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2004/8/2■月曜交流会から

人間関係の必需品となっている仮面

@仮面と素顔

私たちは光のハイアラーキーの菩提薩垂のグループからお話をいたします。皆さんの話の中で仮面についての討論が行なわれておりました。この社会で生きていくために、自然と身に付けてしまった仮面、その仮面を真実の自分と思い込んで、仮面の姿で一生を終えてしまう、仮面が自分そのものであると思い込んでいるために、仮面を外すことができなくなり、場合によってはこの肉体を終えたその後の世界でさえも仮面をずっと身に付けている人々もおります。

まさしく仮面が自分そのものになり、自分そのものが仮面である、今の社会生活をうまく行なおうとすればするほど、多くの仮面が必要とされてきます。この仮面がつくられる理由は、本当の自分を現わすとうまく生きていけない、自分の真実の姿を現すことが正しくはない、そういう社会通念からつくられてきました。

本当のことを言えば罰せられてしまう、真実を語れば逮捕される、そういう時代があったために、いつの間にか人々の前で言う言葉と、自分の心の言葉が食い違うようになり、いつの間にか人々の前で使う言葉が心の言葉にもなるようになってしまいました。

この仮面をどうやって見つけたら良いのか、仮面を仮面と思わず、分からなくなっているために、仮面を取るという行為そのものの意味が分からなくなっております。この場においてもスピリチュアルな会合だからという思い込みでスピリチュアルな話題にとにかく持っていかせようとする人、自分がいかに心や魂が神や天使から見て十分な光なのか、認めてもらおうとしている人、周りの人々から少しでもまともな人間であると思われるように繕っている人、すべてが仮面の状態にあります。

では自分の本当の顔、本当の姿とは何であるのか。では単純に、何でこんな変な会合が行なわれているのだろう、この人の言っていることは本当なのか、それを次々と口に出すこと、これが素の状態、そうでしょうか。素の状態はすべてが光、神の光に繋がっている状態でなければなりません。

真実の神の光は決して相手を否定したり、相手のやる気をそいだり不愉快にさせることはありません。神の光はすべてがエンパワーであり、喜びを与え、勇気を与え、言葉の一つひとつにパワーが入っています。したがって、自分の思うこと、感ずることをすべて口に出し、行動に移したとしてもそこに神の光が入っていなければ、それは本当の自分、素の自分とは言えません。

それは一見自分の本当の自分のように思っているかもしれませんが、神には繋がっていない自分であり、つまりいつの間にか自分が別のものに操られている状態とも言えます。自分はどの程度神の光を具現化し、どの程度神ではない光を具現化しているのか、そう考えてみた時、結局仮面をつくって言動を取っていること事態が神の光を妨害し、神の光を現わさず、神ではない自分を演じている状態になります。

仮面を使うことによって一見うまくいく、人間関係を良いものにし、家族や会社がそれでスムーズにいく、そう思っている人もいるかもしれません。しかし仮面をつくることによってスムーズにいく、うまくいくということがどういうことでしょう。仮面を付けている段階で本当の神の光を現わしてはいません。

それでうまくいっているという価値観、思いは、神の思いではなく、ただ単に皆がうまくいくことが良いこと、お互いがルールに乗っ取り、波風立たず、全体的にうまく規則通りにまとまっていれば、それが良いこと、こういう状況を見出すために仮面をつけております。

しかし神は決して皆さん方をルールで拘束したり、規則通りに動かしたり、ましてや間違いを犯したからといって罪や罰則を与えるものではありません。仮面を付けてうまくいく、と勘違いしているだけであり、本当は皆さん方をコントロールし、皆さん方の心を支配し、完全に皆さん方自身を思い通りに動かそうとしている別のものの働きになります。

皆さん方にその別のものに魂を預けるために仮面を付けています。仮面を付けることにより自分の魂は別のものに預けてしまい、神の光を遮っているのです。そうしないと会社でうまくやっていけない、家族でうまく合わない、と皆さんを思い込ませ、不安にかられ、そして自分が皆から差別されたり、非難されたりしないように、仮面を付けてその通りに生きようとします。

文明国になればなるほどその仮面が激しくなり、ルールが増え、仮面の数も巨大化し、分厚くなってきます。まるで仮面をうまく変えることが要領良く、頭の良い文明人であるかのように勘違いしていきます。家庭にいる時の仮面、仕事する時の仮面、友達に会う時の仮面、恋人に会う時の仮面、趣味やクラブなどの仲間に会う時の仮面、それぞれ仮面を使い分け、要領良く使い分けることが、まるで頭が良く、皆の中で人生を満喫しているかのように思われてきます。

仮面をいちいち付け加えることに何の喜びがあるでしょうか。常に自分の本当の姿を隠し、つまり神の本当の光を一切表に出さず、挙句の果てには真実の自分の姿を表に出すことに恐怖を感じ、恐れを感じ、不安を感じ、まるでやってはいけないことのように思われてきます。

自分の神の姿を表に出すことがまるで罪悪であるかのよう、やってはいけないかのように思ってしまいます。だから皆さん方がいくら口では私は神だと宣言しても、その言葉に何のエネルギーも入っておりません。私は神だという仮面をかぶって話しているからです。すべての仮面を取って私は神だという言葉を言った人はほとんど誰一人いないでしょう。

皆、私は神だという仮面の元で、私は神だと叫んでいるに過ぎません。一人ひとりの心にいろんな葛藤があります。本当の姿で生きていきたい、そう思う反面、皆と仲良くしたい、家族で平和を維持したい、職場が安泰でずっと良い調子で続いて欲しい、誰もがそう思っております。

しかし、仮に会社をうまく常に安泰で、皆が満足するような状態に導くためには、多くの人が必要以上に働き、残業し、家族や友人を犠牲にして働いている人がいた上で経営が利益を重ね、そして良い状態へと導かれていきます。そして多くの富みを家庭にもたらしてこそ、家庭で豊かになり、物質が増え、いろんなところで遊んだりすることも多くなり、一見喜びの波動が広がっていきます。

いろんな所で出歩いたり、遊んでいけるようになると友達も増え、友人も広くなり、自分の交際範囲が広くなって一見豊かな人生を歩んでいるかのように思われてきます。したがって、一生懸命働くことによって一見家庭や人間関係がうまく進むかのように思われてきます。

さて本当にそうでしょうか。確かに数十年前はそういう幻想の元で多くの日本人が真面目に残業し、そのまま家庭に金銭を持ち帰り、家庭が金銭的に潤い、誰もがある程度富に満たされた生活をしておりました。その時育ってきた子供たち、今若者になっている子供たちの心の状態はどうでしょう。

人間として豊かで愛に満ち溢れた強い心を身に付けている人がどれだけいるでしょうか。富に満たされれば満たされるほど、わがままになり、自分の欲しいものをすぐ手に入れようとする、短絡的な思考になってしまいます。努力して手に入れるという感覚がまったく味わえなくなっています。

自分の欲しいものはある程度金銭で解決でき、お金を積めば手に入る、そういう感覚すらも出来上がっております。自分たちが毎日を喜びに満ちた段階でうまくやっていこう、そう思い、それを実現するために、仮面の元で一生懸命働き、素の自分を犠牲にしてでも家庭を豊かにしよう、皆と仲良くやっていこう、そう思って毎日を暮らしておりました。

結果的にすべての人が仮面を前提にした人間関係をつくり上げ、自分ですらも本当の自分が何であったのかはまったく分からない状態になっています。これを本来の素の心の状態の社会にもっていこうとするのであれば、どのような手順で行なっていくのか。

先ず一人ひとりが自分が仮面を付けていて、仮面を使い分け、仮面だけで生活しているということに先ず気づかねばなりません。今のほとんどの人が人間関係を行なう時点において必ず何らかの仮面を付けてしまいます。それは家族や親しい友人であってもそうです。

もう一つの家族となったパートナーでさえも実際には仮面の元でお互いが暮らしております。本当の自分を何故見せることができないのか、もし本当の自分のほんのわずかでもそれを相手に見せた時、どう反応するでしょう。こんな人だとは思わなかった、えー、こんなことするの、えー、これがあなた、本当の姿一つひとつに呆然とし、不安や疑念が湧いてきて、まるで自分の思っていた理想、期待とのずれに意識が向いてしまい、この人と一緒にやっていけるのだろうか、これからどうなるのだろうか、そういう不安が自分を襲ってしまうのです。

自分を守ろうとして相手の心から感じた不安、それが本当の相手の素の顔だったとしても、それを否定しようとします。あなたはそんなことをする人じゃないはず、それは本当のあなたではないはず、どうしてそんなこと言ってしまうの、こうやって本当の相手の顔を書き換えようとします。

したがって、そういうことを言われた時、あ、やはり言わなければ良かった、そう本人は思ってしまい、もう二度とその部分の素の顔を出すことはしなくなるでしょう。したがって、永遠にそこに自分の仮面をつくり上げていきます。

親しい人から言われた言葉はとても影響が大きく、社会的に見せている仮面とはかなり違う仮面になっていきます。社会的な仮面は一般の人々に合わせる時だけ仮面をつくり、それ以外はある程度なくても大丈夫という安心感があります。

家庭に戻ってきた時、パートナーといる時、いや皆の前ではああ言ったけど本当はこうなんだよ、家族やパートナーは誰もがある程度納得してくれます。しかし家族やパートナーから否定されてしまった場合、それは家族やパートナーに対してでさえももう二度と素の顔を表に出さなくなってしまいます。

したがって、その部分の仮面は恐らくずっと付けたままになるでしょう。皆さん方はお互いに仮面をかぶって接しております。しかしある程度ワークをしている人、ヒーリングや自分の心を見つめている人はその自分の仮面に気がついております。そしていつかは取る時期がくる、いつかこの仮面を取らなくなてはいけない、そう思っている人は実にタイミング良くいろんな出来事、サイクルの変化に応じて仮面を取らざるを得ない状況がやってきます。

しかしどうしても社会や世間体を気にする人、家族やパートナーの前で本当の自分をまだ見せたくない人は仮面にすがっていくでしょう。本当の自分を見せることが自分にとってメリットがあると感じられない人は恐らくそのまま仮面を使い続けることになるでしょう。

仮面を使っている方がむしろ世間的にうまくいき、常識と考えている範囲内の仮面で十分にやっていけるからです。社会の常識という仮面をかぶって生きている限りは、多くの人から良い人だと言われ、安心できる人だと、信頼できる人だと信用されていきます。

自分の真実の顔で生き始めていく人、ある意味では社会からはとてもやりにくい人間として見られていくことになります。必ずしも社会の常識や世間体に合わせた言動ではないために、その人の行動の基準が分からなくなっていくからです。

真実の自分を現わすということは、そういう社会の常識との戦いの連続になります。したがって、エネルギーをとても消費することになります。多くの人から非難されたり、常識的でないとか、一般的ではないという論理によって常に攻撃され続けます。それを合えて論理的に説明したり、分かってもらおうとしても当然分かってもらえるわけではありません。

単に自分がやりたくないだけ、単に自分の心の思いと違うだけ、単に世間体に合わせたり、常識を守ることは自分の真実の心を奴隷化し、社会の巨大なる化け物の中に自分を埋没させてしまうかのような感じを受けるからです。それにいかに対抗して自分は真実の光を保っていくのか、それだけのパワーを身に付け、戦い続けていく必要があります。

しかし、真実の顔は神の光であり、神のエネルギーです。神から直接来ているエネルギーを使っている限りはどんなことでも、そこで戦っていける強さを身に付けることができます。本来素直に本当に自分の素の状態であれば、どのような状況にあろうとも真実の神の光でやっていけるはずなのです。

しかしそれがうまくやっていけないという人は、どこかでまだ仮面にしがみつき、仮面がない自分を恐れ、仮面のかぶっていない自分に不安を感じているのです。そのために真実の神の顔を現わすことができなくなっているのです。自分の真実の顔をどこまでこれから表に出していくのか、自分はどうやって社会の中で仮面を使い分けていくのか、一人ひとりよく自分の心を見つめて判断してみてください。皆さん方の素、素の顔、本質というところについて話がありました。皆さん方の言葉でいうハイヤーセルフ、皆さん方の魂の核になるもの、これは皆さん方の意識からみた場合の中心になります。

しかしこれは皆さん方が神からつくられたエッセンスのほんのわずかなものであり、神から与えられた大いなるものの一部にしか過ぎません。でも大いなる神の特質をうまく端的に現わしております。自分は本質的にどういった能力を身に付けているのか、どのようなことをこの肉体で行なおうとしているのか、皆さん方それを求めて、毎日体験を重ね、自分の内面を見つめ、見つけ出そうとしております。


Akikoさんの本質の光を見た時、あなたはこの地球に関してとても熱い思いを持ってやってきています。この地球があなたの本質的な部分において、とても大きな意味を持っていることが分かっておりました。しかしあなたがこの地球の中で今のこの時代で体験を重ねるということは、あなたの本質の部分において、ある程度とても大きな不安や危険が伴っておりました。一般的な地球人の集合意識のレベルにおいて、あなたのスピリットをそのまま受け入れる適当な環境が中々見つからないために、あなた自身が自分の本質をそのままうまく現わせる魂を身に付けるのにとても時間がかかっておりました。あなたの魂にあなたの本質的なエッセンスを入れるために、かなり特殊な方法を使ってエネルギーをつくり上げてきました。その中のいくつかのエネルギーはあなた自身の直接的なエネルギーの獲得法だけではなく、それ以外の手法によって体験のエネルギーを獲得するという方法が試みられ、それによって魂のエネルギーをつくり上げてきました。それによってあなたは普通の人の感じないこと、普通の人の理解できないことをごく普通に行なったり、普通の人の想像できないことをいつも考えるという傾向が身に付いてきました。これはある意味では今の地球人の集合意識にある一つの刺激を与える効果をもたらしております。地球上でつくられた概念、思い込み、そういったものの殻を破壊させ、もっと柔軟にいろんな観点から考えられるような発想を与えていきました。したがって、これからの役割においてもあなたは他の人の一般的な概念の土壌で行動しても何の意味もありません。あなたは自分の感性や思いをそのまま表現していく、他の人の概念はそれはその人の概念としてただ受け流していき、自分は自分に合ったところで活動していく、常にそれだけ行なうようにしておくと良いでしょう。決して他の人は否定したり、何らかの価値観を与えることなく、そのまま受け入れながらも自分は自分の感性で生きていく、そうやって自分の本質にどんどん近づいてみてください。

Toshiyukiさんの本質的な光を見た時、あなたの光はあなたの意識の中でとても鮮明に輝きながらも、その方向性をいつも重要視しながら見つめております。この光の矛先をどこに向けるのか、自分が手にしている光をどのように扱っていくのか、その光の方向性にとても意味があり、あなたはその方向性をどのようにして理解し、使い、身に付けて降ろしていくのか、そこに意識が向けられております。自分が身に付けてきた光、今の人々が必要としている光、それをどう理解して、どういう人々にどのような光を降ろしていくのか、それを考える上であなた自身が光の方向性を常に重要視しています。これからの意識で何が重要なのか、今何が問題になっているのか、これからどの方向で何が求められていくのか、常にそういう意識があります。そしてそれを探ろうとしていろんな体験を重ね、その時、その時一番必要と思われるエネルギーを降ろしてきます。自分はそういう光の使い手であり、そういう光を使いこなせる能力を持っていること、その方向性を常に意識し、しかるべき方向へと降ろしていく、常にそういう観点で光を扱うようにしてみてください。

Hiroakiさんの本質的な光を見た時、あなたの大いなる光はこれからさらにいろんな変化を遂げ、あなた自身が自分でも想像できない光をまとうことになります。この光の変化によってあなた自身の意識がどう変化していくか、それはその都度、その都度変わる光をあなたがどの程度意識的に使いこなすか、その兼ね合いによって変化していきます。その都度、その都度、現れてくる新しい光を意識して、その光の特性をうまく使いこなしていくと、あなたはいろんなことをすべて意識的に操作できる能力を身に付けていくでしょう。いろんな状況においていろんな場において、光を意識的に使いこなしていく、それによって現実をつくる、つくり方がかなり特殊なつくり方に変わっていきます。何かを願う時、単純にこういう現実が欲しい、こうなれば良い、そういう思いではなく、そこにもたらすのに関連している光や人間たち、それに関りを持つ存在たち、そういったものをうまくコントロールし、使いこなすことによって結果的に現実が思う通りにつくられていきます。現実そのものを単にイメージして思うだけでは中々現実に現れません。現実をもたらすのに確実に繋がっている光、確実に繋がっている存在たち、人間たち、彼らを後ろからうまく操り、使いこなすことによって結果的に現実があなたの望んだ状況になっていくのです。当然それらは宇宙の法則の中で行なわれねばなりません。したがって、もし宇宙の法則と違うことをあなたが意図した時、それはそのままあなたに戻ってくるでしょう。はじめはそれの区別が分からないために、いろいろ自分に戻ってきた時混乱したり、不安を感ずるかもしれません。しかしそこで諦めることなく、いろいろチャレンジして、どういう風に光を使っていくのか、どういう風に自分の意図を他人のマインドの中に入れると他人が動くのか、そういう関係が見えてくるでしょう。そうするといろんな状況すべて自分の思いの中でつくることができる、それが理解できるようになっていきます。いろんな光を繊細に扱いながら一つひとつ、神の意志を実現すべく方向に向って現実化を試してみてください。

Namikoさんの本質的な光を見た時、あなたの光に今かなり新しい波動が芽生え、動き出し、そしてこの地球上で役割をなそうとしております。これまでのあなたにはなかった波動がいくつかあり、それが少しずつ表に出てきています。それがまだ分からないうちは今までと同じ生活で過ごすことができますが、少しずつ表に出てくるとこれまでのやり方では通用しない状況が訪れてきます。一日の流れ、物事に対する考え方、そういったところにおいて今まで思っていたこと、今までやってきたことが当てはまらなくなり、自分で考え方を根本的に変えないと、意識的に変えないとうまくいかないという状況に陥ってきます。その時にただ単純に今までと考え方を変える、単純にやり方を変えてみるという発想ではなく、そこの新しいエネルギーをいかに自分が理解し、接し、新しいエネルギーを使いこなしていくか、これまでの発想で考えるのではなく、まったく新しい発想で考えていく、その新しいエネルギーを実際に使いこなしていく、そういう意識が必要になります。したがって、仮に何か問題が起きた時、今までだったら、ただそれをうまいところへ持っていく、早く解決して新しい展開にしよう、もしそういう発想であったとしても、今後は問題と見えている部分のエネルギーが何であるのか、それが今までの価値観で問題という風に理解しているだけであり、本当は今の自分たちの生活において必要なエネルギーかもしれない、そこから何か学ぶべきものがあるかもしれない、じゃそれをどうやってうまく良い形で現実に現わしていくのだろう、もしそれが良い方向で現実に出てきた時、それは私たちにどういう影響を見せてくれるのだろう、こういった発想の仕方を次々と行い、新しいエネルギーを取り入れていくことになります。これまでとは違う観点でそういったエネルギーと接するようにしてみてください。

Atsukoさんの本質的な光を見た時、あなたの光はあなた自身の心の中にしっかりと根付いており、定着し、またあなたの中で大きく、大きく育っております。あなたの中にあるこの光は、あなたには意識的に理解できないかもしれません。それは人間の意識からかなり離れた領域にあるエネルギーのために人間の意識では捕らえにくい特徴を持っています。皆さん方がよく口にする、安定しているとか、落ち着いている、光っている、明るい、そういったどの表現を使っても適当なエネルギーにはなりません。あなたの本質的な光はそういう種類のエネルギーではなく、先ずただ存在していること、その存在そのものに大きな意味があります。存在という言葉そのものがむしろふさわしい名前かもしれません。存在させるために宇宙がどういう仕組みをつくってきたのか、そもそも何をもって存在しているという錯覚を手にしたのか、多くの人に存在しているという錯覚を与えるために、どういう仕組みをつくったのか、そういったことを考えていくと段々意味が分かってくるものと思われます。存在している、と思い込ませている本質的な波動、そこに意識を向け、感じ取るようにしてみてください。

Akikoさんの本質的な光を見た時、あなたのハートの中に今あなた自身の素直な波動に繋がっている光があり、これが唯一あなたの本質的な光とあなたとの接点になっております。したがって、あなたから感じているあなたの本質はこの波動になります。この波動はあなたの心の中で一見あなたを成長させ、大きくさせる、そしていつかは喜びをもたらし、存在感を感じさせる波動として感じられております。これはあなた自身がまず生きるために最低限必要な波動の状態であり、これをきっかけにしてより深いレベルであなたの本質的な波動に近づいていく必要があります。この波動を体験している中で、自分は本当に何者であるのか、どこから来てどこに向うのか、そこにもっともっと興味を持つように仕組まれていきます。そして自分が今何をすべきなのか、ここで何をしたいのか、そこにつきあたり、何度も、何度も考え、自分の深いところに繋がっていった時、あなたの本質的な波動が表に現れていきます。そしてそれは今まで見たこともない光をあなたに与えていきます。いずれあなたに姿を見せようとしている光は、この地球においてまだ誰も身に付けたことのない光であり、またこれからの新しい人々において是非とも身に付けなければやっていけない光であり、また、これまでの人間と新しい人間の間を取り持つ光でもあります。したがって、あなたが早くこの光に目覚め、これを表に出すことが急がれております。あなた自身がその光に目覚め、具現化し、どんどんあなたの体を通じて表へ出していった時、今悩んでいる若い人々の心を救い、今苦しんでいるこれまでの古い人々の心をも癒し、そして地球の人間関係に変化をもたらしていくでしょう。あなたがどこから来てどこに向うのか、是非そこに早く意識を向け、自分の本質的な波動と繋がるようにしていってください。

Minoruさんの本質的な光を見た時、あなたのハートの中にあなた自身がまだ自分でも見つけていない光があり、それはまだマスクを付けている自分と本当にマスクを取ってしまっている自分の両方があります。マスクをまだ付けている自分の姿が中にあり、それは自分一人の場合でさえもマスクを付けた状態で現れてきています。そのために人間関係だけではなく、自分一人で自分を見ている場合ですらも自分のマスクを見ており、自分で自分の本当の自分が分からなくなっている状態であります。したがって、マスクを付けていないあなたの本質的な自分、これを実際には表に出そうとしてもまだそこと繋がっていない状態と言えます。一見これが本当の自分だ、これが自分だと思っている自分が既にマスクを付けている自分であり、本当の自分ではありません。本当の自分とは何であるのか、いろいろ自分の頭にある概念や言葉を使って説明している以上はすべてマスクの自分になっていきます。つくられた自分であり、そうありたいと思う自分であり、そう見て欲しいという自分でもあります。それは本当の自分にはなっていません。本当の自分をどのようにして表に出していくのか、他人の本当の姿を見ようとするところから始まります。他人を見る時、初めから本質ではなく、マスクを付けた他人をある程度理解しておく、それで当然と思い、そしてそれがその人であるという錯覚にもなってきます。確かに人々はマスクを使って接していますが、その中でもマスクの目から感じる相手の本当のエネルギー、マスクの口から出てくる言葉で相手の本当のエネルギーを感じ、相手の動きから出てくるエネルギーで本当の相手を感ずる、このマスクの隙間から出てくエネルギーで相手の本質を感ずる、こういう努力をする必要があります。この相手の隙間のエネルギーを感ずることなく、マスクだけで相手と思って見ていると、いつまで経っても相手の本質を見ることができなくなってしまいます。それは自分の本質をも見えなくさせてしまうのです。自分の本質を見たければ相手の本質を知ろうとすること、相手の本質を見ようとすること、そのためにはマスクの隙間を見ようとすること、そこから始まっていきます。是非とも真実の自分とむき合い、少しでも早く自分の本質を表に出せるように練習を進めてみてください。


今日はマスクをテーマにしてお話しをしてみました。どのように表現しようとも真実の心をお互いに見るというのはやはり難しいところがあるでしょう。真実かそうでないかにこだわると余計に人間関係がおかしくなる場合もあります。したがって、お互いマスクを使い、仮面舞踏会をやっているようなものだと思ったとしてもいちいちそれを否定的にとったり、その人が本当ではないといって非難したりする必要もありません。

仮面は仮面でお互いにうまく使い合いながらも、その隙間から相手の真実を理解していく、自分の真実を隙間から出していく、そういうやり方で少しでも仮面生活が楽しく、有意義な光で満たされるように意識を持ってみてください。それでは少し休憩を取ります。ありがとうございました。


A他人の素の状態を観る

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。皆さん方がスピリチュアルな学びを重ね、自分を見つけ、またさらなる自分の流れにおいてこの地球上で良い経験を身に付けようとして学びを重ねております。今この日本において、一人ひとりのエネルギーと地球全体、そのエネルギーの流れを見た時、地球全体のエネルギーの方向性と、日本におけるエネルギーの方向性に少し食い違いがあり、そのために日本にとっても地球にとってもお互いにうまく流れが進まないという状況がつくられております。

本来、日本人が本来の日本のエネルギーを発揮し、それこそ素のエネルギーで本当の日本人の持つエネルギーをそのまま世界に流していくと、世界全体がとても良い方向へと進み、それこそこの地球がとても良い豊かな星へと進むことになります。

しかし日本の人々がほとんどの人が世間体や常識、これまでのやり方、習慣などの概念に埋もれてしまい、その重圧さゆえに自分を見失い、個性がまったく発揮できない状態になっています。そのために一人ひとりが持って来た素晴らしいエネルギーがほとんど表に出されることなく、つぶされてしまい、単なる常識の中で生きていく状態だけがつくられております。

これは日本人にとっても世界にとっても良い状態ではありません。今後の地球や日本を考えた時、先ず皆さん方自身が本来の自分の光を表に出していく、そのためにも先ず自分自身の仮面に自らが気がつき、仮面がなくても素のままで過ごせる空間をつくり上げ、それを広げていく、自分の素の世界を少しずつ、少しずつ拡大させ、なるべく多くの人と素の状態で接することができるようにしていく、そうすると本来の自分の光が先ずお互いに素の状態のもの同士に流れ、お互いがとても素晴らしい光を発揮することになります。

そしていずれはこの素の状態である人はお互いに素の状態で接することに喜びを感じ、お互いに神を確実に感ずることになります。ライトワーカーと呼ばれてる人々は先ずこの素の状態で一つの神の領域をつくっていく、本当の神の光と一体化した状態をつくり上げていく、それを感ずることにより、ライトワーカーとしての素晴らしさ、楽しさ、そしてその重要さが感じられてくるものと思われます。

多くの人はライトワーカーという仮面をかぶってライトワークをしているのです。それは真実のライトワークではありません。真実のライトワークは仮面のない状態を言います。したがって、いわゆるスピリチュアルな世界においてもその概念や言葉、スピリチュアルな常識に惑わされず、自分の本当の光でワークをしていく、常にその本質に戻るように意識を向けていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2004 CentralSun
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