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2005/4/25■月曜交流会から

知らないということは目覚めていないこと

@日本としての波動

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今皆さんの話で日本についての話題がありました。特に目覚めというテーマに関して目覚めるということがどういうことであるのか、何故目覚めが必要なのか、議論がありました。確かに目覚めるという言葉はもう既に日常生活を普通に行なっている皆さん方には意味が分からないかもしれません。自分としては朝目が覚めたときから日常の行動を始め、夜眠るまで意識的に活動しており、自分としてはやるべきことを毎日正しくやっていると思っておられると思います。

しかしそれは皆さん方の肉体的観点を通して見た場合の行動であり、私たちの世界でいう目覚めというのはスピリチュアルな観点から見た状態を言います。先ず皆さん方の意識の中でスピリチュアルな意識をどれだけ目覚めさせているのか、そもそも日本というエネルギー、日本という波動がスピリチュアルな世界でとういう役割を担っているのか、それをしっかり理解しているかどうかがポイントになります。

スピリチュアルな世界における日本の状態を知らないということはそれ自体スピリチュアルな世界においてはまったく目覚めていない状態と言えます。皆さん方が今日常的な活動を行なっている時、少なくとも自分の姿形は理解しているものと思われます。他人と接する時どういう洋服を着ていくのか、どういうお化粧をしていくのか、どういう言葉使いをし、どういう話題を話すのか、当然それらを意識的に活動しているものと思われます。

スピリチュアルな世界における目覚めも本来同様に日本というエネルギーが他のスピリチュアルな存在との間でどういう話題をし、どういう光を放って、どういう波動を出しているのか、それをしっかりと理解している必要があるのです。そして日本という波動が他のいろんな波動とエネルギーのやり取りを行なったり、光を放ったりする時、自分は相手に対してどういう光を放っているのか、どういう光を受け取っているのか、どういう波動の交わりをしているのか、それをしっかり理解することが必要になります。

そういった活動をしっかりと理解して行なっていることを目覚めている状態と言っております。そういう観点で見た時、今ほとんどの日本人の人は日本という光や波動を意識的に使いこなしている人がほとんどいないという状態になります。皆さん方の観点からすれば日本の社会の中において特に不自由や不便を感ずることはないでしょう。

お互い仲良く気が合う人同士で交わり合い、話し合い、お互いに良い状態をつくり出している、これで何も問題ない、恐らくそう理解されているものと思れます。しかしそれは日本という波動の中でつくられた幻想の世界であり、それは本当にスピリチュアルな観点でつくられている役割ではありません。スピリチュアルな観点から見た時、他のいろんな波動と混ざり合い、交流し合い、光やエネルギーをやり取りする必要があります。

日本の中だけでやり取りを行なってもそれはスピリチュアルな世界に関してはあまり意味をもたらすことはありません。スピリチュアルな観点で見た時、他のほとんどの波動は日本の波動を持っていないために、日本の波動を必要としているのです。皆さん方は日本以外のいろんな国に行って光を与えてきたり、光をやり取りする必要があります。そうすることによって他のいろんな社会の人々に日本という光を現わしてきたり、表現したりする必要があります。

今はこの地球上において日本という光をどれほどの人が理解しているでしょうか。これまではあえて表現することを抑えてきて、何もしなくても分かってもらえるようにする、何も表現しなくてもそれで十分、表現する必要もない、そういう意識で過ごしてきた人がたくさんおります。しかしそれは光の世界において残念ながら光を放っていることにはなっていません。

日本という存在から何一つ光が出てきていないのです。スピリチュアルな世界にいた時、日本という光を持った存在がほとんど光を放っていないのです。他のスピリチュアルな存在はいろんな光を放っております。良い悪いは抜きにしてキリスト教社会の存在たちはいろんな光を宇宙全体に放出しております。イスラムの社会においてもチベットの社会においてもいろんな光を宇宙全体に広げているのです。それぞれ自分たちの得意な表現を取り、自分たちのやりやすいやり方で自分たちの得意とする波動をおしみなく周りに振りまいております。

しかし日本という存在、ほとんど光を放っておりません。しかし、光を放っていないからといってそれが光がないとか、おかしい光とかいう意味ではないのです。光は出ていないけれどもとても不思議でとても興味深い波動が感じられるのです。そのために日本という存在はとても興味があり、どういう光をこれから出していくのだろう、どういう光を特徴としているのだろう、周りのものたちがとても興味を持っているのです。

そのため興味を持って日本という光に集まってくる、そしてどういう光を出すのか興味を持って見ている、しかしいつまで経っても光が中々放たれてこないのです。そのため光を出させようとしてわざと刺激を与えていく、いろんな刺激を与えてみて、反応を見てどういう光を出すのかを興味深く見守っている、それが今の状態と言えます。

皆さん方から見たら他の国々からいろいろ干渉されたり、いろいろコントロールされたりして何か嫌な感じがする、余計なおせっかいをされている、恐らくそう感じられていることでしょう。しかしそれは光を放つことなくただ固まって、自分の体の中に閉じこもっている日本の状態なのです。自分たちの意識を中に向けるのではなく外に向ける必要があります。

皆さん方の日本としての光は日本人同士が楽しむためにつくられたものではありません。むしろ日本以外の人々、日本以外の社会や国々が必要としている波動なのです。しかし皆さん方は日本人同士で気持ちが良いとか、仲が良い、安全、そういう波動でただお互いに慰めあっているに過ぎません。一見平和な社会のように思っているかもしれませんが、これは平和な社会をつくっているという証にはなりません。

ただ単に自分たち以外の波動を避けているだけであり、平和とはまったく意味の違う状態をつくっております。真の平和というものは価値観の違うものたちがやってきても平和な心を維持することができる状態を言います。自分たちと異なる価値観のものを避けていて平和とは言うことはできません。いろんな価値観の人々、日本の人々とは違う価値観の人々がやってきても心を動かされることなく平和な状態を維持している、これが平和な状態を維持していると言います。

したがって、今日本人の持つ光は日本人同士ではなくむしろ外に向ける必要があります。外の世界においては日本の波動を持っていない世界であるために、日本の光を求めているのです。そして日本に興味を持ってやってくる人々は皆、日本の光を受け入れようとして本当にやってきている仲間たちです。一見干渉したり、コントロールしているように見えても、皆日本の光を求めているのです。

したがって、今日本人としてみた時、自分たちが外に向けてどういう光を見せていくのか、どういう光を表現していくのか、そこにしっかり意識を向けていく必要があります。

日本ということに関してもう一つ話をしてみます。今日本の社会は他の国々から見てとても不可思議で理解しがたい、捉えがたい民族として映っております。不気味な強さを持っていながらもほとんど明確な主張が伝わらないために、何を考えているのか分からない、どこへ進むのか分からない、トップは誰で、誰の考えが一番日本人に影響を与えているのか、日本人はどういう風にして判断を取っているのか、そういったことがまったく理解されていない状態にあるために、不可思議で捉えどころのない民俗として映ってります。

しかし日本人はいくらそういう声があろうとも自分たちは仲良く過ごしているために自分たちがよければそれで大丈夫、あえて他の人々に表現しなくても自分たちが仲良くやっていれば良い、そのように思っている人がたくさんおります。結局わざわざ他の人に表現する必要はなく、自分たちが仲良ければそれで十分、そういう意識です。これはある意味では極めて心の状態が狭い意識レベルと言えるでしょう。

自分たちの身の周りにいる仲の良い人々がいるうちはこういう生き方ができるでしょうが、一人ひとりが自立し自分で考えはじめ、他の人に合わせることなく自分で自分の行動をとり始めた時、仲の良い状態が中々維持できなくなっていきます。一人ひとりの価値観が異なり、方向性も異なり、一つひとつの判断が変わってきた時、昨日まで信じていた人がまるで自分を裏切ったかのように感じられてきます。

一人ひとりが自立しだした時、急に仲が悪くなっていく状態になります。これは仲が良い時にはお互いの信頼感やお互いの理解が深まっていることによって一体化したお互いに自分と共通の人間であるかのような錯覚を得てしまうのです。しかし所詮は一人ひとり別の人間であり、別の人格を持ち、別の進むべき道があります。人は同じ道を進むことはあり得ず、一人ひとりまったく違う道を進んでいきます。

したがって、いつまでも同じ仲良し同士で同じ所を進むとか、同じことだけをやって皆でうまくいくということは絶対にありえません。必ずいつか別れがやってきて、自分だけの進むべき道を進まなければなりません。そういう状態になった時日本人の心はとても弱い状態になっています。信用していた人と離れたり、信じていた人と共有できなくなった時、急に不安や恐れがやってきて、これまでとは同じ判断ができなくなってしまうのです。

しかし他の国々でははじめからそういう環境であるために自分自身がいつ一人になったとしても行動できようにしておく、信じていた人が離れていったとしてもしっかりと行動できるようにしておく、こういう意識をとても強く持っております。そのために他の国々で育ってきた人は自立が早く、また一人で十分に判断できる状態にあります。

日本人はどうしても一人では判断できずに誰かの意見を聞いたり、誰かに合わせて生きる生き方を採用する人がまだまだたくさんおります。今後の日本の役割を考えた時、いかに自分は自分の考えで前に進んでいくのか、日本人でありながらも自分が日本人としての特性をいかに表現していくのか、そこにとても重要なポイントが入ってきます。

自分の生き方、日本人としての光を放つ、日本人としての役割を成していく、そういったことを考えた時自分は今後、どのように行動していくのか、自分のことをよく考えるようにしてみてください。

それではアドバイスをしてみます。

Yutoさんの波動を見た時、あなたの光の波動にとても面白い波動があり、この波動は日本においてとても重要な光をもたらしてきます。日本にはそれぞれ日本でしか定着できない波動があり、それを降ろしてくるマスターたちが何人かおります。マスターの種類によってはどの国においてもどの時代においても降ろせるマスターがいますが、あるマスターによってはある時期の特定の場所にしか降ろすことのできない波動というものもあります。そしてあなたの場合もまさにそうであり、この時期のこの日本でなければ定着させることのできない波動を持ってきています。あなたがそれにどのように繋がりをつくり、この日本に定着させていくのか、この日本という場の中でその波動をどう活性化させていくのか、ここにとても大きな役割があります。自分自身の意識の中で自分の一番やりたいこと、自分が一番得意としているもの、それを通して自分だけの波動を日本に定着させるようにしていってください。

Yukariさんの光を見た時、あなたの光の波動にあなた自身が持ち続けているとても貴重な波動があります。これはあなたの小さい頃から活性化されていた波動であり、そしていつの時代においてもずっと持ち続けている波動と言えます。この特殊な波動をあなたがいろんな人に流していく、出会う人それぞれに与えていく、そうすることによってこの波動を常にもたらすことができます。常に自分がその光を意識し、理解し、いろんな人に繋げていく、そうすることによってこの波動はどんどん広がっていき、そして日本で必要な波動も他の国々へと展開されることになります。自分の体を通していろんな光を広げていく、自分の体の中のある特殊な部分をそれによって広げていく、そういう意識を持って活動するようにしていってください。

Naokoさんの光を見た時、あなたの日本における高い波動にあなた自身が理解している高いレベルの意識があります。この高い意識はあなたにいろんなインスピレーションを与え、直感を与え、あなた自身が自分の役割に向っていけるように常に導きをつくっております。あなたがその時その時で感じたこと、思うこと、それはかなりその高い波動のところから渡されております。その直感やインスピレーションをあなたが感じ、それを行動に移す時、その時その時によってその波動が変化していきます。自分が本当に直感やインスピレーションによってこれは重要と感じた時、これは大切と思った時、その波動はとても不思議な働きをし、重要な波動としてしっかりと定着させるように自分からいろんな人々に定着させようとして動いていきます。しかしあなた自身の意識の中にこれは大したことない、これは十分ではない、そういう思いがやってきた時、その波動はあなたの中で留まり他の人に広がることはありません。あなたの思いそのものがコントロールする条件になっており、あなたの意識状態に応じてその波動が展開されていきます。したがって、いろんなことに興味を持ち、いろんな人に価値観を見出すといろんな波動が人々の中に流れることになります。自分自身の価値観があまり多様化されていず、単純である時、人々との間のエネルギーも単純なものしか流れなくなっていきます。自分の意識状態によって変化していくこと、自分の意識の持ち方が大きな影響を与えること、それを理解して今後の学びに使うようにしていってください。

Chioriさんの波動を見た時、あなたの表現の中でいろんな国々との繋がりをつくりながらも日本としての役割りや波動に強く感じないという話がありました。あなた自身の意識の波動では日本人だからどうするとか、日本をどうするとかいう波動はほとんどつくられておりません。あなたは日本人としてどう振舞うとか、日本人だからどうするという波動ではなく、むしろ全体の中で自分の本来の波動をどう表現していくのか、自分は自分としてどう表現するのか、そういうところにポイントが移っております。したがって、いろんな国に行ったとしても日本人として行動するというよりは自分はどう行動するのか、自分は何を表現したいのか、自分はそういう人々の中でどういう表現とっていくのか、そういう学びが中心になっています。そうすることによってあなた自身の光を定着させていく、あなた自身の光を広げていく、こういう役割を担っております。それで改めて日本人との関係を見た時あなたがどう担っているのか、確かに日本人として生まれている以上、日本の神々からの決まりがあり、あなたはその波動を現わしていく必要があります。しかし日本における神々の波動もどんどん変化してきており、今実際には日本の神々たちが日本人に求めているのは日本に留まることなくいろんな国の人々と交わるように、いろんな宗教や文化の人と交わるように波動を送っております。したがって、あなたの場合においても日本人としての意識を強く持つよりは、むしろいろんな社会の中でいろんな国々の中で自分を表現していく、自分を感じていく、いろんな文化を自分が感じてみる、こういう波動の方に移っております。そういう人にとって日本人というのがどういう価値があるのか、日本の目覚めや日本としての活性化を行なう時どこにポイントを入れるのか、いろんな社会で生きる時どうしても合うところ合わないところが生じてきます。今まではそれを国民性とか文化で解決するやり方が普通に行なわれておりました。これは日本の習慣に合わない、これは日本の文化にはない、これは宗教がそうさせている、そういう分類によって自分たちの学びの中から結論を出してきました。こういう判断の仕方を変える時期にやってきております。日本という国のエネルギーや文化や宗教のエネルギーで解決するのではなく、一人ひとりの違いとして理解していく、そこに集まったものたちと自分とのエネルギー的な違いを理解し、こういう人々の前ではこういう表現にする、こういう人々がいるところではこんな表現にする、そうやって自分自身がどう行動していくのか、自分がどう関り合っていくのか、そちらにポイントが移っていくのです。したがって、今後のいろんな社会においていろんな国々の人と交わる、日本人だからという言葉にこだわることなく、あくまでも自分は一人の人間としてどう行動していくのか、どう活動していくのか、常にそこに意識を向けるようにしてみてください。

Yukikouさんの光を見た時、あなたの光にはあなた自身がもっている特性とあなたがこれまでの人生の中でつくり上げてきた波動の二種類が明らかに見えております。そしてあなた自身が本来持っている光と、あなたが自分でつくり上げた波動で比較した時、あなたが自分でつくり上げた光がとても多様化し、そしてそれが自分でも中々捉え難いくらいの変化を見せてきております。自分自身の本来の日本としての光よりは自分でつくり上げた光の中で暮らしている状況と言えます。自分のつくり上げた光を自分がいつまで好んで使っていくのか、自分はそれをどこまで共存させていくのか、あなた自身の問題になっています。自分の本来の光を出すのであれば日常的なことにはあまりこだわらずに、もっと大胆に本質的なことをやっていく、本来の自分に必要なことを進めていく、そういうことをすることによって世界が変化していきます。しかし自分のつくり上げた世界が自分にとって馴染みがあり、過ごしやすい、分かりやすい、そう思うと自分のつくり上げた世界の中に引きずり込まれ、その意識の中で生活することになります。あなたがどちらの流れを自分で選択するのか、どちらを求めていくのか、すべてあなたに依存しております。自分自身の光をあなたが自分でつくり上げていく、その過程において自分のやり方をしっかり身に付けるようにしていってください。

Akikoさんの光を見た時、あなたの光には多様な種類の光が混ざっており、何を見るにしても一つの単純な光では見ることのできない波動になっています。必ずいろんな光が影響し合うために、自分でもどの光が一番のかいなのか、どの光が一番の優れたものなのか、そういった判断ができにくい状態になっています。そのため何かを表現したり、現わすにしても一言で単純に言えるものではなく、常に全体の中で考えるために、いろんなものが織り交ざって結局分からなくなってしまったり、あるいはすべてを合わせて一つであるかのような状態に変化していきます。これをうまくもたらすためには自分の感じているいろんな波動、それを個別にしっかりと理解するトレーニングが必要とされます。何だか漠然とした大きな全体的な一つの物事が入ってきた時、それが一つの大きな波動であるかのように勘違いし、その大まかな全体的なものをまるで一つの信念であるかのように感じ取ってしまいます。しかし実際にはそれはいろんな波動が組み合わさった波動であり、その段階で既にいろんな波動が組み合わされております。それを一つとして理解するよりは、それを構成している一つひとつを個別に見ていく必要があります。一つひとつを個別に見ていった時、その光の波動一つひとつが個性をもち別々の波動であり、見方によっていろんな解釈ができること、他のいろんな波動とはまったく違う波動が感じられてもそれでもそのまま受け入れ、自分のものとしてトレーニングしていく、是非そのやり方が必要になります。自分の体を通していろんな波動を見つけ、チャンスを広げられるようにしていってください。

皆さんの光に関して話をしてみました。日本という観点で考える時どうしてもいろんな思いが入ってきます。受け入れる、受け入れない、その時その時によって反応が全部違ってきて、同じメッセージを与えてもまったく違うように皆さんに伝わる場合があります。同じメッセージを与えながらも前回とはまったく違う感じを得た、これは何が問題なのか、前と違うということが必要なのか、それとも同じにしておくべき必要があるのか、自分自身にとって一番大事なものが何であるのか、常にそこに意識を向け自分が大事にしているもの、或いは表現しなければならないもの、それをしっかりと理解していただきたいと願っております。一人ひとりの皆さんが今後自立し、日本人として役割を成すためにも自分は自分の考えで行動していく、自分は自分でしかりと自分を導いていく、常にこの意識を持ち続けるようにしていってください。それでは少し休憩を取ります。ありがとうございました。


A体験と自由意志

私たちは光のハイアラーキーからお話をいたします。目覚めるということがどういうことか、実感の得られない表現と言えるでしょう。皆さん方は今肉体を持って生活をしています。肉体を持って生活していながら意識レベルで目覚めを行おうとさせております。これは肉体の範囲の中で理解するには何か具体的な現象を伴わない限り実感が得られない現象と言えるでしょう。

自分たちの日常の生活の中で実感を持って感ずるにはどうしたら良いのか。皆さん方の日常の現象一つひとつはすべて皆さん方の目覚めに関係した現状になっています。皆さん方が目にするもの、聞こえるもの、感ずるもの、これはすべて皆さん方自身の目覚めに繋がっているのです。

そもそも生きていること自体が目覚めに関係して体験を進めているのです。何故ならば皆さん方は役割りを持って肉体をつくりました。皆さん方が肉体をつくる時、肉体を使って何か行なうという目的をつくったのです。日本にいてこれを行なう、日本人としてこういう人生を行なう、日本という場においてこういった活動をする、そういう目的を持って肉体をつくったのです。

そして自分の人生をつくり、自分の人生を体験することによって一定の役割を成すようにつくられています。したがって、皆さん方の日常の生活一つひとつはすべてその目的を達成するために体験を進めているのです。そしてその目的を達成するということが日本の目覚めに繋がり、日本人の活性化に繋がっていくのです。

そう考えた時、では特に何も意識しなくても毎日の生活を送るだけで十分に活性化させているのではないか、そう感ずるかもしれません。しかし面白いことに皆さん方がつくり上げた体験は、何かを成すようにつくられただけであり、それを成すことによって意識レベルで活性化するのかしないのか、つまり自分がそれを理解できるのかできないのか、そこに光を入れることができるのかできないのか、さらに言うと目の前の人に愛を入れることができるのかできないのか、それはまったく決まっておりません。

それは自由意志なのです。三次元的には現象は決まっていてもその時に自分は意識を使って光や愛を入れるかどうかはそれは自由意志に任されているのです。そして本当に目覚めや役割を成すというのは光や愛を入れた時に役割を成したと言えるのです。

役割を成さずにただ行動を成したところでそれですべての役割が完璧にうまくいったとは限らないのです。例えばある二人がお互いにある場所で出会い、話をする、これはエネルギー的につくることができます。したがって、皆さん方の体験すべきエネルギーの中にそのエネルギーを入れておけば例えば明日お互いに出会い、一時間ほど話し合うという場をつくることはできます。

しかしその時にどういう光や愛のエネルギーをやり取りをするか、それはまったく決まっておりません。それは皆さん方の自由意志に任されているために、皆さん方の問題になります。もしお互いが出会って何か興味のあることをお互いに話し合う、ごく普通の話をしたのであれば愛や光は少しはやり取りされていくでしょう。

しかしもし一人が本当に悩みや問題を抱えていてそれを話した時、相手の人が親身になってそれを相談に入り、何か悩みを解決してあげる、場合によっては癒しを行なってあげる、そうした時愛や光は本当に相手に入っていき、十分に相手のために愛や光が使われていくでしょう。或いはお互いが出会った時、片方が以前の何らかの問題やトラブルを思い出して一方的に文句を言ってくる、一方的に反論してきて、余計に問題が複雑化していく、こういうこともありえます。お互いの問題を余計に複雑にしたエネルギーを残すことになります。

どういう体験を行なうのかは実は皆さん方に任されているのです。エネルギーとしてはただ単にお互いが出会うということしかつくることはできません。したがって、毎日ただ漫然と過ごしていたからといって役割を成したとはいえないのです。その時に皆さん方がいかに愛や光を相手に流していくのか、いかに多くの人に愛や光を流していくのか、それは自由意志に任されます。

そして多くの人に愛や光を与えていきお互いに本当に愛や光の重要さが気付いていく、重要さが分かっていく、そして愛や光を流す人がもって増えてくる、こういったことが続いていくと、それこそ目覚め、活性化した、日本人が日本人として役割を成した、そういう表現がとれるようになっていくでしょう。

しかし今の社会をみる限りどうでしょう。お互いが余計険悪になったり、家族でさえも兄弟でさえも親子でさえも命を奪い合う社会になっています。これが本当に平和な社会と言えるでしょうか。親子でさえも信じられない、家族や兄弟でさえも信じることができない。何故友人を信ずることができるでしょうか。皆さん方が本当に必要としている社会はどういう社会でしょう。お互いに信用し合える人々を増やしていく、本当に今日本が平和だと思うのであればどの人にでもすべて愛や光をお互いに分かち合い、癒し合い、愛し合うことができる、そういう場になっていることでしょう。

実際そういう人も中にいるかもしれません。十分に会う人毎に愛や光を流していく、まったくいないわけではありません。現実に存在しております。そういう人をどんどん増やしていく、どの場所にいってもそういう人が必ずいるようにしておく、先ずはそういったところから初めてみたらよいでしょう。まだまだ日本人の成すべく役割はたくさん残っています。

これで十分とかもう完璧ということはいつまで経ってもありえません。宇宙は常に進化し、成長し、大きくなっていくのです。それに伴って役割も増えていきます。常に自分の意識を拡大しながら愛や光を拡大させていく、その流れで物事を考えるようにしてみてください。それでは今日はここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2005 CentralSun
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