また既にそのような現実をつくり出した人が何人かおります。自分のこれからのつくった未来においていつかの時点で、高次元の存在と出会えるように仕組んだ人、意識の変化が早く訪れるようにつくり変えた人、いろんな人がいます。
したがって、今学んだことを今理解できるとか、まだ分からないとかいう解釈そのものが不要であることを学ぶ必要があります。今知識を得たからといって今分からなければ意味がない、今納得できなければ意味がない、そういう考え方も無意味なものになります。
吸収した知識は必ずどこかで使われるように仕組まれていきます。それが今日からすぐに使えるものか、それとも数週間後から使えるようになるのか、あるいは数年後、数十年後からつかえるようになるのか、その時の知識の契約と、皆さん方との契約との度合いに応じて現れ方が変わってきます。
ただいずれにしてもそういう知識を入れたことにより、何らかの人生の変化が出てくることは明らかです。ただその変化を皆さんがどのように受け入れていくのか、その変化を否定的に捉えて解釈する人、或いはまったく何も感ずることなく過ごしていく人、或いは、あの時理解できなかったけれども今始めてこういう意味だと言うことがわかったという風にして体験を重ねていく人、いろんな人がおります。
それぞれその時の受け取り方、感じ方により、また次の未来がつくられていきます。否定的な感じで体験した人、どうしてこういう現実になるのだろう、どうして思ったとおりいかないのだろう、あの時教わった知識は嘘だったのか、こういう風に受け取る人はそういうエネルギーによって未来をつくり出していきます。
したがって、また未来において否定的な想念が起こるような現実が繰り返されていきます。したがって、本当の真理を求めて学びを重ねている人、今まで教わったことが嘘だった、新しいことを教わってまた今までのも嘘だった、こういう気持ちを持って人生を送っている人はこういうエネルギーが何度も、何度も押し寄せることになります。
しかしすべてを受け入れ、すべては必ず真理が含まれている、すべては必ず役に立つ、そういう信念で人生を生きている人は新しく入る知識、すべてが必要なものになり、すべてが意味のある情報になります。したがって、自分が勉強した知識が役に立つのか、役に立たないのかはその人の生き方に大きく関係しており、知識そのものがあってるかどうかという問題にはなりません。
知識はその人の人生の中で始めて有効性を発揮するものであり、知識そのものには実際にはあってるとか間違っているとかいう価値観は一切含まれてはおりません。人間がそれを判断しているだけのことになります。
皆さんが身に付けた知識、これもこの知識や情報そのものには何の価値もありません。皆さんの人生でこれをどう使うか、それによって変化が起こってきます。皆さんがこの知識を否定的なものとして認識すればこの知識は否定的というレッテルを貼られて動き回ることになります。皆さんがこの知識こそ真実だと思うとこの知識は人間が真実として与えたものというラベルが与えられていきます。すべて人間がその価値観をつくり、人間がラベルをつけているに過ぎません。
知識そのものには何の価値観も含んでいないこと、先ずそれを理解する必要があります。皆さん方はこの知識を通して意識の変化を起こすことができました。それまでの肉体人間としての意識、肉体人間としてどう生きるかという意識がより広範囲なレベルで影響を与える意識に変化してきております。
いわゆるスピリチュアルな勉強をしている人にもいろんなタイプがあり、スピリチュアルな勉強をしているから全員がスピリチュアルな世界に繋がっているかというと、必ずしもそうではありません。スピリチュアルな世界を人間の概念で理解しようとしている人がほとんどであり、それはその人の概念の世界の中でスピリチュアルな世界を構築しているに過ぎません。
本当のスピリチュアルな世界に繋がってスピリチュアルな人生を生きている人は数えるほどしかおりません。そのスピリチュアルな人生、スピリチュアルな世界とは何であるのか、それを本質的に体験し、身に付けている人はそんなに多くはいないのです。
しかし、そのスピリチュアルな世界を頭で考え、頭で構築し、こうやって生きることがスピリチュアルな人生なんだ、スピリチュアルな世界はこういうものなんだ、という風に一生懸命概念をつくっている人、それは自分の妄想の中で生きている証となります。
真実のスピリチュアルな世界で生きているわけではなく、妄想の世界で生きているのです。しかしそれでもスピリチュアルな人生と納得している人もいるでしょう。所詮は自分の妄想の中でつくっているものがスピリチュアルであり、スピリットはすべて自分の中にある、そう信じている人が多いために実際にどんな妄想をつくろうとも、どんな自分の想像の範囲であろうとも、それこそがすべて真実のスピリチュアルな世界であると信じ込んでいる人がたくさんおります。
ここで皆さん方にはっきりと言っておきますが、頭の中で勝手に空想、想像した世界と、スピリチュアルな世界はまったく違っております。空想、妄想の世界はスピリチュアルな世界と同じではありません。確かに何らかの接点はあると言えるでしょう。しかしその接点はごくわずかなものであり、大部分は皆さん方の妄想や想像でつくられた世界になります。
どこまでが妄想で、どこまでが真実のスピリットなのか、それを見分けるのは難しいかもしれません。先ずは今の段階においては自分の想像できる世界、それをすべてスピリチュアルな世界と思わないこと、あくまでも自分の頭で構築された妄想の世界であること、先ずそれをしっかりと理解する必要があります。
ではその妄想の世界からどうやって脱却し、本当のスピリチュアルな世界に踏み入れていくのか。妄想の世界は往々にして自分の都合によってつくられております。自分が得になること、自分が良く思われること、自分が得意になれるもの、人よりも上に立てる、そういった自分に都合の良い論理でつくりあげたものが妄想の世界になります。この妄想の世界においては自分は他のどの人間よりも優れており、他のどの人よりも自分の方が偉く、かしこく、人の上に立てるという波動を身に付けています。
そうすることによって自分は自分だけの世界を維持することができ、自分はその中で得意になって生きることができます。これはその人の妄想の世界であり、願望の世界であり、想像の世界です。真実のスピリットの世界とはまったく違っております。
真実のスピリットの世界においては、他をコントロールする、他の上に立つ、他を自分の思い通りにさせる、こういう波動は何一つ入っておりません。したがって、自分の妄想の世界でほんのわずかでも自分が他よりも優位である、他は自分の言うことをきいていく、この世界が入っているのであれば、これはもはや妄想の世界となっていきます。
自分がこの妄想の世界から脱却し、真実のスピリットの世界へ入っていく、そのためには妄想の世界であるという認識がまずはっきり理解する必要があります。今自分は妄想をつくっているの、妄想の中で生きている、それをある程度理解する必要があります。
したがって、いろいろ頭の中で考える時、仕事をどうしようか、一緒になってどういう風にしようか、いろんなことを考える時、他をコントロールする方向で考えたのであればそれはすべて自分の妄想の世界に入っていきます。他をコントロールするのではなく、純粋に自分と他人が同じレベルで同時により素晴らしいものをクリエーションしていく、より発展的に前向きに良い方向でお互いに進んでいく、常にそういう発想が保たれたのであれば、それはスピリットに近づいていくでしょう。
しかしほんのわずかでも他人は自分の言うことをきく、自分の言う通りに行動していく、あるいはどううまくやれば言うことを聞いてくれる、そういう思いが入ったのであれば、もうスピリットの世界から離れてしまいます。自分の頭の中で物事を考える時、どの程度スピリットが入り込んできているか、それはその考え方、認識の仕方、理解の仕方でかなり変わってくるのです。
まず普段からこういうことを理解し、普段から他をコントロールしたり、言い聞かせようとする思いがないとスピリットにしっかり繋がった意識を持つことができるでしょう。皆さんの普段の生き方、普段の感じ方、これそのものがスピリットと密接なつながりをつくっており、逆に言うと普段から妄想ばかり考えていると、スピリットには程遠い世界になっていきます。
今の皆さん方の仲間としていろんな人がおり、中には本当に空想や妄想の好きな人がたくさんおります。いろんなことを憧れで考え、すべてファンタジックに気持ち良いように考えていく、そして自分はそのファンタジックな世界を本当の世界であると思い込んでおり、それを信じ込んでいる、そういう人がたくさんおります。
皆さんの大好きなニューエイジ的な表現で言えば、それは確かにスピリットの世界であり、皆さん方は十分にスピリットを感じています、十分にスピリットの世界と一緒に生きています、そういう風に言う人もいるでしょう。私たちもそういう言葉に対していちいち否定するつもりはありません。
いちいちそれを否定してその人をがっかりさせたり、その人に悲しい思いをさせるつもりもありません。ただその人の頭の中にあるファンタジックな妄想すべてがスピリットそのものではないことははっきりと言っておきます。その人のこうあって欲しい、こうでありたいという願望が大半を占めており、スピリットの要素はほんのわずかしか入っておりません。
しかしすべてを否定することはできません。確かにスピリットのエネルギーも入り込んできています。ただその場合、入り込んできているスピリットは何者であるのか、それは必ずしもスピリットの世界で役目をもって一生懸命やっているスピリットとは限らないということです。
スピリットの世界でもいろんなスピリットがあり、やはり人間の世界にいって影響を与えているスピリットがいたとすれば、たまたま遊びに行ったスピリットもいたり、いろんなスピリットがいるからです。
そういうスピリットの世界から見るとそういう妄想が好きな子供たちや大人の中に入り込むのにはある意味ではとても安心できる場があるのです。仮にそういったことを信じない人の頭の中に表したときには不安や恐れ、人によっては憑依されたとか、人によっては何か否定的な波動を感じてしまった、そういう風に物事のすべてを否定的に捉えてしまう人がおり、そうすることによってスピリット自身が傷つけられたり、攻撃される場合があるからです。
それに比べれば妄想好きなファンタジックな人にはいくらスピリットが介入しても先ず危害を加えられることはありません。いつ行っても歓迎してくれるために、とても住みやすい状況をつくり出していきます。
しかし一般にこれは人間の成長を止めてしまうために、普通はあまり介入は許されておりません。人間は妄想の中に生きるわけではなく、現実で生きることに意味があり、実際の人間が人間関係を通して成長していく、いろんな人間との間で交流をしながら意識を高めていく、それが一番の目的であるために、妄想の世界だけで生きてもらうのは、それは人間としての本来の生き方ではありません。
したがって、スピリットの世界から見て、妄想好きの人間の中に入り込むのにはやはり一定のルールがあり、誰でもどんな人間でも入って良いというわけではないのです。それが妄想好きの人から見て必ずしもすべてがスピリットではないという証になります。
しかしどこまでがスピリットで、どこまで自分の妄想なのか、やはり本人には中々区別がつかないでしょう。ほとんどの人は自分の体験している思いはすべて真実と思い込んでおり、すべてを自分のスピリットの世界と理解していきます。
何度も言うように自分にとって都合の良いようにつくられた場、自分が気持ち良くなるようにつくられた場、それに関してはほとんどが自分の妄想からつくられていきます。スピリットは必ずその人の成長を促すことを考えているために、成長を止めることは許されておりません。妄想の中に浸っているもの、妄想の中に留まっているもの、これは成長を留めていることになり、スピリットとしては許されない行為になるからです。
あくまでもファンタジックな状況が得られたとしてもそこから必ず何らかを学び取っていく、何らかを身に付けていく、必ずこれが必要とされるのです。皆さん方やもし皆さん方の近くの人で妄想の世界に浸りきっている人がいたとき、その点をよく注意してあげる必要があるでしょう。
しかしだからといって初めから否定的にアドバイスをしたり、頭ごなしに言ったところで理解してくれるわけでもありません。いくら妄想と言えどもその人にとっては実際のことであり、現実に体験していることであり、否定することはできないからです。そういう人と接する時には頭ごなしに言うのではなく、もっともっと別の角度から、中身をちゃんと聞いてあげながらも一つひとつ、それはあなた自身の思いではありませんか、とか、あなた自身の願望が入っていませんか、いろんなことを通して一つずつ解決していく必要があるでしょう。
人間一人ひとりいろんな考え方があり、いろんな認識の仕方があり、いろんな成長の仕方があります。それによって一人ひとり、理解の仕方、相手との話し合いの仕方が変化していきます。自分にとってどういうやり方が一番良いのか、自分はどういう風にして理解をし、成長していくのか、自分にとって一番良いやり方を自分なりに見つけるようにしてみてください。
この日本人であるという定着した波動がアメノミナカヌシの波動を引き寄せ易い状態になっており、そこに刺激を与え、光が入るようになっていきます。しかし今皆さん方はいろんな学びをしており、実際にはいろんな光を受け入れる土壌をつくり上げております。エロヒムという波動があれば、サナンダという波動もあるでしょう。ラファエルやミカエルという波動もあるでしょう。
それぞれいろんな波動を受け入れやすい意識構造を身に付けております。自分がどの光を一番使いこなし、自分のために役立てていくのか、皆さん方はいろんなマスターやいろんな天使の名前を勉強し、そしてそれを使いこなし、自分のため、世のために使いこなそうとしています。しかし、現実のところ、皆さん方の親となっている光との関係によってすべてがつくられているために、そういうマスターや天使の名前を求めたからといって、全員に同じように同じ存在の光が来るとは限りません。
自分の呼んだマスターと皆さん方の親となっている存在が非常に仲間の中に入っている場合があれば、そんなに仲間として近くない場合もあるからです。皆さん方が生まれ、育ってきた経路によってよく知っている仲間があれば、ほとんど知らない仲間もいるからです。
したがって、その時々の状況や相手によって、光やエネルギーの感じ方、使い方はかなり変わってきます。もし既に仲間の状態にあって、そういったマスターや天使を呼べばいつでも本当にその光やエネルギーを流してもらい、自分自身が使えるという人がたくさんおります。
それとは逆に、マスターや天使として有名な存在でありながらも、自分は地球に来るまでにかなり特殊なコースを辿ってきたために、そういう存在とは必ずしもすぐに繋がりきれないという人も時々いたりします。ただそういう人の場合には、使えないとか、無意味というわけではなく、むしろそういう機会を通して新しく契約をつくっていく、新しく仲間として認識してもらう、新しい結びつきをつくっていく、そういう状態をつくり上げていきます。
したがって、今まで契約がなかったとしても、それによって契約がつくられ新しく関係を結ぶことができるようになっていきます。どのようなワークにおいても無駄なもの、無意味なものは一切ありません。ただ今の皆さん方の場合、地球に来る時に地球の神と契約しており、地球の神と契約した限りにおいて地球に関与しているすべてのマスター、すべての天使とは必ず何らかの関係がつくられていきます。
皆さん方が普段、学んでいる天使やマスターという存在はほとんどこの地球の神によって認知されている存在であり、皆さん方の普通の学びにおいて支障をきたすことはほとんどありません。したがって、皆さん方自身はそういったことに不安や心配を持つ必要はありません。
そして自分が教わった通りのことをやって教わった通りのリチュアルを行ない、光やエネルギーを出せば確実にそれは影響を与え、変化を与えるように仕組まれていきます。それは既に皆さん方が地球に入ってくる時に契約した条項に入っており、皆さん方が行なったことはすべて天使やマスターがその効果を出さねばならないようにセットされております。
そういった意味において皆さん方は自信を持っで堂々としてエネルギーを使い、光を使う必要があります。皆さん方が地球に対して光を呼び込んだり、光を使う分においてはどんどん自由にやって構いません。皆さん方の中で問題をよく起こすのは、他の人にやってあげる時、どこまでその人の世界に介入するか、その人のハイヤーセルフにいちいち確認し、ちゃんと許可を得てやっているかどうか、これが大きな状態をつくり上げていきます。
いかなるヒーリングにおいても必ず本人とハイヤーセルフの許可を得る必要があります。許可を得ずに勝手に波動を変えてしまったり、勝手に相手のエネルギーを修正してしまうとハイヤーセルフにとって、二度と体験できない状態をつくり出してしまう場合があるのです。せっかく体験したいがためにわざと身に付けてきた、いわゆる否定的な波動が時々あったりしても、それを勝手に取ってしまった場合、そのハイヤーセルフとして体験すべき波動が取られてしまい、二度とこの地球で体験できない状態になってしまうのです。
これはハイヤーセルフにとってとても大きな問題をつくりあげていきます。何故ならばもう皆さん方は既に理解したと思いますが、肉体生活における行動がとても大きな意味を持っているのです。この肉体次元における行動がそれ以降のいろんな次元、いろんな世界において影響を与えており、肉体生活で体験しているたった一つのことが実際にはそれ以降のいろんな世界、いろんな宇宙において、とても大きな意味をもたらす場合があるのです。
そして場合によってはある宇宙を変えるためにわざと身に付けてきた波動があり、その宇宙を変えるために、この肉体の中にわざとある特殊の争いの波動を入れてきた、この争いの波動をその対象者、つまり別の宇宙の人間と争い、それを克服することによって宇宙同士の仲を良くしていく、そういう風に設定している場合もあるのです。
ところがそれをヒーラー側が勝手に取ってしまった場合、それを肉体次元で解消することができなくなるために実際には宇宙同士の仲を取り持つという波動が取られてしまい、宇宙同士が仲良くなる機会が失われてしまうことになるのです。それによってその宇宙は永遠に争いの状態を続けることになってしまうのです。
したがって、いかなるヒーラーといってもハイヤーセルフの許可なく勝手に相手を癒すことは罪をたくさんつくり出す場合があるのです。もしそういったことを行なってしまった場合、そのヒーラー側がその宇宙の間の平和をつくり上げる条件を取ってしまったがために、自分をそれを引き受けねばならなくなっていきます。
つまりその人はいつかの時点でその宇宙同士の仲を取り持つという波動を自分からつくり出し、またそれを肉体次元でつくり上げる状態をいつかつくることになります。そして自分がそれを役割を引き受け、それを人間として生まれた時に、他の人との間で争いをわざとつくり、そして宇宙同士の対立の波動を平和にもっていく、と設定したとしてもまた誰かが勝手にヒーラーが取ってしまう、こうやって永遠と宇宙同士が争いを続けている場合もあるのです。
人のために良ければ良い、良いことをしてあげる、だからといって何でもかんでもやって良いというわけでもないのです。もう皆さん方はそういう意識レベルになっており、何か一つのエネルギーを変えたり、何か一つワークをする場合でも、本当に宇宙の流れから見てこれは適当なことなのかどうか、本当にこれは宇宙の意志に従っているのかどうか常にそういう意識を身に付けておく必要があります。
皆さん方は今十分にそういう意識レベルに近づいてきており、単なる一個人としての人間ではなく、グループとして宇宙として、大いなる意識として活動をしているのです。そしてお互いの連携プレーがこれまで以上に強く要求されてきます。意識を上に上げれば上げるほど、一個人として判断できる要素や一個人としての自由度がかなり変化していき、全体として見た場合の価値基準、全体として見た場合の自由さに変化していきます。
それは一見自由と思っても不自由なように思うかもしれません。個人の意識からすれば不自由なように見えても、上のレベルからしたら十分に自由な範囲にとどまっています。大きな観点から見た自由の範囲内で一人ひとりのあるべき行動をつくり上げていく、大きな意識から見た場合の価値観の中で自分の価値観をつくり上げていく、そういう意識に変化していきます。
そういう生き方を繰り返すことにより、常に自分と自分の上の意識という両方の次元にまたがった意識構造がつくられていきます。こういう二つの次元に関る意識はそれ以降の成長を格段と早くさせていきます。一つの次元だけで考えるより、複数の次元で考える方がはるかに事情として複雑になっていきますが、その人の意識成長においては格段に早い進歩をもたらしていきます。
皆さん方が自分自身の成長を考えた時、何を楽しみとして持っていくのか、肉体次元においては時間という制約があるために、時間を克服することが大きなテーマになっていました。時間を克服するために要領良く覚え、手っ取り早くやる、素早くやる、一番にやる、これはある意味では時間を制約する一つのやり方になっていました。
早くやることによって残った時間を別のことに活用できる、早くやることによってよりいろんなやり方を試すことができる、早くやることが時間をコントロールする一つの手段になっていたのです。しかし皆さん方が新たなる次元意識に向った時、時間という観念が変化していきます。時間はそうやってつくり上げるものではなく、本当に自分の意志で変更し、つくることが可能になってくること、要領良く早くやることだけが時間をつくる方法ではなく、まったく別のやり方で時間をつくることが可能であること、それに目覚めていきます。
それに目覚めた時、時間と空間の関係が急速に変化し、皆さん方の高い次元における存在の力の入れ方が急激に変化していきます。これまでは閉じた時間、空間の制約の中で皆さん方と接することしかできませんでした。しかし皆さん方がその時間と空間の概念を大きく変化させ、使えるようになってくると、これまでとはまったく違う時間、空間の世界に影響を与えることが可能になっていきます。
そうすると高い波動からの影響力や、光の入れ方がこれまでとはまったく違うやり方に変化していき、皆さん方の流れを変えたりする際に時間空間の設計の仕方がまったく別の状態でつくられるようになってきます。いずれ皆さん方もそのレベルに達し、それをはっきりと分かる時期がやってくるでしょう。
こうやって自分の意識を常に変化させ、新たなる方向へともっていく、自分自身のあるべき姿、自分自身の向かうべき流れ、そういったものに対して常に新しい方向へと変化させていく、新しい意識を身に付けていく、そういったことを常に考えるようにしてみてください。
皆さん方がワークした結果により皆さん方の今到達できるレベルでの高い存在たちからの波動や、エネルギーが流されてきております。皆さん方がこれまでまったく感ずることのできなかった領域の存在たちがやってきて、皆さん方にいろんな刺激を与えております。
さらにこれから皆さん方一人ひとりにそれらの存在たちから光やエネルギーを与え、皆さん方が少しでも自分の本質に、自分の本来の核に繋がり、光やエネルギーを受け取り、自分自身に目覚めることができるようなチューニングをしていきます。