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2003/5/19■月曜交流会から

現実にしっかりと目を向ける

@喜びは自分でつくりだす

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今の皆さん方の話の中で一人ひとり、自分についてのマインドの使い方や意識の使い方、現実の生活における体験などを話していただきました。そして自分に意識が日常どこに向いているのか、自分のマインドに意識を向けている場合、現実に意識を向けている場合、相手に意識が向いている場合、いろんな意識の向け方がありました。

自分のマインドにばかり意識が向いていると自分の考え方、やり方、対応の仕方が常に気になってきます。そして正しいのか正しくないのか、良いやり方なのか、間違ったやり方なのか、いろんなところに思いが移っていきます。現実のところに意識が向いていくと、自分がこういう現実に出会うのは何故なのだろう、この現実で何を学ぶのだろう、自分とこの現実はどういう関わりがあるのだろう、こういう観点が認識していくことになります。

相手に意識が向いている場合、この人は何をすると喜びを感ずるのだろう、この人は何をやりたがっているのだろう、この人の求めているものは何なのであろう、それによって自分のできること、自分が協力できることが感じられていきます。この意識の持ち方によって皆さんのいわゆる、一瞬、一瞬、今という現実の認識がかなり変わってきます。

常に自分のマインドにばかり意識が向いて、ちゃんとできたかどうか、自分は他の人と比べてどうなのか、自分のやり方ばかり意識が向く人、現実に意識が向いて、現実の中で自分がうまくできるかどうか、自分がこの現実の中で何をするのか、そこにばかり意識がいく人、相手に意識が向いて、相手が何を求めているのか、相手のために自分は何ができるのか、常にそれを考えている人、それによってまったく違った現実が現れていきます。

一見周りから見ると、まったく同じよなうことをやっていたり、ほとんど同じことを口に出していても、今のような意識の向け方が違うと実際にはまったく違う現実を歩いていることになります。したがって、皆さん方一人ひとりの現実はかなり様相が違っており、周りからでは判断しにくいところがあります。

周りから見た時、ほとんど同じ現実であるとか、ほとんど似たようなことをしていると思っても話を聞いてみると、まったく噛み合わない場合があります。したがって見た目の現実ではなく、その人の意識がどこに向いているのか、自分の感情、自分のマインド、現実、社会、相手、相手の心、マインド、いろんな意識の向け方があります。

それによって一人ひとりの価値観、喜び方もかなり違ってきます。喜びが持続しない、一人ひとりの価値観が異なり、喜ぶという基準が違う以上、何をもって喜びとするのか、喜びを持続させるために何をするのか、それ自体一人ひとりまったく違った答えになってきます。同じことを言っても相手は喜びと感ずるかどうかはまったく分かりません。自分が喜びと思っても相手が不快に思ってしまう、むしろ怒りを覚えてしまう、自分が喜びを持続すると思って行動を取ったことが相手は怒りを連発してしまう、こういう認識の違いになるために、喜びを持続するということは単純なことではなくなってきます。

そもそも本質的に喜びは自分で感ずるものであり、自分で見つけるものになってきます。したがっていくら私たちがスピリットだからといって、これが喜びですよとか、こうすれば喜ぶというアドバイスまったく通用しません。このアドバイスを聞いても喜びと思うかどうかは皆さん方自身の価値観によります。

まったく同じアドバイスを与えても、ある人は喜びと思っても、ある人は反発してくる場合もあります。ましてやそれをどうやって持続するか、それはまったく一人ひとりの問題になってきます。ただある人の場合に喜びを持続させている人、本当に人間と合うのが好きでいろんな人といろんな話をしたり、いろんなことをお互いにやってみることで喜びを感じている人がいます。

この人は本当に人間が好きでどのような人間がきても喜びを感じ、そして一緒にいるだけで、また話をしたり、何かワークをするだけでまたそれ以上の喜びを見出している人がおります。喜びを持続させるというよりは、一瞬、一瞬喜びを見つけているのです。

この人のこういう内容、話、しぐさ、一つひとつに喜びを見つけているのです。つまり喜びを持続させるという観点ではなく、喜びを見つけていく。喜びを持続するというのは何か持続させる喜びを見つける、あるいは持続させるだけの体力や精神力を養う、まるでそういうニュアンスが伝わってくるために、何かをすればこれで喜びが持続する、何かを手に入れれば、喜びは持続できる、そういった魔法を教えて欲しい、魔法を手に入れたいという雰囲気が感じられてきます。

それは喜びではなく、むしろ洗脳に近い状態に入っていきます。喜びは自分で見つけるもの、自分が味わうもの、つまりは喜びを持続するというのは自分の方が一瞬、一瞬喜びを見出す力を養っておく、何を見ても、何を聞いても喜びとして理解していく、そういう能力が要求されることになります。

皆さん方の中で喜びを持続するのが難しい、そういう意見があります。喜びと思って人と接していても、一言、一言でまったく心が揺れ動き、逆に疑いや不安を感じてしまう、こういう人もおります。喜びを持続させるというのがとても難しい。不安や疑いを発する話の内容や、物事ではなく、喜びを持続させるような話の内容にして欲しい、そういう風にして手に入れた喜びは本当の喜びではありません。

制限付きのまま与えられた喜びは真の喜びにはならないのです。真の喜びはどのようなものがやってこようと、いつ何時どのような事態になろうとも喜びを見出す力を持っていることです。そのために自分の心が常にいろんなものに対象が動き、常に喜びを見出そうとしていく、すでに喜びを見出している、これが必要になるのです。

自分自身の心を調べた時、一瞬一瞬、常に喜びを見出す力を養っているかどうか、いつどのような状況にあろうとも喜びを見出せる能力になっているかどうかをそれらをしっかりと見つめ、整理していく必要があるでしょう。


さて、話を別の観点から進めていきます。皆さん方は光の仲間として活動を始めており、自分は何者であり、どこに向うのかを調べながら、また自分の光を多くの人に与え、お互いに意識的な成長ができるように活動を取っております。この学びの過程でたくさんのものを手に入れることができました。

自分の生まれて今に至るまでの体験の中で身に付けてきたもの、スピリットレベルにおいて肉体を持つために過ごしてきたこと、いろんなものが皆さんの頭の中で思いをよぎっていきます。一人ひとり、今自分は何故ここにいるのだろうか、これから何をするのだろうか、自分に一番役に立つ、心が豊かになるものは何であるのか、一人ひとりいろんな思いがあるでしょう。

私たちは皆さん方と一緒に学びを始めながら、皆さん方が今後どこに向って何を喜びとして歩んでいるのか、本当に皆さん方に必要なものが何であるのか、今それを見つけ、そして皆さん方が少しでも役に立つようなものを手に入れるよにうにしてみたいと願っております。

ただ皆さん方の波動を見た時、喜びを自分の手で見つけようとか、あるいは喜びを創る、喜びを創って積極的に人々に与えていく、こういう積極的な活動があまり見受けられない状態にあります。多くの人は始からあるものを手に入れようとしたり、すでに用意されているものを順番に体験していく、何でも既にあるものを使って何かをなすという意識構造になっております。

そのために何もないところから自分が喜びを見つけ、何もないところから自分が喜びを創り出していく、こういう発想がほとんど感じられておりません。既にあるものを皆で体験していく、そういう行動ばかりが増えてきて、まったく何もないところから新しいものを創る、喜びを発見していく、こういう活動が中々できておりません。

自分の心の中をいろいろと調べた時、何もないところから喜びを見つけるという波動がどこまで備わっているか、自分の感じている波動の中でまったく新しいもの、まったく素晴らしいものを自分の力で見つけることができたかどうか。まだまだ既にあるもの、既に喜びとなっているもの、皆が喜びといっているもの、そういう基準で物事を考えるくせがついており、既に明確にあるもの、それを確認しているだけの作業になっております。

喜びを見出したり、自分の現実を良いものにもっていくためには、自分から創り出していく、自分からまったく新しいことを行っていく、こういった流れが必要になっていきます。皆さん方がいろいろと自分の心を見つめ、考えた時、自分でまったく新しいものを創り出す、見つけていく、そういう波動がどこまで備わってきたか。皆さん方の心の動きと喜び、またそれにまつわる観点からアドバイスをしてみたいと思います。


Akikoさんの心の喜びを調べた時、あなたの心の中に喜びという基準のエネルギーが自分の基準の中で練り上げられており、多くの人と一緒に喜びを味わう、一緒なって創るという波動がまだ完成されていない状態に見受けられます。喜びはお互いに分かち合うもの、お互いに創り上げるもの、こういう波動がどうしても必要であり、自分だけが感じようとすると真の喜びにならない場合があります。結局自分が喜びを感じる、そこで終わってしまい、これを多くの人と一緒に分かち合うという流れに進んでいかない状態になってしまうのです。本当の喜びを身に付け、これを地球全体に広げたいのであれば、分かち合う、一緒に喜ぶという波動が必要になってきます。したがって、物事を何か成した時や見つけた時、一緒に分かち合う、一緒になって喜んでいく、相手の喜びを自分の喜びのように感じていく、こういう波動をもっと身に付け、一緒になって創り上げていく喜び自体を味わっていってください。

Kenjiさんの心の喜びを見た時、あなたの波動の中に喜びに対して少し面白い波動が入っております。自分の心のなかにある喜ぶという機能がある何かの波動によって押し寄せてくるという波動よりは、自分がそれを創り出してその結果喜ぶという方向へ変化していくのを喜ぶという流れが創られております。つまりただ単に喜びという波動がきて感じるとか、皆が喜ぶと思っているものを喜びとして受け取るのではなく、何らかの自分の価値観で何か操作をして、それが自分の価値観の喜びという波動に変化すること自体を喜びとして感ずる、こういう心の動きがあります。これはとても面白い波動であり、先ず場合によってはどのようなものにもこれを使うことができるために、一見何でもないような、他の人がほとんど気にしていないようなことにも喜びを見つけるという特徴があります。しかし、それは自分自身で決めている観点の喜びであるために、他の人から見た時、それはまったく喜びでも何でもない場合があります。したがってこれをどううまく使っていくのか、使い方をうまく行えばすべてのものに対して喜びを見つけることができます。しかし、使い方を誤れば他の人はまったく何も感じないけれども、自分は喜びを感じている、こういう状態になっていきます。これを宇宙の流れから見て良い方向へ持っていかせるためには、同じように他の人は何を喜びとして感じているのか、他の人の創っている喜びの価値観は何であるのか、そこに興味を持ち、その人の喜ぶという波動と自分の喜ぶという波動をいろいろ調べ、それによってお互いが喜ぶという状態に持っていくために何を成すのか、両方が同時に喜ぶというエネルギーを創るために何をしていくのか、そういったことに意識を向けていくとお互いが同時に喜ぶという現象を創り上げていくことができるようになってきます。そういった観点での喜びの創り方も学んでみてください。

Michikoさんの喜びの波動を見た時、あなたの心の波動の中に大きな幸せを求める波動と、幸せを感じること自体が喜びという波動があります。したがってあなたの場合にはまず幸せという感覚を味わう必要があります。幸せという感覚を味わい、そしてそれを実感した時、あるいは相手の心の中にそれを見つけた時喜びが感じられてきます。自分が感じているこの喜びが本物の喜びなのかどうか、時々そういう思いにかられる時があります。それはその人の持っている幸せが本当の幸せなのかどうか、自分の感じている幸せが本当の幸せなのかどうか、常にそういう思いを持っているために起こってくる現象といえます。そこにある幸せをすべて受け入れ、幸せ自体に疑問を持たなければ喜びに疑問を持つこともありません。したがって、これからその幸せという観点で見た時、幸せをそのまま幸せとしてい受け取っていく、幸せが本物かどうかを考えるという認識すらもなくしていく、そうすると結果的に喜びはそのまま喜びとして素直に飛び込んでくることになります。

Naomiさんの喜びの波動を見た時、あなたの喜びの波動に大きな、大きな希望とまたそこに向う勇気や強さも感じられております。あなたはその喜びを実現するために、いろんなツールを使って実現させるという思いを持っております。自分が感じている喜び、自分が理解している喜び、それを達成するためにいろんなツールを使ってそれを導いていく、そこまで進んでいく、こういう波動があります。したがってあなたはある何らかの目標が見えた時、その喜びに向って、あの手、この手を使って何とか実現させようという言動をとっていきます。これは喜びをクリエーションするという観点で見た時、ある意味ではとても良い波動といえます。しかしあまりに計画的に創り上げられたり、いろんなツールを使うと、一つひとつにいろんな思いや感情、波動が入ってしまい、喜びにいろんな波動が入ってしまう状態になってきます。そうすると喜びは単なる喜びだけではなく、せっかくこうやったけどここまで、これをやってあげたのに、これはここまでしかない、こういういろんな価値観のエネルギーが入った喜びになってしまい、結果的に目標を達成しても、完全に心から何か喜びを感じられない波動がどこかに残っております。そしてその本当に喜べない理由は何であるのか、それを探そうと思ってもまったく理解することができません。自分としては予定通り完璧にプランを達成し、その通りにやったのにも関らず結果として何か心から満足しない、それはその途中経過の段階でいろんなツールやプランに入ったエネルギーの所為であり、そこにいろんな思いを入れることなく、単純に喜びを達成すること自体を喜びとしていく、喜びに向って歩んでいること自体を喜びとしていく、その境地を早く会得する必要があります。それができた時、喜びは真の喜びとしてあなたに戻ってくるでしょう。

Masakoさんの心の喜びを見た時、あなたの喜びの波動にとても純粋で新鮮な喜びが見受けられるのと、そこに秘められている弱さ、またきめ細かさが感じられていきます。あなた自身の素直さや純粋さと一緒にとても繊細な部分が入っているために、その繊細なるが故の恐れや不安、少しでも無視されたり、否定されたりすることへの不安が入っており、それで喜びが常に別の波動を同居させた喜びになっております。折角喜びとして実現させ、そこまでいったとしてもまたそれが崩れることへの不安、それがなくなることへの不安が同居し、完全に心から喜びとなって実現できない状態になっております。これを克服するためには、自分が感じた喜び、今向って達成させようとしている喜びがある時、そこに一切の不安や恐れを感じない、そのためにはあまり細かいことや小さいことにいちいち意識を向けるという心の動きを少しずつ軽くしていき、細かいことや少々のことには目をつむっておく、あまりそこに意識をむけないでおく、そういうやり方が必要になるかもしれません。そして細かいことで考えるよりは、喜び自体をただ感じていく、喜びの波動があること自体喜びとしていく、そういう意識の持ち方が必要になるかもしれません。ただあまりにも繊細な面に意識を向け、その傾向が強いために、すべて目をつむっておくとか、まったく見ないようにするというのは難しいかもしれません。したがってそれ以上の喜びを常に自分が感じておく、少々不安や恐れがあってもそういったことでは壊れることのないそれ以上の喜びをしっかり実感しておく、そういうやり方でそれを克服するのも良いかもしれません。自分に見合ったやり方をいろいろ工夫しながら、あまり細かいことに意識を向けずに全体的な観点で喜びを感じるようにしてみてください。

Norioさんの心の喜びを見た時、あなた自身の心の波動の中にいろんな喜びに向けての流れがあり、その時、その時によってうまく使い分ける特性を持っております。ある人やグループ、場においていろんな喜びの状況があり、その一つひとつの喜びにおいて、うまく自分を適合させていく、その場において必要なものをうまく使い分けていく、こういう特徴があります。したがってあなたはいろんな人といろんな観点において喜びを共有し合う特徴があり、それ自体があなたの波動を巧妙に現しております。しかし、それは自分にとって本当に喜びなのかどうかを時々分からなくなってしまう傾向があります。いろんな人と分かち合っている多様な喜びを感ずると同時に、それが本当の自分自身の喜びなのかどうか、時々人に合わせている自分を見たり、人に合わせていることだけで一日を終えている自分の姿を見た時、それが本当の自分なのかどうかを自分で疑問に思う場合があります。一度そのループに入ってしまうと、そこから抜け出すことができず、長い間そのループで自分自身を否定したり、自分に疑問を持ってしまう場合があります。したがって、あなたの場合いろんな人と喜びの波動を合わせることができる、いろんな人の喜びを共有できる、その特徴自体があなたの素晴らしさであり、特徴であるということ、そういう側面自身を喜びとして理解しておく、こういう意識が必要になります。自分自身の特徴を理解し、生かすということほど喜びが増えるものはありません。人によってその行動が違うために、他の人と比較するのではなく、自分は自分の中で喜びを見つけていく、感じていく、それを理解した上ではっきりと自分のものとするようにしてみてください。

Mitsukoさんの喜びの波動を見た時、あなたの心の波動の中に自分自身に対して常に何か恐れや不安が押し寄せてくる思いを持っている雰囲気があります。自分は喜びに溢れた流れを歩んでいきたい、そう願っていてもどこかでそれを不安に陥れる波動のようなものが感じられたり、常に疑問を問う波動がやってくる場合があります。それによって折角決めたことでも、また疑問を持ったり、決めたことがまた躊躇して取り消しになったりしてしまう傾向があります。これはあなたの心の中にある意味では大胆さと慎重さが巧妙に組み合ってできた心の波動であり、ある時は、大胆に決断してしまえと思えば、ある時は慎重になって何も決断できなくなったりする、いろんな心の波動が巻き起こした現象ともいえます。自分の心の中でうまくやっていこうという思いがあまりにも強くなってしまって、慎重にするエネルギー、でも大胆にするエネルギー、これが巧妙に組み合わさって、一瞬、一瞬の現実を創り上げていきます。したがって、心の喜びを創り出そうとする時、自分自身にとっての喜びの波動が自分でも分からなくなってしまう場合があります。目標を達成しようと思う時、大胆に一気にいきたいという波動と、慎重にいきたいという波動が葛藤をはじめ、それによって達成する喜びではなく、途中経過のいろんな思いが不安や恐れを増幅してしまう場合があるのです。したがって、あなた自身が喜びを喜びとして感ずるためには、あなたの今持っている慎重さ、それを核にしながらも本当に大丈夫だと思った時にだけ大胆にしっかりと進んでいく、核を慎重にしながら、決断の時に大胆に進むというこの使い分けをうまくやってみる必要があります。これを逆にはじめ大胆をどんどん進めていって、肝心なところで慎重になると中々肝心なところで決断できなくなってしまいます。核のところを慎重にしながら、肝心なところで大胆に行動する、こういう感じで現実の展開を喜びとして受け取ってみてください。

Tokoさんの喜びの波動を見た時、あなたの心の波動の中に本当に自分を愛したい、自分を認めたい、自分の価値を表現したいという思いがあります。あなたはその自分の価値をしっかりと認め、表現することで自分の喜びを見出そうとしています。自分の心の中にある自分の本当の強さを出そうと思っております。でもそれがいつもできないことに対するいらだちや不安、中々表現できない自分に対して嫌気がさしたりしてしまいます。本当の喜びを創り出せるパワーを持っていながらも表現できないということだけで、結局喜びにならないまま留まってしまいます。あなたは折角そこまで内面の強い思いがある限り、それを現実化させる強いパワーも秘めているのです。最後でそれを戸惑ったり、あるいは肝心なところで表現できなくなってしまうと思い、いかにも自分に力がないかのように勘違いしてしまいます。あなたに力がないのではなく、肝心なところで後一歩、表現がされていないこと、肝心なところで自分を出していないこと、単にそれだけが原因になっています。本当は強い思いがあり、強さがあるためにそれさえ突破すればあなたの内面の波動を表現することができ、それによって自分自身の喜びをはっきりと他の人にも分け与えたり、共有し合う場が出来上がっていきます。今までの自分とは違う自分を感じてみて、そしてそれによって喜びを分かち合う、喜びを感じていく、そういう流れを是非とも自分のものにしてみてください。

Hirokoさんの心の波動を見た時、あなたの心の中の喜びに新鮮さと、また、それを得た時の心から出てくる愉快さ、満足感が感じられていきます。あなたの心の中にはそういう新鮮さや楽しさが含まれており、本当に自分自身が喜びをクリエーションできるというパワーを持っております。あなたはそういう喜びを口に表現することにより、他の人に新しい話題をして楽しませたり、他の人が心から出てくる愉快さをあなたが与えていくパワーを持っております。そのパワーをうまく使いこなすために、あなたはいろんな学びをしたり、いろんなことを考えて出していく傾向もあります。自分自身の感じた喜び、それを多くの人と分かち合おうという思い、それはとても良い波動といえます。これをさらに高度なものに変えていくためには、喜びの波動を相手との間でうまく創り上げながらより高度なものへと成長させていく、喜びをその場だけの喜びに留まらず、さらにお互いとの学びの中でさらに高度な波動へと変化できる要素を持った喜びを創り上げていく、そういう観点で高度なレベルへのシフトを内在させた喜びの表現の仕方、喜びの創り方を挑戦してみてください。

Kenjiさんの喜びの波動を見た時、あなたの心の波動に大いなる幸せ、満足感、そして真の協調性、こういったものが感じられております。喜びを創るために先ずお互いの協調、満足が必要であり、先にそういう場を創って、そこから喜びを表現し合うという場を創っております。したがって、喜びを感ずる場を先ずどうやって創っていくのか、お互いが協調し、お互いが心を許せる場を創るために先ず何をするのか。それを先ず考え、そういった場が整ってから喜びという波動でお互いが満足する状態まで高めようと考えております。これはあなたにとってある意味ではとてもやりやすい流れといえます。あなたの心から出てくる波動がそれを可能にしており、単純に喜ぶという波動よりは、お互いの中から喜びを引き出していく、喜びをうまく表現し合うという場を創るのにうまく適合しており、そのために、場を創ることが一番の課題になっております。そして場を創った後、お互いに喜びに向けて何かを引き出していく、何かを創り上げていく、それによって何かを喜びに変えていきます。これはあなたの特徴であり、とても良い流れであるために、さらにその使い方を自分でコントロールし、場をうまい喜びの波動で満たすようにチャレンジしてみてください。

Seikoさんの心の喜びを見た時、あなたの心の波動の中に本当に自分を大切にし、そして他の人にもその波動を感じたい、一人ひとりの持つ本当の大切なものを分かち合いたい、こういう波動が感じられております。したがって、あなたにとっての喜びは本当に本質的な人間の喜びであり、単なる楽しさというよりは心が繋がった喜び、心が一つになった喜びを身に付けようとしております。表面的な喜びには興味を持たず、本質的な喜び、内面による繋がった喜びを感じようとしています。したがって、これはあなたから見た時、人間関係の流れにおいてとても難しい関係を創り上げていきます。表面的な喜びを求めている人間が多い中では、あなたはこのエネルギーを使うのがとても苦手になってしまいます。しかし内面の喜びを求めてくる人に対してあなたは本能的に分かり、理解し、近づいていく傾向があります。今までそういう流れにおいてあなたは心から喜びを感ずる人に常に意識を向けてきました。これからもその流れは変わらないかもしれません。でもやはり多くの人と分かち合うためには表面的な喜びで近づいてくる人の喜び自体も認めてあげたり、尊重する必要があります。すべての人と心で結び、繋がるというのはある意味では難しいかもしれません。したがって、本当に心から繋がるわずかな人がいたとしても、それ以外の人とも表面的な喜びだけでも繋がっておく、表面的な喜びだけでも分かち合っていく、そういう意識も持つようにしてみてください。

Marikoさんの喜びの波動を見た時、あなたの心の波動の中に自分自身を時々犠牲にしたり、いじめてしまう波動があります。せっかくあなたの持っている清らかで高次なレベルに適合しようという波動があってもそれを自分自身で自分を傷つけてしまう方向へと切り替えてしまう傾向があります。あなた自身のその高度な波動を自分に向けるのではなく、さらに洗練されたエネルギーへと昇華させていく、こういう訓練が必要になってきます。自分自身が高次のものへ近づいたり、憧れたり、適合しようとしている時、それにそわない自分を考えたり、否定された自分を思うのではなく、ひたすら高次に向っていく突き進む自分自身を愛していく、自分自身を認めていく、そういう波動に変換させ、すべてを肯定的に高いレベルで昇華させていく必要があります。実際あなたはそういうパワーを持っており、またそれが出来るエネルギーを身につけております。一切自分を否定することなく、すべてを受け入れ、自分を常に高次のレベルに高めていく、そういう流れの中で自分自身の喜びを見出していく、常にそれを理解した上で先ず自分の心の中に喜びと平安を完成させていってください。

Makiさんの喜びの波動を見た時、あなたの心にあなたが自分自身でも理解できない波動が時々やってきて、自分は何に喜びを感ずるのか、自分にとっての喜びは何であるのか、それを解いていく場合があります。自分が喜びと思っているものと他人の喜びが一致しない時に、それが特にめぐってきて、自分は何を喜びとしているのだろう、他の人の喜びはどうして自分には喜びにならないのだろう、いろんな思いを与えていきます。今までそういったことでいろいろ自分自身を考えていました。あなたには経験されているそういう思いの多くはあなた自身を理解し、たくましくするために与えられた場であるとも言えます。あなはいろんな人間の心を超越し、人間の心に左右されない行動を取ることが許されております。これはある意味では特殊な状態であり、普通は集合意識のレベルで人類の集合意識に繋がっているために、必ずどこかの部分で地球の心の波動と繋がりを持ち、自分自身が癒すことによって地球人が癒されていく、自分自身が自分をヒーリングすることによって地球人がヒーリングされていく、多くの人はそういう関連で地球人類の奉仕のために地球にやってきました。しかしあなたはそういう契約を取っていないために、地球人類の集合意識の感情レベルとあなたの心のレベルに接点がないために、他の人とあなたとの関連が一見ない状態になっております。しかし、それでも人類との繋がりは明確にできており、あなたは感情レベルではなく、むしろ観念や高い波動のレベルでの繋がりを創っております。したがって、今後の流れの中で、特にアダムカドモン以降の人類の中で観念、それ以上の高い波動における人類の癒し、また波動の変換に大きな役割を演ずることになります。そういった自分の中で喜びとは何であるのか、それは感情や思考レベルではなく、観念レベル、いわゆるモナドやロゴスのレベルにおける癒しや喜び、そういったところで学びをする意識を持っておいてください。

Yasuhiroさんの心の喜びを見た時、あなたの心、最近自分で分析したり、調べたり、確認しながら、自分の心は何であるのか、いろんな興味を持ってきております。そして改めて自分にできる喜びの波動は何であるのか、他の人に喜びを与える波動は何であるのか、いろんな思いを持ってきました。あなたの思っている喜びは、あまり理屈で考えたり、難しく考える必要はありません。あなたはごく普通に自然に自分の体験を話したり、自分の理解したことを話すだけで多くの人に喜びの波動を広げていきます。あなたの本質的な波動に満足感を伝えるという波動が備わっており、あなたが本当に何かに満足して素直に喜びを表現する時、そのままその喜びと満足感が相手に流れていきます。したがって、何もエゴ的なことを考えず、純粋に素直に満足を表現する時、そのまま相手に喜びの波動が伝わっていくのです。それがあなたの特徴であり、むしろ喜ばせようとあまり良い波動が流れなくなってしまいます。何も考えずに単純に満足することを表現していく、それが喜びの原点である、常にそれを意識するようにしておういてください。

Norikoさんの心の喜びを見た時、あなたの心の波動の中にあなた自身が創り上げてきた信念、観念、そして喜びに対する価値観、いろんなものが備わっております。今その中で喜びという観点から見た時、あなたは何かをわざわざ喜ばせるとか、何かをもって喜びを表現するというやり方ではなく、むしろ自分が何かをして本当に面白かったこと、自分が体験して良かったこと、自分がやってみて心から満足したこと、それをそのまま事実を伝えていくと相手はその真実に触れ、相手が喜びを感じていきます。真実をそのまま伝えるということは相手にとっても喜びに近づいていくのです。あなたはそこまでをすれば良く、それ以上どれが喜びだとか、これが喜びだとか言うと返って波動が乱れてしまう場合があります。単純に自分感じた事実、自分が見つけた喜びをそのまま示していく、表現していく、それだけで十分に相手はそこから喜びを見つけ、自分のものにしていきます。そういうやり方を身に付け、あえて押し付けないやり方の喜びの表現方法を自分のものにしてみてください。

Naraさんの喜びの波動を見た時、あなたの心の波動の中にあなた自身が自分についていろいろ思っていたこと、自分について感じていたこと、そういったことに対するいろんな波動が創られ、そしてそこで眠り、待っております。自分自身が感じている喜びは何であったのか、何かを成し遂げること、何かを手にして、認められること、そんな喜びの波動が姿を示した時期がありましたが、今はそこにおけるいろんな思い、時にはむなしさや失望感のようなものも影響しております。そういう流れから見た時、自分にとっての喜びは何であるのか、何か達成することの喜びか、何かを手にすることの喜びなのか、そういった感覚で始め自分の心の喜びを見つけようとしてきました。そして今改めて心を見た時、自分の心の中に真実の喜びとなって備わっている喜びは何なのか。自分の中に何かをしようと思って突き進んでいる時、自分がひたむきに努力して頑張っている時、その姿そのものがあなたは喜びを感じており、また周りの人もそれに喜びを感ずる場合があります。何かに向って突き進む純粋な行動力、何かに向って成し遂げようとしている純粋な思い、それ自体があなたのとっての喜びになっています。したがって、常に何か目標、やること、やるべきことがある時あなたは常に喜びを手にすることができます。しかしそれが遮られたとき、できなくなった時、喜びがどんどん○○することになります。それと自分の心の中に常に何かに向って進める環境、何かを追い求める状態、そういう状態を創っておく時、常に喜びを創り出せる環境が創られていきます。自分の心の中の動きはすべて自分が決めるものであり、喜び自体も自分の思いで創られている、それが分かった時、次の段階として、じゃ、他の人は何を喜びにしているのだろう、自分と他の人の喜びを一つにするにはどうするのだろう、そういった考え方へと変化していきます。そういう段階に来た時にまた新たなる方法で次の喜びを創り上げてみてください。


今喜びという観点で話をしてみました。今現在における喜びの波動を読み取っただけであり、これが皆さんの今後ずっと支配する心の喜びではありません。したがって、心の動きが変化すると同時に喜びの表現方法や感じ方も変化していくでしょう。ただ変化する方向性として自分自身の喜びから多くの人の喜び、また喜びを一緒に分かち合う、表現すること自体喜びとしていく、いろんな流れがあります。

自分がどの方向へ向っているのか、何を喜びとしているのか、それを自分で常にチェックしながら、高度なレベルへの喜びに向っていくように学びを進めてみてください。それでは少し休憩を取ります。ありがとうございました。


A喜びを期待しない

私たちは光のハイアラーキーとしてお話をいたします。今日は一人ひとりの心の喜びを感じていったり、表現してもらったりしておりました。喜びを分かち合う、これは思っている以上に難しいかもしれません。でも本当は一番簡単な方法ともいえます。自分が単純に何も考えず、素直に表現しているときは意外と相手もそれを感じ取って喜びを分かち合ってくれる場合があります。

だからといってすべての人が分かち合ってくれるとも限りません。人それぞれいろんな心の波動を取っており、相手が何かに悩んでいたり、困っていたり、別の思いで一杯の時、自分が素直に何かを表現していく、相手に素直さを感じ取る余裕があれば、その素直さを感じ、喜びを感じていく場合があります。しかし相手にまったく心の余裕がない時、自分の素直な波動はまったく相手に受け入れられず、喜びを理解できない場合があります。

したがって、まず理解すべきことは自分がまず心から素直に喜びを表現していく、しかしそれを相手がどう感じようかが相手の所為ではなく、またいちいちそれを気にする必要もないということ、あえて相手を喜ばせようとか、喜んでもらおうという思いを出した時、相手は途端に不快感を感じてしまう場合すらあるのです。

無理矢理押し付けられてしまう、無理矢理喜びと思って流されてしまう、そういう感覚を味わうからです。したがって、真実の喜びは自分は単純に本当に喜びの波動を表現している、しかしそれを相手に押し付けたり、わざわざ表現するエネルギーも出さない、これが一番の基礎になっていきます。

自分の素直な表現を相手は喜びとして感じ取ってくれない、でもそれでもまったく気にしないで自分はただ喜びを表現していく、相手がどう受け入れようが、どう無視しようが関係なく、自分はただ喜びを表現していく、これが慣れてくるとそれこそ喜びは持続することが可能になっていくのです。

その喜びをいちいち結果を気にしたり、相手の心を伺っていると持続できなくなってしまうのです。では喜びを分かち合う、共有し合う、そういうことを考えた時、自分と相手の関係はどうなっていくのか、これもまったく同じです。自分はただ喜びを表現していく、相手に素直な余裕がある時、相手もただ喜びを表現していく、これが噛み合った時、お互いに喜びを表現を共有し合うことができるのです。

お互いに共有し合うということを意識したり、もくろんでいくとまったく喜びに繋がらない場合があります。自分は素直に喜びを表現していく、相手もたまたま素直に喜びを表現した、これが噛み合った時、喜びを共有するという場が出来上がっていくのです。そういったことを考え、喜びを表現するということはどういうか、共有し合うということはどういうことかを感じていってみてください。そしてさらに次の段階として喜びを成長させ、高度なものへと進化させていく、それの基本は同じになってきます。

頭で考えたり、無理にマインドを使うと喜びがなくなっていきます。単純に自分の心の喜びを表現していく、それをつき進めていくだけでより高次の喜び、より集合意識レベルの喜びへと近づいていきます。そのテクニックを各自で自分なりにいろんな経験を通して見つけ、成長させるように意識を持っていってください。それではここまでにいたします。ありがとうございました。


(c)2003 CentralSun
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