう意識を持つと心は全体の波長と合ってきて、全体の喜びを自分の喜びと感ずることができるようになっていくでしょう。

Namiko.Tさんの心の動きを見た時、あなたの心の動きはコロコロ、コロコロ、コロコロ、コロコロ、コロコロ、コロコロ動いていきます。まさしく心であり、心の動きそのものを現わしています。時々このコロコロ、コロコロ動く心に自分も付いていくことができずに心が先に動いてしまい、自分が後から追いかけていく場合があります。自分の心が先に行ってそれを追いかけていく自分に自分でびっくりする場合もあるでしょう。私は何を考えていたのか、何をやろうとしていたのか、この先の心を自分でコントロールしようとしても中々合うことがないと感じられております。心が先に転がっていくために付いていくのがやっとであり、捕まえた頃にはまた先へ転がっていく、これはあなたの自由な心を現わしているだけではなく、いかに心をそのままにしておくのか、心をそのままにしておくと人間はどうなるのかをむしろ端的に現わしている状態を示しています。あなたはそれによって心を他の多くの人にそのまま見せているのです。心の動きがどういうものであるのか、本来人の心はどういう風になっているのか、それを多くの他の人々に見せることができるのです。他の多くの人はあなたという人間的な物質とあなたの心の両方を見ることができ、心の動きについてとても良く学ぶことができているのです。心、この転がり方を自分でうまく扱いながらも心のままに動かすように常にしていく、心の不思議さを他の多くの人々に示し、そして自由なその心の働きをそのまま具現化させていくようにしておいてください。

Masahiroさんの心の動きを見た時、あなたの心、心がテンポ良く、快適にスムーズに転がっている場合があれば、時々急停止して急に戻り始めたり、また、これまでとは違う方向に急速度で向かい始めたり、とても変化の大きい動きを現わしております。意外とこの変化の変動が早く、一見冷静に進んでいるように見えても心の動きそのものは急激に変化する場合があります。安心して動いているように見えても急に戻ってしまったり、急に別の方向に変えてしまう、まさしく心はそういう働きを現わしていきますが、その働きそのものはあなた自身の内面のエネルギーから動かされていきます。自分はどこに向おうとしているのか、どうありたいと思っているのか、ありたいと思う意識に合わせて心が動いていきます。自分のありたいと思う意識が一つの方向に中々定まらず、急に戻ったり、さらに動き出してしまう、それによって心の動きが急速に変化していきます。自分の心の動きがどこからやってくるのか、心を動かしている内面のものが何であるのか、その内面を見た時、初めて心をコントロールできるようになっていくでしょう。今はまだコントロールできているようでまだまだ外側から無理矢理抑えようとしており、コントロールにはなっていません。内面からの力で心をコントロールしていく、是非それを身に付けるようにしていってください。

Miyuki.Sさんの心の動きを見た時、あなたの心が大きく大きく転がりながらぐるーっと回って戻ってきたり、左右に大きく大きくぶれながらまた戻ってきたり、ぴょんぴょん飛び跳ねながら又戻ってくる、常に自分のところに戻ってくる心の動きをつくっております。完全に転がり続けて先へ行くことに何か不安を感じ、ある一定レベルから先へ進めない心の動きになっているのです。そのまま心の動きにのっかって先へ行くという勇気がまだなく、ある所まで進んだらまた戻ってくる、まるである一定以上心が動いてしまうと自分と心が分離するような感覚を得てしまい、ついまた心が戻ってしまう、こういう動きを繰り返しております。自分の心の動きに合わせるということがどういうことか、心の流れにそのままずっとのっかっていく、これをまだ自分ではっきりと実感していないために、つい不安が押し寄せてきて戻ってしまいます。自分の心をそのまま動かしていく、転がし続けてずっと進ませてみる、心のままに自分のすべてを動かしていく、その快感を是非味わってみるようにしてみてください。

Jun-ichi.Mさんの心の動きを見た時、あなたの心の動き、心は確実に転がり動き、先へ先へと転がっていきます。しかし自分はその心の動きをまったく見ていません。心がどこに転がっているのか、心がどういう風に転がっているのか、その動きをまったく見ておらずただ自分が動いているという結果しか感じておりません。心の動きで自分が動いているという関係そのものも理解していません。自分が心が動いているという現実すら認めていません。でも実際には心がコロコロコロコロ動き、その心の働きによって毎日が動いているのです。心がどういう風に転がっているのか、心がどこを転がっているのか、それをはっきりと自分で抑える必要があります。心の動きを自分で見ることができない限り、喜びも楽しみも目標も何もないでしょう。ただ動きに振り回されるだけになります。自分の心がどう動いているのか、どこを転がっているのか、よくそれを観察するようにしていってください。

Gyoukouさんの心を見た時、あなたの心はとても精錬され、響きの良い波動で振動し、テンポの良い動きで動いております。しかしそれはある意味では機械的で、計算された振動になっており、人々の間を動き回る波動にはなっていないのです。まるで宇宙の利にぴったし心が振動するようにブッタの心に共鳴するかのように心は動き、それはそれでとても精妙で高い波動を自分にもたらすことができるでしょう。しかし多くの人々が感じている心を共鳴させて自分の心で感ずることが難しくなってしまいます。他の多くの人の喜びを感ずるには自分の心が他の人の心の波動に振動する状態をつくらなければなりません。そのためには心そのものが他の人の心によっても動き回り、振動し、色も変化し、独自のメロディーを奏でていくこと、そういう心を自分で認識し理解し、また心をそういう状態にもっていく必要があります。心が他の人の心によっていくらでも変化していく、そのためには自分の心を他の人に完全に預けてしまうくらいの意識が必要です。自分だけのものとしておくと他の人の心に反応することができず、他の人の心がやってきても共鳴しなくなってしまうのです。ある程度他の人の心に預けてしまう、他の人に自分の心を完全に任せてしまう、むしろそれくらいの決意があった方があなたの心は他の人の心に反応するようになっていくでしょう。もし他の人の心と共鳴をしたければそれくらいの決意を持って心を預けてみてください。

Minoruさんの心の動きを見た時、あなたの心の動き、コロコロとても良く快適に動いています。珍しいくらいに心が回転し、その回転の仕方があまりにも快適でありすぎるために、他の人の心の動きとペースが合わない状態があります。これはあなたにとってはあまり意識していなくても、他の人はあなたのペースに合わせにくい感覚を得ることになります。しかしあなた自身は自分の心の動きのペースがあり、あなたにとって今のペースは自分に合った動きになっているでしょう。自分のペースでそのまま過ごすためには今のペースで満足するかもしれませんが、いかんせん他の人があなたのペースに合わせることはできません。では自分のペースをどのようにして合わせていくか、基本的に一人ひとり心のペースは全部違うために、人それぞれに合わせようとするならば一人ひとり違う心の動きを身に付ける必要があります。もし自分が本当に自分の理解したい人の心をつかみたければその人の心の動きに自分も合わせていく、その人の心のペースを感じ、そのペースに自分の心の合わせていく、そういう意識が必要になります。あなたのペースに合わせようとしていろいろ行動を取ってもあなたのペースに合わせられる人は誰もいません。したがって、自分の方から合わせていく、自分が一人ひとり違うペースで接していく、そういうやり方を身に付けるようにしてみてください。

Mayumiさんの心の動きを見た時、あなたの心、心の転がり具合はとても良い響きを持って転がっています。単なる運動だけではなく響きがあり、このあなたの奏でる心の響きは宇宙にとってある程度調和をもたらす響きを伴っています。これはあなたの周りの人々が何らかの安らぎや調和を感ずる減少をつくり上げていきます。何かを提案した時、行動に移す時あなたの存在によって何かうまくいくような感覚が得られてきます。したがって、心から出てくる響きを常にこれから皆の心に合うようにうまくもっていく、全体が良い方向へいくように常に響きを合わせていく、そうするとそこにある計画は良い波動で動くことになります。しかし自分が何か気に入らない時、腑に落ちない時、違和感がある時、それは心の響きがどこかで不協和音を発していることになり、その計画はうまくいかないことが多くなっていきます。心が不協和音を感じている時は、そこに心が一つになれない波動が存在している証であり、何らかの波動がそれをつくり出しています。したがって、何かの不協和音が感じられた時、どの波動が不協和音をつくり出しているのか、どこかに無理がないか、焦っていないか、実現不可能なことをしていないかどうか、エゴで進めていないかどうか、いろんなことを考えてみる必要があるでしょう。そういったことを通して全体的な流れがうまくいき、調和の取れたリズムが心から湧き出てきた時、あとはそれをうまく転がすだけで流れは良い方向へと進んでいきます。自分の心の使い方を是非マスターするようにしていってください。


皆さん方の心の動きを眺めてみました。日本人の心という考えはとても素晴らしい考えです。日本人のつくり出した概念ですが、ある意味では日本人にしか通用しない概念でもあります。それぞれの国や文化によっていろんな概念がつくられており、心という概念は日本人に与えられた特別な概念と言えるでしょう。

これはこれでとても良い考えですが、ただあまり感情にばかり意識を向けすぎると方向性が分からなかったり、善悪が分からなくなったりしてしまいます。この心をより進化させた新しい心、善悪や正しさをふまえた心の状態も新たなる方向性として考えるようにしてみてください。それではここで休憩にいたします、ありがとうございました。

A新しいものをクリエート

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今年も七月が段々終わりに近づいてきて一年の流れがかなり後半に入ってきております。皆さん方の今年の学びのテーマも今が一番活気に満ちている時期であり、これから益々新たなるエネルギーを取り入れ、新しい自分の波動へと切り替わり、そして自分のものとして使いこなせる収穫の時期へと向っていきます。

今年になって自分はどういう波動を取り入れ今使いこなしてきているか、自分の波動が変化しているのを実感しているかどうか、波動の変化に日頃から意識し、実感を持って体験している人は新たなる波動の変化にも気が付きやすく、またそれも喜びとなって感じやすい現象をつくり上げていきます。

一般に喜びというものは新しいものを手にする、まだ知らないことを理解する、新しいものをつくり出していく、こういったことが喜びの本質であるための、常に新しいものを見つける意識が重要になります。一見同じ人といつも出会っているように見えても必ずそこには新しいものをつくり出す要素があちこちにあります。

一見何もないように見えても二人で新しいものをつくり出すエネルギーは必ず用意されております。新しいものをつくり出していく、新しいものを発見する、新しいものに気が付く、こういったことが一つひとつ喜びをつくり上げていきます。したがって、喜びを感ずるという思いは極めて前向きで建設的で創造的な活動になります。

クリエーションの波動を身に付けていく、常にポジティブで前向きの波動を身に付けていく、こういったことが喜びを見つける鍵になります。もし普段の生活において面白いことがない、面白くない、そういう生活をしていたり、そういう現象を感じている場合には自分が新しいものをつくり出すエネルギーを引っ張ってきているかどうか、新しいものに気が付く意識を身に付けているかどうか、新しいことをやろうとする思いがあるかどうか、そういったことに意識をしてみると分かるかもしれません。

常に新しいことをやってみる、新しい方向へ進んでいく、そういう気持ちを持ちながら進むようにすると必ず新たなる発見が出てきて、喜びを与えてくれます。人との出会い、新しいものとの出会い、すべてそういう意識があるところに入ってきます。自分がそういう喜びを感じられなければ新しいものがやってきても新しいという喜びを感ずることはできません。

そういったものを素直に受け入れていく、新しいものを新しいものとして感じていく、そういった喜びの感じ方を身に付けるようにしていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2005 CentralSun
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