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2003/8/11■月曜交流会から

スピリチュアルな生き方に疑問をもたないこと

@俗的な生き方と霊的な生き方

私たちは光のハイアラーキーの仲間としてお話をいたします。皆さん方がスピリチュアルな学びを始め、今まで送ってきた三次元的な生き方とスピリチュアルな生き方をどううまくバランスを取っていくのか、これに関するお話がなされておりました。確かに多くの人はスピリチュアルなことには関心を持たず、むしろ否定的に扱い、霊的な話をすると宗教的に扱ったり、非科学的な認識として理解してしまうケースがあります。

そのためにスピリチュアルな話をすること自体が非科学的な話をしていることになったり、宗教の中に入って普及をしているかのようなイメージを与える場合があります。そういうイメージをもたれないためにわざわざスピリチュアルな話を避けたり、神や光、心、魂といった用語を使わないで友人たちと過ごす場合があります。

わずかでも心や魂という言葉が出てくればもう宗教的な世界に感じられてしまい、その人の目つきや言葉使いが変わってしまう場合もあります。しかしだからといってそれらを否定的に扱ったり無視することは自分の学びの流れには入っておらず、むしろそういう心の世界を説くことを皆さん方は役割にしているはずです。

まだ心や魂に理解を示していない人に心や魂の本当の在り方を示していく、むしろ宗教で扱っている心や魂が本来のものとは違うように解釈され、理解されているために本来の心や魂について人々に伝えていく、皆さん方はそれを求めて学びに入った状況と思われます。

人々に本当のことを理解してもらいたい、本当のことを伝えたい、そう思って学びを始めてもいざ普通の人の前に来ると、何も知らないかのように振る舞い、わざわざ何も言わないような言動を取ってしまう、結果的に普通の人は科学的な世界と理解されている範囲内で生活し、人間関係をつくり上げていきます。

日本の場合、この傾向がとても強く現れており、自分たちと同じ価値観の人間たちが集まれば、その仲間の中では自分と同じ価値観の世界が出来上がり、友人関係、人間関係がスムーズに展開していく。しかしほんのわずかでも価値観が違う人間が入ってくると、仲間ではなく、むしろ仲間から外してしまう、仲間外れにしてしまう、そういった言動が時々見受けられます。

結果的に日本の社会に新しい波動、真実の波動を広げようと思った時、その先駆者はほとんどの場合ひとりぽっちになり、仲間外れにされ、孤独な戦いを演ずることになります。日本の場合はどうしても同じ仲間の人を集めてしまい、同じ仲間だけで結束し、それで和と称して一つの強い力を創り出し、良かろうが悪かろうが、仲間と違う波動が入ってくると協力し合って追い出していく、これが日本で演じられているエネルギーのゲームになります。

たとえそれが真実の波動であっても、神や天使の波動であってでさえも結束した仲間から追い出されてしまいます。この日本の習慣を変えるのにいわゆるライトワーカーという人々はどのような行動を取ってこれらを改善させていくのでしょうか。

ライトワーカーといってもほとんどの人はごく普通の人と見られたい、ごく普通の人という範囲の中で少しだけ良い働きをしたい、こういう認識を持っている人が圧倒的に多いのが日本の現状になっています。日本人の場合、私がライトワーカーであるとか、光を伝える使者である、神の役割を演じている、そういう風な意識をしっかり持って言葉に出して行動を取っている人はほとんどおりません

なるべく自分はごく普通の人間であるかのように人と接し、特別なことは一切していないかのように言動を振る舞う、これは単に多くの人から変に思われたくない、仲間外れにされたくないという意識からつくられてきます。

光を広げようとか、真実を広げようとかいう光はまったく入っていません。ただ周りから排斥されないようにする、周りに合わせておく、この波動だけで表向きの行動を取っていきます。しかし、一応スピリチュアルな学びをしているものは心の中ではささやかに自分は神の学びをし、他の人よりは理解している、他の人よりは光や神について理解し、近づいている、こういう自負心があります。

表向きはまったく何も変わらないような行動を取り、心の中では普通の人よりは少しは理解している、こういう意識を持っているのがライトワーカーと言われる人の典型的な波動になります。したがって、ライトワーカーのほとんどは表向きは他の人と同じように行動を取り、一見何も違わないかのように表現しながら、心の中では自分は普通の人よりは優れている、普通の人よりは光に近づいている、こういった波動を持っているのです。

私たちの世界から見た時、普通の人とこういう意識を持ったライトワーカー的な人とどちらを本当に素晴らしい生き方としたと認めることができるでしょうか。一見スピリチュアルな勉強はまったくしていなくても一生懸命家族のために仕事している人、一生懸命何かに挑戦し、限界まで体力を振り絞って頑張っている人、目標に向かって一途に突っ走っている人、たとえ三次元の世界であっても、そこで何かを極めるということはとても大変なことであり、そこで一流のものを手にするのにはとてつもない努力が必要とされます。

それに比べ、スピリチュアルな勉強をしていて表向きは普通の人間のように行動している人は実際には、そういう特別に一生懸命頑張っている人よりは頑張っていない人の方が圧倒的に多いのです。普通の人と同じように見られたい、この意識がある一線を超えることを拒んでしまい、ごく普通の人間の範囲内に留めてしまうのです。

そのために瞑想をやらせてもヒーリングをやらせても特別に人一倍努力したというわけではなく、ごく普通の範囲内でただ練習をしているだけであり、第一人者となるほどの練習量にはなっておりません。でも心の中では自分は他の人よりはずっと神に近づいている、他の人よりは優れている、こういう意識はしっかりと心に抱いているのです。

いくらライトワーカーと呼ばれ、光の行動を取っていたとしても自負心が強ければ、その人の光は輝いておらず、濁っており、光を広める本来の役割はできておりません。本人は光を広めているようにみえて実際には自分のプライドだけを広げている場合があるのです。自分はこんなことをしている、こんな本を読んだ、これを知っている、あの人を知っている、このグループで学んだことがある、ただそれを自慢するだけであり、その教えを自分のものにしているわけではありません。

本当のライトワーカーは学びの本質を理解しており、その学びの本質に従った行動を取ることです。行動の一つひとつが神の現れになり、天使の現れになります。知識を現すのではありません。しかしどうしてもそれが身に付いていない人ほど、知識や学んだということばかりを他の人に言う傾向があります。そのためにその人から出てくるエネルギーはライトワーカーというよりは、単なる自慢話や自負心のエネルギーになり、ごく普通の世界で繰り広げられているゲームと同じゲームを演じているのです。

家族生活の中でいつも両親から嫌な目に扱われ、兄弟からもばかにされてきた、何とか見返したい、たまたまスピリチュアルな学びをし、やはり自分の思っていることに正しい思いがする、自分は正しいことをやってきたんだ、しっかり勉強して両親や兄弟を見返したい、こういう思いで勉強してもライトワーカーにはほど遠いエネルギーになります。

真実を他の人を見返す道具に使うことはできません。真実を手にして愚か者の前に振りかざすものではありません。そういう争いの波動そのものが他の人々とまったく同じ波動であり、結局は相手も単に宗教的だとか、頭がおかしいとかいう波動だけで対抗することになります。

あなたのやってることはおかしい、頭が変になったの、宗教じゃない、こういった波動で戻してくるのは自分が同じで波動を出しているからです。相手が分かっていないとか、愚かな所為ではありません。自分がそういう波動を一切出さなければ、他の人々がそういった波動を自分に出すことはありえないのです。

自分が一切そういった波動を出していなければ、他の人からそういう風に言われる心配をしたり、始めから恐れる必要はまったくありません。自分が出していなければ言われる筋合いがないのです。言われたらどうしよう、両親や兄弟から変な目で見られたらどうしよう、そう思っている段階でそういう現実をつくり上げていきます。

そう思うからそのエネルギーが出来上がり、その現実を自分が歩むことになるのです。では一切そういう不安を持たなければそういう現実はやってこないのでしょうか。人によりますが、確かにまったく何も不安を抱かなければ何もそういう現実はないということはある程度言えます。

しかし皆さん方が成長するにつれ、自分の出すエネルギーはライトワーカー共有のものと統合化されたり、集合意識やより大きな単位でのエネルギーと統合化され、学びのテーマが広がることになります。

自分自身には持っていなくてもライトワーカーとして持っているエネルギーを自分が体験したり、家族や兄弟、同じ仲間の中での人間関係で変わりに自分が演ずる場合もあるのです。したがって、一概に自分が創り出した波動だけですべてを演じているわけではなく、自分以外のものであっても集合意識のレベルで自分が演ずる場合があるのです。

これは皆さん方から見たら、理不尽に思えるかもしれません。自分は真面目にちゃんとやっているのに他の人の否定的なエネルギーを自分が演ずるなんて、そんなのは許されない、皆さんそう思うかもしれません。でも実際に今の地球人類のほとんどの人は、今の時点において考えた場合、ほとんどの場合、否定的なエネルギーの方をたくさん出しております。

相手を楽しくさせる波動よりは、相手を辛く、悲しくさせる波動の方を多く出しています。単純に出した波動そのまま自分が受け取る法則だけにすると皆さん方には毎日の現実が今よりもさらに辛いエネルギーを体験することになるのです。

自分が今日一日でも他の人に対して思ったエネルギーを考えてみたら分るでしょう。本当に人を喜ばせる波動と、人に対する不満や不平、どちらが多かったか。でも現実を見た時、自分に対して他の人を嫌な目に合わせる波動よりはまだまだそんなに自分自身には戻ってきていないことが分ります。それは皆さん方が体験すべき戻ってくる波動を別の人が代わりに引き受けてくれているからなのです。

皆さん方よりも心の強い人が皆さん方の戻ってくる分を先に受け入れてくれて耐えてくれているのです。そのために皆さん方自身には毎日他の人を不愉快にさせる波動を出してもすべてを体験する必要はなく、ある程度少ない段階でも良い状態になっているのです。

皆さん方よりも強い心の持ち主が代わりに受け取ってくれているからなのです。そう考えた時、皆さん方よりも心の弱い人の分を皆さん方が代わりに受け入れてくれている、これは自然の理から言って、ある意味では問題のない流れになっているのです。

聖人君子、悟りを拓いた人、素晴らしい人がたくさんいます。この世界の仕組みを理解し、人間の感情の流れ、エネルギーの流れをすべて理解し、他の人に否定的な波動を出す人はほとんどいない、こういう聖人君子たちがおります。彼らはそれだけ素晴らしい知性を身に付け、心を持っております。では彼らは一切他の人からの批判や否定的なエネルギーを受けていないのでしょうか。ニューエイジ的な考えからすると彼らは悟りを拓いているためにそういった波動をまったく誰からもやってこない、そういう風に思われるかもしれません。

でも現実にはそういう人に対して嫉妬や羨望、うらやみ、その種の波動が無数に大量に送られてきております。とても嫌なエネルギーになっています。彼らはそれらの波動を大量に受け入れながらも、何一つ心が変わることなく、仕返しすることもなく、ただ自分の体を素通りさせていきます。それによってそのエネルギーは何もその人に影響を与えず、通過し、いずれは振動しながらそれぞれの世界から消えることになります。これが場合によってはそのまま素通りして皆さん方のところにまた戻ってきて、自分の心でぶつかってしまうかもしれません。

こうやって自分の出した波動はいろんな人の心を通過したり、反響し合って、心で感じ、思いが沸いてきたり、感情が沸き起こったりして人間関係を続けることになります。こういう心の世界の波動の流れを本当に理解した時、自分たちの日常生活において、今までの三次元的な生き方とスピリチュアルな生き方、バランスが取れない、両立できないという話は無意味だということが分るでしょう。

三次元的な生活をしようが、スピリチュアルな生活をしようが、心から出てくる波動は同じように他の人に影響を与え自分に戻ってきます。自分が他の人に対して否定的な波動を出せば自分に否定的な波動が戻ってきます。他の人を楽しく明るくさせようという波動を出せば、明るく楽しい波動が自分に戻ってきます。

これは三次元的な生活をしようが、スピリチュアルな学びをしようがまったく同じです。分ったから不幸なことはやってこないとか、もうスピリチュアルなことを理解したから幸せしかこないとか、そういうことはありえないのです。多くの人がここで大きな勘違いをしています。

スピリチュアルな学びをし、神や天使の世界を理解すると生活が楽になる、生活が幸せになる、幸福になれる、こういう思いを持って学んでいる人がおります。それはまったくありえません。幸福かどうかはその人の心が創り出すものであり、三次元的な生活をしようがスピリチュアルな学びをしようが、そういうことには関係しません。

スピリチュアルな学びを一切しなくても三次元の世界で幸福を見出す人はたくさんいます。逆にスピリチュアルな学びをしている人の中で苦しみばかり、友人と対立ばかり繰り返している人がいます。いずれもその人の心が創り出している世界であり、心の働きそのものはスピリチュアルな学びをしようがしまいが、それ自体には関係しないのです。

では何のためにスピリチュアルな学びをしているのでしょう。スピリチュアルな学びをしようがしまいが、まったく同じ法則で自分に影響してくる、何のために勉強しているのでしょう。それは皆さん方の心の深いところで自分が何者であり、どこに向うのか、自分は何のために生まれてきたのか、それを知ろうとする気持ちがあるからです。

自分は何のために生まれてきたのか、自分はどこに向って生活しているのだろうか、それを知ろうとしているのです。それを知ろうとしている流れの中で心の中に自分の知らない情報がまだたくさん隠されており、自分のすべてを理解している本当の自分が存在し、すべてを創り出したより大きな自分がいる、それを感じられるようになってきており、大きな自分になってすべてを理解しようとしている気持ちからスピリチュアルな学びをしております。

したがって、スピリチュアルな学びをして自分が何者であり、どこに向かい、どこに向うのか、これが分ってくると自分についてのことがよく分かってきます。したがって、幸せかどうかを調べる時、自分についてどこまで理解しているのか、自分のやるべきこと、自分の向うべき方向性をどこまで理解しているのか、こういう基準で考えた時、スピリチュアルな学びをしている人は確実に自分のことについて理解を深めています。

単純に自分のことを理解している観点だけで幸福かどうかを考えれば、スピリチュアルな学びをしていない人よりはスピリチュアルな学びをしている人の方が幸福度は高くなっても不思議はありません。しかし幸せという観点を自分がどこまで自分のことを理解しているかではなく、いわゆる三次元的に金銭を手にし、裕福さを手にし、地位や名誉を手にすることだと理解しているのであれば、それは自分の幸福には何も結びつきません。

地位や名誉、金銭は自分を知る流れにはほとんど意味のない情報だからです。三次元の世界でそういう地位、名誉、金銭を求めるゲームを演じている人はたくさんおります。地位、名誉、金銭を手にすることで自分は喜びを手にし、満足できる、だからこれを追い求めていく、こうやって今の社会が進んでおります。

しかし、地位、名誉、金銭を求めるゲームは争いばかりを繰り返し、他人との分裂を創り出し、真の友人を創らず、孤独な流れを歩むことになります。もうそろそろそういうゲームに飽きてきて終焉を遂げる状態になっても良いはずなのに社会全体としてはいまだにその方向に進んでおります。

皆さん方はあとどの位地位、名誉、金銭を求めるゲームを続け、人と争いを続けていくとその愚かさにいつ気が付くのでしょうか。まだまだ続けないと気が付かないのでしょうか。地位、名誉、金銭は求めれば求めるほど上があり、決して満足することを許さず、また下から来るものに対しての恐れや不安があり、守ると同時に常に責めなければならない。

常に不安がありながらも責めることを考えていく、このゲームを毎日続けているのです。このゲームのエネルギーを引きずったままスピリチュアルな学びをしている人がおります。スピリチュアルな学びの世界に入っても同じように地位、名誉、金銭を求めるゲームを続けようとします。どっちがグルとして優秀なのか、どっちがよりパワフルなチャネラーなのか、有名な人はどっちか、そういったことばかりを考えて、学んでいる人がいます。

スピリチュアルな学びをしているといっていながら、実際には地位、名誉、金銭を求めるゲームを相変わらず続けているのです。こういうゲームを演じている限り、社会は何一つ変わることはないでしょう。いくらライトワーカーが増え、光のサポートをする人が増えたようにみえても結局社会に対しての地位、名誉、金銭のエネルギーを創り出して広げているだけであり、社会を変えるほどには至ってはおりません。

日本のライトワーカーのほとんどがそういう波動で学んでいるために、日本のライトワーカーがいくら頑張っても社会を変えるだけのパワーにはなっていないのです。本来ならば宗教やニューエイジ、精神世界の学びをしているすべての人が正しい心を持って学んでいれば、とっくの前に日本の社会は古い概念が破壊され、新たな価値観が創られて、十分にユートピアが出来上がっているでしょう。

本来ならばそういう社会になっていて何の不思議もないのです。ところが現実を見るとほとんどこの十年、二十年、社会の根本は変わっておりません。結局、宗教やニューエイジ、精神世界で学んでいる人の多くの地位、名誉、金銭を求めるゲームを続けているからなのです。

有名になること、上にいくこと、儲けること、こういう図表のもので学びを重ね、幸福という定義が地位、名誉、金銭を手に入れることと勘違いしている、幸せという価値観が普通の人とまったく変わらず、同じようなゲームを演じている、こういう状態の中でいくら学びを重ねても社会も変わらなければ、自分自身も変わりません。

結局自分は他の人との間でそういうゲームを繰り広げ、反発心や嫉妬、コントロール、いろんな波動の中で学びを続けることになります。ライトワーカーとして働いている人、行動している人はその辺をしっかりと自覚する必要があります。表向きを普通の人間と同じように装い、一見普通の人と差がないような話題をしながら行動して、そしてある程度相手が受け入れてくれる段階になると少し話をしてみる、こういう方法で行動していきます。

確かに周りからは変に思われることはなく、自分も段階的に話ができるのでそんなに急に困ったり、トラブルになることはありません。でも実際にはごく普通の人のエネルギーを前提にしてそれを壊さないようにして行動しているために、普通の人の世界を認め、エネルギーを与えていることになるのです。

いわゆる地位、名誉、金銭を求めるエネルギーに自分も協力しているのです。本当にそういう社会を改善し、真実の光だけを流していく、真実の世界を創っていく、そういう意識が強いのであれば、他の人からどう思われようが、親しい人からどう思われようが自分はしっかりとライトワーカーの行動を取る必要があります。

こんなこと言うとおかしく思われる、変に思われる、そういうことばかりを考えていると、そのエネルギーがいっぱい自分の周りに出来上がり、そして自分はそれをいつか体験せねばならない現実を創っていきます。皆さん方の考えたものは必ず現実をつくるベースとして残っており、いつかはそれを現実として体験することになります。

不安をたくさん抱けば抱くほど、その現実を本当に体験するはめになります。不安を抱くのではなく、むしろ自分の言葉によって人々が明るくなり、自分のやるべきことが見えて良い社会になっていく、それだけを考えておくとそういったエネルギーが出来上がり、いつかはそれを現実化させるように動いていくでしょう。頭の中で考えることは不安や恐れではなく、希望や素晴らしい光の未来、常にそういったことを考えていく、これがライトワーカーの考え方になります。

自分自身が今までどういった波動で生きてきて、今どこへ向かおうとしているのか、その流れを本当に理解して、自分の現実を満足のできるものに変えていってください。


A仲間意識のもたらす弊害

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今ライトワーカーとしての意識の持ち方や行動の仕方についての話がありました。日本の人はどうしても他の人からどう見られるのか、他の人から変に見られないようにどう行動すべきか、常にそれを考える傾向があります。

これは本来の日本人の持っている波動ではなく、途中で人類の歴史の中でつくられてきた波動になります。日本の人々が仲間をつくり、仲間外れにする、よそ者を別のものに扱ったり、自分たちと違うものを排斥する、こういった波動が出来上がってきており、いつのまにか仲間同士で協力し合い、仲間に関してはとても素晴らしい波動を発揮しながら、仲間以外のものには冷徹で残酷な行動を取る、これが日本人の意識になっています。

仲間と仲間でない人に対しての態度の接し方がかなり違っており、それをむしろ正当化する言動も取られます。残酷で冷たい態度を取られたくなければ仲間になれば良い、仲間にしてあげるともうこういったことはしないで済む、こういった理不尽な論理を持ってきて、それによって皆を仲間にしてしまう、気に食わない人は仲間外れにする、こういう言動が取られます。

今日本人はこのエネルギーを癒し、消去していく必要があります。このエネルギーを持っていてはシャンバラどころか素晴らしい未来はほとんどありません。仲間意識は表には出てこなくてもとても邪悪な波動になっています。

皆さん方の心に巣くっているとても邪悪な波動です。こんな残酷な波動はありません。しかしそれが仲間意識で同じ仲間に対しては良いことをしているかのように錯覚し、勘違いしているために仲間意識そのものが邪悪な波動とはまったく理解されていません。

仲間意識は邪悪な波動である、これを本当に理解して自分はそういったことに加担するのではなく、むしろ仲間以外の人、初めての人や見知らぬ人にでも同じように接していく、常にそういう意識を持って自分の心の世界を広げていっていただきたいと思います。

それでは皆さん方の心を見て、アドバイスをしてみます。


Keitaさんの心を見た時、あなたの心の方向性にいろんな方角があり、自分の進むべき方向性と周りのものの進むべき方向性が違う時、自分の思いは自分の方向性が見えていても、当然のことのようにして周りの方向性を認め、その方向に流れていくケースがあります。自分の言葉としては一生懸命自分の方向性を出しながらも結果的には周りの方向性に沿って進んでいくのです。やはり同じように自分自身の方向性に何か不安があり、恐れがあり、周りの人と同じように行動することによって自分を正当化するケースがあります。多かれ少なかれどの人も持っていますが、やはり自分に関しては自分の責任において自分の行動をしっかりと理解する必要があります。どこまでが自分の方向で、どこまでは周りの人が創り上げた方向なのか、それを常に理解し、自分は自分の方向性にだけ進んでいく、周りの方向に合わせるのではなく、自分の方向性で進んでいく、常にそれを意識してその方向へ進むようにしていってください。

Sachikoさんの心の波動を見た時、あなたの心が今新たなる光に生まれ変わり、新たなる方向性を示そうとしています。今あなたの抱えている方向性にいくつかの修正が加わってくるでしょう。自分の信じていた方向性、今まではこの方向性に沿って周りとの関係でそれなりにうまく進んできました。新たなる方向性はあなたに本当の自分を見せるための流れが出来上がり、あなたはひたすらその方向へ進んでいることが分るようになります。あえて周りの人に何かするとか、人のために何かするとか思わなくても自分の方向性そのものを理解し、自分の方向性を歩んでいくだけで結果的に周りの人に必要なことを演ずることになります。このコツが分ってくると、いちいち周りのことは気にしなくても自分の本来の流れだけを考えていけばすべてうまくいく、社会の方向性を考えるのではなく、自分の方向性を考えるだけで社会がうまくいく、これが分るようになってきます。したがって、これからの流れについて自分の方向性をしっかりと理解し、ひたすらそこへ進むことを実践するようにしていってください。

Norioさんの心の波動を見た時、あなたの心の方向性が今あなたにとってとても良い響きを感じております。ある程度自分の方向性が感じられ、流れが見えてきています。ただ本来の自分をどこまで表現するのか、自分の本来のすべてをどこまで現実の中に現していくのか、この葛藤が常に付きまとってきます。自分の心の中では完全に現したい、完全に表現したいと感じていながらもやはりいざその場になるとうまく丸めてしまう、つい合わせてしまう、こういうエネルギーによって完全に表現しにくいケースがあります。表現の仕方を工夫してみる必要があるでしょう。自分の理解していること、分っていることをそのまま具体化するよりもそれをしっかり昇華し、理解し、自分の理解した真実で具現化していく、自分が分った言動や言葉そのもので行動するのではなく、そのエッセンスを理解し、そのエッセンスそのものを具現化していく、それによって流れがかなり変化していきます。教わったことや読んだこと、目にしたことをベースにしていくと、どうしてもその行動は真実の行動ではなくなるのです。しかしこのエッセンスを本当に理解し、エッセンスに基づいた行動を取ると、それは真実の行動になります。真実の行動は人間関係をおかしくさせることはありません。しかし、読んだ話や聞いた話、学んだことをそのまま表現するとそれにまつわるエネルギーがすべて関与するために、そこにいる人がいろんなエネルギーを感じ、いろんな思いを出していくのです。したがって、自分が勉強したことそのものを表現するのではなく、エッセンスを具現化していく、是非ともそのやり方を身に付けるようにしてみてください。

Yukoさんの心の方向性を見た時、あなたの心の流れが自分にとって正しいと感じている方向性が創られており、その方向性を自分がひたすら歩もうといろんな気持ちをつくり出し、そこに向かえない自分を残念に思ったり、悲しく思う自分がいます。あなたの心の中に創られた自分の本当の方向性、正しい方向性と感じているのものが、必ずしもあなた自身の本当の真実と一致しているわけではありません。あなたが理解している範囲内で真実であり、あなたが理解している範囲内で真実の道となっているかもしれません。でも全体の流れから見た時、やはりそれは自分が理想としている一つの波動で留まっており、本当の真実の自分ではないのです。では本当の自分はどうやって見つけていくのか。それは現実の中から見つけるしかありません。現実を否定し、現実を無視していると自分を見つけることはできません。他人からの言葉、三次元的な言葉、いろんなものから情報を得、自分を理解する道具として使う必要があります。たとえそれが自分の嫌な人、嫌いな人であってもそこから話される言葉やアドバイスには耳を傾ける必要があります。その中に真実が隠れていることがたくさんあるからです。そういう学び方を理解し、そういう流れが分った時、宇宙の仕組みが少しずつ理解されていくでしょう。まだまだそういうところで一つ自分の創り上げた世界があり、そこから離れられない自分がいます。現実の中から自分を見つけていく、そういう意識を完全に自分のものにして、本当の自分の光の流れを見つけるようにしていってください。

Naokoさんの心の方向性を見た時、あなたの世界は今大きな変化を示しており、自分自身がしがみついていた世界が少しずつ新たなる波動へと変化しています。ただこれが自分でどのように理解し、確認していくか、心の波動が変わると現実の世界も変わっていきます。人間関係や社会関係、家庭関係、いろんな変化が出てきます。それは自分自身の心の変化がつくり出したものであり、自分が変わることによって周りが変わるからです。この変化をどのように有効に使っていくか。いくら変化しても根本のところが変わっていなければ、また元に戻ってしまう可能性があるからです。根本のところを完全に切り替えてしまう、今で長い間身に付けてきた根本のエネルギー、自分に対する思いや他人に対する思い、スピリットに対する思い、その核心のところがまだ切り替わっていない段階にあります。そのために一見環境が変わり、流れが変わったように見えても核心は変わっていないと、また元に戻ってしまいます。元に戻らないためには核となっているレベルから変えてしまう、つくり変えてしまう、追い出してしまう、こういう努力が必要になります。自分自身の普段考えていること、思っていることで、核となっていることが今までと同じ発想であり、同じ流れであるのであれば、真実の変化にはならないでしょう。もっと本質的なレベルから自分を変えてしまう、そういう意識を持って新たなる現実をつくり出していってください。

Tomokoさんの心の方向性を見た時、あなたの心の方向性は自分自身が今感じている方向性、頭で理解している方向性、これまでの人間関係によって現実で理解してきた方向性、それぞれが心の中に現れており、これらが統合していない段階にあります。方向性といっても感情的に感ずる方向性、思考のレベルで感ずる方向性、体験のレベルで感ずる方向性、それぞれの方向性の違いがあり、自分でどれが本当なのか分っていない段階にあります。人間関係を感ずる場合でも頭でこうだと学んだことで整理して理解しても、いざ現実を見ると体験と一致せず、結局心の満足が得られず、感情的なものとも一致しない。心で満足するものを追い求めても、頭で理解したことや現象とも一致しない、こういった葛藤が起こっております。あなたの方向性で流れを見ると、理解をする場合でも他の人との関係で理解をつくってしまうために、どうしても真実の理解とは違う方向性になってしまいます。真実に基づいて理解し、それらを知恵として生かせるのであれば、十分に成長できるのですが、理解する時に宇宙の法則や神の意志で考えるのではなく、自分の観点から考えてしまうために、その方向性が必ずしも合っておらず、周りに合わせた考え方をする傾向になってしまいます。そのために、どうしても自分と周りの人との関係、他の人との流れでいろんな思いが出来上がり、流れがつくられていきます。そして結果的にそれが本来の流れでないために現実的に見て、耐えられなかったり、満足できない現実を体験することになります。流れを考える時、もっと宇宙の法則や神の意志、本質的なところから見ていく必要があります。現実レベルで考えを進めてもほとんど合わないことがあり、またそれで理解できるわけではありません。内面に踏み込んでいき、より繊細なレベルで見つけていく、神の意志そのものを感じていく、そういったやり方で自分の方向性を見つけていってください。

Shidueさんの心の方向性を見た時、あなたの方向性はあなた自身が理解している方向性が少しずつ確立され、出来上がってきており、それに合わせようとする思いがあります。自分の理解してきた方向性がだんだん出来てきて、そこへ向おうとする、これは学びを始めている段階としてはとても良い波動になります。神の意志、宇宙の意志を理解してそこに進んでいく、とても良い波動になるでしょう。しかし現実レベルではどうしてもそこにギャップがあり、自分の思っていることと現実が対応しない、せっかくちゃんと行動しても現実的に見て納得できない、こういう現象を創り出していきます。まだまだ現実におけるエネルギーが弱く、自分の意志で現実をつくっているという意識がほとんどありません。自分にはまだ力がない、周りの人がやっている、そういう意識が強いために自分の意志で現実をつくるという流れが創られにくいのです。もっともっと自分の意志のエネルギーを強く発揮し、信ずる必要があります。自分が現実を創っている、これを信ずるだけでかなりの変化が起こってきます。今はそれを信じていないために現実が自分のペースで動かない状況になっています。現実は本当に自分がつくり出している、自分が創ったとおりに現実が動いている、早くそれを理解してこの壁を乗り越えるようにしていってください。

Mariさんの心の方向性を見た時、あなたの方向性が自分の思っている方向性と多くの人の思っている方向性に差があることを感じております。周りの人皆を見た時の方向性と自分の感ずる方向性、この違いが感じられており、自分はその狭間でどううまく対処していくか、いつもそこにエネルギーが費やされてしまいます。周りの人と自分の方向性の違いがあってもそれらをうまく両立させることができます。どちらかに合わせたり、妥協したりする必要はありません。両方共うまくいくやり方があるということを先ず知る必要があります。一見正反対のように見えてもそれらを同時に行なうことも可能なのです。現象面にあまりにも意識を向けすぎると、現象にとらわれすぎ、そこだけに意識がいってしまいます。現象面だけに意識を合わせるのではなく、そこに演じられる心の動き、波動、エネルギーを理解する必要があります。そうすると一見まったく違う現象でも、そこには共通のエネルギーが流れたり、動いているのが分ったりします。現実に意味があるのではなく、それをつくり出すエネルギーに意味があること、それが分かった時、現実を生きるのは現実の奴隷になるのではなく、そこへ流れているエネルギーをコントロールすること、エネルギーをコントロールすることが結果的に現実を生かし、いろんな現実も同時に生きることが可能になる、これが分ってきます。無理に現実で生きようとして現実に巻き込まれるのではなく、そのエネルギーを理解してエネルギーのレベルで生きていく、エネルギーのレベルで対処していく、そのやり方をマスターして自分の流れがうまくいくように変えていってください。

Shuheiさんの心の方向性を見た時、あなたの心の方向性が今自分でも揺れ動いており、一定化せず、強く見えたと思えば消えかかったりする繰り返しが行なわれております。自分はこれでやっていく、自分はこうだ、そのように思ってもしばらくするとまたそれに疑問が沸いてきてリセットしたり、やり直したり戻ってしまう傾向があります。自分の感じたことを完全に信じきれず、理解したとしても行動に移せない自分がいます。これをしっかりと自分の道で歩くためには、自分の抱いている感情や思いをすべて一度整理してみる必要があります。そして心の言葉として自分にできないと思っているもの、まだだめだと思っているもの、そういった波動一つひとつ見ていき、自分が本当にできないのかどうか、できないのかやらないのか、単にやっていないだけなのか、いろいろ分析してみる必要があります。そうするとすべてのことに対して否定的に扱っている本当のエネルギーが見えてきます。一つひとつの理屈は単なるその現れであり、根本的に常に自分を否定的に扱ってしまう自分が見えてきます。これをどのようにして肯定的に変えていくか、自分を否定的に扱ってしまう自分が何を目的としてそうやってきたのか、自分の価値観を否定し、認めないことにより自分自身はただ周りに合わせてうまくやっていく、ただ周りと同じことをやっておけばそれで良い、そういう波動に流されていくのです。周りに合わせておくと自分のエネルギーは最小限で済む、苦労はしない、こういうエネルギーが創られているために自分の本当のエネルギーがかなり動かない状態になっていると言えます。したがって、自分がこれから真実の道を歩くためには先ず自分がしっかりと自分の道で歩き始め、自分を否定する自分からも独立し、本当の自分の道を歩いていくことです。肯定的なこと、前向きなことだけを考えてその道を歩んでいく、常に前を歩くことだけを考えていく、そういう意識で自分の流れをつくり変えていってください。

Yuichiさんの心の方向性を見た時、あなたの心の中に純粋で素朴な自分と、そういう自分から打ち勝つための強い自分がつくられており、強い自分になるために素直な自分をわざわざ破壊しようとする波動があります。今の自分から抜け出そうとするために、素直で純粋な自分をわざわざぶち壊して強い人間になる、こういう波動があるのです。強い人間というのはただ単に人の上に立ったり、人に負けないという意味ではありません。何を言われても動ずることなく、どのような言動を取られようとも自分を見失うことのない自分が強い人間であり、その強い自分を現実で現すためには素直に純粋で生きる必要があります。素直で純粋な人間が一番強い人間であり、何者にも負けることはなく、誤魔化されることもありません。わざわざ強い自分になろうとして純粋性をぶち壊す、こういう別の自分をしっかりと克服し、本来の自分の純粋なるものに戻っていく、純粋なる自分のままで自分を現していく、それを理解して流れをつくっていってください。


皆さん方の心の方向性についてアドバイスをしてみました。日本人として共通的に持っている波動、周りに合わせてしまうとか、目立たないように行動するという波動を誰もが持っております。したがって、アドバイスとしてそういう話がなされなかった人でも基本的には他人に合わせる、他人のやっているようにやってしまう、この波動はやはり同じように持っていると思っておいてください。

そして自分はそれを克服し、自分自身の力で生きていく、自分の本当のものを具現化していく、常にそれを理解してその方向へと向うようにしていってください。それでは少し休憩を取ります。ありがとうございました。


B一人ひとり違う存在

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。皆さん方が毎日の生活を送るうえで家族関係や仕事の関係でいろんな人間関係を続けていきます。いろんな人と関りを持って生活をしていますが、本当に自分の心に合う波動の人、本当に気の合う人はそんなにはいないというのが普通の人の意識だと思われます。

毎日接する人の数を調べ、その中ですべてが自分の心で合う人、本当に受け入れることができる人、ほんのわずかしか感じていないかもしれません。そのほんのわずかな人でも時期が来て、お互いの人間関係が変わり、立場が変わり、それぞれの関係している人間が変わってくるとその価値観も変わってきて、うまくいっていた波動が合わなくなったり、これまでとは違う思いが沸き起こったりしてきます。

皆さん方が本当に感じているいろんな人の中で自分と本当に合う人、そんなには感じていないのが現状と言えるでしょう。結果的に自分が孤独感を感じ、ひとりぽっちという感覚を得てきて、何か自分だけが違う、皆と自分が違うという感覚になっています。

でも実際には全員がそういう感じを持っているために、全員が自分一人、ひとりぽっちという感覚を手にしているのです。多くの人は自分だけが違っていて、他の人は同じ、自分だけが他の人と違う、そういう感覚を心に抱いています。でも実際には全員がそういう感覚を持っており、自分とまったく同じ波動を持って感じている人というのはほとんどいません。それだけ全員が一人ひとり個別化しており、単独であることを考えた時、自分だけが違って他の人は同じ、他の人に合わせるということが何を意味しているのでしょう。

実際には他の人に合わせると思ってるのは自分が勝手にそう思い込んでいるだけで他の人は一人ひとり価値観がまったく違っているのです。他の人から見ると自分も他の人と同じようにつくられており、たまたま他の人に相槌を打つと、その人と自分が同じ人間であるかのように別の人に思われてしまいます。

人間は皆こういうゲームを演じています。自分以外はすべて同じ、相槌を打った途端に同じ人間の価値観として思われてしまう。いろんなゲームを演じていて、誰が味方であり、誰が敵であるのか、いつもそれをつくり上げていきます。

実際には一人ひとり本当に違っており、同じ意識や同じ価値観の人はほとんどいないというのを素直に認める必要があります。多くの人の中でたまたま自分が何か他の人から否定された時、自分一人が否定されて他の人全員が同じで、全員から自分は否定された、すぐこういう意識を持つ人がおります。

これは勝手に自分がそう思い込んでいるだけであり、実際には他の人がすべて自分を攻撃しているという現実はほとんどありません。たまたま一人の人から厳しく言われただけで全員から言われたかのような感覚を得てしまう、こういう意識自体が問題であり、こういう意識があるうちはいくら仲間意識を外そうとか、団体の意識を外そうとかいうことを言ったり、リチュアルをしても何一つ変わることはないでしょう。

自分が他の人から言われたら他の人全員から言われてしまったと感じてしまう、自分だけが違うと感じてしまう、こういう意識を完全に開放させ、一人ひとりが全部独立しており、一人ひとりが自分の流れで生きている、一人ひとりが自分の意見を持っている、他の人に言われた場合でもたまたまその人が自分に言っただけであり、他の人全員が自分に言っているわけではない、そこからすべてを始めていく必要があります。

仲間という意識で考えるために、皆からばかにされたとか、皆から否定されたという思いを創り上げていきます。こういう思いを持たずに純粋に一人ひとりが自分の流れを生きている、一人ひとりが自分の意識で行動している、そこに戻って本来の自分の流れをつくり上げるようにしてみてください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


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