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2003/8/18■月曜交流会から

どういう形態でライトワークを行なうか

@組織の有無ではなくエゴの問題

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。ライトワーカーが組織をつくらずに、団結して協力し合うことができるかどうか、先ほどいろんな意見が出されておりました。ハイアラーキーの仲間たちは必ずグループで団結して行動を取っております。しかし、その場合組織という形のグループではなく、それぞれが自立しながらも全体が一つとなって行動をとっております。

全体が一つとなる基準は全体を統括している波動が基準になっています。それぞれそのグループを統括する波動があり、その波動に準じて一人ひとりが行動をとっております。皆さん方の場で考えた時、皆さん方を統括する波動が何であるか。仮に、ミステリースクールで学んでいるものたちを例にとった場合、日本でのミステリースクールでの役割、行動の指針があります。

日本における場を建て直し、本来の日本の光を取り戻し、活性化させ、シャンバラの原動力に持っていく、これが全体を統括する波動になります。一人ひとりはこの波動に準じて自らが持っている波動と照らし合わせて行動をとることになります。皆さんを妨害し、光の流れを遮断させようとしているものたちは、ただ単に皆さん方を妨害することだけを考えており、何かをつくるために頑張っているわけではありません。

ただ皆さん方を妨害し、皆さん方が怒りや悲しみ、悔しさに負けてしまうことを考えているのです。しかし、皆さんはシャンバラを創るという大きな目標に向って歩き、気づき、創り上げていきます。創り上げるということと、阻止すること、単純にこれを考えた時、阻止する方が優しいのは言うまでもありません。

わざわざ組織をつくらなくても単独であっても阻止することは難しくありません。しかし何かをつくり上げる時、一人ですべてをつくることは優しいことではありません。協力し合い、一人ひとりが自分の持っている波動を生かし、他人の持つ波動をも生かし、うまくバランスを取り、調和を保ちながら新しいものをつくり上げていく、これが理想になります。阻止するものは単純にただ隙を突き、弱みに付け込み、簡単な邪魔をするだけで自ら崩れていきます。

もともと何かをつくり上げるという作業はそれだけ大変なものであり、ただ光を信じ、神を信じるだけで創造がなされるわけではありません。何かをつくるということ自体が大変な作業を伴っているのです。何かをつくるということが困難な作業であり、邪魔をしたり、破壊する方が極めて容易である。

こういう現実の中でシャンバラの世界をつくり上げようと皆さん方が頑張り、協力し合おうとしております。どうやってつくり上げていくのか。単純に自分のただできること、好きなことだけをやっている場合は、いくらでも邪魔され、隙を突かれ、自分のやりたいことを次々とうまくいかない方向へと持っていかれることがあります。

自分の好きなことをやってシャンバラをつくりたい、これだけではエネルギーが弱く、いくらでももろく崩れ去ってしまうのです。本当に何かをつくり上げる、クリエーションするという場を考えた時、ただ好きなことをするとか、ただ流れに任せるというやり方ではクリエーションができないのです。

いくらでもその心の甘さに別のものが入ってきて、邪魔をし、やる気をなくさせ、二度と行なわないように仕向けていきます。何故ならば、クリエーションするという活動は神の仕事であり、神の波動を使わなければクリエーションにならないのです。神の波動を使わずに新しいものをつくる、神の波動を使わずに素晴らしいユートピアをつくる、こんなことが可能でしょうか。

神の波動が入っていないものは、所詮は壊されてしまうのです。神の波動の宿っていないものは壊されても当然と言えます。せっかくつくったのに振り出しに戻された、一生懸命頑張ったのにまたやり直し、そう思うことが何度もあるでしょう。一生懸命やった、頑張った、自分の心ではそう思い、満足しているかもしれません。

でも結果的に壊され、破壊されたものは、神の波動が入っていないのです。自分の満足感、優越感、慢心の心、プライドだけでつくられた可能性があり、本当に人々の幸せのために、宇宙のクリエーションのための活動にはなっていない場合があるのです。

本当に神の波動を入れた時、途中で破壊されても残念とか、せっかくとかいう言葉は出てきません。せっかくやったのに、これだけ苦労したのに、こういう言葉自体がエゴなのです。そこに神は入ってきません。エゴだけで創られた時、私がつくったのだ、皆に評価してもらいたい、認めてもらいたい、ましてやライトワーカーがシャンバラをつくった時、私たちライトワーカーがシャンバラをつくったのだ、他の人たちは何もしていない、私たちがやったのだ、こういう波動でシャンバラをつくられたとしてもシャンバラではありません。

エゴの世界です。そういう波動が入る可能性がある時、崩壊を誘います。そして多くのものがせっかくここまでつくったのに、せっかく皆で徹夜して一人ひとりで頑張ったのに、こういう波動を出していきます。認めてもらいたい、評価してもらいたい、エゴのエネルギーです。エゴのエネルギーがある限りは神は入ることができません。

エゴの波動に神を呼ぶことはできないのです。本当にシャンバラを創りたければ、神が宿れる波動にしなくてはいけません。エゴの波動を入れてはいけないのです。本当に神が宿れる波動でシャンバラを創り上げた時、途中で破壊されようが、崩壊しようが、せっかくとかもったいないという言葉は一切出てきません。

ライトワーカーとして皆さん方は何をなそうとしているのか。ライトワーカーとして何をつくろうとしているのか、よく考えてみる必要があるでしょう。他の人に評価されたい、認めてもらいたいという波動があるのであれば、崩壊に導く仕組みが与えられるでしょう。純粋に地球のシャンバラのことを考え、エゴがまったく入らない時、たとえたまたま破壊されたとしても、何も悔いは残らず、むしろ純粋により素晴らしい光を入れるような仕組みを考え、さらに神が宿れるようにつくっていくでしょう。

そういう体験を何度もして本当に神が宿れる場をつくり上げていくのです。一回も失敗をしないでシャンバラができたという話はまずありません。途中で失敗し、やり直し、挫折感を味わうでしょう。その度に何故そうなったのか、何故せっかくつくったものが崩壊してしまうのか、何故次から次と邪魔が入り、前に進めないのか、本当に考えてもらう必要があります。

うまくいかない時、原因は何なのか。せっかくイニシエーションを受けながら何もしていない人がいるから、やるべきことをやっていないから、パワーが弱いから、すべて違います。そんな理由で途中で破壊が起こることはありません。単なるエゴです。自分の心の中に認めてもらいたい、評価して欲しい、ライトワーカーとして褒めて欲しい、このエネルギーが破壊を導くのです。

光を阻止するものが団結し、協力し合い、組織、あるいは非組織で立ち向かってきて、ライトワーカーが足をすくわれ、挫折し、投げたしてしまう、どうやって立ち向かうのか。どのような方法であろうとも心の中に隙がある限りは何を行なってもうまくいきません。組織をつくろうが、非組織の形を採用しようが、心の中にエゴがある限りうまくはいきません。

逆に組織的な活動をつくったり、ネットワーク的な活動をつくったとしても一切エゴが入っていなければ、光は広がっていくでしょう。ライトワーカーとして何を行なうのか、ライトワーカーとは何なのか、その本質を常に忘れず理解し、またそれを基準にして行動を取るようにしていってください。

私たちは光の仲間としてお話をいたします。今、ライトワーカーの活動についての話がなされました。確かに三次元的な世界においては光を阻止しようとするものたちが協力し合い、パワーを使い、技術や人数を使って次々と光あるものに立ち向かってきます。せっかく光あるものたちが協力し合って何かをしようとしても次々とうまくいかないように失敗する方向へと流れていきます。

そして光を広げることがだんだん面倒臭くなり、嫌になり、辛くなってくる、そしてライトワーカーをやめ、普通の人間として生きるという道を選択する人もおります。ライトワーカーは光を広げていく、単純にその役割だけが与えられております。どのようにして光を広げていくのか、それは一人ひとりに完全に任されております。

自分一人で広げても良いし、多くの人と協力し合って広げても構いません。皆さん方の自由意志に任されております。ただ今の状態において、現実的な活動を見た時、一人ひとりが自分のできる範囲内で精一杯活動しているという状況になります。協力し合う場合でも表面的なレベルで協力し合うことはあっても、深いレベルで協力し合うことはほとんどありません。

単なる友達として、友人として協力し合うことはあっても、密接な関係で協力し合うことはほとんどありません。ライトワーカーとして行動しようとする、でも現実にそういう人間関係の中で意志が揺らぎ、迷いが生じ、普通の生活を選んでしまいます。ライトワーカーは、孤独で自分一人で戦うべき時期も確かにあるでしょう。

たった一人ですべてを行なわねばならない時期もあるでしょう。それはそれでその人に必要な役割であり、その人のためにつくられた現実と言えます。すべての人が同じような流れを使うわけではありません。人によっては次々とうまく進む流れもあるでしょう。何をやってもうまくいかないという時期もあるでしょう。

ライトワーカーとして考えた時、自分がどこまで協力し合えるのか、お互いの繋がりをどこまで強く創り上げるのか、そういったことがテーマになっていきます。自分がライトワーカーとして行動する時、どういったところに意識を向け、注意していくのか、何を基準に考えていくか、そこをよく理解して自分の流れをつくっていただきたいと思います。

それではアドバイスをしてみます。

Michiko.Hさんのライトワーカーとしての強さを見た時、あなたのライトワーカーとしての強さは自分自身が思っているほど弱くはありません。光の世界においてとても頼もしい働きをしています。人間の意識レベルで自分の得意分野、優れた分野をまだ明確に認識していないために、不安や恐れ、心配が起こってきて、パワーを完全に発揮できない状態にあります。自分が行なっているやり方で十分にスピリットの世界に影響を与え、効果が出ている、それをしっかりと信ずる必要があります。自分自身の行なっているやり方が十分に効果があり、うまくいっている、それを理解し信ずることによって強さが増していきます。自分の普段のやり方、そのままそれを認め、許し、さらに発展させていく、そういった流れで自分の活動を見ていってください。

Norioさんのライトワーカーとしての強さを見た時、あなたのライトワーカーの強さは、あなたがしっかりと自分を律し、自分を大切にして行動している分、強い波動を身に付けております。自分としてはそうせざるを得なかったからそうしていた、そうしなければならないからそうなった、そう思うかもしれせません。でも実際にそういう仕組みを創ったのも自分であり、またすべてが自分の範囲内で行なわれております。自分の強さをどの程度理解しているか、自分自身の強さをしっかりと認め、理解できた時、改めて自分の持っているエネルギーにいろんな思いが出てくるでしょう。是非とも自分の心の中にある強さを表現して自分の世界を満足するものへと変えていってください。

Ritsukoさんのライトワーカーの強さを見た時、あなたのライトワーカーの強さとしてあなた自身の強さがそのまま現れております。あなたのスピリットのレベルでの強さはとても素晴らしいものがあり、完全に自分自身をプロテクトできるくらいの強さを身に付けています。そしてその強さによって自分が養われ、自分のエネルギー一つひとつが強さを現しています。今後の流れを見た時、自分の強さをどううまく表現していくか、自分の強さをどの程度理解して行動で現していくか、自分の強さの具現化を考え時、迷いが生じてきます。したがって、その流れにおいて考えた時、自分自身の強さが何であるか、自分はどこに向かい、何をするのか、それをしっかりと理解して自分自身の強さを見つけていってください。

Kenjiさんのライトワーカーの強さを見た時、あなたの心の強さはかなり洗練された強さになっており、案に人に言われたからといって直ぐに変わるものではありません。自分でも強い思いがあり、それによって自分自身がしっかりとした行動を取っております。この強さはとても良い波動であると同時にもろさも同時に兼ね備えております。自分自身の信念の強さをそこに意識するあまり、恐れとして容易に壊れる状態がイメージされております。そのイメージがなければ強さは本物になるでしょう。その強い部分だけで波動を創ることができるからです。しかしその弱さを同じように持ちこたえている現実において、強さを維持するのが困難な状態でもあります。自分自身のその強さをいかに本物の強さに昇華させていくか、本当の強いものへとどう切り替えていくか、そのやり方を自分なりにマスターするようにしてみてください。

Michiko.Aさんのライトワーカーとしての強さを見た時、あなたの光が十分に輝き、強さをも伴っております。あなたはこの強さを自分のものにすべく仕組みを創ってきました。しかしその強さはあなたに対して意外な結果を与えようとしています。強さを養ういろんな局面の中でわざわざ自分にとって容易な方法を与えてきました。自分自身がそこから何を学んでいくか、どういう強さを身に付けていくか、今改めて自分についていろいろ考えてみる時間になっております。自分にとっての強さが何であったか、弱さを感じ、その反対として強さを理解する、弱さを克服するために強さを身に付ける、こういう発想があると本当の強さにはなりません。弱さを伴った強さであり、もろい強さになるからです。弱さを伴った強さは崩れやすい側面を持っているのです。したがって、弱さを伴わない強さ、強いだけの強さをどう身に付けていくか、どう創り上げていくか、これが問題になってきます。自分自身の光やエネルギーを感じ、純粋なる強さをどう身に付けるか、本当の強さをどうやって現していくか、それを考えるようにしてみてください。

Naomiさんのライトワーカーとしての強さを見た時、あなたの心の強さはあなたに大きな印を与え、エネルギーを残してきました。あなたが身に付けた波動の多くがあなたのためにパワーを与え、エネルギーを与えてきました。今新たなる流れに向う時、自分自身がこれまで見つけたきた波動、自分のものにしてきた波動が大きく、大きく変化していきます。本当の強さを身に付ける段階に入っていきます。単純に光の性質だけで決まったり、できるわけではありません。やはりいろんな人間関係を通し、いろんなしがらみの中で本当の強さが養われていきます。自分にとって何が強さであり、何が弱さなのか、それを十分に理解して強き波動の中で学びを進めていってください。

Mitsukoさんのライトワーカーとしての強さを見た時、あなたの心の中の強さ、自分らしさ、まだいろいろ不安や心配があるようです。自分はどこまでちゃんとできるのか、本当の光をどこまで理解しているのか、常にそういう思いがあるために、自分自身の強さを自分で評価できないところがあります。あなたはライトワーカーとして十分な強さを身に付けております。心の中にある信念、思い、感じているもの、そこにはあなたが養ってきた強さがあり、人にいくら言われても変わることのない信念があります。この信念をうまく使うとあなたはより強い心を身に付けることができるでしょう。今はその信念があっても表現できなかったり、体で現実化できない状態にあります。そのため、せっかく強さの本質的なものを身に付けても本当の強さにはなりきっていません。自分の感じている本質的なもの、信念的なもの、早くそれを昇華させて本来の強さへと変えていってください。

Yasuhiroさんのライトワーカーとしての強さを見た時、あなた自身が今まで信じてきたもの、納得してきたもの、受け入れたきたもの、それらが自分のマインドの強さになっています。マインドレベルでその強さがあり、自分はそれで強いエネルギーを身に付けた感じになっています。しかしこのマインドレベルでの強さは意外にもろいところもあり、マインドで理解できないところ、マインドの世界にはないところが弱さを兼ね備えております。マインドだけですべてを解決しようとするとその弱さが表に出てきて、逆に弱さばかりの状態を創る場合があります。マインドですべてを強くしてしまおうと思わずにマインド以外のところでの強さ、心から感ずるもの、ハートで感じるものに強さを見出していく、自分の感じた信念、自分が心から思うもの、そういったものの強さを自分のものにして、マインド以外の領域でも本来の自分を発揮できるようにしていってください。

Keikoさんのライトワーカーとしての強さを見た時、あなた自身がこれまでの流れで身に付けてきたもの、体で感じ、表現し、現してきたもの、それをそのまますっかり受け入れてください。時には失言をしたり、おかしな行動で言われたり、いろんな思いを心で感じております。まずそれらをすべて受け入れる強さが必要になります。自分の行動に関していろいろ言われたり、自分で思ったり、自分自身を否定したりしてしまう、それで戸惑い、落ち込み、立ち止まってしまう、これ自体が弱さを現しております。まず自分自身の強さを弱くさせているものが自分自身であること、他の誰でもなく自分自身が自分を弱くさせていること、それにしっかりと気づき、自分は自分を強くするためだけに存在している、自分を弱くさせるものは自分の中にはないこと、それを明確につくり上げる必要があります。自分が完全に自分を強くするためだけに機能している、自分を明るくさせるためだけに機能している、それが完全にできた時、もう誰にも負けることのない強さをそこに感ずるでしょう。真の強さとは何であるのか、それをはっきりと理解していってください。

Seikoさんのライトワーカーとしての強さを見た時、あなたの心の輝き、信念、思いはとても素晴らしいものがあります。あなたの持っていこの信念や思いが現実で見た時、そのまま自分には現れてこない、戻ってこないという不思議さがあります。せっかく自分の心の中で正しさや優しさが宿っていても周りとの流れがうまく繋がらず、現実の中で機能してこないという場があります。これは自分自身がその流れをつくっておらず、つくろうともしていないところがあります。自分の持っている光で他の人を明るくさせ、そして次々と明るくした光が自分に戻ってくる、他の人に潤いや優しさを与え、次々と心が潤い明るくなって自分に戻ってくる、こういう発想がないために、自分からの光や優しさが他人に伝わらず、また自分に戻ってこないという現実になっています。自分の光が相手に入っていかない、相手の光が自分に戻ってこない、どこかで他の人との繋がりを遮断しています。他の人との繋がりを恐れているのか、不安なのか、否定しているのか、自分で考えてみる必要があるでしょう。他の人としっかりと繋がる、他の人との一体感をもっともっと強く感ずる、こういった経験が必要かもれません。そして自分と他人との繋がりを明確に感じた時、自分の光や優しさがそのまま相手に入り、いろんな人を通じて自分に戻ってきます。それをはっきりと感じ、体感できた時、真のライトワーカーとしてあなたは行動を取ったことが分ります。自分の体にもっと自身を持ち、心にも余裕を持ち、人々との間の繋がりにおいて、積極的に行動するようにしてみてください。

Masakoさんのライトワーカーとしての強さを見た時、あなたの光は多くの人に喜びを与え、希望を与える波動を持っています。あなたの強さがそこに加われば多くの人は確固とした喜びを感じ、核心を持った希望を手にすることができます。あなたが自分自身に強さを見出していない時、表面的な喜びや表面的な希望で終わってしまいます。あなたの出すエネルギーや波動にどこまであなた自身が強さを入れていくか、それによってそれを受け取る人の心がかなり違ってくるのです。自分の持っている波動をしっかりと信じ、強さを理解し、そして言葉が一つひとつ自信を持って入れていく、信念を持って表現していく、そうすることによって喜びや希望が強いエネルギーとなって相手に流れていきます。あなた自身の強さをしっかりと表現して自分の本来持っている素晴らしい波動を多くの人に流していってください。

Sachikoさんのライトワーカーとしての強さを見た時、あなた自身の光、信念、思い、いろんな波動の中で自分に対して自分は大丈夫という明確な強さが存在しています。いろんなことがあり、いろんな場があり、いろんな波動があろうとも自分は大丈夫、自分はしっかりやっていける、この強さを持っております。あなたはそれによって自分自身を先ず生かすことができます。自分は大丈夫、この強さを身に付けて自分自身の存在を明確に現すことができます。ただ自分の方向性、自分の光の現し方、柔軟性を考えた時、この強さの信念の中でどう表現していくか、自分が自分に持っている強さは分っても、表現をするエネルギーについて自分でも明確に理解できないところがあります。相手に応じてどのように波動を使い分けていくか、場や状況に応じてどのように使いこなしていくか、そこで迷ってしまう場合があります。自分は大丈夫、でも他の人にどううまく対処していくか、他の人にどう合わせていくか、ここで迷ってしまう場合があるのです。自分自身は大丈夫、この強さとうらはらに他の人に対してどうしてよいか分からない、この弱さが伴っており、これが時々自分に対して混乱を招いてしまいます。他人と自分を区別する波動から創られてくるのです。他人と自分を区別する意識を無くし、違いがないということが明確に分った時、強さと弱さの側面が解消されることになります。自分と他人、そこに秘められた強さと弱さ、そこに含んでいるテーマをよく理解して自分自身の強さを克服するようにしてみてください。

Tamiyoさんのライトワーカーとしての強さを見た時、あなたの心の中にある複雑な思い、そして確実に進みたいという信念、また是非とも世の中の流れに協力したいという思い、これがあなたのライトワーカーの原動力になっております。ライトワーカーとして目覚め、行動する、人々のために何か行動したい、今はこの原動力が中心であり、そのために強さというよりは思い、意欲が中心になっています。この意欲によって前に進み、いろんな学びを進めていった時、自分を知るということがいかに大切なのか、自分を知るということが強さを増す基本であるということに気が付いてくるでしょう。はじめは意欲、思いで十分にやっていけても、自分を知るということを忘れた時、意欲がもろくも崩れ去ったり、やる気が失せたりしてしまうのです。自分をしっかりと理解し、自分を理解したうえで自分の流れが見えてきて、自分と他人との関係が見えてくる、自分が分らない時、他の人に奉仕しようとしても他人も見えてこないのです。自分が見えることで他人が見えてくる、他人を見ることによって自分が見える、この関係を理解して初めてライトワーカーとしての流れに入っていきます。自分に対して興味を持ち、自分自身の存在にもっともっと意識を向けて自分を学ぶ流れに入っていってください。


ライトワーカーとしてどう行動していくか、光の道を閉ざすもの、破壊するものに対してどう立ち向かうのか、いろんなアドバイスが与えられていきました。確かに一人ひとり、自分で自分の学びのために行動することは必要でしょう。しかしだからといって一人ひとりがバラバラですべてが良いという分けでもありません。確かに組織はカルマをつくり、人々にコントロールの波動を流してきます。しかし純粋にエゴをまったく入れずに神の波動だけでクリエーションを行なうのであれば、一見組織的な活動のように見えても、確実にクリエーションへと流れが進んでいきます。

一人とか組織とかの問題ではなく、根本には常に自分のエゴ、プライド、慢心、こういったものがテーマになっていること、それらを理解して素晴らしいライトワーカーとしての活動、協力関係、ネットワーク、是非とも素晴らしい形をつくり上げていっていただきたいと願っております。それでは少し休憩を取ります。ありがとうございました。


A自由を前提にしたライトワーカーの姿

私たちは光の世界からお話をいたします。今日はライトワーカーとしての姿勢について話がなされております。ライトワーカーという言葉を使うとどうしても大げさに捉えてしまったり、特別な生き方、特別な人として認識されてしまう場合もあります。

いうまでもなく人間はすべて神の心を宿し、ライトワーカーとしての十分のパワーが発揮できるように生まれ出てきております。ただそれを自分がどういう生き方を選択するか、どういう流れをつくっていくか、一人ひとりに自由意志が与えられており、自分が積極的に他の人の幸福のために活動するという人がいれば、自分は真実を見つけるために、あるいは何かをつくるために、何かを残すために、芸術的なもの、技術的なもの、農業的なものいろんなものに関与して喜びを見つけたい、いろんな生き方があります。

どの生き方をしようともすべて許されており、皆さん方の自由意志を尊重しております。どのような生き方をしようともそこに神の光が入り、喜び、楽しさ、そして意識の成長が伴っていれば十分にライトワーカーとしてのエネルギーが入っております。したがって、直接的に他の人にあえてヒーリングとか、カウンセリング、チャネリングという方法を使わなくても、たとえそれが農業的なことや工業的なことであってもライトワーカーとしての働きを維持することはできます。

自分は自分の持っている神の光をそこに残しておく、自分と接する人すべてに自分の光を現し、相手に対し尊敬の念を持って感謝の念を持ち、神として接していく、こういう行動を自然に取っているのであれば十分にライトワーカーと言えます。したがって、ライトワーカーとして難しく考える必要はありません。

ただライトワーカーとしての言葉が出てきた背景には本当の真理を知っているというものたちがまだ真理を知らない人に伝えていく、まだ分かっていないものたちに本当のことを教えていく、こういう意識があり、こういう意識がライトワーカーという言葉をつくり出してきました。

したがって、ライトワーカーという言葉を使うと必然的に分っていない人に真実を、本当の光を伝えていくという波動が入っていきます。分っていない人、こういう意識がある限り、ライトワーカーとしての波動が必要になってきます。逆に分っている人、分かっていない人、この区別を自分の意識の中に持っていなければライトワーカーとしての波動はあえて使う必要はなく、目の前にいる人すべてに自分の光すべてを使って接していく、自分の持てる愛をすべて使って接していく、これで十分な活動を行なうことができます。

どのような言葉にしても、概念にしても、それ自体が良いとか悪いとかいう基準にはなりません。それをどういう意識で使うのか、どういう風に使い分けていくのか、すべての概念や道具をツールとして使いこなしていく、ツールを使う時にどういう気持ちで使っていくのか、その使い方自体にライトワーカーとしての本質が問われることになります。

ライトワーカーであるかどうか、それを単純に行動で決めることはできません。どういう意識で行動しているのか、改めてそこに意識を向けて自分の行動にいろんな意識を向けるようにしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2003 CentralSun
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