一人ひとりの人生を単純に見た時、いわゆる仕事というエネルギーを通して金銭を獲得し、それによって豊かな人生、満足する人生を創り上げていく、こういう考えで多くの人が流れを創っております。でも日本において、今のような経済システムが確立する前の江戸時代やそれよりも前の時代において、人々はどういう生き方をしていたのでしょうか。
生きるために会社で働くという発想はあるはずはありません。何を目標として、また何のために生きていたのでしょう。今は貨幣が大きな価値を占めているために、貨幣を手にすることによって多くの富が手に入る、多くの富を手に入れるために貨幣を手に入れる、その方法として労働があり、また労働するために一日の大半を費やす。そういうエネルギーが社会を占めているために、人に奉仕をする、ライトワーカーとして活動すると思ってもそういう貨幣における労働のエネルギーの中で考え、判断し、行動することになってしまいました。
したがって、ライトワーカー、奉仕をする人といっても経済システムの中で言えば単なる一つの企業と同じ要素になってしまい、それが本当に自分のやりたかったことなのだろうか、自分は何のために神の御遣いとして奉仕を行なうのか、いろんな疑問が沸き起こってしまいます。
本来、今のような社会から人々の心を解き放とう、心を開放しようとして癒しを行ない、光を流そうと思っていたはずです。それがいつのまにか自分が経済システムの中に入り込み、経済システムをより確立させるような働きを行なってしまう、気が付いてみたら企業とまったく同じエネルギーを身に付け、金銭の出入りや、計画、事業、そういったことにばかりエネルギーが費やされてしまい、肝心の人の心を癒す、社会を明るくさせるという思いが、どこか遠くの彼方に消えてしまっています。
ライトワーカーとして働く人の大半がそういう流れを歩んでいきます。はじめは社会を愛で満たし、光で満たし、今の経済システムから解き放とう、企業のために働くのではなく、自分のために働く、富を手にしているものだけが裕福になるのではなく、多くの人に裕福になってもらいたい、そう思って光を流し、愛を流していく、はじめは皆そう考えます。
そして神や天使がついているから大丈夫、皆で一緒にやれば絶対うまくいく、そう信じて独立する人がたくさんおります。彼らはどうなったでしょう。気がついてみたら会社と同じように家賃を払うために働き、食べるために休むことを許されず働き続ける。企業と同じことを繰り返している人がたくさんおります。何故そうなるのでしょう。何が間違っているのでしょう。
今の経済システムが人間の心を蝕んでいるので、心を解放させ人々に愛と癒しを与えたい、こういう考えはとても素晴らしいものであり、またそれは純粋なものでしょう。じゃ、自分が独立して金銭を気にせず、会社の組織のことを気にせず皆に愛と癒しをどんどん流していきたい、こう思うのも一概に悪いとは言えません。でも現実の中に入って企業というエネルギーを身に付けていくとき、いつのまにかお客さんを獲得するために宣伝をしたり、広告を使ったり、あるいはお客さんを獲得するためにいろんな手段を講じていき、お客さんを来ることをまずいろいろと考える毎日になってしまいます。
今の日本の土壌を見た時、不特定多数の人を相手にする商売ということに関して極めて特殊なエネルギーが入り込んでいます。元々日本においては不特定多数の人を相手にするというやり方がうまく育っていませんでした。ある地域の中でお得意さんを相手にして商売を続ける、いつもひいきにしてくれる人を相手にして商売を続ける、こういう店が昔から存在しており、したがって、町や村において老舗の店、古くからの店が常に中心になっているという時期がありました。
だんだん流通が広がり、人々も移動が激しくなるにつれ不特定多数のお客さんを相手にする店が増えてきます。自分の身近な地域におけるお客さんを相手にしている場合は、必ずしも金銭や商売のことだけを考えるのではなく、人間関係、悩み事の相談、困った時に助け合う、いろんな波動がそこに入り込んでおり、単純にビジネスだけで対応しているわけではありません。
したがって、そこにおいてはいろんな学びや助け合い、いわゆる愛のような波動も入っており、お互いの心が豊かになる要素がたくさん入っておりました。それが不特定多数のお客さんを相手にし始める頃から、心の通い合う関係が徐々に薄れていき、単純に物を買うだけ、サービスをするだけ、欲しいものを与えるだけというエネルギーに変化していきます。
そこにおいていわゆる金銭の価値がどんどん大きくなっていき、金銭によって奉仕をする、物を与えるという状況に変わっていきました。その頃から日本における経済のエネルギーも変化し始め、金銭の価値がだんだん大きくなっていきます。金銭があることによって欲しいものが手に入る、金銭を前提にして物を考えていく、こういう流れに入っていきます。
この金銭が大きな力を持つにしたがい、経済システムはさらに大きな、大きな変化を遂げていきます。金銭の持つ力がだんだん強くなり、拡大し、金銭だけでいろんなことができるように変化していきます。人間そのものを金銭で買う、そこの家にある財産を金銭で買う、大切なものを金銭で買う、そのうち地位や名誉そのものをも金銭で買う。金銭の価値がどんどん変化してきました。
今日本における経済を見た時、この金銭のパワーがとても強い影響を与えております。金銭を持っているだけで手に入るものがたくさんあるのです。単に物や物質を買うのではなく、人の心をも左右する力を持っているのです。これはとても大きなパワーと言えるでしょう。それ故に多くの人は金銭を追い求め、金銭を前提にした意識を身に付けていきました。
結果的にライトワーカーになっても人のために奉仕をするという働きをするようになっても、金銭から逃れることができなくなっております。自分の心の中にお金さえあれば、お金がないから、こういう意識が出来上がっているのです。じゃ、そういう意識をなくせば良いのか。お金はなくても大丈夫、お金は必要ではない、仮にそう思い込んだとして自分の人生はどうなるのか。
本当にお金がなくてどうしようもできない流れに入っていくでしょう。自分がそう思ったところで金銭そのもの、及び、周りにいる人のほとんど多くの人が金銭が大事、金銭に価値がある、金銭が大切、そう思っているとやはりそのエネルギーで流れていくのです。
いくら自分一人が金銭がすべてではない、金銭がなくても大丈夫、そう思っても自分と関わり合う人、すべてがそう思わない限り自分は金銭のエネルギーで流されてしまうのです。したがって、本当に自分自身が金銭を必要と思わず、金銭に左右されない流れを進みたいのであれば、そう思っている人とだけ付き合っていく必要があります。
やはり金銭が大事、金銭がないと困るんだ、そういう人と一緒にいるだけで、そのエネルギーは自分に影響を与え、自分はそういう人々にむしろ遣われてしまう場合すらあります。そう思っている人に金銭を根こそぎ取られてしまう、自分の豊かさが全部その人のために奪われてしまう、こういうことがありえるのです。
いわゆるニューエイジ、特に金銭に無頓着なニューエイジの人々で、次から次と財産を失っている人のほとんどはそういう人です。金銭は無くても大丈夫、いずれ貨幣制度は意味がなくなる、だから気にしなくて良い、自分一人そう思っていても自分と接する人の多くが、やはり金銭がないと困る、そう思っているとそういう人にどんどんエネルギーが、金銭のエネルギーが流れていくのです。
金銭が必要、そう思っている人に自分の金銭のエネルギーが流れていくのです。それ故、金銭がなくても大丈夫という人の金銭のエネルギーがどんどんなくなり、そして、いつのまにか借金を抱え込み、毎日の生活ができなくなっていきます。それでも良いと思っている人、現実にたくさんおりました。
神様は絶対助けてくれる、天使が必ず何とかしてくれる、それを信じてどんどん金銭が他の人に流れていっても、まったく無頓着な人がおりました。神様はどうしたでしょう。その人の望む通り金銭のない状態を創っていきました。その人の望むとおり心配しなくても良いという状況を創っていきました。
その人は最終的に神を呪い、天使を呪いました。膨大な借金を抱え、家庭がめちゃくちゃになり、友人関係もまずくなり、友人や家庭から逃げ出すという人がたくさんいたからです。これだけ神を信じ、天使を信じ、純粋に人々を信じて、お金に執着せず、光のために活動したのに何故こんなひどい目に合うのか、どうして神様は助けてくれないのか、そうやって神を呪っているニューエイジの人々が無数におります。借金地獄で苦しんでいる人、たくさんおります。
今の日本における経済システムが今の金銭を前提にした流れで動いている以上は、これを無視して生きることはできません。しかしだからといって、金銭を獲得することだけを考えてもライトワーカーとは言えません。ライトワーカーといえる人々はそういったエネルギーの奴隷になるのではなく、エネルギーを使う、ツールとして使いこなすという意味を理解する必要があります。
現実を否定し、呪い、現実を恨んでいる人、これは現実を何も理解せず、現実の奴隷になっているのです。宇宙の法則を理解し、神の気持ちを理解し、本当に自分のハイヤーセルフやマスターと繋がっているのであれば、現実をうまく使って良いように創り変えていく、こういう発想が出てくるのです。
金銭が世の中を支配している、金銭があれば何でもでき豊かになる。ではこれをうまく利用し、自分が豊かになるためにはどうするのか。いうまでもなく自分が金銭を手にすると自分は豊かになるかもしれない、金銭のない人が金銭を手にするとその人の心は豊かになるかもしれない。金銭のない人、今現実を苦しみ、困っている人に金銭が流れればどれほど喜びを感じるのだろう。
金銭をうまく使うということを学んでいく必要があります。金銭を使うことによって今まで苦しんでいた人が豊かになり、喜びを感じる、そういう現実を目の当たりにした時、神様は本当に喜ぶだろう。仮に自分が金銭はなくても大丈夫、そういう気持ちを出して自分の金銭が、金銭がすべてだという人にどんどん流れていく状態と、今金銭がなくて困っているという人に、自分の金銭が流れてその人が豊かになるのと、どっちが本当に神様は喜ぶでしょうか、どっちが本当に天使が喜ぶでしょうか。
逆に本当に金銭が大事だと自分も感じている、でも金銭を持つと何か間違ったような感覚があるために本当は金銭のない状態の方がむしろ良いかもしれない、そう思って本来ある富のエネルギーをどんどんわざと取り外し、そして全然意味のないところに使ってしまう。こういう状態を見て本当に神や天使は喜びを感ずるでしょうか。
わざわざある富を減らすということに何の意味があるでしょうか。今与えられている富、今与えられている金銭、これは皆さん方に与えられた神からの、宇宙からの贈り物です。この与えられた富を皆さん方がどう使っていくか。さらに心が豊かに楽しくなる方向へと使うか、意味がないものとして捨てていくのか、必要ないものとして無視するのか、どれが本当に神と宇宙のためになっているでしょう。
富がある時素直に富として受け取ってもらうと宇宙では富として喜びを感じていくでしょう。こういう富があるから人間は堕落させるんだ、富があることが人間にとって良くないことなんだ、こう思っている人がたくさんおります。そう思っている人は本当にそういう現実を進めていくでしょう。
富をどんどん手にして堕落する人は増えていくのです。自分は富をいくら手にしても絶対堕落はしない、その喜びを多くの人に味わってもらい、多くの人に分配していくから、多くの人が喜びを感ずるから、だから自分はいくら富を手にしてもすべてそれを受け取っていく、こういう気持ちを持っている人はさらに次々と富が流れてくるでしょう。
もう一度理解していただきたいのですが、多くのニューエイジ的な活動をしている人の中で、どんどんお金を減らし、逃げ回っている人がたくさんおり、その多くはお金はどうでも良いから、お金には価値がないから、そう信じ、そう思っているためにそれが現実化しているのです。
多くの金銭を手にしている人、これはお金があると幸せになれる、お金が欲しい、そう思って本当にお金を手にしているのです。問題はお金を手にしている人が本当の幸せを手にしているかどうか。本当の幸福を手にしているかどうか。お金にはいろんなエネルギーが同居しており、人間の欲や人間のエゴのエネルギーを巧妙に刺激させる要素がたくさんあります。
そういうエゴや一人ひとりの心に影響を与えるのはあくまでもエゴそのものであり、金銭がそうさせているのではありません。金銭のエネルギーに入っているエゴや邪のエネルギーが人間を堕落させているのです。金銭そのものが堕落させているのではありません。
これを勘違いし、また使っている人がいるのです。金銭は罪悪ではありません。金銭は喜ばせることもできるし、人の心を大きくすることもできるのです。しかし金銭にエゴのエネルギーが入り、プライドのエネルギーや、傲慢なエネルギーが入ると心を堕落させ、また破壊を導いたりします。
金銭の問題ではなく、人間の心の問題であるということ、これを理解できない限りいくらニューエイジ的に金銭がなくても大丈夫とか、金銭がすべてではないという口に出して幸せを手に入れようとしても、何一つ幸せは手に入らないでしょう。やはり金銭はある程度皆さん方に潤いや幸せを与えてくれます。
今の経済システムがそういう波動になっている以上は、そこから抜けることはとても厳しいでしょう。ただ確かに完全に自分はそういう波動から離れ、金銭がすべてではなく、金銭がなくてもやっていける、そうやって生きていけるやり方もあります。
先ほど言ったように自分と関わり合う人すべてがそう思っていれば大丈夫です。お坊さんの中に時々そういう人がおります。まったく金銭的なことに意識を向けず、本当に人々のために活動している人、そういう人は金銭に目がくらんで混乱を導くことはありません。
といっても、今となっては聖職者であっても金銭に目が奪われ、金銭の獲得だけに意識が行っている人々もおります。とても悲しい実態ですが、現実はそう変化してきております。皆さん方がライトワーカーとして活動をはじめ、これからの新しい時代を創る時、この金銭にまつわるいろんな現実がやはり左右していくでしょう。そして多くの人が理想的なライトセンターを創り、金銭に捉われず、本当に愛と光を出すセンターを創りたい、そしてそれを拠点にして世界にユートピアを創っていきたい、ほとんどの人がそう思って活動するでしょう。
そしてそれは確かに可能な活動でもあります。ただ金銭を否定すると金銭が入ってこないという現実を理解する必要があります。金銭を獲得しようとすると、金銭がすべてという人間がたくさん集まってきます。そこで一人ひとりの学びがあるでしょう。一人ひとりいろんなドラマを展開するでしょう。
でもその中で理想的なライトセンター、理想的なヒーリングセンターを皆さん方が創っていく必要があります。金銭を否定せず、金銭を十分に受け取りながらも、金銭の奴隷にならない流通システム、企業のような形態、これが必要とされます。皆さん方のようにしっかりとイニシエーションを受け、ライトセンターを創ろうとしている人、このエネルギーはとても偉大であり、またこれからの重要な要素を握っております。
今のような観点をよく理解して、じゃ、自分のセンターをどのようにして維持していくのか、どう創っていくのか、よく考えて進めていただきたいと願っております。では単純にアドバイスをしてみます。
Keitaさんの金銭とのエネルギーを見た時、あなたの心の波動の中に富や裕福について自分でもどう理解して整理して良いのか、まだまごついている波動があります。どこかで金銭を必要と感じながらも、あえて口に出しづらかったり、はっきりと必要性を認めていてもそれを正直に言えない波動があります。やはりライトセンターのような人々を理解しようと思いながらも、現実の経済システムにおける流れを見ているためにそれらの接点でうまく自分なりに整理がついていない状態と言えるでしょう。この波動は単純にどう思えばうまくいくとか、どうすれば解決できるというエネルギーではありません。自分自身が社会の中でどういう位置を占めていくのか、自分はこの社会の中でどういう存在なのか、まずはそれ自身が自分でも理解されていないのです。この社会における人間関係の中で自分は何を担当しているのか、自分はどういう役割なのか、エネルギーを創り出す側なのか、エネルギーを分配する側なのか、エネルギーを組み合わせる側なのか、まだ自分の存在価値が人間関係の中で理解されていないのです。それが結果的に金銭の流れにおいても明確に理解できない状態となって現れてきております。自分の存在感が人間関係の中でどういう役割を演じているのか、それを自分なりに理解できるようにしてみてください。
Ritsukoさんの富の波動を見た時、あなたの富の波動にとても素晴らしい光と、その光をわざわざ目立たないようにしている波動があります。根本的な光は本来真面目にやっている人に光が流れ、正直に素直に人に光が流れるという信念を持った光があり、その光を大切にしようとして自分は協力しようとしております。そしてその光を維持しようとしながらも、実際の世の中で光を見た時、その光とは別の種類の光が権力を持ち、地位を持ち、パワーを持っているために自分の信じている光が認められず、評価されないという思いが出てきて、それでいつのまにか本来の光が曇ってしまって分からなくなってしまう状態があります。本来の真実の光をどのような事態になろうとも認めるという波動が中々確立できないために、どうしてもそれを曇らせてしまう状態になってしまいます。あなた自身の本当の富の波動を見た時は、このような真実の光で富を創ろうとする波動と、その波動ではなくやはりパワーのある波動にある程度負けてしまうという波動が葛藤しながら、富を創り出しております。あなたの波動から見た時、完全に本当の光だけを認め、現実的にパワーのある光を無視しようとしてもやはり現実がうまくいかないでしょう。今の日本の経済システムがそれを許さないからです。かといって日本の経済システムを前提にすると本来のあなたの富の波動は無視されていくでしょう。しかしこれを同一させようとすると葛藤が起こり、両方ともうまく流れなくなってしまいます。これが今のあなたの状態といえるでしょう。両方同一させようとして、両方がだめになってしまう、こういう現実を変えていく必要があります。両方をうまくいかせようとして言葉の波動を出しておかしくなってしまう、こういう考え方を根本から変えていき、両方共が正しく、両方共が必要であり、両方共が真実の富を与えていく、そういう根本に戻らない限り、両方の波動が富が増えることはありません。本来の真実の富だけではうまくいかず、やはり今ある日本を覆っている富の波動をうまく使い、両方の光を使いこなすことによって富が広がっていく、富が増していく、それをはっきりと自覚する必要があります。それを自覚し、本当に使い切ることができるようになった時、両方の光が流れてきて、そしてお互いがうまく流れるようになっていくでしょう。そういう意識をいかに創り上げていくのか、そういう心を先ず身に付け、心をそういう風に合わせていく、まずそういう意識を持ってみてください。
Hirokoさんの心の波動を見た時、富のエネルギーはあなたに大きな、大きな手を広げて向い入れております。うまく条件さえ合えばあなたに多くの富がいくらでも流れるようになっております。あなた自身もそれを求めており、あなたは正直に富を手にしようとしております。自分が求めていてもしうまくいかない場合があるとすれば、それは手を広げている富の波動とあなたが求めている富の波動が一致しない場合に起こります。あなたに手を広げている富の波動はあなた自身が本当に奉仕をし、光のために活動し、そしてそれによって多くの人々が目覚め、成長した時、それに応じて与えられる富の波動になっております。したがって、これは典型的なニューエイジの世界で創られた富の波動であり、人々に光と愛と奉仕によって得られる富の波動になっております。したがって、あなたが完全にそれを行なった時、本当にその代償としての富が得られていくでしょう。これが本当に機能するためには、日本の経済システムの中にあるその波動をうまく引っ張ってくる必要があります。日本の経済システムに流れている波動は、少しでも自分が儲かり、楽をして手に入る、多くの人に少しでも安いものを提供して自分が得をする、こういう経済システムが日本を覆っており、それによって富が分配されるような仕組みになっております。したがって、単純に日本の経済システムの中であなたの求めている富を手に入れようとするととても難しい状態になるでしょう。したがって、あなたが富の波動を手に入れるためには日本に普通に流れている富の波動ではなく、むしろそのすきまや別のところに流れている富の波動を引っ張ってくる必要があります。つまりそれは日本におけるごく普通の流通形態やごく普通の仕事、そういった観点の土壌で活動するのではなく、むしろそういった流れとは別の所で工夫をして活動していく、日本の経済システムがまだ入り込んでいないようなすきまの領域で活動していく、そうするとそこで手を広げている富の波動がどんどんあなたに流れてくる可能性があります。自分の活動範囲、行動範囲の中でそういった領域として何があるのか、どれが自分に適しているのか、いろいろ調べてみると新しい発見があるかもしれません。
Kenjiさんの心と富の波動を見た時、あなたの心の核心の所にとても強い信念があり、自分は確実に世のため、人のために活動し、それによって自分の価値が認められ、自分はしっかりとしてそれにふさわしいものが手に入る、こういう信念があります。あなたのその信念によってあなたはそれにふさわしい富を引っ張ってくることができます。それによってあなたはどのような状況になろうとも、野垂れ死にするような状況は何一つ起こりません。確実に自分を生かす最低限のものが必ず流れてくる仕組みになっております。ただそれが本当に心を豊かにし、潤す波動になっているかどうか。あなたのところに流れてくる冨の金銭はそういうしっかりとした信念や真面目さからくるために、楽しく、陽気でほんわかしたエネルギーとして流れてくるとは限りません。しかしそれもあなたが望んだものであり、あなたはそれで十分喜びを感ずるかもしれません。自分の創り上げた波動で神がやってくる、それを理解した時、じゃ、自分は別の種類の冨を得る時、どういう心を持つのか、どういう風に意識を変えると、冨の波動は変わってくるのか。それを調べてみる必要もあるでしょう。そういういろんなことをまだ試してみる余裕がまだあるために自分なりにいろいろ工夫していろんな冨の波動を味わってみてください。
Yokoさんの心の波動と冨を見た時、あなたの心の中のとても大きな光として、真面目で純粋に神に尽くす、こういう思いがあり、あなたはそれを信ずることによって自分が生かされ、富に恵まれるという意識を持っております。純粋に神に従い、神に心を合わせておくと自分は大丈夫、確実に神が守ってくれる、こういう波動があり、今までもそれによって助けられてきたところがあります。冨の波動と合わせて見た時、あなた自身が神から与えられた冨が何だったのか、あなたに必要なものが与えられてきてあなたは常にそれに恩恵を感じておりました。あなたに与えられたものは、物質的な冨や金銭的な冨ではなく、人間や知恵、その時、その時に出会ういろんなタイミング、こういったものによってあなたにいろんなものが与えられていきした。あなたが神を信じるという一つの証であり、神は金銭や物質ではなく、そういうタイミング、人間に出会う時のタイミングや知恵、これが神であるという証をあなたに示しているだけです。したがってあなたは神を本当に信ずることによってさらにそういうタイミングの良さやうまい時に良いものが手に入る、そういったことをどんどん理解することになるでしょう。あなたがそれで満足しているのであればこれからもその流れは続いていくでしょう。ただあなたが求める富がそういったものではなく、物質的にも金銭的にも恵まれたものを意識するのであれば、神を信じている思いを少し変えていく必要があります。神自身が多くの金銭や冨を手にし、与えたがっている、しかし、それはあなただけに与えるのではなく、あなたを通して金銭や富を欲しがっているものに流していく、金銭や冨を求めているものにあなたが出していく、こういう思いがあなたに沸いてきたとき、神はあなたに金銭や冨を与えていくでしょう。あなたがどこまでそれを信じきることができるのか、どこまで納得できるか、その度合いによって、その変化が起こっていきます。
Seikoさんの心の波動と冨を見た時、あなたの心の中の冨はあなたにいろんな思いを創りだしていきます。今まで自分は冨として何を目指していたのか、自分は冨を手にする波動を持っているのか、いろんな思いがあります。あなたに流れてきている冨は、あなた自身に現実を通して豊かさや楽しさ、金銭的なものがどれだけ価値があり、また、それを求めるものの心の波動がどう変化し、自分にも他の人にも影響を与えていくのか、まずこういった波動が急速に流れてきて、そもそも富みとは何であるのか、冨は人間の心にどういう影響を与えていくのか、こういったことを考えさせようとする波動がやってきます。冨そのものよりも、冨に対して考え、冨の波動を考え、そういう波動を引き寄せているのです。あなたが冨のことを考えた場合、冨そのものが動くのではなく冨に対しての価値観が動いていくのです。何故なのか。あなた自身が冨に対して何らかの思いを持っている証となります。単純に冨そのものを喜びとして受け取ったり、冨そのものを他人に手渡すのではなく、冨が良いのか悪いのか、冨を手にしたり、冨を与えることはどういう価値があるのか、そういう思いの方が強いために冨そのものの波動ではなく、冨に関する波動が行き来しているのです。したがってあなたにとっての冨はそういった思いがやり取りする流れになっており、冨そのものが中々動かない波動になっています。したがってあなたは冨を本当に手にしたり、富の実態を動かそうとするのであれば、冨に対する価値観や思いをまず変え、それよりも冨そのものの方に意識を向けていく必要があります。冨に対しての価値観、評価ではなく、冨そのものを実感として受け取る、冨そのものを相手に与えていく、こういう行動が必要になっていきます。自分の心の中にあるいろんな価値観や思い、それを一気に捨て去り、冨そのものの波動を心に持ってくる練習を進めてみてください。
Kenjiさんの心の波動を冨を見た時、あなたの心の波動に大きな希望とまた、それにまつわるいろんな波動が現れております。冨の波動はあなたにいろんな可能性を見せながらも中々動きださないという傾向が見えております。せっかく冨の波動が動きそうな条件を手にし、現実が目の前にありながらも何故かそのまま動かない状態になっているのです。これは冨を創り出すツールや波動を手にしながらも、肝心の自分のエネルギーがそれを動かすに至っていない状態といえます。目の前にある冨のツールを自分の波動でどう動かすのか、それが分かっていない状態と言えるでしょう。では目の前にある冨というツールをどうやって使っていくのか。単純にただ思ったり、瞑想したり、リチュアルをやっても何一つ動きません。このツールに冨を動かすパワーを入れるには、まず自分自身の意識や思い、自分の波動が完全にその中に入る必要があります。その冨の波動の中に自分が完全に入っていくのです。そして冨のツールを自分の体で実感し、どう使うのか、どう動かすのかを体で理解する必要があります。今まではただ目の前で見ていてここにある、これをリチュアルでどうするのか、これを瞑想でどうするのか、そういう程度で終わっておりました。中に入り込んで何がスイッチで、何がレバーのか、しっかりと体で感じ、動かしてみる、こういった思いが必要になります。外側からただ眺めるのではなく、その中に入り込んでいく、一体化してみる、そこまで進めてみてください。
Yukieさんの心の波動と冨を見た時、あなたの心の波動の中に冨に対して何らかの違和感や馴染みのない波動が感じられています。冨や金銭に対して自分は何か正面から向き合うことができず、自分のものに完全に手にできない波動があります。この波動は自分の思いの中に育っており、自分自身がそういう波動を身に付けること自体に、何か違和感を感じております。それ故富の波動は完全に自分と一つにならずに常にある距離をおいた関係になっております。自分がその冨の波動を手にしようと思うのであれば、もっとその距離を縮め、冨の波動そのものを実感し、感じ取る必要があります。そこに感じられる違和感が何であるのか、何故少し距離をおいて接していくのか。冨を持つもの、冨を手にするものに対し、自分の感情的な何かが動き出し、認められない波動があります。そう思っている以上は、その波動はいつまでたっても自分のものにはなりません。もし、自分自身の世界に冨を引っ張ってくるのであれば、冨に対してのそういう思いを手放していく必要があります。ただそういう波動を引っ張ってくる時、そういう波動を持った人間をイメージしたり、波動を持った状態の社会をイメージするとその人間や社会を引っ張ってきてしまう可能性があります。特定の人間や企業をイメージするのではなく、単純に冨そのものを考えていく。単純に豊かなエネルギーだけを自分に繋げていく、そういう思いが必要になります。自分自身は冨に恵まれても十分に愛されており、認められており、神に近い、それを理解して冨をもっともっと肯定的に受け入れる意識を持ってみてください。
Mariyoさんの心の波動と冨を見た時、あなたの心の大きな光の中に冨の波動がとても微妙に細やかに振動している状態が見えます。この冨の波動は非常に細かく、微妙に振動しており、あなたの心の状態がある状態になった時、その冨の波動はあなたの心と連動して、心自身が冨のエネルギーで満たされていきます。しかし心の波動がまだそうなっていない時、冨の波動と合わないために中々冨の波動が自分に流れてこない状態になります。この冨の波動はあなたの意識にとても強く影響しており、あなたが自然に世の中に流れに合わせている時、冨の波動はあなたと共に流れ、あなた自身にいろんな恩恵が流されてきます。社会を否定した時、この波動は連動がなくなり、あなたの冨の恩恵を得られなくなってしまいます。社会の中にいかに適用する意識を持っていくのか、その連動した意識の中で冨の波動をいかに自分の現実に引き出してくるのか、こういう練習を進めていくと、自分の現実がもっともっと冨に溢れた流れに向かっていくでしょう。
Norikoさんの心の波動と冨を見た時、あなたの心の光に冨をうまく操れる波動があります。あなたは冨を操れる能力を持っております。ただこの操るツールとしてあなたが身に付けている波動はまだ今のところ企業の中におけるやり方が主体であるために、企業におけるやり方を通して冨を操る流れになっております。しかし、このツールはいろんなツールが用意されており、企業のやり方を使わなくても別のやり方で冨を操ることができます。それはこれから少しずつ学んでいくことになるでしょう。ある時は人間関係を通して、心の波動を通して、相手に対しての知恵や勇気、知識を通して、いろんなツールを使いこなすことにより冨を操ることができるのです。あなたはそういった波動を身に付けており、これからの学び方によってそういった波動をうまく使いこなせる時期がくるかもしれません。それに目覚め、気が付いた時、企業のシステムを使わなくてもあなたは冨を操ることができるようになります。
Yasuhiroさんの心の波動と冨を見た時、あなたの心の波動が今とても微妙に揺れ動いております。冨に対して一見混乱した状態にあります。自分が信じていた冨、自分が理解していた冨の波動が自分の現実と照らし合わせた時、これから本当に使いこなせる波動なのかどうか、今のままの理解で良いのかどうか、迷っているところがあります。あなたが冨の波動を使うためには、冨に対してもっと接点を創る必要があります。あなたは冨との接点を創らずして冨を手にしようと考えています。しかし、冨との接点がないと富はコントロールすることはできません。もし冨をコントロールするのであれば接点を創る必要があります。冨の波動との接点をどうやって創っていくのか。冨を手にした時の喜び、冨を手放した時、自分はどう思うのか。でもその冨を他の人が手にして他の人が喜びを感ずる、それを見てまた自分も喜びを感ずる、冨のエネルギーに対しての心の動き、思い、これが必要なのです。それが備わってくると冨のエネルギーと心が繋がっていき、そして自分と冨のエネルギーとの接点が目覚めていきます。心と冨のエネルギーの接点ができるとそれをコントロールする状況に入っていきます。今のあなたの場合は先ずその接点そのものがあまりないためにいくら思い、リチュアルを行っても肝心の冨のエネルギーにも響くことがないのです。もっともっと冨に対していろんな思い、意識、そういったものを繋げておくようにしてみてください。
皆さんの心と冨のエネルギーとの繋がりを説明してみました。今の段階においての説明であり、皆さん方の意識の変化や行動によっていくらでも変化していきます。でも人によっては本質的に変わらない波動を身に付けている人もおります。いずれにしても皆さん方は今よりも十分に冨に恵まれる状態が許されており、またそれが神の望んでいることでもあるのです。冨を手にすることに対して決して否定的な思いを持たず、また、それをあえて手放そうとも思わずむしろ積極的に喜びを持って受け入れていく、こういう気持ちがない限り冨は入ってきません。
もっともっとしっかりと冨を受け入れていく、しかも喜びを持って、神に感謝の気持ちを持って手にしていく、是非ともこういう気持ちで皆さん方もっともっと冨を手にしていってください。それでは少し休憩を取ります。ありがとうございました。