私たちが一番興味を持ったのは、ここに参加している人の心の波動がまったく違っているということです。一見話題が一つの話題を話しているかのように思われておりましたが、それらの話題に取り組む姿勢が一人ひとりまったく異なっておりました。
真剣に論じているものがいれば、まったく興味がなかったもの、ただ話を合わしている人がいれば、もっと深く考えようとてしているもの、心がまったく一つになっておらず、ただ言葉だけで話題が進んでおりました。これが今の皆さん方の話している社会そのものになります。
いろんな国がいて、文明や文化の違う国がいる、貧しい国、富める国、いろんな国々の状態があり、一見お互いに話し合い、交流をし、貿易を行ない、対等の立場のように思われながらも、それに接する心がまったく別々なのです。日本と北朝鮮で貿易を行なう場合でも、そこから何を取引するのか思惑はまったく違っております。
アジアとヨーロッパ、北欧とアジア、それぞれ取引を行なう時、そり取り組の姿勢はまったく違っているのです。それとまったく同じことが先ほどの話題で皆さん方が演じておりました。そこに問題意識を見つけることができない以上、この地球の今の状態を変えることはできないでしょう。
自分たちがそれを演じているということ、今の社会の構造を自分たちがつくり上げているということ、それに気づくことすらもできないのです。そしてそれぞれ自分は正しい発言をしている、自分は一番良いことをしている、自分は悪いことはしていない、その意識だけが自分の周りを囲っております。でも全体は一つにはなっておりません。全体で心やすらかな波動も出ておりません。ただ自分だけが自分の世界で満足しているのです。今の世界の国々とまったく同じ状態です。
今の世界の国々をどうかしようとか、文明を高めようだの、教育を広げようだの言う前に、まず心が繋がらなければまったく違う思惑だけが広がることになります。思惑が違えば当然勘違いが広がり、誤解が生じ、争いが生じ、またいずれは戦争になっていくでしょう。
相手を理解しようとする心がない、相手と一つになろうという気持ちがない、誤解が生じる、心が別々になる、心が分断していく、争う、これの繰り返しです。皆さん方の話す言葉一つひとつがこの世界をつくっているということ、自分の心の波動が一瞬、一瞬世界をつくり上げているということ、そこに真剣に意識を向ける必要があります。
アジアの国々をつくっているのは確かにアジアに住んでいる人々ですが、だからといって日本の人々が無関心で良いとか、直接関らなくて良いという問題ではありません。やはり自分の頭の中にアジアの人という意識がある以上、自分も何らかのエネルギーを影響を与えることができるのです。
自分の頭の中にアジアの人々が貧しいとか、文明が低いという意識がある以上、貧しい状況から改善させる、文明を低い所から高い所へと移行させていく、そういう責任が同時に生まれてきます。したがって、それに対して何も行動していない自分はその段階で自分は本来のライトワークをしていないのと同じことを意味していきます。
自分の頭にいる意識をよく理解してみる必要があるでしょう。そして改めて自分たちは今の何のために集まっているのか、自分たちは何を勉強しようとしているのか、自分たちはこの地球とどういう関りを持とうとしているのか、もう一度よく調べてみる必要があるでしょう。
今までのいろんな文明が荒廃して、争い、戦争を生み、地球が分断してきた原因はほとんどがこういったことに関係しております。自分たちの利益だけを考えて、他の国、他の文明についてはまったく何も考えることなく、むしろ利用しようとする、自分たちの都合の良いようにコントロールしようとする、いつも最後はそれで破壊がつくられていきます。
今の地球の状況もそれぞれが取引において、自分の利益だけを考え、お互いがうまくいく、双方の観点から見た取引が中々うまく行なわれておりません。それは取引を考える場合、金銭的なもの、物質的なものだけで考え、それに取り組む心を考えたり、人間の気持ちを考える観点がないからです。
心の満足さ、心の豊かさを考えるのではなく、単に物質的なやり取りだけを考えているために、心自身は何も満たされず、さらにもっと得になること相手を利用すること、それだけを考えていきます。直接そういう他の国々とのかかわりがない、そういう人もいるかもしれません。
でも実際には友人や家族、或いは知り合いとの間で何らかの取引をする、売ってあげたり、買ってあげたり、何かしてもらう、何かしてあげる、これはそれぞれすべて取引であり、その時々の心の動きがすべて影響していきます。
友人との人間関係において、絶対損はしたくない、得することしかしない、おごってもらったり、プレゼントしてもらったり、それしか考えない、これはまだ成熟していないアジアの国々からただ搾取しようとしているエネルギーとほとんど同じです。自分だけ得すれば良い、自分が利益を得ていれば良い、それと同じ心境なのです。
日常の友人関係での取引がそのままただ国と国との間で行なわれているに過ぎません。したがって、自分が友人、家族とのやり取りの中で公平と思われない取引をしているのであれば、それはそのまま国と国との取引に現れてくるでしょう。
自分のそのエネルギーがある以上は、国と国との取引においても基本的にはその国民と国民の集合意識のエネルギーで取引が行なわれていくからです。一見自分には何も関係していない、他の文明の国々について影響を与えていない、そう思うかもしれませんが、実際には自分と家族、友人関係との仲がすべての始まりであるということ、それが段々拡大し、大きな国のレベルになっていくということ、そういう繋がりをよく理解する必要があります。
また先ほどの話で最近の子供たち、皆さん方とは大分意識や思考の回路が違う子供たちの話題も出ておりました。こういう新しい子供たちについてはこれまでにも何度か話してきましたが、どのように考えようとも所詮は皆さん方の頭の中で理解できる人間ではありません。
思考のすべてが皆さん方とは違っているために、皆さん方の思考の回路で理解できる存在ではないからです。しかしだからといって放棄したり、無視したり、縁を切るということはできません。むしろそういう思考回路の違う人間たちとどのように接していくのか、どこまでが自分と同じ土俵でコミュニケーションできるのだろうか。
やはりそれに取り組む必要はあります。何故ならばどのような人間であろうと今1つの時代をつくり、共存、共栄をしている以上はお互いに協力し合う必要があるからです。彼らと皆さん方がどのように共存し合えるのだろうか。
いわゆる一般に言う第五根人種の人々は論理的に考え、感情を使いながら良いこと、正しいこと、社会にとって有益となることを目指して行動に移していくでしょう。それが本当に必要と思えるのであれば少々の我慢、少々の忍耐はある程度許すことができ、今は苦労しても後で報われること、後で全体の平和のために今頑張らなければならないこと、そういったことを理解して行動することができます。
しかし最近の新しい子供たちはそういう発想はまったく持っておりません。まったく根本的にそういう考えすら沸いてこないために、皆さん方と接点はほとんどないでしょう。しかし彼らは何も考えていない訳ではなく、彼らなりに十分に根拠のある論理回路をつくっております。
自分がやりたくないこと、自分が気に入らないこと、自分がしたくないことを無理にする必要はありません。やりたくない、つまらない、苦しい、そういう思いがある以上は何をやってもうまくいかないからです。第五根人種の人はそれを我慢してやっていました。我慢してもいつかは平和が訪れる、そう信じていたからです。しかし残念ながらそれはまったくの妄想なのです。我慢してやったエネルギーは平和をつくりません。
辛さ、我慢してやったという意識があり、それは健全なエネルギーを出しておらず、辛い、我慢する、辛抱するというエネルギーでつくられたものは、そういったエネルギーを製品の中に入れて消費者に流すことになります。
結局、消費者はそれを手にした途端に我慢して、辛いのを克服するという、そういうエネルギーを受け取るだけであり、それは真の平和をつくり上げてはいきません。我慢する、辛抱する、ただそういうエネルギーを広げる役割をしているだけなのです。そして同じように我慢すれば平和がやってくる、そういう妄想をただ広げていきます。
第五根人種の人々はそれでも何とか平和を勝ち取ったかのように思っているかもしまれん。でも実際に今改めて考えてみて、本当に辛抱したり、我慢してやったことが真の平和をつくり上げたでしょうか。ほとんどの場合は我慢して達成したという満足感だけを心に満たしていきます。
単に満足感だけであり、恒久的な平和のエネルギーをつくり上げたわけではありません。我慢や忍耐によってその後何十年も平和が続いたという現象はどこにもありません。ただ心の中ではおれがつくり上げた、おれが成し遂げた、私がやった、そういう満足感だけが何十年も続いていきます。
確かに心の中にそういう満足感がある以上、自分は平和にはなっているでしょう。でもそれは真の平和とはかなり違います。自己満足の平和です。私がやった、私が成し遂げた、これは真の平和ではありません。そう考えると今の新しい子供たち、やりたくないことはしない、我慢してする必要はない、忍耐をしたくない、これはこれで十分に理の叶った論理になっているのです。
辛い、我慢するというエネルギーを入れる必要はなく、他の人に振りまこうという気持ちもありません。そういうエネルギーを入れる状態があるのであれば初めから何も入れないでおく、こちらの方がまだましな考えなのです。ただ結果として、ではやりたくないこと、したくないこと、それを一切することなしに、ただやりたいことだけをやっていて本当に平和になるかどうか。
ほとんどの場合、やりたいことだけをやっていく、そういうと、ただ自分が楽して、ただ誰かにすべてやってもらい、金銭をいっぱい貯めて、その金銭で楽しいことをいっぱいやっていく、こういう発想になっていきます。言うまでもなく、これは利己的な考えであり、刹那的な考えであり、社会や自分の心の真の平和をもたらす考えではありません。その場、その場の自分の一時的な快楽を満たしているに過ぎないのです。
したがって、この考えも本当の平和を実現することはないでしょう。では第五根人種の持ってきた我慢して辛抱して、そして社会のために貢献するというエネルギー、これは真の平和をつくることなく、今の新しい子供たちのただ好きなことをやっていく、このエネルギーも真の平和を生み出さない、ではどのようにして真の平和をつくり出していくのか。
第五根人種の中には、苦労や辛いことを苦労したとか、辛いことをしたとかいう意識もなしに、ただ人のために、一生懸命身を削って奉仕をした人がおります。マザーテレサがその例かもしれません。本当に人のために尽くすこと、そこにだけを生き甲斐を感じておりました。
自分が苦労と思わず、辛いとも思わず、もっともっと何かしてあげたい、もっと困っている人々が幸せになるようにしてあげたい、この世界から不幸な人、貧しい子供たちがいなくなるように少しでも協力してあげたい、心の底からそれを信じて一生懸命行動していく、これは辛いとか、苦しいとかいう波動がないために、先ほどのような問題は起こらず、本当に奉仕をする、光を広げるという役割を十分に成していくでしょう。
同じように今の新しい子供達の中にも、自分の好きなこと、したいことが実際には本当に人に役に立つこと、中にはおじいちゃんやおばあちゃんを介護するために、毎日を一生懸命頑張っている人、社会の奉仕のために普通の人がやらないことを率先してやる人、やはりそういう人々もおります。
そして当然辛いとか、苦しいとかいう波動ではなく、心から率先してやっている子供たちです。やはりこういう子供たちも社会を混乱に導くことはないでしょう。こういう人々をどのようにしてつくり上げ、増やし、広げていくのか、これはただ教えたり、訓練で身に付くものではありません。
本当に人を愛すること、人に奉仕すること、ましてやみ知らぬ人のために、身を犠牲にすること、これは頭で理解するべきものではなく、教えられて身に付くものでもないのです。本当にその人が人間を好きになっていて、自分が働くこと、動くことに喜びを持っていなければそういった行動はできません。
人間が本当に好きであること、人間が好きである人は人間と話をし、心の通い合いを皆楽しみにしております。いろんな考え、いろんな心があることを喜びとし、この人はどういう考えをしているのだろう、この人はどういう心を持っているのだろう、そういったことに興味を持ち、もっともっといろいろ知ろうとします。
だからいろんな人と話し合っても苦痛とは感ずることなく、またそういう人々のために時間を費やしても否定的なエネルギーを持つことはありません。第五根人種の人でも新しい子供たちの人でもこういう心を持った人たちは皆率先して人のために、活動をしております。
今のライトワーカーという範囲の中でいわゆる奉仕の活動をしている人がたくさんおります。ヒーリング、癒し、整体、いろんな分野でライトワーカーとしての活動を広げている人がおります。こういう人々の中で本当に人間が好きで、人間のいろんな心が大好き、いろんな人と交流するのを喜びとして、そして光を振りまいている人がどの位いるでしょうか。
せっかくいろんなセッションを行なっても、後でクライアントの評価を他の人と話してみたり、いろんなうわさに自分もはまってしまって、振り回されてしまったり、つい悪口を言ってしまったり、これは表向きのライトワーカーとはまったく違う言動になります。
本当のライトワーカーとしてエネルギーをつくり上げるためには、心から人と接することに先ず喜びを感じ、自分が人のために動くことに犠牲をいとわず、楽しく喜びを持って演ずる必要があります。しかし、そこまで厳密に言ってしまうと、ライトワーカーという人々がほとんど単なる、いわゆるスピリチュアル的なことに興味を持っている人々、単なるニューエイジ的な現象やアセンションに振り回されて、ただワークを次から次へと受けている人、こういう人々の集まりになってしまいます。
ライトワーカーではなく、単に興味を持っていろいろ試している人、こういう興味だけの人は実際の心はライトワーカーにはほど遠いものがあります。ただそういう段階を通していろんな学びをし、そこでいろんな人々と出会い、本当に人に奉仕することに生き甲斐を感じ、喜びを感じ、心から身を犠牲にして働いている人々に触れる場合があります。
自分には到底できない辛いことを平気でやっている人、老人のため、体の不自由な人のため、貧しい人のために、ほとんど金銭をもらわなくても一生懸命時間を費やしている人、本当にたくさんおります。そういう人々に本当に触れた時、自分は何をやってきたのか、単なる知識獲得のためだけにいろんな所にいってエネルギーを受けてきたり、ただいろんな人と出会って学びをしてきたけども、本当の人のための心を身に付けたかどうか。
ライトワークをすることはやさしいですが、ライトワーカーとして行動するのはやはり心がかなり重要なポイントを握ってきます。ましてやライトワーカーとして完全に演じている人、まだまだ多いとは言えません。しかし、こういう人々はすぐに増えてきたり、トレーニングだけで増えるわけではなく、本当に人間が好きであるという気持ち、いろんな心の持ち主と接することの喜びを感じている人、こういう人が真のライトワーカーとして活躍していくのです。
単に興味を持っていろんなワークをしている人は人間を喜びとしているのではなく、知識やツールをただ喜びとしているのです。それに気づかないうちは中々真のライトワーカーにはなりません。皆さん方がライトワーカーとして活動する、人々に光を広げていく、それはそれでとても素晴らしいことでしょう。
また私たちも皆さん方のおかげで日本に光が広がり、日本全体に新たなる波動がどんどん広がっているのを感じております。しかしその一方でライトワーカーと呼ばれている人々が家庭の中で孤立したり、友人との仲がうまくいかなくなったり、ましてやまだ分かっていない人々を下に見たり、まるで遅れている人間であるかのように見下ろしてしまう、こういう言動を取っている人々も意外と多いことを見て、私たちはとても悲しい思いをする場合があります。
彼らは表向きはライトワーカーですが、実際にはとても冷たい光を広げております。まだ何も知らない人、スピリチュアルなことに興味のない人、しかしだからといって彼らは劣っているわけではなく、皆さん方よりも下であるということは一切ありません。むしろ人間関係を楽しんで喜びを持って生きている人がいたのであれば、皆さん方よりもずっとあたたかい心を持っている場合があります。
何がライトワーカーなのか、ライトワーカーって何なのか、もう一度根本から考えてみる必要があるでしょう。さらにライトワーカーとしてのアドバイスをしてみます。
Motokoさんの心の波動を見た時、あなたは人間関係において一種の恐れや不安、心配が多すぎるために、折角奉仕したい、光を流したいという気持ちがあっても不安や恐れで光が制限されてしまい、折角の身に付けた光が届かなくなってしまう場合があるのです。これは私たちから見てとてももったいない、残念な状態をつくる場合があります。むしろ何も考えず、あるいは親しい人との仲、自分が心を許せる人との間においてはとても素晴らしい純粋な光が流れていきます。それを本当に忠実で素直で純粋な光が流れ、真面目にやっている状況をはっきりと映し出していきます。しかし、少し自分がいわゆるとっつきにくい人、やりにくい人が相手の時に、もう途端にその純粋な光が不安の色で染まってしまい、相手に逆に不安を与えてしまう状態になっていきます。ライトワークを行なう、何か光を与える役割をする、そういった時には自分が何かをするというのではなく、あなたを使って他のマスターや光の存在たちが光を流しているということ、あなたの光は単なるツールに過ぎず、あなたが行なうわけではないこと、それを本当に理解する必要があります。あなたは良い体、良いツールとして徹することだけを考え、そのためには不安や恐れを一切抱かないこと、相手に対してただ素直に感じた光やエネルギーを純粋に伝えるようにする、ただそれだけに徹する必要があります。そうすればどのような人に対してもとても素晴らしい純粋な光が流れるようになるでしょう。自分の持っている純粋な光を本当に信じて、それを十分に流せるようにトレーニングを進めていってください。
Megumiさんの光を見た時、あなたもやはり同じように心に素晴らしい暖かい光があります。この光は何とかして相手によくなって欲しい、相手が明るくなって欲しいという思いが入っております。ただやはり不安がそこに入ってしまい、相手が本当にこれで喜んでくれるのかどうか、相手が分かってくれるのかどうか、それを思ってしまう気持ちがあります。自分としては光が相手に確実に流れている、届いている、それは信じております。自分の光が相手にちゃんと届いている、そこまではしっかりと理解し、信じていながら、その後さらに相手がそれで満足したかどうか、喜んでくれたかどうか、それをつい考えてしまいます。これは真の愛に結びつきにくい波動になってしまいます。相手が満足したから成功、相手が何も感じていないと失敗、先ずこういう意識を完全に取ってしまう必要があります。相手がどう感じようとも、相手がどのように評価しようともただあなたは光を確実に相手に届ける、相手が必要な光だけをただ流していく、それに徹することです。相手の評価や結果、そういったことにはまったく意識しない、そうやって自分の心を強くしていく必要があります。相手からどのような評価、どのような言葉があろうともそれに惑わされる必要はありません。自分はただ純粋な光を流した、それだけを考えておいてください。
Norikoさんの光を見た時、あなたの光はとても鋭く、強い光となって相手に流れていきます。これはあなたの意識が繊細になり、あなたの分類できる波動が精妙になればなるほど正確に相手の必要な所に相手の必要な波動だけが流れるように極めて精巧な光の流れをつくり出していきます。あなたはトレーニングすればそういう繊細な光を使いこなせるライトワーカーになっていくでしょう。したがって、あなたの方向性としては、ただ大雑把に光が流れるとか、ただ大雑把に何かしておけば大丈夫という意識ではなく、なるべく正確に相手の光や状態を先ず知ろうとして、そして相手の必要な所はどこであるのか、痛んでいるところはどこなのか、求めているものは何であるのか、それを敏感に感じようとすること、そして感じたらそこに適切な波動が何であるのか、自分のどの波動をどのように正確に相手に入れていけば良いのか、なるべくそういう意識を持ってみる必要があります。まだまだトレーニングが必要かもしれませんが、あなたはそれを行える能力を確実に持っており、またそれだけに多くの種類の波動を使いこなすことができます。したがって、少々、時間が掛かってもなるべくそういう意識を身に付け、洗練されたライトワークをできるように高めていってください。
Jun-ichi.Mさんの光を見た時、あなたにとってのライトワーカー、ライトワークというのが何であったのか、自分としてどういうライトワーカーを目指していたのか、やはりまずこれが出発点になります。自分は何をやろうとしているのか、自分は何を得意としているのか、何故ならば、先ほど話した先ず人間が好きでいろんな心を理解したい、接してみたい、そういう気持ちがまだ完全に自分のものになっていないために、どうしてもツール的な発想とか、光の発想からライトワークを考えてしまいます。しかし真のライトワーカーはあくまでも今目の前にいる人に自分はどういう奉仕ができるのか、目の前の人が楽になる時、自分はどういうことができるのか、これを考えるのがライトワーカーなのです。ライトワーカーとしての道を歩み始めると常に今自分の目の前にいる人が自分の奉仕する人なのです。自分の目の前にいる人、自分の隣にいる人、それが今自分が奉仕すべき人です。その人に今自分は何が行なえるのか、その人が楽になり、光に満たされるために自分はどうするのか、そういう観点で考えていきます。場合によってはツールを使わずともただ優しい言葉をかけてみたり、ただ手を握ってみたり、ただ話を聞いてあげたり、それだけでその人が満足する場合もあるのです。今目の前の人が何を求めているのか、何を欲しているのか、先ずそういったところに意識を向けて少しでもその人が心が開放され、楽になる方法を見つけるようにしてみてください。
Yuichiroさんの光を見た時、あなたの意識の中にとても洗練された波動があります。これまでの自分なりの体験において、自分がつくり上げた一つのエネルギーがあり、その信念に基づいてあなたはいわゆるライトワーカー的なこと、奉仕のエネルギーを使っております。自分は今までの信念の中で自分の中において奉仕すること、光のため、この他の人々のためのライトワーク的なやり方を身に付けてきました。これからの流れにおいても、そのまま使ってもある意味では問題なく流れをつくることができるかもしれません。今まで通り自分が身に付けたやり方を採用してもそれほど大きな問題はないかもしれません。しかしあなたがいろんな学びをこれから積み重ね、新たなるツールを手にし、新たなる意識の世界で体験を重ねていった時、これまで身に付けてきた考え方や、行動の仕方ではどうしても限界ができてしまう場合があります。今手にしているツール、これから手にするツールはあなたの予想以上にツールの使い方が洗練されており、大きな光を持ち、強いパワーを持っているからです。それはこれまでの意識をはるかに凌駕するとても大きなツールなのです。したがって、今手にしているもの、これから手にするツールをうまく使いこなすためには、先ず意識そのものをこれまでとはかなり違いレベルまでシフトさせる必要があります。そのためには今自分自身が使える光が何であるのか、他の人に流す光が何であるのか、それを今までの意識よりもさらに大きなレベルまで発展させる必要があります。というのも、今、あるいはこれからトレーニングする中において、あなたが使いこなす光はさらに洗練され、とても大きなパワーを持ったものにシフトしていくからです。したがって、これから手にする新たなるパワーやツールを使いこなすためには、これまでの意識とはかなり違う意識で接する必要があること、そしてそれをうまく使いこなすことにより、これまでとはかなり違うレベルのライトワーカーとして働くことになること、そういった新たな世界が目の前にあります。あなたがそういった世界に入っていくのか、それともこれまでと同じ意識の中で動いていくのか、これが今あなたに与えられている選択肢と言えます。それをどのようにしてあなたがうまく選び、使いこなしていくのか、あなた自身の行動で評価されていきます。
Mihoさんの光を見た時、あなたの光の純粋性の中にとても素晴らしい波動があります。本当に人々のために何かしたいという熱い波動があり、この波動によって確実に他の人と繋がることができます。これはライトワーカーとしてとても素晴らしい波動であり、この波動のおかげであなたはどの人にでも確実に自分の光を届けることができます。ライトワーカーとしての働きを確実にまっとうすることができ、クライアントによって差が出たり、その時の体調によって差が出るということがありません。どのような状態においても、どのようなクライアントにおいても確実に自分の波動を相手に届けることができるのです。ただこの波動はあまりにも洗練された特別な波動であるために、確実にあなたがそれを使うことが必要です。どうやってその自分の洗練された波動を使っていくのか、それは自分を本当に信じているかどうかです。自分のスピリチュアりティ、自分の内なる神のエネルギー、心の中にある本当の神聖さ、それを自分がどこまで信じきっているかどうか、それを信じていれば確実にそこから素晴らしい光がクライアントに必ず流れていきます。しかしそれを信じていない時、信じれない時、その光が確実に届くことが難しくなってしまうのです。どのような状態にあってもどのようなクライアントにおいても、確実に自分の心の神聖さを信ずる、自分の内なる神のエネルギーをしっかりと理解していく、そういった気持ちを持つ限りは素晴らしいライトワーカーとして常に役割を演ずることができるでしょう。いついかなる時でも確実にその波動を使えるようにトレーニングを進めてみてください。
Naokoさんの光を見た時、あなたの心の中に人との関係においていろんな波動が存在しており、それをうまく使いこなせるかどうかでライトワーカーとしてのエネルギーが変わってきます。自分の中にあるいろんな波動の中で自分が本当に相手を信じ、一体感を感じ、信用できる人に関してはとても素晴らしい光が出ていき、相手に一番必要なエネルギーが確実に届くような役割を演ずることができます。しかし自分の心の中で本能的に避けてしまったり、本能的に繋がりがうまく保たれない人の場合には、自分の方から光がどうしても流せない意識が出来上がってしまいます。したがって、純粋なライトワーカーとしての働きを見た時、自分自身の心にいかに自分が素直に反応していくかどうか、いろんな人において自分の純粋な光とクライアントや他の人、一般の人との間における純粋な繋がり、それをいかに保つことができるかどうか、どのような人においてもその純粋な繋がりを常につくることができ、純粋なる光の流れをもしつくることができたのであれば、そこから確実に自分の素晴らしい光は相手に届いていくでしょう。それを維持し、どのような人にでも繋がりができた時、あなたにしか表現することのできない素晴らしい光を相手に流すことができます。これはあなた自身の問題ではなく、ある意味ではわざとつくられた波動とも言えます。あなた自身の持っている波動が極めて特殊であるために、誰でも良いというわけではなく、あなた自身の特殊な波動を受け入れる人、その特殊な波動をまだ受け入れる準備のできていない人、そういう人々がいるからです。したがって、確実にその波動を届けるべき人に届ける、そういう仕組みがあなたの心を通じて現れる時、あなたから見て、この人は合う人、この人は苦手な人、そういう風に理解されていきます。したがって、自分の心の中で何らかの違和感、繋がりが難しいと思った人は、別にあなたの問題ではなく、ただまだその時期に来ていないこと、しかしだからといってそれをまだこの人は私の波動に合わないとか、時期が来ていないとか、そういう見方で見る必要はありません。そういう気持ちで見るとついついまた自分の変なエネルギーが出てしまい、つい人を判断してしまう状態になってしまうからです。そういう気持ちで見るのではなく、もっと客観的に単に波動を受け入れる段階に来ているかどうか、それをただ客観的に自分で理解できる心の状態を常に維持するようにしておいてください。
Minoruさんの光を見た時、あなたがライトワーカーとしてどのように演じていくのか、あなた自身興味があるでしょう。また他の友人たちも皆興味を持ってあなたを見ております。どのようなライトワーカーとしてあなたが行動を起こしていくのか、エネルギーレベルでつくられているライトワーカーとしての働きと、あなたがそれを自分の肉体を通してどのように具現化していくのか、その繋がりにとても面白いものがあり、つくられているスピリチュアルな世界、あなたがそれを具現化するこの世界の繋がりを私たちもとても興味深く見ております。エネルギー的に見るとあなたはいろんな人に繋がるエネルギーを持っており、いろんな人に同じように客観的に純粋に光を届ける波動を持っております。選り好みしたり、自分の興味や好みで光を流すのではなく、どのような人にでも同じ条件で純粋にそのまま届ける光のエネルギーを持っております。ただそれをあなたの肉体レベル、あなたの生活環境の中でどのように具現化するのか、それを見た時、とても面白いものがあります。エネルギー的にはいろんな人と繋がる条件を身に付けていても、あなた自身の人間的なネットワーク、人間的な繋がりで見た時、まだそれが十分に確立されたわけではありません。人間的なレベルにそれを降ろす時、どのようにして降ろしていくのか、いろんな人間関係、いろんな繋がり、それをあなたがどのようにして具現化していくのか、これがまだ確立されていないからです。あなたのこれまでの仕事のエネルギーからすると、確かにネットワークや或いはそれらをベースにした三次元的な手法において繋がりやネットワークをつくることはできるでしょう。ただ自分がそれに向けてどの程度興味を持ち、エネルギーを持ち、率先して行なえるのか、あまり特殊な興味や能力を持ち合わせていない、実はこれが大きなポイントを握っており、なまじっか技術的な優越感、技術的な能力があると返って、そこにエネルギー的な違いや好み、つまりアンバランスなエネルギーをつくり上げていきます。いわゆるコンピュータエンジニア的に能力が高まってくると、自分のいろんな知識や能力がむしろ仇となってしまい、自分の得意なところ、自分の腕前を見せようとして一部のところだけエネルギーが流れてしまったり、全体的に平等にエネルギーが流れるという状態ができなくなってしまうのです。そこから見るとあなたはそういう自負がないために、むしろすべてにおいて客観的に純粋に同じ条件でエネルギーを流す器を持っております。でもそれがために自分の得意なものがない、自分の腕前を披露するところがない、そのために自分はどこからとりかかってよいのか分からない、そういう矛盾をも引き出していきます。自分の持っている長所がそのまま短所になってくるのです。すべての人間に同じように差が無く、一律に流そうとする特徴がどこから手をつけてよいのか分からないという短所になっているのです。これを三次元的にあなたが今どう取り組んでいくのか、まさにその状態にあります。したがって、これからはあなた自身がそれをどのように具現化し、どのようにして現わしていくのか、すべてあなた自身の行動力に依存していきます。エネルギー的にはただすべての人間に対して同じように差が無く、平等に光りやエネルギーが流れるように自分は役割を演ずることができる、エネルギー的にこういう風につくられている、これをあなたが三次元的にどう実現していくのか、いろいろ頭を使い、行動力をうまく使いながら三次元化を行なってみてください。
Toshiyukiさんの光の状態を見た時、あなた自身の心の中にライトワーカーとしてのエネルギーがどの程度確立されているのか、これはとても面白い状況があります。あなた自身の本質的に持っている光りを広げ、人々に刺激を与え、新しい光を次々と広げていくという波動と、あなた自身の個人的なマインド、個人的な気持ち、心の波動、こういったものからつくられる波動に少し差があるために、自分自身の本質的なレベルで広げようとしている波動と、いあなた自身が自分の好みや心でやろうとしている波動の違いが生じ、それがいろんな人間関係をつくり上げていきます。あなたの人間関係におけるいろんな現象、一人ひとりの人間との繋がりにおける心のやり取り、エネルギーのやり取り、これはそのままあなた自身とあなたの本質との間におけるやり取りを意味していきます。もしあなたが他の人との心のエネルギーのやり取りで何らかの違和感、或いは見解の相違、エネルギー的な違い、もしそれを感じた時、それは実際にはまったく同じ意識をあなたの本質的なものがあなたに対して感じている波動であること、自分と他人との関係が実際には内なる自分と今の自分との関係にそのまま当てはまっているということ、これに気づいてみる必要があります。そうすると実際にはいろんな人との関係で自分が感じたこと、自分が他の人に対して感じたこと、それは実際には自分の内なるものが自分に対して感じたこととまったく同じものである、そう理解していくにしたがって、本当の自分の内なるものが自分に何を求めているのか、自分に何をさせようとしているのか、それが段々理解されていきます。今はまだ自分の内なるものとあなた自身との思いの中にずれがあるために、それに気づかず、気づかないまま進んでおり、それが他の人との関係においての見解の相違や意見の食い違いに現れてきます。そういった三次元的な現象を通して内なる自分と今の自分との違いを理解していく、そしてそれを克服することによって本当の自分の内なるものが望んでいることを自分ができるようになる、そうすると本当のライトワーカーとしての光りが自分の周りに流れていく、こういったことができるようになっていきます。いろんな人間関係を通して感じたこと、思ったこと、その一つひとつに意識を向け、自分の内なる存在が自分に何を求めているのか、何を願っているのか、常にそこに意識を向けるようにトレーニングを進めてみてください。
今日は皆さん方のライトワーカーとしての意識に少し焦点を当ててみました。それは今日の一番はじめの皆さん方の会話からもたらされたテーマです。一見皆で話し合っているように見えながらも一人ひとりがまったく別でした。
もう一度それを思い出し自分はここの場をどうしようとしているのか、場を本当に必要としていたのかどうか、他の人の心に繋がろうとしていたのかどうか、それが原点であること、それが今の地球をつくり上げているということ、今目の前にいる人が自分の奉仕すべき人であること、そう考えた時、今自分は目の前の人にどういう心を繋がろうとしていたのか、もう一度その原点に戻るようにしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。
今までのいわゆる第五根人種的な人々の場合には、アセンションのために行なうとか、皆がやっているから乗り遅れないようにするとか、これを受けておかないとだめだからとか、そういう宗教的な不安をかき立てるエネルギーでやってきたりしてきました。
しかし、新しい子供たちはそういう発想で皆さん方に来る分けではありません。単に面白そうだからとか、やってみたいからとか、そういう思いだけでやってくる人がどんどん増えてきます。したがって、そういう人々に対しての話の仕方、展開の仕方、今後の持っていき方もそれまでの古い人とは違う話し方をする必要があります。
つい今までと同じ感覚で次から次とすぐ進めてみたり、あるいは強制的に訴えてみてもまったく通じない場合があります。その新しい子供たちの心を考え方、エネルギーを瞬間的に読んで、自分の感性でただ進めてみる、これが良いと進めてみたり、この人が良いという風に進めてみると意外とそれがインディゴの子供たちにものすごく反応して、とても強い興味を持ってみたり、もっと詳しく教えて欲しいという風に突っ込んでくる場合があります。
論理的に考えるのではなく、雰囲気で直感的に話してみる、そういう接し方で新しい子供たちとワークをするようにしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。