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2004/9/6■月曜交流会から

瞑想の境地を体得すること

@瞑想するときのポイント

私たちはアルテミスの波動からお話をいたします。今日この場において、私たちの光と波動をいくつか紹介し、感じていただきたいと思っております。皆さん方の中にはアルテミスの光をまだよく理解していなかったり、まったく初めてという人がいるかもしれません。

しかし実際にはここの場においては、これまで頻繁に現れており、決して初めてではありません。ただここで皆さん方に話をする時に、これまではかなりの頻度で単に光のハイアラーキー、あるいは光の仲間という表現をとって話しをしてきました。

これまではそれで十分だったのですが、波動が少しずつ変化し、また皆さん方一人ひとりがさらに高い波動にシフトし、それぞれの繋がる存在たちが更に個別化してくるに従い、皆さんに紹介する表現の仕方も変化せざるを得なくなってきております。

したがって、その場、その場において、なるべく皆さん方の意識レベルを刺激させ、少しでも自分の繋がっている存在たちの波動の中で高い波動にシフトできるように、それぞれがより先へと波動を高めることができるように一番ふさわしい存在を紹介しようと考えております。

今日は、アルテミスの波動の中で特に皆さん方に親しまれている存在を紹介したいと思います。


私ははくいんの波動として話をさせていただきます。白隠という名前は禅の師として知られていることと思われます。そして実際に皆さん方がリチュアルマスターとして学びを重ね、いわゆる瞑想の練習をしたり、瞑想を始めている時に私たちの仲間が必ず皆さん方に関与をすることになっております。

いわゆるリチュアルマスターの皆さんが瞑想する時には、必ず私たちの仲間が皆さん方の周りでその瞑想が正しく行われているかどうか、瞑想がちゃんと先へ進むことができるかどうか、それらをチェックし、皆さん方が少しでも良い瞑想を行なえるように周りで見守っております。

皆さんの中には瞑想、あるいは禅というものを必ずしも正しく、セオリー通りにやっている人は多くはないでしょう。いわゆる日本のリチュアルマスターの方々の瞑想の状態を見ていて、いわゆる禅に匹敵する深い瞑想を行なっている人はほんの数える程しかおりません。

しかし何人かの人は、そのやり方を取得し、正しい禅を行なおうと意識を持っている人はおります。ただ日常生活の中でいざ禅を毎朝行なおうとすると、やはり日常生活のエネルギーに追いやられてしまい、どうしても時間をかけることができなくなっているようです。

私たちがリチュアルマスターの方々の瞑想を見守るという活動に入ったのには、日本人の意識の使い方がかなり禅のやり方に適していると判断され、そのために先ずリチュアルマスターとしての学徒の中で一番適当な指導をして、禅の境地を体得していただこうと考えていたからです。

単に瞑想という言葉を使い、自分のマインドの中でスピリチュアルな世界に繋がろうとしている人はたくさんおります。人によっては瞑想をあたかもマインドの中でスピリチュアルなビジョンを受け取ったり、スピリチュアルな体験をすることを瞑想と思っている人がおります。

しかし本来、禅の教えは、そういう体験をすることが目的ではありません。自分の意識レベルをいかに捕らわれから開放させ、肉体や執着的な思いの影響から取り出し、本来の自由な意識のままで大自然、大宇宙の中で意識を広げて活動していけるか、本来そこに意味があります。

しかし何かを期待し、スピリチュアルな体験をしたい、スピリチュアルな体験を願っている、そういう気持ちを持って瞑想を行なうと、期待する思いが常につきまとうために、本来の正しい意識活動が行なわれず、結局は空を感ずることすらまったくできない状態になります。

多くの人のやっている瞑想は、そういう瞑想になっており、本来の禅が目指す境地とはかけ離れた状態にあります。リチュアルマスターの方々が本当に役割を成し、意識を活動させようと思うのであれば、先ずはこの禅の境地を明確に自分のものにする必要があります。

多くの人はまず安定した姿勢を取り、意識をどこかに集中させるか、あるいいはわざと何も考えないようにするか、いずれかの方法によって意識を別の境地へと移行させようとしていきます。

意識がこの肉体世界の活動している領域から別の領域へとシフトし始めるといわゆる潜在意識や、雑念、思いが湧き出てきて、そのいろんな思いに捕らわれてしまい、先へ進むことができず、いろんな思いの中で意識を使ってしまう場合があります。

当然瞑想にはならず、単にいろんなものを思い、感じている時間だけが過ぎていきます。そういう半分夢を見ているような状態にありながらも、それがあたかも瞑想をうまく体験しているかのように錯覚している人もおります。

その境地からさらに先に進み、完全に自分の思いの世界から解放され、完全に外に出るという意識に入って初めて本来の瞑想、あるいいは禅の境地へと入っていきます。この境地を何度も、何度も体験できるようになってくると、この境地に入るプロセスが非常にうまくなり、短時間ですぐにこの境地に至ることができるようになります。

そうすると、リチュアルマスターの方々が何らかのリチュアルを行なう際、この境地へと短時間でシフトできるようになり、そしてこのシフトした意識のままでリチュアルを行なうことができるようになってきます。この境地の意識でリチュアルを行なうと、本当にマスターやスピリットのパワーを直接肉体レベルで使うことができるようになります。

それがリチュアルマスターとしての特権であり、またそういった行為が許されている人々でもあります。したがって、リチュアルマスターの方々がこういう禅の境地、瞑想の境地を体得する、自分のものにするということはとても意味のあることであり、またそれはある意味では必要なことでもあります。

日常の練習の中で自分がどの程度この境地に至る思いを強く持っているか、それをよく考えていただきたいと思います。

瞑想をする場合のポイントについてアドバイスをしてみたいと思います。


Atsukoさんの意識レベルで見た時、あなたの意識の深い部分において、瞑想をそのままで具現化できる波動があります。つまり、日常生活のごく普通の活動の中で瞑想と同じような状態を表現できる場合があることを意味します。これは自分の日常生活において、感情や思いにそのまま流されることなく、どこかに底辺のレベルでそういったものに動じない自分なりの深い思いがあることを意味します。自分の日常生活において、必ずしも人の言うことや感情に左右されず、どこかでどっしりとして落ち着いて感じている自分、その部分はあなたの瞑想状態の意識レベルに直結している部分になります。したがって、あなたが瞑想しようと思う時、あえて瞑想しよう、瞑想しようとか、特別な境地に至ろうとするよりは、普段の活動している状態において自分の心の底に流れている、何者にも動ずることのない、感情や思いに流されることのない自分自身の思い、深いレベルの思いに意識を向け、その思いの中に入っていく思いを持つと、それがそのまま瞑想の意識レベルと繋がり、普段の意識のままでそのまま瞑想状態の意識に繋がることができるようになっていきます。これを普段の活動している状態のレベルで行なえるようになると、いわゆる、リチュアルをその意識レベルで行なうことにより、普段のリチュアルがそのまま深いレベルの瞑想のレベルに匹敵する波動と繋がったままでリチュアルを行なうことができるうになり、スピリットやマスターのエネルギーをそこを通して使うことができるようになります。したがって、自分のごく普通の活動している意識レベルをうまく使いながら、瞑想状態の意識レベルを体得していく、その練習をして自分の瞑想の状態を活性化するようにしてみてください。

Minoruさんの意識レベルを見た時、あなたの意識に瞑想にかなり馴染んでいる波動があります。あなたの意識の中に本当に瞑想が得意になりたい、瞑想でいろんなことを体験したいという思いがあり、その思いがあなたをいろいろ導いております。しかし、それがあまりに強すぎて期待になってしまうと、かえってそのエネルギーが正しく回転しない場合があります。したがって、瞑想でうまくなりたいという思いをあまり強く持ちすぎることなく、自然に良いレベルで瞑想状態を導く程度のパワーにしておく、まずそういう使い方をコントロールする必要があります。そしてあえて期待せず、あえて望むこともなく、ただ自分の心の中のスピリットの部分、現実に振り回されることなく、本質的な自分の意識の世界、ただそこと繋がる、ただその世界に移行していく、そういう思いだけを持って瞑想を進めるとその波動に自然にシフトしていく状態が得られるようになっていくでしょう。くれぐれも期待するとすべてがおかしくなるために、期待せずにそのまま意識をシフトしていく、それだけを純粋に感じて練習するようにしてみてください。

Jun-ichiさんの意識を見た時、あなたの意識にとても素直で、ストレートに反応する部分があります。したがって、その波動をうまく利用するとスピリットの意識レベルにも素直にストレートに繋がる流れがあります。ただその部分の波動がまだうまく自分でコントロールできず、うまく活性化され尽くしていない状態にあるために、必ずスピリットに繋がるとか、必ずその状態に移行できるという保証ができない状態になっています。したがって、もし本当に体調が良い時、心の流れがスムーズな時に、うまくスピリットの意識レベルに繋がることができるかもしれませんが、少しでも心が乱れたり、不安や恐れがあると繋がりにくくなってしまいます。自分の心の中に不安や恐れ、心配事があるとどうしてもスピリットには繋がりにくくなってしまいます。自分の思い、感じた直感やインスピレーション的なもの、それが本当にスピリットかそうでないかは、それを基準にして理解することができます。つまり自分が心に何らかの不安や恐れ、心配、わだかまりがある時には、それは必ずしも本来のスピリットから感じた思いとは限らないということを意味します。しかし自分がすべて肯定的で、どこにも不安や恐れはなく、楽な気持ちでいる時に何かを感じた、何かが確実に自分に語りかけている、そう感じた時にはそれは本当にスピリットの思いを感じている可能性があります。そういう練習を何度もやっていくと、不安や恐れを心に抱いているときはどういう風にスピリットの思いが変化してくるか、思いが自然で健全で健康な時にはどのようにしてスピリットの思いがストレートに自分に伝わってくるのか、その違いがはっきりと分かるようになってきます。そしてそれが分かってくると今度は逆に自分の受け取ったメッセージや思いが、それが本物なのか、それともまやかしなのか、それは瞬時に分かるようになってきます。その時の受け取り方、メッセージの内容からすぐに判断できるようになっていくでしょう。自分の思いを分析しながらスピリットからの思いを確実に判断していく、是非その練習を進めてみてください。

Namikoさんの意識を見た時、あなたが瞑想を行ない、瞑想を通じて何らかのワークをし、瞑想を通じて何らかの思いを受け取る、そういう練習をしている時、あなた自身には数多くの存在が関与し、いろんなメッセージや情報を与えております。しかしあなたの方でどの情報が誰から来たとか、誰の情報が今自分にどう影響してきたかとか、そういう細かいレベルで把握することはできません。もっと複雑なメカニズムで与えられているために、個別に詳しく理解することができない状態にあります。しかし、正しい瞑想を何度も行ない、その練習を進めていくと、関与している存在と自分が感ずる思いやメッセージとの関連が少しずつ分かるようになっていきます。つまり自分の感じたメッセージ、こういう風なメッセージはたぶんマスター誰々だろう、こういう風なことを言おうとしているのは天使誰々だ、こういうことをさせようとしているのはマスター、そういう風に個別に分かるようになっていきます。したがって、ただ漠然と瞑想をするというよりは自分がその瞑想や、スピリットとの繋がりでインスピレーションを受け取る、思いを受け取るという練習をしながら、それは誰から受けたメッセージなのか、誰からやってきた思いなのか、常にそれを感じ取ろうとする練習をしてみてください。それを進めていくと、マスターや天使によって一つの傾向が分かってくるために、じゃ、タロットの時には誰を呼べば良い、普通のヒーリング的には誰を呼べば良い、そういった関連がはっきり分かるようになっていきます。そうするとその時、その時で一番最適なマスターや天使を適宜使うことができるようになり、自分にとって一番効率の良いエネルギーの使い方をすることができるようになります。その区別だ大分ついてくると後はそれぞれに的確にアドバイス、あるいは命令をすることによって、確実に協力してもらえる、依頼することによって確実にやってもらえる、そういうスムーズな関係ができるようになっていきます。いろんな存在を使いこなしていく、それを目標にして瞑想の練習を進めるようにしてみてください。

Akikoさんの意識レベルを見た時、あなたの意識波動は、ある意味ではとても純粋でうまくスピリットに対応していながらも、特定の分野においては自分の思い、自分の感じを優先させる波動もあり、それらがその時、その時の気分によって姿を変えていく傾向があります。つまり、自分のその時々の気分によって本当のスピリットの波動を感じて、それを自分の体を通して表現するかと思えば、その時の気分によって自分の思い、自分の感じたことを一生懸命話している、そういう場合があるのです。したがって、あなたの言葉には本当にスピリットからの感覚的な思いを口に出している時があれば、あなた自身の思いを口に出している時があるのです。恐らくそれは自分で判断できる場合もあるでしょう。自分が何気なくどんどん知らずに口から出ていく、どんどん考えてもいないのに言葉となって流れていく、これはスピリットがあなたを使って話しているケースがあります。しかしあなたがどうしても言いたいこと、分かってもらいたいこと、理解してもらいたいことが頭にあり、それをどうしても表現する、それを分かってもらおう、そういう気持ちで話している時は自分自身の思いであるために、スピリットではなくあなた自身の波動だけでエネルギーが流れていきます。自分自身のエネルギーで話している場合、スピリットがあなたを使って話している場合、これをどう自分で見極め、使い分けていくか。一般にやはりスピリットからの波動をそのまま表現している時、周りにいる人はとても自然に受け入れ、そのまま自分の体の中にエネルギーを流すことになります。しかしあなたが分かってもらいたいこと、理解してもらいたいこととして話している時は、意外と他の人は聞いているようで聞いていなかったり、分かっているようで分かっていなかったりして、コミュニケーションがうまく進まない場合があります。したがって、何か話が合わなくなったと感じたり、どうも相手は聞いていないナと感じた時にはそれは自分の思いが相手が望んでいないこと、相手が必要としていないこと、そういう場面だという風に解釈し、それはただ自分のエネルギーを流すだけにしてしまい、言葉となって相手に流すのではなく、ただ自分の体から地球に流していく、ただ周りにそのまま流していく、そうやって自分の体からエネルギーを出していくことに理解をし、自分自身はスピリットの存在の表現をただ現わしていく、そこに徹するようにするとエネルギーの使い方がもっとうまくなるようになっていくでしょう。


皆さん方の瞑想という観点からお話しをしてみました。日本人の多くの人は、本来瞑想というワークにとても適した意識構造を持っております。三次元の現象に捕らわれず、奥の世界、裏の世界に入りやすい傾向があり、現象だけで判断したり、見かけだけで判断しないという傾向があるために、瞑想的な手法で、本質的なところに目を向け、こういったことにはとても適した意識構造を持っているのです。

しかし段々現実に捕らわれてしまったり、現実的な問題が多くなると、本質的な面で考えるのではなく、見かけや見た目で判断してしまう場合が多くなってきます。そしていつの間にかそれが日常的なこと、ごく普通なこととして意識が出来上がってしまうと、物事を本質的な面で考えることができなくなり、見かけや感じたままで判断してしまうケースが多くなってしまいます。

そしてその見かけやうわべだけで判断したことがまるで正しいことであるかのように、また勘違いしてしまい、見かけで言うことが本当の本心を言ってるかのように錯覚している人がおります。見かけやうわべで判断することはその人の本心を現わしているわけではありません。そこを勘違いしない心のあり方を身に付ける必要があります。

三次元的な現象に惑わされず、見かけやうわべに捕らわれない本質的なところから物事を見ていく、そのためには瞑想的な手法で本質的なものに繋がる意識をつくっておく、そのためにも普段から禅や瞑想の練習を是非進めていっていただきたいと願っております。それでは少し休憩を取ります。ありがとうございました。


A親子の意識の隔たり

私たちは観音の仲間としてお話をいたします。今、世代間の異なる人々における会話、及び、理解、お互いのうまく持っていくやり方についての話がなされております。皆さん方の話題においては、周りの人やあるいは友達、聞いた話で十分な人もいるかもしれません。

しかしこれが本当に我が子であったり、家族であったりしている人々にとっては深刻な問題であり、実際に相手のことを本当に理解しようと思ったり、自分を変えて相手に合わせようとしてもうまく中々現実が進まないケースもあり、そういう人々にとっては簡単に済ますことのできない重要な問題となって現実化しております、

確かに理論的に言えば、これまで育ててきた概念を覆し、親だからという思いや子供に対する気持ちを捨て去り、対等な人間としてお互いに自由意志を持った人間として接することが基本で、それから同じ出発点に立って理解をしようとする思い、相手を認めようとする思いで初めて話が進むことになります。

しかし人間は、感情を常に動かしており、いくら対等に見ようとしても長い間一つ屋根の家族の中で片方は親として、子供を育てるために必死になって働き、お金を稼ぎ、時間を削ってでも子供のために物事を用意し、学校に通わせるという苦労をしてきた、そういう思いを親が持っている限り、いくら対等にしようとしてもどうしても感情的には対等になれない場合があります。

また、子供は子供で、子供は親から都合の良い時だけ何か自分が利用されている感じになったり、自分はあまり愛されてなかったり、親から嫌われてしまったりしている思いを身に付けているケースが多く、親と対等に話をしようとしても、どうせまともに聞いてはくれないだろう、どうせ私のことなんか愛していない、そういう思いで対等に話せない場合があります。

したがって、理想論的には親子であろうとも、同じ目線で同じ立場で相手を理解し、相手のことを重んじて考えてあげる、そう思っていてもどうしても感情的なものが常に動き、本当に信用して良いのかどうか、本当に分かってくれているのかどうか、こういった思いが常に付きまとってきます。

今日本の家庭において、確かに親子のエネルギーがとてもいびつになっており、本来親子においてスムーズに良いエネルギーが子供へと伝わっていくはずなのが途切れてしまい、世代間で明確な分離が行なわれております。

今の日本において、世代の異なるもの同士をどのようにして繋ぎ合わせていくのか、どのようにしてエネルギーを残していくのか、とても重要なテーマになっております。一応言葉として言えるのは、皆さん方から既に話されているように、親はもう既にこれまで身に付けてきた権威とか威厳に頼るのではなく、心から子供と同じ目線で話をする、親子ではなく同じ人間として対等に話す、やはりこれが必要になってきます。

そしてしかもこれまで養ってきたのだからとか、面倒をみてきたのだからとか、そういう思いをすべて取り去ることが必要になります。また子供は子供で今まであまり愛されていなかった、あまり面倒を見てもらえなかった、やはりそういう思いを取ることが必要になります。

親として子供を育てるということはとても大変なことであり、やはり時間がかなり割かれてしまい、自分の自由な時間が拘束されてしまいます。それを子供から見るとどうしても自分に対してあまり良い思いを持っていないかのように感じ取られてしまいます。子供が大人になった時、それがよく分かってくるでしょう。

したがって、子供は子供で親に対しての過去の行動を許し、親と対等に話していく、親は親で何時までも子供に期待をしたり、コントロールする思いを取ってしまい、お互いに対等な立場として話をする、やはりそれが出発点になります。

子供も親もそれまでお互いを繋いでいた不愉快なエネルギー、不愉快な鎖のようなものはもう外し、自由に、お互いがごく普通の人間関係として過ごすことができるような、そういう場が早くできるように願っております。皆さん方がそういったところに意識を向け、問題を解決しようとする、何とかしてこの日本をうまく良い時代へと移行させようとする、そういう思いはとても重要であり、それに向けてまず自分たちから行動を変えていく、自分たちから親子の関係を変えていく、これが基礎になってきます。

まず自分から、自分たちから変わることによって自然に社会が変わっていく、常にそれを信じ、まず自分は自分にとって一番健全な生き方を進めていく、自分は世代の違う人と対等に付き合っていく、是非そこから物事を進めるようにしてみてください、それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2004 CentralSun
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